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日本人指揮者論の3部作? そして、「名盤コレクションについて語る」とは?

2008年07月31日 12時52分44秒 | 雑文





 本日は、久しぶりに、ちょっと「ブログ」風に。
 岩城宏之が亡くなって、もう、かなりの日数が経ってしまいました。私は、5年ほど前だったかに発行された許光俊・編『クラシックのツボ』(青弓社)に寄稿して、そのアンケート・コーナーで、「今後に期待する演奏家を挙げよ」との設問に答えて、岩城宏之の名も挙げました。それは、私の意識の中では「若杉弘」「小澤征爾」を並べた上でのことでした。小澤のウィーンオペラへの音楽監督就任は、もう決まっていた時期だったと思いますが、この頃の私は、断じて「岩城」でした。
 この三人は、ほとんど同世代で、かつては、よく並べて論じられもしています。私も、既に「若杉」「小澤」に関しては何らかの文章を書いていますが、「岩城」に関しては『兵士の物語』について触れたことがある程度で、指揮者岩城については、まだ一度も書いていません。いつか書かなければ、と思いながら、結局、果たせていません。私にとっては、「日本人指揮者論 3部作」が完成していないのです。

 このブログで、次回UPから、「若杉弘」「小澤征爾」の順に過去に書きあげた文章を転載しますので、まだ、お読みいただいていない方はお読みください。あるいは、過去にお読みになった記憶のある方も、どうか、もう一度読み返してください。
 いずれの文章とも、前半はナツメ社発行の『クラシック名曲名盤事典』の第2部に掲載したもので、「*」を挟んで後半は洋泉社発行の『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』で書き下ろし補筆した部分です。1993年ころの音楽状況の中で書いたものですが、問題の本質は、それほど変わってはいません。
 いずれにしても、「岩城宏之」について早く書かなくては、と、新たに決意した次第です。2、3か月内には、なんらかのご報告をします。私にとって、「日本人指揮者論 3部作」の完成は、ひとつの区切りになるはずだし、そうしなければならないと思っています。
 名盤、奇盤、珍盤について語るということ、あるいは、自分のコレクションについて語るということは、自分の生きてきた時代との関わりの証言でもある、と、最近は強く意識するようになりました。ただ珍しい盤だというだけで、得意気に大騒ぎする紹介文が、このごろずいぶんと目に付くようになって、時々、昔の自分はどうだったろう、と自問自答しています。

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チェクナヴォリアンのシベリウス/「抒情交響曲」/湯浅卓雄のブラームス/上原彩子のチャイコフスキー

2008年07月28日 12時56分49秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
【以下は、詩誌『孔雀船』2006年7月発行号に掲載した新譜CD雑感です】

■チェクナヴォリアン指揮のシベリウス第四、第五交響曲
 イランに生まれイランの首都テヘランで学んだ後、ロンドンに渡りキャリアを積んでいったこの指揮者のベートーヴェン演奏を評して「独特の執拗な拍節感が、西欧の構築的な語法にとらわれずに聴かせる」「旋律を縦のラインできちっと仕切らずに連鎖させていくのは、いかにも中東音楽的」と書いたことがある。実は、私はシベリウスの交響曲ではマゼールの新旧2種の録音に強い関心があって、その切れ切れの歌、断裂した抒情の強調こそが、二〇世紀の作曲家シベリウスの本質だ、と思い込んでいたのだが、私のそうしたシベリウス観を、ある友人に「そんな近代的知性などを持ち出すのは、シベリウスをまったく理解していない証拠。そこにある自然、風景をそのまま受入れるだけでいいのだ」と完全否定されて、途方にくれてしまったことがある。何のことはない。このチェクノヴォリアン盤を聴いていればよかったのだ。マゼールと正反対と言っていいこの演奏は、途切れ目なくどこまでも続く山々の峯のように、あるいは、どこが分岐点かも定かでなく連続して次第に明けて行く空のように進行する音楽だ。西欧的な場面転換という論理の無効性が堂々と表現されている。いかにもチェクノヴォリアンらしい個性的な名演であり、シベリウスの音楽を解く鍵が、ここにあると思った。「タワー・レコード」独自企画の名盤復刻シリーズ。世界初CD化。

■タゴールの詩による《抒情交響曲》に新録音
 インドの詩人タゴールの詩のドイツ語訳をテキストとして、バリトンとソプラノの独唱が7楽章にわたって交互に現れるという構成の作品。スタイル的には、漢詩のドイツ語訳を使用したマーラーの「交響曲《大地の歌》」を範としていると言われている作品。作曲者のツェムリンスキーは、マーラーとシェーンベルクを繋ぐ人として、一九七〇年代に再評価された。この《抒情交響曲》の録音も、メジャー・レーベルへの登場は一九八一年発売のドイツ・グラモフォン盤で、マゼール指揮ベルリン・フィルによるものだった。
 今回のエッシェンバッハ指揮パリ管弦楽団のドイツ・カプリッツィオ盤は、この作品の久々の録音だが、それは、四半世紀を経て、この作品の持っている意味がすっかり様変わりしてしまったことを実感させるものだ。あるいは、音楽演奏界全体の大きな変化が底流にあるかも知れない。マゼール盤は、緩急自在にコントロールされた音の集積から劇的な高揚を演出し、その紡ぎ出されたドラマが切り立っていたが、エッシェンバッハによる新録音は、呼吸の深い演奏で、深部に蟲めくものを捉えている。ここには、後期ロマン派的な官能性への奉仕や無垢な信頼があるように思う。マゼール自身も最近感じているらしい七〇年代から九〇年代に至る抒情性への屈折したアプローチの氷解が、本格的に始まっているのかも知れない、と思った。

■湯浅卓雄/大阪センチュリーの「ブラームス交響曲全集」
 十数年前、イギリスでのEMIへのデビュー録音以来、折に触れて注目していた湯浅卓雄が、最近好調の大阪センチュリー交響楽団を指揮してのブラームス交響曲全集で、昨年十一月の演奏会のライヴ収録3枚組CD。発売はライヴノーツ。
 スワロフスキー、フェラーラ、マルケヴィッチ、マタチッチらに師事し、主としてヨーロッパで活躍している湯浅だが、先日、東京都交響楽団を指揮するプロコフィエフで、全体を大きく見通す洞察と、細心の注意を払った響きの折重なりに、すっかり参ってしまった。当CDの二夜にわたるブラームスの演奏会には、全国から多くの聴衆が駆けつけたそうだが、私も万難を排して神戸の会場に行けばよかったと思った。何よりうれしいのは、ブラームスの音楽が一度として弛緩することなく、滔々と終楽章に向かって流れ続けていることだ。とても丁寧な演奏だが、それが指揮者の手並への関心に向かわず、音楽の奔流に最後までしっかりと向かい続ける。音楽は、これほどに美しく、哀しく、激しく歌うことができるのだ、と久しぶりに感動した。ゆらゆらと揺れながら静かに収束してゆく「第三番」もいいが、高らかに歌い切る「第二番」もいい。「第四番」の第一楽章では、指揮棒の動きにぴったりと吸いついているかのようなオーケストラの響きに、思わず身を乗り出してしまう。ブラームス・ファン必聴盤である。

■上原彩子の旺盛な表現意欲に期待する
 このところ評価の高い若い日本人ピアニストのひとりとして、昨秋にEMIから発売の上原彩子独奏による、チャイコフスキーの協奏曲第一番とムソルグスキー《展覧会の絵》を収めたCDについても、ひとこと書いておきたい。
 このCDではチャイコフスキーの協奏曲に、特に上原の特質が現れているように思う。第一楽章の開始からかなり遅めのテンポに面食らうが、第二楽章での、ゆったりとしたテンポを守りながらの表情づけは出色の出来で、終楽章のヴィルトージティあふれる指さばきもすっぽ抜けることなく、四年前にチャイコフスキー国際コンクールで優勝した実力の持主だけのことはあると思った。上原のニュアンス細かい多弁な音楽に、伴奏のロンドン交響楽団を指揮するフリューベック・デ・ブルゴスもよく応えている。だが、私の興味も、また少々感じる問題点も、すべて、その上原の多弁さに発している。各フレーズに明確な表情を与え、確信に満ちてきめ細かく弾き続ける上原の迷いのなさは見事だと思う。その旺盛な表現意欲は、私の愛聴盤では、若き日のヨーヨー・マ独奏のドヴォルザーク「チェロ協奏曲」にも聴かれる徹底的に織り上げた音楽の充実感だ。だが、こうした果敢なアプローチに、西洋音楽に対する東洋人としての〈過剰な〉意識を感じるのは私だけだろうか? 真摯で意欲的なこの演奏の未来にこそ、期待したい。
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フルトヴェングラーは、未完の大器だった!

