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クリスティーナ・ワレフスカの2019年リサイタルが終わって

2019年03月24日 19時17分09秒 | ワレフスカ来日公演の周辺

 昨日、東京・渋谷のオーチャード・ホールで行われた『クリスティーナ・ワレフスカ・プレミアム・チェロ・リサイタル』が成功裏に終了しました。前回2013年の来日では、彼女の体調に不安を抱えたままのツアーでしたから、思うように弾けないこともありましたが、今回は、手術、リハビリなどが順調に推移したようで、万全の体調での素晴らしい演奏を聴かせてくれました。体鳴楽器としてのチェロの豊かで大きな響きと、弱音での微かな息遣いが聞こえてくるような、はかない美しさも素晴らしかったです。

 そして、プロコフィエフ『チェロ・ソナタ』という、私たちにとって、新しいレパートリーにも触れることができました。半世紀ほど前には、ピアテゴルスキーが「苦悩」として描いていたプロコフィエフ晩年の名作を、ワレフスカは「明日への希望」として聴かせてくれたように思いました。まだ、完全にこなれているとは言い難い状態ではありましたが、もう一度聴いてみたいと思わせる説得力のある方向性を打ち出した演奏でした。ピアソラ『アディオス・ノニーノ』は、これまでのどの演奏よりも美しく、深い祈りにあふれていました。

 私が「不動のコンビとなった」と讃えている福原彰美のピアノも一段と磨きがかかって、彼女の美質である澄んだ響きの音楽が、ワレフスカの大きな振幅を持つ音楽を、軽やかに彩っていました。

 総じて充実した昨日の演奏会には、推薦文を執筆したひとりとして、私も、うれしさでいっぱいになって帰宅することができました。昨日、あの場に居てワレフスカの音楽に触れた皆さまに、深く感謝いたします。

 毎日、多くの方に訪れていただいているこのブログですが、昨日は、ことのほかワレフスカ関連の記事へのアクセスが多く、会場で配布されたプログラムに掲載されていた私の寄稿や曲目解説のためかと驚きましたが、改めて、ワレフスカへの関心を高めてくださった方が昨日だけでも数百人いらっしゃったのだと、ワレフスカの音楽の持っている「力」を感じました。

 

 

 

 

 

 

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英国ロイヤル・オペラ・ハウス『スペードの女王』で納得できる、チャイコフスキー音楽集大成の凄み

2019年03月18日 10時45分20秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

先週、15日から、全国のTOHOシネマズ系で上映している2018/19シネマシーズンの作品を観てきました。ご報告が遅くなりましたが、これも見ごたえのある公演の映像でした。別のところでも書きましたが、やっぱりパッパーノはイタリア物やフランス物よりも、重厚なドイツ物、そしてロシア物のほうが、サウンドのまとめ方や音楽の鳴らし方が合っているように思いました。

 そういえば、パッパーノがEMIに録音した聖チェチリア音楽院管とのチャイコフスキーの後期3大交響曲も、思い切りのいい秀演でした。

 『スペードの女王』のスタッフ・キャストは以下の通り。当初の予定のゲルマン役アントネンコが急病で降板というアクシデントでの公演でした。

 

演出:ステファン・ヘアハイム

指揮:アントニオ・パッパーノ

ゲルマン:セルゲイ・ポリャコフ

エレツキー公爵:ウラディミール・ストヤノフ

エヴァ・マリア・ウエストブロック

伯爵夫人:フェリシティ・パーマー

 

 まずは、評価が高かったと聞くヘアハイムの演出。これに舌を巻いた。じつに納得の行く方向である。舞台上にチャイコフスキーが登場し、最後まで、舞台の他の人物たちにまとわりついてドラマが進む。ヘアハイムによれば、音楽誕生のきっかけとなる着想から解き明かし、作曲の過程を重視して具体化した結果だという。こうして、このオペラ世界のすべてが、作曲家の妄想の中にある、とする舞台が実現した。

 これは、オペラと呼ぶにはあまりにもシンフォニックで巨大なこの『スペードの女王』という音響世界を舞台に乗せる最良の方法かも知れない。例えば、ベルリオーズの『ファウストの劫罰』もそうだ。「歌劇場」という物理的空間からはみ出してしまう世界を、どう表現するかは、最近、安易にCGで広げているものが多いが、そんな簡単なものではない。

