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倉本裕基『ハート・ストリングス・アゲイン』録音に際して

2009年06月26日 15時24分18秒 | エッセイ(邦楽&ポップス)





 前回のブログ掲載文に続いて、その約3ヵ月後の2004年9月8日に執筆した、倉本のプラハ録音のニューアルバム企画発表時のプロモーション用原稿です。この企画は後に『ハートストリングス・アゲイン』と題するアルバムになりましたが、この企画発表時に、求められて書かれたものです。あまり制作担当者の意に添わなかったと記憶していますが、読み返してみて、そのことにちょっと納得もしました。私は、結局のところ、音楽で癒される人も、癒す人も、手放しでは好きになれないのだと思いました。ギリギリと痛めつけられるバルトークの音楽をじっと聴き終えて開放されるのが、例えば、私の、音楽を通してのカタルシスなのです。あるいは、どろどろのチャイコフスキーの音楽で、もみくちゃになって涙する。それが、私の憩いの時間なのです。


■倉本裕基――古都プラハでの新録音!に期待する

 倉本裕基が「癒し系ピアニスト」として脚光を浴びてしまってから、3年以上の歳月が流れた。そう。倉本は脚光を「浴びてしまった」のだ。このところの倉本の忙しさは尋常ではない。かつての深夜ラジオの名番組「城達也のジェットストリーム」以来、音楽の裏方として地味な世界で自身が愛する音楽を大事にしてきた倉本が、今では全国ツアーで飛び回り、どこの会場にも熱心なファンが押し寄せる。こんな状況を誰が予想しただろうか? その倉本の次のアルバムが、日本を遠く離れた東欧の、歴史ある美しい都市「プラハ」での録音と決まったと聞いたとき、私は瞬間的に、「倉本は、本気で自分の音楽と向き合い直そうとしているな」と思った。
 倉本裕基の音楽の基本にあるのは「ピアノとの対話」だ。倉本のリサイタルを聴いた方ならば、倉本がひとたびピアノの前に座ると、そこには倉本とピアノだけで繰り広げられる対話が始まり、大切な宝物を慈しむ純真な子供のように鍵盤の上を撫でていく倉本の姿が印象に残っているにちがいない。倉本の音楽が、スイッチONで安直に得られる「癒しの音楽」と一線を画して、心に沁み込んでくる本物の癒しと言われるのは、そうした「手触り」や「温もり」があるからなのだ。だが、最近の倉本を取り囲む環境の激変が、その貴重な美質を蝕んでしまうのではないだろうか? と危惧していた矢先のプラハ行きの発表だった。
 「プラハ」という街は、音楽の都「ウィーン」から車で数時間。ほんの少し前にはチェコスロヴァキアの首都として政治の波にも翻弄されたが、クラシック音楽にちょっと関心がある人ならば、「プラハ」は「ウィーン」と肩を並べる音楽があふれる街として名高い。かの天才音楽家モーツァルトのオペラを最初に正当に評価し、守り育てたことでも知られているし、《新世界交響曲》のドヴォルザークや《モルダウ》のスメタナゆかりの街でもある。倉本が愛するピアノの詩人ショパンも、お隣りポーランドの出身だ。
 ボヘミアの森を擁するチェコの音楽性は長い歴史によって集積されたもので、中世からの美しい街並みを残すプラハは、心の底から音楽を愛する国民性に育まれて、今でも街中に、自然な温もりと手触りのある音楽があふれている。それは、今日、様々な形で商業主義と機械化に侵されている音楽世界にあって、貴重なオアシスである以上に、音楽という「よろこび」の源泉を再確認できる、またとない場所なのだ。観光都市と化してしまったウィーンでも得られないものが、今でもそのまま残されていると言っていい。
 倉本には、チェコ・フルハーモニーやプラハ交響楽団など現地の一流オーケストラのメンバーを交えたストリングスや管楽器奏者との室内楽セッションのレコーディングまで予定されているという。指揮棒を振りながらのピアノ演奏も行われるようだ。倉本のこれまでの名曲の新アレンジに加えて、新曲も準備してのプラハ入りに期待が膨らむ。
 聴く者にとって音楽で癒されるのは容易(たやす)いことだが、他人(ひと)を音楽の力で癒すのは、厳しく孤独な作業だ。それを、ボヘミアの森に包まれた古都プラハで、手触りと温もりを大切にしている音楽仲間との新たな出会いの中で、大きく発展させて帰ってこようという倉本の50歳を越えての挑戦からは、しばらく目が離せない。倉本だからこその「something」との出会いに注目である。




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倉本裕基の音楽

2009年06月24日 09時58分56秒 | エッセイ(邦楽&ポップス)

 以下の一文は、いわゆる「癒しの音楽」の第一人者とも言われている作曲家・ピアニスト、倉本裕基が、日本でのブレイクを始めたころ、新しい意欲的なソロ・アルバムが発売されることになった時、依頼されたエッセイ原稿です。私の言う「発売する側の都合」によって書かれた原稿には違いありませんが、私にとっての「癒し音楽」「倉本のピアニズム」「音楽ジャーナリズム」それぞれへの思いは、素直に書かれています。決して「売る側の都合」に合わせた原稿などではありません。この文章、ポピュラー系の雑誌の広告、全国キャラバンを始めたコンサート会場でも配られましたから、「倉本ファン」を認じている数十万人のファンの方は、どこかで見かけたかもしれませんが、このクラシック音楽を主なテーマとするささやかな私のブログへの、数百人の来訪者にとっては、初めて耳にする名前なのかもしれません。
 倉本氏には余計な記述かも知れませんが、昨年の秋(だったと思います)、彼の母校である栃木県立宇都宮高校の卒業生と在校生から構成された管弦楽団の伴奏で、若き日の思い出の曲と倉本自身が言うグリーグの「ピアノ協奏曲」を、倉本自らが弾くという「宇都宮高校管弦楽団」の創立○周年記念演奏会を聴きました。とても率直で、自分に正直な音楽が、とてもすがすがしかった。そういう音楽が、いわゆる「プロ」の世界とは別の場所で、営々と続けられているということに、久しぶりに気付かされました。
 そういえば、私が子供時代を過ごした家は、私が中学生のころになって、すぐ向かいに、「市川交響楽団」を創設してその後も指導を続けられた村上氏が引っ越して来られました。毎日、ピアノのレッスンの音が聞こえ、週末になると、アマチュアオーケストラの方たちが、かわるがわる練習に来ていたのを思い出します。それもまた、音楽に自然に接していた、とてもなつかしい思い出です。
 だいぶ脱線してしまいました。以下の、2004年5月20日に書かれた原稿を、お読みください。


