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クルレンツィス指揮『マーラー第6番』/プロッセダ『メンデルスゾーン《ピアノ協奏曲》』/グロメス『ロッシーニへのオマージュ』

2018年12月27日 15時10分07秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。2011年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、2018 年下半期分。年明けに発行される最新号のために書いたものですが、このブログに先行掲載します。なお、当ブログの、このカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

  
■「劇場指揮者の時代」を再確認させるクルレンツィスのマーラー
 

 いよいよ「平成」の時代が終わろうという時に、思いがけないCDに出会った。テオドール・クルレンツィス指揮ムジカエテルナによるマーラー『交響曲第6番《悲劇的》』である。このCDについて書く前に、私とマーラーとの出会いについて書こうと思う。じつは、私が初めてマーラーの音楽を聴いたのは1960年代の半ば、まだ中学生だったころだ。テレビで読響のコンサート番組が放送されていて、当時常任指揮者だったウィリス・ペイジが『交響曲第1番《巨人》』を採り上げたのだった。確か、ブルーノ・ワルターの同曲のステレオ・レコードが初発売され話題になったのと、ほぼ同時期だったはずだ。おそらく彼の活躍していたアメリカではマーラーを演奏会で採り上げるのは普通のことだっただろう。しかし当時の日本は、まだそれほどではなかった。マーラーは「新時代の音楽」だった。このことは、日本人の「西洋音楽受容史」に関心を深めて執筆を続けている現在の私の、音楽文化史家としてのスタートラインとも密接に関わりあっている。「西洋音楽とは何か」がまだ完全には醸成されていない中でマーラーは、正に衝撃的な「新時代の音楽」だった。そして、マーラーがロマン派の音楽に屈折した心情を持ち込み苦悩してゆく過程を追体験していったのが私自身の青春時代だった。だが、そうした私のマーラー観は、戦後という時代を象徴的に体現して世を去った天才指揮者ロリン・マゼールの演奏スタイルの変遷を追っている内に、存外、私個人の思いではなく、誰にも当てはまる十九世紀的ロマン主義への憧憬ではないか、と思うようになっていった。だから、もう二十年ほども前になってしまったが、「BBCラジオ・クラシックス」でクルト・ザンデルリンク指揮のマーラー『交響曲第9番』の感動的名演が発売された際のライナーノートへの執筆で、私は思わず「大丈夫だよ、マーラー。僕らは、まだ生きている」と涙しながら書いてしまったのだった。それほどにマーラーは、私たちの時代の生き方に示唆を与える存在だった。では、私がマーラーを初体験した中学生時代よりさらに十年ほど遅れて1972年に生まれたクルレンツィスは、マーラーについてどう語っているのだろう。クルレンツィスは言う。「マーラーにあったある種の新鮮さは、時とともに損なわれ、枯渇していった。」何ということだ! これが、マーラーが当たり前になった今日の彼の立ち位置なのだ。彼は言う。「マーラーが、未知の作曲家なら、もっとよかったのに。」私はひそかに、ほくそ笑んだ。彼は私のようなマーラーとの出会いがしらの感動を体験していない! さて、そんな彼のマーラーは、実に快調である。例えば、バルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニアの1967年録音に聴かれる慈しむような、優しい歌い上げは皆無だ。ざっくりと切り立った鋭さから、悲痛な叫びが突き上げてくる。その聴いていて思わず身を乗り出し、ぞわぞわとしたものが込み上げてくる自然な劇性は、彼自身が何んと言おうとも「新鮮」そのものだ。私は、バーンスタイン以後、マゼール、ブーレーズなどが、そして最近ではサイモン・ラトルが苦闘してきたマーラー像の結実が、いとも簡単に起こってしまったことに愕然とした。思えば、クルレンツィスもまた、私がこのところ言及し続けている「劇場指揮者」の系譜に属するひとりだ。やはり、レコード録音の全盛期という「20世紀」に生まれた「スタジオ録音とコンサート指揮者偏重の時代」に失ったものがあったのかも知れない、と改めて思った。
 
 
 
