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プロコフィエフ:「ピアノ協奏曲第3番」の名盤

2010年08月31日 17時00分21秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第50回」です。

◎プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第三番

 この作品は一九一七年のロシア革命後の混乱を避けて故国を離れた作曲者が、その長い流浪時代に入ってからの作品だが、スケッチはまだ作曲者がペテルブルグ音楽院に在学中の頃と言われている。第一楽章の冒頭、ロシアの大地への望郷の念を思わせる短い序奏があり、それは、すぐさま、強烈な打鍵による〈モダニスト〉プロコフィエフの姿に取って代わられる。このあたりを耳にしただけでもマガロフ/マタチッチによるライブ盤は、他の演奏を寄せ付けない強烈な印象で迫る。望郷の旋律の深々とした息づかい、決然と入るピアノの力強さ。互いに挑発的なソロとオーケストラの緊張にあふれたやりとり。第二楽章では骨太の土臭さと対比された〈都会的洗練〉が、その宿命的な孤独を見事に描く。音楽の内実への共感の深さが生んだ名演だ。
 アルゲリッチ/アバドの一九六七年録音は、若き日のこのコンビの、みずみずしくほとばしる音楽の魅力にあふれている。それは時代の閉塞的状況に対する力強い一撃として、60年代の終わりには格別の意味を持っていた。アルゲリッチが、我々の時代の旗手として認知された演奏だ。
 全集を完成しているベロフ/マズアとアシュケナージ/プレヴィンでは、ベロフが音の運動体としてのこの曲の側面に率直なアプローチで迫り、ダイナミックでありながらニュアンスの細かな達者なピアノを聴かせる。現代演奏の一つの帰結だろう。一方のアシュケナージは情感の豊かな翳りのある演奏スタイルだが、それが演出と悟られてしまうところにこの世代の不幸を感じる。
 だが、この曲が内包する世界へのこだわりがまったくない、スポーティと言ってよい演奏が現われた。アタミアン/シュワルツ盤だ。爽快さで貫いたと言っても言い過ぎではない演奏だ。この曲も新たな時代に入りつつあるのだろうか?

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 マガロフ/マタチッチ盤は、仏ディスク・モンテーニュから発売された2枚組の放送録音(ライブ音源)だったと思います。アルゲリッチ/アバド盤はDG、べロフ/マズアはEMI、アシュケナージ/プレヴィンはDECCAですが、アタミアン盤が思い出せません。米RCAだったかもしれませんが、とても印象的でした。フルネームはディックラン・アタミアン。名前から言ってアルメニア系と思いますが、アメリカで活躍している異色のピアニストで、このCDはハチャトリアンの協奏曲とのカップリングです。ハチャトリアンの曲の演奏を収集している時に購入したCDです。今日現在、当方のコレクション中にちょっと見当たらないのですが、近々、見つけ出して、レーベルなど詳細を掲載します。(いずれにしても日本盤はないようですが。)
 この原稿を書いて以降は、この曲を追いかけていませんので、断定的なことは控えますが、あまり状況に変化はないように思います。キーシンとかゲルギエフの名前が、現在のアマゾンを検索すると出てきますが、あまり食指が動きません。それよりも、マガロフとアタミアンを聴き直したくなりました。正直なところ、この原稿を書いていた当時、私自身が何を感じていたのかは思い出せませんが、ただ、読み返してみて、私がこの曲を通して、何を考えていたのかだけは、思い出しました。おそらく、この演奏チョイスは、今やりなおしても、それほど変わらないような予感がするのです。







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ブーレーズによって鍛えられた頃のBBC響が、レッパード指揮でマイケル・ティペットを演奏すると……

2010年08月26日 10時43分23秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の10枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6050
【曲目】ティペット:コレルリの主題による幻想的小協奏曲
         :交響曲第3番
【演奏】レイモン・レッパード指揮BBC交響楽団
  ジョセフィン・バーストウ(ソプラノ)
【録音日】1976年12月15日