■倉本ワールドの美しい風景

 倉本裕基のピアノ・リサイタルには、不思議な魅力がある。倉本は、ピアノが好きで好きでたまらないといったふうに、ひとり、一心不乱にピアノと対話を続ける。少しずつ彼自身の心の揺れ動きを開放させて行き、やがて、会場全体を大きな「ゆらぎ」の中に包み込んでしまう。倉本の音楽を中心に大きな輪が広がり、あたりの空気を澄んだものへと変えていく。ライトを浴びたステージのピアノと倉本は、どこか遠くの風景のように、聴いている私たちの前に漂い始める。……そんな倉本の、静かな、そして幸福な「ひとりぼっちの時間」を、そっくりそのままマイルームでひとりじめできるのが、この全曲新録音によるCDだ。倉本ファンはもちろんのこと、そうでない人もどこかで聞き覚えのある倉本の名曲が、新しいアレンジのピアノ・ソロ・バージョンに姿を変えて聞こえてくる。これは、ピアノという楽器の魅力を知り尽くした倉本ならではの世界だと思う。
 倉本は自身のプロフィールに「好きな場所:空気のきれいなところ。静かなところ。適温、適湿の場所」と書いているが、正に、そうした場所を描いた美しい風景画のような音楽がどこまでも続き、私たちは、その絵の中に、心地好い散歩の気分で分け入って行く。ある時は桜のトンネルをくぐり、ある時は遠く海岸線を眺めながら、ある時は落ち葉を踏みしめる音に耳を傾けながら……。倉本の音楽は、ラジオから聞こえてくるドラマが、どんな強烈な映像よりも豊かな想像力に満ちているということを知っている人の耳に、するりと入り込んでくるのだ。
 最近、私たちのまわりには、声の大きすぎる人、押し付けがましい人、暑苦しい人が大勢いる。いつから、こんな国になってしまったのだろう。けれど、静かな、空気のきれいなところで、そっと目を閉じ耳を澄ましてみれば、美しい時代の美しい風景が蘇ってくる。ひとりひとりの目の裏には、幼い日々の思い出の光景が浮ぶかも知れない。「私たちが失い始めた清洌な青春を思い出させてくれた」と日本中を沸かせたテレビドラマ『冬のソナタ』を生んだ韓国の若者たちが、私たちよりも先に、倉本ワールドを絶賛したと言われているが、これは、決して偶然ではないし、興味深い現象だ。倉本の音楽には、スイッチONで「癒しの音楽」が与えられるような世界とは違って、自然ににじみ出てくる「やすらぎ」がある。もっともっと、広く日本の様々の世代の人々に聴いていただきたいアルバムの登場である。



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モーツァルト『セレナード《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》』の名盤

2009年06月22日 15時27分43秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第11回」です。

◎モーツァルト*アイネ・クライネ・ナハトムジーク

 この、モーツァルトのセレナードの中でも最も広く知られた曲は、古くから多くのディスクがあり、戦前のワルター/ウィーン・フィルのSP盤を聴いてモーツァルト・ファンになった人も多いと思う。ワルターが最晩年にコロンビア響とステレオで録音した演奏にも、その優美なスタイルが残されている。微妙にかかるリタルダンドや、音の出をわずかに遅らせて作られる一瞬の〈間〉が美しく、そうしたすきまにそっと入り込める聴き手にとっては、ワルターのモーツァルトの優しさは、かけがえのないものとなるだろう。
 ウィーンフィルを起用した演奏でも、八三年に録音されたレヴァイン盤は、軽やかで率直な響きで、現代感覚の清涼剤のような音楽世界を聴かせてくれるものとなっている。その爽やかで明快な音楽の運びが、ウィーンフィルの艶のある優美な音色とともに楽しめる。
 きっちりとした造形感で、硬質なモーツァルトを貫いて成功しているのは、リステンパルト/ザール放送室内管の演奏だ。キメの細やかな音の動きに支えられた軽やかさが、優美さや華麗さの後退を補っている。純度の高い演奏だ。
 クレンペラー/フィルハーモニア管盤も足取りの確かな格調の高い演奏で、この曲の古典的な造形感を聴かせてくれる安定度のある名演。オケの澄んだ響きも美しい。
 晩年のヨッフムがバンベルク響と録音した演奏は、とうとうと流れる音楽が自然で好ましい。無理なところの一つも無い演奏の合間から、時折、愛らしい表情が浮かび出るのも、このコンビならではの魅力。特に第二楽章の優しさは絶品だ。若き日のコリン・デイヴィスが、フィルハーモニア管と残した古い録音は、最近あまり聴かれなくなったシンフォニックな響きでまとめた演奏。合奏力の優秀さもあって、決してふやけた演奏になっていない。豊かなニュアンスが楽しめる。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 今のところ、特に付け加えることはありませんが、レヴァインの演奏、そんなに良かったかなあ、と思っています。思い出せないのです。ヨッフム/バンベルクは出色の演奏だったという記憶が、今でもあります。
 ワルター盤は、昨年の10月2日付の当ブログのまえがきにあるように、愛書家であった気谷誠氏を見舞いに行って、久しぶりに聴いた演奏でした。思いがけなくも、私にとって思い出深い演奏となりました。



