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ストコフスキーのショスタコーヴィッチ「第5」についての補足情報があります。

2010年12月31日 08時58分19秒 | BBC-RADIOクラシックス



今村亨氏が、先日の私の当ブログを読んで、以下の情報をメールで送ってくれましたのでご紹介します。文中、冒頭の「BBCトランスクリプション・サービス」は、当ブログ11月7日に写真付きで掲載した今村氏からのメールのことです。合わせてご覧ください。

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この前、写真をお送りして紹介したBBCトランスクリプション・サービスLPが、正にこのCDと同一音源だと早合点しましたが、CDの録音データ(64年のプロムス、ロイヤル・アルバート・ホール収録)を参照すると、BBCトランスクリプション・サービスLPの、第15回エジンバラ音楽祭(61年)ライヴとは異なり、別録でした。因みに、この61年エジンバラ音楽祭はストコフスキー指揮のシェーンベルク『グレの歌』がオープニングを飾り大評判となりました。また、同じくストコフスキーについて書かれた記事の中で、ストコフスキーは1963年7月23日のプロムスに初の国際的大物指揮者として登場しBBC響を指揮して、ブリテンの『パーセルの主題による変奏とフーガ(青少年の為の管弦楽入門)』を演奏して喝采を浴び、翌1964年9月17日のプロムスでも、“BBC響”と以下のプログラムを演奏したと記されています。
 ムソルグスキー『はげ山の一夜』(ストコフスキー編曲版)
 チャイコフスキー『フランチェスカ・ダ・リミニ』
 ショスタコーヴィッチ『交響曲5番』
何れにせよ、ストコフスキーが同曲を何度も取り上げていたのは確かでしょう。


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ストコフスキーの1964年プロムスでのショスタコーヴィッチ「第5」

2010年12月27日 15時06分18秒 | BBC-RADIOクラシックス

 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下の本日掲載分は、第3期発売の15点の4枚目です。

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【日本盤規格番号】CRCB-6064
【曲目】ショスタコーヴィッチ:交響曲第5番ニ短調作品47
          :交響曲第1番ヘ短調作品10
【演奏】ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団
    ホーレンシュタイン指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
【録音日】1964年9月17日、1970年7月18日

