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ウォルトン「チェロ協奏曲」「交響曲第一番」曲目解説と、ラトル/ハレルの演奏について

2010年02月16日 19時05分44秒 | ライナーノート(EMI編)

 以下は、サイモン・ラトルによるウォルトンの作品を2曲収めたEMIのCDの東芝国内盤のために書かれたライナーノートです。曲目は、リン・ハレルとの「チェロ協奏曲」と「交響曲第1番」の2曲でした。スタンダードな作品ではないので、さすがに曲目解説原稿のストックがなかったようで、「演奏論」だけでなく、曲目解説の執筆も依頼されました。この時代はまだ、こうした作品には、つまらない定説も、おざなりの曲目解説もありませんから、かなり楽しく書き進めた原稿です。後に、そのどちらか一方の曲のみ、別の曲との組み合わせで原稿が転用された記憶がありますが、以下に掲載するものがオリジナルで、1992年10月の執筆です。


■ライナーノート全文

《演奏について》
 このCDには、まだ世を去って10年ほどしか経っていないイギリスの現代作曲家ウィリアム・ウォルトンの作品が2曲収められている。いずれも意欲あふれるアプローチで新たなウォルトン演奏を提示したものと言える。
 まずリン・ハレルとサイモン・ラトルとのコンビによる「チェロ協奏曲」。ここでは、リズムを明快にしてテンポの揺れを最小限に押さえた管弦楽と、抒情性豊かで自在な独奏チェロとの対照が、冒頭楽章から印象的だ。オーケストラが、わずかの音色の変化にも敏感に反応する感性を持っているのは、ラトルの成果と言えるだろう。清洌で透明な響きで淡々とした表情を守るオーケストラと、大きな表情づけで歌うチェロとで保たれている距離感からは、これまでの多くの演奏で独奏と管弦楽部が一体となってエモーショナルに訴えていた悲劇とは異質の、悲痛な孤独が聞こえてくる。
 第2楽章では一転して独奏者は切れ切れの歌には目もくれず、技巧の冴えわたった小気味よさで、アクセントの表情づけも細かい。オーケストラが安定した動きを守り通すために、たったひとりで手向かう独奏者の孤独が、ここでも鮮やかに表現されている。
 終楽章のレントでは純度の高い静けさを背景にチェロの豊かな歌が奏され、変奏でのオーケストラの精緻を極めた響き合いも見事だ。 ラトルの指揮は、ウォルトンの抒情性の本質が、リズム要素とのせめぎ合いから生まれているという認識に立っていると思われる。そして、それは「交響曲第1番」でも徹底して表現されている。例えば、冒頭楽章での揺るぎないリズムの刻みと歌う旋律とを等分に距離を保ち続ける棒さばきや、終楽章での小さな単位でのリズムの交替の鮮やかな表現に見事に結実している。
 ウォルトンは、歌に対する偏愛を持った作曲家と思われるが、その彼が、第1交響曲の冒頭を、どのようにして今日の形に書き上げたのか、その道程についてのマイケル・ケネディの研究報告は興味深い。ケネディによれば、この楽章は初めアレグロで主題が着想されたが、それが緩やかな旋律に形を変えてしまったと言う。しかし、まもなくそれでは行き詰ってしまい、結局、今日のようなリズミカルなものになったと言う。
 このことを踏まえてラトルの演奏を聴くと、改めてウォルトンの内面での葛藤が明確に音として表現されていることに気付く。今回ラトルによって提示されたこの演奏の新鮮さは、作曲者自身の深層にある歌とリズムとのせめぎ合いを、明確に抉り出して聴かせるところにあると言えるだろう。ウォルトン作品の演奏に新たな視点を与える個性的な演奏だ。

 なお、この二つの作品の歴史的録音についても、簡単に記しておこう。
 「チェロ協奏曲」には、この作品の依嘱者で初演者のピアティゴルスキーとミュンシュ/ボストン響によるステレオ録音が、初演後まもなく米RCAにより録音されている。(モノラルはすぐに発売されたが、ステレオの発売は遅れて1964年。)
 また、「交響曲第1番」には作曲者自身の指揮、フィルハーモニア管による1951年のモノラル録音が英HMV(EMI)に残されている。
 作曲された当時の作品のイメージを伝える貴重な録音で、LPでは過去に何度か発売されているが、いずれも現在のところCDは未発売のようだ。

《曲目解説》
 今世紀のイギリスが生んだ重要な作曲家のひとり、サー・ウィリアム・ウォルトンは、1902年3月29日にランカシャー州オールダムに生まれ、1983年3月8日に81歳の誕生日を目前にして世を去った。その前年にはウォルトンの80歳を記念してロンドンで盛大に祝賀行事が行われており、生涯の最後は、お気に入りだったナポリ湾外のイスキア島の自邸で悠々自適の内に迎えた。
 晩年は平穏のなかに過ごしたウォルトンだが、この世代の作曲家に多かれ少なかれ見受けられるように、彼もまた第1次、第2次の両大戦に挟まれた〈不安の時代〉を反映した精神を内に抱え、そこからの救済を希求して止まない、深い祈りにも似た作風を持っていた。そうした時代精神が結実した作品の代表とも言うべきものが、1935年に書かれた「交響曲第1番」であり、そうした〈不安〉の種子は、戦後になって1956年に書かれた「チェロ協奏曲」の奥底にも消えることなく置かれている。

●「チェロ協奏曲」
 比較的寡作家だったウォルトンは、ピアノと管弦楽による「協奏交響曲」を別にすれば、独奏と大管弦楽との本格的な協奏曲を3曲しか書いていない。それは作曲年順に1929年の「ヴィオラ協奏曲」、1939年の「ヴァイオリン協奏曲」、そしてこの「チェロ協奏曲」だが、いずれも弦楽器のための作品であるということは、注目してよいだろう。これらに共通するのは、弦楽の特性を生かした高揚感のあるフレージングであり、カンタービレであり、それによって表現される抒情精神だ。
 「チェロ協奏曲」はウォルトンにとって戦後初の大作であるばかりでなく、〈協奏曲三部作〉を完成するものでもあった。名チェリスト、グレゴール・ピアティゴルスキーの依嘱による作品で、1956年に前述のイスキア島で書き上げられ、依嘱者に献呈された。
 初演はピアティゴルスキーの独奏、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団の共演で、1957年1月25日にボストンのシンフォニー・ホールに於ける定期演奏会で行われた。
 楽器編成は、独奏チェロ、フルート2(ピッコロ持替え)、オーボエ2(イングリッシュ・ホルン持替え)、クラリネット2(バス・クラリネット持替え)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、ヴィブラフォン、シロフォン、シンバル、大太鼓、チェレスタ、ハープ、弦楽5部。

【第1楽章】 モデラート。他の二つの弦楽協奏曲と同様に、この協奏曲も穏やかなテンポで開始され、中間にスケルツォ的楽章を挟み、終楽章で冒頭楽章の主旋律が回想されるという形式を持っている。曲は初め、時を刻むような、あるいは、心臓の鼓動のようなリズムの伴奏部から入り、すぐさま独奏チェロによって歌われる10小節に及ぶ主旋律の登場となる。チェロの高音域を用いたこの主旋律は明らかにハ長調で始まるが、他のウォルトンの作品にも多く見られるように、次第に長短調の区別が曖昧にされて進行する。第2の主旋律は16分音符を効果的に用いた下降旋律だが、ソナタ形式を採ることもなく、木管や弦楽のピチカートなどで冒頭のリズム音型をしばしば思い出させながら、主旋律のイメージの周辺を行きつ戻りつするといった形でまとめられている。楽章の終り間近に弦楽合奏が獲得する調和のとれた美しい旋律も印象的で、これは終楽章でも再現される。
【第2楽章】 アレグロ・アパショナート。独奏チェロにとっては技巧的に至難のスケルツォ楽章だ。時折、抒情的な表情も見せるが、全体としては無窮動に近い。この楽章では独奏と管弦楽部との対立も明確に描かれている。短いカデンツァを伴っている。
【第3楽章】 レント~アレグロ・モルト~アダージョ。主題と作曲者が〈インプロヴィゼーション(即興的演奏)〉と名付けた4つの変奏で構成されている。弦楽のピチカートに導かれて独奏チェロで主題が呈示され、やがて木管を中心に注意深く管弦楽が加わり第1変奏となる。木管、ホルン、ヴィブラフォン、シロフォン、チェレスタ、ハープなどが時折アクセントを交えながら、独奏チェロが柔らかく歌い継いで行くが、チェレスタの一打を合図に管弦楽部が静まり、独奏チェロのみの第2変奏が始まる。ここは起伏の激しい部分だ。第3変奏では全管弦楽の咆哮による喧操の中に叩き込まれる。第4変奏で、再び独奏チェロのみがラプソディー風に奏され、やがて、アダージョの終結部では、冒頭楽章を想起させる旋律が戻ってきて、遠く遥か彼方に思いを馳るようにして曲を終える。

●「交響曲第1番」
 ウォルトンは交響曲を2曲残しているが、その内「第2番」は、戦後の1959年になってから書かれている。「第1番」は、「ヴィオラ協奏曲」という大作を書き終えていたウォルトンが、さらに、ベートーヴェンを理想とした絶対音楽の大曲を作曲したいと考えて、1932年にロンドンで着手した作品と言われている。
 だが作曲は思うようにはかどらず、最終的に全曲が完成したのは1935年8月31日のことだ。その間、再三の初演予告の日がやってきて、待ち切れなくなった主催者の懇請によって、前年の1934年12月3日には第3楽章までの初演が行われてしまった。全曲の初演は翌1935年11月6日に行われた。会場はどちらもロンドンのクイーンズ・ホールだった。
 いずれの初演とも指揮は、作曲者によってハミルトン・ハーティーに委ねられている。(当時ハーティーは、ハルレ管弦楽団からロンドン交響楽団に移ったばかりで、その移籍して最初のシーズンの呼び物としてこの作品の初演が位置付けられていたようだ。)オーケストラは第3楽章までの1934年はロンドン響だが、翌年の全曲初演では日程の都合からか、BBC交響楽団に替わっている。
 この曲は、作曲された当時のヨーロッパを蔽っていた時代の気分を十全に反映しており、両大戦間の特殊な時代状況を証言する傑出した交響作品として、オネゲルの「第3番」、ルーセルの「第3番」などとともに、長く記憶に留められる作品となっている。
 楽器編成は、フルート2(ピッコロ持替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ(奏者2)、小太鼓、シンバル、タムタム、弦楽5部。

【第1楽章】 アレグロ・アッサイ。ピアニッシモでティンパニの連打から開始され、ホルンのハーモニーに蔽い被さるようにリズミカルで震えるような弦が加わると、すぐにオーボエに第1主題が現れる。荒々しく悲痛さを伴って音量を増し、リズム要素も追い立てるように続く。第2主題は第1ヴァイオリンによって呈示される。どちらの主題もその終りに急激な動きの音型を持っていることで共通している。一応ソナタ形式風だが、極めて自由で複雑な展開で底力のある悲劇性を強調し、せき立てていくリズムの緊迫感が終始全体を蔽っている。比較的明瞭な形でオーボエの第1主題が弦で還ってくる中間部は静かさを取戻すが、それもまた、すさまじい管弦楽の咆哮へとなだれ込み、悲劇の中を一歩ずつ踏みしめるような短い再現部を経てコーダへと追い立てられて行く。
【第2楽章】 プレスト・コン・マリーツィア。発想標語の〈コン・マリーツア〉は「悪意をもって」という意味。その言葉が暗示するものが巧みに生かされた、鋭く刻むようなリズムに支配された楽章だ。そして悪意だけではなく、嘲笑や皮肉も込められていると聴き手に感じさせる変化に富んだ内容を持っている。
【第3楽章】 アンダンテ・コン・マリンコーリア。発想標語の〈コン・マリンコーリア〉は「憂鬱に」といった意味のウォルトンの造語。一転して穏やかなテンポに変り、心を塞ぐような憂愁を帯びた旋律をフルートのソロが奏する。暝想的な〈夜の音楽〉だが、どことなく空虚な雰囲気の漂う旋律だ。やがてやってくる弦楽合奏が表現する高揚感は、ウォルトンの弦楽への偏愛が生んだ幸福な結果と言えるだろう。弦のピチカートを従えたクラリネットの旋律も重要だ。次第に激しい慟哭の表情を示しながら音量を増していくが、冒頭のフルートの旋律に戻って静かに終る。
【第4楽章】 マエストーソ。突然の夜明けのようにファンファーレ風の旋律で開始される。楽章全体は4つの部分からなっており、テンポの速まる第2部は、第1部で呈示された様々な動機が不規則なリズムによって展開されていく。ひとしきり静まりフーガ主題が呈示され、自由に、そして激しくフガート風に展開され、不規則なリズムとフーガ主題が錯綜する第3部へと連なっていく。ここでのクライマックスはティンパニの連打を伴ったフォルティッシモで、そこから第4部となり、この楽章冒頭のファンファーレ風の旋律がマエストーソで還ってくる。寄せては返す旋律で高らかに歌い上げるエピローグだが、どこか空虚さを伴い、シベリウスの「第5交響曲」の結末を思わせる放り出されるような終り方が象徴的だ。(1992.10.4. 執筆)


