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ふたたび「サンタルチア」日本語歌詞考

2013年01月31日 11時12分04秒 | 「大正・昭和初期研究」関連


 昨日の私のブログに、なんと、「クラシック音楽のレコードコレクター仲間」の今村享氏から、早速のメールで疑問と情報が届きました。「唱歌・童謡」という世界での話として書いたつもりでしたが、なるほど、クラシック音楽世界から眺めると、だいぶニュアンスが変わってくるのだということを、再認識してしまいました。以下、まず、今村氏からのメールをそのまま掲載します。

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 ブログの『サンタ・ルチア』の項、拝見しました。改めて『唱歌・童謡100の真実』も読み返してみましたが、ちょっと腑に落ちない点が…
 この曲はジーリ、デル=モナコ、ディ=ステファノ等のような名テナーが歌った録音で聴いた人が圧倒的多数だと思えるのですが、そう考えると、竹内さんが本の中で言及された、ベルトラメリ能子の録音は、女性が歌った『サンタ・ルチア』が皆無と云う訳ではないにせよ、特殊な一例なのではないでしょうか?
 竹内さんが取り上げられたのは、飽くまでも‘日本語’の『サンタ・ルチア』なので、戦前ならカルーソーの録音で曲自体は知られていたのかも知れませんが、それでも、もし、そのベルトラメリ能子の録音で日本語版『サンタ・ルチア』が日本中に広まったのなら、歌詞の違いと同じくらい不思議な事のような気がしたので、少し調べてみました。
 やはり藤原義江の昭和9年発売ビクター盤があり、その録音は63年に、「われらのテナー藤原義江愛唱歌集」(JV95) としてLP復刻されています。
 中の解説書(宮沢縦一)では、《小学生でも知らないもののない名高いナポリ民謡だが、民謡といっても読人知らず的の古くから語り伝えられた歌ではない。/前の「帰れソレント」がクルテイスの作曲であるように、これもコットローの作曲で、「オー・ソレ・ミオ」などと同じく、毎年九月におこなわれるナポリのピエディグロッタの民謡祭の歌のコンクールで一等を取ったものである。この船歌はいかにも青い空、蒼い海、南の太陽の輝くナポリの歌らしく、明るく美しいが、それだけにカルーソー、ジリ、スキーパなども好んでうたい、藤原氏もお得意の一つ。サンタ・ルチアはナポリの守護神で、殉教者としてあがめられる聖女のことだが、ナポリにはその名をとった港や通りがあり、ホテルまである。もちろん、サンタ・ルチアの教会もあり、信仰心のふかい人たちがうやうやしく参詣している。》
 また、堀内敬三訳詩の歌詞は

《月は高く 空に照り
風も絶えて 波もなし
来よや友よ 舟は待てり
サンタ・ルチア サンタ・ルチア

そよと渡る 海風に
ながるるは 笛の音か
晴れし空に 月は冴えぬ
サンタ・ルチア サンタ・ルチア

いざやいでん 波の上
月もよし 風もよし
来よや友よ 舟は待てり
サンタ・ルチア サンタ・ルチア》

となっていて、竹内さんが追記の中であげられた、ベルトラメリ能子が歌った歌詞と共通している部分があります(一番)。


[ここまでが今村氏からのメール]
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 宮沢縦一氏は、さすがによく調べておられていて、当時の情報として完璧だと思いましたが、その後、宮沢氏が知らなかった事実(作曲ではなく「改作」だったなど)が分かってきたわけです。じつは、私が『唱歌・童謡100の真実』で強調したかったのは、以下の点です。

1)ナポリ民謡の原曲は、かなり悲惨で暗い内容だったが、それと似ても似つかぬ新しい歌詞を付けて、音楽祭に出品して、流行歌になった。したがって、日本では「ナポリ民謡」と表現したり「イタリア民謡」と表現したりと、表記が揺れていたが、イタリア国内では、「古くからある伝統的なナポリ民謡」という認識はないのではないか。

2)「サンタルチア」も、「ローレライ」「別れ」などと同様、セノオ楽譜愛好者をはじめとした女性ファンに支持された歌として日本に定着したのではないか? それを受けて、「日本語版サンタルチア」のレコード化は、「新小唄」として女性歌手に歌われることが多かったのではないだろうか? 女声コーラス譜もかなり流通していた。(そのレコード化のひとつが、東京音楽学校生徒の歌った日本コロムビア盤なのではないか?)

