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ロジンスキー その2

2008年11月30日 02時25分00秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 前回に引き続いて、MCAビクターから発売されたウエストミンスター盤のCD復刻シリーズ発売時のライナーノートの再録です。執筆は、1997年5月28日と記載されています。私の手元に残っていたフロッピーデータが、CD制作担当者の、MCAビクター/洋楽部 石川英子さん宛の通信文も一緒になっていました。
 楽屋おちですが、私個人としては、「そんなことを考えていた時期なのか」とちょっと懐かしかったので、以下に掲載します。

 MVCW-18011のライナー・ノートをファックスします。枚数制限いっぱいに収めましたが「ペールギュント」には触れられませんでした。けれど、原稿内容は、私なりに気に入っています。御感想など、お聴かせいただければ幸いです。シェルヘンのラインナップ、どうなりそうですか。気にしています。  

 ファックスで原稿を送っているところが、時代を表しています。まだ、メールを使っている人は周辺にあまり居ませんでした。私も、このころから、恐る恐る使いはじめたように記憶しています。


●時代に抗した〈多弁な音楽〉の充実を聴く
 ロジンスキーのウェストミンスターへの録音の全貌が、次第に明らかになりつつある。今回の新しい復刻によって、細部までクリアな音質が達成され、ロジンスキーの個性を支えていたものの〈ありか〉が、より鮮明に伝わるようになったが、これらは、音質の改善というよりも、むしろ、初めて聴きとれるようになった部分さえあるものと言ってよい。
 ロジンスキーはきびしい練習で有名だった指揮者のひとりで、それが、アメリカのオーケストラ・マネージメントとの圧轢を生み、ポストを失うことになったと、しばしば言われている。だが、ウェストミンスター録音での相手となったロイヤル・フィルは、おそらく真正面から指揮者の要求に応えたに違いない。録音セッションで、どれほどの手間をかけることが許されていたかはわからないが、それでも、細かな指示の痕跡がいたるところで聞こえ、喰い付きの良いオーケストラの良質なアンサンブルが味わえる。それは、レコーディング・データにも表われている。「新世界」の録音に4日間もかけているとすれば、それだけでも、かなりの〈労作〉だ。
 「新世界」の第1楽章の序奏部の丁寧な進行からは、底光りのする音が聞こえてくる。かなり意識的なアゴーギクが、ティンパニの強烈な打撃を準備する。主部に突入し、第1主題がホルンによって高らかに描かれる。木管群の応答が細部までよく聞こえて続き、テンポが微妙に早まっていくが、アンサンブルの強靱さは保ち続けられる。フルートとオーボエによる第2主題は、第1主題の木管の動きを受継いで、表情を押さえて開始される。
 第2楽章でも、イングリッシュ・ホルンの独奏に至るまで、その節まわしに指揮者の意図の強さを感じる。通り一遍では済まさないといった感じで、考えぬかれた進行による緊張が全編を覆っている。これらが、音楽の根源的な力を失うことなく行われていることに、改めて、ロジンスキーの音楽の凄味を感じる。
 第3楽章から終楽章にかけての盛り上がりも見事で、実にタフな音楽のほとばしりが矢継ぎ早に繰り出される。しばしば、バランスを欠いたように突出する管のフレーズに戸惑うが、このあたりも、弦楽主体に重厚長大な音楽が主流だった時代にあっての、ロジンスキーなりの抵抗だったのだろう。
 音楽は、もっと多弁であるべきだというふてぶてしさこそ、ロジンスキーが、同時代の聴衆に向けたメッセージだった。今日では、これほどにムキになる必要はなくなったが、彼の時代には、自身の芸術家としての全てを賭けるほど、大切なことだったのだと思う。エネルギッシュに内燃する「新世界」だが、いわゆる情熱的な指揮者が煽りたてて築き上げる音楽とは明らかに異なる。細部の検討を積み重ねた末の、的確なペース配分と充実した響きに支えられた音楽の、ずしりとした手応えが、ロジンスキーの信条だ。音楽に対する信念を最後まで貫き通した人の演奏として、傾聴したい。