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グートマン/サヴァリッシュによるドヴォルザーク「チェロ協奏曲」

2009年08月11日 11時06分05秒 | ライナーノート(EMI編)








 以下は、1995年頃に東芝EMIから新譜として発売されたCDのために書いた原稿です。私としてはめずらしく、執筆時の詳細な記録がなくなっているので執筆完了日を特定できませんが、当CDの初出発売の2ヵ月程度前には書き終わっているはずです。この初出時は、「チェロ協奏曲」と「交響的変奏曲」のカップリングでした。現在は、交響曲7番との組み合わせになっているようです。この「演奏について」長々と書いたライナーノートは、もちろん、初出時のみの掲載です。この時代は、まだ、国内盤ではこうした国内盤オリジナルの、演奏についての文章が付いているのが普通でした。ただ、ほとんどが、そのCDの演奏を手放しで礼賛するばかりで、「論」や「解析」を書こうという意欲のないものがほとんどでしたけれど。
 文中にもあるように、ソリストのグートマンは、まだ日本ではほとんど知られていませんでしたが、その後、シュ二トケ作品の演奏で、随分知られるようになりました。ちょっと「考えすぎ」のアーティストですが、私は好きなチェリストです。
 曲目解説は、東芝の既発売盤の文章の転用で済ませる予定でしたが、「交響的変奏曲」の文章が見つからないとかで、急遽、私が書き下ろすことになりました。演奏について書いた部分と文体が違うのは、既存の曲目解説の文体に合わせたためです。この分も、先方が字数を数えて、別途に原稿料を支払ってきたことを、ぼんやりと記憶しています。ジャスラックの影響で、出版社と異なり、レコード会社の原稿料支払は、様々な意味で、正確で細かく、「ま、いいや」がないのです。


■ライナーノート

《ドヴォルザーク:チェロ協奏曲/ナターリャ・グートマン(チェロ)
   ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団》

●演奏について
 ドイツ音楽界の重鎮のひとりとして、バイエルン国立歌劇場との関係が長く続くサヴァリッシュが、アメリカのオーケストラの中でもひときわアメリカ的な華麗なサウンドを持つフィラデルフィア管弦楽団とレコーディングしたと聞いたとき、その意外性には少々とまどった。このCDと同じドヴォルザークの交響曲「新世界より」だったが、実際に聴いてみると、それは、機能の優秀なオーケストラを手中にして、特に管のセクションのクリアーな響きを背景にメリハリのくっきりした演奏だった。いつものフィラデルフィア・サウンドよりはずっと重厚な響きだが、それでも50~60年代のサヴァリッシュを思い出させるような若々しい意欲で力強く押して行く演奏だ。その後もドヴォルザークの交響曲をこのコンビで連続して録音したサヴァリッシュが、数ある協奏曲中の名曲「チェロ協奏曲」をナターリャ・グートマンを独奏者に迎えて録音したものがこの新盤だ。
 グートマンはソ連生まれのチェリストで、活動歴も長く、60年代にはアメリカデビューも果しているがレコードは少ない。80年代に入ってからはリヒテル、カガンらとの室内楽活動も盛んに行った。おそらくこのCDが日本での本格デビュー盤と思われる。
             *
 この協奏曲でサヴァリッシュは導入部を、これまでと同じようにフィラデルフィア管から重厚な響きを引き出し、中庸を心得たテンポで、独奏チェロの登場までの長い管弦楽部を一息に歌い切っている。それを受けてグートマンのチェロは、比較的浅い呼吸でこの曲の抒情性を、おだやかな起伏で表現している。それは第2主題のノスタルジックな旋律でも同様だ。この曲の朗々とした力強さに慣れた聴き手は、多少とまどいを感じるかも知れないが、こうした演奏の中から浮び出てくるドヴォルザークの旋律の美しさは、それなりに魅力だ。これでサヴァリッシュのオーケストラ・コントロールがもっと音色の変化に鋭敏であったなら、きわめて個性的な演奏になったと思うが、力強いアンサンブルを重視するサヴァリッシュの指揮がオーソドックスな音楽に留まっているのが惜しまれる。
 この演奏の白眉は第2楽章だ。ここではグートマンの音楽性が見事に曲想と一体となって、淡い悲しみをたたえた旋律が静かに語られる。自身のチェロの音にじっと耳を傾けるようなグートマンのひそやかな歌が、フィラデルフィア管の木管の美しい響きと対話し、室内楽的展開を聴かせる至福の時がしばらく続く。中間部のオーケストラの強奏による慟哭の旋律も、サヴァリッシュの棒で悲痛に鳴りわたり、やがてまた、チェロのやさしい慰めへと受継がれていく。全体に遅めのテンポに終始するこの楽章の演奏は、音楽への慈しみにあふれた佳演で、ひと時も気を弛ませることのない名演だ。
 それを受けて終楽章は、決然とした感じを押さえた控え目なアゴーギクで開始される。ロンド主題の舞曲的なリズムアクセントを強調せず、むしろその背後で揺れ動く抒情性に耳をそばだたせる。オーケストラも柔和な表情を保ったまま、注意深くついてゆく。そして、コーダ近く、第1楽章や、第2楽章の回想までじっと辛抱していたオーケストラが、コーダで堰を切ったように金管を高らかに強奏して結ぶ。極めて個性的な演奏だ。
 この曲でこれほど内面に沈潜した情感をていねいに描いた演奏はめずらしい。大オーケストラを向うに回して堂々とわたりあう演奏が多いなかで、こまやかな音楽性に支えられたこの演奏の美質は貴重だ。特に後半の二つの楽章は、その目標とするところが見事に結実したものとなっている。
             *
 余白に収められた「交響的変奏曲」は、サヴァリッシュの行き届いた指揮によって、見通しのよい演奏となっている。


(曲目解説)
●「交響的変奏曲」
 この曲は、1877年に作曲されたドヴォルザークにとって初期に属する作品である。同年のプラハにおける初演時には「作品40」だったが、のちに出版されたときに「作品78」となった。同じ年に作曲された無伴奏の男声合唱曲「私はヴァイオリン弾き」を主題として、27の変奏とフーガとで成り立っている。
 この作品に前後して75年に「弦楽セレナード」が書かれ、78年には「管楽セレナード」が書かれていることは、注目してよい事実であろう。ドヴォルザークが師と仰ぐブラームスも変奏曲の傑作を残しているが、それと同様に、この曲はドヴォルザークにとって交響曲への習作と見ることができる。今日ではドヴォルザークは9曲の交響曲を書いたことになっているが、彼が生前に交響曲第1番として世に問うたのは、現在第6番とされているもので、それが完成したのはこの「交響的変奏曲」よりも後の1880年である。ていねいに主題を変奏させてゆく手腕はかなりのもので、この作曲家の中にある古典的構築性に対する深い教養が感じられる。リズムやオーケストラの音響には、その翌年に書かれた「スラヴ舞曲」や、後年の交響曲をほうふつとさせるところが見受けられる。ドヴォルザーク理解の一助となる作品である。


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バルビローリ~BBC交響楽団によるベートーヴェン《英雄》

2009年08月07日 10時38分21秒 | ライナーノート(EMI編)




 以下は、東芝EMIが、ミュージカルノートという会社と組んで発売したCDのために書いたライナーノートです。 1995年4月10日に執筆を終えています。確か、この原稿が、元東芝EMIのディレクター、幸松肇さんと初めてお会いして依頼された原稿だったと思います。彼は、私の書いた『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社刊)を手にして現れました。溜池の東芝EMI本社1階のミーティングロビーです。私の本のあちらこちらに印が付いていて、「うちが出せるもので廃盤になったままのものを、この本から探してるんですよ。」と楽しそうに話されたのを覚えています。「既に定年退職しているが、嘱託のような形で、東芝EMIと外部との共同開発商品を手掛けている」とも言っていました。当ブログに掲載済の「シルヴェストリの幻想交響曲」を山野楽器とで発売したのも彼だったはずです。「巌本真理弦楽四重奏団の芸術」もそうでしょう。小回りの利かない会社では出せないアイテムを、外部との提携で発売するという手法の初期のことです。今では、タワーレコードが、独自企画として各レコード会社と提携して発売するようになっていますが、その先鞭と言っていいでしょう。もともと小さなマーケットにすぎないクラシック音楽のCDを、小ロットながら確実に売り上げるという「正しい」売り方でした。
 私のライナーノートは、演奏論から、LPレコード初発売情報、CD化情報、演奏家・演奏団体の経歴、曲目解説まで、かなり広範なものでした。直さなくてはならないところもありますが、とりあえず執筆当時のまま、以下に掲載します。


■バルビローリの個性的名演の復活
 サー・ジョン・バルビローリの隠れた名演が、やっと正規にCD化されて発売された。日本には熱心なバルビローリ・ファンが多いが、そうしたファンの間で、しばしば話題となっていた〈CD化待ち〉の筆頭と言ってもよかったもののひとつが、このBBC交響楽団との《英雄》交響曲だった。
 もちろん、それには少なからず理由がある。バルビローリにもいわゆる珍曲、珍盤といった特殊なレパートリーの録音は他にも様々あるが、ベートーヴェンの交響曲というメジャーな作品であることが、その理由の第1だ。しかも、バルビローリのベートーヴェン作品の録音は極端に少ない。また、オーケストラがBBC交響楽団というのも、バルビローリの録音には他に見当たらないことが理由として挙げられるだろう。
 もちろん、めずらしいというだけで、この演奏が長い間〈語り草〉になっていたわけではない。この演奏が、バルビローリという稀有な個性の指揮者の美質を、最も端的に表したものだからこそ、一度でもこの演奏を耳にしたバルビローリの良き理解者の間で話題になり続けたのだと思う。
 だが、別の言い方をすれば、この演奏は、バルビローリの音楽を愛する人々でなければ、なかなかに容認できない程の個性を備えており、この演奏によって、場合によってはベートーヴェンのこの交響曲を誤解してしまうという危険さえ孕んでいるとも言える。「バルビローリ」という〈森〉に踏み入ることが出来るかの試金石と言っても過言ではないだろう。これは、徹底してバルビローリ流に染め上げられたベートーヴェンなのだ。
 バルビローリにとって、ベートーヴェンは決して得意なレパートリーではなかったと思う。得手不得手より、好き嫌いのレベルで、好きではなかったかも知れない。録音で残されたものも私の知る限り、この《英雄》の他には、ハルレ管弦楽団との「交響曲第1番」「第8番」「レオノーレ序曲第3番」「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」(独奏:ミンドル・カッツ)、が英パイ・レコードから出ていたのが、バルビローリ指揮のベートーヴェン録音の全てだった。
 その中で、当盤のBBC響との《英雄》はバルビローリのゆったりとして、しかも揺れ動くテンポ設定や、しばしば音楽の流れを停滞させてまで朗々と響かせる豊潤な歌い回しが、最も成功している。それは、バルビローリ/ウィーン・フィルの名演、ブラームスの交響曲を思い起こさせるほどのものだ。
 このテンポで歌い継いでいくには、やはり、当時のハルレ管の技量では無理があるだろう。贅沢を言えば、ウィーン・フィルでなかったのが残念だが、それでも、BBC響とで残されたこの録音の仕上がりには、バルビローリが求めている音楽の表情を実現する、ぎりぎりの遅いテンポが達成されている。
 だが、このバルビローリが作り上げた音楽の表情は、決して、一般的に言われているような意味でのベートーヴェン的音楽ではない。ベートーヴェンの〈音の建築家〉的な組み立てから大きく離れて、よく歌い、揺れ動き、深々と全身で呼吸するバルビローリの世界が、伸びやかに、広々とした中に息づいている、というべきだろう。
 特に第2楽章の演奏時間で5分10秒を過ぎたあたりからの優しく温かな表情、7分経過以降の金管の堂々とした咆吼などは、このベートーヴェンの作品が、すっかり面目を一新してしまっている。古典的な構築的アプローチをかなぐり捨てて、ロマンの淵を彷うように歩み続けるバルビローリの独壇場だ。ここには、〈形式〉の枠にとらわれ切れなかったベートーヴェンの〈ロマン主義的傾向〉がデフォルメされて表現されている。
 このバルビローリの演奏を、ベートーヴェンの標準から大きく踏み外していながらも、ひょっとしたらベートーヴェンの本質の一端を、むしろ根源から説き明かしているのかも知れないと思って聴き始めるのは、このあたりだろう。
 終楽章は更に、バルビローリのスタイルが徹底している。この楽章を、変奏形式による各段ごとの描き分けよりも、全体をひとつながりの内面のうねりで聴かせようというバルビローリの意図が際立っており、音楽の停滞をも厭わないコーダに入ってからの極端に遅いテンポによる進行は、正にバルビローリならではの独創的な演奏だ。最近遅いテンポのベートーヴェンとして話題になったジュリーニ/スカラ座管の演奏のような、音楽の構造の襞(ひだ)を丁寧の追っていくスタイルとはまったく違う。あくまでも〈ロマン的気質〉の大胆な発露がバルビローリの特徴だ。BBC響も、音楽が弛緩しないで底力がある。極めて個性的だが充実したベートーヴェン演奏と言えるだろう。こうした演奏が、良好な音質のCD化により手軽に聴くことができるようになったことを喜びたい。

