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ソンドラ・ビアンカのディスコグラフィー、初公開!

2008年09月25日 13時33分22秒 | ディスコグラフィ的な話題

 以下は、私が1960年代の終わり頃からずっとこだわり続けている女性ピアニスト「ソンドラ・ビアンカ」の私が知り得たレコードの全てです。古いレコードファンならご存じの方も多いと思いますが、日本では、コロムビア、テイチクの廉価盤でよく見かけました。堂々として伸びやかな音楽がなぜか魅力で、オーケストラを向こうに回した協奏曲での、生き生きとした嬉しげな音楽には独特の味がありました。
 廉価盤ですから、いつもの私の持論ですが、決して大切には扱われず、中古市場にも中々出てきません。ゴミのような扱いで売り場の隅っこで数10円とか100円、200円で売っても買い手がつかないまま、捨てられてしまった盤も多いでしょう。もし、このブログを読んで、ソンドラ・ビアンカに興味を持ってくださる方が少しでも増えたら嬉しいです。インターネット上で、熱烈なファンの方が数人、日本にもおられるのを知ったのは4,5年前だったと思います。話題が盛り上がっていましたから、それでいくらか、捨てられてしまう盤が減ったかなと喜んでいます。箔のついた、高価なコレクターズアイテムしか大切にしない人には、無縁の世界のお話です。


《ソンドラ・ビアンカ ディスコグラフィ》
(1950~1960年頃までの録音で、確認できた分のみ)

●アメリカ PLYMOUTH P12-37(モノラル録音)
 リスト:ハンガリー幻想曲(B面は別演奏家)
(ジャン・マルティノン指揮/パリ・ラムルー管弦楽団)

●アメリカ PLYMOUTH P12-38(モノラル録音)
 リスト:ピアノ協奏曲第1番(B面は別演奏家)
(ジャン・マルティノン指揮/パリ・ラムルー管弦楽団)

●フランス GUILDE DU DISQUE(=コンサートホール協会) MMS-2131(モノラル録音)
●イスラエル MUSICAL MASTERPIECE SOCIETY MMS-2131(モノラル録音)
 ショパン:ワルツ集(No.2,3,8,6,9,7,11,1,4,10,13,14,12,5の順で演奏)

●アメリカ MGM E-3178(モノラル録音)
 マスネ:ピアノ協奏曲
 ブロッホ:ピアノとオーケストラのための「協奏バレエ」
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団)

●アメリカ MGM E-3237(モノラル録音)
 ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー
 ガーシュイン:ピアノ協奏曲 ヘ調
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・プロムジカ交響楽団)

●アメリカ MGM E-3243(モノラル録音)
 アレクセイ・ハイエフ:ピアノ協奏曲(B面、小品集は別演奏家)
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・プロムジカ交響楽団)

●アメリカ MGM E-3278(モノラル録音)
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
 グリーグ:ピアノ協奏曲
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団)

●アメリカ MGM E-3307(モノラル録音)
 ガーシュイン:第2ピアノ協奏曲
 ガーシュイン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲
 ガーシュイン:ピアノ・ソロのための3つの前奏曲
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・プロムジカ交響楽団)
(他に「キューバ」序曲、収録)

●アメリカ MGM E-3366(モノラル録音)
 ジョン・アイルランド:ピアノ協奏曲
 ブリテン:ピアノ・ソロのための組曲「休日の日記」
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・プロムジカ交響楽団)

●アメリカ MGM E-3476(モノラル録音)
 ジョン・フィールド:ピアノ協奏曲
 ジョン・フィールド:ピアノ・ソロのための「夜想曲」から5曲
(ランドルフ・ジョーンズ指揮/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団)

●アメリカ MGM E-3513(モノラル録音)
 シューマン:ピアノ協奏曲
 シューマン:序奏とアレグロ・アパショナート op.92
 シューマン:序奏とアレグロ op.134
(アルトゥーロ・ウィノグラード指揮/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団)

●アメリカ MGM E-3564(モノラル録音)
 モーツァルト:ピアノ協奏曲 第11番 k.413
 モーツァルト:ピアノ協奏曲 第20番 k.466
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団)

●フランス MUSIQUE POUR TOUS MT-10.127(モノラル録音?)
 シューマン:ピアノ協奏曲
 シューマン:ピアノ小協奏曲 op.86
 シューマン:序奏とアレグロ op.134
(ランドルフ・ジョーンズ指揮/ハンブルグ・フィルハーモニー管弦楽団)

●イギリス PARLOPHONE PMC-1034(モノラル録音)
●日本 エンジェルXLP-1039(モノラル録音)
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
 グリーグ:ピアノ協奏曲
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク・プロムジカ交響楽団)
 *日本盤ではハンブルク・フィルハーモニア管弦楽団と表記されている。

●日本 コンサートホール・ソサエティ M-177(モノラル盤)
●イスラエル MUSICAL MASTERPIECE SOCIETY MMS-177(モノラル盤)
●アメリカ HARMONY (COLUMBIA) HS-11012(疑似ステレオ盤?)
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
(カール・バンベルガー指揮/コンセール・ド・パリ管弦楽団)
 *「パリ」を名乗るも、「西ドイツ」の放送局オーケストラの匿名と思われる。


《これ以降は「ステレオ録音」》

●日本 コンサートホール・ソサエティ SMS-2814
 ガーシュイン:ピアノ協奏曲 ヘ調
 ガーシュイン:「アイ・ガット・リズム」変奏曲
(ワルター・ゲール指揮/コンサートホール管弦楽団)(匿名オケ)

●デンマーク MUSICA ET LITERA MEL-5002(ステレオ録音のモノラル盤)
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/MUSICA ET LITERA 交響楽団)(匿名オケ)       
 *「録音場所はハンブルク」「ステレオマイク使用」と明記されている。
 *英PARLOPHONE盤(モノラル録音)と同一曲目で指揮者も同じだが、別録音。


●日本 コロムビア(原盤は西ドイツ MUSICA ET LITERA ?) MS-1005-AX
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク放送交響楽団)
 *上記のデンマーク盤と同じ演奏?
 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/プロムジカ交響楽団)
 *オケ名の表記に疑問あり。なぜ「ハンブルク・プロムジカ交響楽団」と表記されないのか? ハンブルクのオケではないのか? 単なるミスか?

●日本 コロムビア(原盤は西ドイツ MUSICA ET LITERA ?) MS-1004-AX
 グリーグ:ピアノ協奏曲(B面は「ペール・ギュント」組曲)
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク放送交響楽団)

●日本 テイチク(原盤は西ドイツ STEREO TAPE inc.) UDL-3005-V
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲 第1番(B面は別演奏家)
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク放送交響楽団)
 *何度聴いても、前記の日本コロムビアから発売されていたものとは別の演奏と思う。

●日本 テイチク(原盤は西ドイツ STEREO TAPE inc.) UDL-3016-V
 シューマン:ピアノ協奏曲(B面は別演奏家)
(アルトゥール・ワインベルグ指揮/ハンブルク交響楽団)
 *オケ名の表記に疑問。「放送?」「フィル?」「プロムジカ?」

●日本 テイチク(原盤は西ドイツ STEREO TAPE inc.) UDL-3023-V (*)
 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲 第2番(B面は別演奏家)
(ハンス=ユルゲン・ワルター指揮/ハンブルク放送交響楽団)
 *これもチャイコ同様、日本コロムビア発売のものとは別演奏?