■プロッセダが「雄弁」に語るメンデルスゾーン『ピアノ協奏曲』
 

 『ピアノ協奏曲第1番』は、見つけると必ず買い求める曲のひとつになっている。LPレコードの時代からなので、もう相当なコレクションになってしまった。決して同曲異演のそれほど多い曲ではないから、ほとんどすべての録音を購入していると思うが、そこに新たに加わったのが、このロベルト・プロッセダのピアノ、ヤン・ウィレム・デ・フリエンド指揮ハーグ・レジデンティ管弦楽団による新譜である。この曲は、明らかに若書きの「青春の音楽」である。だから、ともすれば粗削りで、勢いに任せて突き進むスタイルの演奏に寛容である。私の知る限り、その方向であっという間に駆け抜ける演奏をやってのけて、「青春」を偽装した最初の巨匠はルドルフ・ゼルキンだと思う。だが、私はそれよりもずっと構成感を大事にして丁寧に弾いているレーヌ・ジャノーリの演奏が好きだった。あるいは、クリスティーナ・オルティスの柔らかで繊細な世界も好ましかった。今回のロベルト・プロッセダ盤は、とてつもなく丁寧な演奏だ。この曲の独奏ピアノが、これほどに多彩な色を弾き分けて素早く叩かれたことはなかったように思う。ピアノの音のひとつひとつがはじけ飛ぶようだ。それに呼応してオケも細心の注意を払っている。そこから生まれる緊張感の持続。息を詰めて聴き終えてしまった。もしこの演奏に不満があるとすれば、アゴーギクにまで工夫の限りを尽くすピアノによって、最後まで開放されることがないことかも知れない。大人の雄弁さなのである。
 
 
■グロメスがロッシーニの魅力をチェロで伝える魅力的なアルバム
 

 ロッシーニのメロディの魅力には独特のものがある。ショパンの有名な変奏曲もそうだが、これまでにも多くの作曲家がロッシーニへのオマージュで作品を残している。ラファエラ・グロメスという女性チェロ奏者による『ロッシーニへのオマージュ』と題されたこのアルバムは、ケルン放送響の伴奏によるものとユリアン・リームのピアノ伴奏によるものが混在し、どちらのロッシーニのメロディも、そのリームが編曲を手掛けているほか、オッフェンバックによる『チェロと管弦楽のための幻想曲《ロッシーニを讃えて》』、ピアノ伴奏によるマルティヌーの『ロッシーニの主題による変奏曲』も収録したアルバムだ。どの曲もグロメスのよく歌うチェロの自在さが温かく、心地よく聴ける。ロッシーニ『スターバト・マーテル』の最もオペラティックな歌《苦しみ悶え》は、原曲のテノールよりも彼女のチェロの歌のほうが相応しくさえ感じる。オッフェンバックの愛情あふれる作品の豊かな歌と軽やかなリズムによる様々なロッシーニ・メロディの引用も楽しい。様々なオペラの場面が目に浮かんできて、思わず浮き浮きとしてくるから不思議だ。また、ロッシーニ晩年の名作『老いのあやまち』の第十巻から「一滴の涙」が、チェロとピアノのバージョンで収録されているが、そのしっとりとした歌には思わず「これはチェロのために書かれた曲だ」と納得する。様々な楽器によるロッシーニ・メロディの妙技を聴いてきたが、これは確実にお勧めの一枚である。
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ワーグナー『ワルキューレ』上演史についての私的覚書

2018年12月18日 15時09分10秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

 

二年ほど前から縁あって、あるサークルで「映像ソフト」によるオペラ鑑賞会での解説を数か月置きにしている。既に10作品ほど、解説書の文章を執筆しているが、その中に『ワルキューレ』もあるので、先日の補足を兼ねてここに抜粋して掲載する。

冒頭からの大半は、老練なオペラ・ファンの方々にとっては自明のこととは思うが、文の構成上、残しておいた。後半の「上演史」あたりからは、このブログの読者の方々にとってもご興味を持っていただけると思う。この部分は、『ワルキューレ』という作品の特異性から「上演史」となったもので、通常は「音盤派」を自認している私の立場から「音盤史」としているものだ。これを機会に、今後、順次、他の演目への執筆分も掲載してゆく予定だ。