■LP時の発売についてのメモ
 バルビローリ/BBC響の《英雄》は1967年に録音された後、ASD-2348の番号で翌68年3月新譜として英EMIより発売されているものがオリジナルLPだ。ほぼ同じ時期に米エンジェルでもS-36461の番号で発売されているが、なぜか、日本ではその当時発売されていない。
 その後、70年代の半ばにイギリスでは廃盤となってしまうが、日本では逆に79年6月新譜のEAC-30327として、東芝EMIのセラフィム・エクセレント・シリーズ(蝶々の写真を使用したジャケット・デザイン)の1枚で登場した。アメリカでは番号の切り換えもないまま80年代まで現役盤だった。
 だが、いずれもCD時代の80年代には市場から姿を消して、長い間世界中で廃盤のままだった。今回の東芝EMI/ミュージカルノートによる久々の復活発売は、正規盤としては世界初CD化と思われるが、同時に音質的にも、輝かしさ、音場の広がりなど、CD化による改善さえ感じられる出来栄えとなっている。
 なお、前項で述べた英パイ録音のベートーヴェンは、「第1/第8」が1986年に一度、英PRTからCD化されたが、まもなく廃盤となっている。

■ジョン・バルビローリについて
 ジョン・バルビローリは1899年12月2日にロンドンで生まれ、1970年7月29日に来日を目前にして同じくロンドンで世を去ったイギリスの名指揮者。
 戦前のSPレコード時代から、クライスラー、ミルシティンなどの伴奏指揮で、その名を見かける。30歳代の1937年から5年間トスカニーニの後任としてニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督として活動。その間にいくつかの交響曲の録音を残しているが、ニューヨークを辞任して帰国、イギリスのマンチェスターにあるハルレ管弦楽団の音楽監督に就任した。
 この地方都市のオーケストラの育成に尽力して49年にはサーの称号を贈られているが、世界のレコード市場では長い間マイナーな存在になっていたなかで、64年に英EMIに録音したベルリン・フィルとのマーラーの「交響曲第9番」を境に活発なレコーディング活動を開始したが、その6年後の1970年に世を去ってしまった。これからという時の突然の死が惜しまれるが、柔らかく懐ろの深い地味な音楽の、独特の味わいが晩年の芸風として愛されている。
 19世紀的な纏綿としたロマンティシズムとは一線を画して、節度と折り目正しさを保ちながら、豊かに全身を賭けて歌うロマンの大きなうねりが、多くのファンを魅了した。特に、ブラームス、マーラー、シベリウスなどの交響曲、エルガー、ディーリアスなどのイギリス音楽の演奏で独自の境地を示した。

■BBC交響楽団について
 BBC交響楽団は、1930年にイギリス放送協会(BBC)の専属オーケストラとしてロンドンに創設された。第2次世界大戦までは、エードリアン・ボールトの主席指揮の元で、水準の高い演奏活動を行い、ワインガルトナー、トスカニーニ、ワルターらの客演や、現代音楽を積極的に紹介するという方針からストラヴィンスキー、バルトーク、シェーンベルク、プロコフィエフなどとの共同作業をすすめるなど、いかにも音楽商業都市ロンドンの放送事業の一環としてのオーケストラらしい活動を行っていた。
 しかし、第2次大戦で人事的にも経営的にも大きな打撃を受け、戦後しばらくは低迷期を迎えた。このオーケストラが再び充実した活動を行うようになったのは、1963年にオーケストラの名トレイナーとしても定評のあるアンタル・ドラティが主席指揮者に就任してからだ。ドラティの薫陶で再建されたBBC響は67年にはコーリン・デイヴィスへと主席指揮者がバトンタッチされた。このバルビローリとの録音は、このオーケストラがそうした第2期を迎えていたころの録音だ。同じ頃にコーリン・デイヴィス指揮による《田園》の録音などもあり、この時期にBBC響がベートーヴェンの交響曲で世界に真価を問えるほどの自信を取り戻しつつあったことが窺える。
 なお、現在のBBC響は、アンドルー・デイヴィスが主席指揮者を務めている。

■演奏曲目について
●ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調《英雄》作品55
 1802年から1804にかけてのベートーヴェンにとって30代前半の作品。古典派の形式から大きく踏み出して飛躍的発展を成し遂げた交響曲。同時期にベートーヴェンは、ピアノ・ソナタでは《熱情》を書き上げ、やはりスケールの雄大な世界へと踏み出している。
 初演は1805年4月7日にアン・デア・ウィーン劇場で行われている。
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ。ソナタ形式で、長大な展開部を持っている。提示部の反復が指示されているが、省略されることも多い。当CDでも省略されている。
第2楽章 アダージョ・アッサイ。自由な3部形式による楽章だが、〈葬送行進曲〉の名が与えられている。この交響曲で唯一の緩徐楽章だが、その規模は第1楽章に匹敵する。
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ。スケルツォ楽章で、中間部のトリオでは3本のホルンが活躍する。
第4楽章 変奏曲形式による楽章。主題にはベートーヴェンが好んで使用した自作「プロメテウスの創造物」の旋律が選ばれている。ソナタ形式的展開、フーガ的展開がとりいれられた独自の手法によっている。
     



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ヤンソンス~オスロ・フィルのドヴォルザーク交響曲第7番・第8番

2009年07月30日 20時06分41秒 | ライナーノート(EMI編)






 以下は、1993年2月27日に、マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルハーモニーによるドヴォルザークの交響曲『第7番』『第8番』を収めた東芝EMIのCDのために執筆したライナーノートです。当時の状況がよく反映されています。当時、英EMIはヤンソンス/オスロ・フィルを、かなり積極的に売り込んでいました。ご記憶のある方も多いと思います。
 私の文章も、そうした風潮に微妙に影響されていますが、今読み返してみても、ヤンソンスの音楽性に、一定の距離感、あるいは違和感を感じていた自分自身を思い出しますが、そうした「負の方向」を追究しないのが、ライナーノートの礼儀です。とても個性的な、つまり、誰の亜流でもない才能の持ち主ですが、どういう音楽へと発展していくのかが、私には「体感」できなかった演奏家ではありました。
今度、ゆっくりと、考えてみたいと思っています。
 曲目解説原稿のストックがたくさんある東芝さんでしたが、これも、オリジナルを書かせてもらいました。先日、「クラシックの解説・入門書は〈リサイクル〉で成り立っている」などと、馬脚を表すようなことを書いている人がいましたが、私は、曲目解説を書くときはいつも、私の視点で、新たに書き下ろしていました。


《ライナーノート本文》

●マリス・ヤンソンスの演奏

 マリス・ヤンソンスは、これまでしばしば来日しているが、つい先頃(93年1月~2月)もオスロ・フィルハーモニーを率いて、日本の音楽ファンにその個性あふれる指揮を聴かせてくれた。初来日はレニングラード・フィルとの77年で、86年にも同楽団と来日し、91年にはモスクワ・フィル、92年にはサンクト・ペテルブルク・フィル(旧レニングラード・フィル)と来日している。オスロ・フィルとは88年以来5年ぶりの来日だ。
 ヤンソンスは79年にオスロ・フィルの首席指揮者に就任し、以来このオーケストラのアンサンブルを磨き、世界的なオーケストラのひとつに数えられるまでに成長させたと評価されている。今回の来日公演でも、ヤンソンスの独自の表現への意欲に、ぴたりと随いていくオケの喰い付きの良さに、ヤンソンスとオスロ・フィルとの間に育っている信頼関係が強く感じられた。
 レコーディングの分野でも最近のオスロ・フィルは、60年代のフィエルシュタット、グリューナー=ヘッゲなどとのものが数枚あった頃とは様変わりで、世界のマーケットに登場するレコーディング量が非常に多い。特に86年にEMIとヤンソンス/オスロ・フィルとの間で長期にわたるレコーディング契約が結ばれてからは、このコンビによる録音のレパートリーにも広がりが出てきて、多くのCDファンに対する知名度が高まってきたのは周知のことだ。当CDは、そうしたヤンソンスとオスロ・フィルによる新録音で、ドヴォルザークの交響曲では88年録音の第9番《新世界から》、89年録音の第5番(国内未発売)に続く第3弾となる。
 ヤンソンス/オスロ・フィルは、その東京公演(2月11日サントリーホール)でも大いに聴衆を沸かせた。ダイナミックで強靱なアンサンブルを誇示する押し出しのよさや、絶妙のオーケストラ・ドライブで折重なる音を隅々まで透けるように聴かせるのが彼等の特徴だが、いわゆるヨーロッパ音楽自体が自然に身につけているフレージングとは異なるものを持っていることも、大きな特徴だ。
 ロシア系の指揮者は概ねそうした異種のフレージングを内に抱えており、それは時に重戦車のような迫力で迫るが、同じロシア系でもヤンソンスの場合はまた違う。ヤンソンスの音楽は、半ば強引とも言えるアゴーギクで、その意識化されたカンタービレを聴かせたりするといったものだ。これは、〈熱気あふれる音楽〉とは別種の世界だ。
 また、ロシア系の指揮者としては、西欧の機能主義の洗礼をかなり強く受けていると思われるヤンソンスの音楽は、最近ますます、いわゆる〈お国ぶり〉としての〈…らしさ〉が洗い落とされ、結果として極めて無国籍的な、独自の世界を築きあげるに至っている。彼の手にかかるとロシア物も、ドイツ物も、フランス物も、あるいは日本の音楽でさえも、皆それぞれの〈…らしさ〉を喪失して、ヤンソンスの音楽と化してしまうだろうと想像される。
 ヤンソンスの演奏スタイルは、この意味で非常に〈今日的〉と言えるし、その異質なサウンドが新鮮なものとして世界各地で迎えられているのも、その故だろう。
 だが、そうしたヤンソンスの音楽は、時にアクロバティックな演出が前面に出すぎてしまうことも否定できない。様々の仕掛けが何のために置かれているのかが見えて来ず、手つきばかりが目についてしまう危険があるのだ。発見があり、感心することはあっても感動がなければ、音楽は〈心に届く〉ものからは縁遠くなり、ほうり出される。これは、高度なテクニックを持つヤンソンスと、それにどこまでも従順なオスロ・フィルとが陥りやすい甘い誘惑であるとも言えるだろう。
 ではヤンソンス/オスロ・フィルは、当CDのドヴォルザークで、どのような音楽を聴かせてくれるのだろうか。
 これは極めて率直なアプローチの演奏で、スタイリッシュにまとめ上げられたドヴォルザークと言えるだろう。この曲から揺れ動く情感やスラヴ的土着性を聴きとろうとすると肩透かしを食わされるが、そうした匂いを消し去り、気分の耽溺のないスマートさで勝負に出た演奏だ。
 充実したアンサンブルで、澄んだ弱音から豪快な最強音までダイナミズムの幅は大きいが、徹底して直線的な音楽づくりで聴かせる。それは全身から湧き上がる情緒を頼みとするクレッシェンドとは異質の世界を固持しており、雄大に弧を描くようなクレッシェンドではない。むしろストレートに音量が増大するといったものだ。その一貫した姿勢で押し通していくところに、ヤンソンスの自信の程がうかがえる。
 2曲の内では、作品そのものが暗鬱としたロマン的情緒を内包しており、気分の深い沈潜に負っている部分の残る「第7番」よりも、「第8番」の方が、音楽そのものの素性としての起伏に富んだ変化が、そのまま率直にヤンソンスの演奏の効果を引出している。
 最後にヤンソンスの経歴を簡単に記そう。
 マリス・ヤンソンスは1943年に旧ソ連のラトヴィア共和国の首都リガに生まれた。父親は親日家としても知られ東京交響楽団の名誉指揮者でもあった名指揮者のアルヴィド・ヤンソンス。レニングラード音楽院で学んだ後、ウィーンでハンス・スワロフスキーに、ザルツブルクでヘルベルト・フォン・カラヤンに就いて指導を受けた。73年からはレニングラード・フィルでエフゲニ・ムラヴィンスキーの助手を務めた。79年以来、ノルウェーのオスロ・フィルハーモニーの首席指揮者を務めている。
 オスロ・フィルは、ストックホルム・フィル、デンマーク王立管などと並ぶ北欧の代表的オーケストラで、1871年にノルウェーの生んだ大作曲家グリーグに拠って創立された歴史を持っている。

