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(告知)「気谷誠を偲ぶ会」が開かれます。

2009年12月29日 16時13分43秒 | 書物および、愛書家・気谷誠に関すること
美術史家で愛書家の気谷誠氏が亡くなって、1年以上経過しましたが、ようやく、彼を追悼する会を開催する準備が整いましたので、友人有志が手分けして全国の彼を知る人たちに告知をすることになりました。私のブログも、そのひとつとしてお知らせします。

●「気谷誠を偲ぶ会」(仮称)
日 時:2010年1月31日(日)午後2時~4時程度
場 所:東京・一ツ橋「学士会館」
参加費:無料

*友人有志による主催ですので、その意思により特に会費は設けない方針です。

*当日は、気谷誠の絶筆、最後の日々のブログで触れているショパンの「別れの曲」(歌唱:ニノン・ヴァラン)を含むSPレコードを、気谷誠自身がプライベートに編集した音源から制作した私家版のCDを1500円にて特別頒布するほか、遺稿集『西洋挿絵見聞録――製本・挿絵・蔵書票』(アーツ・アンド・クラフツ刊/定価3800円)の販売をして、開催費の一部とします。

*生前に気谷誠と交流のあったソプラノ歌手・越智まり子氏の独唱で、故人が愛聴していた歌曲を数曲聴き、そのあとは自由に、それぞれで故人を偲んで自由に語る会です。故人の幅広い活躍や交流から、おそらく、その日に初対面という方も多数いらっしゃるでしょう。多くの方のご参加をお待ちしています。

*もう少し詳細が決まりましたら、改めて、このブログ上にて告知します。

*お問い合わせは、当面、当ブログのコメント欄にお願いいたします。非表示設定にしてありますので、公開はされません。追って個別に対応いたします。


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ブルックナー:『交響曲第9番』の名盤

2009年12月26日 15時16分39秒 | 私の「名曲名盤選」



 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第33回」です。


●ブルックナー:交響曲第9番

 シューリヒト盤が、ホルンなど金管群のウィーンフィル独特の響きの魅力とあいまって、素晴らしい演奏だ。弦のボーイングにも工夫の跡が聴かれるアクセントで、要所をピタリと止めて輪郭をくっきりさせながら上り詰める自然な高揚感と、鳴り切っても細部が明瞭で濁りがない音は、シューリヒトならではの物。堂々とした音楽の運びに貫かれた名演だ。
 ヴァント/ケルン放送響は、静と動の対比をはっきりさせ、副旋律の扱いも巧みで、茫漠とした感じを極力抑えた現代的アプローチに徹している。ブルックナー演奏の常道から、確信を持って大きく逸脱した強烈な主張だが、随所に力みも聴かれる。
 ヴァントは、この録音の後八八年に北ドイツ放送響と最録音した。これは、全体にテンポを遅めに取り、ブルックナー的な息の長さを積極的に表現している。それは、ホールの長い残響音に支えられた「間」を神秘的な静寂にまで高めるにも効果的で、ケルン盤の良さは引継ぎながら、一段とスケールの大きな音楽になっている。しかし、九三年に行われた北ドイツ放送響との再録音が最近発売された。伝えられるところでは、この再録音はヴァント自身の希望によるもので、前作の残響が長すぎるのが、不満だったという。九三年録音は、八八年盤で獲得した広々としたスケール感をそのままに、明瞭なラインをくっきりと聴かせ、結局、ヴァントの原点がケルン盤にあることを再認識させることとなった。
 ドホナーニ/クリーヴランド管も、明瞭さを第一にした演奏で、弦楽四重奏のような緻密なアンサンブルが聴き物。第三楽章の透明な清澄感には、思わず耳を澄まさざるを得ない。
 アルブレヒト/チェコ・フィルは、こうした最近のブルックナー演奏の延長上にありながら、暖かくなだらかな音楽の香りが、なつかしく感じられる。

《ブログへの掲載にあたっての追記》
 今、読み返してみて、この15年ほど前に書かれた私の文章が持ち出している価値観に、私自身がちょっとたじろいでいます。私は「明瞭であること」を第一義的に、論を進めていますが、それは、結局のところ、私自身が「ブルックナー的」とされている「ある特異な精神」(おそらく、西欧の音楽の中での「教会的」な何かから発せられるもの)に対する愛着のなさが原因なのかな、と思います。だから、この曲の「私の名曲名盤選」は、字義通り「私の」ということでしょう。もっとブルックナーの世界に愛着のある方ならば、まったく違うチョイスになると思います。私や私のチョイスに賛同する方は、たぶん、ブルックナー信者を認ずる方から見ると、異教徒なのです。
 なお、余談ですが、私がこの曲を初めて聴いたのは、DGのフルトヴェングラー盤です。放送記録のテープが発見されたとかで、1960年代の前半に初めて発売された時、私がまだ中学生だったときです。茫漠とした世界の広がりにとても戸惑った記憶があります。確か、この曲を聴ける当時唯一の国内盤でもあったと思います。ブルックナーを聴くことができるレコードなど、ほとんどなかった時代のことです。