■このCDの演奏について
 イギリスの現代作曲家マイケル・ティペットの作品を2曲収めたCD。演奏するオーケストラは、このCDの録音の1年前までの首席指揮者が、戦後世代を代表する作曲家のひとりでもあるピエール・ブーレーズだったBBC交響楽団だ。このオーケストラはブーレーズが首席指揮者に就任していた1971年から75年の間に、かなりの現代作品の演奏に取り組み、また新作の発表に協力してきた。ティペットを、指揮台に迎えたこともある。
 一方このCDで、指揮をしているレイモンド・レッパードという指揮者については、日本では専ら、16世紀から17世紀にかけての作曲家モンテヴェルディの校訂者として知られている。グラインドボーン音楽祭におけるレッパード改訂版上演の映像がLDで発売され、話題になったりもした。そのほかのレパートリーも、パーセル、バッハ、ヘンデル、モーツァルトといった17世紀から18世紀の音楽が中心というように理解されている。
 ところが、このBBC・RADIOクラシックスのシリーズで、昨年マーラーの「大地の歌」が発売されてびっくりした矢先、今回、ドビュッシー、ルーセル、フォーレからなるフランス近代作品のアルバム、ショスタコーヴィッチの「交響曲第11番」、そしてこのティペットが登場したわけだ。こうしたジャンルまで指揮するのは意外だった。かなり、レパートリーが広い指揮者のように見受けられる。
 このティペットの演奏は、古典音楽に精通し、ロマン派の音楽については原則として避けているらしいこの指揮者の音楽性が反映し、気分の耽溺のない直截な表現が目立つ。そのこと自体は良いのだが、「交響曲第3番」の第1部でのリズム処理の曖昧さは少々気になるところだ。旋律の断片がそれぞれ小さなコアを形成して自立し、互いにぶつかり合う第2部でも、レッパードのいささか焦点の定まらない指揮では、この曲が本来持っている切り立った表現を見失ってしまいそうだ。
 このCDでは、当然ながら比較的保守的な手法の「コレルリの主題によるファンタジア・コンツェルタンテ」が、作品の魅力をよく引出した禁欲的な演奏で聴かせる。この曲には、もっと抑揚が大きく、音楽がグッと前にせり出してくるロマンティックなスタイルのグローヴズの名演もあるが、この作品の基本的な様式は、当CDのレッパードのようなアプローチにあるだろう。(1996.2.3 執筆)



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1966年プロムスに客演したロジェヴェン/モスクワ放響《悲愴交響曲》の熱気と、「はげ山の一夜」原典版

2010年08月24日 10時37分57秒 | BBC-RADIOクラシックス

 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の9枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6049
【曲目】グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
    ムソルグスキー:「はげ山の一夜」(オリジナル版)
    チャイコフスキー:「交響曲第6番《悲愴》」
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団
 (ムソルグスキー)BBC交響楽団、BBCシンガーズ、BBC交響合唱団
   デイヴィット・ウイルソン・ジョンソン(バリトン)
【録音日】1966年8月21日、1981年7月27日(ムソルグスキーのみ)