 

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§『ワルキューレ』の特異性

『ワルキューレ』は、歌劇の大改革を目指していたワーグナーが、自ら「楽劇」と名付けた新形式の音楽劇の集大成として完成した「一大叙事詩、四部作」の一角を占める作品。ドイツや北欧で古くから語り継がれている神話的な内容の物語をもとにワーグナー自らが台本を書き上げたもので、四部作全体は『ニーベルングの指環』と名付けられた。『ラインの黄金(序夜)』『ワルキューレ(第1夜)』『ジークフリート(第2夜)』『神々の黄昏(第3夜)』という3時間、4時間を要する4つの楽劇を、4日間にわたって続けて鑑賞することを原則とする壮大な作品だが、それぞれを独立した作品として鑑賞することも可能なので、しばしば単独での上演もされている。中でも『ワルキューレ』は人気が高く、4作の中で上演回数も録音・録画ソフトの数も、ともに最多で全ワーグナー作品の中でも1、2を争う人気作品である。

 しかし、単独での鑑賞が可能であるとはいえ、作品の成立過程を見ればわかるように、ワーグナー自身が第4作から遡るようにして四部作としてしまったことにも象徴される「因縁譚」であり、複雑に絡み合った「いきさつ」への理解が求められる作品であることは否定できない。そのため、今回の作品解説にあたっても、その点を十分に配慮した。直接的なストーリー展開よりも、それらの背景にあるものの方が重要なのである。

 『ワルキューレ』という作品は、壮大な構想の作品でありながら、その世界は極めてシンプルな構成の作品とみることもできる。それは、当時あたりまえのように組み込まれていた「合唱」の場面がないこともそうだが、いたるところで長い「二重唱」場面が多用され、「室内オペラ」のような趣きを持たせていることを指摘すれば十分だろう。『ワルキューレ』は対話劇であり、問答劇なのである。だが、楽器編成からもわかるように、仕上がった「音響」「演奏時間」は、当時の常識を大きく超える巨大・長大なものとなった。


§物語の発端から『ワルキューレ』の物語に至るまで

 『ワルキューレ』を理解するには、四部作の第1作『ラインの黄金』で明かされる「指環」の秘密を、まず知っておかなくてはならない。愛を断念した者だけが、ライン川の川底に眠る黄金から〈世界を支配する指環〉を作ることができるというものだ。それを知った小人族=ニーベルング族のアルベルヒは、愛することを捨て去り、ラインの黄金を奪って逃走するが、神々の中の王として君臨しているヴォータンが、自分たちのための壮大なワルハラ城建設を請け負った巨人族の兄弟に支払う報酬として、アルベルヒが指環の力で集めた財宝を横取りして渡そうとしたことから、話がねじれていく。指環と財宝を奪い取られたアルベルヒは指環に呪いをかけるが、指環を巡って巨人族の兄弟が殺し合いを始めるのを目の当たりにして、大神ヴォータンは指環に恐ろしい呪いがかけられていることを知る。これが、ワーグナーが描いた「愛」と「欲望」の相克であり、愛を捨てた「支配欲」「権力欲」が世界を滅亡させるという思想の表明である。

 このままでは、やがて神々に終焉の日が訪れてしまうと恐れたヴォータンは、知恵の女神エルダとの間に娘ブリュンヒルデをもうけ、他の女神たちとの間に生まれた8姉妹とともに、勇敢な死を遂げた英雄を戦場から連れ帰る女性戦士「ワルキューレ」たちの軍団を組織し、一方で、指環を取り戻すために下界を自由に動ける人間の双子兄妹ジークムントとジークリンデを作る。


§『ワルキューレ』のあらすじ

 『ワルキューレ』の幕が上がると、舞台は嵐の夜である。ヴェルズング族の青年ジークムントが、戦いで傷ついた体をかばいながら森の中を逃げてたどり着いたのは、敵対するナイディング族のフンディングとその妻ジークリンデが住む家だった。ここで、お互いに兄妹とは知らずに出会ったジークムントとジークリンデの二人が愛し合い、逃避行に至るのが第1幕である。

