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『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評1957~1966』凡例

2009年03月01日 11時20分41秒 | 音楽と戦後社会世相
 昨日の続きです。合わせてお読みください。


●凡例●

・本書は、音楽出版社発行の月刊雑誌『LP手帖』における、創刊一九五七年一月号から一九六六年一二月号までの十年間に掲載された〈新譜レコード月評〉を編年体で抜粋収録したもの。抜粋にあたっての編者の基準は以下のものである。
 ①今日にまで名盤として残る演奏の、日本での初発売当時の評価として興味深く読めるもの。この時代の傾向、好みなどがはっきりと読み取れるもの。
 ②発売当時の特殊な時代背景や出来事などが感じられるもの。
 ③今では忘れられてしまった演奏だが、発売当時は意外なほどに高く評価され、ぜひとも復刻盤発売で再検討してみたい演奏。
 ④レコード批評としての原点を感じさせるもの。レコード批評と時代とのかかわりを感じさせるもの。レコード批評の変遷を考える上で参考となるもの。
・本書への収録にあたっては原典のニュアンスを尊重して文字づかいは原典通りとし、明らかに誤植、誤記と思われるもの以外は、なるべく手を加えないこととした。ただし、わずかに用いられていた旧字体、旧かなづかいは現行のものに改め、一部の筆者が用いていた「絃楽」は「弦楽」に統一した。また、速報性を求められる「月評」という性格から、必ずしも推敲を重ねられた文章とは思えないものが散見されるので、読者の便を考え、最小限の範囲で読点、接続詞などを補ったものが若干ある。
・作曲者名、作品名の表記は原典通りを原則とした。したがって、現行と異なるものが多数のこり、また、本書中での不統一も発生しているが、それぞれ発表当時の表記としてご覧いただきたい。現行表記との異同、特に演奏者名に関しては、適宜、各ページ左端の註解で補った。
・収録数を確保するため、原典で改行されているところは、すべて「/」を用いて明示し、そのまま続けた。また、編者の 判断で適宜、省略を施した。原則として(略)(中略)(以下略)と明示したが、文頭にしばしば見受けられた前欄との 接続的話題や、文末に補足的に書かれることの多かった試聴盤の盤質や音質への言及などは、特に明示せずに省略した。
・当時の月評をそのまま再録するという方法を採ったので、付せられた規格番号は、当然のことながら発売時のレコード番号である。原盤ソースなどの特定に便利なように、適宜、各ページ左端(紙面の都合で次ページに回り込んでいる場合もある)に註解を施した。註番号は、本文の規格番号と同じとした。
・註解では、それぞれのレコードの日本での初回発売時期、ステレオ録音のモノラル同一音源先行発売時期などに、かなりこだわって記載した。輸入盤が一般では入手が難しかった時期だけに、一般的には日本でいつから聴くことができたか、という視点の資料としても意味を持たせたものである。
・録音年は、特に異盤の存在などで必要と思われるもの、調査が困難と思われるものに明記した。それ以外は、通常のカタログ類の記載で代用されたい。
・註解では、本文中で語られている他盤、別録音に関する記述などの補足も行なった。
・原盤ソース、録音年に関しては綿密に調査をし、一部は編者の推論で記載した。出来得るかぎり正確を期したつもりだが、誤り等があれば、ご指摘いただきたい。
・註解欄にはスペースの都合を勘案しながら、関連レコード盤の写真を掲載した。編者の所蔵するものから、頻繁に見かけるものは避けて選択したが、逆に、掲載すべきもので、手元にないため掲載出来なかったものに関してはお詫びするほかない。



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『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評1957~1966』まえがき

2009年02月28日 19時38分19秒 | 音楽と戦後社会世相






 昨日まで、10回にわたってブログに再録した1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957~1966年』(音楽出版社)の冒頭に載せた「前書き」です。どんな本なのかがおわかりいただけるかと思い、掲載します。結果的に、私の「レコード批評雑誌観」が表われているようにも思います。なお、以下の文中にある「凡例」は、明日、このブログ上に掲載します。