●曲目解説

◇ドヴォルザークの交響曲
 ボヘミア(チェコ)の生んだ大作曲家アントニン・ドヴォルザーク(1841-1904)は、その生涯に9曲の交響曲を作曲したが、生前に出版した交響曲は5曲しかない。自己にきびしかったドヴォルザークが、自作の交響曲として初めて広く公刊したのは、現在「第6番」とされているものだ。出版当時「第1番」とされ、それに続いて現在の「第7番」が「第2番」として1885年にベルリンのジムロック社から出版された。出版社の営業政策から、これに続いて、「第6番」の前に書かれた現在の「第5番」が「第3番」として出版されたため話がややこしくなってしまうが、「第7」は、これに先立つ「第6」で初めて正式に交響曲作家として名乗りをあげたドヴォルザークが、満を持して世に問うた作品にふさわしい充実した完成度をもっている。
 ドヴォルザークの全交響曲の内、最も知られているのは「第9番《新世界より》」(旧第5番)だが、しばしば「第7番」と「第8番」(旧第4番)とを合わせて、ドヴォルザークの三大交響曲と呼ばれる。
 なお、ドヴォルザークの交響曲を前述の旧番号で呼ぶ習慣は、1960年代の初頭まであったが、今日では9曲を作曲年代順に呼ぶことで統一されている。

◇交響曲第7番 ニ短調 作品70
 ドヴォルザークは、第6番(旧第1番)を1880年10月に完成し、これは翌1881年3月にプラハで初演されたが、当時の名指揮者ハンス・リヒターの尽力もあり、この作品によってドヴォルザークの名は広く国外にも知られるようになった。1884年4月には作曲者を招いてのロンドンのフィルハーモニー協会の演奏会が催されたが、ここでも好評を博した。その時に同協会から新たな交響曲の作曲と初演の指揮を依頼され、それが、この第7番となった。先にも触れたように、ドヴォルザークが自信をもって世に問うた交響曲としては第2作にあたる。
 実際の作曲にとりかかったのは同年の12月になってからだが、ロンドン訪問に先立ち83年12月にウィーンで、かねてから親交のあったブラームスの第3交響曲の初演に立合ったことで大いに啓発されたと伝えられている。また、83年に作曲されたドヴォルザークの愛国的作品、序曲「フス教徒」作品67との関連も指摘されている。ドヴォルザークの交響曲の中では、最も緊密な構成と重厚で力強い展開による濃厚なロマンが聴きものとなっている。84年12月から始められた作曲は順調に進み、翌85年の春には完了し、4月22日に作曲者自身の指揮によりロンドンで初演された。
 楽器編成は次の通り。
 フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニー、弦5部。

・第1楽章 アレグロ・マエストーソ。ソナタ形式。冒頭から悲劇的な気分で開始されるが、主題を幾重にも折重ねてたたみかけていく展開や、木管のメランコリックな慰めには、ブラームスの影響も聴くことができるだろう。コーダは第1主題によって壮大なクライマックスを築く。

・第2楽章 ポコ・アダージョ。かなり中間部が拡大された自由な3部形式。ピチカートを伴って木管が優しく歌い出すが、やがて暗鬱とした気分がせり出してくる。熱情を込めて高揚を続けるが、最後には冒頭の穏やかさに還っていく。

・第3楽章 スケルツォ。ヴィヴァーチェでボヘミアの舞曲であるフリアントのリズムを巧みに取り入れているが、ポコ・メノ・モッソの中間部は一転してテンポを落とした明るさが対照的だ。

・第4楽章 アレグロ。ソナタ形式による終曲。主題的には第1楽章との関連を持っており、全体の統一感をもたらしている。ここではドヴォルザークに内在するボヘミアの民族舞曲的な要素が、重厚で雄渾な器楽的展開で迫ってくる。悲劇の影に彩られているが、力強く英雄的に盛り上がり、締めくくられる。

◇交響曲第8番 ト長調 作品88
 前作の「第7番」にはブラームスの影響が色濃く現われているが、その4年後に書かれた「第8番」は、ボヘミアの自然の中で育まれたドヴォルザークの独自の音楽が大きく花開いた作品だ。楽譜の出版元が、それまで多くのドヴォルザーク作品を刊行していたジムロック社から、イギリスのノヴェロ社に変ったため、時折《イギリス》の愛称で呼ばれることもある交響曲だが、作品そのものは、ドヴォルザークの作品中でも、ひときわ大自然ののどかさや、さわやかさを伝える美しい旋律にあふれている。
 「第7番」をブラームスの「第3番」と関連付けるのに倣って、「第8番」はブラームスの「第4番」と調性や終楽章が変奏曲形式である点などで関連付けられるが、それほど重要なことではない。むしろ、ドヴォルザーク自身の歌謡的旋律美が大きな魅力となっている作品だ。
 作曲は1889年の9月中に1ヵ月足らずの速さで順調に進み、11月の初めには全曲のスコアも完成した。初演は翌90年2月2日、プラハで作曲者自身の指揮で行われた。
 楽器編成は次の通り。
 フルート2(内、ピッコロ1持替え)、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、テューバ1、ティンパニー、弦5部。

・第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ。ソナタ形式。もの静かな序奏で開始され、やがてフルートが澄んだ響きで第1主題を奏でる。曲は、この2つの要素にリズミカルな舞曲風の第2主題が加わり、伸びやかに展開する。

・第2楽章 アダージョ。3部形式。静けさを基調にした叙景詩のような楽章。小鳥のさえずりを模したような音型が田園風景を思わせる開始だ。中間部は素朴な賑やかさが曲を盛り上げ、やがて、雲行きがあやしくなるが、ふたたび静けさを取戻して終える。

・第3楽章 アレグレット・グラツィオーソ。3部形式。哀愁を帯びたスラブ舞曲風の旋律が、柔らかく流れるように弦楽合奏で奏される。中間部はフルートとクラリネットで開始されるが、哀感の漂う気分はそのまま引き継がれる。モルト・ヴィヴァーチェのコーダが終楽章への橋渡しとなっている。

・第4楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ。自由な変奏曲形式。トランペットによるファンファーレで開始され、チェロがゆったりとした歩みで主題を提示する。変奏しながら力強い歩みが繰り返されるが、第4変奏の次にオーボエとクラリネットに現われる旋律は第2の主題と考えてもよいもので、変化に富んだ巧みな変奏は次第にクライマックスに近づいていく。一度大きく盛り上がった後、主題の再現部とも言うべき穏やかさに戻るのは、この楽章にもソナタ形式的な要素があると見てよいだろう。最後は怒涛のような激しさを持ったコーダで終る。





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シルヴェストリの「幻想交響曲」

2009年07月24日 00時58分11秒 | ライナーノート(EMI編)




以下は、山野楽器の企画で、東芝EMIとの提携で発売されたCDのために書いたライナーノートです。このCDについては、発売当時、実験的に行われていたCS放送のラジオ局での私のおしゃべり番組用の「放送台本」を、既に、このブログ4月27日にアップしています。そちらと合わせてお読みください。私は、このシルヴェストリの「幻想」については何度も言及していますが、それらについて、ここで、くどくどとは書きませんが、とにかく、おもしろい演奏のひとつであることだけは、まちがいありません。
 なお、この原稿は1996年4月4日に書かれたものです。いつものように、元データそのままです。どこも直していません。
 
 ついでながら。
 私の「幻想交響曲」演奏に関する記述で、既にこのブログに掲載済のものもいくつかあります。それらは、このブログの左側の列をずーっと下がっていくと、やがて、「検索」があります。検索条件を「このブログ内で」と指定して、キーワードに「幻想交響曲」を入れれば、並び変えて該当のブログ本文が表示されます。もちろん、そのキーワードに「シルヴェストリ」を入れれば、シルヴェストリ関連の、このブログ内での私の記述が出てきます。


(ライナーノート本文)
■シルヴェストリの「幻想」を聴く
 「幻想交響曲」の名演のひとつでありながら、廃盤となって久しいシルヴェストリ/パリ音楽院管弦楽団の演奏が、やっと手軽にCDで聴けるようになった。この「幻想」は、個性あふれる演奏解釈で知られるシルヴェストリが、フランスの名門オーケストラとの共演で残したもので、長い間、CD復刻が待たれていたものだ。
 ベルリオーズ自身も学んでいたパリ音楽院のオーケストラによる「幻想」の録音は意外に少ない。SP録音期にブルーノ・ワルターとの物と、シャルル・ミュンシュとの物があることが知られており、この内ワルター盤はCD復刻されているが、戦後のLP初期からステレオ録音期では、このシルヴェストリ盤のほかには、アタウルフォ・アルヘンタ盤が英デッカ=ロンドンにある程度だ。1967年にパリ管弦楽団として発展的解消をしてその歴史を終えたパリ音楽院管弦楽団の最後の常任指揮者アンドレ・クリュイタンスも、正規録音では、このオーケストラとの「幻想」を残していない。そうした中で、このシルヴェストリ盤は、ベルリオーズゆかりのオーケストラの「幻想」の名演の記録として、特に重要なものといえる。このオーケストラの音色の魅力と、ベルリオーズの病的な映像感覚への深い理解を示すシルヴェストリの指揮とがバランスよく結実した演奏だ。
 シルヴェストリの演奏は、彼がスラヴ系の作品でしばしば聴かせるようなアクセントのクセをあまり強調せず、むしろオーソドックスにオーケストラの比類ない美しい音色を聴かせようとして開始される。パリ音楽院管の「幻想」を聴きたいという欲求に率直に応えてくれる演奏だ。第1楽章の冒頭、「夢」の場面をしばらく聴き続け、「情熱」の場面に入る直前、50小節目(このCDでは約4分20秒付近)でコルネットのソロが登場すると、パリ音楽院管ならではの、明るい洒落っけのある響きが耳を捉える。これは、他のオーケストラからはなかなか聴けない音色で、現在のフランスのオーケストラからも、既に失われてしまったものと言ってよいだろう。シルヴェストリは、この楽章を比較的オーソドックスにまとめ上げているが、それでも、随所で弦のピチカートを強調するなど、ベルリオーズの語法に敏感に反応している。
 第2楽章もテンポの安定した演奏で、リタルダンドなどでの大きな身振りを避けて優雅に通り過ぎる。
 このCDの演奏の白眉は、第3楽章にある。比較的遅めのテンポ設定が安定しており、感情の大きな抑揚に曲想が巻き込まれないまま、低弦を強調したメリハリのくっきりした演奏が展開される。時折音楽が止まってしまいそうなほど、遅いテンポを守るが、ここでは、1音1音を明瞭に聴くことが、ことさら要求されているようだ。何も変ったことをやっていないようで、実は、このあたりが、ロマンティックな「幻想交響曲」像から一歩踏み出し、覚醒されたなかで揺れる心理の襞(ひだ)を見つめていこうとするシルヴェストリの演奏の真価が発揮されている部分だ。今日では、更にデフォルメの強い演奏も聴かれるようになったが、この録音の年代を考えると、これは、当時としては、かなり大胆な解釈だ。シルヴェストリの異能ぶりが感じられる演奏だが、特に後半で、木管が甘美な音色を持ちながらも、とつとつと吹き続け、それに弦の舞うような響きがまとわりつくあたりの、あやしげな美しさは独特だ。
 こうした噛んでふくめるような旋律の運びは、第4楽章から終楽章に至るまで一貫している。多様な音が等分に良く聞こえるようにしっかりと鳴らして、魔女の祝宴へと突入する。低域を強調した、かなり重心の低い音色だが、その上をカラフルな音が飛び交う豊かで響きのゴージャスな終曲は手応えも充分で、色彩感を確保したまま、狂乱の音楽が、力強く結ばれる。
         *
 この、録音当時フランスを代表するオーケストラだったパリ音楽院管弦楽団を指揮して、骨格の太い押し出しの強い音楽を実現しているコンスタンティン・シルヴェストリは、1913年にルーマニアのブカレストに生まれた。1945にブカレスト国立歌劇場の首席指揮者、55年からは同歌劇場の総監督に就任したが、その強烈な個性の魅力が西側にも知られるところとなり、1957年のイギリス、フランスへの演奏旅行が実現、多くの聴衆を魅了した。英EMIレコードと契約、その年の2月には、早くもフィルハーモニア管弦楽団とチャイコフスキーの交響曲第4番、第5番、第6番を録音した。この「幻想交響曲」は、その後に続けられた一連の英EMIへの録音のひとつだが、ここではオーケストラがパリ音楽院管なので、シルヴェストリの多様な色彩感への執着が、オーケストラの個性とうまくマッチングして、豊かな楽想を展開した名演となっている。
 シルヴェストリの個性に新鮮な魅力を感じた西側の聴衆によって、次第に国外での名声が高まっていったために、1961年にはイギリスのボーンマス交響楽団の首席指揮者の地位を得て、本格的に西側での活動を開始したシルヴェストリだが、まだこれからという1969年2月23日に、惜しくも50歳代半ばで世を去ってしまった。64年には来日し、NHK交響楽団に客演している。
 なお、このCDの演奏は、1960年に録音され、英EMIからSXLP-20036の番号で61年7月新譜LPとして発売された(モノラル盤と同時発売)。その後67年4月にMFP-2066の番号で再発売されたが、70年代には廃盤になっている。日本では61年12月にレコード番号XLP-1019でモノラル盤が先行発売され、翌62年4月にASC-5099でステレオLPが発売されたが、60年代半ば過ぎには廃盤となった。