●CRCB6064
■このCDの演奏についてのメモ
 ショスタコーヴィッチの2曲の交響曲を収めたアルバムだが、その演奏者の顔ぶれが、なかなか興味を引く。
 「第5番」はレオポルド・ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団で、1964年ロイヤル・アルバート・ホールでのプロムナード・コンサート(プロムス)のライヴ録音だ。
 ストコフスキーの「第5番」では、1958年のニューヨーク・スタジアム交響楽団との名録音が知られているが、このCDの演奏は、それを間違いなく凌駕する演奏だ。
 第1楽章の冒頭。堂に入った音楽の表情にしなやかなコクがあり、弦楽のアンサンブルも素晴らしく美しい。そこから浮び上がる木管の音色も、イギリスの木管演奏の伝統の良質の部分がフルに発揮されている。弦楽を主体にした第3楽章の、悲しみを湛えた豊かな詩情は大きな振幅に包まれる。
 ストコフスキーは、本質的に〈語り上手〉な音楽家だ。彼の手にかかるとスコアの隅々に至るまで色を輝かせ香りを放ち、あるいは陰影を濃くして、多くのことを語り出す。それは、作り事を労する演出ではなく、ストコフスキーなりのスコアの率直な再現なのだ。圧倒的なフィナーレが一辺倒な〈歓喜〉に終始していないで、様々な要素がそれぞれのセクションで生き生きとした表現を聴かせるのも、時代と共に変化してきた解釈で、この楽章の歓喜の正体を考える上で意義深い。改めてストコフスキーが時代の流行から超然として、絶えず音楽の本質を見据えてきた指揮者だったということを感じた。
 ストコフスキーは、大衆的人気のトップの座を占めるスター指揮者として活躍する一方で、現代音楽の推進者としても名声を上げている。ショスタコーヴィッチの「交響曲第1番」も、作曲まもない頃いち早く取り上げて紹介しているが、このCDでは、その急進的な表現が何かと話題になる指揮者ヤッシャ・ホーレンシュタインによるロイヤル・フィルの1970年のライヴが収録されている。
 その細部まで丁寧に解析してゆく冷徹な指揮ぶりが、音楽のエモーショナルな動きでさえ、絶えずじっと見つめて行く複眼的視線をもたらしている。全体をバランスよく捉えるあまり、突出した音彩の魅力が後退し、全体がくすんだ色調で進行してゆく結果となっているが、音楽院の卒業制作であるこの「第1番」が、どれほどに書き込まれた作品であるかが、充実した響きとして伝わってくる演奏だ。(1996.6.30 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 先日、ある集まりがあって、そこで、たまたまストコフスキーのショスタコーヴィッチ「第5」が話題になりましたが、その時には、このCDのことをすっかり忘れていました。その時に話し相手だったのは、ストコフスキーのことが、めっぽう詳しい人で、彼は、上記で私が書いているニューヨークスタジアム盤なんか吹っ飛んでしまう名演がある、と力説していました。ひょっとして、それって、このBBCだったんじゃないでしょうか? 自分で書いていて、すっかり忘れていて申し訳ないことをしました。でも、もしかしたら、このBBCとも違うものがあるのかも知れません。確か彼は、私がこのシリーズのライナーノートを書いていることを知っているはずなので…。(もっとも、このシリーズの全点とは思っていないかも知れません。)
 このブログを見て気づいたら、今度お会いした時に、教えてください。もちろん、ここへのコメントでもいいですよ。先日の私の不明、お詫びします。
 なお、上記のニューヨークスタジアム響との録音は米エヴェレスト盤で、オケはニューヨーク・フィルの変名です。つまり、あのバーンスタイン/ニューヨーク・フィルがモスクワ公演で同曲を演奏して拍手喝采を受けた翌年か翌々年頃の録音です。ストコフスキーの解釈は、それほど変わっていませんが、1964年プロムスのライブは、熱気があるのが大きな魅力です。でも、どちらもストコフスキーの解釈の特徴は、あくまでもこの曲の「歓喜」の多様性を織り上げるところにあります。この曲のスコアに書き込まれた各セクションのパーツを振り分けて、よく聴き分ける演奏が、60年頃から実現していることが、凄い、のです。プロムスのBBC放送局の録音は、基本が近接マイクのようですから、そのあたりのニュアンスが、より明瞭に聴こえます。



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バルトーク:『弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽』の名盤

2010年12月17日 17時12分47秒 | 私の「名曲名盤選」



 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第52回」です。


◎バルトーク:「弦、打楽器、チェレスタのための音楽」

 この曲は、数年後にやってくる二度目の世界大戦突入への不安感に世界中が蔽われていた一九三六年に作曲された。
 この〈緊張の時代〉を背負った作品の気分を正当に表現し得た演奏として、ナチの時代をしたたかに生き抜き、戦後十余年を経てベルリン・フィルを手中に収め気力の充実し切っていたカラヤンの、1960年の旧録音がまず挙げられる。カラヤン盤の異常な緊張は、この曲の録音史上で空前のものと言え、楽員と一体になっての音楽の高揚は、時に魂が張り裂けんばかりの悲痛さを伴って感動的だ。この戦後の音楽界に君臨した巨人は、あたかも高度成長時代の申し子のように思われがちだが、この演奏は、戦争を知らない私のような世代の人間に、彼等が生き抜いてきた時代がどれほど苦渋にみちたものであったかを伝える貴重なドキュメントだ。
 晩年のバルトークと親交があり、そのよき理解者で援護者でもあったライナー/シカゴ響盤も、そうした緊張を孕んだ名演だが、カラヤンのような情念を持ち合わせていないライナーの棒は、全体を透徹した目で見通しており、リズムアクセントも鋭い。
 その後の世代では、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルの演奏は、作品の緻密さと、そこに留まっていられないバーンスタインの内燃する精神とのアンバランスが産み出す緊張が興味深い。ブーレーズ/BBC響のシンメトリックな構成感と好対称を成していた。
 しかし、この作品も、やがては時代のなかから屹立し、作品として自立して行かねばならない。レヴァインの音彩の豊かな演奏は、そのことを予感させる。特に、第二楽章の力強く骨太な表現には、かつてこの作品に脆く傷つきやすい精神を嗅ぎ取っていた先人たちの共感が、忘却されはじめたことを明らかにしている。さらに若い世代による今後の演奏にも期待したい。