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ブルックナー:『交響曲第5番』の名盤

2009年12月24日 16時03分59秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第32回」です。

◎ブルックナー:「交響曲第5番」

 アムステルダム・コンセルトヘボウ管を振ってオットーボイレンのベネディクト修道院でライヴ収録されたヨッフム盤は、特にこの曲を得意にしていた指揮者の共感に支えられた名盤。この曲にことさら求められるオルガン的響きが見事に捉えられ、曲想の描き方、音色の移り変りでは禁欲的でさえある。宗教的敬虔さとあいまって、稀にみる名演となっている。
 一方、この曲の対位法的な音構造を実現するバトン・テクニックの高度さではマゼール盤だ。オケがウィーンフィルなので、そのしなやかさと柔和さが、マゼールの意図をむき出しにせず、大きな広がりと、田園風景的な柔和さを添えることともなっている。ブルックナー的な全休止を強調し、その度ごとに表情づけを変えて曲想に変化を持込むマゼールの演出がかなり前面に出た演奏だから、ブルックナー信者を自認している聴き手には我慢ならないものがあるかもしれないが、バッハ研究家でもあったマゼールの確信に満ちた解釈は、傾聴に応える部分も多い。
 クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管盤は、この曲の厳しさを壮大なスケールで描いた晩年の名演。その乾いた響きと、少々のことには動じないどっしりとしたテンポが独特の雄渾さを生み、ピンと張りつめた休止には巨大な静寂のただならぬ気配がある。ある種の肩に力の入った演奏であることにまちがいはなく、そのことが、ブルックナー的空気感のある世界の発生を妨げていると言うことはできる。だが、こうした覚醒された中で構築されたブルックナーとしては、クレンペラー盤は群を抜いている。
 ウィーン・フィル一五〇年記念に放送テープから起こされたシューリヒト盤は、モノラル録音だが、かなり良好な音質。ひょうひょうと進行する自在さが何よりも貴重で、自然体の豊かな音楽にあふれている。

《ブログへの掲載にあたっての追記》
 ブルックナーに尋常ならざるこだわりをお持ちの方が多いので、そうした方からはヒンシュク物の記述だろうと思っていますが、私のこの曲についての見方は、この古い原稿に端的に表れていると、今でも思います。マゼールに関心のある方は、かえって「我が意を得たり」とばかりにご自身のブログ上で引用なさっていましたが、これが全文です。
 私自身もとても納得している原稿ではありますが、ただ、最小限でも朝比奈、チェリビダッケ、ヴァントを加えて、再考しなければならないかな、とは思っていて、それが果たせずにいるのも事実です。それこそ、直接に「ブルックナー第5の名盤」の原稿を書く機会があって、それなりにじっくりと時間をかけるとどうなるか? とは思いますが、中途半端につまんで聴いて書きなおせるようなテーマではありませんので、とりあえず、これでお許しを。





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「女声唱歌」と「セノオ楽譜」との間、――再説

2009年12月22日 12時06分12秒 | 「大正・昭和初期研究」関連

 12月08日付けの当ブログに、「誠」という方から12月20日00時45分にコメントが寄せられました。翌日「公開」としましたので、既にお読みになった方も居られるかと思いますが、下記に全文引用して、ご返事したいと思います。

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タイトル:はじめまして。
名  前: (誠)
日  時:2009-12-20 00:45:51

コメント:

何か参考になればと思いコメント致します。
ウィキの過去のログ(7/9)に、セノオ楽譜が明治期に発行されていない事が載っています。
 http://www6.atwiki.jp/yuirin25/?cmd=backup&action=list&page=%E3%82%BB%E3%83%8E%E3%82%AA%E6%A5%BD%E8%AD%9C
よって、セノオ音楽出版社の設立時、既に近藤氏は亡くなっています。

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 「ウィキぺディア」は、ご承知のように誤情報が絶えず更新され、そういう意味では、揉まれ鍛えられ続けている情報源として、参考にする価値のあるものの一つだと思っています。(もちろん、真贋を見極めるために別情報との照合をするだけの知識と勘も持っていなければなりませんが…)
 で、もし「ウィキ」に未だに「明治時代には発行されていない」と書いてあるのならば、それは即刻、訂正されなければならないはずです。

