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第2次大戦後のイギリス青少年管弦楽団(ナショナル・ユース・オーケストラ)の歩みを聴く

2013年10月17日 12時35分09秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、第二次大戦後のイギリスの音楽状況の流れをトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 ――と、いつも繰り返し掲載しているリード文に続けて、以下の本日掲載分は、同シリーズの99枚目。

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【日本盤規格番号】CRCB-6111
【曲目】エルガー:「行進曲《威風堂々》第4番」作品39
    ブリテン:組曲「ソワレ・ミュージカル」作品9
    ドビュッシー:「交響詩《海》」
    ホルスト:「組曲《惑星》」作品32より~第4曲「木星」
    シベリウス:「交響詩《大洋の女神》」作品73
    ガーシュイン:「パリのアメリカ人」
【演奏】レジナルド・ジャック、ワルター・ジュスキント、
    ピエール・ブーレーズ、クリストファー・シーマン、
    マーク・エルダー、ポール・ダニエル(各、指揮)
    イギリス青少年管弦楽団
【録音日】1948年4月21日、1959年8月22日、1971年8月23日、
     1977年8月20日、1989年8月6日、1996年8月10日

■このCDについて
 このアルバムは、1948年4月21日に最初の演奏会を行ったイギリスの青少年管弦楽団の結成50周年を記念するもの。その第1回の演奏会から、1996年のプロムスでの演奏までのいくつかを、時代を追って収めている。
 このイギリスの10代の少年たち多数の参加によるオーケストラからは、やがてイギリスを代表する各オーケストラの首席奏者たちが毎年のように生まれており、イギリスの音楽文化を支える重要な事業として定着している。1955年からは、毎年、ロンドン名物のプロムナード・コンサート(プロムス)期間中のゲストとしても登場し、その成果を披露している。1977年の録音で当時22歳のサイモン・ラトルがストラヴィンスキー『春の祭典』を指揮しているのも、このオーケストラだ。(CDが日本クラウンから発売されている。)
         *
 第1回の演奏会は第2次世界大戦前からオックスフォード管弦楽団などでの指導歴の長かったレジナルド・ジャック(1894~1969)が指揮台に立った。ここに収録された曲目「威風堂々第4番」は、おそらく最初の演奏曲ではなかったと思われる。記念すべき瞬間の記録だ。
 ブリテンの「ソワレ・ミュージカル」を指揮しているワルター・ジュスキント(1918~1980)は、プラハに生まれ1938年にナチスを逃れてイギリスに亡命した。戦後スコティッシュ・ナショナル響の指揮者をしていたが、この青少年管弦楽団を指揮した1959年当時は、カナダのトロント響の指揮者ではなかったかと思う。手堅い指揮ぶりで定評があるから、若い音楽家の指導にも手腕を発揮したのかもしれない。1971年の青少年国際音楽祭管弦楽団を指揮してのドヴォルザーク「交響曲第8番」がLP録音されて市販されたこともある。
 このCDでの一番の魅力が、ピエール・ブーレーズ(1925~ )率いる1971年の録音だ。フランスの前衛作曲家として著名だったブーレーズが指揮活動を活発に行い始めたのは50年代の終わり頃からだが、クリーヴランド管弦楽団の常任指揮者を経て、ニューヨーク・フィルの常任指揮者とBBC交響楽団の首席指揮者に就任したのが、この1971年だ。指揮者としての活動が最も充実していた時期のこの録音は、オーケストラの奏者たちの張り詰めた緊張感とともに、ブーレーズのドビュッシー像が、極めて鋭く抉るように細部まで捉らえられている。ここには、ほんのわずかの風のそよぎさえ見逃さずに置かない強い意志がみなぎっている。最近の手慣れた指揮ぶりを聴かせるブーレーズとは別人のようだ。こうした真剣勝負に打って出ていたブーレーズは、どこへ行ってしまったのだろうか? これはニューヨーク・フィルとの録音でも得られない、ある特別な日の貴重な記録だ。この1曲が聴けるだけでも、このアルバムの価値は永遠にあるだろう。
 ホルストの「惑星」を指揮しているのはクリストファー・シーマン(1942~ )。彼はこの青少年管弦楽団のティンパニ奏者だったという。この録音の1977年の頃はBBCスコティッシュ交響楽団の首席指揮者だった。
 シベリウスの「大洋の女神」は1989年の録音で、指揮はマーク・エルダー(1947~ )。彼も青少年管弦楽団の出身者で、ファゴットの首席奏者だった。このオーケストラも、こうして卒業生が指揮台に立つほどの歴史を重ねてきたということだ。エルダーは76年にロイヤル・オペラにデビュー以来、オペラ指揮者としてキャリアを積み、79年以降90年代に至るまでナショナル・オペラの音楽監督として活躍している。
 このアルバムの最後に収められたガーシュイン「パリのアメリカ人」を指揮しているポール・ダニエルという指揮者については、詳細がわからないが、演奏は、この曲の数多い録音の中で間違いなく優れた演奏として指を折られるものだ。音色の変化が大胆で、開放的な音楽を大きな振幅で鳴らし切っている。当夜はエドガー・ヴァレーズの作品と共に演奏されたというが、かなり意欲的な演奏会だったようだ。有能な指揮者のひとりとして、この名前を記憶に留めておきたい。