◎チャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」ほか
 ロシアの指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーは、戦後世代では最もイギリスとの関係が深い指揮者だろう。1978年から82年までは、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者として活躍していたが、この有能な指揮者の国外流出を快く思わなかったソ連政府(当時)によって、82年に半ば強引に帰国させられた。もし、それがなければ、ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆とのきずなは、更に堅固なものになっていただろう。
 このCDは1966年の録音で、当時ロジェストヴェンスキーが音楽監督をしていたモスクワ放送交響楽団と行なったロンドン公演を中心にしている。プロムナード・コンサート(プロムス)の招待オーケストラとしての演奏会だ。
 ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆との最初の出会いは、これより更に10年前にさかのぼる。1956年、ボリショイ・オペラの指揮者に就任した年のロンドン公演で「ボリス・ゴドゥノフ」を振ったのが最初と言われている。この時にはコヴェントガーデンでバレエ「眠りの森の美女」も指揮しているようだ。この時、ロジェストヴェンスキーはまだ25歳の青年だった。政治的に、いわゆる東側のヴェールの向うから突然登場した、若き天才指揮者を西側でいち早く評価し、以後盛んに招待演奏会のアプローチを続けたのはイギリスの音楽関係者だった。
 いずれにしても、当CDに収録された1966年の演奏会の、おそらく最初の曲と思われる「ルスランとリュドミラ」は、この曲のベスト演奏としてしばしば話題になるムラヴィンスキー/レニングラード・フィル以来の快演だ。このテンポ、この抑揚、これこそがロシアの音楽だ。はやる心を抑え切れないといった感じの大きな身振りの音楽が眼前に迫ってくる。「悲愴交響曲」は、この指揮者の開放的な性格が前面に出た演奏で、オーケストラにかなりの乱れがあるが、かまわずに突き進む。指揮者の熱気は伝わってくるが、この人はもう少し緻密な演奏が出来たはずだ、と思ってしまう。これはオーケストラの技量の故かも知れない。豪快さ一本で勝負に出た観があって、そのためか、第3楽章が終わったとたんに、プロムス名物の怒涛の拍手が沸き起こる。終楽章では、演奏にも集中を欠いているので、曲の終わりが何となく緊張が持続せずに、漠然と終わってしまったのが、拍手の具合からも聴きとれる。ロイヤル・アルバート・ホールのような大きな会場では、最弱音を集中して聴くのはむずかしいということもあるかも知れない。
 「はげ山の一夜」はリムスキー=コルサコフによる近代的なオーケストレーションの改作版が一般的だが、このCDの合唱付のオリジナル版は、ロシア的響きの本質の一端を聴くという意味で、興味深い。(1996.1.29 執筆)


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ノーマン・デル・マーは本当に「後期ロマン派」が得意?――リヒャルトの歌曲伴奏を聴いて考えたこと。

2010年08月19日 11時12分36秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の8枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6048
【曲目】リヒャルト・シュトラウス:「4つの最後の歌」
                :「オーボエ協奏曲」
                :「管弦楽伴奏付き歌曲、5曲」
      (作品27-2、39-4、43-2、56-5、56-6)
【演奏】ノーマン・デル・マー指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団、
      BBC交響楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
    ヒーザー・ハーパー(sop.)、ジョン・アンダーソン(ob.)、
    エリザベス・ハーウッド(sop.)
【録音日】1981年7月18日、1981年5月26日、1968年3月23日