■編集にあたって―――――――――――――竹内貴久雄

 クラシック音楽専門誌『LP手帖』は一九五七(昭和三十二)年一月の創刊号以来、一九八三年一、二月合併号までの二十六年間にわたって刊行された。創刊以来の編集長であり社主でもあったのは、長年にわたってクラシック音楽誌の編集に携わっていた故沢田勇。そして、その沢田を創刊準備の段階から、物心両面にわたって強力にサポートしたのが、音楽評論家の高橋昭、佐川吉男、田代秀穂(故人)であった。『LP手帖』は、この四名による、正に同人誌的な結合と高い理想に支えられて創刊された。
 四名は毎月、企画の立案から月評の選定、原稿執筆、寄稿依頼、編集作業、といった一連の仕事をこなしていった。企画会議が長引き、編集長宅で深夜に及んで議論が続くこともしばしばだったという。今にして思えば、『LP手帖』は、クラシック音楽を素材にした出版事業というよりも、クラシック音楽を愛するという、その一点を牽引車にして歩み続けた雑誌だったのかも知れない、という感慨が、かつて少年時代に読者としてこの雑誌に接していた私の中に浮かんでくる。
 私の友人に、「学生時代に沢田編集長に会った」という男がいる。彼が、東京銀座のレコード店でレコード探しをしている時のことである。『LP手帖』をたくさん抱えたひとりの年配の男性が入ってきて、「刷り上がったばかりです。よろしく」と言って店員と歓談を始めた。愛読者だった私の友人が話しかけたところ、その紳士はとても嬉しそうに笑顔を浮かべて、「それでは、今月は特別に」と言って、出来たばかりのその雑誌を一冊進呈されたという。名前は名乗らなかったそうだが、私の友人は、今でもその紳士を沢田編集長に間違いないと言い張っている。『LP手帖』という雑誌は、それほどに、〈会社〉という正体の見えないものではなく、それを発行している人、執筆している人の〈顔〉が見えてくる、〈体温〉を持った雑誌だった。
 月評欄に限らず、幅広いエッセイ、インタビュー、動向記事など、どれも、いわゆる便利ガイド的に平準化されたものではなく、執筆者の個性あふれる真摯な批評精神が漲っていて、評価するもの、批判するもの、いずれも論旨明快だった。特に、LPレコード時代の初期から、六〇年代の続々と新人演奏家が登場してきた時代は、『LP手帖』が最も輝いていた時代だったと思う。今でも、「あの頃の雑誌には元気があった」と語る人が多くいるのは、理由のあることなのだ。
 本書は、そうした『LP手帖』の創刊から十年間の月評から、編者が自由に選択して年度ごとに再編したものである。選択の基準については8ページの「凡例」に詳しいが、本誌の精神を伝えるためにも、敢えて、批判的な内容の記事や、執筆者が明らかに嫌悪していることが受け取れるレコードの評も、当時の時代風潮として、再読する意味を感じるものは積極的に採り入れた。それは、〈名演盤の評論史〉としてだけではなく、今日、明らかに低迷、停滞しているレコード・CD批評にとって指針ともなるはずである。かつて、レコード評は、これほどに書き手個人の営為であり、熱く語られるものであり、読者もそれに共感したり反溌しながら、一枚一枚のレコードにあふれるほどの愛情を注いで購入していたのだった。
 共感と反溌、この両者がなければ、それは評論ではなく単なる〈紹介〉である。今回の編集にあたって、私が最も大切にしたのが、このことだった。
 紙幅の制約から、あまり多くのことが出来なかったが、《CD世代の斜め読み》と題してコラム欄を設けたのも、そうした考えの延長にある。執筆者には、今の時代にCD評で活躍している方々をお願いした。レコード(CD)評は、いつも、それが書かれた時代とともにあるし、絶えず世代間のギャップや無理解にも晒される。そうしたことが伝わればと思い、寄稿されたままを掲載した。〈わけ知り顔〉の無難な意見は、むしろなるべく避けたつもりである。また、各人の意見に必ずしも私自身が賛成しているわけではない。賢明な読者ならば、あたかも〈タイム・カプセル〉がごとき本書もまた、往年の名演奏家の復刻CDのように毀誉褒貶がある、ということの一サンプルとして読んでいただけるだろうと期待している。
 各年度ごとに設けた冒頭の解説、および、各ページ左端の註解は編者の責任で執筆した。CDしか知らない世代の音楽ファンの方に、当時のことを少しでも知っていただこうという目的と、往年のファンの方には、長年信じ込んできた誤情報の訂正、整理をしていただこうと思っている。長い間には、錯覚が定着してしまっていることを、私自身も痛感しながら、今回、調査し直したことを告白する。
 本書は期せずして、レコード評の変遷に対する私の持論を精査するよい機会ともなった。私自身は、厖大な月評記事から一割にも満たない部分を拾い上げる今回の作業から得たものは大きかった。もし、選択された評にある種の偏りがあるとしたら、それが私の〈『LP手帖』論〉だとして、ご寛容いただきたい。本書もまた、ひとつの批評対象として生み落とされた〈個性〉であると自負している。



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クラシックレコード事情と社会世相(その10/いよいよ始まったレコード会社の「資本主義攻勢」)

2009年02月27日 07時52分16秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第10回」、最終回です。


◎昭和四十一年(1966年)

 昭和四十一年度(一九六六年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(交響曲)、沢田勇(一月~七月の管弦楽曲/一七センチステレオ盤)、垪和昌夫(七月~十二月の管弦楽曲/一七センチステレオ盤)、渡辺学而(一月~五月の協奏曲)、家里和夫(七月~十二月の協奏曲)、高橋昭(室内楽曲/器楽曲)、松永長男(声楽曲)、竹内昭一(一月~三月のオペラ)、松永長男(四月~七月のオペラ)、佐川吉男(八月~十二月のオペラ)、秋山邦晴(九月~十二月の現代音楽)、秋山竜英(十月~十二月)

 一九六四年頃から本格的に始まったグラモフォンの〈カラヤン・キャンペーン〉が、この年の春のカラヤン/ベルリン・フィル来日公演で頂点に達した。
 カラヤンは、ベートーヴェンの交響曲全集あたりから、グラモフォンの看板になり、〈グラモフォン完全専属〉〈カラヤン/ベルリン・フィルの最新盤は全てグラモフォンで発売〉といった広告が毎月のように登場した。コロムビア、ビクターの両老舗に、英デッカ=ロンドンのキング、EMIを手中に収めた東芝、といった強豪のなかで、いくらか影が薄かった日本グラモフォンが、やがて、今日のようなトップの座を獲得する長い道程のスタート時期と言ってよいだろう。
 誰がどこで言い出したものかわからないが、ベルリン・フィルは最高のオーケストラ、その音楽監督は最高の指揮者、そのレコードを出すグラモフォンがトップの会社、といった分かりやすい図式がいつとはなしに語られるようになっていったが、今になって、雑誌のバックナンバーを見ていると、確かに一九六四年頃からのグラモフォンの、カラヤンに集中したかの感のあるキャンペーンは、確かに〈絵になって〉いる。前年六月新譜だったカラヤン/ベルリン・フィルによる七枚組のブラームス全集の広告に、次のような文章が掲載されている。
 「カラヤン=ベルリン・フィルの素晴らしい名演をお届けします。この豊かなブラームスは、彼の持つ二つの側面、即ち古典的世界への志向と、情緒こまやかなロマン的資質との美しい糾れや調和を、微妙に流麗に描出し、しかも深遠で雄渾な表現の世界を創り出しています。この演奏の大成功の原因の一つは、カラヤンとベルリン・フィルの結びつきが、一層内面的に深化して、緊密な統一感を生み出しているからです。」
 わかったようでわからない相当に厚化粧の文章だが、力を入れていることだけはわかる。この文に続けて、「カラヤンとベルリン・フィルの新録音盤は、下記の〈運命/未完成〉(日本グラモフォンの要請で録音)をはじめ次々に発売される予定です。どうぞ御期待ください」とある。日本はこの頃から、世界のレコード市場の中の優良児になっていった。
 六月号の巻頭言に、「きくところによると、外来演奏家のレコードの売り上げは、空前のことだったらしい。他人の懐をあてにするわけではないが、そうした利潤を音楽愛好家に還元するような積極的な方策をこの際とるべきであろう。」(門馬直美)とある。そして、その提案のひとつと言えるものが九月号の巻頭言にある。
 「邦人演奏家の録音や日本人の作品のレコーディングは、日本コロムビアあたりで特に最近活発におこなわれているが、もっと各社も、この方面を開拓してみてはどうだろうか。(中略)やはり日本のレコード会社である以上、そうしたものを育て、保存する義務があるのではないだろうか。」
 おりしも、この年ビクターから《武満徹作品集》が発売された。