2008年07月26日 03時16分41秒 | クラシック音楽演奏家論
(拙著『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(1993年・洋泉社刊)より

■フルトヴェングラーは「未完の大器」!
 
フルトヴェングラーの録音は、今でこそライブ盤が全盛だが、正規に発売された最初の〈フルトヴェングラーのライブ録音〉は、例の有名な「バイロイトの第九」だ。この「第九」は一九五一年七月二九日、戦後、復興なったバイロイト音楽祭初日の記念コンサートのライブだが、その特殊な状況下で指揮者の内部に湧き起こる感興が全員に乗移っていくような即興性にあふれた演奏だ。特に終楽章の高揚感は圧倒的で、コーダのプレスティッシモでの制御不能な壮絶ともいえるアチェレランドは、「知」の力を跳び越えて高みへ駆け上ろうとする人間の姿を垣間見る思いがして、正に感動的だ。
 だが、その練習でのフルトヴェングラーの発言を、彼の秘書であったカルラ・ヘッカーが証言しているように、周到なペース配分でこの感動のドラマが演出されていることを見過ごしてはならない。例えば最初の合唱の高揚では、声を最大にまで出してはいけないと、フルトヴェングラーは押しとどめる。曰く「聴衆はまだこの先に高揚して行く余地が残っていることを感じ取らなければならない」。
 フルトヴェングラーはナチ台頭の一九三〇年代にベルリン・フィルの指揮者となってから第二次大戦の終結まで、ナチの時代と共に歩み、その特殊な状況の中で無我夢中で指揮を続けた悲劇の音楽家だ。その彼が落着いて自己の芸術を本格的に検証し始めたのは、五〇年代に入り、LPレコードの登場で積極的に録音を行うようになってからのことだ。それはフルトヴェングラーの音楽が大きく変わりつつあることを予感させる演奏を生み始めたが、その途上で世を去ってしまった。
 この「第九」は、そうした彼の変貌が始まる直前、ナチの時代からの〈開放〉の総決算のような時期の演奏だ。だからこそ、これほどに美しく感動的なのかもしれないし、それは「第九」の本質と関わることであり、この曲を語る上で、なくてはならない歴史的名盤となっている所以だ。
                   *
 私が初めて買ったクラシック音楽のLPレコードは、フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルによるシューベルト「未完成」の十インチ盤だ。小学校の五年生だった。その前にはオーマンディ/フィラデルフィア管の「ペール・ギュント」第一組曲のドーナッツ盤(懐かしい言葉!)が一枚あるだけだった。「未完成」の次には、フルトヴェングラー/ベルリン・フィルの「悲愴」を買い、結局、どうしても「運命」が欲しくて、その頃発売されたばかりの「運命/未完成」のカップリング盤で、「未完成」がダブってしまうのを承知でまたフルトヴェングラー/ウィーン・フィルを買ったのを覚えている。そして「英雄」「田園」「第七」と買い続け、やっとのことで「第九/第一」の箱入り二枚組にたどり着いたときには、もう私は中学生になっていた。当時、子供がこづかいで買えるレコードの枚数とは、その程度のものだった。 フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲を買い進めていた間に買った、他のレコードはというと、フルトヴェングラーの「シューマン第四」、「シューベルト第七」の他には、ミュンシュの「幻想」、アンチェルの「新世界」、ストコフスキーの「白鳥の湖」などが記憶にある。トスカニーニ指揮の「運命/第四」も買った。
 以上の記述で見透かされてしまうことだが、昭和三五年から二年間ほどの私の小学生時代の音楽体験は、ごく一部のレパートリー以外は、フルトヴェングラーを基準に形成されてきたということになる。ただ、ここで強調しておきたいのは、当時私が聴いていたのはいずれもが、いわゆる正規録音盤だということだ。もともとフルトヴェングラーの録音というものは、それほどたくさんは存在しなかったのだ。 この稿の前半で触れているように「第九」は、彼の初めてのライヴ盤で、指揮者の登場の足音から始まり、長い沈黙の後の第一楽章の静かな開始から、演奏が終わったあとに湧き起こる拍手の嵐に至るまで、その場に自分が居合わせたかのような感動に包まれたのを記憶している。私の〈フルトヴェングラー体験〉で最も貴重な瞬間として、今でも思い出すことができる。
 この録音は、確かに多くの人々が認めているように、今世紀を代表する貴重な記録のひとつで、おおげさでなく私たち人類が〈録音〉という手段を手にしたことに心から感謝するいくつかのレコードのひとつだ。だが、だからといって、フルトヴェングラーはライヴでなければ真価を発揮しないなどとは言い切れない。
 これは、どの演奏家にも言えることだが、録音で聴く演奏芸術というものは、会場でナマで聴く演奏とは別の価値を持っている。感性の鋭い聴き手は、そこからときほぐして、実演でのインスピレーションを受けた場合を自身の中で醸成してゆくといってもよい。別の言い方をすれば、録音された演奏芸術は〈体験を聴く〉ものとしては余りにも貧弱にすぎ、あくまでも〈解釈を聴く〉ものだと私は思っている。正規のセッションで録音されたものから、むしろ、その演奏家の真価が〈正当に〉伝わってくることも多い。
 この三〇年ほどの間に、フルトヴェングラーが自身では承諾していないいわゆるライヴ録音の発売枚数は、異常なほどにふくれあがってしまった。私はそうしたものの存在を全否定するつもりはないが、まず初めに聴くのは、私自身がそうであったように、まず正規のスタジオ録音だろうと思う。それはフルトヴェングラーが、演奏会場で自身と音楽体験を共有できない聴衆に向けて、彼自身の言葉を借りれば「次善の策として」私たちに残した彼からのメッセージなのだ。
 いずれにしても、録音機の飛躍的進歩により、一九五二年の「トリスタン」全曲録音以後、にわかに録音に理解を示し始めたと言われるフルトヴェングラーが、そのわずか二年半後に世を去ってしまったのは、実に残念なことだ。ナチの時代から解き放たれ、プレイバックに耳を傾け、自身の霊感に憑かれた指揮ぶりを客観的に検証するようになっていったこの不世出の天才指揮者の世界が、この後、どのようになっていただろうか? フルトヴェングラーはその意味で、偉大な未完の大器だったと思う。
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フルトヴェングラー、バイロイトの「第9」異盤

2008年07月25日 16時01分43秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 私の「ブログ」は、ブログとは名ばかりで、今のところ、私があちこちに書き散らした文章の「アーカイヴ」となっています。いずれは、もう少しブログらしく、とは思っています。また、以前、公表したいくつかのめずらしい「ディスコグラフィ」も、加筆、再調査して掲載するつもりで、準備を進めていますので、お待ちください。
 ところで、このブログの初日から3日くらいまでをお読みになった方、「あれ?」と思われませんでしたか? 詩誌『孔雀船』に掲載している半年ごとの新譜CD雑感が、4アイテムごとで、それぞれの原稿量も同じなのに、初回のブログだけが3アイテムしかありません。実は、詩誌にはあと1本掲載したのですが、このブログでは、もう少し詳しく検証してから、と思って、掲載を見合わせていたのです。それが、下記に掲載の「フルトヴェングラーの第9」です。
 バイロイトの「第9」の異盤騒動については、いろいろ言われていることは承知していますが、私は、所詮は、「違うテイクだ」とか「編集した継ぎはぎだ」とか言って、ことさらに違いを強調したかった人がいた、ということだと思っています。そして、その後には「だからといって、EMI盤の価値は変わらない」というフォロー発言が出てきたり、と、珍現象ではありました。
 まだ、以前、ストラヴィンスキー自作自演のモスクワ録音のテイクで正体を突き止めた方法で、数小節ごとの詳細比較チェックはしていませんから、私も断定的なことは言えません。でも、以下のことは言えると思っています。