■演奏曲目についてのメモ
●エルガー:「行進曲《威風堂々》第4番」作品39
 ロマン派音楽の時代の終わり頃から今世紀にかけて活躍したイギリスの作曲家エルガー(1857~1934)は、同題の行進曲を5曲書いた。その内、最も知られているのは第1番だが、この第4番もそれに劣らない人気曲で、演奏される機会も多い。勇壮な音楽に始まり、中間部トリオには威厳に満ちた堂々たる旋律が響きわたる。この旋律がコーダに再び現われて華やかに締めくくられる。イギリス人好みの旋律の典型のひとつと言ってよいだろう。

●ブリテン:組曲「ソワレ・ミュージカル」作品9
 「セヴィリアの理髪師」「ウィリアムテル」など多くの傑作歌劇を残したイタリアの作曲家ロッシーニ(1792~1868)の残した同題の歌曲集から、今世紀のイギリスを代表する作曲家ブリテン(1913~1976)がお気に入りの3曲を選び、それに第1曲として歌劇「ウィリアム・テル」第3幕の行進曲、第5曲(終曲)にはブリテンの母親が歌っていたという「慈悲」という旋律を配して、近代的な管弦楽法で編曲した1936年、22歳の作品。もともとはバレエのための作品だったが、演奏会用組曲として出版された。題名の「ソワレ」とは日没後に開かれるパーティ=夜会の意味で使われている。姉妹作に「マチネ・ミュージカル」がある。

●ドビュッシー:「交響詩《海》」
 フランス近代音楽の巨匠ドビュッシー(1862~1918)の管弦楽曲の理想が大きく花開いた傑作として知られている。「交響詩」は便宜的に付けられたもので、ドビュッシー自身は「管弦楽のための3つの交響的エスキス」と題している。「エスキス=素描」とは言ってもドビュッシーの音楽は、当時の絵画芸術の傾向と同じく、具象的な描写の音楽ではなく、ずっと感覚的なもの。海のざわめき、海と空とを隔てる曲線、風の通り過ぎる葉陰、遠く聞こえる鳥の声などによって呼び覚まされる目や耳の感覚、そして嗅覚が得たものを、音にした作品。1903年から1905年にかけて作曲された。3つの部分からなり、それぞれに以下の標題が付けられている。
 第1部「海の夜明けから正午まで」
 第2部「波の戯れ」
 第3部「風と海との対話」

●ホルスト:「組曲《惑星》」作品32より~第4曲「木星」
 イギリス近代の作曲家ホルスト(1874~1934)の作品で最も知られた「組曲《惑星》」は、1914年から1916にかけて作曲された。当時まだ存在が知られていなかった冥王星以外の、地球を除いた太陽系の惑星のひとつひとつテーマにした7曲からなる組曲。華麗なオーケストラ曲として人気が高いが、中でも第1曲「火星~戦争を司る神」と、この第4曲「木星~喜びを司る神」が有名。第7曲「海王星~神秘を司る神」ではヴォーカリーズによる女声合唱が加わる。