   
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ウエストミンスター盤のロジンスキー

2008年11月24日 13時27分49秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

【ブログへの転載に際しての付記】
当該CDの表紙の画像を挿入してみました。まだ、操作法がよくわかっていないので、位置を決められませんが、とりあえず試してみます。



 以下は、MCAビクターから1997年6月21日に発売されたウエストミンスター・レコードのCD復刻盤のために書かれた「ライナー・ノート」です。ロジンスキー指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団によるフランク『交響曲 ニ短調』『交響詩《呪われた狩人》』の2曲を収録したものです。執筆は1997年4月30日となっています。


●確固とした造形に支えられた熱気を聴く
 ロジンスキーは、第2次世界大戦後まもなくアメリカでの職を失ってしまい、1950年代の終わりには世を去ってしまったため、比較的忘れられがちな指揮者の一人だ。だが、その実力は生前から高く評価されており、当時のアメリカの新興レコード会社ウェストミンスターは、アメリカを追われたロジンスキーの録音を、ロンドンとウィーンのオーケストラとの共演でいくつか残している。今回のフランクも、その中の1枚だ。ウェストミンスターの他には英EMIに数枚の録音がステレオ録音で残されている程度だから、ウェストミンスターへの一連の録音が、ロジンスキーの芸風を幅広く聴くには最もまとまったシリーズと言ってよいだろう。いずれも、音楽に対する信念を最後まで貫き通した人の演奏として、気迫のこもった演奏ばかりだ。
 ロジンスキーはきびしい練習で有名だったが、それが、アメリカのオーケストラ・マネージメントとの圧轢を生んだと言われている。だが、ウェストミンスター録音での相手となったロンドンのオーケストラは、おそらく真正面から指揮者の要求に応えたに違いない。底光りのする音が聞こえていた。それは、いわゆる情熱的な指揮者が煽りたてて築き上げる音楽とは明らかに異なる。私たちは、そうした指揮者の音楽がしばしば空回りしてしまうイギリスのオーケストラの特質を、いくつか聴いている。だが、ロジンスキーの演奏からは、細部の検討を積み重ねた末の、充実した響きに支えられた音楽の、ずしりとした手応えが聞こえていた。
 そのことは、ウィーンのオーケストラとのフランク「交響曲」にも言えることだ。序奏部を聴いただけで、表情の変化のきめこまかな動きの見事さに驚かされる。主部に突入してからは、ロジンスキーの独壇場だ。個性的なテンポのうねりやアクセントが、その場の即興ではなく、各セクションがピタリと揃って、グサリと打込まれるのは、ロジンスキーの演奏の大きな特徴だ。内にある〈音楽〉の根源的な生命力を、オーケストラが、技術とのバランスで保っている時の独特の緊張を、しばしば感じることができる。これは、優美さに安住していない時のウィーンのオーケストラの、独特の魅力を引き出した演奏だ。
 最近でこそ、こうした〈ていねいな〉演奏はあたり前になり、むしろ、時として、ていねいさばかりが耳について、全体を大きく流れる音楽の勢いが失せてしまった演奏さえ表れるようになった。ロジンスキーの残した演奏は、そうした演奏スタイルが、どこから発信されなければ、私たちの心に届く音楽になり得ないかを考えるよい機会となるだろう。
 「呪われた狩人」は、冒頭の金管の響きですぐ気付くが、フランスの多くの指揮者が演奏するようなラテン的な響きとずいぶん異なる。とかくフランス系の音楽と見られがちなフランクの作品に横たわるドイツ・オーストリア圏の音楽美学が、「交響曲」以上に顕著に表現された演奏だ。




 

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ウェストミンスター盤のウィーン・コンツェルトハウス四重奏団

