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ラジオ番組『北山みつきの ゆったりゆらり』へのゲスト出演で、ハワイ生まれの日本民謡の存在を知りました

2013年02月28日 17時56分48秒 | 雑文


 先日、縁あって「ラジオ日本(JORF)」で、番組の収録がありました。毎週土曜日の朝7時35分から50分までの時間帯で、「北山みつきの ゆったりゆらり」という番組にゲスト出演します。
 ほんの2、3分間で2回、近々来日するチェロのクリスティーヌ・ワレフスカのリサイタルのPRの一環で出演する予定だったのですが、私が音楽文化史にも関心があるということや、ラジオ番組に慣れているだろうということから、急遽、予定が変わって、7、8分で2回分、と枠が広がってしまいました。お蔭様で、むかしCSの実験放送時代に、クラシック音楽専門チャンネルで『竹内貴久雄の銘盤・廃盤事典』を2年半ほどオンエアしていた頃を思い出して、楽しく過ごさせてもらいました。
 じつは、番組のパーソナリティである北山みつきさんが歌う新曲『あなたの笑顔~トゥトゥアロハ~』のCDが、4月24日に徳間ジャパンからリリース予定で、その歌に引用挿入されているのが、明治時代に日本を離れてハワイに移民した人々の労働作業から生まれた民謡『ホレホレ節』だということで、当日の打ち合わせの直前に私が聴いて、その感想を番組中でちょっとコメントする、ということになったのです。私自身、『ホレホレ節』という歌の存在を知りませんでしたが、後で家に戻ってからちょっと調べてみただけでも、なかなか奥深い歴史を持っていそうな予感がしました。もちろん、資料的に真面目に作られたCDや、フルコーラスを歌っているCDもありますから、北山さんの新曲は、ご本人のおっしゃるとおり「ホレホレ節の紹介ソング」という程度の挿入なのですが、北山さんの歌によって、こうした歌の存在が、より広く知られるようになるのも、意義あることかな、と思っています。
 北山みつきさんのオフィシャル・ブログは下記です。
  http://ameblo.jp/kitayama-mitsuki/

 ところで、当日の収録は、1回目放送分の終わりごろでワレフスカの話題に変わり、それを受けて、翌週分ではワレフスカの魅力について、たっぷり話しました。1回目の放送は今週末、3月2日、2回目の収録分は3月9日に放送されます。
 「ラジオ日本」は、「ラジコ」のニックネームで、パソコンやスマホでも聴く事ができますので、全国で聴く事ができるはずです。
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竹久夢二の表紙絵で知られる「セノオ楽譜」の、黎明期の謎を追って…

2013年02月23日 15時47分14秒 | 「大正・昭和初期研究」関連

 先日、この場でも書きましたが、来月から2ヵ月間ほどにわたって開催される『セノオ楽譜と大正クラシックス』と題する美術展の準備に追われています。展示品の選択と、その構成は決まりましたし、整理して現地に送りましたが、掲示する解説パネルの原稿が、まだ終わっていないのです。
 先日は「関西方面」などとあいまいな表現で済ませてしまいましたが、場所は、四国・松山の「高畠華宵・大正ロマン館」です。ご興味のある方は、ぜひお出かけください。ひょっとすると、私が、1、2回、関連講演のトークをすることになるかも知れませんが、その場合は、もちろん、この場に告知します。
 会場のご案内HPは、下記です。
 http://www.kasho.org/bijutsukan.html 
 「セノオ楽譜」というと竹久夢二を想起される方が大半でしょう。そのこと自体は間違いではありませんが、それは、「大正時代」という、日本の近代化過程のなかでひときわ力強く動いていた時代の中に置いてみてこそ、ほんとのおもしろさが見えてくるのです。「日本人の西洋音楽受容史」研究という、もうひとつの私の関心事の次の一冊として書き上げたい本の原稿の一部として、書き始めています。
 実際の完成した本の中で、どのあたりを占めることになるか、まだわかりませんが、本日は、とりあえず書きあげた原稿の一部を公開します。(ここだけでも、私としては、かなり大胆な新説だと自負しています。)