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モーツァルト『クラリネット協奏曲』の名盤

2009年06月20日 12時22分31秒 | 私の「名曲名盤選」







 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第10回」です。

◎モーツァルト*クラリネット協奏曲

 モーツァルト最晩年、死の数ヵ月前に書かれた作品。簡素なスタイルの中に盛られた無垢な美しさは、数多いモーツァルトの作品中でも屈指のものだ。
 バセット・クラリネットによるテア・キング/ジェフリー・テイト盤は中庸を心得た安定したテンポによる、きわめて自然で穏やかな演奏。その衒いのないソロと、拍節感の明瞭な、よく音の摘まれた管弦楽とのバランスのとれた清澄な音楽世界が魅力だ。
 ジャック」・ブライマー/トーマス・ビーチャム盤は、イギリスの様々のオーケストラの主席奏者を歴任したブライマーが、ビーチャムに懇請されてロイヤル・フィルの主席に就任したころの録音。五〇年代終わり頃の演奏だが、ビーチャムのかなり遅めで淡々としたバックに支えられた、ゆったりとした深い呼吸でたゆたうブライマーのソロは、音楽が今日よりもはるかに幸福だった時代の息吹を伝えてくれる。モーツァルトでのビーチャムの趣味のよさも随所に感じられる優雅さと気品にあふれた演奏だ。
 ブライマー盤は、戦前から脈々と受け継がれたモーツァルトの管楽演奏の〈個性〉を一身に背負った演奏だが、ウィーン・フィルの首席奏者レオポルト・ウラッハによる、五〇年代半ばのロジンスキー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団とのウェストミンスター録音は、むしろ、よく言われているほど大時代的ではなく、今日の我々のフィーリングに通じるものがある。率直なアプローチで自在に流れる音楽が心地よい。今日の地点から照射し得る、この曲の原像だ。このことは、同じウラッハがカラヤン/ウィーン・フィルとで四七年に録音したものを聴くと更に納得できる。
 ナイディッヒ/オルフェウス室内管弦楽団盤はあくまでも明るく小躍りするような、時にはおどけた音楽づくりが、晩年のモーツァルトのもうひとつの側面に気付かせる新鮮な演奏だ。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 これはもちろん、プリンツやザビーネ・マイヤーの新盤が発売されたころに書いています。その後も発売されたもの、復刻されたものは、ほとんど聴いているはずですが、このラインナップを大きく覆すほどの演奏には出会っていません。
 ウラッハに関しては、ウエストミンスター神話に惑わされずに、カラヤンとの共演盤をぜひ聴いてみてください。「戦前から続いていたザハリッヒな新しいウイーン」が聞こえてきます。ウラッハは、そういう人なのです。
 そのほかでは、フランスの名手、ド=ペイエがペーター・マーク/ロンドン響の好サポートで奏でている馥郁(ふくいく)たる世界も英デッカ盤で聴けます。またまだ18、19歳くらいだった少女時代のエンマ・ジョンソン嬢の残した英ASV録音は、そのまだ実の硬い果実のような、あるいは少年のような中性的な音楽が、とても不思議な演奏。この曲を、こんなに若いうちに録音した人は、他にいないのではないでしょうか。
 なお、文中のブライマー盤は、このブログで同時進行している「モーツァルトコレクション」のライナーノートのCDです。





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モーツァルト『ピアノ協奏曲*27番』の名盤

2009年06月18日 10時23分39秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第9回」です。

◎モーツァルト*ピアノ協奏曲第27番

 モーツァルト最後のピアノ協奏曲で、澄みきった超俗的な美しさに満ちた佳曲だ。その姿は様々に描かれるが、まず、ギレリス/ベーム盤を挙げたい。ここでのギレリスのピアノは、どの音も力を抜いた柔らかで軽いタッチだが、それでも一つ一つの音の輪郭がくっきりと手に取るように聴こえてくる。純粋に透明で、こだわりのない軽やかさの横溢したこの演奏は、天空を駆けるがごとき美しさとはこうしたものを言うのだろうと思わせるものだ。
 この曲では伴奏部の充実も大きな特徴だが、ヘブラー/ガリエラ盤は、率直で控え目なヘブラーに対する、名手ガリエラのニュアンス豊かな掛合い、あるいはぴったりと寄り添って伴走して行く音楽に奥行の深さを感じる。親しげに語りかけてくる可憐な演奏だ。バレンボイム/イギリス室内管の弾き振りは、きわめて濃密な雰囲気に蔽われており、長めのフレージングで陰影のある静謐な音楽を提示した個性的な演奏は、時として孤独でさえある。
 グルダ/アバド盤はこの曲の最も標準的なイメージと言えるが、だからといって没個性的ということではない。彼等の作り出す音楽の無理のない自然さが、聴く者を素直にさせる力を持っているからだ。
 エッシェンバッハのロンドン・フィルとの弾き振りは、テンポ、フレージングや、管弦楽の表情付けなど、どれもが実によく考え抜かれた演奏だ。スキのない、知的に再構築された演奏であり、手を抜いたところなどどこにもないが、決して息苦しくはない。微妙に加えられる表情の変化のひとつひとつが、全体の設計のなかで、どれも納得できる。これは、モーツァルトの時代から遠く隔たった現代に生きる私達が、モーツァルトを自身の内に再構築するということが、どういう意識操作の過程を通過するのかについて、真摯な問いかけをしている、興味深い演奏だ。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 この文章については、付けるべき「自註」はありません。強いて言えば、この曲の演奏は、ここに取り上げられた両極のアプローチのどちらかに、しっかりと向かっていなければならないということだろうと思います。


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モーツァルト・コレクション/メニューインで聴く「ヴァイオリン協奏曲」

2009年06月16日 07時02分32秒 | ライナーノート(EMI編)

以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズのひとつです。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6812】【TOCE-6813】共通ライナーノート

 メニューインのヴァイオリンについて語るとき、まず考えておかなければならないことがある。多少遠回りだが、先にそのことについて触れよう。
 ヴァイオリンの名技性の魅力には捨て難いものがある。それは例えばミルシテインやハイフェッツの「小品集」などに見事に結実している、あの驚異的な巧みさにみられるようなものだ。またグリュミオーやフランチェスカッティの美しい音色の魅力も忘れることのできないものだ。
 よく知られているように、1916年ニューヨーク生まれのメニューインは、幼い頃から神童として騒がれたヴァイオリニストだ。だが、幼児期より芸術的感受性に非凡のものを持っていた彼は、他の天才型の演奏家と異なり、幼児期の技術的基礎訓練の不足をそのままに成人してしまった、という側面がある。それはもちろん、少年メニューインの技術が水準以上のもので、それをさらに豊かにする優れた音楽性を併せ持っていたからこそ可能なことだったが、このことは、その後のメニューインの音楽に少なからず影響している。
 ヴァイオリンの名技性や美音よりも、精神世界への関心が強まっていった彼は、第2次大戦を挟んで、30代ですでに人間的苦悩を刻んだ老成した風貌をそなえるに至っていたと言われるが、その30代の半ば、1951年にはインドに渡りヨーガの手ほどきを受けている。これについて、メニューインと親交があり、メニューインの著書の翻訳もある英文学者の和田旦氏は次のように書いている。
 「彼は導師イエンガーから独特の姿勢の取り方をいくつか教えられ、その結果、ヨーガ――無限なるものとの《結合》――を文字どおり体得したのである。それと同時に改めてヴァイオリン演奏の原点にまでさかのぼり、それまで本能的に身につけていた芸術性と技巧を意識的に分析し、検討しはじめたのだった。おそらくそのときに彼は、それまで区別していた肉体と精神の融合した状態を、至高の体験として実感したことであろう。」(『音と言葉のはざまで』芸立出版 刊)
 幼いころから神童と言われ10代で一流の評価を受けてしまった演奏家は、マイケル・レビンの例にも見られるように、ある時スランプに陥り、袋小路に入り込んでしまうことが多いが、メニューインの場合、技巧や美音よりも精神性に関心を向けることで、それを克服していった感がある。
 ヒューマニストでもあるメニューインは、古くはバルトークへの経済的援助、フルトヴェングラーの復権運動、比較的最近ではブレジネフ政権下のソ連で不遇だったロストロポーヴィチへの援助や、東西交流のコンサートなど、様々な活動が知られているが、これなども、彼の精神世界への関心と切り離して考えることはできないだろう。宇宙との合一をおそらくは体得しているだろうメニューインにとっては、政治の世界のことなどは眼中にないにちがいない。