◎R・シュトラウス「歌曲集」
 リヒャルト・シュトラウスの管弦楽伴奏付きの歌曲を中心にして、それに、同じくリヒャルト・シュトラウスの「オーボエ協奏曲」を加えたアルバム。ふたりのソプラノ歌手の歌の間に「協奏曲」が割って入る形に構成されているので、途中の歌手の交替に違和感がない。よく構成まで考えられたCDだ。
 3曲というか、3つのブロックに分けられた曲目は、録音日もオーケストラもそれぞれ異なるが、指揮はいずれもノーマン・デル・マーとなっている。
 指揮のノーマン・デル・マーは1919年に生まれたイギリスの指揮者。ホルン奏者でもあった。夭折の天才ホルン奏者として有名なデニス・ブレインは親友だったという。王立音楽学校を卒業後、名指揮者トーマス・ビーチャムに見いだされ、ロイヤル・フィルのホルン奏者をしながら、やがて指揮者となった。BBCスコティッシュ交響楽団などで活躍し、後期ロマン派、特にリヒャルト・シュトラウスを得意としていたと言われているが、1994年には世を去った。
協奏曲の伴奏指揮に安定感のある演奏をいくつか残しているが、あまり録音には恵まれていず、1990年録音で得意のリヒャルト・シュトラウスの交響詩「マクベス」、交響的幻想曲「イタリアから」がASVレーベル(日本クラウン発売)にあるのが目立つ程度だった。
 そういう事情だから、このBBCの録音によるCDは、デル・マーの得意ジャンルであるリヒャルト・シュトラウスが聴ける数少ないCDということにはなるのだが、「4つの最後の歌」ではヒーザー・ハーパーの声質ともども、あまりリヒャルト・シュトラウスの陰影のこまやかな豊かな音彩が聴こえてこないのが残念だ。安全運転に終始してしまって、呼吸が浅く、インスピレーションに乏しい薄塗りのリヒャルト・シュトラウスなので、直線的にボツボツと途切れてしまう。そうしたことは、「オーボエ協奏曲」にも言える。この2曲はどちらも1981年の録音だ。
 このCDでは、ずっと古い録音だが、1968年のハーウッドとの「最後の4つの歌」以外の管弦楽伴奏付き歌曲が、このCDでは、一番この作曲家の響きの豊かさを伝えている。(1996.1.29 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 久しぶりに読み返して、デル・マーの演奏に対しての素っ気ない表現に、少々申し訳ないなぁと思ってしまいました。ひょっとしたら、デル・マーの指揮の特徴を私が理解できないのかもしれません。私のこのCD評でのキーワードは「薄塗りのリヒャルト」というあたりですが、それを積極的に評価するのが「英国流」なのかと、名盤の誉れ高い英EMIのシュワルツコップ盤のことを思い出しながら考えました。
 ただ、「安全運転」「インスピレーションに乏しい」という私の感想に間違いがなければ、それはやっぱり、いけません。デル・マーという指揮者には、他の曲でもそうした印象がありますが、どうだったでしょう。数年前にHMVの店頭でしたか、手書きでかなりの「煽りポップ」を付けて、デル・マー指揮のチャイコフスキーを売っていたことがあって、つい買って帰りましたが、そんなに大騒ぎするような演奏ではなかった記憶があります。
 でも、そもそも、「後期ロマン派」というドイツ・オーストリア圏でことさらに「いびつ」な音楽が得意だと言うイギリスの指揮者、というのが曲者かもしれません。つまり、そうした「いびつ」をすっきり聴かせることで評価されていたのだとすれば、これは根底から、見方を変えなくては……ということです。
 西欧の音楽を聴くと言う行為は奥深い、のです。(これはマニア気取りの単純な名盤かぶれの人には無縁のお話しです。)


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プロコフィエフ:「交響曲第5番」の名盤

2010年08月17日 10時41分28秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第49回」です。


◎プロコフィエフ:交響曲第五番
 第二次大戦の最中に疎開先で作曲され、終戦間近の一九四五年一月にモスクワで初演が行われたこの交響曲は、直接戦争を描いた作品ではないが、その根底に時代を反映した〈悲壮感〉が漂う交響曲のひとつだ。だが、作曲者自身が〈自由で幸福な人間への賛歌〉と呼ぶように、プロコフィエフのもつ健全な明朗性とアイロニカルな姿勢が悲劇を喜劇化してしまうことで、この曲を悲劇の暗部へと追い込むことから救っている。また、深い歌にあふれた〈悲壮な抒情性〉というべきものが、メカニックで力強い部分と共存していることがこの曲の魅力とも評されている。
 そうした背反する二面性を表現した初期の演奏として、マルティノン/フランス国立放送管の録音は、ぜひとも聴いておきたいものだ。これは米ヴォックスによる〈プロコフィエフ交響曲全集〉の中の一曲だ。マルティノンは、この曲から甘い香りの漂うニュアンス豊かな音楽をも引出しており、オケの金管群の輝かしく明るい音色も、この曲の演奏では屈指のものだ。リズムの微妙な崩れが、この曲の皮肉っぽい側面をチャーミングに聴かせてもいる。
 マゼール/クリーブランド管は、息の長いフレージングで旋律線を精妙につないでいく〈作られた抒情性〉が、濁りのないオーケストラ・ドライブの中からくっきりと浮かび上がる演奏だ。ニュアンス豊かな表現だが、シリアスに過ぎるとも言える。
 ムーティ/フィラデルフィア管は、躍動するリズムと深い歌心に溢れた部分とがバランスよく配置された演奏だが、マルティノンの自在さに比べると全体に表情が硬い。
 その点、ラトル/バーミンガム市響は、すっきりと通った旋律線を確保しながら、音色や、音量の変化に敏感に反応する自在さが、聴くものを掴んで息も付かさず離さない。中間の2つの楽章の充実した表現は、マゼール盤以来、久々の名演だ。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 20世紀に書かれた「交響曲」分野で、興味深い作品のひとつですが、まだ、決定打というべき演奏に、私は出会っていません。
 この曲の演奏には、まだ、たくさんの課題が眠っています。それを掘り起こすのは誰なのだろうと思っています。