●シベリウス:「交響詩《大洋の女神》」作品73
 フィンランドの作曲家シベリウス(1865~1957)は、近代の偉大な交響曲作家として7曲の交響曲を残したが、その中でも独自の書法の充実で評価の高い第4番を1911年に書き上げた後、第5番を書く1915年との間にあたる1914年に作曲された。この年シベリウスは、アメリカのノーフォーク・フェスティバルからの招待を受けて渡米し、自作の演奏旅行を行っている。初めて大西洋を越えてアメリカ大陸に向かう感激で書かれたのが、この「大洋の女神」。さっそく新作としてアメリカ公演で披露された作品だ。演奏会を大成功させて故郷へと帰る船中で、シベリウスは、ヨーロッパが第1次世界大戦に突入したことを知る。そうした時代の作品だ。

●ガーシュイン:「パリのアメリカ人」
 ガーシュイン(1898~1937)は、ヨーロッパから独立したアメリカが、その独自のニュアンスを持った文化を音楽の分野で初めてヨーロッパに逆発信した作曲家として、永遠に記憶される作曲家と言ってよいだろう。「パリのアメリカ人」は、1926年に3度目の渡欧でパリに滞在した折に着想された、ガーシュインにとっては初めての本格的交響楽団のための作品。パリの街の騒がしさと、その中に居るアメリカ人の憂愁が見事に描かれている。
(1998年4月21日 執筆)

《このブログへの再掲載に際しての付記》
 ポール・ダニエルという若い指揮者について言及しているのを読んで、少々気になって調べてみた。地味だが着実にキャリアを積み上げているようで、特にオペラの分野での仕事で、イギリス・ナショナル・オペラでの活躍が高く評価されているようだ。シャンドスやナクソスを中心にCDもかなりリリースしている。
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宮澤賢治が聴いていたクラシック音楽が再現された、という奇跡

2013年10月09日 16時34分14秒 | エッセイ(クラシック音楽)