セノオ楽譜のはじまり
 「セノオ楽譜」とは、妹尾幸次郎(ペンネーム:妹尾幸陽)が設立した「セノオ音楽出版社」の発行したA4判よりやや大判の楽譜書。明治末期に発刊の準備が開始されたようだが、正式な会社設立は大正4年(1915年)と言われている。翌年、大正5年4月に発行された「セノオ楽譜 第12集 お江戸日本橋」の表紙絵を竹久夢二が担当。以来、音楽好きの女学生を中心に人気が沸騰、わずか10年ほどの短期間に800点を越える膨大な出版点数を数えるに至った。西洋音楽の民衆への普及に与えた影響は大きかったが、昭和初期には、衰退が始まった。その理由は――

1)レコードの普及……電気吹込技術の発明による音質の向上や、昭和2年(1927年)以降の、国内プレス工場の操業開始などが普及のきっかけだった。
2)ラジオ放送の開始……NHKの前身、中央放送局が東京・名古屋・大阪で放送を開始したのが大正14年だった。
3)無声映画から音声付き映画へ……最初のサウンドトラック映画がアメリカで製作されたのは1928年(昭和3年)。以後、映画はレコード、ラジオとともに、音楽普及の有力な媒体に躍り出た。

――以上の3点に集約されるだろう。
 セノオ音楽出版社を設立した妹尾幸次郎は明治24年(1891年)生まれと言われているから、会社設立時にはまだ20歳代前半だったことになる。詳細な経歴はわかっていないが、慶応義塾大学に出入りしていたようで、そこで、黎明期の西洋音楽愛好家と接点を持ったと思われる。その後、時事新報社の記者となったとされるが、初期の「君が代」制定に絡んで、軍楽隊を指導していたフェントンの直筆譜を書き写して発表した「一記者」と伝えられる人物が妹尾幸次郎だったという証言もあることから、音楽記者として採用されていた可能性が高い。音楽方面の取材を続ける過程で、何らかの音楽界人脈を築き上げていったのだろう。
 現在、セノオ楽譜第1集として伝わっているのは『ドナウ河の漣』で、「明治43年7月1日初版」と記された奥付を持つ大正中期に印刷・発行された重版が、いくつも発見されている。続く第2集が『軍艦行進曲』で、これも初版発行は同じ「明治43年7月1日」と記載され、第3集『君が代行進曲』が「明治44年3月25日初版」とあるのに、第4集『夜のしらべ』は突然「大正4年9月25日初版発行」となる。
 一方、第1集『ドナウ河の漣』とまったく同一の表紙絵、ウラ表紙絵を持つ「音楽社出版部」発行の『月刊西欧名曲叢書第十四輯 ドナウ河の漣』という大判の楽譜書が存在していることが最近わかった。ウラ表紙に印刷された解説文もまったく同じだが、編集発行印刷が「音楽出版協会 武内粛蔵」となっており、発行日は「大正4年9月10日」で、初版か、重版かは明示されていない。そしてさらに、この「月刊西欧名曲叢書」というシリーズが明治43年から45年に数冊刊行されていること、その間のいくつかに、解説者として妹尾幸次郎の名前が見られることも分かってきた。
 このことから、まだ推論の域を出ないが、以下を提示する。
 
 1)「セノオ楽譜」の前身として「西欧名曲叢書」というシリーズがあった。
 2)何らかの分離独立が図られ、妹尾幸次郎が大正4年に会社設立に踏み切った。
 3)その時点では、まだ妹尾が過去に関与した曲譜の権利が妹尾にはなかった。
4)おそらく大正6年頃に、やっと解決が図られ、先の3点のみ出版権が妹尾に移った。
5)妹尾は、初版発行日を、前身の「西欧名曲叢書」時代にまで遡って表記した。
6)この時に通し番号制を開始し、最初のセノオ楽譜「夜のしらべ」を第4集とした。
7)第1~第3集の、「明治期の印刷・発行日を持つセノオ楽譜」は、存在しない。
8)大正9年の第220集あたりに、突如「明治44年初版」のものが数点現れるのは、前記の曲譜権利返還の追加があったからではないだろうか?