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様々な時代のイタリア系作曲家の作品を、若き日のマッケラスの指揮で聴く珍しい一枚

2010年08月12日 12時45分44秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の7枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6047
【曲目】レスピーギ:「鳥」
          「ボッチチェリの三幅画」
    ケルビーニ:「交響曲ニ長調」
    ブゾーニ:「喜劇的序曲」
【演奏】パトリック・トーマス指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
    チャールズ・マッケラス指揮ロンドン交響楽団
【録音日】1984年1月6日、1969年2月8日

■このCDの演奏についてのメモ
 このCDは様々な時代のイタリア系の作曲家の作品を収録している。バロック音楽を素材にして書かれたレスピーギの組曲「鳥」がパトリック・トーマス指揮のBBCフィルハーモニーの演奏である以外は、すべてチャールズ・マッケラス指揮のロンドン交響楽団が演奏しているが、録音はいずれも、このライヴ中心のBBC・RADIOクラシックスのシリーズではめずらしくスタジオ収録だ。
 一見雑多に並べられたようなアルバムだが、いずれも古典的な均衡感のある美しさで共通しており、声高なところの少ない比較的控え目な音楽が続く。そして後の曲になるほどに、構築的な劇性が強まるといった仕掛けになっているようだ。なかなか、これはこれで考えられた組み方に仕立てられたCDだ。
 演奏はマッケラスの「ボッティチェリの三幅画」が、第1曲「春」の快活な表情や、第2曲「東方の三博士たちの礼拝」の彫りの深い表現で群を抜いて楽しませてくれる。また、マッケラスの人間味あふれる人肌のような温かさを感じさせる劇的な表現が、ケルビーニの「交響曲」では思いがけずロマン派の交響曲の前ぶれを予感させるのも、このCDの収穫だ。最近は古典的プロポーションを大事にした秀演を聴かせるマッケラスだが、この1969年の録音では、対象に直接肉迫する若々しさがある。やはり、この人は見識だけではなく、豊かな音楽性とあふれる情熱を併せ持っていたのだと、改めて思った。
 チャールズ・マッケラスは1925年にオーストラリア人を両親にニューヨークで生まれ、シドニー交響楽団のオーボエ奏者からスタートしたが、やがてロンドンに留学。さらに、紹介者を通じてチェコ・フィルハーモニーの大指揮者ターリッヒを頼ってプラハに留学、そこでヤナーチェクの作品と出会ったマッケラスはロンドンに帰国後、弧軍奮闘してヤナーチェクの紹介に努めるかたわら、サドラーズ・ウェルズ劇場のバレエ指揮者として地道な活動を続けた。努力の成果が実って、現在ではヤナーチェク作品の演奏の第一人者として認められているのはよく知られている。その他モーツァルトの交響曲の演奏でも、その学究的なアプローチが評価されている。
 パトリック・トーマスはオーストラリア出身の指揮者で、ヨーロッパ各地のオーケストラとの共演は数多いが、主にオーストラリア国内で活動している。(1996.1.29 執筆)




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レイモン・レパード指揮「近代フランス音楽集」(ドビュッシー/ルーセル/フォーレ)の珍妙な演奏の意味

2010年08月10日 15時27分02秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の6枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6046
【曲目】ドビュッシー:管弦楽のための「映像」
    ルーセル:交響曲第3番 ト短調
    フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード
【演奏】レイモン・レッパード指揮BBCノーザン交響楽団
    マルコム・ビーンズ(ピアノ)
【録音日】1976年11月23日、1976年5月26日