 「傾聴する」という言葉がある。じっと耳を傾けて聴く、といったニュアンスだが、CD時代になって、私もさすがにいわゆる「ながら試聴」が増えてしまって、傾聴する機会をずいぶん失ってしまったように思って反省した。
 というのは、つい最近の新刊書、『宮澤賢治の聴いたクラシック』(小学館)に触れたからだ。日本女性史、それも西洋音楽受容史との接点を中心に研究を続けておられる萩谷由喜子氏による解説の冊子と2枚のCDが組み合わされたもので、CDの音源は宮澤賢治が所有、購入、鑑賞していたレコードの研究・収集をしておられる佐藤泰平氏と、SPレコードの世界的コレクター、クリストファ・N・野澤氏の所蔵品によって制作されたもの。これは、労作である。
 私自身も覚えがあるが、その昔、レコードはずいぶんの高値だった。そして、聴くのにも手間がかかった。私が小学五年生の昭和35年が、我が家はLPレコードのプレーヤーに切り替わった年のはずだが、レコードを、そっとジャケットから取り出し、ターンテーブルに乗せ、静かに針を下ろす――。それは、正に「音楽を聴く」という厳粛な儀式の開始だった。レコードは、「よし、きょうはこれを聴くぞ!」と迷いに迷った末に決めた一曲に耳傾ける、特別の時間だったのだ。
 私が幼い頃に親しんでいたSPレコードの時代は、もっと大変だっただろうと思う。宮澤賢治の生きていた時代がそうだった。
 私が中学生のときだったと思う。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んでいた時に、たしか「あ、あれは新世界交響楽だ」というセリフが出てきた。その頃、私が聴いていたのは、カレル・アンチェル指揮ウィーン交響楽団の演奏するフィリップスの10インチ盤だったが、賢治は誰の演奏で聴いていたのだろうなどという興味は、まだ持っていなかった。
 最近の私は、大正・昭和初期を中心にした西洋クラシック音楽の日本人の受容史に関心が高まったこともあって、半世紀以上聴き続けてきたさまざまな録音で残された演奏を、スタイルの変遷という視点で追うようになったので、昭和初期にレコードで聴くことができた演奏、という括り方で整理してみることも増えてきたが、この『宮澤賢治の聴いたクラシック』は、じつに興味深く、また、刺激的な内容だった。世界初CD化も多数ある。98ページの解説書とCD2枚で3000円とはありがたい。
 ベートーヴェン『運命』は、有名なニキッシュ盤ではなく、パステルナーク盤、『田園』も既に復刻のある1926年のプフィッツナー盤ではなく1923年のプフィッツナー盤と、いずれも私のこれまでの想像を覆しており、しかも、世界初CD化である。賢治がしばしば口ずさんでいたというブラームス『第3交響曲、第3楽章』のメロディは、これも世界初CDとなるストコフスキー/フィラデルフィア管の1921年録音(この楽章の旋律のさわりを、SPレコード片面3分ほどに収めた、興味深いバージョン)で聴いていたのだという。
 そして、ドヴォルザークの「新世界交響楽」は、パステルナーク指揮ビクター・コンサート管弦楽団だった。(本書では「パスターナック」と表記されているが、私は、言いなれた表現にさせていただく。)これもSP片面用の短縮版の第2楽章である。そして、この時代特有の、マイクに入る音に楽器を替えていると思われる演奏、つまり、旋律をなぞることが第一義だった時代の録音だ。だが、私は、この貧弱な「家路」のメロディを聴いているうちに、いつの間にか、賢治が聴いていたあの日、あの土地、あの空、といったものが目の前に忽然と現われてくるのを感じた。それは、奇跡とでもいうような一瞬だった、と表現しても言い過ぎではない。これには、驚いた。
 そして思ったのは、この時代の人々の音楽への傾注の凄さ。すべてを洩らさず聴こうとする集中力とは、こういうものに対して行われ、捧げられていたのだろうという思いであった。そういう音楽であり、音なのだ。
 パデレフスキーの弾くリスト『ラ・カンパネルラ』の優美な可憐さも格別だ。こんなに崩したリズムで聴くリストは久しぶりだが、これが賢治のカンパネルラかと思うと、感慨深いものがある。
 何はともあれ、これはご推薦の一書。ただし、CDを聴く際には、昔の人のように、3、4分ごと、小品は1曲ごとにポーズボタンを押し、一服するなり、コーヒーの一杯でもお飲みになって、一呼吸置くことが肝要である。
 じつはこれ、一昨年くらいだったか、日本ウエストミンスターから発売された『小津安二郎コレクション』のSPレコードを板起こししたCDを聴いたときに感じたことなのだ。
小津のお気に入りのジャズを、「便利な」CDで次々に聴かされて、疲れきってしまった時に思ったことなのだ。小津が、こんなふうに連発銃のように続けざまに聴いていたはずがない、と。そして、ハイフェッツのSP期のアンコール曲集で、同じような目に逢ったことを思い出したのだ。
 音楽を聴く緊張の時間は、3、4分ごとに休憩、なのである。

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子ども向けの「論語」入門書、『ゆりあと読もう はじめての論語』ができました。