2008年11月18日 11時09分47秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

 先々週、先週に続いて、ウェストミンスターの弦楽四重奏団の3回目です。3つを合わせてお読みいただければ幸いです。文末記載の通り、私の執筆は1996年8月5日です。今回、久しぶりに読み直してみましたが、ここで語っている思いは、今でも少しも変わっていません。録音特性がRIAAカーブではない仕様の古いLPや、もこもこした再々プレスの鈍い音のLPレコードでしか聴いていない方には、特に、お読みいただきたいと思っています。私はまだ、クラシック音楽演奏の未来に希望を失ってはいません。なお、文中で触れている「カンパーのワンマンショーのようになっていて誤解されている」という、その後の、メンバーの異なる演奏は日本コロムビアの国内録音で、これは復刻CDが出ていたと思います。


■確かな造形と、リズムの冴えこそが真髄
 このCDは、1950年代に発売されて以来、高く評価されてきたウィーン・コンツェルトハウス四重奏団によるハイドンの一連の弦楽四重奏曲録音から復刻された1枚だ。録音はいずれも1954年で、それだけで古い録音の復刻盤特有のくすんだ音を想像するひとが多いだろうが、これは実にクリアな音だ。アメリカ資本の新興レーベルだったウェストミンスターは、当時、最新のハイファイ技術を売り物にしていた。そのサウンド・ポリシーは、分離の良さと、目のさめるような抜けの良さにあった。今回の一連のCD復刻の音質は、オリジナルの録音が、かなりな高水準であったことを再認識することともなっている。
 ところで、このアメリカの新興会社は、戦後のウィーンの音楽家たちの演奏を次々に世に出していったが、それは、戦前から世界のレコード市場に登場していた人々とは違う、戦後の新しいウィーンのローカリズムを引き出す結果ともなった。例えば、このCDのウィーン・コンツェルトハウスSQの演奏は、戦前のSPレコード時代の演奏家、レナーSQや、あるいはクライスラーのヴァイオリンのような優雅で甘美な情緒にあふれたスタイルとは明らかに異なっている。むしろ、みずみずしい清新な気迫にあふれた造形と、引き締まったリズムの冴えに驚かされる。安定したテンポと抑制されたレガートが、軽やかな音楽の流れを保証していて心地よい。これが、ロマンティックな精神主義からの音楽の開放を求めた大指揮者ワインガルトナー以降のウィーンの音楽家の真髄なのだ。彼らの演奏は〈古き佳き時代を伝える懐かしい演奏〉ではなく、〈新しい時代の出発点となった演奏〉と考えた方がふさわしい。
 この四重奏団は、その末期には第1ヴァイオリンのカンパー以外がすべて入れ替わって若い奏者となったため、カンパーのワンマン・ショーのようになってしまった。そのため、かなり持ち味が誤解されているが、このCDの彼らの演奏は、お互いの音を聴き合いながら進行する緊密なアンサンブルの有機的な結び付きが見事だ。このあたりも、個性をぶつけあう行き方を採らない今日に連なる彼らの特質だった。 彼らの演奏と現代の演奏に違いがあるとすれば、それは緊密なアンサンブルが、彼らの生活そのものの反映であることをうかがわせるような、日常性を感じさせることかも知れない。最近の室内楽演奏からは、こうした日常性が薄れて、アンサンブルが機能目的化しているような貧しさを感じることが多い。それが〈新しさ〉だというのは、淋しいことではないか。今の時代が彼らから直接学ぶことは、まだ多い。 コンツェルトハウスSQの演奏は、今からでも私たちの時代の室内楽が、室内楽らしい愉悦を取り戻せるかも知れないということに、気付かせてくれる。彼らの音楽のスタイルは、まだ〈過去の美しい思い出〉として遠くに置かれるものにはなっていないのだ。(1996.8.5)