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クラシックレコード事情と社会世相(その9/レコード購入者を急増させた「パンチ穴」付きのバーゲン盤)

2009年02月26日 10時46分02秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第9回」です。


◎昭和四十年(1965年)

 昭和四十年度(一九六五年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(交響曲)、沢田勇(管弦楽曲/25センチ・17センチ盤)、渡辺学而(協奏曲)、高橋昭(室内楽曲/器楽曲)、松永長男(声楽曲)、東川清一(四月~六月の声楽曲)、福田達夫(四月、六月の声楽曲)、藁科雅美(オペラ)

 六〇年代に入って、急速にはずみのついた〈LPブーム〉によって、空前の売上を記録していたレコード界だが、そうした加熱した需要は、中古市場にも活況をもたらしたようで、この頃になると、中古レコード店の数は相当に増加していた。〈積んどくより、売り得〉といったキャッチフレーズの中古店の広告が、誌面にいくつも現れるようになる。 今でも営業している東京・銀座の〈ハンター〉の広告に、「バーゲン盤」という言葉があって、目にとまった。前年の四月号に掲載されている門馬直美の小文を見てみよう。
 「最近、レコードの廃盤というのが目立って多くなってきた。欲しいと思って買いにでかけると、もう廃盤になっているというのである。(中略)巷間では、いいと思ったレコードは、すぐに買うべしという声すらある。(中略)/ところが、おかしな現象がある。世にゾッキレコードというもののことだ。このレコードがどこからどのようにして店頭におかれることになったのか知らないが、ここに廃盤レコードがおさまっている。廃盤をさがすなら、ゾッキ・レコードをさがせということになる。学生たちや音楽愛好者たちは、結構、このゾッキ・レコードを利用している。しかも新品同様であり、値段も半額ぐらいである。レコード会社は一体何をしているのだろうと思えてくる。/ただ、このゾッキ・レコードは、レコード愛好者の数をふやすのには成功したようだ。ゾッキ・レコードも、こうなるといいのか悪いのかわからなくなる。」
 ここにいう「ゾッキ」はもともと古書界の用語だが、このゾッキ・レコードこそ、〈バーゲン盤〉のことだろうと思う。この商品は、数年前に起こった海外のレコード会社との原盤契約再編がからんだ番号切替や、実質値下げによる番号切替などでの旧規格番号のメーカー放出品だったと記憶している。これらには、ジャケットの隅にパンチ穴が付けられて不当返品を防止していたので、通称〈パンチ盤〉とも呼ばれ、筆者もそのひとりだったが、有難く買っていく人が多かった。一律半額というような売り方だったと記憶している。
 ところで、四月号の門馬直美の巻頭言に、次のような記述があった。
 「このごろは、レコード・コンサートの客の入りが目立って減ってきたそうである。小生自身、レコード・コンサートをあまり体験していないので、正確なことはわからないが、大きな都市ほどその傾向がでてきているという。(中略)レコードはひとりで楽しむものと考えられてきたのだろうか」
 想像の域を出ないが、おそらくその通りだったのではないだろうか。LPの急速な普及の背景には、家庭での再生装置の普及があったはずだからである。LPレコードのデモンストレーションの時代は終わっていた。テレビの普及とともに、街頭テレビが姿を消したのと同じことだろう。だが、だからと言って、誰もが、豊富なLPコレクションを持っていたわけではない。相変わらず名曲喫茶での未知の曲との出会いは有効だったし、同じ意味で、良質な音で聴けるFMラジオの本放送を望む声も高まっていた。FMは、かなり前に放送を開始してはいたが、いわゆる予備免許による実験放送という位置付けのまま、棚ざらしされていた。そのため、一日の放送時間が満足のできる状態ではなかった。




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クラシックレコード事情と社会世相(その8/17センチLPの隆盛と、30センチ「廉価盤」の登場)

2009年02月25日 10時06分47秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第8回」です。


◎昭和三十九年(1964年)

 昭和三十九年度(一九六四年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(交響曲)、沢田勇(管弦楽曲/二五センチ・一七センチ盤)、渡辺学而(協奏曲)、高橋昭(室内楽曲/器楽曲)、松永長男(声楽曲)、藁科雅美(オペラ)、植村耕三(音楽史、二月まで)