 私の手元には「セノオ楽譜 no.1」の「ドナウ河の漣」が2種類あります。一つは「大正8年9月15日9版」とあって「定価25銭」です。もう一つは「昭和2年2月1日18版」とあって「定価30銭」、そして「セノオ」のマークの上には、大正末期に制度として盛んになっていた「登録商標」の文字もあります。どちらにも「明治43年6月27日印刷 7月1日発行」と初版発行日の記載があります。もし仮に、これが、「そのように記載して印刷されたけれども、実際に商品として出荷され流通したのは数年後だった」ということならば、それ相応の証言が文献としてなければならないと思います。

 前回のブログにも再掲載した『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメディア)に所載のコラムでは詳しく触れませんでしたが、私は、近藤朔風の『女声唱歌』発行の明治42年11月から8カ月後の明治43年7月に「セノオ楽譜 no.1」発行という事実と、その後数点しか発行のなかった「セノオ楽譜」が、近藤の急逝した大正4年1月あたりから発行ペースが早まっているのはなぜだろうと思っているのです。ここに、何らかの「残された者の思い」なり「早逝した者の後継者たらんとする意志」を感じるのは、深読みに過ぎるでしょうか? 
 私は、単なる仮説を言っているに過ぎません。だから、「女声唱歌」と「セノオ楽譜」とを繋ぐ糸が見つからない、――あるいは、「近藤朔風(近藤逸五郎)」と「妹尾幸陽(妹尾幸次郎)」やセノオ楽譜の訳詞家「二見孝平」との接点が見つからない、と書いたのです。『女声唱歌』の絶版まで待たなければ、セノオは近藤訳が使えなかったのか、とか、様々な可能性を考えているのです。

 ブログへのコメントをくださった「誠」さんのご指摘のように、

「セノオ楽譜は明治期に発行されていない」→「よって、セノオ音楽出版社設立時に、既に近藤朔風は亡くなっていた」

のではなく、(これは明らかに「誤情報」です。)

「明治期に近藤朔風の『女声唱歌』に続いて発行されたセノオ楽譜は、近藤朔風の死後に精力的な出版活動に弾みがついた」

と、私は見ているのです。そして、それは「なぜか?」です。
 仮説には発想だけではなく、根拠がなければなりませんが、今、私は、いくつかの根拠を「仮説」に対して提示できる程度にはなっています。
 これから、です。




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ドヴォルザーク:『チェロ協奏曲』の名盤

2009年12月15日 14時10分07秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第31回」です。


◎ドヴォルザーク/チェロ協奏曲

 クリスティチーヌ・ワレフスカ/ギブソン盤は驚異的な演奏だ。通り過ぎようとする者をその場に留め置かずには済まさない、凄じい気迫と説得力。〈驚天動地〉とは正にこのような演奏にふさわしい言葉だ。
 豊麗な音がほとばしり前進するワレフスカの強靱な感情表現は、この曲が、今この場で彼女自身によって産み出されつつあるかのような一体感となって呼吸している。情緒に耽溺して引き摺るようなこともない。すばらしい表現力とテクニックを持ったチェリストであるにもかかわらず、話題にする人は少ないが、この曲のベスト盤と信じて疑わない。
 フルニエ/セル盤は、力強さや粘着性を押さえ、洗練された透徹した音楽で貫いた、一方の名演。セルの音楽性もフルニエの目標に沿っているが、スラヴ的なアクセントへのよき理解とベルリン・フィルの重厚な音とが、全体を軽くさせすぎることなく、バランスのよい演奏を生み出している。
 リヒテルやカガンとのトリオで知られるナターリア・グートマンがサヴァリッシュ~フィラデルフィア管と録音した盤は、比較的浅い呼吸とおだやかな起伏で、内面に沈潜した情感をていねいに描いた演奏だ。特に第二楽章の淡い悲しみの静かな語り口などは、この曲の一般的イメージを大きく変えるアプローチだ。
 ヨーヨー・マ/マゼール盤は、凝りに凝った語り口の巧みなマゼール指揮のオーケストラが、冒頭の長い序奏部から存在感がある。これでは独奏者の影が薄くなってしまわないか? と心配になるが、負けじと多彩多弁なチェロが繰り広がる。表情の豊かさでは、おもしろさ随一の快演だ。
 シュタルケル/ドラティ盤は、あふれるばかりの歌心を持ちながらも、張りのある剛直とも言える力を漲らせたチェロが、ドラティの大胆で直截な表現のオーケストラとよく合っている。筆者にとって原体験的演奏だが、いまだに魅力を失っていない。

《ブログへの掲載にあたっての追記》
 この原稿は、よく覚えています。原文は「レコード芸術・編」の『名曲・名盤300』に最終的に再録された前年の雑誌特集の掲載原稿です。例の「点数制」のもの。ネット上で、いまだに引用している方がいますが、その後、洋泉社の私の単行本に載せる際に、大幅に加筆したのが、この原稿です。もうこれ以上、今のところ特に付け加えるべきこともないように思います。つまり、その後、びっくりするような演奏に出会っていないということかもしれません。
 ワレフスカ盤はフィリップス録音です。ぜひお聴きください。グートマンはEMI原盤で、初出の東芝盤は私がライナーノートを書いています。


