竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

ジャノーリのレコード歴に関連して重要な指摘を戴きました。(「ステレオ」という用語成立以前のことなど)

2011年04月28日 10時08分12秒 | LPレコード・コレクション


 当ブログ、26日付けの「別記」に関して、さっそく今村亨さんから連絡メールが入ったことは、その26日付けの末尾に書き加えましたが、そのメールを少しだけ整理したものが、下記です。やはり、ジャノーリのショパン「協奏曲」は、フランスのディスク・クラブ盤が初出ということにしたほうが、正しいと言えるようです。私は1~2年の時間差だと思っていましたが、8~9年もの開きがあるようでは、仏ムジディスク盤は、単なる後発です。
 しかし、フランスのディスク・クラブがスタート当初からステレオ盤を発売していたとは、まだ信じられません。例えば、EMIやデッカよりスタートが遅れたドイツグラモフォンのステレオ初期、1959年~61年のフランス盤のジャケットは、「STEREO」という表記そのものがなくて、その位置の背文字には「UNIVERSEL」と入っているのですから。(私の手元にあるのはマゼールの指揮するものばかり。それぞれフランス初出盤です。)そのころ、日本では「立体音響」と表現していました。まだ業界全体で用語の統一に至っていなかったと思います。つまり、「ステレオって何?」と店頭で言われてしまうので、「立体音響」と表現していたのです。フランス語の「UNIVERSEL」は、「ウニヴェルセ」とでも発音するのでしょうか? お気づきのように英語の発音は「ユニバーサル」。普遍的とも全方位とも受け取れる、なかなかうまい表現です。これが、英語文化にムキになって反撥して独自表現にこだわっていた時期のフランスの実態のはずです。だから、60年に「STEREO」と堂々と銘打ったフランスの通販クラブ盤があるとは、俄かに信じられないのです。日本でも、この時代は、モノラルが先行発売、物によっては、数年遅れてステレオ盤の発売となっていました。コンサートホール盤も、後になってから同じ番号に「S」を付けたステレオ盤が発売された記憶があります。
 謎は、深いですね。今村さんも書いているステレオ初期のヨーロッパの原盤供給は、ほんとにわからないことが多いのです。原盤が「オーディオ・テープ・カンパニー」とあるのは、「ソンドラ・ビアンカ」のコレクションをしていて発見しました。何ですか、この表記。思わず笑ってしまいます。
 さて、いずれにしても、今村さんからの下記の指摘をお読みください。

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 ジャノーリのショパンPfコンチェルト1番(ジョルジュ・セバスチャン指揮、バーデン=バーデン南西ドイツ放送響)は仏Le Club Francais du Disque(N.368)でステレオ発売されています。ヨーロッパのクラブ盤が何故早い時期にステレオ録音を開始しているのか、また、オリジナル製作がどのように行われたのかは、複雑なパズルのような所があり、ずっと調べ続けている課題でもありますが、手元にあるピエール・サンカンが弾いたラヴェルのPfコンチェルト2曲(ピエール・デルヴォー指揮、バーデン=バーデン南西ドイツ放送響(写真※ 小さくて見え難いでしょうが、左上の黒い楕円形がステレオ表記です)をお見せします。ジャノーリ盤も同様で、少し前の番号(N.336、ステレオ)なので、多分同じ頃の製作だと思われます。
 一般的にクラブ盤は、米コンサートホールが1946年秋頃に開始した年間定期会員向けの通販によるレコード提供という販売形態を採用していますが、コンサートホールがヨーロッパに進出した50年代末頃から、各国毎に様々な通販クラブが設立されて活動を始めました。これは、通販事業が最も成立し難い国と言われていたフランスで、当初の予想を裏切ってコンサートホールが、数ヶ月の間に同国最大の売り上げを記録してしまったということが大きかったと言えるでしょう。
 こうした中でスタートした仏・独の通販クラブ盤は、コンサートホールを追うように、各国の放送局等とも緊密に提携してステレオ録音を活発に行いました。ご指摘のように、これ等のクラブ盤は60年代末頃に仏ムジディスクからまとめて一般発売されました。モノラル録音も含め全てステレオ表記でしたが、これは当時の一般的な基準が既にステレオに移行していたからに過ぎず、実際はただステレオ・カッティングしただけで、疑似ステレオ化等の処理は行わず、モノ録音はモノのままでステレオ表記されていました。このことからも、ムジディスクが自主製作した音源ではないのは明らかですが、だからと言って、「オリジナル製作はクラブ・フランセ」と言い切るのも、少し微妙な所があります。しかし、元々の製作が小規模な製作プロや放送局(バーデン=バーデンの南西ドイツ放送とフランクフルトのヘッセン放送は早くからステレオ録音を行っていました)であっても、前述のラヴェルが60年発売ですから、このクラブ・フランセ盤が初出である事は、ほぼ間違いないと思います。そして、同様にジャノーリのショパンもクラブ・フランセ盤が初出なのは確かでしょう。少なくともムジディスク盤と表現するよりは正確だと思われます。
 実は昨年末頃にコンサートホールに関する資料を入手し、調べてみましたが、コンサートホールがステレオ初期にヨーロッパで行った一連の録音の後を追いかけるように、様々なステレオ録音テープが製作され、それ等がメジャー・レーベル以外の様々な独立レーベルからのステレオLPの発売ソースになっていた事も判ってきました。そして、コンサートホールの活動の全体像も明らかになりました。くわしくは、今度お会いした時にでも。

ジャノーリによるモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」(第1集)初CD化のライナーノートです。

2011年04月27日 08時41分20秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)






 昨日の続きとなります。ライナー・ノートの本文です。冒頭の写真は、今回の初CD化に際して、表紙デザインに使用されたジャノーリ(昨日の当ブログ参照)。


◎レコード盤に残されたレーヌ・ジャノーリ(1)
                              
 このところ、日本ウエストミンスターから連続してCD化されているレーヌ・ジャノーリの米ウエストミンスターへの録音も、ついに『モーツァルト・ピアノ変奏曲全集』の発売となった。1950年代の初頭(おそらく1950年または1951年と思われる)に開始されたジャノーリの米ウエストミンスターへの録音は、これまではすべてモノラル録音だったが、今回のもののみステレオ録音である。当時のモーツァルト研究の最新情報によって「Piano Variations」としてLP3枚組アルバムにまとめて発売されているが、収録曲に現在の「全集」と、わずかの異同があることはご承知置きいただきたい。今回のCD化にあたってはオリジナルLPの曲順・構成を尊重し、そのまま3枚のCDとして順次発売される。
 以下、レーヌ・ジャノーリとレコードをめぐる話題を、3回に分けてご紹介していきたい。

                *

 第二次世界大戦後、アメリカのレコード会社は、強い「ドル」の力を背景に次々とヨーロッパに乗り込んで録音・制作をしていた。ウィーンは、アメリカ、イギリス、フランス、ソビエトが戦勝国側として分割占領統治していた。当時、ヴァンガード、ヴォックス、ウラニアなどと共にウエストミンスターも、ウィーン常駐のスタッフによる録音が多かったので、その陰に隠れてあまり目立たないが、ウエストミンスターには英ニクサとの提携によるロンドン録音の他にパリでの録音も残されていて、そのいくつかが仏デュクレテ・トムソンとの提携によるものだということが知られている。
 だが私は、フランスのピアニストであるジャノーリのウエストミンスター録音は、必ずしもパリ録音ではないと思っている。それは、ジャノーリの初期録音の米盤に提携表記が見あたらないということもあるが、録音の音質が、当時のアメリカ好みのクリアなサウンドであることにもよる。そしてジャノーリが、当時ウィーンからスイス辺りでの演奏会が多かった可能性があることが、そうした想像に拍車をかけている。2枚ある協奏曲録音が、いずれもウィーン国立歌劇場管弦楽団によるものであることも、その裏付けとなるだろう。
 いずれにしても、ピアノ独奏をステレオ録音するという、当時としてはかなり「贅沢」な仕事によって、それまでのジャノーリのウエストミンスターによるピアノ録音の硬質な響きに、しっかりした定位に支えられた奥行と広がりが加わっているのはうれしいことだ。録音年が不明だが、アメリカのマイナーレーベルによるヨーロッパ録音が「ステレオ」に切り替わるのは1958年あたりからだから、このピアノ変奏曲集の録音は、おそらく1959年か1960年頃ということになるだろう。その後、ほどなくして米ウエストミンスターはオリジナル録音活動を休止してしまうので、これがジャノーリの最後のウエストミンスター録音となった。この後に続くジャノーリ録音は仏ムジ・ディスクへのショパン「協奏曲」(別記参照)であり、その後、仏アデへのショパン「ワルツ集」や、シューマン「ピアノ独奏曲全集」という膨大な仕事、そして仏エラートへの「バッハ・アルバム」となる。