●日本 テイチク(原盤は西ドイツ STEREO TAPE inc.) UDL-3032-V
 サン=サーンス:組曲「動物の謝肉祭」(B面は別演奏家)
(ロベルト・シュテーリ指揮/ハンブルク・バッハ管弦楽団)

●日本 テイチク(原盤は西ドイツ STEREO TAPE inc.) UPS-1220-V
 リスト:「愛の夢」(他の曲は別演奏家)
 *結婚式用のオムニバス盤。オリジナルのアルバム構成は不明。

 *ハンブルクのオーケストラ表記は、全体に疑問が多い。ハンブルクにある西ドイツの放送局のオーケストラとして「ハンブルク放送交響楽団」は存在していた。最近は「北ドイツ放送交響楽団」と名乗っている。ハンブルク州立歌劇場管弦楽団のオーケストラ・コンサート用の変名として「ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団」も存在する。「ハンブルク・プロムジカ交響楽団」は不明。レコード録音用の臨時編成か? 「ハンブルク交響楽団」「プロムジカ交響楽団」といった中途半端な名称表記は、単なる誤記か? 「ハンブルク・バッハ管弦楽団」も実体不明。



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演奏家の「晩年」を考える

2008年09月17日 16時01分04秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 以下は、1997年春に発行された『クラシック音楽の聴き方が変わる本』(洋泉社ムック/絶版)に掲載したものの再録です。執筆完了は1996年11月23日です。ムック全体は各テーマごと、原稿全体の半分くらいを占める総論的まえがき2ページ分と、それを受けて後半は、具体的にCDを掲げて書く各論2ページという構成でした。もちろんCDデータなど、10年以上前の原稿ですからかなり変わってしまっています。しかし、今読み返してみても、各論に関しては、その後に別の形で広がったもの、もっと掘り下げてみたいと思ったまま果せないでいるものなどがあるものの、前言を翻さなくてはならないものはありません。つい最近、様々な演奏家たちの晩年、あるいは「ラスト・コンサート」についてある友人に問われたので、そのことについて考えているうちに思いだした旧稿です。なお、以下の文中に登場する「U氏」とはもちろん「宇野功芳氏」のことです。当時から、さんざん言われましたから、匿名にしておく意味もないでしょう。


《音楽家たちの歳のとり方》
 このテーマを聞いてすぐに、こんなことを考えた。
 その1。同じ演奏家で以前と同じ曲の新録音が発売されたときは、「円熟の境地に達した名演」と褒めるべし
 その2。旧録音が再発売されたときには、「若き日の情熱あふれる名演」と褒めるべし。
 この2つの原則をチャンポンに使ってお茶を濁している評論家の、いかに多いことか。これは、レコード会社という〈売る側の論理〉への迎合というのではありませんか?
 だれにだって青春はあるし、老いもあるけれど、そんなに単純に表現されてたまったものではないのは、自分自身の人生を振り返ってみたって言えることだ。まして、30歳近いデビュー盤に「青春の記念碑」と名付けたり、40歳そこそこの再録音を「円熟のきざし」などと呼ぶのは、“聴かずに書ける音楽評論用語”の悪用としか言いようがない。
 でも、この稿のテーマは「歳のとり方」。演奏スタイルの歴史がテーマではない。まして、「歳をとる」ということを、成長だとか美徳だとか決めてかかっているわけではないし、逆に、若いときが一番輝いていた、と年寄りじみたグチを吐くものでもない。「歳のとり方」はそれこそ千差万別だ。
 ところで、「歳をとる」って、最近は「体力が衰える」ことなんだと思い知っている私だが、ちょっと前までは、「歳をとる」ことは、「オトナになる」ことだと思っていた。そして、そのまた少し前には、「オトナになる」ことに何かしらの後ろめたさと嫌悪感を抱いていたのを思い出す。高校生時代には、友人とレコードを聴きながら、「ふやけた中年太りみたいな演奏」と言ってケナしたこともあったのに、今ではスナックなんかで、自分の娘ほどの年頃の女の子に「リッパなおなかネ」とからかわれる日々なのだ!(だけど、わけ知り顔のイヤ味な中年男にはなってないぞ)
 そう。「歳をとる」っていうのは「オトナになっていく」過程ではあるのだ。だから、わけ知り顔をしてすましかえる人もいれば、世間との妥協の日々をくり返すようになった人もいる。けれど、そんなのはみんな、インチキオトナ。そんなオトナになんかなりたくない、と気負っていたあの頃を、まだ失っていないと思っている人だけに、この稿を読んで欲しい。インチキオトナになってしまった人は、冒頭に掲げた二分法で「円熟の境地」と「青春の情熱」を淡々と聴いていればいい。それが「大人の風格」というものだ。
 そういえば、昔、同じクラスに、妙にオトナびた風格の奴がいたけれど、アイツ、どんな中年になってるだろう。ガキの頃から若年寄みたいに落ち着いたヤツって、必ずクラスにひとりくらいはいるものだけど、演奏家にも、そんなのがいる。例えばフィッシャー=ディースカウ。顔からして昔から出来過ぎていたけれど、あれは、やっぱり頭が良過ぎたのだろうか? それとも、感情が知性を超えるほどじゃなかったのだろうか?
 私自身は、「何もこわいものがなかった。何でもできるような気がしていた」というのは、青春時代の特権だから、そういうがむしゃらさを持っているヤツが好きだったし、いくつになってもどこかでそう思っているヤツが、今でも好きだ。でも一方で「青春時代は道に迷っているばかり」だともいう。ずしりとした手応えの不安をメいっぱい抱えていた頃が懐かしいし、あの頃、わけ知り顔ですました奴は大キライだった。だけど、みんな少しずつオトナになってきた。
 分別(ゴミのぶんべつ、ではない。ふんべつ)という言葉がある。ここまでやっちゃダメだろうなとブレーキをかけたり、これを言ったらオシマイだからと良い子していることだが、この分別臭さがイヤミな子供もいる。幼い頃から分別がありすぎるのは、たいしたオトナにはなれない、と、私の両親は言っていた。けっこうわがままをゆるしてもらったが、それは、演奏家にも言えることだろう。最初からきれいに収まってしまっていると、中堅どころで一生を終えてしまう、というのは、何人もいたように思う。後になって大化けするのは、たいてい、デビュー当時は毀誉褒貶さまざまで、評価が分かれる人が多い。
 コンクールなんかで1位なしの2位、という人もアブナイ。1位がいないから2位でも優勝と同じというのは詭弁で、誰もが唸らざるを得ない決め手を持っていなかったというのは、致命傷なのだ。「歳のとり方」というものは人それぞれだけれど、ひょっとすると、それは、子供らしさを少しずつ失っていくことかも知れない。だから、たくさんの子供らしさ、あふれるほどのダダっ子さを持っていればいるほど、どんなにおとなになっても、輝きが失われないのだ。
 けれど、「歳をとる」のは「オトナになる」だけではない。私自身、ほんの少しだけ想像できるようになったが、どうやら「老人になる」ということでもあるようだ。これは更なるエネルギーの減衰だ。それが、ロストロ先生のように「年寄りの冷や水」と言われるようなガンバリになるか、トスカニーニ先生のような「かんしゃく持ち」になるか、それとも、ジュリーニさんみたいに「こだわりの末端肥大症」にかかってしまうか、これもまた、それぞれなのだ。
 だけど、どうしようもなく反応が鈍くなって、テンポが遅く、切れ味も甘くなった演奏を褒めるのにも、便利な言葉がある。曰く「枯淡の境地」。褒め言葉の開発に余念がないのが、日本の音楽評論界の凄いところだ(私はこんな表現、使わない)。
 以下では、比較的長い時代を生き抜いてきた演奏家何人かの「歳のとり方」をみていくことにしよう。