                   *

 この一連のモーツァルトの協奏曲の演奏は、1960年代、彼のインド行から10年を経たころのもので、当時自らが主宰していたバース音楽祭の管弦楽団と、指揮も兼ねて演奏したものだ。今回のCD化にあたって、「第1・3・5番」および「第2・4番・K.364の協奏交響曲」の2枚が発売されたが、これが全てではなく、LP期には「第1・2番」「第3・5番」「第4・7番(K.271a)」「K.364とハイドンの第1協奏曲」あるいは「アデライデ協奏曲と第7(K.271a)」といったカップリングで発売されていた。
 メニューインはその少年時代にもモーツァルトの協奏曲を師のエネスコの指揮で録音しており、また1954年にはプリッチャード~フィルハーモニア管と「第4・5番」を録音しているが、弾き振りはこれがはじめてだったと思う。
 演奏は先にも触れたように、決して技巧や美音の魅力に溢れたものではないが、少年時代の演奏から54年盤、このバース音楽祭盤と聴き継いでいくと、メニューインの音楽が次第に穏やかなものに変化していくのがよくわかる。この〈平和な〉音楽はメニューインならではのもので、弾き振りのよさが生かされた、対話に溢れた演奏となっている。
 協奏交響曲でのヴィオラのバルシャイも、その輪のなかに融け込んで、いつになくなごやかな演奏になっている。こうした優しさに満ちた幸福な音楽が聴かれることも少なくなってしまったと、改めて思う演奏だ。
 なお、54年盤の「第4番」でメニューインは自作のカデンツァを使用しているが、このバース音楽祭管との録音では「1・2・4・5番」が自作のカデンツァだ。「第5番」を54年盤のフランコのカデンツァと比べてみると、その地味な響きにも、メニューインの変貌の歴史が感じられて興味深い。

【ブログへの再掲載にあたっての付記】
 これに対するブログ読者からの「コメント」および、そのご指摘を受けての私が追記として掲載した「コメント」を合わせてお読みください。

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モーツァルト『ピアノ協奏曲第26番《戴冠式》』の名盤

2009年06月12日 10時48分14秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第8回」です。


◎ピアノ協奏曲第26番《戴冠式》

 この曲では、余分なことを考えず、淡々と演奏するのが一番だ。もともと、そういう作品なのだ。
 〈無表情で淡々とした演奏〉と言えば、ヘブラーだが、この何も仕掛けをしないピアニストも、旧盤では若きコリン・デイヴィスの溌剌として自在、前向きな音楽の運びの渦に半ば巻き込まれながら、それでも控え目で楚々(そそ)とした歌を精一杯に歌っている。このひた押しに進む指揮者と、それに気おされそうな独奏者との〈奇妙なバランス〉こそ、この作品の魅力を最良に引出したものかも知れない。不思議な曲だ。
 現在ヘブラーの演奏として広く知られているのは、この後に録音されたロヴィッキ指揮によるもの。ここではヘブラーの意志に沿っているのか、冒頭からオーケストラもテンポを刻むことにだけ専心しているようで、お互いにインスピレーションのない演奏に終始している。〈何もしない〉のがふさわしい曲といっても〈何もない〉のは、やはり困るのだ。
 内田光子は、この自然に滔滔と流れる音楽を、理想的と言ってよい、珠のように流麗な響きのピアノで聴かせる。彼女の指先から、あたかも蚕が糸を紡ぎ出すように音楽が涌き出てくる美しさだ。内田のモーツァルトの協奏曲録音でも出色の演奏だ。
 モノラル時代の名演奏に、グルダがアンソニー・コリンズ指揮のロンドン新交響楽団とで録音した名演がある。これも、きらきらした、涌き出る泉のような演奏だ。
 ヴァーシャリ盤も、声高なところのないピアノで味わい深く聴かせる。彼自身が指揮するオーケストラも、ヴァーシャリの表現スタイルと一体となって軽快で流れのよい音楽を支えている。カサドジュ盤も、気品のある小味の利いたピアノの、絹のようなタッチの無垢な美しさを持ったピアノと、絶妙の距離感を保ったセルの、澄んだ響きのみずみずしいオケとの共演が好ましい。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 《戴冠式》は、人によっては「駄作」と言われることもある作品で、少々、特殊な位置づけかもしれません。「何か」を表現しようという手並みが感じられると、するりと逃げてしまう、そんな曲なのかもしれません。ですから、冒頭の私の「ヘブラー観」は、今でも、たぶん同じ結果になるでしょう。決してヘブラーを軽んじているわけではありません。へブラーのデイヴィスとの旧録音は、不思議な組み合わせで生まれた演奏なのだと思います。何度もCDが出て広く出回っている、この後のへブラーの録音とは違います。
 ただ、これは当時の私の本音ではあるのですが、へブラーがやたらと、もてはやされていたころに書いたので、少々ムキになっているように思う表現もしています。もっと素直に書かなければいけません。
 いずれにしても、グルダ盤、カサドジュ盤がやっぱり、私は好きです。小賢しい演奏は、絶対に似合いません。


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モーツァルト・コレクション/アニー・フィッシャーによる「ピアノ協奏曲」

2009年06月10日 11時47分18秒 | ライナーノート(EMI編)




 以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズのひとつです。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。