■演奏曲目についてのメモ
 ベルリオーズの「幻想交響曲」は、西洋音楽史上における画期的な〈標題音楽〉として知られる。この斬新な着想の作品が作曲、初演されたのが、ベートーヴェンの「第9」の初演からわずか6年後だったという事実にも驚かされる。シューマンが「ライン交響曲」を作曲する20年も前のことだ。
 「幻想交響曲」には、作曲者自身によるプログラムが付されている。ひとりの若い音楽家がひとりの女性への恋の炎を燃やし(第1楽章)、舞踏会でも、姿を見かけ胸の高なりを覚えるが、見失ってしまう(第2楽章)。青年は、ひとりで野に出て暝想に耽けりながら恋の行く末への不安を自問自答する(第3楽章)。第4、第5楽章では、恋に破れた青年が服毒自殺を図るが、致死量に達せず、奇怪な夢を見る。そこでは青年は断頭台へと進み(第4楽章)、死後の世界では魔女を中心に祝宴が開かれているが、そこで青年は恋の相手の女性が魔女と化しているのを見る(第5楽章)。
 以上が、おおまかなストーリーだが、恋人を表わす旋律を設定して、これが各楽章で形を変えて表われるという、ワーグナーのライト・モチーフを先取りした手法が採られている点が、この作品を殊更、音楽史上のエポック・メイキングなものとしている。ベルリオーズは、この恋人を表わす旋律を、イデー・フィクス(固定楽想)と名付けている。
 各楽章には、それぞれ次のようなタイトルが付いている。
 第1楽章「夢、情熱」
 第2楽章「舞踏会」
 第3楽章「野の風景」
 第4楽章「断頭台への行進」
 第5楽章「ワルプルギスの夜の夢」
 なお、初演は1830年12月5日にパリ音楽院ホールで行なわれている。



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ウェルザー=メスト、若き日のウィーン音楽CD

2009年07月14日 11時07分17秒 | ライナーノート(EMI編)





 以下は、1991年12月18日に執筆した東芝EMI新譜CDのためのライナーノートです。メストが新進指揮者として話題になり始めたころです。私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社)にも、前半の、演奏について書いた部分は収録してあります。これがオリジナルです。
 私のウィーン音楽観が、ここにも出ています。この延長上に書かれたのが、マゼール指揮で行われた1996年のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートのCD(BMGビクター)のライナーノートということになります。
 その後に知り得たこと、調べた結果で感じたこと、語るべきことなど、いろいろありますが、一度印刷物になって公にされたものですから、そのまま、とりあえず掲載します。私は最近、明治、大正、昭和初期に至る日本の西洋音楽の受容史を研究していますが、その過程でも、この19世紀末のウィーンの音楽風土をどう受け止めるかには、興味深いものがあります。


《変貌するヨハン・シュトラウスの音楽》

 ヨハン・シュトラウス2世をはじめとするシュトラウス・ファミリーが残した「ウインナ・ワルツ」のファンは多い。それは、これらの音楽が、この上もなく幸福な〈音楽のよろこび〉にあふれているからに他ならない。苦渋に満ちた音楽を書き続けたブラームスが、シュトラウスの自由に紡ぎ出されてくる旋律に羨望の念を抱いていたらしいことは、いくつかのエピソードで知られているが、シュトラウスの魅力は正に、ある時は優美に、あるときは軽やかに、口ずさみながら自然と顔がほころんでくるような旋律の美しさにある。
 そうしたシュトラウスの魅力は、今からもう40年も以前に、ウィーンの生んだ名指揮者クレメンス・クラウスとウィーン・フィルによって見事に表現されているが、それ以来、「ウインナ・ワルツ」というと、〈ウィーンのオーケストラでなければ……〉という神話のようなものができてしまったことも事実だ。確かに、その後もヨーゼフ・クリップスや、ルドルフ・ケンペ、カール・シューリヒトなどの名演がウィーンから生まれているが、クラウスが始めたウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」の指揮を、クラウスの死後から長く続けたボスコフスキーの演奏は、ウィーン的な柔和な雰囲気の表出はあるものの、決して満足のいくものではなかったと私は思っている。むしろ60年代に登場したものでは、ウィーン国立歌劇場管を振ったホーレンシュタイン盤や、クルト・ワイルとカップリングされたフィルハーモニア管とのクレンペラー盤が、意欲的な主張のある演奏だった。
 ボスコフスキーの、〈仲間意識〉に寄り添った演奏は、刻々と移り変る音楽状況に新たな一石を投じることなく20余年の歳月を重ねたが、その間に私たちを取り巻く音楽の環境は随分と変わってしまった。現代に生きる私たちは、自然に口を突いて出てくる音楽に一瞬の戸惑いを感じ、高らかに歌うことの意味を問うようになってしまったと言ってもよいだろう。かつてウィーンに君臨したマーラーが、切れ切れに断ち切られた歌を歌い継いで行かざるを得なかったように、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンらウィーンの音楽家たちが、音楽の〈抒情〉の在り方に革新的な視点を投じたように、音楽を聴く側の意識も、彼等、作曲する側の登場から数十年を経た今日に至って、徐々に変貌しつつあるのだ。だから、ボスコフスキーの後を受けて1980年から7年間にわたって「ニューイヤー・コンサート」を指揮したロリン・マゼールの演奏は、クラウスとはまったく異なったアプローチながら、明確な旋律線とリズム感で、シュトラウスのスコアそのものから豊かで変化に富んだ表情を意識的に引き出し再構築してみせ、ウィーン風のアゴーギクを逆手にとって鮮明にデフォルメして再現したものとして、興味深く聴けるものだった。マゼールと国立歌劇場との不幸な決別のあと、そうした〈冒険〉をしばらく聴くことが出来なかったが、そこに登場したのが、このウェルザー=メスト盤だ。
 フランツ・ウェルザー=メストは、1960年にリンツに生まれたということだから、まだ30歳になったばかり。この録音はW=メストが20代の時のものということになる。どちらかというと「シュトラウス集」には老練な指揮者による録音が多く、20代での録音というのは極めてめずらしい。ダイナミックな効果の聞かせ所のある曲と違って、若手の指揮者にとっては難しい曲と言えるし、まして「ウィーン音楽」には、まだ固定的なイメージが強く残っているだけに、W=メストの〈挑戦〉は、それなりの自信の表れと思って聴いたが、その成果は充分に納得のいくものだった。
 このところロンドンに活動の中心を移したW=メストだが、5~6年前はウィーンやザルツブルグに登場していたので、「ウィーン」とは縁浅からぬ関係ではあるのだが、オケはロンドン・フィル。一体どんな演奏だろうかと思いながら聴いたわけだが、それは、W=メストの豊かな音楽性に支えられた現代感覚に溢れたものだった。くっきりとしたリズムによる表情付けは丁寧だが、決して力まず、重く引き摺ることもなく、さらりと流れていく音楽が心地よい。ホーレンシュタインやクレンペラーにはある種のこだわりがあり、マゼールの場合は、そうしたこだわりの正体を暴き出してしまった感があったが、W=メストの世代になると、そうしたこだわりがまったくないのだろう。ウィーン風のスタイルに凭れかからずに、自己流で表現していることがなによりも貴重だ。クラウスのような滔々とした歌はないものの、きりりと引締まったすがすがしさが、軽やかで屈託のない歌に彩られていることも、W=メストの現代感覚と豊かな音楽性とのバランスのとれた結果だ。
 このCDは、プログラム・ビルディングもなかなか周到で、全7曲の内、構成感のはっきりしたワルツ「芸術家の生涯」と「皇帝」を初めと後半にそれぞれ置き、躍動感を前面に押し出した二つの序曲それぞれのあとに、比較的自由な曲想の「ウィーンの森の物語」と「美しく青きドナウ」を配すといった具合だ。終結部近くからいくらか激しいアチェレランドを聴かせる「南国のばら」は「ジプシー男爵」序曲の前に置かれている。
 ロンドン・フィルの弦が多少響きが薄く、艶にかけるのが惜しまれるが、W=メストの意図によく随いており、かえってウィーンのオーケストラでは、ここまでW=メストの流儀での演奏を仕上げることは出来なかっただろう。W=メストの〈挑戦〉によって、誰の亜流でもない新鮮なアプローチの「ウィーン音楽」の演奏が、また一つ加わった。古き良き伝統は、こうして、才能のある若い演奏家によって少しずつ塗り替えられていく〈光栄〉を担ってきたのだ。

《演奏曲目について》

 1825年に生まれたヨハン・シュトラウス2世は、1844年に最初のワルツを発表し成功してから1899年に世を去るまでに、 500曲近くのワルツ、ポルカ、オペレッタなどを作曲し、19世紀の後半のほとんどを、ウィーンの宮廷の繁栄とともに歩んだ作曲家だ。代表作だけでも、かなりの数にのぼるが、ここでは以下の曲目が演奏されている。

◇ワルツ「芸術家の生涯」
 1867年作曲の作品314。有名なワルツ「美しく青きドナウ」のわずか数日後に書き上げられた。この頃から、しっかりした構成の作品が見られるようになっており、これもそうした円熟期の作品のひとつだ。

◇「南国のばら」
 1880年作曲の作品388。 この年の10月に初演されたオペレッタ「女王のレースのハンカチーフ」から四つのワルツを採り、序奏、後奏を付してまとめたもの。オペレッタそのものは今日ではほとんど忘れられてしまったが、初演当時は大好評を博したと言われている。それは、おそらく、この魅力あふれる旋律に依るところが大きかっただろう。