●機能主義的ロマン主義者の黄昏 ――ヘルベルト・フォン・カラヤン

○ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調《英雄》/プロイセン(ベルリン)国立歌劇場o.[独KOCH-SCHWANN:31509-2]1944
○ブルックナー:交響曲第7番ホ長調/ウィーンpo.[Po-グラモフォン:POCG1005]1989

 カラヤンは20歳代半ばから30歳代半ばにナチ台頭のドイツを生きてきて、若くしてドイツ帝国内での地位を確保した。ベルリンを中心とした活躍で第2次世界大戦の終結を迎えたが、同じ時代を同じベルリン中心に生きた先輩フルトヴェングラーとは異なり、その内面にあったのはドイツ精神ではなく、オーストリアの歌謡の心だった。時代の風潮だった即物主義によって洗い落とされたすっきりとして伸びやかな歌が、カラヤンの真髄だった。1944年のプロイセン国立歌劇場管弦楽団とのベートーヴェン《英雄》からは、力強いたたみかけの中で、その澄み渡った響きによって伸び伸びとした歌が隅々にまで広がっていくのが聴きとれる。ロマン主義者カラヤンは戦後、超越的価値が崩壊した時代の中で、ベルリン・フィルという高機能集団とロマン精神のまがいもの作りに、おそらくは本気で取り組んでいったが、最晩年のウィーン・フィルとのブルックナーには、オーストリアの大自然が心なしか淋しげに広がっている。


●啓蒙主義者の美しき晩年 ――レオポルド・ストコフスキー

○ブラームス:交響曲第4番ホ短調他/ニュー・フィルハーモニアo.[Cr-BBCラジオ・クラシックス:CRCB6017]1974,L

 「ストコフスキー告別コンサート」と題された1枚のCD。これは、92歳の誕生日を記念したコンサートで、彼がこの日覚悟を決めていたかは不明だが、最後の公開コンサートとなった日の記録だ。
 実は発売時に、新譜を月評する月刊誌上で、音楽評論家U氏によって「ストコフスキーにはそぐわない選曲」という理由にもならない理由の前置きで、ダメ演奏の烙印を押されたのが、ここに収録されたブラームスの第4交響曲。これはライヴ盤だが、ストコフスキーはこの直後に、同じ曲のスタジオ録音まで残して死んでいる。こんな歳まで生きた大指揮者が引退を目前にして自ら選択したレパートリーを、「そぐわない選曲」とバッサリ切り捨てるU氏の傲慢さが、私はゆるせない。
 音楽評論というのは、なぜこの曲を選んだのか考えることも含めて、まず、そこにある演奏を受入れなければ成り立たない。この評論家氏、昔はこんなに威張っていなかったのに。(……実は私、高校生時代に当時の貴方の中野のアパートに押しかけたほど、貴方のファンだったのですよ。ストコフスキーのように、最後まで初心を忘れないでいてください。私は今でも、貴方と音楽について語りあった、あの日の貴方の、ちょっとはにかんだ青年のような笑顔を覚えています。貴方は、貴方の書いた文章をそらんじているような私の発言に、少し困ったような顔をして「音楽はいろいろな聴き方があるんだよ。ボクのいうことがすべてじゃない」というようなことを言いました。ずいぶん、お変りになりましたね。とても残念です。……)
 ところで、先に言っておかなければならないことがあった。この「ストコフスキー告別コンサート」の国内盤のライナー・ノートは私が執筆しているのだ。以下はそこからの引用。「ストコフスキーは、独自の解釈による強調や改作をかなり行ったが、それぞれの音楽の魅力に忠実とも言える見識が不思議な説得力を持っており、音楽の大衆化に半世紀以上にわたって尽力した。情熱的に迫るブラームス演奏の若々しさからは、この指揮者の生涯を貫いていた〈わかりやすい〉音楽が、どれほど大切であるかが伝わってくる。音楽を聴く喜びについて考えさせられる感動の一夜の記録だ」 
 ストコフスキーの生涯は長かったが、終生ちゃちな商業主義にも与せず、晦渋な芸術至上主義にも溺れず、美しく老いた人だったと思う。


●地道な下積みが報われるとき ――チャールズ・マッケラス

○『カレイドスコープ』/ロンドンso.[Ma-マーキュリー:PHCP10312]1961
○マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調/ロイヤル・リヴァプールpo.[英ROYAL-CLASSICS:ROY6414]1990

 最近復刻されたCDに『カレイドスコープ』と題するオムニバス盤がある。「カンカン踊り」まで収録されていて、最近のマッケラスとはかなり違うレパートリーだが、マッケラスは20歳代で最初に手にした職場がオペレッタ全盛時代のサドラーズ・ウェルズ劇場だった。その前年、チェコ留学でヤナーチェクの作品の魅力に取り憑かれて帰国したこの最初の仕事場をりっぱに務め上げ、一方で、ヤナーチェクのシリアスなオペラの英国初演に奔走して実現にこぎつけた。その後もこつこつと勉学にはげみ、70年代になってついにヤナーチェクのオペラの連続録音で本懐を遂げた。しかもオケがウィーン・フィル。これで一躍メジャー指揮者の仲間入り。そして若き日に学んだ地との縁でプラハ室内管とモーツァルト交響曲全集を完成。これは、エリを正して聴くようなリッパな演奏。地道な研究の成果が光っている。マーラーの交響曲演奏でも、ボヘミア的広がりに深い理解を示している。青年時代の体験を肥しにした大器晩成の人だ。


●飛ぶ空がなくなった「能ある鷹」 ――リカルド・オドノポゾフ(vn)