3)日本語の歌詞は、「楽譜絵葉書」などの巷間に流布している怪しげな替え歌もあるようだが、レコードを通じて戦前に定着した歌詞は、どうやら堀内敬三のもののようだ。だから、昭和30年代~40年代の歌声喫茶では「堀内訳」で歌われていた。(大正15年9月生まれの私の母親も「来よや友よ~ 舟は待てり~」と、台所で声を張り上げていたのを思い出します。)

4)ところが、同じ昭和30年代~40年代、学校の教室では、小松清の訳で歌われていた。(だから、私と同じ歳の私の妻は「かなた島へ~ 友よ行かん~」と歌うのです。)そして、どういうわけか、私のこの歌のイメージは、日本語で歌われる限り、女の人が歌っていないと、サマにならない。(女学生のコーラスだったなら、完璧! なのです。)

5)イタリア語では、私も、中学生のときに音楽室にあったレコードを放課後にこっそり掛けて、マリオ・デル=モナコ、とディ=ステファーノの聴き比べをしたのを覚えています。私はステファーノが気に入って、「カタリ・カタリ」なども入ったレコードをよく聴いていましたし、結局、10年ほど前に、東芝からCD化されたアルバムを買ってしまいました。だから、テノールの歌じゃないか、という考えは、理解できます。でも、やっぱり、この歌は、女声が似合うのです。

【追記】
 たった今、この、本日分をUPしたら、昨日分に、セノオ楽譜に関していつもコメントをくださる「誠」さんから、情報が入っていることに気づきました。公開処理をしましたので、ぜひご覧ください。やっぱり、女声が歌っています。しかも、セノオ楽譜に「妹尾幸陽」の訳と「堀内敬三」の訳の2種があるそうです。そして、堀内訳の発刊年から見ると、ひょっとすると、ベルトラメリ能子の録音が先行しているかも知れません。歌詞の細部の揺れは、その所為かもしれません。つまり、録音用にとりあえず訳したが、セノオ楽譜出版に際して推敲して決定稿とした、のかも知れないということです。(あるいは、その反対かも。)これは、ベルトラメリ盤の録音日が判れば済むことでしょう。

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『サンタルチア』、その日本語歌詞の変遷とセノオ楽譜――ナポリ民謡? それともカンツォーネ?

2013年01月30日 12時14分39秒 | 「大正・昭和初期研究」関連


 今、3月に関西方面で開催される予定の『セノオ楽譜と大正クラシック』という名称の展覧会の解説原稿に追われています。一昨年、東京の松涛美術館で開催された『大正イマジュリィ展』ほどの規模ではありませんが、「セノオ楽譜」や「楽譜絵葉書」など、私がこのところ取り組んでいる大正期の西洋音楽受容史の一側面を中心に取り上げる展覧会企画です。この展覧会の解説原稿をベースにして、『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』の続篇というか姉妹篇とでも位置づける本を書き上げたいと思っています。
 ところで、その関係で、「サンタルチア」について調べ直す延長でネット上を流していたら、日本語歌詞について、様々な意見が飛び交っているのでびっくりしました。以下は、私の4年前の著書の「サンタルチア」の項目全文です。ウイキペディアには、これと違う説が書かれていましたが、どうでしょう。私の以下の説も、それなりに様々の文献で得た知識を整理したものですが、新情報など、お教え下さる方がおられたら、コメント欄にお願い致します。


《歴史の荒波に揉まれ続けた、船乗りの歌の軌跡》

■戦前から歌われている歌詞と、教科書の歌詞は違う?
 この曲は、明治の初期に唱歌として使用された外国民謡ではないから、教科書に初めて登場したのは、第二次大戦後まもない一九四七年(昭和二二年)に発行された最後の国定教科書だった。外国曲容認の流れの中で、中学二年生の教科書に掲載されたものだった。
 そのとき採用されたのが上に掲載した(当ブログでは下にスクロール)小松清の訳詞である。その後、民間の出版社から発行された検定教科書に変わっても小松の詞が使用され続けたので、学校の教室で戦後教育を受けた子供たちのほとんどがこの詞で歌ったはずだが、一方で、「月は高く、海に照り、風もなく、波もなし」と歌い出され、「来よや友よ、船は待てり、サンタルチア」と結ばれる堀内敬三の訳詞を覚えている人も多い。なぜだろうか?
 昭和の初期に『サンタルチア』を日本語で歌ったと思われるSPレコードが発売されていることがわかっている。戦前から広く知られていた歌なのだ。どういう歌詞で歌っているのか確認できていないが、歌い手が戦前人気のあったソプラノ歌手ベルトラメリ能子(よしこ)で、彼女は堀内の戦前のヒット作『君よ知るや南の国』も歌っているから、おそらく堀内の歌詞だろうと思われる。昭和三〇年代も、街なかの歌声喫茶などでは堀内の歌詞が主流だったようだ。教室の中だけが小松の歌詞だったのかも知れない。