 肝心の「音楽」だが、パッパーノが、この壮大な音楽、チャイコフスキーが自身の音楽の集大成を目論んでいたのではなかったかと私が思っていた『スペードの女王』の音響世界を、文字通り劇的でシンフォニックな音楽にまとめ上げていた。細部に聞こえる音楽の断片、ちりばめられた音楽の波動のコラージュが巨大な音響へと展開して行ったとき、不思議なノスタルジーを感じて、思わず感動してしまった。やはり、この音楽は、ドラマチック音楽の天才チャイコフスキーが心血を注いだ集大成のひとつなのだ。

 惜しむらくは、ゲルマン役の声量が今いちで突き抜けないことだったが、全体としては好演。先月だったか先々月だったかにNHKーBSで放映した『スペードの女王』でイライラさせられていただけに、改めて、演劇の国イギリスのオペラの底力を満喫した。

 

 

 

 

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期待を裏切られた2018-19METライブビューイングの『カルメン』、指揮者の力量に疑問

2019年03月13日 14時52分09秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

先日、もはやメトロポリタン・オペラの「定番」と言っていいリチャード・エア演出の『カルメン』が、今期はヨーロッパ各地で好評のクレモンティーヌ・マルゲーヌのカルメン役で上演され、その2月2日公演が、さっそくライブビューイングで上映されている。私は今週の月曜日3月11日に鑑賞した。スタッフ・キャストは以下の通り。

 

演出:リチャード・エア

指揮・ルイ・ラングレ

 

カルメン:クレモンティーヌ・マルゲーヌ(メゾソプラノ)

ドン・ホセ:ロベルト・アラーニャ(テノール)

ミカエラ:アレクサンドラ・クルジャック(ソプラノ)

エスカミーリョ:アレクサンダー・ヴィノグラドフ(バス)ほか

 

 歌手は、それぞれ、それなりに好演だったと思う。ところが、全体の印象というと、これがいけない。各々が個人プレイが突出していて、オーケストラの動きに溶け合わないのだ。と、いうより、オーケストラの響きが、歌手を大きく包み込んで舞台を動かすという感じがないので、とにかく、音楽がバラけて聞こえ、アンサンブルとしてまとまっていない。要するに、集中力がないのだ。ベテラン、アラーニャのドン・ホセを中心に、カルメン、ミカエラ、エスカミーリョそれぞれをあいてに二重唱あとまりはいいのだが、それがアンサンブルとして集中した高揚感が生まれてこない。これは不思議な感覚だ。メトの公演の収録映像で、これほどイライラしながら見たのは、ほんとうに久しぶりだ。

 ルイ・ラングレの指揮ぶりに原因があるのだと思う。各幕の前奏曲など、丁寧なのはいいのだが、音楽のラインがレントゲン写真のように骨格が透けて見える鳴り方で、アリア的な部分からレチタティーボ旋律に別のメロディラインでドラマを煽るところに移るあたりで音楽的につながらず、ブツンブツンと途切れてしまう。ビゼーのメロディラインを大きく動かしてゆくドラマチックな逞しさが消えてしまっているというか、全員でひとつのものに向かっていくといったまとまりが、聴こえてこないのだ。少なくとも、一昨日、鑑賞した限りでは、そうとしか感じられなかった。これは、来年、WOWWOWでの放送をチェックして、確認しなくてはならない。ルイ・ラングレの音楽づくりは、一昨日、東劇での上映を1回だけ鑑賞した限りでは、きちんとしていて、きれいに整理整頓された音楽によって、全体のバラバラ感が際立ってしまったように思う。

 翌日、同じ演出のメトでの2009年公演(ネゼ=セガン指揮、ガランチャのカルメン、アラーニャのドン・ホセ)の推進力に溢れた音楽を再確認し、併せて、2014年公演のディスクも再生して観た。

 2014年はラチヴェリシュヴィリのカルメン、アントネンコのドン・ホセで、指揮はエラス=カサドだ。これも、まったく同じ舞台だが、音楽の印象はまったく異なる。こちらは、ラングレを聴いた翌日の印象では、かなり散らかった音楽といった感じなのだが、ビゼーの音楽の芯は野太く響き、大きく動いて鳴っていた。

 そこで、にわかに気になってきたのが、同じビゼーのオペラでも、『真珠採り』と異なる『カルメン』の成立までの事情だった。

 『カルメン』はメロディを付与されていない多くのセリフ場面を含む「オペラ・コミック」として初演され、それらのセリフに音符を付してレチタティーボ化をする途中でビゼーが没しているということだ。引き継いで完成させたのはビゼーの友人ギローだ。アルルの女第2組曲をまとめたことでも名が残っている。私の手元に1950年にアンドレ・クリュイタンス指揮パリ・オペラ・コミック座による録音があって、1970年頃から、私のレコード・コレクションになっているものがあるが、それも引っ張り出して聴いてみた。

 うまく表現できないが、『カルメン』には、どこか、音楽的に「継ぎはぎ」のようなところがあって、それを補って余りあるほどの劇性が内包された音楽なのではないかということだ。

 これはまた、「音盤派」を自任する私としては、ラングレ指揮の公演の放送を待ってエアチェックし、何十回もくり返し比較鑑賞しなければ、ほんとのところはわからないということかも知れないと思った。

 

 

 

 

 

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METライブビューイング2018‐19の『アドリアーナ・ルクヴルール』に大感動! これは凄い!