○シューベルト:ヴァイオリン・ソナタ イ長調、幻想曲ハ長調/エドゥアルト・ムラツェク(pf)[独ART:0029252ART]a.1972
○ガーシュウィン(ハイフェッツ編曲):《ポーギーとベス》組曲/ハンス・リヒター・ハーザー(pf)[独BAYER-DACAPO:BR200-004CD]1953

 1914年生まれのオドノポゾフは、34年には若くして、クレメンス・クラウスの推薦でウィーン・フィルのコンサート・マスターに就任した。だが、シュナイダーハンとの第1コンサート・マスター争いに破れ、37年にウィーン・フィルを去ってアメリカにわたり、56年まで、ニューヨークを本拠地に活躍した。アメリカは必ずしも、オドノポゾフの音楽傾向が深く理解される環境ではなかったようで、56年から再度ウィーンに戻り、ウィーン音楽アカデミーの教授として後進の指導にあたった。オドノポゾフが、ウィーン・フィルの第1コンサート・マスター争いに破れた背景には、おそらく、ヴァイオリン奏法の上での、当時のウィーンの主流のスタイルとのズレがあったものと思われるが、アメリカにわたった彼は、そこでもまた、文化伝統とのギャップに悩まされたようだ。結局、演奏家として第一線での活躍の機会を逃したまま、全盛期を過ぎてしまったオドノポゾフ。そういう不運な人の美しい歌がシューベルトだ。

●熟年優等生のFA宣言 ――ウォルフガング・サヴァリッシュ

○ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調《英雄》/ロイヤル・コンセルトヘボウo.[To-EMIクラシックス:TOCE8625]1993
○ヒンデミット:交響曲《画家マティス》/フィラデルフィアo.[To-EMIクラシックス:TOCE8672]1994

 この人の名前が出てきて、なーんだと、読み飛ばさないほしい。確かに、サヴァリッシュは「おもしろくない指揮者」だったけれど。
 サヴァリッシュは、60年代の初め頃には若手のトップランナーのひとりだったが、正統派のドイツ系だったため、最もオーソドックスな道を歩んだ。揚げ句の果てに、日本でも、正統派のセンセイとしてN響の名誉指揮者として祭り上げられてしまった。これでは安全運転の模範生として、しっかり良い子していなければならなくなった。つい最近まで、その役割をまっとうしていたのだ。だからのFA宣言。もう好きにやらしてくれ、とばかり、コンセルトヘボウの《エロイカ》あたりから変わりはじめ、フィラデルフィアへ。すっかり元気なドイツして、音楽が生き生きしている。こんなに自在で豊かだったなんて。フィラデルフィアをクビになっても好きな道だけを行ってくれ、とエールを送る。実力のある優等生が、「遊んじゃおう、もうイイや」と、プッツンすると凄いんだぞ。

●職業選択の自由とその見通し ――クリストフ・エッシェンバッハ(pf)(cond)

○シューマン:歌曲集《詩人の恋》他/ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(br)[Po-グラモフォン:POCG1132]1974~76
○ブラームス:交響曲第1番ハ短調/ヒューストンso.[英VIRGIN-CLASSICS:7777-59223-2]1991  

 エッシェンバッハは、まだ10代の若さで登場した「ピアニスト」だ。テレフンケンから発売された『バルトークを弾く』というアルバムなどが印象に残っている。まだあどけなさの残る顔のジャケットだった。70年にはモーツァルトのソナタ全集も完成してしまった。20歳代の最後の仕事だ。そして、72年には指揮者としてデビュー。やがて、完全にピアノから足を洗ってしまった。だが、この人は、よくいる転出組ではない。指揮者になったときのインタビューで「幼い頃から、指揮者になるのが目標だった。そのためには、まずピアニストとして有名になるのが早道だと思っていた」というようなことを語った確信犯なのだ。技巧的には少しも華麗じゃないけれど、隅々まで音楽の見通しが良かったのは、そのせい? シューマンの歌曲の伴奏ピアノは、目標の指揮者専業になる直前の録音だが、伴奏の域を超えた雄弁さ。わかっている人の音楽。才能も努力あってこそ。巨匠指揮者への仲間入りも間近かも知れない?


●遅すぎた亡命者の最終楽章 ――キリル・コンドラシン

○チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番/ヴァン・クライヴァーン(pf)、RCAso.[BV-RCA:BVCC7390]1958
○マーラー:交響曲第1番《巨人》/北ドイツ放送so.[伊CINCIN:CCCD1022]1981,L

 コンドラシンは旧ソ連の指揮者だ。長い間モスクワ・フィルの音楽監督を務めたが、1979年に突然オランダに亡命した。妻子を捨てての決死行だったが、新天地での生活はわずか2年で終わった。心臓発作による急死だった。
 その死の前日、テンシュテットの突然のキャンセルにより指揮者不在でオランダに到着した北ドイツ放送響の指揮を急遽引き受け、本人も大満足の熱演を終えてホテルの自室に戻ったまま、翌朝、ホテルのメイドがコンドラシンの死を発見したという。この最後の演奏会の放送録音の一部が、マーラーの「巨人」だ。
 コンドラシンは西側の自由な空気をかなり早い時期から吸っていた指揮者だ。アメリカのピアニスト、クライヴァーンのモスクワでのコンクール優勝後の凱戦公演に同行し、全米各地で指揮をしたのが58年。ソ連の指揮者の中では最も西側の近代的な音楽語法を身に付けた人だった。コンセルトヘボウとの厖大な放送録音に、堂々たる自負のある音楽が残されている。


●早逝者の失われた未来 ――トーマス・シッパーズ

○『オペラ名曲集』/コロンビアso.[So-ソニー・クラシカル:SRCR-1543]1960
○シューベルト:交響曲第8番ロ短調《未完成》:シンシナティso.[米VOX:CDX5138]1977

 この指揮者について語る人は少ない。彼は1930年3月9日にアメリカ、ミシガン州カラマズーに生まれ、77年12月16日にニューヨークの病院で、肺ガンのために、47歳の若さで世を去った。マゼールと同年同月生まれだ。戦後アメリカの生んだ天才指揮者と言われ、その正式デビューはマゼールより早く、50年、シッパーズがまだ20歳の時だった。63年にはマゼールの後にはなったがバイロイト音楽祭に、生粋のアメリカ人指揮者としては初めて出演した。もし長生きしていたらば、世界の指揮者地図がいくらか変わっていただろう。 ガン宣告を受け公表もした彼が、体調の不良を押して録音した最晩年の《未完成交響曲》は異様な遅さで、こころざし半ばで世を去る人の無念さを感じるが、千円盤で手に入るデビュー間もないころの『オペラ名曲集』は、思わず身を乗り出してしまうようなシッパーズの、天才的な吸引力のある音楽の躍動感が伝わってくる。ここには未来の無限の可能性があった。


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準・メルクル~N響/金聖響~アンサンブル金沢/デュオ・ハヤシの新譜/佐藤陽子のチャイ・コン