(1)フルトヴェングラーが、ゲネプロと本番とを同じようなアゴーギク、テンポルバートで演奏し、継ぎはぎ編集が可能となるテイクを残せるはずがない。これは、カルロス・クライバーが大みそかと元旦の2つの「ニューイヤー」でもできなかったと言われています。まして、フルトヴェングラーです。
(2)レッグは、音楽の自然な流れを大切にする、演奏芸術の本質への理解の深かったディレクターだったはず。だからこそ、たった30分の曲の録音でさえ、何度も取り直して日数をかけ、本社と大喧嘩してしまい、結局自分のオーケストラを作ってしまったわけです。それに、今と違って、片っぱしから音を繋ぐことは不可能。やったのは、ここぞ、というところだけ、でした。
(3)ドイツ、オーストリア圏では、地元の放送局が最優先。レコード会社は、好きな場所に自由にマイクを立てることはできない。これは今でもそのようで、かの「ウイーン・フィル・ニューイヤー」でも、NHKから流れる音のほうが、その後に発売されるCDより、マイクポジションはいいと思っています。
 私がライナーノートを書いた「96年ニューイヤー」は、詳細に聴いたのでよく覚えています。今だから言えますが、FMラジオをエアチェックして、何度も繰り返し聴いてライナーノートを1月5日に書いて入稿。月末に刷り上げるのに間に合わせましたが、私はBMGの音源は聴かずじまい。なにしろ、直輸入盤として空輸されて日本に到着したのが1月25日頃。それに、私の感想文を印刷した日本語解説文書を封入して2月早々の出荷、という、これが、その当時、コンサートからCD発売まで最速、を記録したときの慌ただしさです。出来上ったCDの音を聴いて、私が解説を書いた音とまるで印象が違い、内声部の動きなど、ほとんど聴こえなくなっているので、これでは、解説を読んだ人が戸惑ってしまうと嘆いたものです。いずれにせよ、今は、ニューイヤーのCDも、そんな離れ業は誰もせず、事前に書かれた予定稿で済ませています。
 話がそれましたが、レコード会社はベストのマイクポジションを取れるとは限らないこと、ポジションの違いで演奏の印象はかなり違うということです。まして、残響の長いバイロイトや、ムジークフェラインでは、アインザッツやアタックの感じまで異なって聞こえるはずです。
 詳細な比較試聴を終えたら、断定的なことが書けると思います。それまでは、一応、下記のようなことでいいのではないでしょうか? 有名な「バイロイトの第9」が、より細部が明瞭に聴ける音質で再登場した、という程度のことだと思います。
 なお、下記の文中の「フルトヴェングラー未完の大器説」は、明日、このブログ上に公開します。


 (詩誌『孔雀船』2008年7月発売号より)

■フルトヴェングラーのバイロイト「第九」が音質を一新!
 二〇世紀の録音記録されたクラシック音楽の中で、「人類が、録音という技術を獲得したことに永遠に感謝するだろう記録」として、「リパッティによるブザンソン告別演奏会」、「サバタ指揮ミラノ・スカラ座によるヴェルディのレクイエム」そして、「フルトヴェングラーによるバイロイトのベートーヴェン第九」を挙げたのは、確かロリン・マゼールだったと思う。だが、あまり言及している音楽評論家諸氏はいないが、この名演中の名演と言われている「第九」録音は、生前にフルトヴェングラー自身の了解を得たものではない。隠し録りなどではなく、EMIが正式にマイクを立てたものだが、指揮していた本人は、もっと冷静な演奏の録音を望んでいたようで、生前には発売許可が得られなかった。
 私は、かつて拙著で、「フルトヴェングラー未完の大器説」を唱え、最晩年の「ルツェルンの第九」が、生前のフルトヴェングラーの到達点なのではないかという考えを述べた。しかし、バイロイトの第九が、人智を超えた瞬間を掴んでいるという意味で、永遠の演奏であることの価値は変わらない。今回のCDの音は、同じ日の同じ場所の録音だが、これまでのEMI録音と異なるマイクセッティングでバイエルン放送局が録音したテイク。生き物のような細部の動きを支える音の動きが、よく聞こえる。そして、だからこそ改めて、この後のルツェルンでの演奏との本質的な差異が明瞭に確認できる。会場の音響特性は、地元の放送局のスタッフの方がよくわかっていたということなのか? 独オルフェオ輸入盤。

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カラヤンとは何か?

2008年07月23日 17時43分36秒 | クラシック音楽演奏家論

 私のように1960年代から70年代にレコードを通じてクラシック音楽に夢中になった世代にとって、「カラヤン」は特別に意味のある存在だった。「君はカラヤンが嫌いか? よし、それなら友達だ!」というくらいに、「カラヤンを受け入れるか否かが、一種の踏み絵になっていた、といってもいい。ご記憶のある方も多いだろうと思う。今にして思えば、その震源地は、やはり、宇野功芳氏だったろうと思う。かく言う私も、その大きな流れの中にいた時期は長かったように思う。
 ただ、私自身は、1960年代にロリン・マゼールに目を開かれて以来、フルトヴェングラーの音楽に涙しながらもマゼールに音楽の未来を夢見るという、おそらく宇野氏の信奉者やフルトヴェングラー以外は聴かないといった方からはヒンシュクを買うに違いない聴き方をしてきている。そんな私にとっては、「カラヤンとは何か?」は、ずっとこだわり続けているテーマのひとつだった。
 以下に掲載する文章は、私が1990年代の初め頃の約5年間、当時まだ実験放送に毛の生えたような状態だった「CS衛星ラジオ」で、月1回のペースでオンエアしていた『竹内貴久雄の銘盤・廃盤辞典』という2時間番組で行なった「カラヤン特集」の放送ナレーション用メモを、整理したものです。他のいくつかの特集は私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)に収録しましたが、これは未収録です。そして、このメモを使って、1998年に洋泉社ムック『名指揮者120人のコレを聴け!』のために整理しなおして、末尾の部分を即興で書き加えた文章も、ここに掲載します。今回の当ブログへの掲載にあたって読みなおしてみましたが、やはり、まだ、私の中で解決していないことがいくつもあることを思い知りました。私よりも後の世代の仲間たちが、いともかんたんにカラヤンについて語っているのを読んで、少々複雑な気持ちでいます。ほとんどのことが整理ついてしまった、と自負している私ですが、「私にとってのカラヤン」は、数少ない未解決のままのテーマのひとつです。 先日来のカラヤン・リバイバルのような奇妙なCD店状況の中で、急に思い出したので掲載します。ご感想などありましたら、お寄せいただけると、私自身が何か考える機会になるかもしれませんので、よろしくお願いいたします。

 ところで、蛇足ながら、昨年(?)発売されたカラヤンの「プロムナード・コンサート フィルハーモニア管弦楽団モノラル版」は、「ステレオ版とまったく違って若々しくエネルギッシュな演奏」などと讃えられていますが、そんなことはありません。微妙な違いこそあれ、私が以前自著に書いたように、モノラル版と「寸分違わず」を目指したステレオ版であり、それをほぼ実現しているところをこそ評価すべきです。どうも、最近の復刻CD解説は、「こっちの方がいい」と無理な論陣を張ったものが多くて、私のいう「作る側、売る側の都合に合わせた、便利な論評の書き方」が、若い才能のある評者たちにもじわじわと浸透してきているようで、悲しく思っています。

 (CSラジオ「竹内貴久雄の銘盤・廃盤事典」放送台本より・1995年頃放送)
 オーストリア生まれのカラヤンは、おそらく生涯を通してオーストリア人としての誇りを内に秘めていた人で、決して、いわゆる「ゲルマン」的な音楽家ではなかったと思う。そう考えると、ナチの時代のヨーロッパの不幸と自らとのかかわりに口をぬぐっていたカラヤンが、最晩年に、みずから希望して半ば強引に指揮台に立った「87年のウィーン・フィル・ニュー・イヤー・コンサート」の映像は、特別の意味を感じさせる。感慨深げに客席の遥か向う遠くを見るカラヤンの視線が、ことさらに印象的だ。
 カラヤンは、その青春時代、ナチの時代の中で生き抜き、おそらくは、様々な策謀、裏切りをくぐり抜けて、自分の身を守って暗い時代を生き抜いてきたはずだ。内面の苦悩を密封して戦後の音楽界に君臨し続けた人物なのだと思う。
 だからだろうか、カラヤンは、第1次、第2次の両大戦間の時代的不幸を背負った作品には格別の思いがあるようだ。ルーセル、バルトーク、ヒンデミット、オネゲルなどの作品の録音がそれだ。また、シベリウスの作品に対する、抒情の崩壊への視点も興味深い。
 例えば、1960年にベルリン・フィルと録音したバルトークの「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」(EMI録音)を聴いてみよう。この緊張感には本物の凄みがある。  いったいカラヤンにとって、第二次世界大戦の終結後とは、どんな時代だったのだろうか?