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「唱歌・童謡100の真実」に、2つめの訂正です。

2009年12月12日 01時20分20秒 | 「大正・昭和初期研究」関連

 10月に刊行した『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメディア)に、訂正しなければならない部分が発見されました。読者の方の投書でのご教示です。
 同書30ページに掲載の「旅愁」で、私は作詞の犬童球渓が東京音楽学校を卒業して最初に赴任したのは「神戸の中学校」と書きました。複数の参考にした文献にそのような記載があったものですが、兵庫県立柏原高校の同窓会関係者の方から、同校の前身である「兵庫県氷上郡柏原町の柏原中学校」だというご指摘をいただいたものです。
 氷上郡は平成の大合併で現在は「丹波市」となっているところで、神戸市街からは、おそらく現在でもJRで1時間半から2時間くらいです。
 ご丁寧に、同校の「百年史」中の犬童について書かれたページのコピーも添えられてあり、そこには犬童が、新設されたばかりの同校「音楽」科の初代教諭であったこと、大正4年に同校が校歌を制定する際には、その作曲を引き受けたということも書かれていました。貴重な資料とご指摘、ありがとうございました。
 これで、重要な訂正は2箇所となりました。いずれも再版の際に訂正しますが、とりあえずブログ上で訂正を公表します。




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日本ウエストミンスターの「スコダ・イン・ジャパン」と、「レーヌ・ジャノーリ」続報ほか

2009年12月10日 18時49分00秒 | 雑文
 東京へ戻ってきて、やっと雑用が片付き落ち着いたので、12月5日の「博多日記」の続きです。

 「博多ヤマハ」で見つけた「日本ウエストミンスター」(東京都豊島区高田)が制作した「板起こし」による復刻CDは、レーヌ・ジャノーリだけではなく、パウル・バドゥラ=スコダのピアノ、ロジンスキー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団によるショパン「ピアノ協奏曲第1番」「同、第2番」も買いました。もう1枚、タスキ裏の広告で「スコダ・イン・ジャパン」というソロのリサイタル盤があることがわかりましたが、これは店頭は売り切れで、取り寄せになると言われたので、旅先だからと断って、昨日、アマゾンで購入しました。アマゾンではアルバムタイトルが「ピアノのおけいこのために」となっているので、単純検索では引っかかりませんでした。皆様ご注意を。これは1961年のスコダ来日時に日本で制作されたアルバムですから、その時のレコード正式タイトルが「ピアノのおけいこのために」だったのでしょう。

 先ほど、クロネコヤマトの「お急ぎ便」で到着したので、さっそく聴いてみました。何か無性になつかしい演奏でした。おぼろげな記憶ですが、ひょっとしたらこれは、私の小学生時代に、父親が人から借りてきてしばらく聴いていたアルバムだったかも知れません。このレコードが我が家に置いてあった数ヵ月ほどの間に、父親に無断で私が聴いていたのが、これだったような気がしてきたのです。
 A面の曲順が、とても自然に聞こえてきました。ベートーヴェン「エリーゼのために」、シューマン「トロイメライ」、ブラームス「ワルツ第15番」、ショパン「別れの曲」、「雨だれ」、「ノクターン 9-2」、ヨハン・シュトラウス「こうもりポルカ」という順。たしか、ここでB面に回ってドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」です。その後はドビュッシー「雨の庭」、「グラナダの夕暮」、シューベルト「楽興の時、第2番」、リスト「ハンガリー狂詩曲、第2番」。どれもとても自然な運びの音楽が奏でられ、暖かな陽だまりで、のんびりと時の経つのも忘れて音楽を聴いていたころ、穏やかで静かだった子供時代の「ある日」のような不思議になつかしいアルバムでした。幸せです! これで1890円は、安い。CD化の音質も満足。丁寧な仕事です。

 ところで、そのアマゾン検索(「スコダ」ではなく、「日本ウエストミンスター」をキーワードにして詳細検索しました)で、またまた幸せ、です。我が愛しの「ジャノーリ」の続編が予約で掲載されていました。年内に「ラヴェル作品集」、来年1月に「モーツァルト・ピアノソナタ選集」第2集です。これは買わなくてはなりません。
 なお、「レーヌ・ジャノーリ」について私自身は、最近では『クラシック・スナイパー』の「3集」「5集」で触れていますが、今度のCDに書かれていた浜田滋郎さんのジャノーリ観と私のジャノーリ観とは、真逆と言っていいくらいの違いがあることが、ライナーノートの書きっぷりでわかりました。どこを聴いてのご発言だろうかと思うくらい、印象が異なります。おそらく私とは違う部分を感じられているのでしょう。
 浜田氏はスペイン音楽に詳しくギターに造詣が深い方ですから、私とは、山下和仁のリサイタルあたりでお会いしていてもおかしくはないのですが、まだご挨拶したことがありません。(お互いに顔を知らないわけですから、たまたまそばにレコード会社のディレクター氏が居たりして引き合わせていただかない限り、知らずにすれ違っているわけですが…。)私自身は、山下のアルバム『黎明期の日本ギター曲集』に書いたライナーノートを、「レコード芸術」誌の月評で、わざわざ私の名前を挙げて「詳細な解説」とご紹介くださったことに感謝していますので、機会があったらお声をかけて、ジャノーリについてもお話ししてみたいと思っています。