2008年09月13日 08時09分32秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 以下は、詩誌『孔雀船』に半年ごとに掲載している新譜CD雑感の再録です。 2004年1月発行の号からのものですから、その頃の新譜、です。
 この私のブログ初日(今年の7月)に最新の号に掲載したものを再録して以来、 時折遡って再録しているうちに、5年近く前のものにたどり着きました。このブログ、そろそろきちんとカテゴリー分けをして、私自身が検索しやすいようにしたくなってきました。(とりあえずは、このブログ内でタイトルのテーマが4本立てになっているものが、『孔雀船』からの再録ものです。)

■準・メルクル/N響によるメンデルスゾーンの名盤
 メルクルは、間違いなく、次代の指揮者のホープのひとりだと思っていたが、このCDの演奏は、そうしたことがますます確信できるものとなった。曲目はメンデルスゾーン「交響曲第三番《スコットランド》」「交響曲第四番《イタリア》」の二曲。二〇〇一年一月と、同年九月の演奏会のライヴ録音である。
 メンデルスゾーンのこの二曲は、光と影が交錯する様が克明に描かれ、それらが 、深く沈潜した気分がどこまでも持続していく中で豊かに息づいている演奏こそが理想だと思っている。このメルクル盤は、そうしたことが達成されている数少ない例のひとつとして、この曲の魅力を正統に伝える名CDとして推奨できるものだ。
 《スコットランド》の第一楽章。深い夢想の中からじわじわと音楽が立上がっていくあたりの弦楽の濁りのないアンサンブルの重なり合う響きの清澄さは、オーケストラの技量も冴えていて、まるで、ベルリオーズの「幻想交響曲」の一節のよう に思わせる瞬間さえある。そして主部のアレグロに突入してからコーダに至るまで 、一筆書きのように淀みなく流れていく。ほの暗い色調が全体に染みわたり独特の気分が持続する中、きらきらと明滅するものがこころを捉える。《イタリア》の明暗のコントラストも見事だ。(Altus/ALT-057)

■驚異の新人指揮者、金聖響のベートーヴェン
 これもまた、期待の新星というか、驚異の新人指揮者の登場である。「ベートーヴェンの交響曲なら、もう、耳にタコができている」という方も、必ずや、衝撃を受けることだろう。オーケストラは、このところ目覚しい成果を積み上げて躍進中の「アンサンブル金沢」で、ワーナー・ミュージック・ジャパンから「交響曲第二番/第七番」「交響曲第三番《英雄》/コリオラン序曲」の二枚が発売された。これはライヴ録音ではなく、アンサンブル金沢のホームグラウンドとして新装なった石川県立音楽堂コンサートホールを使用しての、正規セッションでの優秀録音である。
 二枚とも素晴らしい演奏だ。音楽が瑞々しく生き生きとした生命力に溢れ、自在なしなやかさ、闊達な躍動感が一度たりとも弛緩しないのは、指揮者やオーケストラの音楽するよろこびが、隅々にまで届いているからこそ生まれたものだ。博物館に収っていたベートーヴェンが、もぎたての果実のような香りを放って、新鮮な果汁をしたたらせている……そんな演奏である。金聖響は、この録音にあたって「バロック・アンサンブルや古楽器オーケストラの演奏というのはとても刺激的で、どの演奏からもアイデアを沢山いただきました。古楽器特有の生々しい響きを現代楽器を使って再現出来ないものかと考えて実施しました」という。確かに金聖響の演奏からは、ロマン派の分厚いサウンドを洗い流した裸の音楽が聞こえる。しかし「同時に二〇世紀の〈演奏様式〉を振り返り、〈伝統〉とされている悪しき習慣を問い直すという意味も込め」て演奏したという。こうして生まれたこの音楽の豊かさからは、久しぶりの、本物の音楽家の登場を感じさせる。(ワーナー/WPCS-11684、11685、分売)

■デュオ・ハヤシによるベートーヴェンのチェロ・ソナタ
 デュオ・ハヤシは、朝比奈隆とともに長きにわたって歩み続けた大阪フィルハーモニーの主席チェロ奏者として一九八七年から一九九五年まで活躍していた林俊昭と、ピアニストの林由香子の夫妻によるデュオ(二重奏)である。曲目はベートーヴェンの「チェロ・ソナタ第三、四、五番」。林俊昭は、この夫妻によるデュオ演奏以外の室内楽演奏は行わない、としている。それは、音楽を完全に共有した対話のなかにこそ、真の室内楽が生まれるとの認識があるからだという。彼等の二重奏は、それぞれの音楽の方向性をとことんまで突き詰め、ぶつかり合い、幾度も繰返され、試された後に、初めて納得の行く結果が得られるという性質のものだ。
 林俊昭のチェロは、とても暖かい。そして自在な感情の起伏が豊かほとばしる音楽だ。しばしば音楽がグイとせり出し、急き込んで突き進み、ふわりと舞い上がる。そのあたりの自由な音楽の発露が、ぴたりと息が合うピアノに包まれ、時折はチェロを挑発する。私は、こうしたデュオの幸福な音楽に浸るのは今は亡きピエール・ドゥーカンのヴァイオリンとテレーズ・コシュのピアノを聴いて以来のように思う。室内楽の魅力の一方を極めつつあるデュオ・ハヤシの代表盤となるだろう。(日本クラウン/CRCC-三五)

■音楽のタイムカプセル! 放送音源の発掘
 放送局に残された過去の演奏会中継音源の発掘が盛んになった。これも、その一 枚だが、こうした放送音源はしばしば、その時代を覆っていた雰囲気やテンポ感、そうしたものが、そのまま、あたかもタイム・カプセルを開いてしまったのように、突然、この慌ただしく、けたたましく人々が動き回る現代に再現される。未だに光輝いている演奏、そしてこの先百年後にも光を失わないだろうと確信する演奏もあれば、演奏が行われた時代の息吹を感じ、その時代に最良と信じ切っていた人々の真摯な演奏に触れて、その後の演奏スタイルの変遷の必然に思いを馳せることもある。あるいはまた、あれ程に感動した演奏が、時代の大きな流れの中では、ひとつの通過点でしかなかったのか?と暗然とすることもある。実に、〈録音〉という人類の発明は功罪ともにあるものだと思う。
 このCDは一九七四年の録音である。曲目はチャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」。佐藤陽子のヴァイオリン独奏で、佐藤がコーガンの門下としてソ連に行く前に教育を受けていた斎藤秀雄指揮の新日本フィルの伴奏。帰国記念のコンサートだった。当時私は、二〇歳半ば。この演奏がFM東京から流れた当日、私は小さなラジオに齧り付いて聴いていた。私と一歳しか違わない若き天才ヴァイオリニスト佐藤陽子は、まだ池田満寿夫と結婚していなかった。この時期、おそらく演奏者たちが信じていたように、私もまた、このオール日本人によるチャイコフスキーの熱演を、最良の演奏だと思って耳に焼き付けていた。私にとって、この曲のイメージは、この演奏から放射されているのだ。そのことを、涙が出るほどに感動しながら、再確認した。(キング・インターナショナル/TFMC-0003)

