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ライブビューイング2018‐19の『連隊の娘』は、この作品の決定版。

2019年04月17日 15時02分54秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

 ドニゼッティ『連隊の娘』を、今年のメトロポリタン歌劇場ライブビューイングで、先日鑑賞した。これは期待以上の仕上がりで、じつに幸福な気分になって帰宅した。

 

3月2日の公演を収録したもので、スタッフ、キャストは以下のとおり。

 

演出:ロラン・ペリー

指揮:エンリケ・マッツォーラ

マリー:プレティ・イェンデ(ソプラノ)

トニオ:ハヴィエル・カマレナ(テノール)

シュルピス:マウリッツィオ・ムラーロ(バスバリトン) ほか

 

 とにかく、こんなに愉快で楽しく、観終えてからしばらく、幸福な気分に浸れる『連隊の娘』は初めてだ。もともと、この作品は、セリフ交じりのコミック・オペラ的なフランス語劇だから、演出的に遊びの要素が入り込みやすいものではあるのだが、今回のロラン・ペリー演出は、さらに傑出した楽しさだった。

 ロラン・ペリーは、グラインドボーンでの『ヘンゼルとグレーテル』も、リヨンの『天国と地獄』も楽しかったが、どれにも共通しているのは、その子供のような屈託のなさだろう。マンガチックと言ってもいいような滑稽でポップな舞台は、この荒唐無稽で誇張に満ちた不思議なストーリーに、とてもよく似合っている。思えば、かのゼフィレッリが舞台美術を担当した2003年のスカラ座公演の映像でも、そのポップな舞台が現れていたのを思い出す。あのようなことが可能な作品なのだ。

 そして今回のMETライブビューイングは、指揮のマッツォーラが作り上げる音楽の流れが、また、じつに素晴らしい。のびやかなオーケストラの響きに導かれたマリー、トニオ、シュルピスの生き生きとして弾む歌声、舞台中を駆け回り飛び上がって歌う彼らの動きが、舞台のポップなイメージにとてもよく馴染んでいた。

 だが、何より私が感動したのは、先日(3月13日付の当ブログ)の『カルメン』で感じたパッチワーク的な継ぎはぎ感とは正反対の、ドニゼッティが目論んだ音楽的展開が見事に達成されていることだった。荒唐無稽なストーリー展開のすべてが、ひとつながりの音楽劇として、音楽的展開の中で完結しているのだ。だから、セリフ場面でも、決して音楽的な断絶がない。

 それを実現したマッツォーラの指揮の力量には、ほんとうに舌を巻いた。だからこそ、歌手たちが、あれほどに生き生きと弾んでいるのだ。彼らが、安心し切って歌っているのが、よく伝わってきた。歌だけでなく、ィェンデも、カマレナも、ムローラも、じつに達者な役者ぶりでもあった。私は、今回の公演映像を『連隊の娘』鑑賞での一押しとすることに、ためらいはない。1986年のサザーランド以来、30年を経て、ついに現れた決定版だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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カラブチェフスキー指揮フェニーチェ歌劇場の2001年東京公演『椿姫』の革新性は、当時、理解されなかった? 最近のヴェルディ演奏は脱トスカニーニ?

2019年04月06日 21時58分53秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

 「ロイヤル・オペラ」での2019年の『椿姫』について書き終えたこの欄を読み返して、この日の印象によく似た映像があったような気がしてコレクション棚をじっと眺めて思い出したソフトがあった。2001年のフェニーチェ歌劇場の日本公演の記録映像である。「BUNKAMURA」での6月30日の収録で、パイオニアLDCから、DVDで発売されている。

 指揮は当時音楽監督だったカラブチェフスキー、ヴィオレッタをテオドシュウが歌っている。このDVDを観た際の感想を記した私のメモが解説書の裏に貼ってあった。まったくのメモ書きなのだが、今回のロイヤル・オペラの感想とそっくりなので我ながら驚いた。下記にそのまま転記する。