■このCDの演奏についてのメモ
 これは、非常にめずらしい内容のCDだ。収録されている作品がめずらしいのではなく、演奏者と作品との取り合わせがめずらしいのだ。レイモンド・レッパードという指揮者については、日本では専らモンテヴェルディの校訂者として知られ、そのレパートリーもパーセル、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトといった17世紀から18世紀の音楽が中心というように理解されている。このBBC・RADIOクラシックスのシリーズで前回マーラーの「大地の歌」が発売されてびっくりしたが、今回はドビュッシー、ルーセル、フォーレというフランス近代の作品のアルバムだ。こうしたジャンルまで指揮するとは寡聞にして知らなかった。
 演奏は、やはりかなり特異なもので、それはドビュッシーの作品でより顕著だ。ドビュッシー特有の旋律の有機的なつながり、折重なりがそぎおとされ、ボツボツとちぎれた旋律が放り出されたような演奏だ。特に「イベリア」の第3曲「祭の日の朝」は大傑作で、私は、こんなふうにサウンドがバラケて一人歩きしている演奏を、これまで聴いたことがなかった。しかし、それでいて奇妙に説得力があるから不思議だ。色彩感とか、描写音楽としての匂いとか空気感の極端に抑えられた演奏というのだろうか? ドビュッシーの書いたスコアの素材がくっきりと浮び上がるという意味では、かなり今日の音楽的趣味を満足させてくれる。面白さでは相当な演奏だが、これを聴いてドビュッシーの音楽をこういうものだと思うのは、かなり問題になるだろう。異能の演奏として聴くべきものだ。
 ドビュッシーに比べるとルーセルの作品は、その交響曲としての純粋性、構築性を前面に押出したことが、それなりの効果を生んでいるが、ここでも、その色彩感の不足が、この曲のルーツを見失わせているかも知れない。だが、この曲の背後にある作曲当時の暗い時代の反映は、モノトーンのギスギスした演奏から、飾り気のない真摯なものとして伝わってくる。そう言えば、こんな風にモノトーンのルーセルを聴いたことがある、と思って記憶をたどって思い出した。バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルの演奏だ。それもまた、おそろしいくらいに単色の世界が迫ってくる演奏だった。
 なお、このCDでレッパードの指揮で演奏しているBBCノーザン交響楽団は、マンチェスターを本拠地とするBBC放送局傘下のオーケストラのひとつ。1983年に改組され、現在はBBCフィルハーモニーと名称を変えて活動している。(1996.1.29 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 このCDの演奏が、思わず「大傑作」と形容したくなったくらいに異色だったことをよく覚えています。メジャー・レーベルが世界の市場に商品として発売するような、いわゆる「標準的」な感覚に収まった演奏ではありませんから、このBBCのようなシリーズでなければ世に出ないはずの、ローカルな「地域限定演奏」だったと言えるでしょう。これが録音された1970年代は、まだ、そういうものがあり得た時代でした。世界中のオーケストラが、まだ、それぞれの国や地方の文化を持っていました。それが、高度な情報社会が到来し、皆がよく勉強してしまったおかげで、今では世界のいたるところに同じような演奏があふれかえっています。グローバルといえばそうですが、ボーダーレスなのです。失ってしまったものはたくさんありますが、そのおかげで、それぞれの個別文化の中での発想の限界を突き抜けるヒントがたくさん見つかったことも事実です。
 このCDが発売された当時、私はかなり面白がってこのCDの演奏の奇妙さに言及していますが、フランス風の演奏と全く違うこの演奏は、何か別の感覚に気付かせてくれるはずなのです。私の解説も、それを書こうとしながら、今一歩踏み込めていません。今なら、おそらく、もっと様々なことに気付くはずです。たった15年ですが、既に、演奏芸術を鑑賞する方法は、かなり変わってきているのです。今度、聴き直してみようと思いました。