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私の近刊『ギターと出会った日本人たち』の「あとがき」です。

2010年12月15日 12時43分52秒 | 「大正・昭和初期研究」関連





 以下が、昨日の当ブログに書いている11月29日の朝に書きあげて出版社にメール送信し、そのまま出かけて松濤美術館に駆けつけたという「あとがき」です。本の内容については、12月2日付と12月6日付の当ブログをご覧ください。


■おわりに

 いつものことながら、今回も難産だった。「はじめに」にも書いたように、この本は一〇年ほど前にギターと日本人との出会いについて調べ始めたことがきっかけだったが、その時に気づかなかったこと、調査が行き届かなかったことなども多く、随分書き直し、書き加え、構想を練り直し、結局、元の原稿の数倍に膨れ上がった。それはただ単に一〇年の歳月を経たからというわけではない。私自身が、大正から昭和初期にかけての様々な文化状況について、音楽分野に留まらずに調査する様々な機会に恵まれたためである。だが、そのために、かえって試行錯誤を繰り返すことになり、編集担当の國井麻梨さんには随分とご苦労をかけてしまう結果となった。
 思った以上に執筆が進んだのは第二章だったかも知れない。当初の予定を大幅に変更して長大な章となったが、すべて今回のための完全書き下ろしである。少しずつ書き進めるたびに國井さんにメール送信で原稿を送っていたが、彼女が、「それから、それから、どうなる? と、わくわくしてきて、先が楽しみです」と返信してくれたのは、書きあぐねていた私にはとても励みになった。
 書籍編集者として長い人生を歩んできた私だが、いつも思っていたのは、誰か読んでもらいたい人がいることが一番の励みになるということだった。多くの執筆者が異口同音に「担当の編集者が、一番最初の読者だから」と言っていたことを思い出す。私はいつも原稿を受け取ると、その場で読むように心がけていた。社へ持ち帰って読みます、とは言わなかった。それが原稿執筆という孤独な作業をしている人への一番の励ましだと信じていたからだ。その意味で、今度は私が担当編集者に感謝している。ほんとうに、難産だったのである。
 この本は、私が知り得た様々な知識を、所詮は、パッチワークしたものに過ぎないかも知れない。だが、まとまった形をとり得ずに散乱している事実の断片を、並べ替え、繋ぎ換えて読み物に仕立て直したところにこそ、書籍編集者としての私の経験が生きていると、少しだけ自負もしている。多くの読者の方々のご叱責を待ちたい。そして、この本を、歴史の一こま一こまにおいて果敢に、真摯に、西洋音楽の日本での受容に取り組み、亡くなっていった全ての人々に捧げたい。





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幻のデザイナー「小林かいち」の活動時期は、大正13年から大正15年までの3年間だけだった?