 1948年録音のウィーン・フィルとのベートーヴェン「交響曲第5番ハ短調《運命》」。この演奏には、音楽演奏における〈情熱〉の有効性に対する信頼がある。戦後、開放された音楽状況のなかでウィーンはまだ、政治的にも軍事的にも微妙な立場だったし、カラヤン自身もナチ時代の、ナチ協力者疑惑問題があったりして、ウィーンでの立場が複雑だった。(映画「第3の男」を見ると、当時のウィーンの様子が少し分かる。)
 そうした状況の中で、思いのたけを全力で出し切っているカラヤンのひた押しな音楽が、グイグイと前進し続ける。特に第2楽章の始まり方の、精神の平穏を願うかのような深い息づかいや、第4楽章への輝かしい力の漲った突入など、思わず引き込まれてしまう演奏だ。
 響きのバランス、リズムの切れの良さ、豊かな表情など、いずれも超一流。既に完全に完成された音楽として成立している演奏だ。ここまでの演奏が出来てしまったカラヤンにとって、この後、何が出来たのだろうかとさえ、思ってしまう。

 1949年録音のモーツァルト「39番」(ウィーン・フィル)。ここでも、旺盛な表現意欲、伝えたいメッセージが有り余る程あって、はちきれそうな音楽のほとばしりが聴かれる。
 ところが、カラヤンは、1951年以降、57年まで、ウィーン・フィルをまったく指揮しなくなる。これはカラヤンとウィーン市当局との関係が悪化したためだが、レコーディングを含めてのことだったので、カラヤンは、当時、EMIのディレクターだったウォルター・レッグが結成したばかりのロンドンの新しいオーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団との活動が中心となる。
 このオーケストラはウォルター・レッグが結成しただけあって、機能的にはトップレベルのオーケストラだった。カラヤンのフィルハーモニア管弦楽団時代は、カラヤンにとって、オーケストラの機能的な部分への関心が高まって行った時代だったのかも知れない。(機能主義者的側面、テクノクラートの誘惑は、その後のカラヤンを解くキー・ワードかも知れない。)

 フィルハーモニア管弦楽団とはベートーヴェンの交響曲全集をはじめ、数々の録音がある。中でも、シベリウスの「交響曲第2番」は特に印象に残っている。また、ウィーン・フィルの本拠地、ウィーンのムジークフェライン・ザールで1958年に録音されたモーツァルトの「交響曲第38番《プラハ》」も、このオーケストラとの貴重な記録だ。

 この「プラハ交響曲」は、とてもめずらしいことに、いつものEMIの録音場所であるロンドンのアビー・ロード・スタジオ、あるいはキングズウェイ・ホールではなく、ウィーン・フィルの本拠地、ムジークフェライン・ザールでの録音。これは、レッグとカラヤンが育てた自慢のオーケストラを引き連れての、1958年9月の、ウィーンでの録音というわけだ。ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートでもお馴染みの、あの、残響時間の異常に長いホールを使用して、フィルハーモニア管弦楽団が、カラヤン仕込みの、しなやかなモーツァルトを演奏している。これ以外の、カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団との録音と、聴き比べてみると、同じオーケストラでも、ホールが異なると、かなり印象が変るということが分かる。
 だが、このオーケストラとのロンドンでの活動の記念としては、「プロムナード・コンサート」と題された1枚のLPが最高の出来上がりだ。
 このLPは1953年から55年にかけてモノラルで録音されたが、1960年にステレオで、曲目、曲順ともまったく同じで録音し直された。ヨハン・シュトラウスの「ポルカ《雷鳴と電光》」を聴いてみよう。ここでは、ウィーン情緒をかなぐり捨てて、ロンドンのプロムナード・コンサートのスタイルで最高度に磨きあげられたサウンドが聴かれる。
 そして結局、これがフィルハーモニア管弦楽団との最後の録音となった。58年からはベルリン・フィルの音楽監督に就任し、ウィーン・フィルの指揮も再開された。いわゆる「帝王カラヤン」への道のスタートだ。
 第2次世界大戦後15年を経て、特にロマン派音楽の演奏でのメッセージを失いはじめたカラヤンは、響きのヴィルトゥオーゾとして、突出した部分をそぎ落とし、口当りのなめらかな音楽へと、全世界の音楽ファンを引きずり込もうとし始める。
 それは、情熱、熱血……、そうしたものを喪失した偽りの平和社会の中で、ロマン派の音楽が有効性を持ちつつ、生きながらえてゆくための方便として、戦中派のカラヤンが選びとった方法だったろう。
 ところが、日本の若い聴き手の間で、60年代にアンチ・カラヤン現象が起こったのは興味深い。ニセモノの平和への反撥、メッセージのない音楽への反撥。60年安保から70年安保への時代は、日本はまだ、力強いメッセージの発信者を求めていた。だが、じわじわと〈カラヤン的〉なものは浸透していった。それが70年代以降の奇妙に微温的な社会状況に連なっていく。その意味でもカラヤンは時代を先取りしていた。

 カラヤンの60年代、70年代、そして晩年については、また、別の機会に考えてみたい。


(洋泉社ムック『名指揮者120人のコレを聴け!』1998年刊より)
「ヘルベルト・フォン・カラヤン」 Herbert von Karajan (1908~1989)
●国籍:オーストリア
●略歴:1908年ザルツブルク生まれ。ウィーン音楽院で学ぶ。29年ウルム歌劇場の指揮者になり、29歳の35年にはアーヘン市音楽監督。37年ウィーン、38年ベルリンの歌劇場にも招かれて成功を収める。戦後、ロンドンのフィルハーモニア管とのEMIへの膨大な録音で名声を決定的なものにした。50年代後半にはベルリン・フィル音楽監督の地位を固めて、同フィルとの本格的録音を開始した。
●主要CDレーベル
 EMI
 DG
 DECCA
●キーワード
 根っからのオーストリア人魂
 メッセージを失った音楽の延命装置

【本文】
 オーストリア生まれのカラヤンは、おそらく生涯を通してオーストリア人としての誇りを内に秘めていた。決して、いわゆる「ゲルマン」的な音楽家ではなかったと思う。そう考えると、ナチの時代のヨーロッパの不幸と自らとのかかわりに口をぬぐっていたカラヤンが、最晩年に、みずから希望して半ば強引に指揮台に立った87年の「ウィーン・フィル・ニュー・イヤー・コンサート」の映像は、特別の意味を感じさせる。感慨深げに客席の遥か向こう遠くを見るカラヤンの視線が、ことさらに印象的だが、この時、カラヤンの心の中をよぎったものは、何だったのだろうか?
 カラヤンは、その青春時代、ナチの時代の内面の苦悩や葛藤を密封して、戦後の音楽界に君臨し続けた人物なのだと思う。いったいカラヤンにとって、1945年の第二次大戦終結後の時代は、どんな意味を持っていたのだろうか?
 48年録音のウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第5番ハ短調《運命》。この演奏には、音楽演奏における「情熱」の有効性に対する信頼がある。戦後、開放された音楽状況のなかでウィーンはまだ、政治的にも軍事的にも微妙な立場だったし、カラヤン自身もナチ時代の、ナチ協力者疑惑問題があったりして、ウィーンでの立場が複雑だった。
 そうした状況のなかで演奏するカラヤンのひた押しな音楽が、グイグイと前進し続ける。特に第2楽章の始まり方の、精神の平穏を願うかのような深い息づかいや、第4楽章への輝かしい力の漲った突入など、思わず引き込まれてしまう演奏だ。響きのバランス、リズムの切れの良さ、豊かな表情など、いずれも、既に完全に完成された音楽として成立している。
 ところが、カラヤンは、1951年以降、57年まで、ウィーン・フィルをまったく指揮しなくなる。これはカラヤンとウィーン市当局との関係が悪化したためだが、レコーディングを含めてのことだったので、カラヤンは、当時、EMIのディレクターだったウォルター・レッグが結成したばかりのロンドンの新しいオーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団との活動が中心となる。機能的にはトップレベルのオーケストラを得て、カラヤンはオーケストラの機能的な部分への関心が高まっていったようだ。
 60年録音の『プロムナード・コンサート』と題されたアルバムもヨハン・シュトラウス《雷鳴と電光》からは、ウィーン情緒を捨てて最高度に磨きあげられたサウンドが聴かれる。そして結局、これがフィルハーモニア管弦楽団との最後の録音となった。55年にはベルリン・フィルの主席指揮者に就任し、ウィーン・フィルの指揮も57年の春から再開されていた。新生「帝王カラヤン」への道がスタートしていた。
 60年にEMIに録音したベルリン・フィルとのバルトーク《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽》。この緊張感には本物の凄みがある。戦後15年、やっとカラヤンの「戦時下」が外面的には清算され、ベルリン・フィルに君臨し始めた時期だったからこそ、これほどの演奏が成立したのだと思わせる録音だ。同じカラヤン/ベルリン・フィルでも69年のDG録音は、かなりマイルドな音楽に安定していて、EMI盤のような、良い意味でのささくれ立ったきびしさが後退している。
 第2次世界大戦後15年を経て、特にロマン派音楽の演奏でのメッセージを失いはじめたカラヤンは、響きのヴィルトゥオーゾとして、突出した部分をそぎ落とし、口当りのなめらかな音楽へと、全世界の音楽ファンを引きずり込もうとし始める。それは、情熱、熱血……、そうした戦中派的なものを喪失した戦後の高度成長社会のなかで、ロマン派の音楽が有効性を持ちつつ、生きながらえてゆくための方便として、戦中派のカラヤンが選びとった方法だった。そして、それが、70年代以降の奇妙に微温的な社会状況に連なっていく。
 その意味でもカラヤンは時代を先取りしていたと思う。『アダージョ・カラヤン』の企画者は、今日の「癒しの音楽」ブームに、カラヤンの表層を重ね合わせたに違いない。だが、それは、決して癒されることのなかった人の切実な願いとしてのカラヤン美学の本質を見失ってしまう行為だ。
 カラヤンのラスト・レコーディング。最高の機能集団に自ら育てあげたベルリン・フィルを離れ、ウィーン・フィルと演奏するブルックナーの《第7》からは、オーストリアの大地が彼方にまで広がっていく。そして、孤独な巨匠カラヤンが、そこに佇んでいる。