 《クラシック普及盤》としていた欄が、前年の四月号から《二五センチ・一七センチ盤》と替っている。これは、クラシックの普及は、まだ底辺が広げられるとみたレコード各社が、手軽に買える価格の商品として、三三回転の一七センチLPをシリーズ化して発売し始めたからだった。これも、レコードが高かったからで、今、一〇〇〇円以下で買えるCDがある中で、だれもCDシングルのクラシック・シリーズなど企画しないだろう。再発売音源ばかりなので本書には収録していないが、月評では毎月丹念に取り上げ、予算の少ないファンのためのガイド役を果していた。《未完成交響曲》や、《運命》、《アイネ・クライネ》、《熱情ソナタ》など一枚に全曲収まり、五〇〇円で買えた。
 しかし一七センチ盤のメリットは、それだけではない。短い曲の場合に、LPでは避けて通れなかった抱き合せ問題がない、ということもあった。一曲の序曲が聴きたいために、六曲も収録された序曲集を買うということがなくなるわけだ。せいぜい一曲がウラ面に付いているくらいで済む。ピアノやヴァイオリンなどの小品でも同じことが言えたが、それはSP時代の感覚に近いものだった。『LP手帖』誌からも、そうした視点の発言がでてきた。翌年十月号の「一七センチ・ステレオ盤ガイド」(小林利之)という特集記事だ。
 「一七センチ盤が、これほどの隆盛を見ようとは、ほんの二、三年前までは考えられもしなかった。(中略)クラシックは、LP出現以後、ネコもシャクシも交響曲、協奏曲、の大曲中心になってしまって、小曲などは、余白に入っているとか、あるいは、誰それのリサイタル盤と称して、十数曲の小品がつめこまれるというふうに、曲そのものを聴くのではなくして、演奏家のいろんな手すさびを、それらの曲で聴くという傾向に進んで来た。つまり、クラシックは三十センチ盤でなくては、レコードではないようにさえ扱われて来たのである。これは、はたして正しい音楽鑑賞のありかただろうか。そうではあるまい。世界の名曲は、三十センチ盤につごうのいい長さには、なかなか出来ていないのである。」
 このあと、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴きたいのに、たいていチャイコフスキーが付いてくるとか、「未完成/運命」の抱き合せで、未完成が静かに終わったあと、運命の第一楽章が轟きわたるのはおかしい、といった、なるほどといった意見が続く。「一曲一曲と、小曲で音楽に親しむという面白みが、LP以後、まったくと言ってよいほどなくなってしまったのである。」我が意を得たりと思ったファンは多かっただろう。
 一七センチ盤は、この後も続々と登場した。コンパクト盤という名称が次第に定着して、同時に、これまであった二五センチ盤は姿を消していった。二五センチ盤は、収録サイズとしては中途半端になってしまったからだった。
 しかし、そうした一七センチ盤一枚五〇〇円による低価格路線とは別の動きも、一九六四年に起こった。三〇センチ・ステレオの一二〇〇円盤の登場である。発端はビクター系で、RCA原盤のビクターとフィリップス系原盤のフォンタナから〈コンサート・ギャラ〉というシリーズで発売され、やがて各社から同様の価格盤が発売されるようになった。これまでの廉価盤とは異なり、レギュラーサイズによる廉価盤の初登場だった。




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クラシックレコード事情と社会世相(その7/巨匠時代の終焉とレコード業界事情の関係)

2009年02月24日 11時57分12秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第7回」です。


◎昭和三十八年(1963年)

 昭和三十八年度(一九六三年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(交響曲)、沢田勇(管弦楽曲/普及盤)、宇野功芳(五月までの協奏曲)、渡辺学而(六月以降の協奏曲)、上野一郎(九月までの室内楽曲/器楽曲)、高橋昭(十月以降の室内楽曲/器楽曲)、松永長男(声楽曲)、藁科雅美(オペラ)、植村耕三(音楽史)

 この年の二月には、いよいよEMI系の音源が東芝の〈エンジェル〉に統合され、東芝の攻勢は、全体の活況に大きな刺激になった。
 二月号の《交響曲》月評の冒頭には、次の一文がある。「依然として再発のレコードが多いが、新発売で面白いのも目につく。このまま新しいレコードの態勢を進めば、これからがいよいよ楽しみになるというところだろう。/レコード界のレーベルの分布図もそろそろ変化をみせてきた。東芝エンジェルがイギリスのコロムビア系を独占することになり、今年は大いにはりきり、大きな企画もたてたいと奮闘中である。」
 一方、発売音源が手薄になった日本コロムビアは、日本ウエストミンスターが末期に開始した〈ヴォアドール〉レーベルで道を開いた仏エラートの発売に力を入れはじめた。同じく〈ヴォアドール〉から出ていた英パイも発売するが、エラートの豊富な内容の方がはるかに光っていた。また、米エピックが、CBSグループ(米コロンビア)の関係から日本コロムビアに移ってきたので、これにも力を注いだ。エピックはジョージ・セル/クリーヴランド管がメインの演奏家だった。
 日本コロムビアの原盤供給先の減少はまた、国内制作の重視へと目が向いて行くことともなった。渡辺暁雄/日本フィルの《シベリウス/交響曲全集》や、岩城宏之/NHK交響楽団の《ベートーヴェン/交響曲全集》の完成は、こうした流れの延長上の成果だった。
 いずれにしても、一九六一年に空前の売上を出したレコード業界の上昇機運は続いており、日本は、アメリカと並んで〈レコードの売れる国〉となりつつあった。前年に発足した〈コンサート・ホール・ソサエティ〉も順調で、この年の広告には「すでに三〇万人が入会されました」とある。にわかに信じ難い数字ではあるが、好調であったことは間違いない。モノラル一一五〇円、ステレオ一三五〇円が頒布価格だった。
 レコードの売行き好調の背景にあるのは、演奏会主体のヨーロッパと違って、日本の音楽ファンが音楽を聴く機会は、圧倒的にレコードが大きなウェイトを占めてことがあるが、過剰ぎみの供給に対して、室内楽曲と器楽曲の月評を担当していた上野一郎の新年号の所感には、こんなくだりがみられる。
 「発売数に比例して今月はいいレコードが少なかった。思えばこんなにレコードが洪水のように出る国は、世界中どこを探してもない。英米のメージャー会社でも毎月の新譜はせいぜい十数枚どまりである。物量作戦も結構だが、そのために良いレコードが早急に姿を消してゆくのは残念である。」
 だが、今にして思えば、この一九六〇年代は、戦前からのいわゆる往年の名演奏家のレコードに対して、若い新しい演奏家による最新ステレオでの録音が矢継ぎ早に登場した時期でもあった。モノラルからステレオへの移行期というこの時期なればこその、チャンスを与えられた演奏家のフレッシュな感覚に、毎月のように触れられた幸福な時代だったとも言える。これほど新人が登場した時代は、それまでなかったのである。