■ナポリ方言が標準イタリア語に変えられて消えた「殉教者の影」
 教科書に最初に載った時には「ナポリ民謡」となっていた『サンタルチア』だが、原曲についても、謎が多い。
 「サンタルチア」とは、もともとは「聖ルチア」という実在の殉教者のことで、その悲しい死を描いた元歌が一八世紀のナポリにはあったらしい。その旋律をフランス系イタリア人のテオドロ・コットラウが採集し、ナポリ方言の原曲とは異なる標準イタリア語の歌詞をエンリコ・コソヴィッチが書き、ナポリの港を讃美する漁師たちの歌として一九世紀の半ばに音楽祭に出品して以来、大ヒットとなったというのが、最近になってやっとわかりだしたこと。だから、コソヴィッチが改作した時点で「ナポリ民謡」から「カンツォーネ」に化けてしまったと考える方が合理的だ。
 メロディが、どことなくゆったりと揺られているようなのは、この曲が「舟歌」だからで、その標準イタリア語の「カンツォーネ」の歌詞には、悲しい殉教者の影はどこにも見られない。穏やかな航海を讃えるばかりだ。


【作品メモ】
初出:文部省・編『中等音楽(二)』1947年(昭和22年)7月発行
 *1958年(昭和33年)に文部省制定の中学校2年生必修教材

【歌詞】
「サンタルチア」[ナポリ民謡/訳詞:小松清]
空に白き 月の光
波を吹く そよかぜよ
かなた島へ 友よ 行かん
サンタルチア サンタルチア

しろがねの 波に揺られ
船は軽(かろ)く 海を行(ゆ)く
かなた島へ 今宵(こよい) また
サンタルチア サンタルチア

友よいざ 船に乗りて
波を越え とく行(ゆ)かん
かなた島へ 友よ いざ
サンタルチア サンタルチア
――以上、竹内貴久雄・著『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメディア刊)より

【ブログ掲載に際しての追記】
 ベルトラメリ能子のコロムビア・レコードSP盤を聴きました。私が本文で「月は高く 波に照り」と書いている部分、「月は高く 空に照り」と歌っていました。そのほか、2番の歌詞も、私の手元にある文字で流布しているものと微妙に異なっていますが、レコード盤上には「堀内敬三訳」とあります。編曲とオーケストラの指揮を山田耕筰がしていますから、録音時に変更が行なわれたのかも知れません。しかも、同じコロムビアで、昭和10年代(推定)発売のレコードでは、長尾豊という人の訳詞で、澤崎定之指揮東京音楽学校生徒の女声合唱で、まったく異なる歌詞が登場しています。そのほか、大正末期から昭和初期に、女声合唱運動がひときわ盛んだった関西方面で、昭和4年に発行された中学唱歌の民間本に、『三舟』と題して「サンタルチア」に詞が付けられているものまであるようです。いったい何通りの「サンタルチア」が見つかることか、といったところです。


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2012年下半期の新譜CDから(4) 私が注目した頃のウェルザー・メストに再会できたCD

2013年01月24日 10時30分50秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

■若き日のウェルザー・メストのライヴ盤がオルフェオから登場
 ウィーン国立歌劇場の音楽監督となって二年目のウェルザー・メストは、今年二〇一三年の正月、二度目のニューイヤーコンサートで、やっと自分のペースを掴みかけたようだ。一昨年のニューイヤーは酷かった。まるで借りてきた猫のようで痛々しかった。ウィーン・フィルという〈伝統〉は途方もなく手ごわいのだ。大ベテランのプレートルもヤンソンスも、そうだった。ニューイヤーどころか国立オペラは、さらに手ごわい。だから、今年は、かろうじて合格。メストは私にとって、一九九〇年代の初めに一部で注目された頃から追ってきた指揮者だから、思い入れもあり、これまでにもロンドン・フィルとのヨハン・シュトラウス集のライナー・ノート(東芝EMI国内初出盤)以来、機会あるごとに何度も執筆してきた。それは、昨年二〇一二年六月に刊行した私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』に第一章として収録したこの「リスニングルーム」欄の十五年間にも散在している。メストは私にとって、未だに発展途上の人、なのだ。期待が大きい分だけ、不満も多い。だが、一九八〇年代の終わり頃に「メストは、二十一世紀のクラシック音楽界を牽引する指揮者になる」と信じた私の気持ちは、今も変わっていない。一九八九年夏のザルツブルクで、若いオーケストラ、マーラー・ユーゲントを振ったブルックナー「第七番」。ここに聴かれる奇跡的とも言える音楽の躍動! いつかまた、ここに還ってくるはずなのだ。
(本編、ここまで。以下は昨日の但し書きの繰り返しです)

 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。本文は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。本日は、その4回目です。
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2012年下半期の新譜CDから(3) ブッフビンダーが弾くフォルテピアノで思ったこと