◇喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
 1885年に初演された全3幕からなる喜歌劇(オペレッタ)の序曲。「こうもり」と並んでJ・シュトラウスのオペレッタの傑作とされている。序曲は、このオペレッタに登場するメロディーを次々に接続したもの。なお、このオペレッタからはもう1曲、同じように名旋律を接続して編んだ「宝のワルツ作品418」も生み出されている。

◇ワルツ「ウィーンの森の物語」
 1868年作曲の作品325。しばらくウィーンを離れて外国に演奏旅行に行っていたJ・シュトラウスが、帰国後、久しぶりに見たウィーンの美しさに感動して、わずか1週間で書き上げられたと伝えられている。主部に入る前、静かなチェロによる旋律の後、オーストリアの民俗楽器ツィターが独特の音を奏でるのが有名だが、これはしばしばヴァイオリンのソロでも奏され、このW=メストの演奏では、その方が採用されている。

◇ワルツ「皇帝円舞曲」
 1888年作曲の作品437。一時、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの即位40周年祝賀舞踏会で披露された作品とされていたが、それはどうやら誤りで、作品434の「皇帝祝典ワルツ」との混同だと言われている。「皇帝円舞曲」の方はベルリンで初演されており、この曲での皇帝はドイツ皇帝ウィルヘルム2世ではないかとも考えられるようになっている。舞踏会場への入場をイメージする長い行進曲風の序奏を持っているが、こうしたスタイルの確立は、ダンス音楽から発展してきたウインナ・ワルツを、演奏会での鑑賞音楽にふさわしいスケールにすることにも貢献したと評価されている。充実した内容の作品であり、J・シュトラウスの全作品の中でもひときわ美しい大輪の花だ。

◇喜歌劇「こうもり」序曲
 1874年に初演された全3幕のオペレッタの序曲。J・シュトラウスのオペレッタで最初に成功した作品であると同時に、ウィーン情緒にあふれた舞踏会の場面もあり、ウインナ・オペレッタの中でもレハール作の「メリー・ウィドー」と人気を二分する傑作だ。序曲はこのオペレッタの中の旋律を集めて接続曲とする、通常の方法が採られている。

◇ワルツ「美しく青きドナウ」
 1867年作曲の作品314。ウィーンの街を流れるドナウ川をテーマにした作品で、毎年ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでも最後に演奏されるワルツとしてあまりにも有名だ。オーストリアの第二の国歌とさえ言われるほど、ウィーンの人々に愛されている。最初は合唱付きの曲として発表されたが、歌詞が余り良い出来ではなく、それほど話題にならなかったが、数ヵ月後に管弦楽のみの演奏が行われて、一気に人気が高まったと言われている。


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モーツァルト・コレクション/メニューインで聴く「ヴァイオリン協奏曲」

2009年06月16日 07時02分32秒 | ライナーノート(EMI編)

以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズのひとつです。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6812】【TOCE-6813】共通ライナーノート

 メニューインのヴァイオリンについて語るとき、まず考えておかなければならないことがある。多少遠回りだが、先にそのことについて触れよう。
 ヴァイオリンの名技性の魅力には捨て難いものがある。それは例えばミルシテインやハイフェッツの「小品集」などに見事に結実している、あの驚異的な巧みさにみられるようなものだ。またグリュミオーやフランチェスカッティの美しい音色の魅力も忘れることのできないものだ。
 よく知られているように、1916年ニューヨーク生まれのメニューインは、幼い頃から神童として騒がれたヴァイオリニストだ。だが、幼児期より芸術的感受性に非凡のものを持っていた彼は、他の天才型の演奏家と異なり、幼児期の技術的基礎訓練の不足をそのままに成人してしまった、という側面がある。それはもちろん、少年メニューインの技術が水準以上のもので、それをさらに豊かにする優れた音楽性を併せ持っていたからこそ可能なことだったが、このことは、その後のメニューインの音楽に少なからず影響している。
 ヴァイオリンの名技性や美音よりも、精神世界への関心が強まっていった彼は、第2次大戦を挟んで、30代ですでに人間的苦悩を刻んだ老成した風貌をそなえるに至っていたと言われるが、その30代の半ば、1951年にはインドに渡りヨーガの手ほどきを受けている。これについて、メニューインと親交があり、メニューインの著書の翻訳もある英文学者の和田旦氏は次のように書いている。
 「彼は導師イエンガーから独特の姿勢の取り方をいくつか教えられ、その結果、ヨーガ――無限なるものとの《結合》――を文字どおり体得したのである。それと同時に改めてヴァイオリン演奏の原点にまでさかのぼり、それまで本能的に身につけていた芸術性と技巧を意識的に分析し、検討しはじめたのだった。おそらくそのときに彼は、それまで区別していた肉体と精神の融合した状態を、至高の体験として実感したことであろう。」(『音と言葉のはざまで』芸立出版 刊)
 幼いころから神童と言われ10代で一流の評価を受けてしまった演奏家は、マイケル・レビンの例にも見られるように、ある時スランプに陥り、袋小路に入り込んでしまうことが多いが、メニューインの場合、技巧や美音よりも精神性に関心を向けることで、それを克服していった感がある。
 ヒューマニストでもあるメニューインは、古くはバルトークへの経済的援助、フルトヴェングラーの復権運動、比較的最近ではブレジネフ政権下のソ連で不遇だったロストロポーヴィチへの援助や、東西交流のコンサートなど、様々な活動が知られているが、これなども、彼の精神世界への関心と切り離して考えることはできないだろう。宇宙との合一をおそらくは体得しているだろうメニューインにとっては、政治の世界のことなどは眼中にないにちがいない。

                   *

 この一連のモーツァルトの協奏曲の演奏は、1960年代、彼のインド行から10年を経たころのもので、当時自らが主宰していたバース音楽祭の管弦楽団と、指揮も兼ねて演奏したものだ。今回のCD化にあたって、「第1・3・5番」および「第2・4番・K.364の協奏交響曲」の2枚が発売されたが、これが全てではなく、LP期には「第1・2番」「第3・5番」「第4・7番(K.271a)」「K.364とハイドンの第1協奏曲」あるいは「アデライデ協奏曲と第7(K.271a)」といったカップリングで発売されていた。
 メニューインはその少年時代にもモーツァルトの協奏曲を師のエネスコの指揮で録音しており、また1954年にはプリッチャード~フィルハーモニア管と「第4・5番」を録音しているが、弾き振りはこれがはじめてだったと思う。
 演奏は先にも触れたように、決して技巧や美音の魅力に溢れたものではないが、少年時代の演奏から54年盤、このバース音楽祭盤と聴き継いでいくと、メニューインの音楽が次第に穏やかなものに変化していくのがよくわかる。この〈平和な〉音楽はメニューインならではのもので、弾き振りのよさが生かされた、対話に溢れた演奏となっている。
 協奏交響曲でのヴィオラのバルシャイも、その輪のなかに融け込んで、いつになくなごやかな演奏になっている。こうした優しさに満ちた幸福な音楽が聴かれることも少なくなってしまったと、改めて思う演奏だ。
 なお、54年盤の「第4番」でメニューインは自作のカデンツァを使用しているが、このバース音楽祭管との録音では「1・2・4・5番」が自作のカデンツァだ。「第5番」を54年盤のフランコのカデンツァと比べてみると、その地味な響きにも、メニューインの変貌の歴史が感じられて興味深い。

【ブログへの再掲載にあたっての付記】
 これに対するブログ読者からの「コメント」および、そのご指摘を受けての私が追記として掲載した「コメント」を合わせてお読みください。

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モーツァルト・コレクション/アニー・フィッシャーによる「ピアノ協奏曲」

2009年06月10日 11時47分18秒 | ライナーノート(EMI編)




 以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズのひとつです。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。

 アニー・フィッシャーのピアノによる協奏曲は3枚発売されました。それぞれの前半は共通原稿でしたので、今回のブログへの掲載に際して、前半の総論に続けて、演奏論部分を3枚分続けて再構成しました。

【TOCE-6809~11】ライナーノート

 1950年代の末期から1960年代に珠玉のレコードを数枚出しているアニー・フィッシャーは、レコードの数が少なく、国内盤が長く廃盤になっていることもあって、最近はあまり話題にならないピアニストだが、そのくっきりとした音楽づくりが、ピアノという楽器の魅力を充分に味わわせてくれる演奏家だ。
 この「モーツァルト・ポピュラーコレクション」ではその内、モーツァルトのピアノ協奏曲のディスクが3枚、初めてCD化されて発売された。いずれもオリジナルのLPレコードのカップリングどおりだ。
 一番古いもので1958年録音の21、22番、次が59年録音の20、23番、一番後のものでも66年録音の24、27番と録音年代は古いが、いずれもステレオ録音で、かなり自然なよい音でとれている。(EMIは1955年2月に、すでにニコライ・マルコ指揮フィルハーモニア管によるプロコフィエフの第7交響曲でステレオ録音を実験的に開始している)。
 A.フィッシャーはハンガリー出身の女性ピアニストで1914年生まれと言われるから、これは彼女が40歳代半ばから50歳代にかけての録音ということになる。このモーツァルトのほかにEMIには、クレンペラーとのシューマン、リストの協奏曲や、ベートーヴェンのソナタなどの録音がある。

         ◇

 「20番」は弦を厚く響かせすぎずに、インテンポで木管の音の輪郭をくっきりとさせるボールトの伴奏に、きめの細かいピアノの音が軽やかに転がっていく名演だ。決して深刻になりすぎず、モーツァルトの世界を静かに聴きわけようとしているかのようだ。
 モーツァルトの、この短調の協奏曲を深刻に描いた演奏として、例えばルフェビール、フルトヴェングラーの類まれな音楽世界を思い出してみよう。そこでは大戦の翳と疲れを癒そうとするかのような大きなエネルギーが、私たちに迫ってきていた。ところが、フィッシャーには、静かさを手のひらにそっと抱いてしまうような、音楽の美しさを慈しむような姿勢がある。力強く切り立ったタッチが生み出す軽さといえるが、第1楽章の振幅の大きい感情のうねりをこのように、軽さを盛り込んだ隈どりのくっきりした音楽として表現した秀演は、やはりこの時代のものだ。
 第2楽章も純度の高い響きが確保されている。テンポ自体は遅めだが、決して引きずらない。右手と左手の動きがきちんと揃えられている。
 第3楽章は速いテンポでころころと転がるピアノと澄んだ響きのオケの共演が魅力で、中間部のテンポが落ちるところもチャーミング。思い入れを押さえ、ピアノの響きを堪能させて終わる。
 一方「23番」はボールトの指揮ぶりがいくらか趣がことなり、第1楽章などはアクセントが強く、アクションもいくらか大きい。そして、相対的にフィッシャーのピアノのタッチはいくらか曇りぎみだ。もちろん、20番の演奏とそれほど大きな違いがあるわけではないが、比較すると20番ほどソロとオケがぴったりと息を揃えて興にのっているといった感じではない。どこか双方で牽制し合っている感じだ。それでも、伸びやかなオーケストラの弦に支えられて、ピアノの硬質な響きがそれなりに楽しめる。
 第2楽章は、かなり内省的な演奏で、止ってしまいそうなくらい遅いテンポだが、一音一音をくっきりと区切り、呼吸を浅く保っているので重くなりすぎないところに、フィッシャーの個性が出ている。ここでのオーケストラの音はきわめて控え目だ。
 名残惜しそうに終わる第2楽章を受けて、終楽章もいくらか遅めだが、量感のたっぷりした仕上りで、かなり生まじめなアプローチだ。ボールトの伴奏も力強く、モーツァルト特有の愉悦感が多少犠牲になっても、2、3楽章のバランスを考えれば、納得のいく演奏となっている。ベートーヴェンを得意にしていたフィッシャーらしい演奏とも言えるだろう。
 私の個人的な好みかもしれないが、「20番」のほうがコンディションも良いし、フィッシャーの個性がより音楽の持ち味に合っているように思う。しかしどちらも、モーツァルトにこういう演奏が可能だと示すに充分な説得力を持っている。戦後のモーツァルト演奏史に独自の位置を占める名演のひとつと言えるだろう。
         ◇