 

・音楽に芯がある

・恰幅のいい朗々と鳴る音楽

・流れがいい

・三人がしっかり組み合った充実した音楽が豊かで、彫りの深い表情の歌唱。

・近年のヴェルディ再考のさきがけ

 

 このメモ書きにある「近年」は、私が2、3年前からオペラを丁寧に聞き直し始めているので、その頃、マゼール盤と比較したくて聴いた際のことだと思う。

 いずれにしても、このDVDの仕上がりは、改めて観てみたが、確かに出色のものである。高く評価する人がほとんどいないようだが、もっと知られていいものだと思いながら、何気なく、初めてライナー・ノートの黒田恭一氏の解説を読んで、合点がいった。

 黒田氏のような旧世代の評者の理解を越えたスタイルで、斬新な『椿姫』が繰り広げられていたということだったのだ。多くのファンが、その言辞に惑わされてしまったということだと言ってしまっていいと思う。黒田氏の解説を引用しよう。

「カラブチェフスキーが指揮してきかせてくれる第1幕への前奏曲をきいて、びっくりなさる方は多いに違いない。トスカニーニ以降、といっていいと思うが、ヴェルディの音楽は、総じて速めのテンポで演奏されることが多い。」

 ここまで読んだ時、私は、マゼールの2種ある映像、つい先日のネゼ=セガンのテンポなどを思い出して、そちらの方向に話が行くものと思った。だから、この後の黒田氏の論の展開に、あぜんとした。

 「しかし、カラブチェフスキーは、あたかも時代が逆行したかと思われるような、ゆったりしたテンポで前奏曲を演奏している。近年、ほとんどどこでも耳にすることのなくなった、この先を急がず、思い切り甘美な旋律をうたわせた前奏曲の演奏は、古き佳き時代の、いわば伝統的なオペラを彷彿とさせるものである。」

 この黒田氏の、私から見れば「途方もない勘違い」は、さらにエスカレートしていく。

「旋律的な美しさをきわだたせようとするカラブチェフスキーの方法が前奏曲だけでとどまるはずもなく、全曲が叙情的な視点でとらえられて進展していく。このようなカラブチェフスキーの、いくぶん保守的といえなくもない流儀によった表現が、近年の、劇的な起伏をたっとんだ演奏になれた耳には平板に感じられたとしても不思議はなかった。」

 散々な物言いである。私が、「革新的」と捉え、その後、現在のスタイルへと移り変わってきたさきがけがカラブチェフスキーであるという見方と真逆である。もっと早くに、この記述に気づいていれば、生前の黒田氏とどこかで論争が出来たのに、と、感慨深いものがあった。

 もう半世紀以上も、さまざまな演奏を比較検討してきている私が、最近、ますます確信していることに、「偉大な作曲者は、いつも時代の数歩先を行き、優れた演奏者が50年ほど遅れてその作品の秘密に気づき、鑑賞者は、さらに50年遅れてその演奏の価値に気づくのではないか」というのがある。文化史でも言えることだが、「50年」は、世代が入れ替わる目安なのだ。その意味では、トスカニーニの影響は長すぎた、ということかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

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英国ロイヤル・オペラ・2019年「椿姫」の圧倒的な説得力

2019年04月05日 09時30分10秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

本日、4月5日から全国のTOHOシネマズ系で公開される『椿姫』は、歌手、指揮、演出がしっかりと組みあって、圧倒的な説得力で迫ってくる舞台を見せてくれた。先日、ネゼ=セガン/メトロポリタン歌劇場の新演出でライブ・ビューイングの『椿姫』を鑑賞したばかりだったが、今年は『椿姫』の当たり年である。スタッフ、キャストは以下のとおり。

 

演出:リチャード・エア

指揮:アントネッロ・マナコルダ

 

ヴィオレッタ:エルモネラ・ヤオ

アルフレード:チャールズ・カステロノボ

ジョルジュ・ジェロモン:プラシド・ドミンゴ

 