 ご承知の方も多いかと思うが、『ワルキューレ』のレコード・CDには、昔から、この『第1幕全曲』というアルバムが多かった。また『第3幕全曲』とするアルバムや第3幕の『ヴォータンの告別と魔の炎の音楽』を収めたアルバムも多かった。いずれも、音楽的な流れとしてまとまった魅力があるからで、いつも『第2幕』は軽んじられていた。しかし、次の『第2幕』こそが、ストーリーの展開では重要な転換点を成す部分なのである。

 続く第2幕。神々の長であるヴォータンは、たとえ妻を寝取られたフンディングとの戦いであっても、息子ジークムントを英雄にしたい。しかし結婚の女神である妻フリッカの〈正論〉に言い負かされ、ブリュンヒルデにジークムントへの肩入れを禁じたヴォータンだった。だが、近親相姦とはいえ兄妹の真実の愛に打たれたブリュンヒルデが、父ヴォータンの命に背いたところで第2幕は終わる。

 第3幕は「自分の行動は恥ずべきことですか」と迫るブリュンヒルデの訴えと、それを「許すことは出来ない」と言わざるを得ないヴォータンの苦悩が中心となる。フンディングとジークムントとの決闘に於いて、自分の命令に背きジークムントに加勢したブリュンヒルデを罰さなければならないヴォータンは、彼女を岩山の頂きに眠らせ、その周囲を炎で覆い尽くすことにする。この炎を越えてきた真の英雄だけが、ブリュンヒルデをその眠りから目覚めさせることができると宣言。ヴォータンの告別の歌が張り裂けそうに響き、幕となる。


§『ワルキューレ』理解のためのキーワード

(1) 「示導動機(=ライトモチーフ)」

ワーグナーは、従来の「アリアとレチタティーボ」という言わば「歌とセリフ」が交錯する音楽の流れで成り立っている「歌劇」に一貫性を持たせる方法として、「示導動機(ライトモチーフ)」という概念を持ち込んだ。特徴的な旋律断片が、特定の登場人物、場面、事物、想念を象徴して使用され、オーケストラが深くかかわって劇の進展に寄与し、変化しながら繰り返される。そして、ひとつの幕を通じて音楽は途切れることなく続き、個々の独立した歌がない。これをワーグナーは「楽劇」と名付けた。声による「歌」ではなく、オーケストラと一体化した多様な表現の真価が問われるのである。

(2) 「トネリコの木」と「ノートゥング」

第1幕に登場する「トネリコの木」には、未だに誰にも引き抜かれたことがない一本の剣が刺さっている。それはヴォータンがジークムントのために用意しておいたもの。ジークムントが見事にこの剣を引き抜き「ノートゥング(=苦難)」と名付ける。その瞬間にオーケストラで鳴り渡るメロディは「ノートゥング」を表すライトモチーフである。

(3ワルキューレ」

劇のタイトルともなっている「ワルキューレ」とは、ヴォータンが本妻フリッカとは別の何人かの女神との間にもうけた9人の娘たちのこと。羽根つきの鉄兜、槍、盾を装備した兵士で、その仕事は「戦場で勇敢な死を遂げた人間」を神の居城ワルハラに連れ帰ることである。やがて起こるはずの「指環」争奪をめぐる戦いに備えるというヴォータンの遠大な計画の一環である。9人のワルキューレたちの筆頭がブリュンヒルデ。彼女は、『ニーベルングの指環』全編を通じたヒロインともいえる存在である。

(4)「神話の中の近親相姦」

親子や兄弟姉妹との肉体関係を意味するいわゆる「近親相姦」は、獣性への逆戻りとして古くからタブー視されている行為だが、エジプト神話やギリシア神話、そして日本神話に於いてもしばしば、それらしき記述が見受けられる。そうした神々には許される行為、言わば「神話的特権」を与えられた兄妹がジークムントとジークリンデの二人であるというのが、この『ニーベルングの指環』に流れる「英雄性」を高めていると見ることができる。