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クラシックレコード事情と社会世相(その6/名曲喫茶の隆盛と中古レコード店の台頭))

2009年02月23日 09時51分52秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第6回」です。


◎昭和三十七年(1962年)

 昭和三十七年度(一九六二年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 宇野功芳(交響曲)、沢田勇(管弦楽曲/クラシック普及盤)、門馬直美(一月~七月、および十月以降の協奏曲)、矢島繁良(八月~九月の協奏曲)、上野一郎(室内楽曲/器楽曲)、松永長男(声楽曲)、藁科雅美(オペラ)、植村耕三(音楽史)

 前年に大きく動いたレコード界再編が、仕上げの段階に入った。キングレコードに移行が決定していた米ウエストミンスターが、いよいよ、四月には第一回の発売となった。英コロンビア系のEMI盤が、日本コロムビアから東芝に移行して〈エンジェル〉に統合されるのは、カウント・ダウンの時期に入っていた。日本ウエストミンスターが前年に発売を開始した〈ヴォアドール〉は、日本コロムビアに吸収の方向に動いていった。
 再編に伴って、手持ちの音源の再発売も増加し、月評の担当者は毎月悲鳴を上げていたようだ。誌面にもそれは反映しており、各担当者は巻頭の挨拶文で、その旨を吐露しているが、上野一郎の一文にこんなものがある。「新装再発で新譜リストにもう一度加え、改めてお客の認識に訴えるという戦法も、考えてみれば悪くはない。新装再発盤は大体旧盤より値段が安くなっているのも、当然とは云えいいことである。どうやら月評子ひとり忙しい目をする方が、皆さまのお役にたつらしい。」。
 実際、この時期には軒並みに番号切替で価格の見直しが行われ、三〇センチステレオ盤は一八〇〇円~二〇〇〇円、モノラル盤は一二〇〇円~一五〇〇円に落ち着いた。旧定価の三〇〇円から五〇〇円の値下げだったが、その背景には、LPレコード全体の普及率の上昇という要因もあった。前年の一九六一年は、小資本の会社解散の陰で、終わってみれば、日本のレコード史上はじまって以来の盛況だった。そこで、一九六二年の半ば、世界的な規模の会員制のレコード販売組織である〈コンサート・ホール・ソサエティ〉が日本でも発足した。
 売上げ上昇は、レコードのファン層全体を厚くしていったようで、この時期には以前からあった〈名曲喫茶〉が急増した。本誌にも多数の広告が掲載されている。どの店も最新の再生装置と豊富なLPレコードのコレクションで、客のリクエストに応じて聴かせてくれるほか、定時に新譜レコード・コンサートなどを行った。コーヒー一杯の値段は東京の場合で、おおむね五十円程度だった。この頃は、それだけあれば食事ができた。ラーメンならば四十円くらいだったと思う。肉屋で買うじゃがいもコロッケは、高くてもせいぜい一個十円という時代だった。筆者は、その頃、駅のスタンドそばを一杯十五円、てんぷら入りは五円増しで食べていた記憶がある。だから、一枚一五〇〇円のLPレコードは、めったに買えない贅沢品だったのである。
 そこで、この時代に都内にちらほらとあった中古レコード店は、ありがたい存在だった。新宿の〈トガワ〉や〈オザワ〉には、予算の乏しい学生や若いサラリーマンが大勢やってきていた。今の時代のようにプレミアム価格が付くわけではない。単なる〈お古〉である。半額以下が相場だった。
 ところで、一九六〇年にスタートした「日本レコード批評家賞」の選定はこの年までで、翌一九六三年度はとりやめになった。各誌が別々に年間の優秀レコードを決定することになったのである。『LP手帖』誌上では、どうして大同団結出来ないのかと嘆いているが、これは、その後の〈レコード批評〉文化の発展を阻害する、残念な出来事だったと思う。




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クラシックレコード事情と社会世相(その5/塗り替わったレコード業界地図)

2009年02月20日 08時04分12秒 | 音楽と戦後社会世相
 




以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社/絶版)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第5回」です。


◎昭和三十六年(1961年)

 昭和三十六年度(一九六一年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(一月~六月はモノラル盤の交響曲/管弦楽曲/協奏曲、七月以降は全ての交響曲/管弦楽曲)、宇野功芳(一月~六月はステレオ盤の交響曲/管弦楽曲/協奏曲、七月以降は全ての協奏曲)、上野一郎(室内楽曲/器楽曲)、藁科雅美(声楽曲/オペラ)、沢田勇(「千円盤とドーナッツ盤」。八月より「クラシック普及盤」と改題)。また、七月から福田達夫による《音楽史》欄が開始された。