 ところで、私は以前、米ウエストミンスターから1951年に発売された「バッハ・アルバム」が、ジャノーリのデビュー盤ではないかと書いたことがある。いわば、バッハに始まりバッハに行き着いた、といった風情にジャノーリの録音歴が見えてくるのだが、それが誤りであることがわかったので、この際、明記しておきたい。
 真にジャノーリのデビュー盤と思われるものは、1947年5月30日にパリで録音されて発売された仏BAMのSP盤3枚(6面)に収められたもので、曲目はベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調作品31‐3」とブラームス「狂詩曲第2番ト短調作品79-2」。これは、貴重なSPレコード音源をCD‐R盤やDVD-R盤で制作・頒布している「グッディーズ」から昨年5月にリリースされており、録音データ、原盤データはそこに記載されているものを準用した。これまでの一連の日本ウエストミンスターによるLP復刻シリーズの音源制作を担当している新忠篤氏にご教示いただいたものである。
 それを聴いていて思ったのだが、デビュー盤とされるベートーヴェンの演奏のテンポ設定の自在さ、音色のカラフルな味わいといったものが、これまで聴いてきたジャノーリのウエストミンスターへのバッハやモーツァルトにも共通しているということである。
 ひとつひとつのピアノの音の粒立ちの良さが確保されているので、飽くまでもくっきりとしたフォルムは大切にされている。だが、同時に、情感の動きを大胆に表現するジャノーリのピアノは、ハッとさせられるテンポの揺れ、せき込む瞬間を随所に盛り込みながら、強弱の絶妙な変化の合間に見え隠れする音楽が、色彩感にあふれて独特の甘い香りを放っている。その魅力を言葉にするのは難しいが、今回のような「変奏曲」では、ことさら、その変化の妙が匂い芳しい音楽の泉となって楽しませてくれる。変奏曲という形式的な厳格さを、これほどに自在に飛び交わせてくれる演奏は、ジャノーリにして初めて可能な世界なのだと思った。




ジャノーリによるモーツァルト「ピアノのための変奏曲全集」(ステレオ録音)が、ついにCD化!

2011年04月26日 16時01分08秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)


 以下は、まだ1ヵ月以上先の6月1日に発売が予定されているCD、モーツアルト『ピアノのための変奏曲全集』第1集のために書いた「ライナー・ノート」の原稿全文です。オリジナルLPレコードと同じ曲順、構成で、CD3枚が順次発売されます。発売はもちろん日本ウエストミンスターからです。解説は、今回の標題にあるように、ジャノーリとレコードに関連する話題を3回に分けて書いていく予定です。(実は、きのうから第2集用と第3集用の原稿を書きはじめています。)
 日本ウエストミンスターさんへの、ジャノーリCD化に伴う私の解説執筆も、ドビュッシー、メンデルスゾーンと続いて、もう4枚目。そろそろ、ジャノーリについての「まとめ」に向かいたいと思っています。

 さて、今回も、私のLPレコードコレクションから資料をご提供しましたが、CDジャケットのオモテには、オリジナルレコードの中面に印刷されていたジャノーリの写真を使用することになりました。私の記憶では、その写真を使用したジャケットデザインは、一度もなかったと思いますので、初めてご覧になる方も多いのではないかと思います。私自身、もうかれこれ20年ほども前になりますが、やっとの思いで海外の中古レコードのオークションから入手したレコードが届いた時、初めて見るジャノーリの輝くような眼が印象的なその写真を見て、かなり興奮したのを、つい昨日のことのように思い出します。

