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クリスティーヌ・ワレフスカの演奏を「驚天動地」と表現したドヴォルザークのチェロ協奏曲

2013年03月25日 10時42分58秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 別のところにも書いた記憶がありますが、「驚天動地」という四字熟語は、ワレフスカのチェロの魅力とすっかり重なり合ってしまった観があります。じつは、先週の木曜日に発売されて、きょうも店頭に並んでいる「週刊新潮」のアート情報欄(135ページ)の、今回の来日ツアーで唯一の協奏曲公演(群馬県藤岡市)での曲目、ドヴォルザークに関する記事中に私のコメントで、またしてもこの「驚天動地」が登場してしまいました。15分か20分ほども取材でお答えしたのですが、やっぱり、この分かりやすい言葉が残るのでしょう。私も長年、書籍の編集者でしたから、そのあたりの文章のコツのごときものは、よくわかります。
 確かに、ワレフスカのチェロは、時として最初の一音で聴くものを魅き付けるものがありますし、その感情の振幅の大きさ、包容力は、正に、チェロという最もヒューマンな楽器を弾くべくして生まれた人なのだと思わせるものがあります。だからこそ、私が初めて彼女のドヴォルザークのレコードを聴いたとき、「驚天動地とは、こういう演奏を言うのだ」と書かせてしまう力となったのです。
 ただ、その独特の力は、現在復刻されて流通しているCDからは、残念なことに、聴き取ることはできません。最近の復刻CDでしばしばあることですが、劣化してしまったマスターテープから制作された復刻CDの宿命なのかも知れません。いつの日か、LPレコードから、最良のコンディションで、盤起こしの収録・制作CDを作りたいと思い始めています。
 なお、次善の策として、10数年ほど前に駅頭やスーパーのワゴンなどで売られていた「BELART」というレーベルで発売されていたCD(サンサーンスの協奏曲が1曲併録されています)が、比較的、オリジナルLPから聞こえてくるワレフスカのチェロの力を伝えてくれます。3年前の東京公演ライヴのCD(日本ウエストミンスターから発売)も良好です。
 でも、できることなら、4月5日(金曜日)に東京の紀尾井ホールをはじめ各地で行なわれる、福原彰美のピアノ伴奏によるリサイタルに、ぜひお出でください。確か、まだそれぞれ若干チケットがあるはずです。紀尾井ホールでのリサイタルは、日本ウエストミンスターから2枚目のライヴ盤を発売するための収録も決まっていますので、演奏する二人とも、万全の準備を進めています。私も、このところ、幾度か、スピーカーを通さず、直接、目の前のワレフスカの音に触れて、感ずるところ大でした。(じつは、昨日、湯河原の「檜ホール」で行なわれたリサイタルも聴きました。満席の会場にワレフスカのチェロが響きわたっていましたが、総ひのき造りのホールも、かなりいい音がしていました。また行きたいな、と思ったホールです。)

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チェロの女王、クリスティーヌ・ワレフスカ来日! タワーレコードでサイン会とミニライヴ

2013年03月19日 16時01分39秒 | ワレフスカ来日公演の周辺


 私が最も注目し続けているチェロ奏者、クリスティーヌ・ワレフスカが3度目の来日を果たし、今日からコンサート・ツアーが始まります。詳細はワレフスカ公式HPにスケジュールが発表されているので、ここでは触れませんが、タワーレコード渋谷店でのサイン会とミニライヴが決まりましたので告知します。今週末、23日(土曜日)14時から予定されています。もちろん、入場無料です。ぜひお出でください。
 メインの、福原彰美のピアノ伴奏で行なわれるリサイタルは、今回も全国各地で開かれますが、その内、東京の紀尾井ホール、4月5日(金曜日)はCD発売を予定してのライヴ収録が決まっています。
 なお、今回の来日ツアーでたった一度きりの「協奏曲の夕べ」が、31日(日曜日)群馬県藤岡市の、みかぼみらいホールで行なわれます。共演はエリック・ハイドシェックの大きなテンポの動きのピアノを見事にサポートし、ハイドシェックの要請で仏盤CDにその妙技が残されている田部井剛指揮カメラータ・ジオン。曲目がドヴォルザークのチェロ協奏曲ですから、これも聴きのがすわけにはいきません。上野駅から高崎線の快速で2時間足らずなので、私も駆けつけます。
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竹久夢二と斎藤佳三のデザイン楽譜