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バリリ四重奏団とウェストミンスター盤

2008年11月12日 20時43分39秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 先週のブログへの掲載に続いての、「ウエストミンスター」盤における弦楽四重奏録音へのコメントの2回目です。前回掲載分と同じく、大量に復刻CDが発売された当時、発売元のMCAビクターのディレクター石川英子氏から依頼されて執筆したライナーノートです。執筆は「1996年11月4日」です。なお、私の手元に残っていたフロッピーデータの末尾に、100字ほどの文章が残っていました。おそらく、ライナーノートの原稿として渡す際に、字数オーバーでカットしたものではないかと思われますが、記憶がはっきりしません。今読み返すと、ちょっと言わずもがなの感もありますが、一応そのまま、付け足しておきます。
 次回は、「ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団」について、です。

■ウィーン・フィルを背景にしたバリリ四重奏団のアンサンブル
 第2次世界大戦が終結し、長いナチス・ドイツの脅威からウィーンが開放された直後の1945年に結成されたバリリ四重奏団は、ウィーンの音楽家たちの世代交替と呼応するかのように、ウィーン・フィルの若きコンサート・マスター、ワルター・バリリを第1ヴァイオリンに、ウィーン・フィルのトップ奏者たちによる伝統ある弦楽四重奏団として1951年に再編成された。その後55年にチェロがリヒャルト・クロチャックからエマヌエル・ブラベッツに交替し、1959年まで活動した彼らは、正に新時代の幕開けのウィーン・フィルのミニチュア版と言ってよい四重奏団だった。
 彼らの音楽が、明瞭な旋律の輪郭を大切にして一音一音をくっきりと聴かせるのは、やはり戦後世代の一員であるからに違いないが、それと同時に伸びやかで自在な音楽の魅力に溢れているのは、ウィーン・フィルの音楽家の伝統でもある。おそらく、バリリ四重奏団を今日に至っても聴き続ける喜びは、この2点にかかっている。
 彼らの演奏が決して古めかしさを感じさせないのは、情緒纏綿とした中に迷い込まない均衡感を保ち得ているからだ。そして、どこかしら私たちをほっとさせる穏やかさと優しさを持っているのは、彼らのアンサンブルが緊密な厳しさよりも、柔和な語らいを大切にしているからだ。「ラズモフスキー第2番」の第1楽章を聴いてみよう。冒頭の和音から主題提示に至るプロセスがなだらかな起伏に終始していて、例えば50年代を代表する録音と言われるブダペスト四重奏団と聴き比べると、バリリ四重奏団の大らかさが際立っていることが理解できる。展開部でも、ブダペストのようなテンポの緩急の大きな変化を持ち込まず、あくまでも一定したテンポを基調に、旋律を慈しむように進行していくのがバリリ四重奏団の演奏だ。その音楽の充実感は、誤解されると困るのだが敢えて言えば、決して個性的とは言えない指揮者のもとでウィーン・フィルが得意のレパートリーを演奏している時に聴かせる自発性に通じる世界と言ってもよい。
 音楽演奏に於ける〈個性〉というものは、戦後世代に特有のものではなく、もちろん戦前からあったわけだが、それが個人の〈癖〉や〈体臭〉の独裁的発露から、相対的な〈自己主張〉の民主的闘争の様相を持つようになったのが、戦後の演奏の傾向ではないかと私は思っている。それが、室内楽の演奏も大きく変質させた。70年代にウィーンに現われたアルバン・ベルク四重奏団や、80年代のジュリアード四重奏団で同じ「ラズモフスキー第2番」を聴くと、その強く前面にせり出してくる音楽の鋭さに圧倒される。だが、バリリ四重奏団の、音楽の自然な流れを乗りこなしている彼らの音楽に触れると、室内楽の分野が〈自己主張〉という怪物によって獲得したものと引換えに失ったものが、ここでは豊かに息づいているのが聞こえてくる。

                    *

 音楽に対するこのような接し方は決して、まだ過去のものとはなっていないはずだが、なかなかCDという商品として私たちの前に登場しないのは、聴き手の方で、刺激的な個性ばかりを求め過ぎてきたためなのかも知れない。