2010年12月14日 11時48分41秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
 東京・渋谷の松濤美術館の『大正イマジュリィの世界』展が開催中です。当ブログでも既にご案内しましたが、その企画構成のお手伝いをしましたので、初日前のレセプションの日に会場内を歩いていましたら、ひとしお感慨深いものがありました。私の近著『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』(ヤマハミュージックメディア・刊)の最終ゲラの点検や、索引づくりが前日まで続いていた中でのオープニングだったことも、思い出になりそうです。その本の「あとがき」に記載した日付は「11月29日」。そのオープニング・セレモニー当日の朝、書き上げてメール送信し、会場に駆け付けたのです。なんとか年内には発行できそうです。
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 展覧会は、多くの方の関心を呼んで、かなり盛況のようです。思いのほか若い方が多く来場しているようです。考えてみれば、大正期の青年たちの「進取の気概に満ちた時代精神」は、今日の、価値観が混とんとした中から這い出そうと云う青年たちの苦悶と、地下茎で繋がっているのかもしれないな、と思いました。
 それに「イマジュリィ」という印刷物による複製美術は、商業美術、デザインのはしりでもありますし、欧米のデザインからの借用(悪い言葉で言えば「パクリ」ですが)による作品例は、言わば「モンタージュ手法」として、様々な参考例となるわけですから、若いデザイナー志望の彼らが、食い入るように見詰めているのもうなづけるというものです。
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 ところで、この展覧会の「後援」として名前が出ている「大正イマジュリィ学会」は、私も参加しているのですが、先日、松濤美術館を会場にして、「第21回研究発表会」が行われ、私も「小林かいちの絵葉書・絵封筒の制作時期をめぐって」という演題で発表しました。昨年の『小林かいちの世界』(国書刊行会)改訂版の校訂作業にともなう調査の延長の産物ですが、このブログ標題の、「わずか3年間だった」という結論は、かなり自信がありますし、根拠もあります。
 詳細は、ここでは明らかにはしませんが(しちめんどくさい話の羅列になってしまうからで、ほかに理由はありません)、来年の「学会報」に掲載することになると思います。もっとも、次の「音楽書」の準備で忙しくなりますから、後回しになるかもしれませんけれど、言い出したことに責任は取らなくてはなりません。
 何はともあれ、「小林かいち」として始められた、ある種の傾向のデザイン(それを「京都アール・デコ」と名づけたのは、帝塚山学院大学教授の山田俊幸氏です)が、その後「京都京極・さくら井屋版」として、いわば「かいち様式」の絵封筒が様々にモンタージュされ、売られ続けたという事実があったのではないか、という見方を提示したものです。
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 蛇足ですが、松濤美術館の会場2階で流れている「音楽」は、私が選曲しました。『あの頃の音楽』(日本ウエストミンスター発売)という2枚組CDアルバムから抜粋したもので、セノオ楽譜と浅草オペラの歌が満載です。どれも、大正・昭和初期にそれらの歌を歌っていた「創唱者」というべき人たちの歌唱で、1970年頃、彼らの最晩年に、ステレオで録音されたものです。私は古いSP録音でも聴きましたが、まるで「音のタイムカプセル」とでも云った感じで、「あの頃の歌い回し」が再現されているという貴重な記録です。ちなみに、亡くなる少し前の大田黒元雄氏が、「ステンカラージン」のピアノ伴奏を務めているのも聴くことができます。大正・昭和初期の音楽文化に関心のある方にとって、必須アイテムのCDです。売り切れ間近だそうですが、アマゾンあたりで、まだ売っています。