 このCDは、今回発売されたフィッシャーのモーツァルト協奏曲ではいちばん録音が古いが、伴奏の指揮者は一番若く、まだ青年時代のサヴァリッシュだ。
 「21番」は淡々とした運びの第1楽章がまず、随所に強弱のアクセントをはっきりさせた部分を織込んで、スケール感のある演奏だ。サヴァリッシュが素直に付けている伴奏が、いくらか遠慮がちに聴こえてくるほど、堂々としたピアノだ。
 第2楽章は遅めのテンポだが、明瞭な音づくりで一貫している。サヴァリッシュの棒がフィッシャーの呼吸の浅さを受継いでいるので、ことさら明瞭さが強調される結果となっている。この楽章に暝想的なものを求める聴き手には物足りないかもしれない。
 終楽章も、あっさりとまとめており、全体に印象の弱い演奏といえるだろうが、贅肉をそぎおとした、きりりとしたモーツァルトだ。もう少し伴奏に主張があれば、またちがう展開があったように思う。
 「22番」のほうがフィッシャーとしては表情も豊かで、第1楽章のソロの入りも、雰囲気が濃い。テンポもしばしば沈み込んで、曲想の変化に微妙に対応している。所々、はっとするほどひっそりとする瞬間が現れるが、どちらかというと律義な伴奏が、そうしたインスピレーションを生かし切れていないのが残念だ。
 同じことは第2楽章にも言える。粒立ちの良いピアノの音が遅めのテンポで描く世界を支えるには、オケの表情がいくらか貧しいといえるだろう。
 終楽章に至ってもそうした物足りなさが残るが、小ぢんまりとした世界をつくろうとする意図がはっきりしていて、きめの細かいピアノの表現力には、説得力がある。


         ◇

 今回CD化された3枚のフィッシャーのモーツァルト協奏曲でいちばん録音が新しいものがこれで、伴奏の指揮者はエフレム・クルツ。オーケストラ名も実体は同じだが、経営の都合から、フィルハーモニア管弦楽団から、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団に変わっている。
 モーツァルトの短調の協奏曲は一般に難しく、グールドのようにハ短調の「24番」だけしか録音しなかったという特殊な例はあるが、避けて通る演奏家が多い中で、フィッシャーは「20番」のニ短調に続いての短調の曲の録音だ。
 以前の2枚の録音から、かなり録音時期が離れているので、フィッシャーのピアノにもかなりの変化が現れている。気負いや個性的な思い入れが影をひそめ、音楽のつくりが、なだらかになっている。テンポもこれまでより速めで、一音一音ずつ確かめるような進行より、全体の自然な流れ、勢いに任せる進め方だ。
 第1楽章で、クルツの伴奏が堂々とした風格で迫りグイグイと押していくので、それに引かれるように、フィッシャーのピアノも、かなりドラマチックで、柄の大きな音楽になっている。。もちろん、フォームがくずれるようなことはなく、構築的な締まりの良さは確保されている。
 第2楽章はあっさりとした表現で、控え目なオケの音とのバランスもよい。
 第3楽章は、テンポの変化が頻繁で、第1楽章のようなドラマチックな表現と、第2楽章の表情を押さえた表現とが交錯する。オケのフォルテが少し重々しすぎるのが残念だ。
 一方「27番」は、クルツのリズム・センスの良さが生かされて、のびやかな佳演だ。
 ここでもフィッシャーのピアノは思索的な戸惑いを見せるが、クルツのリズムの流れにうまく乗ってしまったフィッシャーが、感興に溢れたピアノを繰り広げる。
 第2楽章の中間部のいつになく率直なピアノの響きの心地よさは、クルツによって引き出されたものと言ってもいいだろう。澄んだ美しい世界が生まれている。
 そしてモーツァルトのピアノ協奏曲の中でもひときわ幸福な終楽章へと繋がっていく。ピアノとオーケストラとの対話の和やかな、魅力ある演奏だ。

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モーツァルト・コレクション/アラン・シヴィルの演奏する「ホルン協奏曲」

2009年06月06日 08時12分20秒 | ライナーノート(EMI編)






 以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を、交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズの1枚です。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6807】ライナー・ノート


 このCDには天才といわれたデニス・ブレインが夭折したあと、イギリス楽壇を代表するホルン奏者であるアラン・シヴィルがソロを吹いたモーツァルトのホルン協奏曲が収められている。
 シヴィルはフィルハーモニア管、ロイヤル・フィル、BBC響など、イギリスを代表するオーケストラの主席ホルン奏者を歴任した名手で、この曲の録音も、このクレンペラーとのほかに、ケンペ~ロイヤル・フィルとの録音がある。
 かつて日本で発売されたブレイン盤の解説に、シヴィルによる曲目解説が掲載されたことがある。その一部を引用しよう。

「この4つのホルン協奏曲にあらわれているモーツァルトの気分は、ときたまちょっとした気むづかしさを交えてはいるが、きわめて明朗なもので、そこには技法的にも何ら特別の配慮は払われていない。しかし全体としてこれらの曲は旋律的魅力をその生命としており、それがまた愛らしいホルンの性格からしても適わしいことである。」(樹下栄一郎氏訳)

 ここでシヴィル自身が述べているように、曲の明朗さを充分に生かす、明かるい音色がシヴィルの特徴で、ウイーン系の奏者とはかなり傾向がちがう。翳りのない明快な音と言ってもいいだろう。
 ブレインの演奏もその響きの明瞭さが特徴的だったが、ブレインにはその天性の気品とでもいうものがあって、独特の貴公子のような音楽に特徴があった。
 シヴィルのホルンはもっと弾んだ茶目っ気があって、しばしば現れる冗談のようなパッセージの描き方が楽しげだ。クレンペラーの指揮がモーツァルトの様式をしっかりと踏まえた格調高いもので、その枠にすっぽりと収まって自由に遊ぶシヴィルの演奏も、確かな技術の裏付けがあるからこその自在さに溢れていて、完成度の高い演奏となっている。
 ついでながら、シヴィルのもうひとつの演奏であるケンペとの録音は、ケンペの柔和で優しい人間性が反映して、愉悦感の魅力では捨て難いものがある一方の名演だ。シヴィルの吹き方もずっとのびのびしていて楽しい。出来ることなら、この録音も座右に置いて、その日の気分の向くままにどちらかを聴きたいなどどいう、贅沢が言いたくなる。



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モーツァルト・コレクション/「フルート&ハープ」「クラリネット」両協奏曲をステレオ初期の名録音で聴く

2009年06月02日 13時54分48秒 | ライナーノート(EMI編)



 以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を、交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズの1枚です。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。

【TOCE-6805】ライナー・ノート

 このCDにはエレーヌ・シェーファーのフルートとマリリン・コステロのハープを得てヴァイオリニストのメニューインがめずらしくフィルハーモニア管を指揮して録音した協奏曲と、その5年前の録音だが、フィルハーモニア管の主席クラリネット奏者のジャック・ブライマーをソリストに、ビーチャム~ロイヤル・フィルとで録音された協奏曲が、収められている。
 もちろんオリジナルのカップリングはまったく異なり、前者はテレマンの「フルート組曲」と、後者はモーツァルトの「ファゴット協奏曲」との組み合わせ。それぞれから、A面をピックアップして再編成した盤だ。
 演奏は特に「クラリネット協奏曲」が素晴らしい。
 冒頭からかなり遅いテンポだが、このテンポ以外には考えられないといった極めて自然で説得力のあるテンポだ。穏やかな音色のクラリネットのソロが加わると、その優雅なたゆたいに耳をうばわれる。ゆらゆらと揺れ動きながら、第2主題が現れるとテンポはさらにゆったりとしていく。第1楽章の11分50秒あたり、主題が帰ってくる直前の大きなリタルダンドとそのあとのゆっくりとした主題の立上がりの美しさは、正に絶品だ。
 第2楽章の深い呼吸は、思わずため息が洩れるようで、遠い彼方をみつめる憧れのまなざしを思わせる音楽の至福の瞬間だ。
 第3楽章も声高にならず、優美なビーチャムのオーケストラを背景に、安定したペースで織なす音楽に身を任せていると、かつて、音楽はこれほどまでに幸福だったのだという思いが湧いてくる。まだ、30数年前の演奏だが、もう二度と戻れない世界がここにある。私たちはこの30数年の演奏スタイルの急激な変化によって、手に入れたものも大きいが、このような演奏に触れた時には、失ったもののあまりの大きさに、思わず我を忘れてしまう。
 こうしたことは、「フルートとハープのための協奏曲」にも多かれ少なかれある。60年代半ばの録音だが、ここに集った人々は多分に50年代的気風を持っている。同じ頃に録音されたランパル/ラスキーヌの名盤と比べてみればそのことは、よく納得できる。フルートの近代奏法を磨きぬいたランパルの輝かしい音に、ラスキーヌのハープもパイヤールの室内管もぴたりと呼吸を合わせ、水際立った演奏を繰り広げている。
 一方、このシェーファー/メニューイン盤は各人が思い思いの音楽を奏でて、和やかに進められていく。お互いに相手を説得させよう屈服させようといった自己主張ではなく、それぞれが屈託のない主張をしている。
 第2楽章のゆっくりしたテンポに乗ってのフルートとハープの対話がオーケストラの大きく波打つ旋律を導き出すところなど、計算では表現し切れない、自然に醸し出された音楽の魅力がある。



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モーツァルト・コレクション/クーベリックの交響曲第35、36、38、41番、アイネ・クライネ

2009年05月26日 09時30分46秒 | ライナーノート(EMI編)




 1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズのひとつです。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6802】【TOCE-6803】ライナーノート

 クーベリックはチェコスロバキアの名ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックの子として1914年にプラハの郊外に生まれた。プラハ音楽院で作曲、指揮、ヴァイオリンを学び、33年に卒業、翌34年1月にチェコ・フィルハーモニーを指揮してデビュー、36年には同フィルの常任指揮者に就任している。作曲活動も精力的に行いながら、指揮者としてのキャリアを積んでいったが、40年代に故国を去り、そのままヨーロッパの各地で活躍した。
 先頃東西ドイツ再統合を控えたヨーロッパの大転換に湧くプラハに、既に現役を引退していたクーベリックが帰り、久しぶりにチェコ・フィルを指揮したのは記憶に新しい。
 クーベリックは1950年からアメリカのシカゴ交響楽団の常任のポストに付いたが、これは53年までで、すぐヨーロッパに戻り、55年からロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場の音楽監督となったが、61年、ミュンヘンのバイエルン放送響の常任となり、これを引退に至るまで続けた。
 結果を見てから言うわけではないが、クーベリックの音楽はアメリカでは大衆の支持は得られにくかったようだ。これは、クーベリックの音楽が、作曲家としての分析的視点を持っていることと無縁ではないだろう。(同じシカゴ響をその後、やはり作曲家としても評価のあるジャン・マルティノンが数年しか常任に就かなかったのは皮肉なことだ)。シカゴ時代のクーベリックは、マーキュリーにブラームスの「第1交響曲」などの録音が残されている。かなり思索的で、手の込んだ演奏だ。
 ヨーロッパに戻ってからのクーベリックは、しばらくはEMI、DECCA、D.G.にウイーン・フィル、ベルリン・フィルなどを振って録音している。ベルリン・フィルとのドヴォルザーク「第8」、ウイーン・フィルとのブラームス交響曲全集、ロイヤル・フィルとのベートーヴェン「田園」など名演も数多い。
 このCD2枚に収められたモーツァルトは、クーベリックがバイエルン響の常任に就任して落着いてからのもので、ウイーン・フィルとの一連のモーツァルト録音を初出時とカップリングを変えて収めたものだが、どれも廃盤になってかなりの年数が経ち、クーベリック・ファン、モーツァルト・ファン、ウイーンフィル・ファンが、それぞれの立場から復活を希望していたものだ。
 演奏はいずれも細部までよく磨かれた、このころのクーベリックならではのもので、それが、ベルリン・フィルとのドヴォルザークでも見られたような彼の根底にある自由なのびやかさが、ウイーン・フィルの豊かな音楽性と結び付いて、類まれな名演を生んでいる。
 曲によってその仕上りにばらつきがあるが、ウイーン・フィルの持ち味にかなりを委ねているのが「第35番」。無理のないテンポ設定でオケの響きを大切にしたアプローチで、この甘美な響きや、朗々としたほとばしり出てくる音楽は、この曲の数ある録音中でも屈指の名盤だ。特に第2楽章の深々とした呼吸は実に美しい。だが、それが決して情緒てんめんといったものではなく、ある種の緊張感から解き放たれることがないのが、いかにもクーベリックだ。その意味では、自発性に富んだ自在な演奏とは趣を異にするが、正にそれこそが、今日のモーツァルト演奏へと繋がる接点でもある。現代感覚を身につけたクーベリックが、まだウイーンの伝統的響きを守っていた60年代のウイーン・フィルと出会った貴重な記録と言える名盤だ。
 この傾向は「第38番」では、さらにすばらしい結実を聴かせてくれる。
 充実した緊張感を持続させる序奏部の、彫りの深い表情がまず聴くものを捉えて離さない。主部に入り速い動きを隅々まで聴き分けようとする緻密さ、モーツァルトの大胆な転調を明確にする微妙なテンポの変化やわずかな間の設定など、磨きぬかれた細部の積み重ねが、骨格をむき出しにすることなく、生き物のように有機的につながり、大きく豊かな音楽のよろこびに溢れて再現される。
 この2曲に比較すると「第36番」「第41番」はいくらかクーベリックの丁寧さが前面に出過ぎていて、「少々考えすぎ」の感がある。もちろん良い演奏ではあるが、曲想とクーベリックの個性との相性の問題もあるだろう。だから、「アイネ・クライネ」の終楽章になると、なおさらだ。このあたりになると、クーベリックに関心を持っている聴き手の世界だが、興味深い演奏であることに変わりはない。