2019年1月30日公演の収録である。

 

ヤオのヴィオレッタは定評があるものと聞いていたが、これほどとは思わなかった。名演技・名唱で、途方もなく存在感・説得力がある。リチャード・エアの演出は、例の有名なショルティが、このコヴェントガーデン(ロイヤル・オペラ)で収録した公演以来のもので、もう25年間も続いている演出版である。その寸分違わぬ舞台を、ショルティの指揮で歌うアンジェラ・ゲオルギュウと思わずニ重写しにして鑑賞してしまった。

 私は、このゲオルギュウは、少々小うるさく聞こえて、決して好きではない。彼女の良さが、声、しぐさ共にぴたりとハマっているのは『愛の妙薬』だと思っている。あれはいい。

 そして、指揮のマナコルダ。これが、またいい。この指揮者、亡きアバドのマーラー・チェンバー・オーケストラ創設の協力者にしてコンサート・マスターだったというヴァイオリニストで、最近では、メンデルスゾーン『交響曲全集』の録音を完成したというが、これほど音楽がよく流れて、オーケストラを自在に歌わせられる指揮者だとは知らなかった。太いラインのタフな音楽に、細心の注意を払ってからみつく旋律を巧みに操る名人である。心理の変化・転換点に、とても敏感に反応する指揮ぶりには驚いた。ヴェルディの音楽のせわしない変わり目、入れ替わりが、見事に一息の大きな波となって、豊かに弧を描くのを聴いていると、自然にドラマの中に沈み込んで行くから不思議だ。じつにタフな音楽であり、これが、トスカニーニ以来の「せっかちなヴェルディ像」を豊かな地平へと広げ始めた最近のヴェルディ演奏の一つだと思った。

 やはり、ヴェルディは、先日も書いたように、音楽監督パッパーノが振らないほうがいい?

 アルフレードを歌ったカストロノボも、よく伸びる声で応えていてよかった。キャラクターも合っていると思う。だが、出色は父親ジェロモン役で登場したドミンゴの風情だ。ヴィオレッタを説得する場面も、謝罪する終幕も、私は、これほどに説得力のある父親像を聴いたことがなかった。さすが、年の功である。ドミンゴが、低くなった声に合わせてレパートリーを増やしてでも、いつまでも歌い続けられる幸せを感じていると最近言っていたことが、彼の本心から出た言葉なのだと、改めて素直に感動した。

 今年のロイヤル・オペラ『椿姫』は、歴史あるリチャード・エア版『椿姫』の決定版となるものと信じている。

 

 

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クリスティーナ・ワレフスカの2019年リサイタルが終わって

2019年03月24日 19時17分09秒 | ワレフスカ来日公演の周辺

 昨日、東京・渋谷のオーチャード・ホールで行われた『クリスティーナ・ワレフスカ・プレミアム・チェロ・リサイタル』が成功裏に終了しました。前回2013年の来日では、彼女の体調に不安を抱えたままのツアーでしたから、思うように弾けないこともありましたが、今回は、手術、リハビリなどが順調に推移したようで、万全の体調での素晴らしい演奏を聴かせてくれました。体鳴楽器としてのチェロの豊かで大きな響きと、弱音での微かな息遣いが聞こえてくるような、はかない美しさも素晴らしかったです。

 そして、プロコフィエフ『チェロ・ソナタ』という、私たちにとって、新しいレパートリーにも触れることができました。半世紀ほど前には、ピアテゴルスキーが「苦悩」として描いていたプロコフィエフ晩年の名作を、ワレフスカは「明日への希望」として聴かせてくれたように思いました。まだ、完全にこなれているとは言い難い状態ではありましたが、もう一度聴いてみたいと思わせる説得力のある方向性を打ち出した演奏でした。ピアソラ『アディオス・ノニーノ』は、これまでのどの演奏よりも美しく、深い祈りにあふれていました。