2013年01月23日 17時33分04秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
■ブッフビンダーがフォルテピアノで弾くモーツァルト「協奏曲」
 アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの伴奏でモーツアルトの協奏曲、二三番と二五番のライヴ録音を収録したCDがソニーから発売された。どちらかというと古楽器ものを敬遠しがちの私が手を出したのは、昨年、たまたま目にしたブッフビンダーの弾く「ヨハン・シュトラウス・ワルツ編曲集」(一九九九年・独テルデック)で、そのテクニックの冴えと、ほとばしる音楽の軽やかさとのバランスの妙味に関心を持ったからだった。このモーツァルト、一聴して、まず感じたのは、「おしゃべりな音楽だな」という感覚。「小うるさい」のだ。そして、しばらくして、それはこのフォルテピアノという楽器が、現代のピアノのような優れた制御機能を持っていないからだ、と気づいた。思えば、ロマン派の時代以降、ピアノの性能が高まるにつれて音の強弱がはっきりし、それに伴い、人々は、ひっそりとした音の雄弁さにも気づいた。そして、コンサートホールでの音楽鑑賞という形態。だが、かつて音楽は、食事をしながら、おしゃべりをしながら聴くものだった。ブッフビンダーらの演奏は、そうした古き時代のキッチュな再現だ。フォルテピアノは一音一音コトコトと、音を途切りながら連なり、オーケストラもブツブツと音をちぎり、急激なフォルテを交えて進む。これ、じっと耳を傾けて聴くものじゃないのだ。そうでないと、身体能力が飛躍的に向上した現代の優れた音楽家たちによる自在な演奏は、〈表現〉が溢れてしまう。
(本編、ここまで。以下は昨日の但し書きの繰り返しです)

 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。本文は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。本日は、その3回目です。
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2012年下半期の新譜CDから(2) 永冨和子のドビュッシー演奏の「遺産」を聴く

2013年01月22日 10時33分20秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
写真は、日本ウエストミンスターから発売されたCD

■永冨和子の最後のリサイタルの記録がCD化
 1980年代半ばから、ヨーロッパを中心に国際的な活動を続けていた永冨和子は、1959年のパリ留学以来、レーヌ・ジャノーリ、ラローチャ、クロード・エルフェといった私が関心を持っているピアニストに直接教えを受けている。このCDは、その永冨の最後のリサイタルの記録だ。曲目はドビュッシー「前奏曲集第一巻」とモーツァルト「ソナタ K457」「幻想曲 K475」、それにアンコールのドビュッシー「月の光」「水の精」。ドビュッシーの「前奏曲集」は、光と陰の交錯が千変万化して綾なす名演で、そのリズムの生き生きとした様に、まずおどろく。確かにドビュッシー演奏は、この二〇年で飛躍的に深化したのだと実感する。明快なフォルムを聴かせながらも、濃密な情感を維持し続けているのは凄い。例えばポール・クロスリーの演奏が、理論を振りかざした音楽のように感じてしまった。今回のアルバムは、永冨の遺稿となった「ドビュッシー前奏曲集・第一巻」の校訂・解説書(レッスンの友社より刊行)に合わせての発売だそうだが、同書は、一曲一曲の解釈にとどまらず、体験に基づいた奏法の実際、フィンガリングなどを詳しく記述したものだという。第一巻で途絶えてしまったのが残念だ。プラハで進行していた録音が2枚目までで途絶えてしまったモーツァルトのソナタ全集(日本コロムビアより発売)も残念だったが、こちらも一曲だけ、このアルバムで聴ける。明快でありながら、余情が止め処なくあふれ出てくる演奏だ。
(本編、ここまで。以下は昨日の但し書きの繰り返しです)

 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。本文は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。本日は、その2回目です。

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2012年下半期の新譜CDから(1) ラローチャのシューマン/ラフマニノフ協奏曲集

2013年01月21日 10時37分07秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 半年に一度、詩誌『孔雀船』に「リスニングルーム」と題して新譜CD紹介を1998年からずっと続けています。その15年の蓄積は、昨年まとめた私の2冊目の音楽評論集の第1章に、「とっておきCDの15年史――こんなおもしろいCDが発売されて、アッという間に消えました」と題して、完全編年体で再録しました。以下は、つい先日、書き終えたばかりの新しい原稿です。昨年7月以降、年末までに発売されたCDの中から、私が書いておきたいと思ったものから4枚選びました。
 なお、その4枚の並び順など全体構成にも配慮して執筆していることから、これまではブログにも一挙にUPしていたのですが、最近、携帯やスマホで読む方が増えてきて、長文は読みづらいと言われるようになりましたので、不本意ですが、4つに分割して毎日、1枚ずつ掲載します。
 では、本日は、その1回目です。