 この「8」で追加された明治期初版と記載されているのは『凱旋ポルカ』、『海軍行進 敷島行進曲』といった曲目で、先の第2集、第3集と共通して軍楽隊系列の音楽であることが興味深い。妹尾幸次郎は、明治末期の日露戦争後に日本を覆っていた愛国精神を鼓舞する「少年文化」の流れの中で、楽譜出版を発案していたと言ってよいだろう。
 では、なぜそのセノオ楽譜が、大正文化を解くキーワードともなっている「少女文化」のシンボルに変化して行ったのだろうか?

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クリスティーヌ・ワレフスカ&福原彰美の来日コンサート・ツアーが3月から全国各地で展開されます。

2013年02月15日 15時14分40秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 もうご存知の方も多いと思いますが、戦後クラシック音楽界における傑出したチェロ奏者のひとりと評されるクリスティーヌ・ワレフスカの三度目の来日コンサート・ツアーが、まもなく始まります。2010年の30数年ぶりの「奇跡の来日」を実現した渡辺一騎さんが、また、多くの方々の期待と声援と、そして様々に差し伸べられた助力に応えなければ…と、再び、がんばってくれているのです。「渡辺一騎という一音楽ファンの熱意で実現した」、と「日本経済新聞」の文化欄で大きく採り上げられて、大勢の方にワレフスカの名演を知っていただいた前回ですが、それをさらに確実なものにしなければなりません。
 以下の短文は、今回のコンサート・ツアーのリーフレットのために私が執筆して渡辺一騎さんに託したものです。字数を抑えたので意を尽くし切れていないかも知れませんが、一番言いたかったのは、ワレフスカの演奏は、素直な気持ちで、じっと音楽に向き合う人の心に、しっかりとしみ込んでいくのだということです。そして、そうしたワレフスカの特質が、福原彰美という若いピアニストの新鮮な反応との交流によって、飛躍的に広がったということです。前回の来日時に、「往年のチェリストの往時を偲ぶ」といった先入観で聴いた方も(又、そのような演奏評を洩らした方も)少なからず、いらっしゃったのですが、何の予備知識のない方からの共感がいくつも寄せられたことで、改めて、私のワレフスカ観に確信を持つことができました。そのことが、一番言いたかったことです。
 多くの方のご来場を、お待ちしています。再び、会場が音楽への感動に包まれることを、確信しています。21世紀になって、やっとまた、そういう時代が帰って来つつあるのです。

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■ワレフスカの2013年来日ツアーに期待する/竹内貴久雄
 「奇跡の来日」とまで言われた36年ぶりのワレフスカ再来日が実現したのは、2010年5月のことだった。深い息づかいの、心に染み入る音楽は、1980年代以降、ワレフスカがレコード・CDビジネスの世界から距離を置き、自身への高い評価と人気に封印をしてまで守り抜いたものだったが、それは決して「懐かしい音楽」に閉じ込められてはいなかった。ワレフスカの音楽は、どこを切り取っても、いつも「新鮮」な果実のようなのだが、そのことを最も敏感に感じ取っていたのが、ワレフスカの名を知らない若い世代の音楽ファンだったことも、うれしかった。2013年3月、私たちは、もう一度ワレフスカを聴くことができる。ワレフスカの奏でるチェロの響きから、新しい時代の新しいロマンティシズムの芽吹く瞬間が聴き取れるはずである。

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 ツアーの全貌は、下記ホームページで。
  http://walevska.jp/