2013年10月08日 11時43分12秒 | 「論語」をめぐって
  10月10日に、小学館から『ゆりあと読もう はじめての論語』という本が発売されます。
 論語の全訳という厖大な仕事をお引き受けしてから、結局、2年余りの歳月を費やしてしまいましたが、その成果の一部が、こういう形で結実しました。まだ第一歩に過ぎません。「音楽演奏史」や「音楽文化史」について書き続けるほかに、もうひとつ、仕事を増やしてしまいましたが、これもまた、私にとって大切な仕事として継続していきたいと思っています。
 このブログをご覧の方はあまりご存じないと思いますが、「ならゆりあ」は、スタジオ・ジブリ作品の長編アニメ「崖の上のポニョ」で主役の声を担当した少女です。今、中学2年生になっていますが、小学校の終わりごろから「論語」を熱心に読むようになり、いつのまにか、たくさんの論語の言葉を諳んじてしまって「論語少女」と新聞・雑誌などで話題になったタレントです。その、ゆりあのキャラクターを生かして、子ども向けの論語入門書を作ろうというプランが生んだ本です。もちろん、彼女の声の朗読CDも付属しています。
 全体構成、レイアウト・プラン、帯のキャッチフレーズ、など、久しぶりに手ごたえのある編集仕事も兼務して、充実した数ヶ月でした。全体のカバーも表紙も本文も、デザインは、最近知り合った若いデザイナー葛宮聖子さんにお願いしましたが、プランニングのやり取りで、その反応の良さに、思わずうれしくなることしばしばで、感謝しています。
 表紙絵には、昨年の私の音楽評論集の表紙にも使わせてもらった日暮菜奈ちゃんに、オリジナルで描いてもらい、それを全面に使いました。オリジナル画を注文した時のテーマは「ぐるぐると、ニョキニョキ」です。「ぐるぐると、ニョキニョキね。わかった」。それだけで済んでしまえる会話が、うれしかったです。保育園に勤める彼女が、子ども向けの本に相応しい元気な絵を描いてくれました。(あ、もう、菜奈ちゃん、なんて呼んでは申し訳ないのです。数ヶ月前に幸せな結婚をしました。一人前の主婦、です)
 ――というわけで、例によって、どんな本なのかをお伝えするために、私の「あとがき」を、以下に全文掲載しますので、お読みください


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おわりに

 「ゆりあのまえがき」にあるように、ならゆりあは、三年ほど前に私が出会ったときには、すでに『論語』にかなり興味を持って読み続けている少女でした。
 それから、あっという間に二年の月日が過ぎて行きました。
 子どもの成長は、ほんとうに早い、と改めて思います。あどけなかったゆりあも、いつのまにか中学生になっていますが、その二年間に、彼女は、それまで読んでいたマンガの『論語』から少しずつ離れていき、新しく私が書き起こした読み下しの原文と現代語訳の『論語』の朗読を、第一篇「学而」から順に録音するという仕事に取り組み始めました。
 それは、彼女の身体的な成長に追い越されそうになりながら、結局、一年近くの歳月をついやしてしまった原稿作りでしたが、それも、今となっては、たのしい追いかけっこの思い出です。現在、それらはネット上で配信・販売されていますが、それこそ「論語少女・ならゆりあ」の価値ある仕事として、彼女の思春期の記録ともなっていると思います。

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 ですから、この本は、ならゆりあが、『論語』の四百五十余りもある全章を読み上げたのちに作られたものなのです。そのことを、まず強調しておきたいと思っています。この本は、そうしたゆりあが自分の心に特に残ったコトバを中心に、三十八の名言を原典の構成にとらわれずに並べ直して編んだものです。そして、ゆりあがわからなかったこと、もっと知りたいと思ったことを解説し、あわせて、ゆりあの感想も書きとめました。
 ゆりあが選んだものは、私の想像とかなり違っていました。おとながおもしろいと感じるもの、理解しやすいものと、一〇代の少年・少女が感じることとのちがいを、改めて知ることともなったのが、ゆりあの選択でした。それに加えて、ほんの少しだけ、どうしてもゆりあたちに読んでおいてほしいものを加えました。その意味でも、この本は、本当の意味で、彼ら、彼女らの世代のための「論語入門」になったと思っています。

              *

 『論語』はなぜ、二千年以上もの長い間、読み続けられてきたのでしょうか?
 そのことについては、多くの人がさまざまな考えを述べていますが、いちばん重要なことは、孔子の考えが、とてもピュアで、公平、平等を大切にする、今で言えば民主主義的な世界観を持っていた「普遍的」な教えだったから、というのが私の考えです。
 さまざまな時代で(最初に作られた時からも?)、その時々の権力者によって利用されたり、また、その逆に、禁じられたりといった歴史を持つ『論語』ですが、孔子の教えの本質は、時の権力者の機嫌をとって相手の気に入るように行動したりせず、少々意地を張ってでも、まじめにコツコツと努力を積み重ねれば、必ずどこかで評価されると信じる人々が団結する社会、みなが平等で幸せに暮らせる社会の実現をめざす、というものだったはずです。それこそが、さまざまな時代に、一部の人から孔子が恐れられていた理由、そして、孔子が一番に伝えたかったことだと思います。
 地球がひとつになっていかなければならないという、これからの世界の未来を担う少年・少女たちに、この本を通じて、そうした『論語』のほんとうの価値を知る、最初のきっかけをつかんでほしいと願っています。