 

 

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1977年、サイモン・ラトル22歳の録音について

2008年09月12日 13時04分10秒 | クラシック音楽演奏家論
 以下は、このブログ8月26日掲載分に関連するものです。そこで言及しているサイモン・ラトルの若き日のLP録音がイギリス・ASVでCD復刻され、その国内盤が発売された時に執筆したライナー・ノートから、サイモン・ラトルに関する部分を抜粋して再録します。文中「デビュー録音」と書いていますが、後にわかったこととして、確かこの前に1枚、歌曲の伴奏指揮がありました。
 以下の私の文章の執筆そのものは、1993年4月18日です。もう15年も前のことです。その時点での私の知り得た知識で書かれたものですが、前回のブログにも書いたように、私のラトル観の本質は変わっていません。ラトルは私が関心を持っている指揮者のひとりですから、これまでにも様々な所に書いていますし、このブログに再録しているものもたくさんあります。ある意味では当然ながら、私はどこでも、いつも、同じことを言っています。

《ラトル指揮イギリス・ユース管弦楽団による『春の祭典』:ライナーノート》

●このCDについて
 このCDには、20世紀の最も革新的作曲家の一人、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)の初期の出世作である〈3大バレエ曲〉の内、第2作の「ペトルーシュカ」を除く2曲、第1作の「火の鳥」と第3作の「春の祭典」が収録されている。どちらの作品も初演以来、半世紀以上の年月を経て、今や現代音楽の古典としての地位を不動の物とした傑作だけあって、録音された演奏の数は多いが、その中で当CDの持っている第一の特徴を挙げるとすれば、それは前半に収められた「春の祭典」だろう。
 実は、この「春の祭典」は、最近次々に意欲的なレコーディングで次代を担う若手指揮者のホープとなったサイモン・ラトルの、記念すべきデビュー録音なのだ。1977年4月の録音だから、当時ラトルはまだ22歳だった。そしてオーケストラはその彼よりも年少の奏者をかかえたイギリスの青少年管弦楽団。正にラトルにとって青春の記念碑と言ってよい録音だ。
 この「春の祭典」のLPレコード初出は78年1月新譜で、英エニグマ・レーベルで発売されている。このCD化でカップリングされた「火の鳥」の方は、ベテランのアンタル・ドラティ指揮だが、これは76年9月に録音され、77年4月新譜として同じく英エニグマから発売されている。
 以下にそれぞれの演奏者の経歴、および演奏の特徴について記そう。

●サイモン・ラトルの経歴
 サイモン・ラトルは、1955年1月19日にイギリスの港町リヴァプールに生まれた。15歳の時に、地元のチャリティー・コンサートでシューベルト、ヴォーン=ウィリアムズ、モーツァルトを指揮して話題になったと伝えられている。
 ロンドン王立音楽アカデミーで学び、1974年に19歳でジョン・プレイヤー指揮者コンクールに優勝、ボーンマス交響楽団の副指揮者となった。ボーンマス響との関係は3年間続いたが、その間の1976年にはロイヤル・フェスティバル・ホールでニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮してロンドンデビューを果している。
 1978年12月にはバーミンガム市交響楽団の指揮台に初めて立ち、翌79年に同響の首席指揮者、更に1980年からは25歳の若さで芸術顧問にも就任し、今日に至っている。バーミンガム響との成果が広く知られるにつれて、他のいわゆるメジャー・オーケストからの様々な誘いが行われたが、ラトルはそれをすべて断り、バーミンガム響との関係をじっくりと育てることに精力を傾注してきた。最近のラトル/バーミンガム響のめざましい進展ぶりは、彼等のザルツブルク音楽祭への登場で世界の音楽ファンに広くアピールするところとなったのは記憶に新しい。これは、ラトルほどの世界的なスター指揮者の生き方としては、極めて稀なことだ。
 既にトップレベルに育っているオーケストラのポストに乞われるままに就任するよりも、自らの手で自身の音楽を造り出す場を育てていく生き方を選択する――このあたりも、ラトルが新しいタイプの指揮者と言われる理由のひとつだ。
 現在は英EMIの専属となって次々と発売される新譜で、聴き慣れた名曲に新しい視点を持込み、新鮮なアプローチを聴かせてくれているラトルとバーミンガム響。彼等の共同作業は、世界のクラシック音楽界のなかで、常に若々しく、意欲的で刺激的な音楽を提供してきた。その活動は、まだ当分の間、目が離せないだろう。

●サイモン・ラトルの演奏
 ラトルは当CDの「春の祭典」から10年後の87年12月に、手兵バーミンガム響とで同曲を英EMIに再録音している。その国内盤の発売に際して筆者は音楽雑誌に寄稿し、ラトルの演奏の新鮮な魅力を〈同時代的呪縛から逃れ出たもの〉として紹介し、デビュー以後のラトルの録音歴に触れて、次のように書いた。
 「(ラトルはこれらの)それぞれ〈時代の宿命〉を一身に背負っている音楽を、その重荷から解き放つ斬新な演奏を展開してきた。(ラトルの音楽は)〈グイグイと迫ってくる〉重々しいものではなく、〈すいすいと駆け抜けてゆく〉爽快感を目指してきたことに、彼の〈現代人〉としての本領がある。それは居心地のよいビート感とでもいうようなもので、旋律がその上をさらさらと流れてゆく様は、〈ムキになるのはダサイんだよ〉とオジさんたちに言っているかのような小気味よさだった。」
 このCDに聴く「春の祭典」は正に、そうした青年ラトルの記念すべき出発点なのだ。ここには、この作品が持っている歴史的な価値に臆することなく、快適な音の連鎖で伸び伸びと表現する若さがあふれているが、いわゆる野性味のある力ずくの演奏ではない。若いオーケストラも自分たちと同年代の青年指揮者の要求に真剣に取り組み、持っている力を精一杯に全開させている。爽やかな緊張感のある演奏だ。オーケストラの技量が充分なものとは言い難いこともあって、特に第1部の後半では軽快さが停滞する手探りの所が時折見受けられるが、第2部に入ると、音のひだに分け入っていくような鋭敏な耳を感じさせる後年のラトルの冴えた感覚の萌芽が、既に現われていることに気付く。
 10年後の再録音のような完成度の高さはないが、ラトルの演奏に現代の音楽の在り様を嗅ぎ取り、最近の彼の動向に関心を払っている音楽ファンならば、興味の尽きない演奏だろう。この演奏の目指している世界からは、今日の演奏芸術の閉塞的状況に爽やかな風を送り、開かれた未来に向けて歩み続けるラトルの、確信を持った第一歩の手応えが感じ取れるからだ。
(以下略)


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小澤~潮田、復刻/ギレリスの来日公演/サヴァリッシュ「小品集」/プレートル~ボストン響「幻想」

2008年09月05日 12時03分03秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 以下は、詩誌『孔雀船』に半年おきに掲載している新譜CD雑感の転載です。このブログの初日、先々月の18日に、発行されたばかりの最新号に掲載したものを転 載して、その後、時々、遡ってきました。先日のブログでは2004年7月発行号のものを掲載しましたが、今回は、いったん飛ばしていた2005年7月発行号のものに戻って掲載します。ごらんの通りで「復刻CD」ばかりです。しかも、冒頭の小澤~潮田の録音については何度も書いている(このブログ内でも、同じようなものに出会います!)ことです。だから、あまり面白く ないかなと思って飛ばしたのですが、貴重な演奏の復刻だったのにもかかわらず、 もう既に店頭で見かけなくなりつつあるので、敢えてご紹介します。ご興味がありましたら、今のうちに是非!