 なお、ライナー・ノートのなかで「別記参照」とあるのは、このブログのための以下の補足事項のことです。この「変奏曲」録音に続くものに関して、誤解されかねない書き方をしていることに気づいた時には、もう印刷に回ってしまったようなので、「第1集」のライナーノートではあきらめていたものです。「第2集」のライナーノートで、補足説明として以下の「別記」を生かすことになるでしょう。

(■別記)
 ジャノーリにとって米ウエストミンスターへの最後の仕事となったモーツァルトの「変奏曲」がステレオ方式で録音された頃、フランスはまだモノラル録音が主流でした。そのため、これに続く録音であるはずのショパン「協奏曲」も、最初にフランスで会員制頒布と思われる「ディスク・クラブ盤」で発売された時にはモノラル盤でした。それが、本日の当ブログ冒頭に掲げた写真です。けれども、その後、一般の市販レコードとして発売したフランスの「ムジディスク」では、「ステレオ」となっています。それで、私としては「仏ムジディスク盤」と表現してしまったのです。ですから一般市販の初出は、おそらく仏ムジディスクと思われるのですが、どこ社の音源であるのか、どれが初出盤か、ということについては、簡単に断定できないのです。
 そもそもフランスの「クラブ盤」は、出所がよくわからないものが多いのですが、このジャノーリのショパン「協奏曲」も、バックが西ドイツのオーケストラですから、フランスの会社主導による録音ではないように思います。しかも、この時期、まだラジオ放送は、ドイツもイギリスもフランスもモノラル放送でしたから、ドイツの放送用音源の転用ではないと思います。そこで、私としては、この時期に横行していたアメリカのマイナー・レーベルへのステレオ音源を制作していた独立系の小さな会社の、オープンリールの録音テープ音源ではないか、と思っているのですが、確信はありません。いずれにしても、数多く流布している(はずの)一般市販、ということで、ここでは「仏ムジ・ディスク盤」としてしまいましたが、オリジナル録音がどこなのかは、結局、まだわかっていません。どなたかご存知の方がいらっしゃったら、コメント欄にてご教示ください。なお、このショパンの「協奏曲」演奏、現在は「仏アコード」から、仏アデへのショパンワルツ集との2枚組でCD化されています。しかしもちろん、「仏アデ」原盤ではないはずです。
 

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 申し訳ありません。2、3行程度、ちょっと補足しようと思っていたら、こんなに長くなってしまいました。最近、携帯からこのブログにアクセスする友人に「1回で、あまり長い物を書かれると、開きにくくて読みづらい」と言われていますので、本日は、ここまでにします。明日、ライナーノートの「本文」を、明後日に、「曲目解説」の部分をupします。

■4月27日追記
さっそく、今村亨さんから、上記の私の疑問に、詳細なレポートがきました。相変わらず、「さすが」です。きちんと整理して、明日にでもupします。





タワーレコードの「ワレフスカ名演集」の一部に、音源の編集ミスがあるそうですが……

2011年04月19日 15時00分11秒 | ワレフスカ来日公演の周辺


 タワーレコードの企画商品として昨年暮れに限定販売された『ワレフスカ名演集』(ここに掲載の写真の商品ではありません。1月12日に当ブログ掲載の、5枚組ボックス・アルバムです。)は、クリスティーヌ・ワレフスカがフィリップス・レコードに残した6枚のLP全てをCDに復刻したもので、このところ、やっとワレフスカの真価に注目が集まるようになった中、待望久しいCD化として、私もよろこんだものでしたが、「ワレフスカ来日演奏会実行委員会」の渡辺一騎さんから、ちょっと気になる話が入ってきました。私も、このブログでご紹介した責任がありますので、とりあえず、一報としてお伝えします。