 アニー・フィッシャーのピアノによる協奏曲は3枚発売されました。それぞれの前半は共通原稿でしたので、今回のブログへの掲載に際して、前半の総論に続けて、演奏論部分を3枚分続けて再構成しました。

【TOCE-6809~11】ライナーノート

 1950年代の末期から1960年代に珠玉のレコードを数枚出しているアニー・フィッシャーは、レコードの数が少なく、国内盤が長く廃盤になっていることもあって、最近はあまり話題にならないピアニストだが、そのくっきりとした音楽づくりが、ピアノという楽器の魅力を充分に味わわせてくれる演奏家だ。
 この「モーツァルト・ポピュラーコレクション」ではその内、モーツァルトのピアノ協奏曲のディスクが3枚、初めてCD化されて発売された。いずれもオリジナルのLPレコードのカップリングどおりだ。
 一番古いもので1958年録音の21、22番、次が59年録音の20、23番、一番後のものでも66年録音の24、27番と録音年代は古いが、いずれもステレオ録音で、かなり自然なよい音でとれている。(EMIは1955年2月に、すでにニコライ・マルコ指揮フィルハーモニア管によるプロコフィエフの第7交響曲でステレオ録音を実験的に開始している)。
 A.フィッシャーはハンガリー出身の女性ピアニストで1914年生まれと言われるから、これは彼女が40歳代半ばから50歳代にかけての録音ということになる。このモーツァルトのほかにEMIには、クレンペラーとのシューマン、リストの協奏曲や、ベートーヴェンのソナタなどの録音がある。

         ◇

 「20番」は弦を厚く響かせすぎずに、インテンポで木管の音の輪郭をくっきりとさせるボールトの伴奏に、きめの細かいピアノの音が軽やかに転がっていく名演だ。決して深刻になりすぎず、モーツァルトの世界を静かに聴きわけようとしているかのようだ。
 モーツァルトの、この短調の協奏曲を深刻に描いた演奏として、例えばルフェビール、フルトヴェングラーの類まれな音楽世界を思い出してみよう。そこでは大戦の翳と疲れを癒そうとするかのような大きなエネルギーが、私たちに迫ってきていた。ところが、フィッシャーには、静かさを手のひらにそっと抱いてしまうような、音楽の美しさを慈しむような姿勢がある。力強く切り立ったタッチが生み出す軽さといえるが、第1楽章の振幅の大きい感情のうねりをこのように、軽さを盛り込んだ隈どりのくっきりした音楽として表現した秀演は、やはりこの時代のものだ。
 第2楽章も純度の高い響きが確保されている。テンポ自体は遅めだが、決して引きずらない。右手と左手の動きがきちんと揃えられている。
 第3楽章は速いテンポでころころと転がるピアノと澄んだ響きのオケの共演が魅力で、中間部のテンポが落ちるところもチャーミング。思い入れを押さえ、ピアノの響きを堪能させて終わる。
 一方「23番」はボールトの指揮ぶりがいくらか趣がことなり、第1楽章などはアクセントが強く、アクションもいくらか大きい。そして、相対的にフィッシャーのピアノのタッチはいくらか曇りぎみだ。もちろん、20番の演奏とそれほど大きな違いがあるわけではないが、比較すると20番ほどソロとオケがぴったりと息を揃えて興にのっているといった感じではない。どこか双方で牽制し合っている感じだ。それでも、伸びやかなオーケストラの弦に支えられて、ピアノの硬質な響きがそれなりに楽しめる。
 第2楽章は、かなり内省的な演奏で、止ってしまいそうなくらい遅いテンポだが、一音一音をくっきりと区切り、呼吸を浅く保っているので重くなりすぎないところに、フィッシャーの個性が出ている。ここでのオーケストラの音はきわめて控え目だ。
 名残惜しそうに終わる第2楽章を受けて、終楽章もいくらか遅めだが、量感のたっぷりした仕上りで、かなり生まじめなアプローチだ。ボールトの伴奏も力強く、モーツァルト特有の愉悦感が多少犠牲になっても、2、3楽章のバランスを考えれば、納得のいく演奏となっている。ベートーヴェンを得意にしていたフィッシャーらしい演奏とも言えるだろう。
 私の個人的な好みかもしれないが、「20番」のほうがコンディションも良いし、フィッシャーの個性がより音楽の持ち味に合っているように思う。しかしどちらも、モーツァルトにこういう演奏が可能だと示すに充分な説得力を持っている。戦後のモーツァルト演奏史に独自の位置を占める名演のひとつと言えるだろう。
         ◇

 このCDは、今回発売されたフィッシャーのモーツァルト協奏曲ではいちばん録音が古いが、伴奏の指揮者は一番若く、まだ青年時代のサヴァリッシュだ。
 「21番」は淡々とした運びの第1楽章がまず、随所に強弱のアクセントをはっきりさせた部分を織込んで、スケール感のある演奏だ。サヴァリッシュが素直に付けている伴奏が、いくらか遠慮がちに聴こえてくるほど、堂々としたピアノだ。
 第2楽章は遅めのテンポだが、明瞭な音づくりで一貫している。サヴァリッシュの棒がフィッシャーの呼吸の浅さを受継いでいるので、ことさら明瞭さが強調される結果となっている。この楽章に暝想的なものを求める聴き手には物足りないかもしれない。
 終楽章も、あっさりとまとめており、全体に印象の弱い演奏といえるだろうが、贅肉をそぎおとした、きりりとしたモーツァルトだ。もう少し伴奏に主張があれば、またちがう展開があったように思う。
 「22番」のほうがフィッシャーとしては表情も豊かで、第1楽章のソロの入りも、雰囲気が濃い。テンポもしばしば沈み込んで、曲想の変化に微妙に対応している。所々、はっとするほどひっそりとする瞬間が現れるが、どちらかというと律義な伴奏が、そうしたインスピレーションを生かし切れていないのが残念だ。
 同じことは第2楽章にも言える。粒立ちの良いピアノの音が遅めのテンポで描く世界を支えるには、オケの表情がいくらか貧しいといえるだろう。
 終楽章に至ってもそうした物足りなさが残るが、小ぢんまりとした世界をつくろうとする意図がはっきりしていて、きめの細かいピアノの表現力には、説得力がある。