 さて、長くなってしまいましたが、この「ジャノーリ」と「スコダ」の他に、博多ヤマハでの成果は、値下げ品として「ワゴン」の中にあったもの2枚です。
 1枚は「山田耕筰 室内楽作品集」です。未完の「弦楽四重奏曲第1番」を冒頭に、「第2番」「第3番」、「弦楽四重奏のためのメヌエット ニ長調」、「ピアノ五重奏曲《婚姻の響き》」、ピアノ曲から数曲、です。演奏が、YAMATO弦楽四重奏団と井田久美子(ピアノ)。これは「ミッテンヴァルト」という初めて見るレーベルで、2000年に発売されたCDです。

 もう1枚は「矢崎&東京シティ・フィル/ライヴ・イン・パリ」というアルバム。矢崎彦太郎指揮、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の2005年9月11日の公演の記録です。パリのフランス国立放送局内にあるオリヴィエ・メシアン・ホールで行われたもので、日本・EU市民交流年記念コンサートだそうです。
 フランスのラジオで放送された音源からのCD化で、発売はロックチッパーレコードとブライエイドレコーズと書かれている国内盤ですが、この名前の会社も初めて見ました。2006年2月の発売です。曲目はベルリオーズ「ベアトリスとべネディクト」序曲、吉田進「クワァルテッティーノ」、ブラームス「交響曲第2番」、マスカーニ「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ビゼー「カルメン」第1組曲よりの前奏曲です。



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竹久夢二が表紙画を描いた『セノオ楽譜』のルーツは何か?

2009年12月08日 10時58分46秒 | 「大正・昭和初期研究」関連

 きょうは『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメディア)の中扉手前に、ページ調整のために印刷直前に書いた「コラム」3本の内の1本の再録です。すでに、これ以外の2本は当ブログに掲載済みですが、どれも私としては、「このことについて今後、詳しく調べてみたい」という備忘録的なものです。



■『女声唱歌』と『セノオ楽譜』との間をつなぐものは?

 明治三〇年代の半ば頃から、女学生のための「唱歌集」が出回るようになったが、それは、日本でも女子教育が徐々に定着してきたことが背景だった。それは大正期に一気に花開いた感があるが、その大正期に直接連なるのが、天谷秀と近藤逸五郎の編による『女声唱歌』という本だと思う。一九〇九年(明治四二年)一一月、水野書店の発行である。特に、この中に掲載された『ローレライ』は、大正ロマン的な雰囲気を色濃く持ち合わせた傑作で、いわゆる大正・昭和初期の「乙女文化」を代表する歌となった。
 大正期の「乙女文化」を語る時に必ず話題になるのが「セノオ音楽出版」が発行していた『セノオ楽譜』のシリーズだ。当時の、いわゆる「お嬢様」たちの間で大切にコレクションされたと言われているもので、しばしば「竹久夢二の表紙画で知られるセノオ楽譜」と形容され、夢二の活躍期と重ね合わせて「大正の半ばに刊行が開始された」とされている。
 だが、実際に『セノオ楽譜』の「第一集・ドナウ河の漣[さざなみ]」が発行されたのは明治四三年七月で、表紙画も夢二ではない。夢二が「セノオ楽譜」の表紙画を手掛け始めたのが、大正中期ということなのだ。
 『女声唱歌』発行のわずか八ヵ月後に『セノオ楽譜』がスタートしていることは、案外重要なのではないかと考えているが、この両者を関係付けている文章を、私はまだ見ていない。
 本書の本文にもあるとおり、『女声唱歌』の訳詞家、近藤朔風は早逝してしまうが、大正の末あたりから、セノオ楽譜のシリーズに、続々と近藤朔風の訳詞が収録される。もちろん表紙は人気の夢二である。しかも、中には本名の「近藤逸五郎」の作、というものまで登場するのだから、これはどうしたことか、と首をかしげてしまうが、関東大震災直後から数年の大衆文化の出版には、謎が多いのである。
 本書『ローレライ』の項にも書いたが、近藤の訳詞がありながら、二見孝平の訳詞が大正六年五月発行の「セノオ楽譜四十七番」で『ローレライの歌』として発売されているのも大きな謎だ(二見訳は、以下のようなもの)。
 「いはれ知らねども心わびし、古きもの語り、そぞろ偲ばれつ、空寒くうすれ、しづけきライン、いり日にはゆる峰[みね]の頂[いただき]。」
 大正六年の時期には、まだ、セノオは『女声唱歌』と同じ歌詞では収録できなかったということなのかも知れない。謎は深まるばかりである。