 この『ワレフスカ名演集』は、タワーレコードの独自企画商品ですから、原則として、全国のタワーレコード各店とタワーレコードのweb店でしか買えませんが、現在web店で「販売終了」の表示が出ています。たしか完全限定販売ではなくスタートしたので、売れ行きが好調だったので追加プレスの話が出ていたはずなのに、おかしいな、ということが始まりです。すると、以下のことがわかってきたようなのです。
 5枚組のCDの内、1枚目の「シューマンのチェロ協奏曲」が収録されている盤に、CD化の音源編集のミスで左右の音が逆に収録されているトラックがあるということなのです。そのため、店頭在庫は回収し、webでの販売も中止したということだそうです。渡辺さんがタワーレコードに聞いたところによると、現在、良品を制作手配中で、いずれは販売済みのものも店頭で良品との交換を行い、アルバムの販売は再開になるとのことですが、私の知る限り、そのような記載がまだ、どこにもありません。
 私の場合は、ほとんどLPで持っていましたので、今回のCDでは、まだ聴いたことのなかった「ヴィヴァルディの協奏曲」を聴いたほかは、「ドヴォルザークの協奏曲」の音質を確認したくらいで、あとは諸石氏の解説にざっと目を通したくらいで、ほとんどそのまま仕舞い込んでしまいました。
 そこへ、例の大地震。――じつは、当ブログで既報のとおり、CD積みかさねの崩壊した山の中に眠る数千枚のうちのひとつなので、まだ、取りだせないのです。ですから、左右のチャンネルが逆になっているというのも、私自身は確認できないでいます。先週、1000~1300枚ほどの整理は終えて、少しさまざまなCDが取り出せるようになりましたが、まだ何千枚もあるので、その良品との交換とやらが始まるまでにはワレフスカCDコレクションのあたりまで、掘り進みたいものだと思っています。余談ですが、このところチェロ系では、ちょっと別の場所に置いておいたフル二エと、カザルスばかり聴いているのです。

 そんな中、つい先日、「ワレフスカ・チェロ・リサイタル」CDの見本盤が届いたのは救いでした。(冒頭写真参照)先日、このブログでもご紹介した去年の上野学園・石橋メモリアルホールでのNHK-FM放送音源を使用してのCDが、いよいよ4月27日に日本ウエストミンスターから発売されるからです。こちらのCDには、そうした編集上のミスはありません。
 ただ、NHKから戴いたマスターテープの音量レベルが少し低めに設定されていたので、CDマスター制作時に無理やり持ち上げるのは心配だということで、そのままで編集作業を進めました。そのため、お聴きになるときに、少しボリュームを上げて聴くと聴感上の通常レベルになるようです。これもワレフスカの、振幅の大きな音楽に、NHKの録音スタッフの方が戸惑った結果なのかもしれません。 
 一人でも多くの方に、あの日の素晴らしい音楽を聴いていただきたい、と改めてお願いする次第です。近日中に、そのCDに寄せた私の解説文も、全文掲載しようかと思っているのですが……。(一部は先日、当ブログに掲載済みですし、もともと中心部分は、ブログに掲載したいくつかの文章の「集大成」としてまとめたものなので、ブログ読者の方には重複することが多いかと思い、少々、掲載をためらっています。)



稀代の愛書家・気谷誠に関連して、最近になって目に触れた2、3のこと。

2011年04月15日 17時22分58秒 | 書物および、愛書家・気谷誠に関すること


 昨年、2010年2月12日の当ブログに「気谷誠、最期の3週間」と題して、私が東京・一ツ橋「学士会館」で行った講演録を掲載しました。私の友人で、類まれな愛書家として知られた気谷誠の早すぎる死を惜しむ友人たちの集いでのものです。
 その講演で私は、気谷君が自らの死の直前に懐かしく思って聞いていたと思われる1983年11月26日に行われた「黒の会」の集いでの仏文学者・斎藤磯雄氏の講演とそれに続いて行われた関連の音楽会のことをご紹介しました。
 じつは、3月11日の東日本大震災では、既報のとおり、積み上げていた私のCDコレクションの一部の山が崩れてしまったのですが、その関係で、分類整理して収めていた資料類の再整理を少しずつ始めるハメに陥ったおかげで、すっかり忘れていたものが出てきました。
 以前、ヤナーチェクやバルトークの伝記の翻訳でお世話になっていた慶応義塾大学の和田旦先生から戴いていた黒の会の雑誌『同時代』の46号が出てきたのです。和田先生は黒の会の同人の一人で、そのころ『音と言葉のはざまで』という本を上梓されたばかりでした。その本に関連したエッセイが掲載されているからということで、そのご著書と共に戴いた同人雑誌です。「1985年11月20日発行」とありました。その当時は、気が付かなかったのですが、編集後記を読んでびっくりしました。偶然にもそこには、編集人の安川定男氏による以下の文が載っていました。
 