2013年03月07日 14時45分51秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
▲写真は、斎藤佳三による楽譜表紙デザインの一例

 以下は、2月23日のこの場所に掲載した内容の続きとなるものです。『セノオ楽譜と大正クラシックス』と題する美術展が「高畠華宵大正ロマン館」で開催されるため、その解説文として執筆したものの一部です。展覧会の詳細その他は、2月23日の当欄をお読みください。

■夢二と佳三のデザイン楽譜
 「セノオ楽譜」は、その本格稼動となった大正4年以降、明らかに路線変更があったが、それが、「第4集」とされた『夜のしらべ』から開始されているのは興味深い。「夜のしらべ」とは「セレナーデ」のことで、当時「小夜楽」「小夜曲」などとも訳されていた。窓辺で女性に愛を囁く歌として、マンドリンやギターを抱いた吟遊詩人や、月が美しく映る川辺のゴンドラのイマジュリィと共に日本に入ってきたばかりの、今で言えば「トレンディ・アイテム」であった。この大正4年9月に発行された『夜のしらべ』が相当な売れ行きだったことは、その直後、妹尾幸次郎に説得されて様々の日本語歌詞を提供した堀内敬三の証言からもわかる。そして、この、女性向け商品イメージへの転換をより確実にしたのが、わずか半年後の大正5年4月発行の第12集『お江戸日本橋』表紙絵への竹久夢二の起用だった。夢二自身も、マンドリン演奏に強い関心を抱いていたことが知られている。
 夢二を妹尾幸次郎が起用したいきさつについては、様々な憶測がある。だが、客観的事実としてわかっていることのひとつに、大正7年6月16日に開催された「『少女』音楽大会」が、妹尾がかつて記者として在籍していた時事新報社の主催で行なわれているということがある。会場の帝国劇場は、立見席が出るほどの大盛況だったと伝えられている。
 この大会が、前年から月刊雑誌『少女』の読者アンケートの形で進められ選定された「少女愛歌」16曲を中心としたイベントだったということからも、数年前に時代の流れを読み取っていた関係者が、立案して徐々に練り上げて行った結果だったと考えていいだろう。そして、時事新報社に所属し、音楽関係者への取材をしていた妹尾が、そうした動きを事前に嗅ぎ取っていたこと、あるいは、直接聞かされていたということは、充分にありうる事だ。新聞記者が時代の風潮に敏感なのは、いつの時代も変わらない。この時期、夢二は既に「月刊・夢二ヱハガキ」が注目されていたのだから、何らかの決意を抱いて「セノオ音楽出版社」を立ち上げた妹尾が、読者に向けて路線変更を強烈に印象づける作戦として、「夢二」の起用を考えたとしても不自然ではない。
 夢二の最初のセノオ楽譜は『お江戸日本橋』だったが、その3ヵ月後の8月には『君よ知るや南の国』など、堀内敬三の詞によるオペラの一場面の歌にも夢二が登場。少女たちを夢中にさせたセノオ楽譜の路線が定着するまでに、それほどの時間はかからなかった。
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 大正7年9月には、夢二自身が作詞したヒット曲『宵待草』が「セノオ楽譜106番」に登場するが、夢二は、その前年、大正6年6月発行の「第44番」で、既にセノオ楽譜に「作詞家」としても参加している。ちょうどその頃から、夢二ほどの点数ではないにしても、セノオ楽譜の表紙絵のもうひとりの常連、斎藤佳三が起用されている。大正・昭和期、黎明期の日本の作曲界をリードしたひとり山田耕筰の一年後輩で、共に東京音楽学校に学び、いくつかの歌曲も明治末期に発表している。言わば、夢二と異なり佳三は「作曲家」だったというわけだ。
 佳三が、日本における西洋音楽受容を明治初期から一貫してリードしていた唯一の官立の音楽学校である東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)に入学した明治38年、学校内は、折からのオペラ・ブームとなっていた。明治35年に欧州から帰国したばかりの岡田三郎助が、隣りあわせの東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)図案科教授となり、音楽学校生たちのあいだで盛り上がっていた「歌劇研究会」による日本人初のオペラ上演に舞台美術で協力。7月に試演されてから、まだ2年余という時期だったからである。
 斉藤佳三は、音楽学校入学の翌年、明治39年には、日本初の創作オペラ『羽衣』(小松耕輔作詞・作曲)に漁師役で出演してしまう。そして、すっかり舞台美術の世界に魅せられて音楽学校を中退。隣の美術学校に、岡田三郎助を頼って転入してしまったという経歴の持ち主。その後佳三は、小松耕輔の第2作のオペラ『霊鐘』にも出演して歌っている。このオペラは小松が、やがて帝劇オペラの作詞家として活躍してセノオ楽譜の常連にもなった小林愛雄と組んだ作品だったから、その後、舞台美術の仕事を模索していた佳三が、帝劇公演にも関わっていた可能性があるのだ。そして、妹尾幸次郎に佳三を紹介したのも、この小林愛雄だったのではないだろうか?
 舞台美術、舞台衣装などを手がけながら音楽関係の仕事を続けていた佳三だけに、佳三のデザインした表紙からは、独特の音楽的リズムが感じられる。佳三が、そうした韻律、リズミカルな繰り返しをデザインとして理論化していった背景には、佳三の音楽に対する深い理解があったのである。佳三はセノオ楽譜では、その音楽に対する知識を生かして、いくつかの訳詞での参加が見受けられるが、次第に、デザイナーとしての様々な仕事に傾注するようになっていった。
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石黒浩己のニューアルバム『Canvas――風景の見える音楽』リリース後の初ライヴを聴きました。