 レコード業界の地図が大きく塗り変り始めた年だった。日本ディスク(仏デュクレテ・トムソンを発売)、ユニバーサル(仏ディスコフィル・フランセ、仏オワゾリールを発売)、日蓄工業(米エピックを発売)が相次いで消滅。米エピックは日本コロムビアからの発売に移ったが、米エピック経由で発売されていた蘭フィリップス系の録音は、日本ビクター内にフィリップス・グループとして再スタート、新世界も日本ビクター内の部門になった。東京芝浦電気のレコード部が東芝音楽工業を発足させたのも、この年だった。
 米ウエストミンスターの本国での経営上のゴタゴタのあおりで、日本ウエストミンスターは新たにヴォアドール・レーベルを発足、仏エラート、英パイ原盤の発売を開始したが、結局翌年には日本コロムビアに吸収された。米ウエストミンスターは、ABCパラマウントの資本下に入って建て直しをはかり、日本ではキングレコードがウエストミンスターの発売を開始することとなった。
 ところで、この年は月評担当も流動的で、別枠だった《ステレオ新譜月評》がなくなり、それぞれの各ジャンルに吸収された。ただし、門馬直美の担当欄は《交響曲/管弦楽曲/協奏曲》となってモノラル盤のみを六月まで担当、ステレオ盤が宇野功芳(前年の、門馬の外遊休筆中に同ジャンルを三ヵ月間担当した)と分担していた。七月になってステレオ、モノラル兼任で《交響曲/管弦楽曲》が門馬直美、《協奏曲》が宇野功芳となり、これでやっと、各ジャンルごとの一人批評が確立した。次第にモノラルとステレオと同じ演奏のものが増えてきていたから、それは当然の成り行きでもあった。まず、年初に掲載された挨拶文(門馬)をみてみよう。
 「今月から、今までの交響曲と管弦楽のほかに協奏曲も担当することになった。しかし、レコードは何れもステレオではなくモノーラルである。モノーラルの枚数が幾らか減少してきているようだが、ステレオ攻勢ではこれもやむをえないことだろう。」
 ステレオ録音の意義に関しては、以下に紹介する上野一郎の小文(二月号掲載)が、当時の雰囲気や認識を伝えていて興味深い。
 「室内楽や器楽曲盤にステレオが増えて来たことはいいことだ。室内楽や器楽曲にはステレオの必要がないという説も、ある点ではうなずけないこともないが、しかしクワルテットやトリオをステレオで聴くと、音の幅や厚味が一層ライヴになって、ホールでナマの演奏を聴いているような気持ちになる。/ステレオは英独仏あたりでは案外伸びなやんでいると聞くが、日本では思いのほか普及の速度が早いようで、この調子では米に次いで、世界第二のステレオ国になるかも知れない。日本人の“初もの喰い”の性癖のしからしめるところかも知れないが、モノよりステレオの方が面白いのだから、良いものに食いつくのは決して悪いことではない。ハイ・ファイ熱、ステレオ熱と次々に熱病の流行するのは一向にかまわないが、レコードはなによりもまず演奏のよさが第一条件だということを忘れたくないものである。」




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クラシックレコード事情と社会世相(その4/「レコード批評誌」の競合時代)

2009年02月19日 09時55分18秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第4回」です。


◎昭和三十五年(1960年)

 昭和三十五年度(一九六〇年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(一月~六月、十月~十二月の交響曲/管弦楽曲)、宇野功芳(七月~九月の交響曲/管弦楽曲)、上野一郎(協奏曲/室内楽曲/器楽曲)、寺井昭雄(一月~六月の声楽曲)、藁科雅美(七月~十二月)、沢田勇(廉価盤)、永井二三男(ステレオ盤)ステレオ新譜月評は、永井の他に八月から耳野良夫(明らかに匿名と思われる)、十月から藁科雅美も加わった。
 この年は、新録音のほとんどがステレオ録音となった。ただ、まだステレオ再生装置の普及が充分ではなかったので、同音源のモノラル盤発売も盛んだった。時期をずらさずに、ステレオ、モノラル同時発売が増えてきたのも、この年あたりからだった。
 五月号に「編集部」の署名で、以下の《本誌の月評について》と題する小文が掲載されている。編集者の自負が感じられる。当時は、レコード批評誌相互での異論の応酬もあり、〈批評の多様性〉が機能していた。
 「本誌の月評は、レコード界で最も公平な論評の出来る立場にある批評家によって行われていますので、そういう観点からも厳正であります。しかし、批評家にはそれぞれの個性によって演奏者に対する好みがありますので、その批評に多少採点の上で甘い、辛いが生ずるのはやむをえません。だが、レコード評は極めて客観的に行っています。/こういう本誌の月評について、皆様のご感想を御寄せ下さい。参考にしたいと思います。」
 批評の〈客観性〉に関する実にのどかな考え方に時代を感じさせるが、「レコード界で最も公平な論評の出来る立場にある批評家によって行われていますので」というくだりは、当時の他誌(音楽之友社の『レコード芸術』/ディスク社の『ディスク』)を意識してのことと思われるが、その底流に何か出来事があったものか、調査しきれなかった。
 この年の十一月に、音楽之友社『レコード芸術』、ディスク社『ディスク』、音楽出版社『LP手帖』の三誌共同による《レコード批評家賞》の設置と第一回審査発表が行われた。以下は、その挨拶文である。
 「今日のレコード音楽のめざましい進展に伴い、わが国にも「ディスク大賞」を設置してはとの要望が、レコード界をはじめとして各方面からあがっております。/そのような気運もあり、先日レコード雑誌三誌の間で具体的に協議いたしました結果、本年は「レコード批評家賞」を今年度中に発売されたレコードの中から選定いたしました。なお本格的な賞は性急にこれを進めるためには多くの問題がありますので、充分な準備期間をもって慎重に当たろうとの結論に至りました。/それで去る十一月二十三日午後二時より、音楽之友社(本社)において月評担当者とそれに準ずる批評家のお集まりをいたゞき、審査員村田武雄、大宮真琴、岡俊雄、志鳥栄八郎、上野一郎、藁科雅美、佐川吉男、宮沢縦一、門馬直美、高崎保男、岡田淳、小林利之 以上十二名、〈欠席(編者註:文書による参加) 福原信夫、田辺秀雄、高城重躬〉によって十七点を決定いたしました。」
 また、村田武雄による「レコード批評家賞について」という一文もあり、そこでは、「このレコード批評家賞が骨子となって、今後はフランスのディスク大賞に準ずるような音楽家、文化人、ジャーナリストによる国を挙げての大規模な組織にして、」 と豊富を述べているが、結局続かずに消滅してしまった。


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クラシックレコード事情と社会世相(その3/ステレオレコードの本格発売元年!)