              *

 この本は、すこし背伸びをしてでも、『論語』にチャレンジしたい、と思っている小学校五、六年生から、中学生くらいを主な読者として構成されています。ちょうど、ならゆりあ、というひとりの少女の成長に寄り添うようにもなっていると言えるでしょう。
 けれども、そんなゆりあを姉のように思う、もっと年下の、幼稚園から小学校に入学したばかりの子どもたちにも、『論語』のコトバの響きが自然に身につくCDが付いています。ゆりあの親しみやすい声で、意味がわからないままに聞いていても、知らないうちに『論語』の教えが、心の中に残っていきます。コトバの意味は、その子たちの、きょうだい、ご両親が読み聞かせで伝えてあげてください。あるいは、お孫さんに、おじいちゃん、おばあちゃんが読み聞かせるのかも知れません。
 お年寄りにとっても、私自身が経験したように、子どものころに学校で学んだ『論語』が、とても新鮮に響いてくるはずです。『論語』は、さまざまな世代に、それぞれの思いが生まれるコトバの泉だからです。


(編者プロフィール)
竹内貴久雄(たけうち・きくお)
音楽文化史家、音楽評論家、書籍編集者。日本人の西洋音楽受容史を追って解説したCD『黎明期の日本ギター曲集』は文化庁・芸術祭大賞を受賞。『論語』は書籍編集者の仕事の一環で数年前から研究。様々の注釈書を比較調査して全文の解釈、現代語訳を完成。『論語』の心を現代人のリズム感覚で伝えようと構想中。主な著書に『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメディア)『ギターと出会った日本人たち』(ヤマハミュージックメディア)『論語なかよしかるた』(学研教育出版)ほか多数。

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木村様、申し訳ありませんでした。

2013年10月07日 14時13分44秒 | Weblog
先日の、私のブログに。「木村」という方から、お叱りのコメントをいただきました。
本日、公開いたしましたので、みなさま、ご覧ください。

おっしゃっていることは、ごもっともだと思います。
私が、配慮を欠いておりました。
確かに、「仕方なく更新したブログ」をお読みいただくのは、失礼なことでした。
私は、いつも、このブログを、職業病でしょうか? いつも、推敲に推敲を重ねて、書いております。ですから、「仕方なく」のくだり、わざわざ、カギカッコでくくっているくらいですから、それなりのニュアンスを持たせたつもりでおりましたが、それが、ご不快の念を抱かせてしまうとは、私の不行き届きと、反省しております。
「仕方なく」と書いたのは、そこでも書きましたように、さまざま「付記」したいこと、「付記」すべきこと、再考すべきことを、ぜんぶなおざりにして、もう時間的に数時間か数分しか余裕のない中で、ブログの更新をしなければならないところにまで、追い詰められていたからだったのです。私にしてみれば、この愛着の有るブログデザインが(もう5年以上になりますでしょうか)、勝手に消されてしまうわけにはいかなかったのです。こんなことなら、何も書かずに、「近いうちに更新します」と一行だけ入れて、更新すれば済んだことだった、と、今になって気づきました。
 つくずく、言葉というものは、むずかしいものだと、改めて教わったしだいです。
ありがとうございました。

 あの日には、書けませんでしたが、最近、エルガーのチェロ協奏曲をハインリヒ・シフの演奏で聴いて感じたことがあり、ヴァイオリン協奏曲も、あそこで書いたような見方を根こそぎひっくり返してしまうような演奏があるはずだ、あったはずだ、などと思ってしまったので、このまま掲載してしまっていいのかな、と疑問を持ったからなのです。エルガーのヴァイオリン協奏曲についての、新しい「名盤選び」の結論は、いつか、答えを出さなくてはなりません。

まだ、身辺が落ち着きません。ディーン・ディクソンについての続報も書かなくてはなりません。あと数日、お待ちください。

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