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ストラヴィンスキー:『春の祭典』の名盤

2010年12月10日 13時48分59秒 | 私の「名曲名盤選」



 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第51回」です。


◎ストラヴィンスキー:「春の祭典」

 『春祭』の録音は、戦前の作曲者自身や初演者モントゥーのものだけでも何種類とある。彼ら二人のレコーディングでは、ストラヴィンスキーはコロンビア響とのステレオ盤、モントゥはボストン響とのモノラル盤が特に推奨できる演奏だ。どちらもスキャンダラスな初演の衝撃的な逸話など無縁なように、気負いのない確信に満ちた演奏で、この曲の「正統」を伝えている。
 その後この曲はマルケヴィッチ、ブーレーズなどによって、時代とともに変貌を続けてきたが、戦後世代のT・トーマス/ボストン響盤は、リズムの軽快な、〈走り〉のよい演奏だ。この演奏の登場によって、かつての革新的バレエ曲は、現代人に耳あたりのよいエンターテイメント・ミュージックへと変貌したとも言える。
 もっと若い世代のラトル/バーミンガム市響盤は、リズムを刻む音の輪郭は一つ一つ大切にし、咆哮する音を手短かにはさみ込んでゆくことで、疾走感を表出することに成功している。「春のロンド」での自在な音の伸び縮みによる耽溺も魅力だ。
 サロネン/フィルハーモニア管盤になると最早、何も堰止めるもののない颯爽としたプロポーションの、駆け抜ける音楽と化してしまう。ここでは、大地に眠る神もいなくなったかのようだ。
 T・トーマス以来、それぞれ個人差はあるものの、いずれも何らかの意味で〈走り〉のよい演奏に注目が集まってきたが、その中でマゼールがクリーヴランド管と行った録音での、各場面の細部を異様にデフォルメした演奏が、七〇年代以降では、突出したアプローチだった。ケント・ナガノ/ロンドン・フィルも、各場面ごとに描き分けてゆく〈語り物〉的な達者さで聴かせるが、マゼールが原色の対立で鋭角的に表現しているのに対して、ナガノは、色彩相互の融合を基本にしている。この曲の演奏の、新しい傾向と言えるだろう。

【ブログへの再掲載に当たっての追記】
 もうずいぶん長いこと、この曲を聴いていません。久しぶりに自分の書いた文章を読み直して、「さて、その後、どんな演奏があっただろう」と考えましたが、思い出せません。この曲が、「刺激的」であった時代は、完全に過去のものになっています。つまり、この曲をどのように演奏するか、ということが、取り立てて話題にはならないほど、スタンダード名曲的な収まりを持ってしまったということでしょう。新人指揮者が、「僕は、こうだ!」とメッセージを出す曲目ではなくなったのです。
 でも、ここまで落ち着いてしまうと、そろそろ、とんでもなく斬新な演奏が現れてくるようにも思います。
 文中に出てくるラトル/バーミンガム市響の演奏は、私が初めて『レコード芸術』誌に書いた原稿のテーマでした。その時は、私は、ラトルの「新しさ」にびっくりしたものですが、当時、それを感じる聴き手は少なかったのです。その時の原稿は、当ブログで2~3年ほど前に再録しました。ご興味のある方は、この画面の左欄をず~っと下へスクロールして、「ブログ内検索」の文字列に「ラトル」と入れれば、出てきます。ほかのラトル関連も出てきますが。その際、20歳のラトルデビュー時の「春の祭典」録音(学生オーケストラを振ったものです)のCDに私が書いたライナーノートも出てくるはずです。合わせてお読みいただけるとうれしいです。
 マルケヴィッチは、発売当時は、一種の「野獣派絵画」世界のようにもてはやされた演奏ですが、私がこの聴き比べ原稿を書いた時点では、それほどのインパクトはありませんでした。世の中の日常の方が、よほど騒々しかったのです。
 むしろ、60年代後半だったと思いますが、カラヤン/ベルリン・フィルの滑らかな演奏とバーンスターン/ニューヨーク・フィルのモノクロ映画のような奇妙な色彩感の世界などが、思い出されます。
 ここまで書いて、思い出しました。昨年、『クラシック反入門』(青弓社)に書いたユージン・グーセンス/ロンドン響の演奏は、ちょっと興味深いものでした。181ページに載っています。グーセンスはイギリスでのこの曲の初演者だそうですが、ある意味ではモントゥやマルケヴィッチも含めて、バレエのショウピース風なアプローチの派手な見せ場を意識した演奏が当たり前だった時期(1950年代)の、落ち着いたコンサートピースとしての作品演奏の原初的演奏かも知れないと思いました。


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『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』の目次をご紹介します。

2010年12月06日 13時27分22秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
 以下は、先日ご報告した私の近著『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』(ヤマハミュージックメディアから刊行)の本文目次です。これに、「まえがき」「あとがき」に加えて詳細な索引が「人名」「事項」の2種あります。本文中には50点程度、貴重な写真・図版も加えました。
 12月20日ころの発売予定です。