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ストコフスキーのバルトーク「オケ・コン」を、エヴェレスト35mm磁気フィルム録音のピュアな再現で聴く

2013年02月13日 13時56分37秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
*上の写真は解説書ウラ表紙に掲載したオリジナルLPジャケットです。前回第1弾のときに、シルバー・バックのジャケット特有のオモテ周囲に残る銀色の縁どりを切らずに掲載してもらうよう、印刷段階で細かく注文つけたため、今度は、シルバーバックではないこのアルバムで、撮影用原稿台のパネルが同じような銀色なので、気を利かせてわざわざ残してしまったようです。校正刷りを見ておけばよかったと悔やみましたが、間に合いませんでした。結果的に、左の上と下の角に三角の折り目が写っていないので、こっけいな偽装だということがわかる方、あるいは、左端に背文字の一部が写っていることで、通常の畳み方のジャケットだと言うことがわかる方、どのくらい、いらっしゃるでしょうか。


 以下は2月20日に発売される新譜CDのライナーノート。昨日掲載分の続きです。全体の構成については、2月8日掲載分をご覧ください。

■ストコフスキーのバルトーク「管弦楽のための協奏曲」
 ストコフスキーは20世紀の作曲家・バルトークの『管弦楽のための協奏曲』をこのCDに収録されたヒューストン響との録音しか残していない。もっとも、作曲されたのが第二次大戦終結の2年前1943年秋で、初演されたのが翌年12月(クーゼヴィッキー指揮ボストン響)だから、このストコフスキー盤が録音された1960年頃でも、それほど多くの録音があったわけではなかった。おそらく、一番有名なのはフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団による1955年の米RCA盤だろう。作曲者と同郷のハンガリー出身であることや、作曲依頼の立役者であったことから、しばしばこの曲の代表盤のように語られるが、はたして、どうだろうか?
 ライナーの生真面目な音楽づくりに比して、ストコフスキーの指揮するこのバルトークの音楽は、とても色彩感にあふれたもので、バルトークの音楽にしばしば聴かれる緊張が、ほとんど陰を潜めている。むしろなごやかで楽しい世界を作り出しているのが大きな特徴だ。オーケストラの鳴り方が全体に高域に寄ったバランスになっていて、明るい響き合いを意識して目指していると思われる。かなり個性的なオーケストラ・ドライヴで、ストコフスキーの確信犯的な職人芸の妙技が堪能できる。
 ライナー盤は、私にとって、もう半世紀も前から、どうにもつまらなくて好きではなかった。むしろ1959年録音のバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル盤が、熱っぽい演奏で魅力にあふれていると思い、愛聴していた。だが、モノクロームの世界のようなところが禁欲的でもある。だからストコフスキーの録音を、今回のように心して聴かなかった事を悔やんでいる。ストコフスキー盤は、じつに楽しい演奏で、カラフルだ。ガラクタ箱をひっくり返したような楽しさは、各楽器のソロをかなり全面に出し、テンポを微妙に変化させる自在さで達成されたものだ。思わず身を乗り出したり、クスリと微笑むような瞬間が何度も現れる。バルトークが晩年の苦しい生活の中で、これほどのユーモアを描いていたことを知り、改めて天才作曲家の痛々しいまでの繊細さを嗅ぎ取ることができるのも、ストコフスキー盤の魅力だと思う。スコアに内在する音楽の本質が抉り出されているのだと思う。

