ご報告がすっかり遅くなってしまい、2週連続上映の東劇でも、残すところ、あと3日となってしまったので申し訳ないが、今期のメトでのアスミック・グリゴリアンの蝶々さんで上演された『蝶々夫人』は、ほんとうにすばらしかった。そのことについて、以下にメモ的に記載しておこうと思う。
舞台は、もうお馴染みとなったアンソニー・ミンゲラ演出による幻想的な世界である。文楽人形を登場させての、日本文化に西欧人なりに、このオペラの世界に理解を示したミンゲラの演出も、初登場以来、既に17年も経過しているという。私自身も、ライブビューイングで何度も見ているが、この蝶々さんの「覚悟の死」にフォーカスした演出の美しさの背後にある蝶々さんの力強さ――それは、軽薄なアメリカ人青年ピンカートンとの対比として、おそらくプッチーニが最も描きたかったものではなかったか、と最近思うようになったのだが――を表現するのに、アスミック・グリゴリアンのダイナミックなソプラノこそが、最もふさわしいと思った。彼女の絶唱は力強く、まさに感動的で、このオペラの初演がリリコ・ソプラノの歌手で失敗し、初日だけでスコアを引き上げてしまったプッチーニが、3カ月後のブレシアでの改作初演ではワーグナー歌手に交代させての上演とした理由が、よく伝わってくる。
グリゴリアンと同じく、これがメト・デビュー作品となったという中国系の女性指揮者シャン・ジャンも、積極的にグイグイとせり出してくるオケの低弦の響きが充実しており、このオペラが、決して小ぢんまりとしたものではなく、正にグランド・オペラなのだということが納得できる。もちろん、細部の小さな音に耳を傾ける繊細さも、様々な引用メロディが隠されている内声部の動きのきめ細かさにも、抜群の冴えを聞かせる。なかなかに才能に溢れた指揮者だと感じた。
これは、日本語字幕付きで市販ソフトを発売して広く普及させるべきものだと思った。新たなスタンダードとなるべき公演映像だと思う。
じつは、1カ月ほど前にも、このグリゴリアンが蝶々さんを歌う公演映像を見ている。コヴェントガーデン王立歌劇場での、今年3月26日上演を収録したもの。「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン2023ー24」として東宝系で上映されているものの一つである。
もちろん、演出の舞台がちがうものだが、ケヴィン・ジョン・エドゥセイという指揮者がおざなりなので、グリゴリアンも、メトのような存在感がない。やはり、よい指揮者に追い込まれて発揮される「何か」が、あるのとないのとでは、まったく違ってしまうのだ。(例えば、パッパーノの指揮でトスカを歌ったゲオルギューのライヴ映像のように――。)しかも、このコヴェントガーデンの舞台は、最後の幕で登場するピンカートン夫人が、どうにも不似合いで、あっけに取られてしまった。
現われたピンカートン夫人が、蝶々さんよりも背の低い小太りの黒人女性、というのは、どうにも、説得力がなさすぎる。私が気に入っている『蝶々夫人』の映像ソフトに2018年グラインドボーン音楽祭での公演を収録したものがある。これは時代を曖昧にした演出で、第2次大戦後の進駐軍時代の日本を想起させる面もあるが、そこに登場する領事シャープレス役が、キング牧師を思い出させるような苦悩する黒人男性、現れたピンカートン夫人は、小柄の蝶々さんを見下ろすような細身で長身の白人女性というもの。それだけで、絵になっていた。視覚的な印象とは、そういうものでもある。コヴェントガーデン上演のキャスティングは、どうにも納得が行かなかった。そもそも夫人役は、ひと声しか歌がないといってもよい改作台本なのだから、なおさら、である。
なにはともあれ、「あわれで悲しい蝶々さん」から脱却した、「覚悟の死」を力強く歌い上げる蝶々さんとして、グリゴリアンの蝶々さんは、新たなスタンダードとして今後定着しそうな予感がある。