■ラローチャのシューマン「協奏曲」は、本物の「幻想曲」
 タワーレコードの限定発売で、国内盤初CD化の音源だという、アリシア・デ・ラローチャのシューマンとラフマニノフ2番の協奏曲。確かに、輸入盤でしか見たことがなかったような気がする。発売された1980年代にはラローチャのシューマンやラフマニノフが、ちょっとイメージしにくかったせいか、私自身も、今回、初めて手に取ったのだが、そうして聴いたこのシューマン。最近聞いてびっくりしたヨッフム/ベルリン・ドイツ響とのブラームスの協奏曲のような力強く堂々とした音楽とはずいぶんと違う趣だが、このシューマンで、改めて、私のラローチャ好きが目覚めてしまった。第一楽章から、心地よい夢を見ているような気分にさせてくれる。そして時間を追ってますます音楽の表情が、やわらかくなっていく。突然の覚醒に続いてやってくる下降音型。そして再びたゆたい始める音楽……。このあたりは、特にラローチャが得意とするところだろう。続く楽章も、ひっそりとしたたたずまいから漂ってくる香気が、幻想性の表出という一点で極めて完成度の高い演奏になっている。徹底してソフトフォーカスのラローチャの世界に、伴奏のロイヤル・フィルもシャルル・デュトワの指揮でよく応えている。この曲が「ピアノとオーケストラのための幻想曲」から発展したものだったということを、久しぶりに思い出させてくれた。ラフマニノフも、この曲から柔和で暖かな陽だまりと翳りが聴ける特異な演奏だ。

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ストコフスキーのショスタコーヴィチとスクリャービン

2013年01月18日 10時20分58秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
昨日から連続でUPしている「エベレスト・レコード/ストコフスキー」のために執筆したライナーノート、第1集原稿の分割掲載、最終回です。日本ウエストミンスターから、まもなく(2013年1月23日)発売されます。

■このCDアルバムの演奏について
 日本では先に挙げたなかで、モノラルLPレコード時代からショスタコーヴィチの「第5交響曲」で最も話題になったのは、ロジンスキーのウエストミンスター盤だろうと思う。それに続いてシルヴェストリ盤、バーンスタイン盤といったところだろうか。ムラヴィンスキー盤は、東側のレコードということで、新世界レコード社からの発売だったから、入手が少し難しく、通好みの盤という位置づけというのが、1960年代の状況だったと記憶している。
 しかし、今回、改めてストコフスキー盤を聴いて、その音楽の進行の丁寧さに驚愕した。スコアに書き込まれた要素を、隅々までしっかりと拾い上げてしっかりと鳴らし、細部を彫琢していることに、とにかく感服した。当時の大方のイメージは、この音楽にある「抵抗」を、力強く高らかに歌い上げることに邁進するものだったのかも知れないが、そのことで取りこぼしていたことがいくつもあったのだということを、私たちの時代は知るに至っている。それは1996年に作曲者の息子マキシム・ショスタコーヴィチがプラハ響とで録音したライヴ盤あたりで、私は遅ればせながら気付かされたのだが、じつは、それよりも30年以上も前にストコフスキーが提示していたとするなら、それは、改めてこの指揮者が、新しい音楽を紹介するに際して「的確で正当な判断」をしていたということの証明になるだろう。第3楽章冒頭から数分間のインテンポの展開は、一筆書きの連続で、西欧のドラマづくりの語法とまったく異なる新しさに着目して演奏していることが感じられる。
 1950年代にショスタコーヴィチ作品を演奏していたということは、同時代の作品を演奏していたということ、すなわち、まだ、その作品からは、生まれたばかりの香気が立ち込めていたのだということを忘れてはならない。そこから、未来に残すべき作曲者のメッセージを嗅ぎ取り、明らかにするのは容易ではない。いくつにも分割された弦楽合奏の処理も、じつに細やかで、この作品が真に優しい眼差しに満ちた叙情的作品であることを証明してくれている。名人、ストコフスキー、恐るべしである。
 LPレコードでは別に発売されていたスクリャービンの『法悦の詩』が、当CDアルバムではカップリングされたが、これは1908年にニューヨークに於いてロシア系の指揮者、オーケストラによって初演された作品。こちらも1932年というかなり早い時期の録音がストコフスキー/フィラデルフィア管で行われており、その後、ミトロプーロス/ニューヨーク・フィルや、ピエール・モントゥー/ボストン響の録音が登場している。ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」と同様、ストコフスキーにとってSP期以後の正規のセッション録音は、このエヴェレスト盤が唯一のものである。
 じつに生真面目で堂々とした演奏で、1952年録音のモントゥー盤の自在な軽さや色彩感、流動性、官能性などと比較すると拍子抜けしてしまうほどだ。この曲のイメージが、モントゥーほどにこなれていないのは事実だが、ストコフスキーを批判する際の決まり文句の「演出過剰」という特徴は、誰もが知っているポピュラー名曲に限られていた事なのだということを、改めて認識する演奏ではあるだろう。新しい時代の音楽の啓蒙家・紹介者としてのストコフスキーの一面を垣間見る思いだ。
 なお、起用されているオーケストラの内、「ニューヨーク・スタジアム交響楽団」は、夏季のサマーコンサートをルーイゾン・スタジアムで開催していたニューヨーク・フィルハーモニックが、レコード会社との専属契約を逃れるために用いた変名。フルメンバーでは、1952年にはミトロプーロスと、1959年にはバーンスタインとで録音しているオーケストラだから、当時、この曲にはかなり馴染みがあったと思う。
 一方、スクリャービンで演奏している「ヒューストン交響楽団」は、1913年の創設以来、ヨーロッパの著名指揮者を数多く音楽監督に迎えているアメリカのメジャーオーケストラのひとつ。ストコフスキーは1955年から1960年まで、このオーケストラの音楽監督を引き受けていた。ハリー・ベロックの録音機は大型トレーラーに積載して移動可能だったから、それをテキサス州のヒューストンにまで運んでの録音だったはずだ。