 九月初頭、斎藤磯雄さんが急逝された。斎藤さんはこの『同時代』創刊以来、陰に陽に、終始あたたかく、かつ厳しくこの雑誌の歩みを見まもり、時に応じて格調の高い文章を寄せてくださった。(以下略)

 今回の気谷との縁がなければ、「仏文学者・斎藤磯雄」も「夭折の詩人リラダン」も、私の関心の赴くところとはならなかったわけですから、今回、偶然目にとまったこの訃報も、見逃されるはずだったのです。気谷が録音を持っていた斎藤磯雄氏の講演は、氏が亡くなる1年10カ月前のものだったということになります。気谷と黒の会との関係が今のところわからないのですが、この編集後記によれば、この号の発刊後の例会は、斎藤氏を偲ぶ会にすべく計画を進めているということだから、ひょっとしたら、そうした集いにも、気谷は顔を出していたかもしれないな、と思いました。
 それにしても、斎藤氏の亡くなったのが9月初頭とは! 気谷が急逝してしまったのも、ちょうど、そうした季節でした。

 気谷のことを思い出したので、もうひとつ、気谷を偲ぶ話題をご紹介します。先日、偶然に目に触れた三省堂書店(本店)の公式ブログ「神保町の匠」に掲載されていた『頁を繰るたび固唾を呑む……愛書家の最後の名著』と題する文章で、彼の遺著が紹介されていました。ここにも気谷誠を敬愛するひとがいた、と思ったものです。ぜひ、お読みください。

books-sanseido.co.jp/blog/takumi/2010/03/post-184.html



朝日新聞の書評と、アマゾンの欠品騒動で思うこと。

2011年04月14日 17時59分32秒 | 雑文


 手前みそな話題で恐縮ですが、昨年暮れにヤマハミュージックメディアから出していただいた私の近著『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』も、このたびの大地震に関連して、少々の混乱というかトラブルがありました。
 お気づきの方も居られると思いますが、この本の書評が3月27日の「朝日新聞」読書欄に掲載されました。逢坂剛氏によるもので、朝日新聞社のwebにもupされていますから、ネット上で、今でも読めます。

 http://book.asahi.com/review/TKY201103290192.html

 執筆した者として、とてもうれしい感想を戴き、感謝していますが、実は、この書評、事前に版元のヤマハさんから連絡があって、3月13日(日)の紙面に掲載が予定されていたものなのです。例の大地震の2日後です。地震報道一色の特別紙面になって、掲載が延期になったのです。でも、地震発生時、既に、版元からはまとまった冊数でアマゾンに出荷済みでした。
 延期になった書評が掲載されたのは、2週後の27日(日)ですが、それまで、「在庫あり」(地味な本ですから「過剰在庫」レベルだったはずです)だったアマゾンが、掲載当日からどんどん減りだして、「あと○冊」表示になって、ついに「在庫なし」「再入荷日不明」となるまでに2日もかかりませんでした。
 ところが、その後がいけません。版元の倉庫からは出荷済みのはずなのに、アマゾンではどういうわけか、ずっと「在庫なし」だったので、何度か「中古品」が出品され、それがすぐに消えるということが繰り返されていました。すると数日後には定価より高く3000円程で出現。これも少し経つと消えていました。その間にもヤマハでは「納品」を繰り返してはいたのです。後でわかったことによると、アマゾンの出荷倉庫(たしか浦安の方だったと思います)も被災していて混乱していたそうなのです。このあいだの日曜日だったと思いますが、6000円くらいまでになっていましたが、これには、かなり胸が痛みました。
 というわけで、おとといから、やっと復旧して、アマゾンも在庫があります。このブログをお読みになった方で、その間に定価よりも高く買ってくださった数人の方には、申し訳なく思っております。ありがとうございました。
 私もレコード、CDのコレクター魂の持ち主ですから、しばしばアマゾンで「在庫なし」になっていると、余計に欲しくなって、片っぱしから検索をかけたりしますので、お気持ちはわかります。ほんとうにありがとうございました。
 何はともあれ、先日、その書評を読んだという別の版元の編集をしている方から、「こういうところに着目してくれる人がいる、というのは、ジャンルを持った書き手には心強いことと思う」と言われ、私もその通りだと思いました。
 思えば、書籍編集者として私も数百冊の本を世に送り出してきましたが、いくつか、とても意外な地味な本が書評に取り上げられて、救われたことが何度かあったのを思い出しました。
 本も、CDも、決して BOOK off が言うように「聴きあきたCD、読み終わった本」 といった消耗品ではないのです。そして、もちろん、丁寧で、永く残したい仕事を紹介するオピニオンの大切さは、朝日新聞のような大メディアも、こうしたネット上の発言も等しく、大切なものだと思っています。実は、このブログからも、様々なことが広がっています。オピニオンのツールとして、このブログを大事にしたいと、自分の本の扱われ方で、改めて思い起こさせてもらいました。(本日、このブログは、開設してから1000日目を迎えました。)
 まとまりのない記事で、失礼しました。



