前回に引き続いて、MCAビクターから発売されたウエストミンスター盤のCD復刻シリーズ発売時のライナーノートの再録です。執筆は、1997年5月28日と記載されています。私の手元に残っていたフロッピーデータが、CD制作担当者の、MCAビクター/洋楽部 石川英子さん宛の通信文も一緒になっていました。
楽屋おちですが、私個人としては、「そんなことを考えていた時期なのか」とちょっと懐かしかったので、以下に掲載します。
MVCW-18011のライナー・ノートをファックスします。枚数制限いっぱいに収めましたが「ペールギュント」には触れられませんでした。けれど、原稿内容は、私なりに気に入っています。御感想など、お聴かせいただければ幸いです。シェルヘンのラインナップ、どうなりそうですか。気にしています。
ファックスで原稿を送っているところが、時代を表しています。まだ、メールを使っている人は周辺にあまり居ませんでした。私も、このころから、恐る恐る使いはじめたように記憶しています。
●時代に抗した〈多弁な音楽〉の充実を聴く
ロジンスキーのウェストミンスターへの録音の全貌が、次第に明らかになりつつある。今回の新しい復刻によって、細部までクリアな音質が達成され、ロジンスキーの個性を支えていたものの〈ありか〉が、より鮮明に伝わるようになったが、これらは、音質の改善というよりも、むしろ、初めて聴きとれるようになった部分さえあるものと言ってよい。
ロジンスキーはきびしい練習で有名だった指揮者のひとりで、それが、アメリカのオーケストラ・マネージメントとの圧轢を生み、ポストを失うことになったと、しばしば言われている。だが、ウェストミンスター録音での相手となったロイヤル・フィルは、おそらく真正面から指揮者の要求に応えたに違いない。録音セッションで、どれほどの手間をかけることが許されていたかはわからないが、それでも、細かな指示の痕跡がいたるところで聞こえ、喰い付きの良いオーケストラの良質なアンサンブルが味わえる。それは、レコーディング・データにも表われている。「新世界」の録音に4日間もかけているとすれば、それだけでも、かなりの〈労作〉だ。
「新世界」の第1楽章の序奏部の丁寧な進行からは、底光りのする音が聞こえてくる。かなり意識的なアゴーギクが、ティンパニの強烈な打撃を準備する。主部に突入し、第1主題がホルンによって高らかに描かれる。木管群の応答が細部までよく聞こえて続き、テンポが微妙に早まっていくが、アンサンブルの強靱さは保ち続けられる。フルートとオーボエによる第2主題は、第1主題の木管の動きを受継いで、表情を押さえて開始される。
第2楽章でも、イングリッシュ・ホルンの独奏に至るまで、その節まわしに指揮者の意図の強さを感じる。通り一遍では済まさないといった感じで、考えぬかれた進行による緊張が全編を覆っている。これらが、音楽の根源的な力を失うことなく行われていることに、改めて、ロジンスキーの音楽の凄味を感じる。
第3楽章から終楽章にかけての盛り上がりも見事で、実にタフな音楽のほとばしりが矢継ぎ早に繰り出される。しばしば、バランスを欠いたように突出する管のフレーズに戸惑うが、このあたりも、弦楽主体に重厚長大な音楽が主流だった時代にあっての、ロジンスキーなりの抵抗だったのだろう。
音楽は、もっと多弁であるべきだというふてぶてしさこそ、ロジンスキーが、同時代の聴衆に向けたメッセージだった。今日では、これほどにムキになる必要はなくなったが、彼の時代には、自身の芸術家としての全てを賭けるほど、大切なことだったのだと思う。エネルギッシュに内燃する「新世界」だが、いわゆる情熱的な指揮者が煽りたてて築き上げる音楽とは明らかに異なる。細部の検討を積み重ねた末の、的確なペース配分と充実した響きに支えられた音楽の、ずしりとした手応えが、ロジンスキーの信条だ。音楽に対する信念を最後まで貫き通した人の演奏として、傾聴したい。