2009年02月17日 09時45分57秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第3回」です。


◎昭和三十四年(1959年)

 昭和三十四年度(一九五九年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(交響曲/管弦楽曲)、上野一郎(協奏曲/器楽曲/室内楽曲)、寺井昭雄(声楽曲/歌劇)。この他に、《千円でおつりのくるクラシック》というタイトルで一月から四月まで、《今月の廉価盤クラシック》というタイトルで五月から十二月まで、いずれも、さわだ・いさみ(沢田勇)が執筆している。また、五月号からは《ステレオ新譜月評》という欄が永井二三男の執筆で開始された。

 前年八月の日本ビクター、九月の日本コロムビアに続いて、各社から一斉にステレオ・レコードが発売されたのがこの年である。前年に発売された点数は、クラシックの部門ではビクターが九点、コロムビアが五点だったが、この年の終わりには、一応、各社合わせて一〇〇点近くの発売があった。これは、当時の全新譜の約一割にしか過ぎなかったが、既にオープン・リール・テープを凌ぐ普及ぶりだった。
 ちなみに各社の第一回ステレオ発売の時期をレーベル別に列記すると、テイチクが米デッカを二月、東芝がエンジェルとキャピトルを三月、キングがロンドンを三月、テレフンケンを六月、日本ディスクがデュクレテ・トムソンを四月、日本グラモフォンがドイツ・グラモフォンを四月、アルヒーフを十一月、日蓄工業がヴォックスを十月、エピックを十二月に発売させている。日本ウエストミンスターは翌一九六〇年一月だった。
 この時期は同じ内容のものがステレオとモノラルと両方で出ることもあった。ステレオ装置を持っていないファンのために、ステレオ録音の演奏と同じものを、モノラル盤でも発売していたわけだが、それは、ステレオ装置の普及とともに、一九六三年頃にはほとんど行われなくなった。『LP手帖』誌がこの年、《ステレオ新譜月評》を独立させたのは、各社のステレオ盤発売が出そろいつつあったからだが、それを、別の担当者が月評しているため、同じ演奏が、モノラルとステレオの二種登場する場合も出てきた。本書への収録にあたっては、興味深い記述が双方にあるものは、敢えて両論を掲載してある。
 五月号の第一回《ステレオ新譜月評》の冒頭に、執筆担当の永井二三男の考え方が掲載されている。
 「今月からステレオ月評を担当することになったので、最初に私がステレオをどんなに考えているかを明らかにして置きたい。/今までモノラルしか聞かなかった人がステレオに首をつつこむ。どうしても左右の音の移り変りとか言ったものに興味をそそられる。ステレオ・セットをアッセンブリイしたとき、こんな風なレコードはたしかに便利だ。しかし、ステレオで再生されたものが音楽であるとき、果して行きすぎた対比を左右のスピーカーに求めるのは正しい態度だろうか。又そんな風に録音されたレコードであったとき、それをステレオ効果のよいレコードと評すべきであろうか、疑問を抱かずにはいられない。特殊な場合を除いて、演奏会場の最上の席にあなたを連れて行ってくれるのが最良の録音とその再生である事を頭に入れて置いて欲しい。かってLPの初期に一部音響好みの人士から喜ばれた所謂ドン・シャリ趣味の音が、よい録音、再生だ……とされていた事を考え併さないわけにはいかない。そんな観点に私が立っている事を考えながら、今後のステレオ月評を見て頂きたい。」
 今読めば、当たり前のことと思われるかもしれないが、ステレオLPの黎明期、派手な分離で面白おかしく聴かせられていた時代にこれほどの正論を述べた人は少なかった。




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クラシックレコード事情と社会世相(その2/1958年)

2009年02月15日 07時35分13秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第2回」です。

◎昭和三十三年(1958年)

 昭和三十三年度(一九五八年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 志鳥栄八郎(交響曲/管弦楽曲/協奏曲)、杉浦繁(器楽曲/室内楽曲)、寺井昭雄(声楽曲/歌劇)。《千円でおつりのくるクラシック》という廉価盤紹介欄は、一月から七月までの執筆が佐川吉男、八月の休載を挟んで九月から十二月はさわだ・いさみ(沢田勇)が執筆している。また、前年からあった高橋昭の執筆による《現代音楽/音楽史》欄は、一月号で終了した。