 【カラヤンを聴く3枚のCD】
●ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調/ウィーンpo.
[英EMI:CDM5-66391-2]1948年録音
●バルトーク:管弦楽のための協奏曲、弦、打楽器、チェレスタのための音楽/ベルリンpo.
[英EMI:CDM5-66391-2]1974年,1960年録音
●ブルックナー:交響曲第7番ホ長調/ウィーンpo.
[Po-グラモフォン:POCG50013]1989年録音

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ユージン・オーマンディを聴く

2008年07月21日 17時33分01秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より

 以下は、1998年6月に発売された『名指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)の原稿です。同書の独特のフォーマットに合わせて執筆したものです。

「ユージン・オーマンディ」 Eugene Ormandy (1899~1985)

●国籍:ハンガリー~アメリカ
●略歴:ブダペスト生まれ。5歳でブダペスト音楽院に入学。ヴァイオリニストとして活動を始めた20歳の時、アメリカへの演奏旅行に到着した際にキャンセルに会い、やむを得ず生活のために劇場オーケストラの団員になる。急病の指揮者の代役でデビュー、以後31年にミネアポリス響の指揮者。38年にはストコフスキーの後任としてフィラデルフィア管の指揮者に就任。以来40数年もの長期間その地位にいた。
●主要CDレーベル
 RCA CBS/SONY
●キーワード
 指揮者になりたくなかった指揮者
 全員参加、全会一致の音楽
●特記事項
 細部への執着は、楽員に順番に出番を回そうとする気配りから?

(本文)
 オーマンディが長年録音を続けた米コロンビア(現SONY)を離れ、米RCAに移籍した1968年に作られた記念LPというものがある。移籍というのは正しくなくて、RCAへの復帰なのだというが、それによるとオーマンディ/フィラデルフィア管のレコード・デビューは、RCAに36年に録音したパガニーニ『ヴァイオリン協奏曲第1番』の伴奏で、独奏者はクライスラーだった。オーマンディはクライスラーとの録音と同じ36年12月13日と翌年1月9日にチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》を録音。これがオーマンディ/フィラデルフィア管が本格的に世に問うた最初の録音となった。
 どちらも最近CD化されたので手軽に聴くことができるが、パガニーニの伴奏の方が音楽の表情が生き生きとしていて、チャイコフスキーの交響曲は、サウンドのまとまりは良いものの、いったい何を伝えたいのかがわからない。それぞれのパートがどれも等距離に置かれていて、楽員が公平に分担しているといった不思議な風情を持った演奏だ。内声部がよく鳴っている演奏というのとも違う。だれにでも多少はある特定の音への偏愛、こだわりがオーマンディにはないのは、なぜだろうか? オーマンディは、ひたすら黙々と、淡々と、指揮を続けている。
 オーマンディは、それぞれの音楽に固有の温度差とでもいうものに、まったく関心がない人のようだ。もしこれを「職人気質」というのなら、職人とは実につまらない人種だが、職人芸とももちろん違う。
 オーマンディは、最初に就いた職が、無声映画時代の映画館での、ヴァイオリン奏者だった。それが、オーマンデイ自身の回想によれば、就職して5日目には、解任されたために空席になっていたソロ・コンサートマスターに抜擢されたという。その後しばらくして副指揮者に登用されるが、その時も演奏の始まるわずか5分前に指揮者が病気で来られなくなったと連絡が入り、他の3人いた副指揮者も夕方までは誰もこないことになっていたので、「君がやれ」と大急ぎで着替えさせられたのが始まりだ。 この時代の大きな映画館では、映画の合間に、交響曲の一部やバレエの数曲などをオーケストラが聴かせていたが、このときの曲目はチャイコフスキーの第4交響曲と、ドリーブのバレエ曲1曲だったという。演奏の終了後に、第3副指揮者の地位を与えると支配人に言われたが、オーマンディは断った。「私はヴァイオリニストです。きょうは突然のことだったので指揮台に飛び乗って指揮しただけで、指揮したいなどとは一度も思ったことがありません」。だが支配人は説得を続け、25ドルも給料を上げると言い出したので指揮するようになったとオーマンディは語っている。そしてオーマンディは「指揮にはまったく興味がなかった」と改めて強調している。(「チェスターマンとの対話」より) これは、おそらく謙遜でも何でもない。本心なのだろう。こうして、生活のためにヴァイオリンを弾いていた青年がひとり、指揮者になってしまった。それが、指揮者として才能があったからではなく、たまたま空席があったりしたときに、使えそうな奴として(誰でもよかったとまでは言わない)声をかけられた程度のものなのだ、というのは、オーマンディ自身が一生にわたって持ち続けていた思いなのだ。前記の対話を読むと、そのことがよく理解できる。
 オーマンディの演奏の、奇妙な「自意識の欠落」には理由があるのだ。もともと、映画館での場つなぎの音楽屋から出発したとか、誰とでも即交代可能な演奏で毎日同じ曲を演奏させられたとかいうこと以上に、オーマンディの内面に生涯つきまとっていた「自分は指揮者としての才能がない」という思いだ。だが、その思いと同じくらいに、技術的には完璧な指揮者だ、という自負もあったに違いない。そうでなければ続くわけがない。何しろ、フィラデルフィア管という全米でも有数の一流オケのトップに君臨し続けたのだから。
 《新世界交響曲》は、CBSのステレオ録音はオーマンディでは例外的にフィラデルフィア管を離れてロンドン響との録音だが、その後のRCAへの復帰後にフィラデルフィア管と録音している演奏ともども、判で押したように、デビュー録音の頃と同じに、妙にオーケストラの各パートが等価に響く演奏だ。どこのオーケストラを振っても同じというのも凄いが、それ以上に40年間変わらなかったというのが凄い。「指揮棒を持った人」として指揮台に立ってはいても、生涯にただの一度も「指揮者」だという実感を持てなかった人だったのかも知れない。

【オーマンディを聴く3枚】
●チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》/フィラデルフィアo.
[英BIDDULPH:WHL046]1936年録音
●ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》/ロンドンso.
[米SONY:SBK46331]1967年録音
●ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》/フィラデルフィアo.
[BV-RCA:BVCC8845~6]1976年録音

 


 

【ブログへの再掲載に際しての追記】

文中「チェスターマンとの対話」よりと略記してあるのは、『マエストロたちとの対話』(ロバート・チェスターマン著・中尾正史訳/洋泉社1995年9月刊)です。

 

 

 

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「オーマンディ問題」(――ことの発端についての覚書)