『ギターと出会った日本人たち 近代日本の西洋音楽受容史』目次


●第1章/ギター渡来前史
 近代日本の「西洋音楽」は、黒船の上で聴いたアメリカ音楽から始まった
 日本人とギターの前身との出会いはキリシタン弾圧の中で消えていった
 「ミンストレル・ショー」に興じた幕末の武士たち
 アメリカからギターを持ち帰って弾いた平岡熈の壮大な仕事
 すべては比留間賢八の精力的なマンドリン普及から始まった

●第2章/西洋音楽が街にやってきた
  日本人が最初に聴いたモーツァルトは、吹奏楽の演奏だった
 画学生だった菅原明朗が作曲家への道に踏み出すまで
 ロンドンから帰国した青年・太田黒元雄のサロンが拓いた世界
 『音楽と文學』の創刊と「東京音楽学校」への反撥
 「浅草オペラ」と「セノオ楽譜」、そして「楽譜絵葉書」
 本物のオーケストラ結成で変わる「吹奏楽」と「マンドリン合奏」の役割

●第3章/ギターに魅せられた人々と、セゴビアの奇跡
 イタリアの街角でギターの音色に魅せられた武井守成の帰国
 サルコリの指導で明らかになった独奏楽器としてのギター
 「演奏家」として挫折してしまった人々
 セゴビア来日を待つ日本の若きギター愛好家たち
 ついに実現した「セゴビア来日」は、第二の「黒船襲来」に匹敵した
 流行歌作家・佐藤惣之助をめぐる二人のギター青年の「人生劇場」

●第4章/武井守成とマンドリン・オーケストラ
 マンドリン合奏コンクールを創設した武井守成の情熱
 演奏家として挫折した武井守成が「作曲家として」生きた半生
 作曲家・武井守成の作風についての菅原明朗の指摘が伝えるもの

●第5章/幻のギタリスト池上冨久一郎
 黎明期のギター奏者、池上富久一郎と武井守成の出会い
 デタラメか? 天才か? 武井を困惑させた作曲家池上の全貌
 ついに明かされた池上冨久一郎の「ギター曲」を聴く

●第6章/大河原義衛の早すぎた死と、沢口忠左衛門
 大河原義衛の早すぎた死を悼む人々
 大河原義衛の作品を出版した「仙台アルモニア」の活動
 大河原の残したものを受け継いだ沢口の死期を早めたもの

●第7章/小倉俊と中野二郎の執念と、その成果
 大河原への同志的共感を持った小倉俊
 小倉俊の「ギターの音」へのこだわりが日本的和声の探求につながった
 「楽譜が私の師」と言う中野二郎の収集した楽譜の行方

●第8章/戦争で失われた未来と、新たに芽吹いた響き
 若くして戦死した悲劇のギタリスト小栗孝之と深沢七郎を繋ぐ小倉俊
 空襲の被害から守られた武井守成の厖大なコレクション
 小船幸次郎が解明したセゴビアのギターの秘密とその継承
 『黎明期の日本ギター曲集』をめぐる「忘れ残りの記」



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『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』が、まもなく刊行されます。

2010年12月02日 10時34分44秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
 以下は、まもなく出版される『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』(ヤマハミュージックメディア)の「まえがき」として執筆した文章の全文です。「こういう本を書きました」というご報告です。
 書店店頭は年内は微妙ですが、アマゾンの予約はまもなくUPされると思います(私のブログは先行PRです)。内容的に大正・昭和初期が中心なので、私もご協力して開催されている東京・渋谷の松濤美術館の展覧会『大正イマジュリィの世界――デザインとイラストレーションのモダーンズ』会場の土・日に設置される売店で販売していただけることになっていますので、早ければ今月18日から、そこで手に取ってみることもできます。