イギリスの管弦楽伴奏合唱曲の傑作、エルガー「海の絵」を自在に歌うJ・ベイカーのライヴ録音ほか

2011年04月06日 15時38分41秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下の本日掲載分は、第4期発売の15点の2枚目です。

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【日本盤規格番号】CRCB-6077
【曲目】エルガー:「海の絵」作品37
      :「ミュージック・メーカーズ」作品69
【演奏】ジャネット・ベイカー(ソプラノ)
    ジェームズ・ロッホラン指揮BBC交響楽団
    サラ・ウォルカー(メゾ・ソプラノ)
    BBCシンガーズ/BBC交響合唱団 
    ノーマン・デル・マー指揮/BBC交響楽団
【録音日】1982年9月9日、1982年11月24日
 
■このCDの演奏についてのメモ
 このCDは、ロマン派音楽が終焉を迎えていた19世紀の終わりから今世紀にかけて、イギリスに花開いたロマン派的音楽の最後の大輪ともいうべきエルガーの作品の内、管弦楽伴奏の声楽曲を2曲収めたアルバム。
 2曲の内では「海の絵」が、その美しい旋律で形成された上質の風景画のような世界がことさら愛されて、このジャンルに比較的傑作の多いイギリス音楽の中でも、代表的な作品となっている。そのため、録音も多いが、中でも、当CDと同じジャネット・ベイカーがバルビローリ指揮ロンドン交響楽団をバックに歌うEMI盤が、この曲の代表盤と言われてきた。バルビローリとの録音は1965年に行われているが、当CDの方は、それから17年後の1982年のプロムナード・コンサートでのライヴ録音だ。両方の歌唱を聴き比べて、すぐに気付くのは、ベイカーの声質がその十数年の間に随分と丸みを持ったことだが、それ以上に音楽がこなれていて、自在さを増しているのが聴きとれる。もちろん、年齢的な老練さが加わっているのは間違いないが、同時に、細心の注意を払って歌い込んでいることが感じられるスタジオ録音と、自身の感興に率直な自発性を大事にしたライヴ録音との違いもあるだろう。
 今回のCDの歌唱の魅力が、そこにある。バルビローリ盤にはどこか気の抜けない張り詰めたものがあるが、このライヴ盤は、音楽がずっと身近かになって微笑んでいるような感覚がうれしい。バルビローリの、主張のはっきりした深い呼吸の伴奏に比べて、ロッホランの指揮がずっと淡々としたペースを基本にしていることも、ベイカーの歌の息づかいを伸びやかなものにしているようだ。
 ジャネット・ベイカーは1931年生まれのイギリスを代表するメゾ・ソプラノ。ロッホランも同じく1931年生まれ。若いころはオペラ・ハウスの練習指揮者などで下積みをしていたが、60年代半ば以降、BBCスコティッシュ響、ハレ管、バンベルク響などの首席指揮者、音楽監督を歴任した。
 「ミュージック・メーカーズ」は、合唱を主体に、メゾ・ソプラノ独唱も加わるという大規模な作品。音楽の表現の振幅も大きい作品だが、ここでは1919年生まれのベテラン指揮者、ノーマン・デル・マーが全体をよくまとめている。この1982年の演奏は、当時、イギリスの批評家から高く評価されたものだと言われている。  (1996.7.30 執筆)