 私が「不動のコンビとなった」と讃えている福原彰美のピアノも一段と磨きがかかって、彼女の美質である澄んだ響きの音楽が、ワレフスカの大きな振幅を持つ音楽を、軽やかに彩っていました。

 総じて充実した昨日の演奏会には、推薦文を執筆したひとりとして、私も、うれしさでいっぱいになって帰宅することができました。昨日、あの場に居てワレフスカの音楽に触れた皆さまに、深く感謝いたします。

 毎日、多くの方に訪れていただいているこのブログですが、昨日は、ことのほかワレフスカ関連の記事へのアクセスが多く、会場で配布されたプログラムに掲載されていた私の寄稿や曲目解説のためかと驚きましたが、改めて、ワレフスカへの関心を高めてくださった方が昨日だけでも数百人いらっしゃったのだと、ワレフスカの音楽の持っている「力」を感じました。

 

 

 

 

 

 

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英国ロイヤル・オペラ・ハウス『スペードの女王』で納得できる、チャイコフスキー音楽集大成の凄み

2019年03月18日 10時45分20秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

先週、15日から、全国のTOHOシネマズ系で上映している2018/19シネマシーズンの作品を観てきました。ご報告が遅くなりましたが、これも見ごたえのある公演の映像でした。別のところでも書きましたが、やっぱりパッパーノはイタリア物やフランス物よりも、重厚なドイツ物、そしてロシア物のほうが、サウンドのまとめ方や音楽の鳴らし方が合っているように思いました。

 そういえば、パッパーノがEMIに録音した聖チェチリア音楽院管とのチャイコフスキーの後期3大交響曲も、思い切りのいい秀演でした。

 『スペードの女王』のスタッフ・キャストは以下の通り。当初の予定のゲルマン役アントネンコが急病で降板というアクシデントでの公演でした。

 

演出:ステファン・ヘアハイム

指揮:アントニオ・パッパーノ

ゲルマン:セルゲイ・ポリャコフ

エレツキー公爵:ウラディミール・ストヤノフ

エヴァ・マリア・ウエストブロック

伯爵夫人:フェリシティ・パーマー

 

 まずは、評価が高かったと聞くヘアハイムの演出。これに舌を巻いた。じつに納得の行く方向である。舞台上にチャイコフスキーが登場し、最後まで、舞台の他の人物たちにまとわりついてドラマが進む。ヘアハイムによれば、音楽誕生のきっかけとなる着想から解き明かし、作曲の過程を重視して具体化した結果だという。こうして、このオペラ世界のすべてが、作曲家の妄想の中にある、とする舞台が実現した。

 これは、オペラと呼ぶにはあまりにもシンフォニックで巨大なこの『スペードの女王』という音響世界を舞台に乗せる最良の方法かも知れない。例えば、ベルリオーズの『ファウストの劫罰』もそうだ。「歌劇場」という物理的空間からはみ出してしまう世界を、どう表現するかは、最近、安易にCGで広げているものが多いが、そんな簡単なものではない。

 肝心の「音楽」だが、パッパーノが、この壮大な音楽、チャイコフスキーが自身の音楽の集大成を目論んでいたのではなかったかと私が思っていた『スペードの女王』の音響世界を、文字通り劇的でシンフォニックな音楽にまとめ上げていた。細部に聞こえる音楽の断片、ちりばめられた音楽の波動のコラージュが巨大な音響へと展開して行ったとき、不思議なノスタルジーを感じて、思わず感動してしまった。やはり、この音楽は、ドラマチック音楽の天才チャイコフスキーが心血を注いだ集大成のひとつなのだ。

 惜しむらくは、ゲルマン役の声量が今いちで突き抜けないことだったが、全体としては好演。先月だったか先々月だったかにNHKーBSで放映した『スペードの女王』でイライラさせられていただけに、改めて、演劇の国イギリスのオペラの底力を満喫した。

 

 

 

 

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