 そうした価値観は、じつは『ワルキューレ』に続く楽劇『ジークフリート』では、ヴォータンから見てその娘であるブリュンヒルデと、同じく娘であるジークリンデから生まれた息子ジークフリートという伯母と甥との関係へも進展していくのである。もちろん、そうなってゆく背景には、ヴォータン自身も、大勢の妻を持つ「神話的特権」の持ち主だということがある。

(5)「バイロイト祝祭劇場」「バイロイト音楽祭」

「バイロイト祝祭劇場」は、ワーグナー信奉者だったバイエルン王ルートヴィヒ2世の援助を受けて、ワーグナーが自身の作品を上演する理想の劇場として、現在のバイエルン州の小都市バイロイトに建設された。ワーグナー作品の理想的な音響を実現できるように設計され、同劇場竣工後の作品では、その舞台の寸法に合わせて、歩く時間まで計測して作品が書かれたともいわれている。1872年に着工し1876年に竣工。最初の演目が『ニーベルングの指環』全四部作だった。

 この建物は現存しており、今でも毎年、7月末から8月末までの約1ヵ月間、ワーグナー作品だけを上演する「バイロイト音楽祭」が開催されている。しかもワーグナーの死後、代々ワーグナーの子孫が運営を引き継いで現在に至っているので、ここで行われるワーグナー作品の新演出が常に話題になるという状況が、事の是非はともかくとして、1950年代からずっと続いている。


§『ワルキューレ』の上演史と「バイロイト音楽祭」

 『ワルキューレ』は1870年の単独初演の後、『ニーベルングの指環』四部作の第2作としての連続公演による初演を、1876年にようやく迎えることができた。この年に竣工したバイロイト祝祭劇場で行われた「第1回バイロイト音楽祭」の演目だった。この公演には資金提供者でもあった当地バイエルン王ルードヴィッヒ2世やドイツ皇帝ヴィルヘルム1世などの国賓をはじめ、リスト、ブルックナー、チャイコフスキーなど著名な音楽家が招待され、観客も多数来場して賑わったが大赤字だったといわれている。そのため、第2回は延期され1882年まで開催されなかった。翌年にはワーグナーが世を去っている。第2回が行われた1882年以降、多少の休催を挟みながらも継続していた音楽祭だが、第一次世界大戦の影響により、ちょうど日本の大正期にあたる1915年から1923年までは開催されていない (現在のように毎年『指環』全四夜が上演されているわけではなく、全四夜の再演は1896年のことだった)。

 再開後の1930年に画期的な出来事が起こった。ミラノ・スカラ座で評価の高かった指揮者トスカニーニの招聘である。ドイツ人以外の指揮者がバイロイトに初めて呼ばれた。ワーグナーの息子ジークフリート・ワーグナーと、その妻ウィニフレッドの尽力によるものだった(ただ、この年にジークフリートは世を去ってしまった)。トスカニーニは若き日にヴェルディの薫陶を受け、プッチーニとも親交のあった20世紀を代表する偉大な指揮者のひとりだが、バイロイトへの登場はヒットラーのナチス政権の台頭を嫌って2年間だけで終了、以前から関係のあったニューヨークへと渡ってしまった。

 私は、いわゆる「バイロイト詣で」をするワーグナー信奉者ではないので、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場がワーグナー演奏の世界標準となっていると見ているが、そうした方向へと向かっていった背景には、このトスカニーニの渡米が大きく関わっていると考えている。トスカニーニのワーグナー演奏の特質は同時期のドイツ系指揮者とかなり肌合いが違うことが、残された古い断片的な録音を聴いているだけでもわかる。トスカニーニによるメロディラインがくっきりと聞こえてくるクリアなワーグナー音楽は、ドイツ系の指揮者の重厚なサウンドとは、かなり趣が異なるのだ。これは、戦前のメトロポリタン歌劇場でのライヴ放送収録の全曲録音でも、ボダンツキー指揮の『神々の黄昏』(1936年)やラインスドルフ指揮の『ワルキューレ』(1940年)で確認することができる。