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「レーヌ・ジャノーリ」のモーツァルト「ピアノ・ソナタ集」を見つけました。

2009年12月05日 23時17分16秒 | 雑文



 きょうは、ひさしぶりに、気まぐれなブログ風に――。
「旅」というものは、不思議なものです。ふだんと違う刺激があり、偶然の出会いがあります。もちろん、CDのことですが……。
 きょう私は、甥っ子の結婚式で、久々に九州・博多を訪れ、昔からお気に入りの中洲の居酒屋で、ひとりで飲んでホテルに戻ってきたのですが、その居酒屋に到着するほんの30分ほど前には、博多天神の丸善とヤマハに寄っていました。
 いずれ、くわしく書きますが、明日は大宰府天満宮で挙式があるので、もうそろそろ寝なければなりません。ただ、とても良い買い物をしたので、うれしくて、それだけは書いて置こうと、モバイルのパソコンを開いたというわけです。
 実は、発売されていることすら知らなかったのですが、1950年代のウエストミンスターのLPからの「板起こし」のCDで、私がずっと(40年近く前から)、こだわり続けているピアニスト、レーヌ・ジャノーリのモーツァルト「ピアノ・ソナタ」が「8番、10番、13番、16番」の4曲だけですが、1枚のCDになっていたのです。まるで、初恋の女性に再会したような感動です! 今どき、こんな仕事をする人もいるのだと、これもまた、感動です。とても丁寧な仕事で、解説は、私のように昔からお好きだったらしい浜田滋郎さんによるオマージュです。旅先なので、持ってきたパソコンが小型のノートで、CDドライブが付いていないので聴けないのが残念ですが、私の頭の中では、このブログを書いている今も、鳴り響いています。
 「博多ヤマハ」さん、とても個性的で丁寧な品ぞろえでした。思わず、「改築中で狭くなっている東京の銀座店よりも、おもしろいね」と店員さんに声をかけてしまいました。
 ここでの「成果」は帰京後にご報告します。やっぱり、たまには、違う土地に出かけてみるものです。
 それではみなさま、おやすみなさい。

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「2004年プラハの春・国際音楽祭」での名古屋フィルハーモニー

2009年12月03日 14時10分03秒 | ライナーノート(日本クラウン編)



 以下は、名古屋フィルハーモニーのライブ音源から発売されたCDのライナーノートの一部です。2005年3月に発売されたものと記憶しています。原稿の執筆完了日は、2005年1月13日です。この時、CDアルバムは4点制作され、いずれも私がライナーノートを書きました。どれも、素晴らしい演奏の記録ですので、ご興味のある方は、名古屋フィルハーモニーのホームページをご覧ください。まだ、購入できるはずです。


◎ライナーノート本文◎


《「プラハの春」での名フィル》
 ――名古屋フィルハーモニー四態(その1)

 2004年の「プラハの春・国際音楽祭」に、名古屋フィルハーモニー交響楽団は正式招待された。ドヴォルザーク没後100年というメモリアル・イヤーにあたり、メイン会場である「スメタナホール」ではドヴォルザークの交響曲全9曲の連続演奏会が企画されたが、その内の「第2番」「第8番」が名フィルの演奏曲目であった。指揮はチェコの新進トマーシュ・ハヌスが「第2」を担当し、「第8」は名フィルとは客演指揮で馴染み深い武藤英明。いずれの演奏も、ドヴォルザークの音楽に精通しているプラハの聴衆を熱狂させた名演で、改めて名フィルの実力の高さを遠くヨーロッパの音楽ファンに示すものとなった。このCDは、その2日間の演奏会のライヴ録音から、メイン曲である交響曲と、それに続けて演奏されたアンコール曲を収録したものである。

■全交響曲ツィクルスの全貌
 2004年の「プラハの春・国際音楽祭」でのドヴォルザークの交響曲全9曲の演奏は、チェコ内外の6つのオーケストラ、9人の指揮者に依頼された。これを日程順に記すと、以下のようになる。