【付記】
冒頭の写真は、今回のCDのライナーノート表紙を開いた状態です。右半分がオモテ面、左半分がウラ面です。ご覧のように、今回世界で初めて、オリジナルLPレコードのデザインを完全に再現してもらいました。(ただし、スクリャービンのLPレコードジャケットは、発売元の日本ウエストミンスターさんが、カップリング曲のタイトルを消してしまいました。)どちらもシルバー・バックの初出ジャケットを使用しましたので、周囲(三方)に銀色の縁取りをわざわざ残すために、デザイナーさんのお手間を取らせてしまいました。
この表紙のストコフスキーのカラー写真は、再発売の時から、モノクロ写真となってしまいました。近々、そのあたりのLPジャケットの変遷を、このブログ上でお目にかけようかとも思っています








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ストコフスキーの20世紀音楽録音について

2013年01月18日 10時08分33秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
以下は、昨日の続きです。来週(2013年1月23日)に日本ウエストミンスターから発売される「エヴェレスト・レコード/35mm磁気フィルム録音シリーズ」の「ストコフスキーの芸術・第1集」のために執筆したライナーノートです。長文のため、数回に分割して掲載しています。

■このCDの演奏曲目について
《ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 ニ短調 作品47》
 かつて社会主義体制の壮大な実験国家として、米・ソの二大国の一方の雄だったソビエト社会主義共和国連邦が
20数年前に姿を変え、ロシア共和国となって久しい。この交響曲は、かつての米ソ冷戦時代の真っ只中を生きた、旧ソ連を代表する作曲家の一人であるショスタコーヴィッチ(1906~1975)の残した交響曲の中で、最も知られている作品。国家指導部の執拗な干渉と作曲家の良心との相克がしばしば話題になり、様々の解釈が生まれていたが、近年、やっと、作品の純音楽的評価が落ち着きつつある。それに伴い、かつて日本のレコード会社が使用していた「革命」のニックネームも、見かけなくなってきた。
 四つの楽章から成る伝統的な交響曲の構成を模しており、ソナタ形式の第1楽章、スケルツォの第2楽章を経て、緩徐楽章、フィナーレと続く。編成は、金管を多少増強しているが、木管はほぼ通常の2管編成、弦5部というものだが、第3楽章のみ、弦楽だけの特殊な8パート分けで演奏される。1937年に完成。同年11月にレニングラードでムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルにより初演されている。
《スクリャービン:交響曲第4番『法悦の詩』作品54》
 ロシア帝国が社会主義国家に生まれ変わる十月革命が起こる1917年には既に世を去っていたのが、アレクサンドル・スクリャービン(1972~1915)。19世紀末にヨーロッパに広まっていた「神秘主義」に強い影響を受けた特異な作風の作曲家として知られる。20世紀音楽の先駆者のひとりとされている。
 『法悦の詩』は、作曲者により交響曲第4番とされているが、単一楽章から成る交響詩風の作品。決まった調性を持たず、スクリャービンの考案による「神秘和音」が用いられている。楽器編成はかなり大規模なもので、4管編成、弦5部に様々の音色の打楽器、チェレスタ、ハープ2、オルガンも加わって、独特の色彩感を要求している。1908年に完成しているが、その扇情的なタイトルや、官能的な曲想の激しさが誤解を生み、ロシア国内やドイツなどでは、しばらくの間、演奏禁止の圧力がかかったと言われている。
 初演は、1908年12月にニューヨークに於いて、ロシア交響楽協会オーケストラを組織するロシア人、アルトシューレルの指揮によって行われている。