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ロジェストヴェンスキー/BBC響のヤナーチェク「シンフォニエッタ」は、聴きなれた演奏とはかなり違う。

2010年08月06日 13時36分09秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の5枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6045
【曲目】ヤナーチェク:シンフォニエッタ(*1)
          :タラス・ブーリバ(*2)
          :交響詩「ブラニークのバラード」(*3)
    マルティヌー:二重協奏曲
~2群の弦楽オーケストラとピアノ、ティンパニのための(*4)
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団(*1,2)
    チャールズ・マッケラス指揮BBC交響楽団(*3,4)
    ハロルド・レスター(ピアノ)(*4)
【録音日】1981年10月28日(*1)、1981年8月25日(*2)
     1979年7月24日(*3,4)


■このCDの演奏についてのメモ
 別項にもあるように、イギリスの聴衆の持っている様々の民族の音楽伝統への接し方には、私たち日本人の想像を越えたたくましさがあって、それぞれの音楽の貪欲な吸収はヨーロッパ随一の幅の広さを誇っている。
 チェコの作曲家ヤナーチェクの作品を、チェコ国外でいち早く最も積極的に評価して、その普及に熱心に努めたのもイギリスだが、この作曲家の作品は、それ以来、ロンドンの聴衆にとって馴染みの深いものになったようだ。
 第2次大戦の間、一時、ヤナーチェク紹介の動きが止まっていたロンドンで、戦後、積極的にヤナーチェクを紹介して今日のヤナーチェクの評価の基礎を築いたのが、BBC放送局であり、その時の指揮者が、このCDでも後半の2曲を指揮しているマッケラスだった。
 前半の2曲で指揮をしているロジェストヴェンスキーは、そのヤナーチェク評価の先頭に立っていたBBC放送局直属のオーケストラ、BBC交響楽団の首席指揮者の地位に1978年から82まで着任していた。このCDの演奏も、その間の81年のものだ。このCDは、ヤナーチェク演奏の伝統を持っているオーケストラに対して、そこを振るロジェストヴェンスキーの側が、めずらしいレパートリーの演奏となった恰好だ。だが、演奏はかなりロジェストヴェンスキーの持ち味が出たものになっている。ヤナーチェクの個性的な音響のひだを丁寧に聴かせることよりも、ずっと直截な力強さで畳みかけてくる。「シンフォニエッタ」の第3楽章のたっぷりとした量感を前面に出した進行からは、いつになく親しみやすくヤナーチェク音楽が一気に歌い上げられ、続く第4楽章も、スラブ的リズムを太いラインで繋ぎ、どこまでもたくましく豊かだ。かなり原色のどぎつい演奏で、それは「タラス・ブーリバ」の語り口の大げさな身振りにも言えることだ。私としては、ヤナーチェクの感受性が作り上げた音楽の感応のこまやかさがかなり単純化されているのが不満だが、分かりやすく一気に聴かせるものに仕上がっているのは、ひとつの功績だろうと思う。
 「ブラニークのバラード」1曲だけを、このCDのヤナーチェク作品で指揮しているマッケラスは、さすがにこの作曲家の研究者だけあって、ヤナーチェクの各パートの響きの見通しがよい。ヤナーチェクらしさは、こういう響きだと思う。最後に収められたマルティヌーの作品も青年時代をチェコで過ごして、その地の音楽を学習していたマッケラスらしく、よく手中に納められた演奏のようで、作品の魅力が十分に伝わってくる。(1996.1.28 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての追記】
 本日掲載分の冒頭にある「別項」とは、当ブログの2010年1月2日付けで掲載している、このCDシリーズ全体の意義について書いた解説文のことです。


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先日の石橋メモリアルホールでのワレフスカ来日演奏が、明日のNHK-FMで放送されます!