■演奏曲目についてのメモ

《バルトーク:管弦楽のための協奏曲》
 1943年に作曲された作品。アメリカに亡命したバルトークだったが、白血病に冒されていたこともあるが、ニューヨークという都市の喧騒は、ハンガリー出身のバルトークにとって、心の休まる場所ではなかったようだ。次第に健康を害し、亡命先で斡旋された教授職も続かず、経済的に困窮していたバルトークを救おうとして作曲依頼された作品のひとつ。晩年に完成した唯一のオーケストラ曲でもある。初演はクーゼヴィッキー指揮ボストン交響楽団により、1944年12月に行なわれている。バルトークが亡くなったのは、それから1年も経っていない時だった。曲名は、様々なオーケストラの楽器や合奏群を次々に選び出して協奏的に、あるいは独奏的に扱うことから付けられた。極めて20世紀的な「個人」の時代の産物と言える。全体は5つの楽章から成っている。
 第1楽章:「序章」アンダンテ・ノン・トロッポ~アレグロ・ヴィヴァーチェ
 第2楽章:「一対の遊び」アレグレット・スケルツァンド
 第3楽章:「悲歌」アンダンテ・ノン・トロッポ
 第4楽章:「中断される間奏曲」アレグレット
 第5楽章:「終曲」ペザンテ~プレスト



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ストコフスキー/ヒューストン響によるブラームス「第3交響曲」、その斬新な解釈の正当性

2013年02月12日 11時27分29秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
*写真はオリジナルLPジャケットデザインを使用した今回のCDのライナーノート表紙とウラ表紙

 以下は、先日、8日、9日に掲載したライナーノート原稿の後半です。今月の20日に発売される新譜用のもので、本日からまた、少しずつ掲載します。伝説の「エヴェレスト35mm磁気フィルム録音」の最新リマスター音源です。詳細は、8日、9日掲載分をご覧ください。

■ ストコフスキーのブラームス「第3交響曲」
 ストコフスキーにとってブラームスの交響曲とは、どのような位置を占めていたのだろうか? 話題にする人は少ないが、ストコフスキーは1930年頃、既にブラームスの交響曲全4曲をフィラデルフィア管弦楽団を指揮して米RCAに録音している。昭和5年頃のことで、日本でもビクターから発売されている。この時期にブラームスの全交響曲を録音しているのはストコフスキーだけだろうと思う。第二次大戦後、LPレコードが発売され、やがてステレオLPの時代になって、ストコフスキーは再録音をしているが、オーケストラもレーベルも1曲ごとに異なっている。1番が英デッカへの72年録音でロンドン響。2番が英CBSへの77年録音でナショナル・フィル。3番が米エヴェレストへの58年録音でヒューストン響。4番が英RCAへの74年録音でニュー・フィルハーモニア管である。いずれもステレオ録音では正規のスタジオ・セッションは唯一のものだから、意識してカタログの空白を埋めていった観がある。
 ストコフスキーとヒューストン交響楽団によるブラームスの「第3交響曲」の演奏は、この音楽に、一般的なドイツ・オーストリア圏の音楽が持っている重厚さや、ブラームスの音楽にしばしば聴かれる晦渋さを予測すると、意表を突かれたように感じる。だが、ブラームスは楽旅を共にしたバイオリニストに刺激されて『ハンガリア舞曲集』を残した作曲家であり、多分にハンガリー気質を持った作曲家だった。その扇情的なラプソディ風の要素については、ブラームスという作曲家の体質として、もっと真剣に論じられるべきだと思う。ストコフスキーの指揮は、そうした観点から聴くと、とても示唆に富んだ解釈を聴かせる演奏であることがわかる。これと同じ時期の革新的な録音にフルトヴェングラーが世を去って数年後のベルリン・フィルを指揮したマゼール盤がある。これは実に思索的で静謐な演奏だ。ドイツ的重厚さが極端なまでに抑えられた天才的な解釈だが、思索的なスタイルに磨きをかけた演奏でハンガリー的要素は皆無だ。そして、このマゼール盤以外は、どれも多かれ少なかれ、ドイツ的重厚さから離れていない、その傾向は1990年代まで脈々と受け継がれている観があるが、唯一と言っていいラプソディックでエキセントリックな秀演が、ドラティ指揮ロンドン響による1963年のマーキュリー録音だと思う。
 だが、ストコフスキーの作り出す演奏は別格だ。テンポの緩急による表情の豊かさや、普段は陰に隠れている波打つような内声部の動き、大きな抑揚の落差がえぐり出す感情のほとばしりなど、ブラームスが譜面に書き込んだ様々な仕掛けの意味が、これほど手に取るように聞こえてくる第1楽章の演奏は他にない。一転して第2楽章はとても遅いテンポで、切なく歌い上げる。とても丁寧な演奏なのだ。各パートの響き合いが考え抜かれているのは次の第3楽章も同じだ。細部まで確信にあふれたストコフスキーの音楽は、終楽章に至っても変わらない。しゃくりあげる独特のアクセントの在り所がよく聞こえてくる。怒涛のような進行ではなく、飽くまでも細部を鳴らし切ることに集中して、一音一音確かめるように進んで終える音楽に、ブラームスが書いたのはこういう音楽だったのか、と思わず納得してしまう。