・5月20日「第6番」(レナート・スラットキン指揮BBC交響楽団)
・5月21日「第5番」(セルジュ・ボド指揮プラハ交響楽団)
・5月23日「第8番」(武藤英明指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団)
・5月24日「第2番」(トマーシュ・ハヌス指揮名古屋フィルハーモニー交響楽団)
・5月26日「第4番」(ロベルト・モンテネグロ指揮プラハ放送交響楽団)
・5月28日「第3番」(クリストファー・ホグウッド指揮チェコ・フィルハーモニー)
・5月29日「第7番」(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団)
・5月31日「第1番」(リチャード・ヒコックス指揮プラハ交響楽団)
・6月2日/3日「第9番」(ズデニェク・マーカル指揮チェコ・フィルハーモニー)

 なかなかの陣容に名古屋フィルが肩を並べているだけでなく、複数曲を担当するオーケストラとして、地元のチェコ・フィルとプラハ響のほか、名古屋フィルの名前が上がっているのが目を引く。また、「第9番《新世界より》」と並んでドヴォルザークの交響曲の中でも傑作とされ、演奏される機会も多い「第8番」が日本の武藤~名フィルに任されたということも、注目すべきことだ。

■名フィルが演奏したコンサートの詳細
 「プラハの春・国際音楽祭」で名フィルが演奏した2回のコンサートの詳細を記そう。

●5月23日(日)8:00pm スメタナ・ホール
・新実徳英:二十弦箏とオーケストラのための《宇宙樹――魂の路》(独奏:野坂恵子)
・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調 作品64(独奏:漆原啓子)
・ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 作品88(指揮:武藤英明)
●5月24日(月)8:00pm スメタナ・ホール
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調 作品30(独奏:カレル・コシャーレク)
・ドヴォルザーク:交響曲第2番変ロ長調 作品4(指揮:トマーシュ・ハヌス)

 また、23日にはアンコール曲としてドヴォルザークの「スラブ舞曲」第9番および第15番、24日には「同」第13番が演奏されている。今回のCDに、いずれも収録されている。
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 この2つのコンサートと同一のプログラムを、名フィルはプラハでの演奏前に、4月22日の第302回と5月5日の第303回の定期演奏会で取り上げている。第302回が「第2番」ほかでハヌスの指揮、第303回が「第8番」ほかで武藤の指揮。303回では、ヴァイオリン独奏も、プラハでのコンサートと同じ漆原啓子が担当した。正に、入念な準備を行なった上で臨んだ演奏だったと言えよう。
 なお、名フィルは、この5月5日の定期演奏会の直後にヨーロッパ・ツアーに出発。デュッセルドルフ、グラーツ、クラーゲンフルト、ウィーン、インスブルックの各都市で、武満徹「セレモニアル」とメシアン「トゥランガリラ交響曲」を演奏してのプラハ入り。かなりハードなスケジュールだったが、旅の疲れを感じさせない充実した演奏だったことは、このCDでも充分に感じられる。

■このCDの演奏について
 武藤英明指揮の「交響曲第8番」は、曲の冒頭から、大きな抑揚を伴った豊かな表情に特筆すべきものがある。名フィルの第3代音楽監督兼常任指揮者として、今日の名フィル発展に大きく貢献した外山雄三は、名フィルの美質を「演奏の密度、精度、そして何より表情の積極性と濃密さ」にあると語っているが、正に、そうした名フィルの本領発揮というべき名演が、ドヴォルザーク音楽の故郷、プラハの「スメタナ・ホール」に響き渡ったのだ。
 この演奏からは、指揮者もオーケストラも完全に曲を手中に収めているのが、よく伝わってくる。こまやかな表情づけが、どのパートを聴いても借り物の感がなく、最初からそのようにそこにあるかのように淀みなく音楽が流れてゆく。しかも生き生きとして開放的で、喜びにあふれている。
 第2楽章の入りの抑揚の深さ、それに続く細心の注意を払ったかのような秘やかな進行には、思わず息を呑んでしまう。このあたりは日本人ならではの感性とも言えようが、鎮まりかえった会場の緊迫感が、聴衆の共感をよく伝えている。全曲でも白眉の楽章だ。
 第3楽章では弦楽アンサンブルの精緻さが素晴らしく、終楽章での骨太の足どりと長大で執拗な展開へと連なってゆく。
 指揮の武藤は、名古屋フィルハーモニーの客演指揮者として名フィルの聴衆に馴染み深い指揮者のひとりだが、同じくらいチェコの聴衆にも知られている日本人指揮者だ。桐朋学園で斎藤秀雄に師事した後、渡欧、ズデニェク・コシュラーに師事。1977年国際バルトーク・セミナーで最優秀指揮者に輝き、プラハ響、プラハ放送響、スロヴァキア・フィル、ブラティスラヴァ放送響などを客演した後、1986年にはプラハ放送響の客演常任指揮者に就任し、翌87年には早くも「プラハの春・国際音楽祭」で手腕を発揮し評価され、現在に至っている。しばしば、チェコ語で寝言をいうなどとも言われるほどチェコに親しんでいる武藤だが、それでも、ここにあるのは紛れもなく日本人の語法による音楽だと思う。
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 「交響曲第2番」は、ドヴォルザークの交響曲の中では演奏される機会の少ない作品のひとつだが、「第8」に連なるボヘミア的な自然描写の原型も聴かれ、習作期の作品としては重要な作品だ。トマーシュ・ハヌスの指揮は、若々しさの横溢した隅々まで生き生きとした音楽がまず魅力だが、それでいて、楽譜の細部がよく透けて聞こえてくる演奏で、初期のドヴォルザークの苦心の書法が明快に伝わってくる。
 ハヌスは、先にも触れたように、名フィルとは、1ヵ月ほど前の定期演奏会で初客演し、このプラハでの演奏が2度目だったが、ハヌスの共感と愛情に包まれた棒に、オーケストラもよく応えている。
 トマーシュ・ハヌスは、1970年生まれのチェコ期待の新進指揮者。チェコが生んだ20世紀の偉大な作曲家ヤナーチェクの生家からわずか200メートルのところで育ったという。ブルノ音楽院で学び、後に指揮をビエロフラーヴェク、ロジェストヴェンスキーに師事した。22歳でプロ・デビュー。プラハ室内フィルの前身であるニュー・チェコ室内管弦楽団を創立。チェコ・フィル、プラハ響、プラハ・フィル、ブルノ・フィルなどを指揮。その後、ドイツ、スロヴァキア、ポーランド、イタリア、スイス、スペインでも活動し、2003年からはスロヴァキア・フィルの指揮者に就任している。これまで、「プラハの春・国際音楽祭」にもしばしば出演しているが、国外のオーケストラを指揮しての登場は、この名フィルとが初めてとなる。チェコ・オペラ・フェスティバルのオープニングとクロージングを担当するなど、オペラにも精力的に取り組んでいる。