2010年08月04日 11時00分53秒 | ワレフスカ来日公演の周辺

 このブログで再三にわたって話題にしたチェロ奏者クリスチーヌ・ワレフスカの上野学園・石橋メモリアルホールでの来日公演(ピアノ:福原彰美)が、明日のNHK-FMで丸ごと放送されます。詳しくは、下記のNHK番組表のサイトをご覧ください。

http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20100805/001/07-1930.html

 当日、聴きもらしてしまった人、あるいは感動を共にした人はもちろんですが、当日や他の会場でのワレフスカの演奏を聴いて疑問を感じた方も、ぜひ、再確認の意味で聴いていただきたいと思っています。下記の私のブログ6月28日掲載分「ワレフスカのチェロ――その独特の音色の秘密」

http://blog.goo.ne.jp/kikuo-takeuchi/e/f6cff887867c3d454f1bf02a26eac7b2

でもご紹介しましたが、最近のチェロ奏者の演奏に耳慣れてしまった人の中には、不幸にして戸惑いが先に立ってしまった方がいらっしゃったようです。ワレフスカは、決して一部の人が訳知り顔で言っているような「往年の大家」=「過去の遺産」ではありません。むしろ、本物の音楽の手触りが稀薄になってしまった「音楽界の現在」を、今一度、本来のあり得べき姿に蘇らせる「現代演奏家」のひとりなのです。それが、1950年代の復刻CDで最近続々と再発されている「往年の演奏家」との決定的な違いです。それは、第2次世界大戦体験の有無と関わる重要な問題を含んでいますが、それについての詳述は、いずれ、機会を改めましょう。(この問題は、「日本における西洋音楽の受容史」をテーマにしている私にとって、もうひとつの大きなテーマでもあります。)
 話を元に戻しましょう。「ワレフスカ」です。ワレフスカが往年の名演奏家ではなく、私たちの時代に、直接関わっている演奏家だということは、意識しなくてはならない大事なことです。私たちはまだ、ワレフスカのような音楽を過去のものとして慈しみ楽しむような「不幸な時代」に突入してはいない、と信じています。
 ぜひ、明日のFM放送で、そのことを共に確認したいと思っています。


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レスピーギ:交響詩「ローマ三部作」の名盤

2010年08月02日 12時11分27秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第48回」です。

◎レスピーギ:「ローマ三部作」

 「ローマ三部作」と呼ばれるこの作品は、いずれも色彩感豊かなオーケストレーションの魅力にあふれているが、「噴水」「松」の二作がローマ各地の名所に材を採った絵画的作品であるのに対し、「祭」は歴史上の祭に材を採った叙事詩的作品と言え、重厚でドラマティックなサウンドの、やや異質な音楽となっている。
 この作品では、トスカニーニ/NBC交響楽団の歴史的名盤が有名だ。確かに前二作では、そのきらめく色彩感に加え、特に「松」の第一曲や第四曲のコーダの盛り上がりなどの湧き立つようなリズムの魅力は、未だにひときわ光彩を放っていると言える。先へ先へと突き進んで行くトスカニーニ独特の前のめりの音楽は、この曲の持ち味と見事に一致している。
 その迫力には、輝かしい色彩を確保しながら、その中に味わい深い陰影を取込んだムーティ/フィラデルフィア管盤も、一歩遅れをとっていると言わざるを得ない。だがムーティ盤は、「松」の第二、三曲のように深く沈潜していく気分の表出では、トスカニーニの成し得なかった表現を成功させている。
 むしろ、トスカニーニ盤の明快なバトンに対抗し得るのはドラティ/ミネアポリス響によるマーキュリー盤だ。特に「泉」での、色彩の中に芯の強さを感じさせる手応えは見事だ。ただし、ドラティ盤は三部作の内の「泉」と「松」のみで、「祭」は収録されていない。
 これとは反対に「松」を二度、「祭」を一度録音しながら、「泉」は一度も録音していないのがマゼールだ。そのマゼール/クリーヴランド管は二度目の「松」の録音に「祭」がカップリングされている。「祭」は、この曲の叙事詩的側面をクローズアップした演奏としては、ムーティの濃密な表現のドラマを更に推し進めて感情のドラマを抉り出しており、曲趣に合致している。




 
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