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モーツァルト・コレクション/バレンボイム指揮の交響曲第31、39、40番

2009年05月21日 10時08分42秒 | ライナーノート(EMI編)






 1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDの1枚です。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6801】ライナーノート

 バレンボイムはイスラエルの血を引いているが、生まれはアルゼンチンのブエノスアイレスで、幼いころから父親にピアノを習い、本格的な音楽教育はウイーン音楽アカデミーで受けている。1942年生まれだからそろそろ50歳に差し掛かる年齢だが、このモーツァルトの交響曲の録音は1968年、まだバレンボイムが20代の青年時代のものだ。
 このことは、バレンボイムを、はじめピアニストで、のちに指揮者に〈転向〉した音楽家と同列には考えられないということを示している。確かに、ウイーンで教育を受けたバレンボイムのレコーディング・デビューは、1964年のショモギー指揮ウイーン国立歌劇場管とのベートーヴェンの第3ピアノ協奏曲他だが、その3年後の67年にイギリスに渡り、バルビローリとのブラームス、クレンペラーとのベートーヴェンの各協奏曲全集を完成させた2ヵ月後の68年1月には、指揮者として、この一連のモーツァルト録音が開始されているのだ。
 今回のCD化は「第31番、39番、40番」だが、この他に「第35番」「第38番」「第41番」などがある。また、同じ頃、シェーンベルク「浄夜」/ワーグナー「ジークフリート牧歌」/ヒンデミット「ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽」を同じイギリス室内管弦楽団と録音している。
 演奏は、古典的な様式感を前面に押出したものではなく、バレンボイムのピアノの特徴である造形のくっきりとした細やかな音楽性を持ちながら、随所に熱っぽさがバランス良く配されたもので、主張のはっきりした演奏だ。
 「31番」は第1楽章から表情づけのたっぷりとした演奏で、この曲としては、かなり大きくうねる表現なので、ともすれば重い音楽になりがちだが、リズムの刻みが明瞭なのと、木管を浮び上がらせる弦とのバランスの良さで、それを免れている感がある。そして、リズムの明瞭さを際立たせるためか、息の短いフレージングで区切りながら進む硬質の音楽づくりなので、いわゆるモーツァルト的な典雅さよりも、前進する意志を強調した演奏となっている。
 第2楽章は、ゆったりとしたテンポでしなやかに弦が奏でる音楽が美しい。が、ここでも、1音1音スタカートでていねいに鳴らし、間の取り方が良いので、思わず耳をそばだててしまう。
 終楽章は、打ってかわって速いテンポで怒涛のように突き進むが、控え目なフォルテが、全体をバランス良くまとめている。
 「第40番」では、木管の音を全体から遊離させて鳴らしているのが特徴的で、特に速いテンポの両端楽章で、それが際立っている。分裂的性格をサウンドとして表現しているとも言えようか。
 第1楽章はかなり速いテンポで、テンポだけはフルトヴェングラーの有名な演奏に近いが、音の輪郭をくっきりと取り、アインザッツの乱れもない。
 第2楽章は淡々として、呼吸も浅い。その雰囲気を第3楽章へとつなぎ、正確にテンポを刻んで、インテンポで前進する。中間部も思い入れを押さえてテンポを変えずに終始する演奏。
 終楽章は前のめりにグイグイと進むが、散発的な管のパッセージが単調さをカバーしている。
 「31番」「40番」のいずれもバレンボイムの実験的意欲に溢れた演奏で、音楽の自在さが犠牲にされているということも言えるが、はっきりとした主張を持ったもので、イギリス室内管も率直にバレンボイムの要求にそのまま応えている。
 バレンボイムにしてみれば、やりたかったことを、一通りやっているといった感のある個性的なモーツァルト演奏だ。
 この2曲に比べると「第39番」の演奏は、一見オーソドックスだが、それでも、第1楽章の序奏部や第2楽章の、異様に遅いテンポで隈どりをはっきりと丁寧に描いていく様や、打楽器の扱いなど、あるいは第3楽章の中間部のフレージングなど充分に個性的だ。
 これらの演奏に共通するのはレントゲン写真のように骨格を透かして見ようという分析的な姿勢で、バレンボイムの音楽が、決してリリカルなものではなく、むしろ〈新ウイーン派〉的な側面を持っていることを示している。ウイーンでのピアノの師はブーランジュやエドウィン・フィッシャーだが、彼の音楽の根底には〈シェーンベルク以後〉の流れが影を落としているようだ。指揮者バレンボイムのデビュー時の録音がこの一連のモーツァルトのほかに「シェーンベルク/ワーグナー/ヒンデミット」なのは、意味のあることなのだ。興味の尽きないアルバムだ。


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60年代EMI録音に聴く「モーツァルト演奏の原点」?

2009年05月19日 14時54分41秒 | ライナーノート(EMI編)





 バレンボイムのモーツァルトについての私のこだわりを、前回のブログで書きましたが、それで思い出したのが、本日、以下に掲げる「ライナーノート」です。
 1990年12月16日に書いたもので、まもなく執筆後20年経過、となるもの。1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年台のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDの1枚です。そのシリーズ全体像の解説原稿と、各CDの演奏論原稿を依頼されたもので、モーツァルト没後200年に合わせた企画。英EMIでリリースされたものの国内盤でした。
 曲目解説は既存の解説文を二次使用するから不要だが「演奏論」の原稿が欲しいというもので、時間的に余裕がないので全15点揃わなくてもいい。書けるものだけ、という注文でした。確か、依頼が年末の12月10日頃で、原稿締め切りは年内、という強行スケジュール。書けたのは10アイテムほどでしたが、当時まだ小学生だった息子と私の両親がクリスマス・パーティをしている我が家でひたすら書き続けていたのを、今でも覚えています。年内と言っても、印刷所に仕事納め前に渡すので、27日の夕方必着というものです。まだ昭和から平成になったばかりで、12月26日が祝日という習慣もなかった時代ですが、もちろん、メールで「添付ファイル」を送るなどというツールもありませんから、たいへんでした。
 60年代の演奏を聴くということの意味は、当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直すひとは少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手が(評論家諸氏も含めて、です)、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 
 と、まあ、そんなわけですが、以下が、その時に書き上げたシリーズ全体への解説原稿です。本日は、これだけ。次回から、カテゴリー「私の名曲名盤選」と並行して、新カテゴリー「ライナーノート(EMI編)」として、各CD解説も順次掲載します。


(1991年2月、東芝EMI新譜CD解説)
■「現代のモーツァルト演奏の原点」を聴く
 1991年はモーツァルトの没後200年に当たるということで、このところモーツァルトのシリーズCDが続々と発売されている。それぞれに独自のコンセプトを持っているが、この「モーツァルト・ポピュラーコレクション」の場合は、そのほとんどが1960年代の貴重な録音ということが最大の特徴だろう。
 60年代はレコーディング演奏史の上で最も収穫のあった時期で、世代交代や価値観の転換など新鮮で興味深い出来事が次々に起こっていた。もちろん、演奏というものは常に時代を反映して塗り代えられていくもので、それは今日でも変わらない。時代を先取りしていく才能ある演奏家はいつでもいるが、60年代は、戦後の新しい世代の台頭が、ステレオの普及と高度経済成長の波に乗って、正に百花繚乱の観があった。
 それ以前にはどんな名曲でも数種の録音しかなく、この曲は誰、あの曲は誰と決まっていて、ほとんど選択の余地がなかったと言われているが、60年代はどの曲にも数多くの個性的な演奏が揃っていて、それらをレコード店の店頭で何枚も聴き比べてから買ったものだ。この時期に中学、高校時代を過した私は幸福だったと思っているが、当時発売されたこれらの演奏が、日本で、どれも暖かく迎え入れられたわけではなかった。むしろ、「おとなたち」の無理解や無関心にあって、早々と市場から消えてしまったり、70年代に入ってやっと廉価盤で再発されて細々と片隅で生きながらえたりと、それほど話題にならずに今日に至ってしまった盤も多かった。特にモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトなどに、そうした傾向がかなり顕著だ。
 しかし、戦前からの限られた大家の演奏のレコードを擦り切れるほどに何度も聴き、その音楽に慣れ切ってしまった耳に、当時の中堅や若手の新しい演奏が抵抗なく入っていくほど、日本の聴衆の音楽体験は豊かなものではなかっただろうと思う。これは、聴き手にとっても、演奏家にとっても不幸なことだった。私も含めて、当時少年・青年だった若い音楽ファンの小さな声援の届かないまま、一部のマニアのコレクションになってしまったり、「廉価盤のアーティスト」といわれなき烙印を押されてレコード史のエアーポケットに落ち込んでしまったモーツァルト演奏が、今回、こうして初CD化されて復活するのはうれしいことだ。そのなかには、30年も前!のクーベリック~ウィーンフィル、指揮者としてデビューしたころのバレンボイムの交響曲、レコードが少なく、その存在さえ忘れられがちのアニー・フィッシャーやリヒター=ハーザーのピアノ協奏曲、ウィーン系の演奏の陰に押しやられてしまった観のある、管のための各協奏曲や室内楽、宗教曲に独自の境地を守り続けたゲンネンヴァインの「レクイエム」などが並んでいる。
 しかし、これらは決して「懐かしい演奏」として、意味があるのではない。60年代は、50年代にSPからモノラルLPになって飛躍的に良質となった長時間録音によって、演奏者自らも、自身の演奏を客観的に聴くことができる環境に置かれるようになった時代を受けて、そうした「演奏の客観化」が大きな課題となっていたし、レコード文化や情報産業の発達による、演奏の無国籍化が進んで行った時代だ。そのことによって、私たちが失ってしまったものもあるが、それは止めようもない歴史の流れなのだから、むしろその中から得られるものが積極的に評価されていくのが自然だろう。そして今日の演奏は、そうした傾向がますます推し進められている。
 60年代の演奏は、現代に直接つながる「原点」ともいうべきものなのだ。しかも、それ以前の時代を継承して、その音楽は今よりもはるかに「幸福」で「個性的」だ。客観化が無個性化になりがちな現代にとって、これらは極めて示唆に富んだ演奏だ。また、無国籍化が音楽をつまらなくする(例えばウィーン情緒やフランス趣味がない演奏は駄目だというような)という意見が一面的すぎるということも、これらの演奏は雄弁に語っている。
 今回、一挙に発売される「モーツァルト・ポピュラーコレクション」は、いつの間にか片隅に追いやられていたが、それでも一部のファンによってその魅力が語り継がれてきたものばかりだ。かつて50年代の強い影響の中で不運だった演奏だが、今、改めて聴く意味は大きい。それも若い音楽ファンにこそ聴いてもらいたいと思っている。ここには戦前からの往年の名手といわれる人たちとは違った、もっと直接に現代に連なるものがある。かつてエアポケットに落としてしまったこれらの演奏を、今度は「デジタル録音ではないから」と、また片隅に追いやるような愚かな繰返しはやめよう。これら「現代のモーツァルト演奏の原点」を聴いてみることは、これから先の新しい世代の新しい演奏に、頑迷にNOと言わない、柔軟で豊かな音楽体験を醸し出すために、大切なことなのだ。(1990. 12. 16. 竹内貴久雄)




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