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アマデウス弦楽四重奏団とウエストミンスター・レーベル

2008年11月06日 11時34分31秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
 先週に引き続き「ウエストミンスター盤」の話題です。以下は、1996年に、ウエストミンスターのCD復刻がMCAビクターから順次リリースされた際に依頼されて執筆した「ライナー・ノート」のひとつです。弦楽四重奏団の録音が大量に発売された中から、この「アマデウス四重奏団」のほか、「バリリ四重奏団」「ウイーン・コンツェルトハウス四重奏団」についても書いています。私としては、ウエストミンスターの室内楽をめぐる3部作といったものです。次回以降、これらを掲載します。なお、以下のライナーノートの執筆時期は「1996年10月3日」です。この段階ではまだ発売されていませんでしたが、後になってDGから、アマデウスSQのモノラル録音がまとめてCD化されています。ボックス入り分売不可の輸入盤でしたが、ウエストミンスター録音も含んだものでした。

■アマデウスSQに戦後室内楽のルーツを聴く
 アマデウス四重奏団はチェロのマーティン・ロヴェット以外の3人がウィーン出身で、しかも〈ウィーンの室内楽〉をキャッチ・フレーズにしたウェストミンスター・レーベルから、かなりの録音がモノラルLP期に発売されているから、〈ウィーンの流れを汲む団体〉という見方が古くからの音楽ファンにはあるようだ。一方、60年代以降のドイツ・グラモフォンから発売のステレオLPを中心に聴いてきた人々は、彼らをイギリスのカルテットとみなしがちで、その演奏スタイルに節度とバランスの美しさを見出すようだ。
 しかし、この間のアマデウス四重奏団にスタイルの変貌があると仮定しても、それはほんとうにウィーン―→ロンドンという図式で語られるものなのだろうか? モーツァルトの弦楽四重奏曲では、アマデウス四重奏団の演奏は、「第14番」が新星堂=東芝エンジェルの復刻CDで1950年のEMI録音が聴け、「第17番《狩》」は、51年録音の当CDの録音の後、63年のグラモフォン録音と、同じくグラモフォンによる80年代のデジタル録音を聴き比べることができる。50年のEMI録音はもちろんロンドンに於ける録音だが、当CDもウェストミンスター盤とはいえ、英ニクサ・レコードとの提携によるロンドン録音だ。だから、というわけではないが、同じウェストミンスター盤のモーツァルトでも、例えばバリリ四重奏団のようなウィーン・フィル的な演奏様式とはかなり肌合いが異なる姿を聴かせる。もちろん、戦前派の第1ヴァイオリン主導型の四重奏団に比べると、バリリもアマデウスも、いわゆるアンサンブル重視型では共通しているが、端正でみずみずしいながらも抑制された旋律の歌わせ方に、今世紀前半にヨーロッパに現われたザハリッヒカイトの影響を感じ取ることができる。アマデウス四重奏団の演奏は、彼らが、ウィーン・フィルの系統とは違うところから登場したこと、むしろ、ウィーンにも脈々と受け継がれていたザハリッヒな音楽の洗礼を受けていたことを想起させる。彼らは、戦後ウィーンの復興機運の只中から距離を置いて、ロンドンに渡ることで、新時代のスタイルの確立を容易なものにしていったようだ。
 アマデウス四重奏団は、室内楽がほのぼのとした味わいを宿していた最後の世代だが、同時に緊密なアンサンブルの構成力を前面に押し出して次世代への橋渡しの役割も果した。そして、その後の室内楽の有り様の変化が急激に襲ってきた時代を長く歩んだ彼らは、自らの音楽も時代とともに洗われてきた。3種の「狩」はその好例だ。当CDの演奏が陰影の濃い深々とした音楽で、全体が大きな塊りに凝縮されているのに比べて、次第に細部が先鋭化され、ソロの集合体のような表現力への切り込みを聴かせる現代の室内楽の傾向に近づいてくるのは、彼らもまた、〈室内楽の解体〉という今日の時代をともに歩んできたからに他ならない。このCDはそうした彼らの出発点であり、戦後の室内楽のあり方のルーツを聴く1枚なのだと思う。



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