         ◇

 今回CD化された3枚のフィッシャーのモーツァルト協奏曲でいちばん録音が新しいものがこれで、伴奏の指揮者はエフレム・クルツ。オーケストラ名も実体は同じだが、経営の都合から、フィルハーモニア管弦楽団から、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団に変わっている。
 モーツァルトの短調の協奏曲は一般に難しく、グールドのようにハ短調の「24番」だけしか録音しなかったという特殊な例はあるが、避けて通る演奏家が多い中で、フィッシャーは「20番」のニ短調に続いての短調の曲の録音だ。
 以前の2枚の録音から、かなり録音時期が離れているので、フィッシャーのピアノにもかなりの変化が現れている。気負いや個性的な思い入れが影をひそめ、音楽のつくりが、なだらかになっている。テンポもこれまでより速めで、一音一音ずつ確かめるような進行より、全体の自然な流れ、勢いに任せる進め方だ。
 第1楽章で、クルツの伴奏が堂々とした風格で迫りグイグイと押していくので、それに引かれるように、フィッシャーのピアノも、かなりドラマチックで、柄の大きな音楽になっている。。もちろん、フォームがくずれるようなことはなく、構築的な締まりの良さは確保されている。
 第2楽章はあっさりとした表現で、控え目なオケの音とのバランスもよい。
 第3楽章は、テンポの変化が頻繁で、第1楽章のようなドラマチックな表現と、第2楽章の表情を押さえた表現とが交錯する。オケのフォルテが少し重々しすぎるのが残念だ。
 一方「27番」は、クルツのリズム・センスの良さが生かされて、のびやかな佳演だ。
 ここでもフィッシャーのピアノは思索的な戸惑いを見せるが、クルツのリズムの流れにうまく乗ってしまったフィッシャーが、感興に溢れたピアノを繰り広げる。
 第2楽章の中間部のいつになく率直なピアノの響きの心地よさは、クルツによって引き出されたものと言ってもいいだろう。澄んだ美しい世界が生まれている。
 そしてモーツァルトのピアノ協奏曲の中でもひときわ幸福な終楽章へと繋がっていく。ピアノとオーケストラとの対話の和やかな、魅力ある演奏だ。

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モーツァルト「ホルン協奏曲」、新情報で書かれた曲目解説

2009年06月08日 18時16分46秒 | ライナーノート(日本クラウン編)



 以下は、先日、アラン・シヴィルによるモーツァルト「ホルン協奏曲」のCDのライナーノートを掲載したので思い出したものです。日本クラウンから、「英ASV」が発売されていた頃、日本版のライナーノート用に執筆したものです。
 シヴィル盤は、東芝EMIが「演奏論」だけを依頼してきたものだったので、実際にCDが発売されたとき、併載されていた別の方が執筆した既存原稿の曲目解説が古い情報のままだったのに驚きました。
 当時、モーツァルトの情報は、随分新しいものに塗り変わっていました。それは、今でも変わりませんが、レコード会社では、案外、旧説で書かれた曲目解説をそのまま使ったり、新しく書かれた解説も、昔からある「名曲解説」の焼き直しだったりが、往々にして数多く見受けられるのです。
 今でも信頼している友人ですが、日本クラウンのディレクター氏は真面目な人ですから、恐縮して、最新の情報で曲目解説を新たに書いて欲しいと言われました。でも、それが当たり前なのです。
 そうして出来上がったのが、1991年8月に書かれた以下の「曲目解説」です。当時、まだ、日本語文献は限られていましたが、なんとか最新情報で書き上げました。その後、更に新しい発見があったか、詳細はわかりませんが、それよりなにより、最近、未だに、大昔の情報で曲目解説が掲載されているのをみかけて、愕然としました。「クラシック音楽」は「古典」だから、何十年も昔の本に書いてあることから、少しも変わっていないと思い込んでいる人がいるのでしょう。

 というわけで、以下は、1991年時点での「最新情報」で書き下ろされたモーツァルト「ホルン協奏曲」の解説です。まだ、使用に耐えると思いますので、曲目解説に関しては、引用使用はご自由にどうぞ。
 なお演奏は、原稿後半の演奏論にもあるように、アレクサンダー・シュナイダー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団、ホルン独奏はジョナサン・ウイリアムズです。

■ライナー・ノート

《作品について》
 モーツァルトによってホルンのために作曲された作品は、わずか6曲にすぎない。それを列記すると、次のようになる。
 「ホルンのためのコンサート・ロンド 変ホ長調K.371」
 「ホルンと弦楽のための五重奏曲 変ホ長調K.407」
 「ホルン協奏曲第一番 ニ長調K.412」
 「ホルン協奏曲第二番 変ホ長調K.417」
 「ホルン協奏曲第三番 変ホ長調K.447」
 「ホルン協奏曲第四番 変ホ長調K.495」
 このほか、「協奏曲」の断片の存在が知られており、K.494aのケッヘル番号が与えられている。
 これらはモーツァルトがザルツブルク大司教と決裂して旅に出て、今日風な言い方をすれば、フリーランスの音楽家となってウィーンに定住した1781年以降の、いわゆる〈ウィーン時代〉に作曲されており、すべて、モーツァルトの年長の友人でホルン奏者だったヨーゼフ・イグナーツ・ロイトゲプのために書かれている。
 ロイトゲプは1732年にウィーンに生まれた人物で(一説では1745年ザルツブルク生)、1763年頃からザルツブルク宮廷管弦楽団のホルン奏者となったといわれている。もちろんモーツァルト父子との交流はこのころからだが、モーツァルトがザルツブルクを後にして旅に出た1777年に、ロイトゲプもザルツブルクの職を辞して、いちはやくウィーンに移り住んだと言われている。妻の実家であるチーズ屋の商売を継いだが、演奏活動は続けていたようだ。あるいは、続けたいという意志があったのか、ウィーン移住直後に、父親を通してモーツァルトに「協奏曲」の作曲を依頼している。結局それは四年後、モーツァルトがウィーンに定住してロイトゲプとの交友が復活してから実現することとなったわけだ。
 このロイトゲプについては、「いたましいくらいに教養に欠けた音楽家」と表現する研究者の記述もあり、モーツァルト自身も親しみを込めて「愚かなロイトゲプに哀れみを垂れて」と「ホルン協奏曲第二番」の譜面に書き込んだりしているが、ホルンの腕前の方はなかなかの物だったようだ。当時の著名な作曲家ディッタースドルフは「類まれなヴィルトゥオーゾ」と称賛している。下品な冗談を連発するかなり風変わりな楽しい人物で、ウィーンで次第に経済的に困窮していくモーツァルトを、資金援助はとても出来なかったが、精神的孤独から救っていた好人物であったようだ。モーツァルトは、かなり頻繁にロイトゲプの家を訪ねていっており、その死の直前まで一緒に食事をするなど家族同様の親交を続けていたことが、モーツァルトの残した手紙からも確認されている。今となっては、このかなり歳の掛け離れた二人の友情がどれほど親密なものであったか、詳しく知ることはできないが、モーツァルトの死後、演奏活動を休止し、1811年にその長い生涯を終えるまでチーズ業に専念したという事実は、この音楽家のモーツァルトへの友情の深さを象徴しているようにも思える。
 以下に、このCDに収録された四つの協奏曲についての簡単な解説を記した。(収録順)