2013年03月02日 12時07分42秒 | 雑文
 昨夜は、六本木のライヴ・スポット「ソフトウインド」で、作曲家でピアニストの石黒浩己とパーカッショニストの竹本一匹によるデュオがありました。私がライナー・ノーツを書いた新しいCDアルバム『CANVAS――風景の見える音楽』(キングレコード)が発売されたばかり、いつもの彼らのライヴ会場も、とてもいい雰囲気の熱気があふれていました。アルバムの詳細は、石黒浩己氏の公式HP
http://www.hirokiishiguro.com/canvas/index.html
にありますし、私の、かなり長めのライナーノーツも、曲目一覧に続けて全文掲載されていますから、きょうは、昨夜の演奏で思ったことをひとこと、ブログ風に。
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 アルバム完成までに、さまざまなことがあった石黒は、昨夜、いつになくよく歌うピアノを弾いていました。いわゆる癒し系ピアノのひとつと見なされている石黒の音楽ですが、私は改めて、石黒浩己は、ピアノに自分の心を投影しようとあがいている音楽家のひとりなのだと確信しました。単なる商業音楽になってしまっている「癒し」ではないのです。彼の、決して多いとは言えない熱心なファンが、昨夜も集結していましたが、彼ら彼女らが、それぞれの想いを抱いて石黒の音楽を聴いているのが、私にも感じられました。そして、いつになくよく歌っていたピアノに、竹本一匹のパーカッションが、とてもソウルフルに応えていました。ふたりで、とても濃い、たっぷりとした音楽になっていたのです。それは心地よい時間の流れを、私に与えてくれました。
 そういえば、だいぶ以前、竹本がいつになく石黒のピアノに切り込んで、かなり掻きまわしていた日の演奏の帰り、私が、「きょうはずいぶん突っ込んでたね」と声をかけた時のこと。竹本が小声で、「じつは石黒さん、きょう指の調子が悪くて、不安でへこんでたんです。内緒ですけど…」と教えてくれたことが忘れられません。友情に支えられたデュオ・ライヴの醍醐味です。
 クラシック音楽ではいつもレコード・CDに残された演奏を基準にして語っている私ですが、じつは、目の前に繰り広げられる演奏について語るのは、意識的に避けているという面もあるのです。感動は私の内にあればよいことで、音楽評論は感動を生みだす仕掛けとしての「解釈」を語るものだということ、そして、その「解釈の歴史」を語るものだというのが私の考えだからです。それは、舞踊家であった父親の仕事を幼いころから見ていて、本番前の打ち合わせ、演出のやり直しの面白さまでも舞台袖から見て、幼いころを過ごした私の「幸福」でもあります。
 だからこそ、なのです。昨夜は、「音楽は、例えば波頭の潮のしぶきのように、生まれるそばから消えていくものだ」ということを、久しぶりに実感した夜となりました。石黒の音楽は、私にとって、そういう接し方をさせてくれる音楽なのです。

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