■ストコフスキーの20世紀作品録音の特質
 ストコフスキーの「進取の気骨」は、20世紀の新しい音楽傾向を伝える作品への積極的なチャレンジという点にも現れていた。ストコフスキーがアメリカ初演で多くの聴衆に紹介した作品は数多いが、その中には、ショスタコーヴィチの「交響曲第11番」もある。
 このアルバムの「交響曲第5番」の場合は、1937年にムラヴィンスキー/レニングラード・フィルで初演されたわずか2年後の1939年4月に、ストコフスキー/フィラデルフィア管が録音している。おそらく、西側諸国での初録音と思われる。アメリカでの初演は前年1938年にロジンスキーの指揮で行われているが、録音が行われたのは1942年と、三年も経ってからのことだった。レコードという形での新曲の普及で、ストコフスキーはかなり先んじていたわけだ。
 このソビエト連邦の俊英作曲家の新作は西側諸国でも評判になり、第二次大戦後には、いくつもの録音が現れるようになった。1956年時点のアメリカ国内のLPレコードでは、キャピトルがゴルシュマン/セントルイス響、コロンビアがミトロプーロス/ニューヨーク・フィルで加わり。それに、新興レーベルのウラニアがボルサムスキー/ベルリン放送響で、ヴォックスがホーレンシュタイン/ウィーン響で、ウエストミンスターがロジンスキー/ロイヤル・フィルの演奏でそれぞれ加わり、カタログのラインナップを賑わしている。正に、この作品は「鉄のカーテン」の向こう側を覗き見る「窓」だった。
 ストコフスキーのエヴェレスト盤は、こうした状況の後、最初期のステレオ録音として登場したわけだ。同じ頃の録音には、モスクワへの親善訪問コンサートで作曲者自身を感動させたと喧伝されたバーンスタイン/ニューヨーク・フィル、個性的な指揮ぶりが話題となった東欧から西側への亡命者シルヴェストリ/ウィーン・フィルなどがあり、ストコフスキー盤は、エヴェレストの活動休止もあって、少なくとも日本では、ほとんど話題にならなかったと記憶している。おそらく、多くのファンに広く知られたのは、1969年12月の、日本コロムビアによる廉価盤の発売からだろうと思う。
 今回、この稿を執筆するに際して、改めて聴き直してみたストコフスキー盤の演奏で感じたことを、以下に記そう。

⇒続きは、このあと、すぐにUPします。
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ストコフスキーのエヴェレスト録音(つづき)

2013年01月17日 11時14分50秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
 さきほどupしたばかりのライナーノートの続きです。併せてお読みください。

■ストコフスキーの録音歴のなかでのエヴェレスト・レコード
 初期の純正ハイファイ・サウンド時期の米エヴェレストからは、レオポルド・ストコフスキーの指揮で録音されたLPレコードが11枚制作されている。CDに組み替えると、6~7枚分といったところだろうか。
 ストコフスキーは、いつの時代にも様々な分野に対して、新しい事に挑戦し続ける「進取の気骨」を持った音楽家だった。彼が「万年青年」と呼ばれるのは、それ故のことだと思うが、そうした気骨は「録音」という音楽普及のツールに対しても同様だった。しばしば語られることとして、1932年にベル研究所が行なった世界初のステレオ録音の実験への協力が挙げられるが、晩年の1974年には、日本ビクターが開発したディスクリート4チャンネルの録音を行なっていることも、忘れてはならないだろう。曲目は、レコードで世界初のブラームス交響曲全集を手がけたストコフスキーならではのブラームス「交響曲第4番」だった。1974年5月4日に行なわれた最後のオーケストラ・コンサートの曲目から選んで数週間後に行なわれた渾身のスタジオ・セッションだったが、その後も、1977年9月の死の直前までスタジオでの録音収録が進行していた英CBSとの契約の延長上には、デジタル録音(当時、日本のデノン=DENONがPCM録音と名づけて開始していたはずだ)で「田園」を録音する、という企画も予定されていたと言われている。
 まさに、技術の先端を生き抜いた音楽家というに相応しいが、そのストコフスキーだからこその、エヴェレスト録音への協力だったと言えるだろう。ハリー・ベロックが投資した新しい装置による画期的なステレオ録音は、ストコフスキーを大いに刺激したに違いないから、自らのレパートリーの中から、彼が普及に努めていた20世紀の作品が選び出されるのに、それほどの時間はかからなかっただろうと思う。そして、それらの曲目に加えて、おそらく商業的な戦略から、ステレオ効果を得やすいスタンダード人気曲も、いくつか散りばめられた。この時期は、ストコフスキーの長い録音歴の上で、彼が、長く世に残すべき自らの仕事を整理し、再検討したともいうべき重要な段階だったのだと思う。ストコフスキーにとって、まもなく80歳になろうという時期である。だから、エヴェレスト社の、わずか2年余での失速がなければ、ひょっとしたら米キャピトルでの1960年以降のいくつかの録音(特に、ショスタコーヴィチ「交響曲第11番」)が、エヴェレストの優秀録音で残された可能性があったのではないかと思う。そう考えると、エヴェレストの早すぎたオリジナル録音事業からの撤退は残念でならない。