■小澤征爾/潮田益子の青春の記念碑が復活
 私が、かつて自著で大書して復活を強く希望した録音が、ようやく初CD化された。これは、当時既に「世界のオザワ」として若き才能を開花させていた小澤征爾が強く希望して、メジャーレーベルの手による日本のオーケストラの録音として実現した一九七一年のレコードだ。オーケストラは、分裂前の日本フィルハーモニー 。小澤は、この時期、シカゴ響、ボストン響、パリ管などと録音を行い、世界のレコード市場で評価されていた。その彼が、世界に冠たるレコード会社から受けている自分への支持を頼りに、日本のオーケストラを世界のレコード市場にデビューさせたいと考えたものだという。「国内録音」としてではなく、ロンドンから、EM Iの技術陣がわざわざ来日して、「伴奏のオケとしてなら、試しに」として実現したのが、この2曲だ。当時、世界を舞台に活躍していた桐朋学園の後輩、潮田を独奏者に迎えたこの演奏は、そうした小澤と潮田の当時の意気込みがグイグイと伝わってくる力演だが、結局この英スタッフによる「オーデション」は成功せず、日本のオケの力量は、まだ世界の一流には及ばない、と結論づけられた。しかし、日本のオーケストラのレベルの向上は早く、小澤の夢がかなうまで、その後、十数年しかかからなかった。山野楽器、タワーレコード、新星堂、3社共同企画の復刻シリーズの1枚として、発売されている。

■ギレリス、来日公演の貴重な記録が復活
 一九五七年の初来日で、その、見事なピアノタッチの冴えを聴かせたと伝えられているギレリスが、その死の前年にあたる一九八四年に来日した折に、横浜と東京で行なったリサイタルの録音。いわゆる放送録音からのCD発売ではなく、八四年一二月新譜として東芝から正規にCD発売されたものの復活である。ギレリスは強い打鍵力に裏づけられた最弱音の正確な美しさが、五〇年代の録音時から聴かれたが、そうした美質は、晩年になっても衰えることはなかった。実によくコントロールされた響きだ。加えて、内省的な感情の発露が、死の十年ほど前から、一層の魅力となっていた。この録音は、そうしたギレリスに相応しい選曲だ。シューマン「交響的練習曲」「四つの小品」と、ブラームス「パガニーニの主題による変奏曲」。 この録音は、前項の小澤/潮田盤とは逆に、海外の音楽家の演奏を、日本でのEMI系列のレコード会社である東芝EMIが、録音制作したものだ。東芝は当時、EMI原盤の音源はアメリカと同様に「エンジェル」のレーベルで発売していたが、これは、東芝の原盤なので「イーストワールド」というレーベルで発売された。今回、「EMIクラシック」レーベルでの再発売となった。前項と同じ、山野楽器 、タワーレコード、新星堂、3社共同企画の復刻シリーズの1枚として、発売され ている。

■サヴァリッシュ/バイエルン国立管の傑作小品集が復活
 さて、これも山野楽器、タワーレコード、新星堂、3社共同企画の復刻シリーズから。「サヴァリッシュ/管弦楽名曲集」として、「Ⅰ」「Ⅱ」の2枚が分売でリリースされた。オーケストラはいずれも、当時サヴァリッシュが総監督を務めていたバイエルン国立歌劇場の管弦楽団で、一九八八年の初出CDのままの曲目構成での完全復活である。「Ⅰ」がグリンカ、ボロディン、カバレフスキー、プロコフィエフ、リムスキー=コルサコフなど、ロシアの作品。「Ⅱ」がスッペ、エロール、オッフェンバック、ベルリオーズ、シャブリエなどフランスに、スメタナ、ヴォルフ=フェラーリ。どれも、歌劇のオープニングを思わせるようなわくわくさせる躍動感にあふれた演奏だ。サヴァリッシュはコンサート指揮者としての活動を抑え、歌劇場との仕事にほぼ専念していたこのバイエルン時代に、音楽の豊かな自在さを会得した、と、私は思っている。その証明ともなる六〇年代の録音と九〇年代以降 の録音との空白(コンサート指揮者としての記録は、NHK交響楽団との放送くらいだった)を埋める貴重な記録だ。こうした小品の演奏としては、格調の高さも備えた演奏で、堂々としてよく鳴る音楽が、とにかく楽しい。「小澤/潮田」盤と正反対に、日本の録音スタッフがミュンヘンに赴いて制作したもので、これも初出CDは「イーストワールド」レーベルだ。

■プレートル/ボストン響の「幻想」の復活
 このところ、クラシックCDの新録音は、めっきり減ってしまい、そのかわり、旧譜の復活が盛んだ。これは、前記の3項とは別に、タワーレコードがBMGと組んでの、RCA録音の復刻盤シリーズの一枚。録音が一九六九年だから、ベルリオーズ「幻想交響曲」を得意中の得意としていたシャルル・ミュンシュがボストン響の音楽監督を辞任した後、最初の同曲の録音だったのではないかと思う。ミュンシュは六七年に、パリ管と最後の「幻想」録音を終えて翌年には世を去っているが、晩年に音楽監督を引き受けたそのパリ管にプレートルを招聘しているから、このプレートル/ボストン響の録音は、ミュンシュの推薦があってのものかも知れない。フランス系指揮者のなかでは、男性的な骨格のくっきりとした音楽作りに特徴のあるプレートルは、ミュンシュ後継のひとりとして目されていたとしても、おかしくはないのだ。ただ、音楽的にはブルーノ・ワルター以来のドイツ・ロマン派的な色彩の濃いミュンシュの「幻想」と、プレートルのスタイルは、かなり肌合いが違う。内声部に対する偏執的な響かせ方は、その後の「幻想」演奏の変遷史の重要な結節点だ。今こそ、多くの人に再聴していただきたい録音。


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サヴァリッシュのシューマン/フルネ「幻想」/クーベリック「巨人」旧録/「ハッピーラジオデイズ」