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エヴェレスト・レコードの変遷――べロック撤退後の混乱について(断章)

2013年02月09日 10時35分13秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

 昨日の続きです。今月の20日に発売されるCDのために書き下ろしたライナーノートの一部です。詳細は、昨日up分をご覧ください。

■他社に売られた「エヴェレスト」録音とストコフスキー
 エヴェレストによるオリジナル録音の発売権も、1961年以降かなり切り売りされたようで、いくつかの楽曲は、各国でまちまちに発売されるようになった。伝えられるところによると、著作権に厳しかったストコフスキーが、「一体、どうなっているんだ」とハリー・ベロックの会計士で、ベロックがエヴェレストから撤退するに際して、その利権(株式)を買い取ったバーナード・ソロモンに尋ねるような問題も発生したという。
 今回のブラームス「交響曲第3番」、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」も、世界各国の様々なレーベルで発売されているので誤解されやすいが、どちらもオリジナルはエヴェレスト・レコードで、もちろん35mm磁気フィルムによる録音である。
 ブラームス「交響曲第3番」は、アメリカでエヴェレストが発売したものが初出だが、その後ベロックの録音・再生機を買い取った録音技師ロバート・ファインが仲立ちしたものか、なんとマーキュリー・レコードからも発売されているという。(ちなみに、スタインバーグ指揮ピッツバーグ響でブラームスの第4交響曲がエヴェレストにあるが、こちらはコマンド・レコードに引き継がれている。マーキュリー、コマンドとも、ファインによって35mm磁気フィルムによる脅威のサウンドを売り物にしたレーベルである。)
 だが、イギリスではワールドレコード・クラブから発売されたものが初出LPである。日本でのLP発売はなかったのではないだろうか。1990年代の初期には、「べスコル(Bescol)」という怪しげなレーベルからCDが出た(確か韓国プレスだったと思う)が、これもワールドレコード系のルートだろう。
 バルトーク「管弦楽のための協奏曲」の場合もイギリスではワールドレコード・クラブが初出だが、それとは別に世界最大の通販組織として知られるコンサートホール・ソサエティからも発売されていることがわかっている。日本盤も出ている。おそらく1960年代の日本では、これでしか聴けなかったと思う。ワールドレコード名での発売は他にも相当数のアイテムがあるから、おそらく、2005年ころから発売開始されたイギリスでの「エヴェレスト復刻CDシリーズ」は、このルートの複製音源からのCD化だと思われる。米ヴァンガードのデジタル化音源との表記がないからだ。

《明日からは、ライナーノート後半、「ストコフスキーの解釈の独自性と、その価値について」です。ドイツ・オーストリア圏の精神主義への礼讃から逃れられない価値観によって、ストコフスキー・ファンをも大きな錯覚の中に追い込んでいたストコフスキー観を、少しでも打ち破ろうと試みた、新しいストコフスキー論が展開できたと思っています。》



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エヴェレストレコード、驚異の35mm磁気フィルム録音による「ストコフスキーの芸術」第2弾