⇒以下、続きは明日掲載します。
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ストコフスキーの35mm磁気フィルムによるエヴェレスト録音が、理想の音を再現してCD化

2013年01月17日 10時54分09秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

 今月、日本ウエストミンスターから発売される新譜のライナーノートを掲載します。
 「ストコフスキーの芸術(1)」というCDで、曲目はショスタコーヴィッチ「交響曲第5番」と、スクリャービン「法悦の詩」で、前者がストコフスキー指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団。後者がヒューストン交響楽団です。
 ライナーノート全体は、本日掲載分がちょうど半分くらいという長文で、「ストコフスキーのエヴェレスト録音を聴く(1)」となっています。つまり、「(2)」もあるのです。すでに。書き終えました。ほんとうは全部を通してゆっくり読んでいただきたいというくらい、まとまりを考えての執筆なのですが、ネット上では、書籍のような長文は読みづらいようです。特に、最近はパソコン端末で読む方や、さらには、プリントアウトして熟読する方が減って、携帯やスマホ画面で読む方が増えたようで、長文は扱いづらいようですので、何回かに分割しての連続掲載とします。(ここまででも長いですね。申し訳ありません。)

■名録音を残したエヴェレスト・レコードの特異性
 今から50年以上も昔、世にステレオLPレコードが登場したばかりの黎明期、1958年5月に、アメリカ、ニューヨークの一隅で「エヴェレスト」という新しいレーベルが誕生した。しかし、それからわずか2年余り1960年の暮れを待たずに、創業者ハリー・ベロックは、保有していたエヴェレスト社の全株式を売却し、この事業から身を引いてしまった。副業として始めたこの部門が、思ったほど利益を生まないと、役員会で問題になったからと言われている。
 ハリー・ベロックは、映画用の35mm幅のフィルム全面に特殊な磁性体を塗布した録音テープを考案し、それを使用することが出来る録音機と再生機を、ウエストレックス社に特別注文で製造させた人物だった。当時の米ドルで1台あたり約2万ドルだったと言われているから、日本円で720万円相当、今の物価水準ならば、5千万円以上の資金を、一台の録音機に注ぎ込んだことになるだろう。軍需産業の分野で得た富を惜しげもなく使って、この画期的な事業を始めた、いわばベンチャー・ビジネスの雄だったわけだが、米エヴェレストの誇る驚異的なハイファイ・サウンドのレコードは、この、ベロックが関わっていたわずか2年余に制作された100点足らずだけである。一部のオールド・レコード・ファンが、その後のエヴェレスト盤のラインナップを見て誤解しているようだが、それは、次々に登場した別の経営者らが、エヴェレストの名声を利用して発売する新譜のために、様々の音源の買い付けを繰り返したからだ。
 しかも、ベロックが1台ずつ特注した特殊な録音/再生装置が、名録音エンジニアとして知られるロバート・ファインの手に渡って、マーキュリーおよび、コマンドという他のレーベルのオリジナル録音用に活用されるようになったことから、後のエヴェレストの再発売盤は、通常の4分の1インチ幅の録音テープにダビングされたものから制作せざるを得なくなった。そのため、当初の驚異的なサウンドが聞こえない粗雑なものに堕してしまったことも、その後のエヴェレスト・レコードのイメージを貶める要因となっていったと思う。
 最近になって日本ウエストミンスターから発売されているエヴェレスト音源のCDは、前述のオリジナルの録音テープにまで遡ってデジタルデータで取り込み、それらの驚異的スーパー・サウンドを、これまでにないほどクリアに再現して順次聴いて行こうというシリーズ。当アルバムは、そのストコフスキー・シリーズとしては第1弾である。
 このCD音源の提供元はドイツに本拠を置くカウントダウン・メディア社。米ヴァンガード(米オメガ社)が1995年以降に音源の権利を得て行なった大規模プロジェクトの成果を引き継ぎ、近年、最新技術による音質改善を試みている。したがって、かつての通常テープからのCD化と思われる2005年頃からイギリスで発売され始めたエヴェレスト復刻シリーズのCDとは、明らかに音質が異なっている。(これに関しては、シリーズ第2弾で詳述する。)

⇒以下、本日すぐ、続きを掲載します。
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