2008年07月21日 17時09分10秒 | クラシック音楽演奏家論
 「ユージン・オーマンディ」のファンの方が、私の書いた「オーマンディ論」(洋泉社刊『指揮者120人のコレを聴け!』に収録、当ブログにも再掲載)に立腹なさっていました。少々誤解もなさっているようなので、一言。
 私は「オーマンディ」が嫌いではありませんし、ひところはずいぶん夢中で聴いていた指揮者のひとりでもあります。私が述べたオーマンディの印象は、「聴かないで書いた」ものではありませんし、その方の文中にある吉田秀和氏の1978年の来日演奏会評「すべての声部が平等に鳴りすぎ、とかく焦点のはっきりしない演奏になりがちだった。」という文章による先入観などで書かれたものでもありません。私は、その方の引用で吉田氏の指摘を知り、僭越ながら、「さすがは吉田秀和。ちゃんと聞こえているじゃないか」と、むしろ、私の説に同意見があることを知って、うれしく思った次第です。
 私の「オーマンディ論」は1998年6月に書いたものですが、確か、その前年に邦訳が発売された「指揮者との対話集」に収められた最晩年のオーマンディの発言に驚いて、ぼんやりと感じていたオーマンディの音楽に対する疑問が氷解してしまったのを覚えています。その対話はかなりの長文ですが、「死の直前に語られたオーマンディの本音」として、とても貴重な記録だと思っています。 私は「20世紀アメリカ社会」を生き抜いた大指揮者の、自分の指揮者人生に対する「アイロニカル」な発言を、正面からとらえたつもりです。そしてそれは、様々な問題を孕んでいます。
 執筆当時も、周囲の執筆仲間から、「あの書き方じゃオーマンディ・ファンが可哀そうだよ」と言われましたが、あれは、オーマンディを聴くな、といっているのではありません。あの問題に関しては、いずれ、別の角度からも考えてみたいと思っていますが、誤解を避ける意味からも、当時の私の文章を、そのまま、次にUPしますので、ご興味のある方はお読みください。私は、20世紀前半に世界中を席巻していた「演奏芸術における自意識の過剰」について、考えているのです。

【2011年2月9日の追記】
 このブログ文の前半、「貴久雄」さんと「喜久雄」さんについて書いた部分を切り離して雑文カテゴリーのまま残しました。こちらは、演奏家論カテゴリーに移動させました。私の心おぼえのためです。ここで言及している「オーマンディ論」本体は、「指揮者120人のコレを聴け!」よりというカテゴリーの中にあります。この「問題」に関しては、後日談も、当ブログに掲載してあります。

 
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「閑話休題」――「竹内貴久雄」と「竹内喜久雄」

2008年07月21日 17時08分29秒 | 雑文



 「閑話休題」。
 私の名前は「貴久雄」ですが、どういうわけか、子供のころからしばしば「喜久雄」と書き間違えられています。確か、一番最初は小学校のクラス名簿の誤植でした。それ以来、かなり公的な書類や通知の類でも、「喜久雄」さんはひんぱんに登場します。年に1、2回は、ずっとあったような気もしています。もうずいぶん以前、ワープロの文字変換でも「喜久雄」がポンと出てくるので、苦笑したことがあります。それ以来、機種を買い替えるたびに、まず自分の名前を単語登録するクセがついてしまいました。
 「google」でこの「竹内喜久雄」さんを検索すると、29件(実質は15件)しかないのですが、その15件の内8件は私に関するものです。様々な方が私の書いた文章を引用されたり、参考文献に掲げたりしておられる中でのことですが、できれば、これをお読みいただけたら、ご訂正をお願いしたいと思っています。
 ところで、先日、「ひょっとして…」と思って「喜」の字で検索をして発見したのですが、その中に「ユージン・オーマンディ」のファンの方がいて、その方が、私の書いた「オーマンディ論」に立腹なさっていました。少々誤解もなさっているようなので、一言、以下に書きます。
 
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ザビーネ・マイヤー、ストラヴィンスキー「兵士の物語」、井上喜惟のマーラー「4番」、西山まりえ

2008年07月20日 02時52分19秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)


詩誌『孔雀船』2007年7月発売号に掲載した新譜CD紹介文の再録です。

■フランスのクラリネット曲を、ザビーネ・マイヤーの妙技で聴く
 ザビーネ・マイヤーは美女として名高いクラリネット奏者。最近はソロや室内楽での活動が中心だが、もう随分と昔のこと、一九八〇年代の初頭だったと思うが、今は亡き大指揮者カラヤンが、自ら音楽監督をしていたベルリン・フィルの首席クラリネット奏者として招くと発表したのが、このマイヤーだった。カラヤンは、この人のクラリネットの音色に心底惚れ込んでいたようだが、団員の「俺たちと音楽がちがう」という猛反溌に会って、結局、マイヤーは追い出されてしまった。このとき、カラヤンの音楽的趣味の本質に、〈ゲルマン的〉な重厚なものではなく〈ラテン〉的な明るさがあるのではないか、という話が飛び出したのを覚えている。この問題は、カラヤンの本質を解く重要な問題だと私も以前から指摘しているが、そのマイヤー、やっぱり、うまい! そして〈フランス物〉の音色を十全に発揮している。サン=サーンスとプーランクの「ソナタ」など、あまり録音のない珍しい曲ばかりだが、どれも聴くものを惹きつけて離さない。そうした近代の作品に混じって、まるでモーツァルトの曲のようにも聞こえる一八世紀の作曲家デュヴィエンヌの「ソナタ第一番」が収録されているのも興味深い。こうした作品を敢えて収録するところに、マイヤーのセンスが表れているようにも思う。一人静かに音楽に耳を傾けるには、絶好のCDアルバムだ。ひとつ贅沢を言わせてもらうと、ミヨーの「スカラムーシュ」の戯けたメロディが、少々生真面目なことだろう。EMI輸入盤。

■ストラヴィンスキー自作自演の「兵士の物語」が初登場
 スイスの詩人C・F・ラミュ(ラミューズは間違い。このフランス読みが正しい。)のテクストによる音楽劇「兵士の物語」は、ストラヴィンスキーの傑作のひとつで、これまでにも様々な録音があるし、いたるところで上演されているので、お聴きになった方も、ご覧になった方も多いと思う。オペラのように歌詞に旋律を乗せている作品ではなく、語りものだから、各国語に翻訳されて上演、録音されている。有名な日本語盤では、能楽の観世栄夫がナレーターを務めた岩城宏之の録音があるし、世界的に有名な録音としては、ジャン・コクトーがナレーターを務めた原典通りのフランス語盤が、マルケヴィッチの指揮で発売されている。ところが、晩年に自作を指揮して膨大な録音を米コロンビアに残したストラヴィンスキー自身の指揮によるものは、ナレーションをはずして、音楽部分のみを録音した組曲版、というものが発売されただけだった。小編成のこの曲のために集められたメンバーで臨時に編成されたコロンビア室内アンサンブルとして、一九六一年に録音されたものだが、その後、一九六七年に、ストラヴィンスキー指名のメンバーを出来る限り再召集して、ナレーションと音がかぶる部分の録音を行っていたようなのだ。それらを、二〇〇五年から二〇〇六年にかけて新たに録音した英語のナレーションと合わせてデジタル処理で完成させたものが、今回初めて発売されたということだ。ストラヴィンスキーが生きていたら何と言ったかはともかくとして、完全版が、それも、音楽的にリズミカルな達者なナレーションで完成したことはうれしい。LPレコード収録時間ではギリギリだった曲だが、CDとなって余裕があるため、管楽器の「室内交響曲」が付録で付いている。ソニー輸入盤。

■井上喜惟のマーラー「4番」の名演がCDに!
 このところ自らのオーケストラ、ジャパン・シンフォニアを組織して、意欲的な演奏を独自に展開している井上喜惟(ひさよし)によるマーラー「交響曲第四番」。これは二〇〇六年四月二九日に晴海トリトンスクエア・第一生命ホールで行われた演奏会のライヴ録音で、それに、二〇〇五年四月二四日の演奏会でのルクー「弦楽のためのアダージョ」が付いている。ソプラノは蔵野蘭子が担当している。今年の四月にもこのオーケストラの定期演奏会が催されたが、そこではモーツァルト作品をたっぷりと聴かせてくれ、そこに蔵野も登場し、その歌の見事さにも接したが、これからの活動に目が離せない人だ。
 実は、このマーラーの演奏も、私は聴きに行く予定をしていたのだが、どうしても都合がつかず、残念な思いをしていた演奏会だった。その後、周囲の友人の話を聞くにつけ、悔しい思いをしていた名演が、このCDである。井上の演奏は、冒頭に収められたルクーを聴いてすぐに驚愕するほどの弦楽の響きに、まず、すべての特質があると思う。これほどに美しく、精緻に折り重なる弦楽合奏の響きは、今日の音楽状況の中では他で聴くことがない。オーケストラの技量の問題ではなく、指揮の問題だし、本番に向けて、どれほどの時間が掛けられているか、掛けることができたのかの問題だと思う。ここまでに仕上げる井上の執念に敬意を払うしかない。しなやかで、緻密な響きの向こうに、マーラーの傷つきやすい抒情が透けるように現れる。キング・インターナショナル発売。