 トスカニーニが去った後、バイロイト音楽祭は、熱烈なワーグナー・ファンだったヒットラーによる擁護によって終戦直前の1944年まで続けられたが、そのことから第二次世界大戦後には、ユダヤ系音楽家のワーグナー演奏拒否が長く続くこととなる。この問題が根本的に解決したのは、つい最近のことと言ってよい。

 第二次世界大戦中にヒットラー政権との蜜月時代を続けた責任者は、ジークフリート・ワーグナーの未亡人ウィニフレッドだった。彼女を追放して1951年、戦後初のバイロイト音楽祭が開催された。中心となったのが、ワーグナーの孫にあたるヴィーラント・ワーグナーヴォルフガング・ワーグナーの兄弟である。

 ヴィーラントによって再開された戦後初の『指環』は、深刻な資金不足もあって極めて簡素なセットによる暗示的な舞台演出だったが、その「空っぽ」の舞台の斬新さがかえって前衛的と評価された。これが「新バイロイト様式」である。ハンブルク国立歌劇場の音楽監督ヨーゼフ・カイルベルトが指揮をし、その後1955年まで指揮をして録音も残されている。この簡素な舞台を、カラヤンは否定して自身の演出舞台を1967年のザルツブルク音楽祭旗揚げ公演で実践したが、その映像化の実現を待たずに世を去ってしまった。50周年を記念する2017年ザルツブルク音楽祭では。ティーレマン指揮ドレスデン歌劇場のプロダクションで、そのカラヤン演出の『ワルキューレ』が再現され、NHKでも放送されたが、この指揮者特有の上滑りな音楽が空回りするばかりで、音楽的には物足りないものだった。

 カイルベルトの後1950年代後半はクナッパーツブッシュが『指環』の指揮を数年続けたが、60年代にはカール・ベームが担当。どちらもライヴ録音のレコードが残されている。

 その後『指環』四部作を中心としたワーグナー作品の公演は、ヴィーラントとヴォルフガングによる演出が、しばらくの間は交代で行われて「新バイロイト様式」が定着したが、1966年にヴィーラントが世を去って以降、運営面でその遺族とヴォルフガングとの対立が次第に表面化、結局、同族経営の問題点が指摘され、1973年にドイツ連邦政府、バイエルン州政府主導でワーグナー家も加わった「ワーグナー財団」が設立されて今日に至っている。

 財団化以降も総監督の座に留まったヴォルフガングによって1976年、ピエール・ブーレーズ指揮パトリス・シェロー演出による『指環』公演が行われ、その斬新な「読み替え」で物議を醸したのは有名な出来事である。その後、改訂が毎年施され1980年の公演映像はレーザーディスクが発売され、その後DVD化されて今でも鑑賞することができる。音楽的には精緻で清澄な響きの優れた演奏だが、読み替えによる現代劇的要素を持たせた演出の斬新さには抵抗がある。

 その後では、メトロポリタンのジェームズ・レヴァイン、ベルリン・ドイツ・オペラのダニエル・バレンボイム、バイエルン歌劇場のキリル・ペトレンコなどが印象に残るバイロイト音楽祭の指揮者だが、最近はドレスデン歌劇場のクリスティアン・ティーレマンが中心的存在となっているようだ。 

 バレンボイム指揮ハリー・クプファー演出など、現代社会の政治状況を投影する手法も多くなっていった。ある意味でそれは、争いを繰り返し、絶えず国境線が書き換えられたヨーロッパの歴史を踏まえてワーグナーが作曲した思いを具体化する作業であると見ることもできるが、そうした現代演出は、ワルキューレたちの行動が戦場からの死体運搬そのものに見えたり、遺体安置所のようだとする批判も強い。