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■はじめに

 この本は、「西洋音楽」という未知の世界に私たち日本人が触れ、それを少しずつ自分たちのものにしてきた歴史を、「ギター音楽」を軸に追ったものです。ギターは、西洋クラシック音楽の世界で特異な位置を占めていますが、日本でも同様の経緯を辿っています。欧米の文化の吸収に邁進していた明治期に、西洋音楽の正式な受容は「唱歌教育」としての声楽、そして、ピアノ、オルガン、ヴァイオリンが中心でした。民衆の中からマンドリン音楽への関心が生まれ、やがてギター音楽を志す青年たちが現れたのは明治の終わり頃のことです。それらがやがて、時代変革の大きなエネルギーを蓄えた大正期を迎えて一気に花開き、様々な青春のドラマを生むことになるのです。
 じつは、私自身は、子ども時代から様々な音楽に囲まれて育ってきましたが、ことさらギターにこだわりを持ったことがあるわけではありません。その私が、「まとまった文献資料が皆無に近いジャンルなのですが」という言葉とともに、大正期から昭和初期に書かれた日本人のギター曲を集成したCDの解説を依頼されたことが、全てのはじまりでした。クラシック音楽の評論が主とはいえ、もともと書籍編集者として、多くの未整理な文献との格闘の経験がありましたし、大正から昭和初期の文化史にも関心を持って資料を集めていたので、「つい」お引き受けしたのです。今から10年ほど前のことです。
 国立音楽大学図書館の奥まった部屋に通ったのは、1週間ほどもなかったと思いますが、未だによく覚えています。未整理のままの武井守成男爵の遺品が、たくさんの箱に詰められていました。武井氏は大正から昭和にかけての日本のマンドリン、ギター音楽の育ての親とも言うべき人物です。室内には「武井音楽文庫」として収集された楽譜や雑誌が、箱に詰められたまま積まれていました。その中から、解説するCDアルバムの内容に関連していそうなものを拾い出し、次々にコピーをするのに数日、拾い出したものを読み、現存する縁[ゆかり]の方にお話を伺うなどしながら解説原稿に仕上げるまでには6週間くらいしか、与えられた時間がなかったと思います。
 私はこの時、遠い昔、西洋音楽という未知の世界の響きに魅せられ、その世界に踏み込んだ人々がいるという当たり前なことに気づき、たとえようもない感動を覚えました。それぞれの立場で取り組んだ人々の青春の記録が、突然、封印を解かれて眼前に広がったのです。今、それが1冊の本にまとめ直されたことに、感慨深いものがあります。
 この中で、私は様々な要素が錯綜してつくられる歴史を、そのまま追っています。多くの出来事は、それぞれ行きつ戻りつしながら、絡まり合って進みます。それらの関係をわかりやすくするために脚注を使い、本文中でも「○○ページに書いたことは~」と繰り返し明示しました。様々に錯綜した要素が、やがて、ある「ひとつ」に向かって行く歴史のダイナミズムが伝わればいいと願っています。
 この本では、第1章から第3章までで西洋音楽受容の概要を追っています。そして第4章以降は、ギター曲の作曲に果敢に挑戦した人々を、一人ひとり追うように努めました。「作曲」というアプローチに焦点を合わせたのは、日本的な音楽の真の探求は、日本人の感性を西洋音楽の語法の中で把握することから始まったと思ったからです。借り物ではなく、自分の音楽として放射することができて初めて、演奏にも日本人ならではの表出が生まれました。西洋音楽の演奏が新時代を迎えたところで、この本は終わっていますが、日本人の西洋音楽との関わりは、今やっと、第二の段階を歩み始めたのです。この本を書き終えた今、そのことにようやく気づいたように、私自身は思っています。


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【ブログ掲載に際しての付記】

●文中の「日本人のギター曲を集成したCD」が、私のプロフィールにもある『黎明期の日本ギター曲集』(日本クラウン)です。

●添付の写真はオビを付けた状態のカバー(オモテ)です。デザインは私が信頼している内山尭未さん。レトロでモダンで、少々挑発的でもある大正という時代のエネルギーを的確に表現していただきました。

●肝心なことを記載し忘れるところでした。四六判上製・200ページ・定価2000円+税、です。




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