2013年02月08日 11時11分52秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

 今月20日に、日本ウエストミンスターから発売される新譜のライナーノートを掲載します。
 「エヴェレスト」の35mm磁気フィルムによる驚異のアナログ録音のCD化シリーズで、「ストコフスキーの芸術」の2枚目です。曲目はブラームス「交響曲第3番」と、バルトーク「管弦楽のための協奏曲」で、いずれもストコフスキー指揮ヒューストン交響楽団です。ご覧のように、表紙はブラームスのオリジナルLPデザインを再現してもらいました。
 ライナーノート全体は、かなり長文で、「ストコフスキーのエヴェレスト録音を聴く(2)」としましたが、ネット上では、書籍のような長文は読みづらいようです。特に、最近はパソコン端末で読む方や、さらには、プリントアウトして熟読する方が減って、携帯やスマホ画面で読む方が増えたようで、長文は扱いづらいようですので、4回に分割しての連続掲載とします。(ここまででも長いですね。申し訳ありません。)

■その後の「エヴェレスト・レコード」
 「エヴェレスト・レコード」の誕生に関するエピソードと、その運営会社であったベロック・インストルメンツが、その後わずか2年余で資本の引き上げという形でエヴェレスト・レコードから撤退してしまったことについては、前回のライナーノート(註:このブログでは、1月17日~18日に4回に分けて掲載しました。)で詳しく触れたとおりだが、その後のエヴェレスト・レコードの動向については、あまり触れられたことがない。ここでは、そのことについて、私の調査で知り得たことを記そう。
 私の知る限り、1950年代に生まれた数ある新興レーベルの中で、「エヴェレスト」ほど数奇な運命にもてあそばれたレーベルはないと思う。アメリカ国内で制作された自社のLPですら、ニューヨークでのプレスから西海岸・カリフォルニアでのプレスになって、かなり音質が変わったが、経営者が転々と移っていったためか、ジャケットの印刷原版が紛失してしまったようで、当時の粗悪な複写技術の故か、奇妙に色褪せたりピンボケで撮影された表紙に変わってしまったもの、演奏者のカラー写真がモノクロ写真に変更されたものなど、とても常識では考えられないものが、正規盤として流通している。極めつけは資料ファイルから撮影したものか、ファイリングのパンチ穴が左端に一列になって並んだままのものまである。新しいデザインを起こす手間と費用を省くにしても、その無神経さには驚いたものだ。そして、オリジナルの35mm磁気フィルムによる特殊な録音・再生機も売り払ってしまったため、初期の金属原盤が傷んだ後は、通常のオーディオテープにダビングした音源から起こし直した金属原盤によるプレスとなって、エヴェレスト本来の驚異的なサウンドも失われていった。
 前回発売のCD「ストコフスキーの芸術(1)」の解説(上記の註の4回分の第1回)にあるように、ハリー・ベロックが多額の投資をして製作させた特殊な録音機は、録音用と編集用とで1セットしか存在しないので、世界各国では、初出盤でさえアメリカのスタジオで製作された金属原盤を取り寄せるか、通常のオーディオテープにコピーされた音源から独自にカッティングして原盤を製作するかしか方法はなかった。(1960年初頭に日本ビクターが「トップランク」というレーベルで発売した数枚のエヴェレスト録音は、アメリカから取り寄せた原盤を使用してプレスされているものを発見している。)そのため、再発盤以降は、コピーテープからの製作ということになるわけで、CD化も、そうして行なわれてきたわけだ。
 ところが、1990年代の半ばに、米ヴァンガード社がエヴェレストの発売権を買い取った際に、まだオリジナルの35mm磁気フィルムと、その専用再生機が保存されていることが判明した。おそらくそれが、この奇跡の録音を蘇らせる最後のチャンスだったはずだ。
 35mm磁気フィルムには特殊なコーティングが施されており、経年変化による化学反応の刺激臭で目も開けていられない状態のため、ガスマスクを着用しての過酷な作業が、慎重に続けられたという。だが、その甲斐あって、米ヴァンガード社(米オメガ)はエヴェレストのオリジナルサウンドをデジタルで取り込むことに成功した。それが1996年ころから輸入された「エヴェレスト・ウルトラ・アナログ」のシリーズだ。今回、日本ウエストミンスターから発売されているエヴェレスト・シリーズは、アメリカのビジネスの慣例通り、一段落した米ヴァンガードが一括で売り払った音源を買い取って管理しているドイツ・ハンブルクに本拠がある「カウントダウン・メディア社」が、マスタリングをし直した音源で制作されている。
 制作に従事しているのは「Lutz Rippe」というエンジニア。おそらくまだ若い人だと思うが、世界中の有名エンジニアと連絡をとりながら研究しているそうで、カウントダウン・メディア社へは、エヴェレスト音源のリマスタリングを自分の手で行ないたいということで来ていると聞いた。エヴェレスト・サウンドの理想を後世に残す作業が、こうして今も続けられているのだ。