◇「ホルン協奏曲第一番 ニ長調K.412」
 他の3曲は3楽章構成の作品として完成しているが、この「第一番」だけが未完だ。このため、中間の緩徐楽章のない2楽章という変則的な形で古くから演奏され、今日に至っている。作曲年も長い間不明とされ、これまで、いささか乱暴な推定によって第一楽章が1782年に、第二楽章が1787年にそれぞれ書かれたとされていたが、近年、イギリスの学者アラン・タイソンによる科学的な推定法(自筆譜の使用紙を全てベータ線照射により分類整理し、年代の確定しているものと比較していく方法)によって、その作曲年がほぼ確定した。それによると、第一楽章は最も早くても1786年以降に着手され、完成したのはモーツァルトの死の年である1791年だという。それも最晩年の「魔笛」や未完となった「レクイエム」と平行して書かれていた可能性があるというのだ。そして、第二楽章は草稿のまま未完で終わってしまった。
 第二楽章の草稿とは別に、一部を改作した明らかに同じ作品の「第二楽章」の完成稿が他人の筆跡であることは、二十年ほど前から知られていたが、これが「レクイエム」の補筆完成も行ったモーツァルトの生徒ジュスマイアーによるものであったことも判明した。補筆が終了したのはモーツァルトの死の翌年1792年で、この時、決して才能が豊かとは言えないジュスマイアーによって、第一楽章では使用されているファゴットの登場しない第二楽章が出来上がってしまった。その他にもモーツァルトの作品としては問題となる箇所があるが、この二つの楽章を一つながりの曲として通して演奏するのが通例となっている。 いずれにしても、おそらくは死を予感していただろう最晩年のモーツァルトが、シュタートラーに「クラリネット協奏曲」を、シカネーダーに「魔笛」をと、次々に、中断していた身近の悪友たちからの依頼作を完成していったなかで、ロイトゲプにももう一作残そうとして果せなかった未完の作であることは間違いないことのようだ。オーケストラ編成はオーボエ2、ファゴット2(第一楽章のみ)、弦楽5部。
 第一楽章 アレグロ
 第二楽章 ロンド、アレグロ

◇「ホルン協奏曲第四番 変ホ長調K.495」
 この曲は1786年6月26日に完成している。「ピアノ協奏曲」の分野では「第23番」が完成した年だ。楽曲規模の点では「ピアノ協奏曲」ほどではなく、ずっと簡素な作品だが、この三年前に書かれた「K.417」よりもオーケストラと独奏ホルンとの関係が緊密になっており、このころのモーツァルトのスタイルを示す作品となっている。終楽章は、他の「ホルン協奏曲」と同様、当時人気のあった〈狩の角笛〉の音型が用いられ、活発な雰囲気を形作っている。オーケストラ編成はオーボエ2、ホルン2、弦楽5部。
 第1楽章 アレグロ・モデラート
 第2楽章 ロマンツェ、アンダンテ
 第3楽章 ロンド、アレグロ・ヴィヴァーチェ

◇「ホルン協奏曲第二番 変ホ長調K.417」
 この曲は1783年5月27日に完成した。今日の研究成果では、4曲の協奏曲のうち、最も早くに書かれたものとされている。完成した3曲のなかでは一番規模が小さい曲だ。オーケストラ編成はオーボエ2、ホルン2、弦楽5部。
 第1楽章 アレグロ・マエストーソ
 第2楽章 アンダンテ
 第3楽章 ロンド・アレグロ

◇「ホルン協奏曲第三番 変ホ長調K.447」
 この曲の作曲年も、前述のアラン・タイソンの研究によって、これまで1783年頃と推定されていたものが、1787年から1789年の間であろうと推定され直している。完成した3曲中、最も充実した書法で展開されており、豊かな楽想にあふれた佳曲だ。オーケストラ編成はクラリネット2、ファゴット2、弦楽5部。
 第1楽章 アレグロ
 第2楽章 ロマンツェ、ラルゲット
 第3楽章 アレグロ

 最近の研究成果に従ってこれら4曲を改めて作曲順に並べ直すと以下のようになる。
 「ホルン協奏曲第二番 変ホ長調K.417」
 「ホルン協奏曲第四番 変ホ長調K.495」
 「ホルン協奏曲第三番 変ホ長調K.447」
 「ホルン協奏曲第一番 ニ長調K.412」

《演奏について》
 モーツァルトのホルンのための作品は、そのいずれもが、依頼者のロイトゲプの人柄を反映しているのか、明朗な快活さにあふれている。それがイギリス系の奏者のくっきりとして、のびやかな音楽とよく合うのだろうか、この曲のレコーディング演奏にはイギリス系のホルン奏者による名演が数多くある。
 自動車事故で36歳で急死したデニス・ブレインをはじめとして、アラン・シヴィル、バリー・タックウェルなど、いずれもフィルハーモニア管、ロイヤル・フィル、ロンドン響など、イギリスを代表するオーケストラの主席ホルン奏者を務めた名手によるものだが、ここにまた一枚イギリス系の名演が加わった。
 だが、このCDの演奏の特徴は、アレクサンダー・シュナイダーの指揮するオーケストラによるところが大きい。音色的には前述の三人ほど個性的な魅力をもったものではないウィリアムズのソロを支えて、シュナイダーは、その包容力のある豊かな音楽性で、流麗な心地よさを実現している。時折モーツァルトが冗談のように放り込んだぎくしゃくしたパッセージの扱いも、その存在を強調しながらもよく全体に融け込んでいる。その珠のように転がる自在な流れは、拍節感の明瞭な軽やかさによって確保されたもので、特に「第3番」のようによく書き込まれた曲ほど、その見通しのよいオーケストラ・ドライブのなかにソロパートを取込んで、アンサンブルの奥行をいっそう深いものに仕上げている。その高く大空に飛翔していくような澄んだ響きの美しさは、正にモーツァルトの音楽の持つ純心な美しさの音化と言えるだろう。