 本書に収録した月評の冒頭に「日比谷で聴いたカラヤンとベルリン・フィルの演奏は一生忘れられない」とある。今日と違い、来日演奏家を聴く機会はわずかしかなかったから、当時の音楽ファンは、その少ない機会には貪るように聴いていた。楽譜から想像したり、話に聴いていただけの音楽がいくつもあり、レコードは貴重な情報源だった。
 今でこそ〈本場物の演奏〉という言葉は手垢にまみれたものになってしまったが、この時代、レコードでしか聴いたことのない音楽、レコードでしか接したことのない演奏家を聴いていた人々にとっては、ウィーンの演奏家がウィーンで録音したウィーンの室内楽、フランスのオーケストラによるフランス音楽の響きなど、どれも、「そうか、ほんとうは、こういう音楽だったのか」といった思いで聴くものだった。当時、〈本場物〉という言葉には大きな意味と重みがあったことを念頭に置いておかないと、この時代の批評文の底流にある感動や真意を読み落としてしまう。
 ところで、この時代にはまだ、町のレコード店ではSPとLPが並行して売られていたが、急速にLPが主流になってきていた。最後まで残っていた流行歌のジャンルのSP新譜が終了したのが、この昭和三十三年。三三三メートルの東京タワーが完成したのもこの年だった。新年号に春日無線工業の一ページ広告が掲載されている。後に〈トリオ〉そして〈ケンウッド〉となるが、当時は〈トリオ〉ブランドのハイファイ・アンプも作っている〈春日無線〉だった。「音楽ファン待望のFM放送が 愈々始まりました……」とあって、FMチューナー(FM-一〇〇)とFM付3バンドトライアンプ(AF-R五)が宣伝されている。説明文には、「FM放送の音質の素晴らしさは、これまでの放送と比較して、レコードならLPとSPの相違と云えましょう。」とある。おそらく、これほどにわかりやすい説明はなかっただろう。FM放送はまだモノラルだったが、レコードは、この年の八月に、日本ビクターから国産初のステレオレコードが発売された。
 だが、このことで、昭和三十三年を〈ステレオ時代の幕開け〉とするのには、多少疑問がある。というのは、《音楽テープについて》と題する田辺秀雄の小文が一月号にあり、そこには「テープ時代来るとか、近い将来LPはテープにとって変られるだろうということが近頃のレコード界の大きな話題になっている」とある。これは、一九五四年頃から始まったオープン・リールの磁気テープによるステレオ(当時は立体音響と言った)音源の発売が、アメリカやイギリスで大ヒットしていたからだ。LPレコードの発売が国際的にも一九五八年からなのに、その四年も前のステレオ録音が存在するのは、そうした背景による。LPレコードが一本の溝に右・左別々の情報を記録するための方式の完成に手間取っている間のことで、結局、テープはあっという間にステレオLPに圧倒されてしまうが、ステレオに最初に親しんだ人々はテープで聴いていたということは、記憶に留めておきたい。




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クラシックレコード事情と社会世相(その1/1957年)

2009年02月14日 12時13分19秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説です。膨大な新譜月評をすべて読んで、今日の時点で読んでも興味深い評を厳選して20分の1くらいにしてから、注解を加えた本でした。私としては、それぞれの年がどういう状況だったかを伝える必要を感じたので、セレクションを終えた後で、即興的に書き下ろした「各年度の概要」です。戦後社会史的にも面白い仕上がりになっていると思いますので、当ブログで、新しく「音楽と社会世相史」というカテゴリーを興して10回に分けて掲載します。なお、この新カテゴリーの開始に伴って、以前掲載した分も、いくつかカテゴリー移動をさせました。


◎昭和三十二年(1957年)

 昭和三十二年度(一九五七年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 田代秀穂(交響曲/管弦楽曲/協奏曲/室内楽曲/器楽曲)、杉浦繁(管弦楽曲/協奏曲)、高橋昭(管弦楽曲/器楽曲/声楽曲)、内山文夫(声楽曲)。
 このメンバーで一月の創刊号月評はスタートしたが、二月の第二号からは、声楽曲が寺井昭雄に代り、また、そのほかの全ジャンルの新譜評が、特集記事以外、田代秀穂の単独執筆となり、十二月号まで続いた。このほかに、《現代音楽・音楽史》の欄が高橋昭の担当で、《千円でおつりのくるクラシック》の欄が佐川吉男の担当で、いずれも三月にスタートした。なお、この年は五月に欠号がある。
 往年のレコード・ファンならば、「田代秀穂」と記名されたLPを、必ず何枚かお持ちだろうと思う。LP時代の初期に精力的に執筆をしていた。月評欄には、この一九五七年度しか登場していないのが残念だが、それにしても、この一年の広範囲な活躍には、目をみはるものがある。

 この一九五七年は、カラヤン/ベルリン・フィルの演奏を、日本で初めて聴くことができた年だった。今と違って、海外の一流演奏家、まして一〇〇人を擁するオーケストラを聴くことなど、夢のような出来事だった。このことについては、一九五八年の項でも触れているのでご覧いただきい。本誌十二月号の『ベルリン・フィルハーモニーの印象』(執筆/渡辺護)と題する寄稿に「ワグナーやブラームスやシュトラウス(の作品の演奏)は、作曲家がこういうオーケストラの為に書いたのだなと云う感を深くした。」「ワグナーの妖艶な音とブラームスの北ドイツ的な渋い音色の相違をこれほどまでに見事にきき得たことはない。」といった記述がある。
 ところで、《千円でおつりのくるクラシック》を担当している佐川吉男が、翌年になってから、この欄の在り方が変質してきたことに反省の弁を執筆している。当時の様子がよくわかる興味深い内容なので、以下に一部を紹介する。なお文中の用語〈MP〉は二五センチLP、〈EP〉は一七センチ四十五回転盤のこと。二五センチ盤は十インチ盤とも言った。
 「元来このセクションは〈千円でおつりのくるクラシック〉も収集ガイドのつもりで誕生したものだった。同時にまた、こういう手軽に買えるポピュラー名曲からききはじめてクラシックの無限の宝庫の扉を開こうとする若いレコードファンへの道しるべの役も兼ねたものだった。(略)/当時はまだコロムビアのダイアモンド・シリーズも出ていなかったし、どの会社もまだこの種の廉価盤に力を注いではいなかった。それで、このやり方でも毎月MPとEPの新譜の主なものを殆んどマークすることが出来たのである。それがいつとはなしにぼくにMP・EPの月評を書いているような錯覚を起させた。/ところがその後情勢は変った。ダイアモンド・シリーズに集まった予想外の人気はレコード界のこの一年間の最大のトピックになり、他社もそれに刺激されて、このところ千円以内で買えるクラシック盤の新譜の数が激増の一途を辿りつつある。このセクションの担当者もつい成行につられて、とり上げる枚数だけを徒らにふやしてしまい、一枚当りの紹介がスペエスの点でも内容の点でも次第にお座なりになってしまった。他誌の月評とおんなじことをやっていたのでは、本欄の所期に反することは明らかで、発売枚数が何倍になろうとも、読者の懐具合がそれに比例してあたたまるものでは決してないということをぼくは忘れていた。この機会に深く読者諸君にお詫びしたい。(以下略)」



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