2019年03月01日 15時06分41秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

 2月22日の上映初日に鑑賞したのだが、またしても、ここに感想をUPするのが遅くなってしまった。昨日、いったん、ほとんどの館は上映が終了したが、東京・東銀座の「東劇」だけはもう一週、3月7日まで上映されている。いずれ、8月ごろにアンコール上映が、そして、「WOWWOW」での放映が来年にはあると思うが、東京周辺にお住まいの方は、時間をやりくりしてでも鑑賞することをお勧めする。それほどに、久しぶりの「大収穫」だった。

 チレアは、今日、ひんぱんに上演されるオペラは、この『アドリアーナ・ルクヴルール』しか残さなかった。とても丁寧な作曲をする職人肌の作曲家で、その凝りに凝った仕上がりは、じつに見事だ。これ一作で精魂尽き果てたとしてもおかしくないほどの力作で、完成度が高い。「まぐれ当たりの一発屋か」などとタカをくくっていると後悔する。「ヴェリズモ・オペラ」の系列に組み込まれているが、私は、そうした括りから大きくはみ出して、20世紀初頭のグランドオペラ黄金時代の最後を飾る傑作のひとつとして、『トゥーランドット』と並ぶ傑作ではないかと思っている。優美で甘美な旋律、にぎやかで楽しい旋律、ダイナミックで劇的な旋律、それらが巧みに配置されたゴージャスな響きが堪能できる。

 ライブビューイングは、2019年1月12日、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演された舞台を収録したもので、スタッフ、キャストは以下のとおり。

 

演出:デイヴィット・マクヴィカー

指揮:ジャナンドレア・ノセダ

アドリアーナ・ルクヴルール:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)

マウリツィオ:ピョートル・ペチャワ(テノール)

ミショネ:アンブロージョ・マエストリ(バリトン)

ブイヨン公爵:マウリツィオ・ムラーロ(バス・バリトン)ほか

 

 私は、このオペラは1980年代の終わりにミラノ・スカラ座で上演されたプロダクションのレーザー・ディスクで観たのが最初だ。ミレルラ・フレーニがタイトルロールのものだが、音楽的な意味で「すごい曲だな」と舌を巻いたのは、レナータ・スコットがレヴァインの指揮で、ロンドンでスタジオ録音された2枚組CDである。今回のメトは、ノセダの指揮で、オーケストラの緻密さ・繊細さ・ゴージャスさは、何一つ不満がなかった。ノセダは、オケの煽り方が、じつにうまい。それに応えるオケも、よく鳴っている。私は、10年ほど前から、オペラ・ハウスのオーケストラで、一番充実した艶のある響きを持ったオケだと思っている。つまり、「ウィーン・フィル以上だ」と思っているのだが、どうだろう。

 幕間のインタビューで、ラジオ中継のディレクター氏が、メトで歌った歴代のルクヴルール役について語っていたが、さすがだ。ティバルディ、カバリエ、フレーニ、そして、スコットである。今回、このキラ星かがやく系譜にネトレプコが加わったというわけである。

 このネトレプコはよかった。彼女に合った役柄なのだ。もちろん、フレーニとはまったく違うキャラ立ちだが、公妃役が、あのラチヴェリシュヴィリだから、正に、四つに組んでの大相撲。有名な第2幕ラストの二重唱での激突は見ものである。

 私は、本質的にはフレーニの可憐さ儚さが好みなのだとは思う。だから、時折聞かれるネトレプコの重い声で吠えるように発せられる歌が気にならなくはないのだが、それでも、彼女の存在感、迫力は、とてつもなく説得力がある。演出も、ネトレプコありの流れで、太く逞しい。これからしばらくは、このスタイルがスタンダードになるかも知れないし、メトでもおそらく、早々に再演されるだろうと思う。忘れてはならないのが、ルクヴルールを娘のように慈しむ舞台監督ミショネの、哀感に満ちた役回りの巧みな配置だ。このペーソスは美しい。このオペラ世界全体が、豊かに肉づけされている。

 久しぶりに、映像付きのオペラの醍醐味を味わった。

 

 

 

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