2008年09月01日 12時39分26秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 以下は、時々このブログに再掲載している詩誌『孔雀船』に半年おきに掲載している新譜CD雑感です。直近のものから遡って、今回は2004年7月発売号に掲載の分です。もう4年経過しましたから、CDの発売状況などは変わってしまいましたが、私の感想は修正するところはありません。
 ひとつ手前のブログには20年も前に書いた文章を引っ張り出しましたが、私がいつも初出掲載年月日を記載して再掲載しているのは、私の考え方や感想、価値基準などが、周囲の事情で変わったりしていないことを示したいからでもあります。数年前の月評と読み比べられたら困る、という人がいますが、それは、いつも私が言っているように、「売る側の事情に配慮する月評」の宿命ではあるのです。
 もちろん、聴く側にも「流行り」というもの、「トレンド」なるものがあります。テレビのコメンテイターを長く続けられている人の条件は、流行っているものを追認する、求められている風潮を鼓舞することですが、それと同じことが、クラシック音楽ジャーナリズムにも蔓延してしまったのが、この40年間です。なぜ「40年間」と私が断定するのか(実際には、四〇数年ですが)は、わかる方もいるでしょう。いつか、戦後日本のクラシック音楽評論史についても、腰を据えて書きたいと思っています。

■サヴァリッシュのシューマンに新録音が登場
 サヴァリッシュはシューマンの交響曲を得意にしているようだ。もともと、ロマン派中のロマン派の音楽で、たゆたう心の、わかりにくい揺れ動きに彩られ、演奏の難しさでは群を抜いている曲ばかりだが、一九六〇年ころの若い時期にウィーン交響楽団と「交響曲全集」を録音し、さらに七〇年代初期にもドレスデン国立管弦楽団と二度目の全集録音を残している。だが、その後、バイエルン国立歌劇場を本拠に活動を始め、交響曲コンサートの指揮者としてのレコード録音はまったくといっていいほどに行わなくなった。彼の地のオペラハウスのオーケストラピットでは連日、熱のこもった演奏が繰り広げられていたのだというが、その頃の演奏を現地で聴いたという友人の言うサヴァリッシュの豊かな音楽性は、一九六〇年、七〇年代の若き日の数多い交響曲録音では伝わってこない。どうやら、サヴァリッシュは、長いオペラハウスでの活動で、次第に生きた音楽を体得したようなのだ。そこで登場したのが、この昨年録音されたCD。曲目は「交響曲第四番」でオーケストラはかっての手兵「バイエルン国立」。しかもライヴ録音だ。全四楽章がひと時も途切れずに連なって行くこの幻想的な交響曲の世界を、最初の一音を発した瞬間から最後の一音を見通しているかのように奏で切っている。独FARAOレーベルの輸入盤。

■ジャン・フルネ得意のベルリオーズ『幻想』の新録音
 これはDVDなので、CDプレーヤーでは再生できないが、昨年四月のコンサートを録画収録した演奏。オーケストラは、フルネとは馴染みが深い東京都交響楽団で、BSフジのハイビジョン・セレクションシリーズの一枚として、「エクストン」から発売されたばかりだ。まず、映像の美しさに目を奪われるが、カメラワークも、とてもいい。フルネの指揮ぶりが堪能できる映像は少ない(私は、輸入盤でオランダ放送交響楽団とのドビュッシー「海」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」、ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲/独奏フランチェスカッティ」を収めたDVD一枚しか知らない)ので、その意味でも貴重な一枚である。
 フルネは同じ東京都交響楽団と一九八三年にも録音しているが、今回の演奏は、オーケストラの出来が、はるかに優れている。これは、指揮者とオーケストラの息が合って来たというよりも、この二〇年の日本のオーケストラの進化の成果だろうと思う。弦楽アンサンブルの羽根のような軽さ、しなやかさは最近のフランスのオーケストラよりも美しいし、管楽器の澄んだ響きも見事だ。フルネの作品の隅々にまで確信にあふれた指揮姿は、一見して黙々としているようだが、豊かなイメージを引き出している。単なる巨匠芸ではなく、本物の決定盤のひとつを、晩年になって残してくれたのだと思う。

■クーベリック/ウィーン・フィルのマーラー《巨人》
 これは、今は亡き巨匠クーベリックの、若き日のモノラル録音の復刻CDである。録音は一九五四年で、英デッカの輸入盤。
 クーベリックは、しばしばライヴ録音の海賊盤マニアの間では、「レコード録音とライヴでは全然ちがう演奏をする」と言われ、ライヴでは情熱的な、いわゆる「トンデモない」演奏をする指揮者と評する人が多いが、私は、そうは思わない。クーベリックは、本質的に「分析的」な指揮者で、細部まで考え抜かれた演奏をする音楽家だ。組み立てがしっかりしていて、崩れない。ひとつひとつの音が、それぞれ、そこに置かれていることの意味をしっかりと噛みしめて進行する音楽だ。グラモフォンに録音した晩年のバイエルン放送響とのたくさんの録音が、その点で不徹底なものが多く、そのため微温的に聞こえるのではないかと思う。ライヴの演奏のほうが、むしろ、細部の見事な彫琢の延長にある音楽の奔流によって、堂々とした音楽になっているのだ。五〇年代後半から六〇年代のデッカやEMIのスタジオ録音には、そうしたクーベリックの「考え抜かれた」演奏の本質が、しっかりと記録されている。中でも、このマーラーは凄い。九〇年代以降のマーラー・ルネッサンスを予見しているかのような緻密な演奏だが、フルトヴェングラー死の前後の時期のウィーン・フィルの演奏なのである。

■懐かしき「イージーリスニング」時代を髣髴とさせるCD
 ワーナー・ミュージック・ジャパンから「一〇〇〇円盤」が今年初めに大量に発売された。仏エラートや独テルデックの名盤がたくさん発売されたが、これも、その一枚。一九九八年に仏エラートから発売された原盤で、演奏はミシェル・ルグラン指揮ロンドン・スタジオ・オーケストラ。いわゆる往年の名盤の復刻盤ではなく、一九九七年のデジタル録音なのだが、懐かしさは一杯である。それは選曲の良さもあるが、現代的でありながら、かつての時代の音楽精神を深く理解して咀嚼しているアレンジによるところも大きいと思う。アルバム・タイトルに「ハッピー・ラジオ・デイズ」とあるように、これは、一九五〇年代から六〇年代を、ラジオに齧り付いて過ごした日々を持っている私には、たまらない内容のCDだ。あの時代、ラジオから流れてくる音楽は、ほんとうに豊かだった。時間も空間も飛び越えて、どこにでも行けたような気がする。目を瞑って聴いていると、少年時代、夜遅く自分で組み立てたゲルマニウム・ラジオのイヤフォンの感触が、耳のあたりに蘇って、むずむずしてくる。ぜひ一聴を! ちなみに曲目は「ティコ・ティコ」「タイプライター」「煙が目にしみる」「ブルー・タンゴ」「ムーラン・ルージュ」「南京豆売り」「ビギン・ザ・ビギン」「セプテンバー・ソング」「エターナリー~ライムライト」など十八曲。


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