 現在は、2009年の総監督ヴォルフガング引退の後を継いだ二人の娘、カタリーナ・ワーグナーとエファ・ワーグナーという異母姉妹の抗争も起こって、主導権争いからカタリーナ自身の演出家デビューが行われたりしているが、1980年代以降、「バイロイト音楽祭」の動向は〈聖地バイロイト〉に留まらず、ヨーロッパの多くの歌劇場に影響を与えるようになった。〈聖地〉でのワーグナー作品の大胆な読み替えによって〈タブー〉がなくなったということだ。1989年の映像が残されたバイエルン歌劇場のサヴァリッシュ指揮レーンホフ演出はその好例だが、1999年のオランダ・ネーデルランド・オペラのプロダクションによるハルトムート・ヘンシェン指揮ピエルレ・アウディ演出などは、その奇妙な抽象性に思わず首を傾げてしまう。こうした傾向は今でもヨーロッパの各地に根強く残っているようだ。

 1990年代に至っても伝統的なスタイルでの上演を行っていたのがニューヨークのメトロポリタン歌劇場である。ウィーン出身のオットー・シェンク演出によるものだが、ここも、数年前には新演出に代わった。新演出に代わる前のオットー・シェンク版は1988年にジェームズ・レヴァインがメトロポリタン歌劇場で行った公演の記録が、いち早くレーザーディスクで発売され、現在もDVDで入手可能である。オーソドックスで具象的な(すなわち、「森」も「山」も普通に登場する)オットー・シェンク演出は、初めての鑑賞には最適であるとともに、1980年代からバイロイトに度々登場しているレヴァインの指揮する音楽が、ジェシー・ノーマンの名唱もあって、豊かな表情でワーグナーの世界を聴かせる演奏となっている。

 一方、話題の「シルク・ド。ソレイユ」での演出で注目を浴びたロベール・ルパージュ演出のメトロポリタンの最新版は「ライヴヴューイング」で全世界に放映された。日本でも映画館での放映後、テレビで何度も放送されたので、ご覧になった方も多いと思うが、オーソドックスな意味での『指環』の神話的世界観は確保されているものだ。この演出版は、「四部作」通し上演ではないが、今期、「ワルキューレ」のみの上演が行われ、「ライブビューイング」上映が5月に予定されている。


§『ワルキューレ』の音盤史

 今回の解説では、「上演史」の大半が、そのまま「音盤史」となった感がある。文中の太字の指揮者、演出家と録音・録画年で検索していただければ、現在でも比較的容易に入手できるはずである。このほか、レコード史に残るものとしてゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニーによる英DECCAの『指環』四部作CDが世界で初めて発売されたステレオ録音として金字塔的存在である。また、独オイロディスクのヤノフスキ指揮ドレスデン歌劇場の録音は、四部作初のデジタル録音である。



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英国ロイヤル・オペラ・ハウス、2018/19『ワルキューレ』でパッパーノが真価を発揮

2018年12月16日 23時03分13秒 | オペラ(歌劇)をめぐって
 
 
 