(以下、収録曲の解説、演奏者プロフィールが続いていますが、当ブログでは省略しました。)





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ドヴォルザーク:『交響曲第7番』の名盤

2009年12月01日 12時26分19秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第30回」です。


◎ドヴォルザーク:交響曲第七番

 ドヴォルザークは、その生涯に9曲の交響曲を作曲したが、生前に出版されたのは五曲で、この第七番は、かつて第二番とされていたものだ。第六交響曲(発表当時は第一番)の成功によって経済的にもゆとりの出てきたドヴォルザークが、一九八五年の初めに作ったポヘミアの別荘で、三カ月ほどで書き上げたと言われている。
 ドヴォルザークの全交響曲の内でも、その恩師ブラームスの影響が最も大きく開花した傑作で、その後の第八、第九「新世界より」に見られる民族的抒情性が抑制され、構築的な、よく書込まれた作品となっている。
 モントゥは長いキャリアにもかかわらず、ドヴォルザークの交響曲を一度だけしか録音していない。それがロンドン響との「第七番」だ。「第八」「第九」を録音していないのは、ボヘミア色の濃いこれらを振るに自身は相応しくないと考えていたからだろうか? それを裏付けるように、モントゥの「第七」は正統的なドイツ音楽に対するアプローチと同じで、その正面からの正攻法が充実した演奏となっている。
 マゼール/ウィーン・フィル盤は、ブラームスとのかかわりを意識的に引出した演奏。特に第一楽章での、流麗なフレーズと、とつとつとしたブラームス的な後ろから押し上げる音型との対比は鮮か。中間楽章は、キメの細かな表情づけがウィーン・フィルののびやかな音色と相まって美しい。そしてギクシャクした情熱をくり返しぶつける終楽章まで、一貫してブラームスの第三交響曲を思わせるような濃厚な演奏に徹して成功している。一見個性的だが、この曲の本質の一端をよくとらえた演奏だ。
 ブラームスを得意としていたバルビローリは感情表出の豊かな演奏。バルビローリにしてはむしろ速めのテンポで、力強く急激なスフォルツァンドをくり返し、大きくゆれながら情熱的に進行する音楽を聴かせる。中間楽章の独特の歌も魅力だ。

《ブログへの掲載にあたっての追記》
 バルビローリ盤は、ハルレ管弦楽団との英パイ録音です。ドヴォルザークの「交響曲全集」を残しているケルテス/ロンドン響の録音は、どの曲もよい演奏なのですが、なぜか、強い印象がありません。
 この曲は、ドヴォルザークの「学習」の集大成といった趣がある曲で、この後、民族色を深めていくわけですが、その意味で、ここでの私の名盤選択の基準は、今でも納得しています。しかし、この「第7」から、ドヴォルザークの出自としての民族の血の匂いを敏感に嗅ぎ取り、その部分をデフォルメした演奏があれば、興味深いことかもしれないと、最近は思っています。



 
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