■西山まりえによるバッハの「ゴールドベルク変奏曲」
 この、まるで「のだめカンタービレ」のようなコミカルなイラストの表紙には驚かされた。友人の勧めがなかったら、絶対パスしていたに違いないCDである。だが、聴いてみて、さらに驚いた。バッハとは思えない(というより、バッハでは有りえない、と言っていい)、情感あふれるテンポの揺れ動きが凄い。気持ちを込めてテンポルバートが懸り、まるでロマン派の曲のようだ。
 ご承知のように、ベートーヴェンの中期以降、今日のような性能の鍵盤楽器が現れて、強弱、テンポとも大きく変化させることが可能になったのであり、それ以前の曲では、コトコトと等価に鍵盤を叩いて演奏するのに向いた曲が書かれていた。だから、そのように弾くのが、最もその曲の真価を表現する演奏だった。この西山のCDの紹介文で「バッハ自らが目の前で弾き始めたかのような……」といった表現があったが、それは、演奏のみずみずしさを讃えるための勇み足的文章で、バッハ自身の発想には、そうしたテンポの揺れ動きはなかったはずだ。鍵盤音楽が、そうしたスタイルを獲得したのはシューベルト以降だと言ってもいい。だから、この西山の演奏は、チェンバロを駆使して、アルゲリッチがピアノで聴かせたようなロマン漂うバッハを聴かせてしまったという大胆さと、それを可能にした技量にこそ価値がある。バッハの音楽からベートーヴェンのソナタの発想を嗅ぎ取り、シューベルトの歌曲の片鱗を覗き見る、素晴らしくも刺激的な演奏だ。キング・インターナショナル発売。

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魚水ゆり「ヴァイオリン・リサイタル」を聴いて

2008年07月19日 13時47分24秒 | エッセイ(クラシック音楽)



●魚水ゆり「ヴァイオリン・リサイタル」を聴いて
 昨年、2007年の6月17日(日)に、「魚水ゆり」という新進ヴァイオリニストのリサイタルを聴いた。会場は虎ノ門のJTアートホール・アフィニス。3月に東京芸術大学音楽学部を卒業したばかりの演奏家が、ヤマハからの奨学金を得て7月からのドイツ留学を控えていた時期、その出発前の披露という主旨の演奏会だった。久しぶりに、とても印象に残る演奏家だったので、一言、書いておきたい。
 実を言うと私としては、この若さでブラームスのヴァイオリン・ソナタ全3曲に挑戦する(それと、あと1曲はバッハの「シャコンヌ」)というプログラム自体が、まず意欲的なので驚いたものだ。ブラームスのソナタはどれも、どちらかと言えば、若い演奏家にとって地味で渋い曲だと思っていたからだ。演奏会での、いわゆる「聴き映え」も、決して良い曲ではないと思っていた。だが、演奏が始まって、そうした先入観は吹き飛んでしまった。むしろ、ブラームスの晦渋さに〈したり顔〉をしない小気味よさが、この若いブラームス演奏を貴重なものにしていた。
 ブラームスの音楽は、「含羞の音楽」である。そうした音楽を、ためらいのない真っ直ぐな演奏で表現してしまうと、それはしばしば、底の浅さとなってブラームスを台無しにしてしまうのだが、魚水ゆりの演奏はそれを感じさせない。奏でられる音楽のしなやかな明るさが、おそらく、魚水にとって天性のものだからだろう。堂々として真っ直ぐで、背筋がピンと伸びた少年のような音楽が力強くみずみずしい。これは貴重だ。
 そうした素直な感性に弾かれて、ブラームス自身も、もしその場に居合わせて聴くことができたならば、戸惑いながらも幸福な思いを感じたことだろう。ブラームスの特徴的な旋律の曲折が、魚水の弾くヴァイオリンでは、むしろ、あふれ出てくる泉のように感じられた。それは、私にとって不思議なひと時だったが、おそらく、魚水ゆりという演奏家の〈今〉が、その瞬間、会場中に響いていたということなのだ。そうしたことは、簡単そうでいて、なかなか出来ることではない。魚水が、豊かな音楽性を備えた天性の演奏家だからこそ、可能なことである。
 大人のフリをしたがる子供は醜いが、演奏家にも多い。だが、魚水は違う。魚水ゆりが、まだ子供だと言っているのではない。自身の〈今〉そのもので勝負できる本物の演奏家のひとりだと言いたいのだ。この貴重な率直さを失わずに1年後、2年後、3年後と進んで行く彼女の成長を、聴いてみたいと思うのは私だけではないはずだ。 
 これからも、ずっと見守っていきたい演奏家である。
                                      (2008.1.16執筆/2008.3.24加筆修正)
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メストの「第9」、ケルテス~バンベルク響、ワイセンベルク、マイナルディ

2008年07月19日 03時21分06秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

今年の1月に詩誌『孔雀船』に掲載した新譜CD紹介を転載します。

■ウェルザー=メストのベートーヴェン「第九」
 まだ彼が二〇歳代の頃から、その率直で伸びやかな音楽性に注目してきたフランツ・ウェルザー=メストが、ついに次期ウィーン国立歌劇場音楽監督に決まった。二〇一〇年からということだが、今から楽しみにしている。私は十六年ほども以前の一九九二年二月に発売されたウェルザー=メスト/ロンドン・フィルによる「ウィンナ・ワルツ集」のCD解説(東芝EMI)で、次のように書いている。「彼の〈挑戦〉によって、誰の亜流でもない新鮮なアプローチのウィーン音楽の演奏がまた一つ加わった。古き良き伝統は、こうして、才能ある若い演奏家によって少しずつ塗り替えられていく〈光栄〉を担ってきたのだ。」そして、いよいよ、ウィーン国立歌劇場である。歴史ある巨大組織の頂点に立って、どこまで自身の持ち味を貫き通せるか。勝負どころだと思う。
 この「第九」は現在音楽監督を務めるアメリカのクリーヴランド管弦楽団とのライヴ録音。同オケとの二〇〇〇年前後の演奏を私家盤で聴いて、少々通り一遍の感覚だったので心配だったが、これはいい。オケとの呼吸が生きている。第一楽章から、奥の奥まで生き生きと鳴るオケの歌うようなこまやかなニュアンスに驚く。速めのテンポで明るく自在に、間断なく進む第三楽章も新鮮だ。チューリッヒ歌劇場音楽監督として研鑽を積んだ成果もあって、終楽章の声楽の扱いはもちろん素晴らしい。ドイツ・グラモフォンから発売された正規盤で、二〇〇七年一月録音。国内盤も発売されている。

■ケルテス/バンベルク響の名演がCD化
 バンベルク交響楽団は、第二次世界大戦前は、チェコ=スロヴァキア(当時)の首都プラハで、同地に在住のドイツ人によって編成されたプラハ・ドイツ・フィルハーモニーが前身。戦後、難を逃れて西側に亡命したメンバーたちが集まり、西ドイツ(当時)の保養地のひとつとして知られる小都市バンベルクに創設したオーケストラ。他の西ドイツのオーケストラが次々に現代オーケストラとしての機能美を極めて行ったなかで、八〇年代まで、その独特の重厚な響きを守っていたオーケストラだ。このCDは、一九五〇年代半ばに二〇歳代の若さでハンガリーから亡命した指揮者イシュトバン・ケルテスが、まだ三一歳の頃に客演して録音されたLPレコード音源の、世界初CD化。原盤は一九六〇年録音のドイツ・オイロディスクで、曲目はベートーヴェンの交響曲第四番、《レオノーレ》序曲第三番、《コリオラン》序曲、《エグモント》序曲。 演奏は期待以上で、音楽全体に暖かな〈気配〉が漂うといった趣き。もう、こうした上質な音楽の自然な営みが聴かれることは極めて稀になってしまったと思う。オーケストラが快調で、木管の各パートの受渡しが流れるようなのもうれしい。《エグモント》では、クライマックスに向かって一気に加熱していく。ケルテスは、このオーケストラとの関係を長く続け、一九七三年には音楽監督就任が決定していたが、不慮の海難事故によって四〇歳代の若さで急逝した。そのことを、今更ながらに惜しんで聴いた。日本コロムビアから発売。