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「エヴェレスト」LP末期の不思議なジャケットの悲惨と、受け継がれた「夢」(?)の続き

2013年02月06日 14時39分24秒 | LPレコード・コレクション
 上の写真は、このブログの1月16日分と見比べてください。内容は同じですが、ジャケットデザインが粗雑なものに化けてしまった、無残な状態の末期エヴェレスト盤です。左の「ショスタコーヴィチ:交響曲第5番」は、おそらくカラー写真のポジ・フィルムはもちろん、カラープリントも紛失してしまったのか、モノクロ写真として使用したデザインに変更されています。
 でも、右側の「スクリャービン:法悦の詩」のLPジャケットは、同じような時期ですがカラー印刷です。(ちなみに、今回のCD化でのオリジナル・ジャケットの再現では画像処理によって消されてしまったB面カップリング曲も記載されています。)――が、左端をご覧ください。タテにパンチ穴が並んでいるのが分かりますか? これ、ジャケットに穴が開いているのではないのです。おそらく保存資料としてなのか、ジャケット写真のファイルの穴が写っているのです! それをそのまま、印刷しているのです。何が何でもオリジナルデザイン! ということなのでしょうか? でも、こんなファイリング穴を写したジャケットなんて、ほかには見たことありません。

 しかも、余談になりますが、このファイリング穴の開いたジャケットのモノクロコピーを含む資料一式を、私は10数年前、エヴェレストの復刻シリーズの企画を持ち込んだ会社から預かったということで、あるレコード会社のディレクター氏に見せられているのです。その再コピー一式は、私の手元に残っていますが、さらにまた、今回の日本ウエストミンスターによる復刻シリーズのスタートに当たって見せてもらった「資料」にビックリしました。10数年前に見た資料一式の「コピーのコピー」だったからです。欄外の手書きの英文による注意書き、メモ書き、汚れ、シミまで、そっくりそのまま。これには驚きを通り越して、感動しました。
 1970年前後の末期LPのジャケットに使われた資料ファイルのコピーが、海を渡って日本に1990年代に持ち込まれ、その後10数年を経て今また、同じもののコピーが、どうやら、ドイツ経由で日本に再度、渡ってきたようなのです。
 エヴェレストの偉業を残そうとした人々の執念が、そうさせているのかも知れないな、と、ふと思いました。音質の改善を究極まで極めて新しく始まった、日本ウエストミンスターによる「エヴェレスト」復刻CDによるストコフスキーシリーズは、今月、第2弾が発売されますが、そのライナーノートで、かつてのオメガ=ヴァンガードによる苦難を乗り越えたマスタリング作業や、今回のリマスター作業を志願したドイツの若いエンジニアについて、少し触れていますので、お読みいただきたいと思っています。発売前ですが、明日か、明後日くらいから、当ブログにて、ライナーノート本文を掲載します。

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