「英国ロイヤル・オペラ・ハウス」シネマシーズンの今期2018/19は、バレエはロイヤルバレエの定番となった『マイヤーリング(うたかたの恋)』で幕を明けたが、オペラはワーグナー『ワルキューレ』である。年明け早々の1月11日(金)から、全国の東宝東和系の指定館で全国上映されるが、先日、12月14日にいち早く鑑賞する機会を得たので、そのご報告をしよう。
 10月28日上演の映像記録で、スタッフ、キャストは以下の通りである。
【演出】キース・ウォーナー
【指揮】アントニオ・パッパーノ
【出演】スチュアート・スケルトン(ジークムント)
    エミリー・マギー(ジークリンデ)
    ジョン・ランドグレン(ヴォータン)
    ニーナ・ステンメ(ブリュンヒルデ)ほか
 キース・ウォーナーの演出は2005初演以来のもので、賞賛と非難が相半ばしたまま再演が繰り返されているもののはずだが、話には聞いていたものの、細部まで丁寧に映像鑑賞したのは、今回が初めてだった。指揮はコヴェントガーデン王立歌劇場(英国ロイヤルオペラ)の音楽監督となって数シーズン目を経たアントニオ・パッパーノである。
 じつは、パッパーノという指揮者は、私にとっては思い出深い名だ。最初に聴いたのはまだ彼が駆け出しの頃、ウィーン国立歌劇場のいわゆる当番指揮者陣の一人に加わった直後、プッチーニ『マノン・レスコウ』を指揮する日だった。旅行中だった私がたまたま居合わせて、飛び込みで500円そこそこの安価なチケットで入場し、その活きのよい指揮ぶりに将来を期待して、その名を記憶したのが始まりである。その彼が、ベルギーの「モネ劇場」の音楽監督を経てコヴェントガーデンに君臨するようになったのは周知のことだと思う。ただ、私自身は、モネ劇場でのマスネ『マノン』全曲録音などにはあまり納得できず、むしろ2010年前後に聖チェチリア音楽院管弦楽団と精力的に録音していた一連の交響曲録音、とりわけ、チャイコフスキーの交響曲の怒涛のような勢いある指揮ぶりを称賛していたように記憶している。
 思わぬ方向へと、記述が脱線してしまった。ただ、私は、コヴェントガーデンでのパッパーノの仕事全部の映像を鑑賞しているわけではないが、例えばプッチーニ『トスカ』では、そのいささか乱暴で強引な音楽の進行に疑問を持っていたのだ。
 「ところが!」である。今回の『ワルキューレ』は素晴らしかった。パッパーノがプッチーニよりワーグナーに向いているとは、意外なことのようだが、じつは、そうではない。パッパーノが紡ぎだす音楽の「息継ぎ」の見事さが、ワーグナーの音楽の流れに、しっかりと寄り添っているのだ。ブリュンヒルデを歌ったニーナ・ステンメが幕間のインタビューで語った言葉を借りるなら、「一歩一歩登っていく山のような旋律」を長い息づかいで歌い継いでゆく様は、じつに音楽的な充実感のある展開だ。各動機が重なり合い数珠つなぎになって繰り出される。個々の歌手も、これなら安心して歌えるというものだ。かつて、1980年代くらいまで、ワーグナー音楽の演奏が、ともすれば各動機がトランプのカードをとっかえひっかえ次々と出してゆくような「動機の展示会」になってしまったことを思えば隔世の感がある。ブーレーズのバイロイト登場あたりからの傾向ではあるが、パッパーノのそれは、私がこの10年ほど聴いた中でも秀逸の鳴りだったと言ってよいように思う。骨太で巨大な響きながら、細部がよく鳴っている。
 第3幕では冒頭から幕切れまで、殊更に様々な旋律要素や和音が途方もなく組み合わされ、最も複雑な動きをオーケストラが奏でるが、それを曇りなく振り分ける指揮者の力量には舌を巻いた。それでいて、大きく自然な感情の高揚が得られるのは、パッパーノが本質的な意味での「カンタービレの指揮者」だからなのだろう。これは、ワーグナー演奏としては決してドイツ的ではない斬新さだが、往年のトスカニーニのワーグナーやプッチーニに通じるものか、とも思う。ひょっとすると、パッパーノの骨太なカンタービレは、どうやらプッチーニでは「せっかち」で「厚塗り」の響きになってしまうようだ。
 キース・ウォーナーの演出については、私は支持者に回った。いかにもシェイクスピア演劇の国イギリスならではの、演劇的な意味合いで成功した演出だと思った。
 もともと、『ワルキューレ』は対話劇であり、室内劇的な展開を持っているドラマだ。それを最大限に生かす方向に徹したものと言えるだろう。各登場人物相互の関係が、図式的に手に取るように描き分けられ、心理劇としてわかりやすい演出に仕上がっている。登場者の服装が現代的なことがしばしば揶揄されるが、確かに、そのことによってストーリー全体が「神話的」ではなくなっているかもしれない。ある意味では「家庭争議」のようになってしまっているとも言えるのだが、それもまた、この演出が狙った「室内劇」の皮肉な成果だということもできるだろう。
 何はともあれ、この『ワルキューレ』は、ワーグナーが苦手な向きをも釘づけにすることは間違いない。わかりやすい演出と壮麗で巨大な音楽がバランスよく同居した『ワルキューレ』としてお勧めする。
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