■ワイセンベルクのラフマニノフ「前奏曲全集」
 一九六〇年代にはEMIに、八〇年代にはDGへの録音がほとんどのアレクシス・ワイセンベルクだが、六〇年代の末から七〇年代にはRCAに録音していた。RCAへの録音は、まだあまりCD化が行われていないが、このラフマニノフの二十四曲の「前奏曲」は、その数少ないひとつ。確か、LPレコード2枚分で、それぞれ別々に発売されていたと思う。ステレオ初期のライナー/シカゴ響などの名録音で歴史に名を残すジョン・ファイファーのプロデュースによるもので、さすがに凄い録音だ。CD化もうまく行っているようで、ワイセンベルクの粒立ちのよいピアノ・タッチが眼前に迫ってくる。これで税込み一六八〇円とはうれしい。希少盤のLPを競り落とさなくても満足できるにちがいない。
 演奏はもちろんワイセンベルク流の秀演で、大甘の感傷をこの曲に求めて聴いたら吹き飛ばされる。引き締まった造形感で貫き通された演奏で、「ピアノそのものに勝負させた」とでも言うべき真摯なアプローチが聴かれる。ピアノという楽器は、これほどに森羅万象、折り重なる心情の〈ひだ〉を表現できるのだ。〈近代〉のエアポケットに陥ち込んだラフマニノフの孤独が聞こえ、その緊張感の持続に思わず聴き入ってしまうが、その果てにある音楽の開放にまで、ワイセンベルクは誘なってくれる。「録音後四〇年を経て、なお鋭利な美しさを発散している」とは、BMGから発売された国内盤CDに付された解説書にある許光俊氏の言である。

■マイナルデイのベートーヴェン「チェロ・ソナタ全集」
 今回も、いわゆる復刻盤CDがこれで3点目である。古い演奏にばかりこだわって選んでいるつもりはないのだが、しばしばこうした結果になってしまう。しかも、今回はベートーヴェンがかなり並んでしまった。しかし、この室内楽の名曲の名演については、どうしても一言、書いておきたい。「タワーレコード・ヴィンテージ・コレクション 第四集」の1点として発売された二枚組CDで、もちろん限定発売。他のCD店では購入できないので要注意である。 演奏はイタリアの名チェリスト、エンリコ・マイナルディと、指揮者としても広く知られるイタリアのカルロ・ゼッキによるピアノというコンビによるもの。一九五五~五六年のモノラル録音で、原盤はドイツ・グラモフォン。
 このCDは、一枚目、第一番の冒頭から、とにかく魅きつけられる。こんなに暖かく、優しいベートーヴェンは、初めて聴いた。楽器としてチェロの音域は、もともと、大らかな男の優しさとでも言ったものを持っているのだが、それだけではない。歌心あふれる二人の演奏が地肌の温もりとでも言ったものを醸し出しているのは間違いない。第三番では、信じられないくらいゆったりしたテンポで、ゆらゆらと揺れながら大らかに歌い出し、深い息づかいで進行する音楽が、音を聴いているだけで、演奏する二人の絶妙の間合いに気付かせる。そして聴く者に、その同じ場所に居合せる幸福を感じさせるほどの迫真の録音でもある。彼らの汗が飛び散ってきそうな音が、我が家のスピーカーからあふれ出てきた。

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ラトル~ベルリンのマーラー第9、ティーレガントの「四季」、パイヤールのドビュッシー

2008年07月18日 17時30分16秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 これは、テスト版です。まだ試運転中ですので、不手際はお許しください。
 今後順調に行けば、週1、2回くらいの更新で進めたいと思っていますが、しばらくは、これまでに様々なところに書いたものの再録が多くなるかと思います。ネット上で、引用されているものがかなりありますが、中には不正確な引用だったり、一部を切り取ることで意味合いが違っているものも散見され、筆者としては少し気になってもいますので、私自身の責任で、オリジナルの全文を公開しておこうと考えた次第です。

 以下は、私が定期的に執筆している詩誌『孔雀船』に最近掲載した文章です。毎年、1月と7月に、それぞれ、ほぼ半年間の新譜CDから、私が気になったもの、どうしても触れておきたいものを選んで執筆しています。いわば、私の備忘録です。しばらく、随時さかのぼってお読みいただこうかと思っています。まずは、その初回として、つい最近の2008年7月掲載分を再録します。

■ラトル/ベルリン・フィルによるマーラー「第九」の不思議な軽さ
 マーラーの「第九」は不思議な曲だと、いつも思っている。異常な曲、と言ってもいい。生前、決して作曲家として名声を確実なものとして得ることはなかった大指揮者マーラーが、自身の全生命、全存在をかけて書きつづけた交響曲は、書かれた順に聴くことで、書かれた順に苦悩し救済されていくのだ、と思ってずっと聴いてきた。その私の思いは、今でも変わっていない。だから、この曲の演奏には、ある種の「切実なもの」がなければならない、とずっと思っている。この曲には、自身の存在が崩壊してしまうような恐怖を体験する瞬間があるのだ。このマーラーの音楽が抱えている、あるいはマーラーがこの音楽の中に封じ込めている苦しさは、到底、描き切れるものではない。だからこそ、これまで、何人もの演奏家たちの手によって、少しでもその世界に近づこうとするギリギリの挑戦を受けてきた「奇曲」なのだ。そのたびにオーケストラは、限界までのきしみ音を出していた。
 ラトル・ベルリン・フィルによるこの新盤には、そうした意味で、ほんとうに切実なものがない。ひとことで言えば、「聴く者の全神経を掴んで離さない」といった魔力がない。緊張が持続しないのだ。悪い演奏ではない。だから、困るのだ。自分は安全な側に居て、バーチャルな世界で的確に苦悩を描いているといった意味で、見事な演奏、なのである。フルトヴェングラーのバイロイト・ライブのように、いつの日か、ラトルがもみくちゃになることを望んでいる。EMI国内盤。

■ティーレガントのヴィヴァルディ「四季」が初CD化
 フリードリッヒ・ティーレガントという指揮者をご存じだろうか? あまり人気も、知名度もないが、一部では熱狂的な支持者のいる演奏家である。私もそのひとりだ。かつて、キングレコードの廉価盤名曲シリーズなどのLPレコードで出回っていたから、それとは意識せずに、コレクションの片隅にそのまま置かれている方もおられるかも知れない。この『四季』の録音もそうだが、一時期、ティーレガントが組織した南西ドイツ室内管弦楽団のソリストとして、名手ラインホルト・バルヒェットがコンサートマスターを務めていたから、ヴァイオリンのレコードマニアの集まるヴィンテージ・レコード店で、びっくりするような高値が付いていて、かなり迷惑したこともある。
 ティーレガントは第二次世界大戦が終わって間もない一九五〇年に、この南西ドイツ室内管弦楽団を創設したが、六二年にバルヒェットが交通事故で死去、六八年にはティーレガント自身も死去してしまったため、残された録音はあまりたくさんはない。 この『四季』は、優美に流れるイ・ムジチ合奏団に代表される演奏が多く聞かれるなかで、かなり肌合いの異なる演奏だと思われるかも知れない。だが、よく鳴り、よくしなる弦楽アンサンブルが、しっかりとした足取りでリズムをくっきりと響かせ、かっちりと焦点の合った音楽は、とても心地よい。特に後半の秋から冬の充実した響きは魅力だ。長らく廃盤のまま聴かれなかった演奏の復活である。コロムビア国内盤。

■パイヤールが指揮したドビュッシー音楽の世界
 古典的な音楽の学者兼演奏者の録音としてのイメージが強いパイヤール指揮のパイヤール室内管弦楽団だが、これは、オール・ドビュッシー音楽集。私の記憶に間違いがなければ、元はLP二枚分である。五年ほど前に発売されたCDだが、品切れになって久しく、最近、再プレスで限定発売された。LPレコード時代に私の愛聴盤となっていたのがこのCDの前半で、それは、うっかり傷つけてしまって二回も買ったほどのお気に入りのレコードだった。CDは、そのLPのデザインが再現されているので、ひときわ懐かしいが、後半もLPで所有している。曲目は以下の通りで、すべて、ドビュッシーの作曲。「小組曲」(ビュッセル編曲)/「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」/「六つの古代碑銘」//「フルート、ハープ、ビオラのための協奏曲」/「チェロ・ソナタ」/「ヴァイオリン・ソナタ」。
 この中で最大のお勧めは「六つの古代碑銘」。LPレコードではB面いっぱいに収録されていた。ドビュッシーのギリシア趣味の名曲のひとつとして名高い朗読付きの音楽劇「ビリティスの歌」からドビュッシー自身が選んで、とりあえずピアノ連弾曲としたままのものだが、これにはエルネスト・アンセルメが編曲した華やかなオーケストラ版がある。しかし、このCDはパイヤール自身の編曲版が収録されている。この編曲は、古代的で均衡のとれた美しさが禁欲的な静謐さを醸し出しており、この曲の理想は、この演奏でこそ表現されていると思う。エラート国内盤。

 

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