 アレクサンダー・シュナイダーは1908年にハンガリーのヴィルナに生まれた。ナチスの台頭を避けて1933年にアメリカに渡り、ブダペスト弦楽四重奏団の第二ヴァイオリニストとして同四重奏団の解散('69年)まで活動したが、カザルスの主宰するマールボロ音楽祭などで指導的役割を果し、指揮活動も行うようになった。このCDのヨーロッパ室内管との関係も深い。
 ソロを吹いているジョナサン・ウィリアムズは、ブレインが事故死した1957年にイギリスのハートフォードシャーに生まれて、マンチェスターの王立音楽院で学んだ人で、ソリストとしての活動のほか、1982年からは、このヨーロッパ室内管弦楽団の主席ホルン奏者としても活躍している。
 ヨーロッパ室内管弦楽団は1981年に若い音楽家たちによって結成された団体で、芸術顧問のクラウディオ・アバドほかの指導でトップレベルの室内管弦楽団に成長した。



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モーツァルト・コレクション/アラン・シヴィルの演奏する「ホルン協奏曲」

2009年06月06日 08時12分20秒 | ライナーノート(EMI編)






 以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を、交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズの1枚です。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6807】ライナー・ノート


 このCDには天才といわれたデニス・ブレインが夭折したあと、イギリス楽壇を代表するホルン奏者であるアラン・シヴィルがソロを吹いたモーツァルトのホルン協奏曲が収められている。
 シヴィルはフィルハーモニア管、ロイヤル・フィル、BBC響など、イギリスを代表するオーケストラの主席ホルン奏者を歴任した名手で、この曲の録音も、このクレンペラーとのほかに、ケンペ~ロイヤル・フィルとの録音がある。
 かつて日本で発売されたブレイン盤の解説に、シヴィルによる曲目解説が掲載されたことがある。その一部を引用しよう。

「この4つのホルン協奏曲にあらわれているモーツァルトの気分は、ときたまちょっとした気むづかしさを交えてはいるが、きわめて明朗なもので、そこには技法的にも何ら特別の配慮は払われていない。しかし全体としてこれらの曲は旋律的魅力をその生命としており、それがまた愛らしいホルンの性格からしても適わしいことである。」(樹下栄一郎氏訳)

 ここでシヴィル自身が述べているように、曲の明朗さを充分に生かす、明かるい音色がシヴィルの特徴で、ウイーン系の奏者とはかなり傾向がちがう。翳りのない明快な音と言ってもいいだろう。
 ブレインの演奏もその響きの明瞭さが特徴的だったが、ブレインにはその天性の気品とでもいうものがあって、独特の貴公子のような音楽に特徴があった。
 シヴィルのホルンはもっと弾んだ茶目っ気があって、しばしば現れる冗談のようなパッセージの描き方が楽しげだ。クレンペラーの指揮がモーツァルトの様式をしっかりと踏まえた格調高いもので、その枠にすっぽりと収まって自由に遊ぶシヴィルの演奏も、確かな技術の裏付けがあるからこその自在さに溢れていて、完成度の高い演奏となっている。
 ついでながら、シヴィルのもうひとつの演奏であるケンペとの録音は、ケンペの柔和で優しい人間性が反映して、愉悦感の魅力では捨て難いものがある一方の名演だ。シヴィルの吹き方もずっとのびのびしていて楽しい。出来ることなら、この録音も座右に置いて、その日の気分の向くままにどちらかを聴きたいなどどいう、贅沢が言いたくなる。



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モーツァルト『ピアノ協奏曲第24番』の名盤

2009年06月04日 09時34分31秒 | 私の「名曲名盤選」







 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第7回」です。


◎モーツァルト ピアノ協奏曲第24番

 「二〇番」と並んでモーツァルトでは数少ない短調のピアノ協奏曲だ。「二〇番」に比べると、深刻な表情よりも軽やかな抒情性を大切にした演奏の方が、一般的にはしっくりと聴こえる佳曲だ。
 だが、セルの伴奏指揮によるカサドジュ盤は、深々とした呼吸のピアノが、ひっそりと鎮まった中での嘆息にも似た息詰まる緊張をはらんで、思わず、はっとする。セルもピアノの音にじっと耳を澄ますような細心の注意深さでよく随いている。おそらくこれは個性的な演奏の部類に入るものだと思うが、この曲を心から愛するひとならば、この尋常ではない緊張に耐えて行かれるし、聴き終えた後の幸福な虚脱感に満足するだろう。生半可では越えられない境地に達した別格の演奏だ。
 フィルクスニーが現代音楽の旗手としてよく知られるエルネスト・ブールと組んでの新盤は、明快で芯の通った表現意欲にあふれた演奏で、しばしばグイッとせり出した表情付けを聴かせるが、あくまでも小柄で粒だちのよいピアノの音で貫かれた小味の効いた演奏。研ぎ澄まされた渇いた抒情が魅力だ。
 反対にしっとりと柔和な抒情で全体を大きく包んだ演奏に、デニス・マシューズがスワロフスキーの指揮で録音した盤がある。これはソロ・ピアノがオーケストラに溶け込んで、ゆらゆらと揺れる世界を形成している。芯の輪郭がぼんやりとしているのも、このスタイルでの完成度を高めている。
 ブレンデル盤は、軽妙で美しいピアノの音を前面に押し出して、この曲の演奏にともすれば現れがちの重々しいドラマ性を排した、洗練された感覚の標準的演奏。時折、マリナーの伴奏が濃密な表情を垣間見せるが、それも適度に抑制されてバランスのとれたものとなっている。
 カーゾン/ケルテス盤も、大らかでゆったりした音楽を聴かせる一方の名演だ。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 これも、私としては特に付け加えることはありません。私が繰り返し強調し、こだわっているのは、この曲の演奏に大切な「軽さ」です。もちろん、モーツァルト全般に言えることでもあるのですが、この曲は、ことさら、思い入れを深くしてしまいがちです。
 カサドジュのモーツァルトは、どれも、とてもいいです。米コロンビアのモノラル時代の協奏曲のLP初期盤をコツコツと集めていますし、いくつかはCD化されてもいま。伴奏指揮のセルが若い頃にピアノを弾いている室内楽録音がありますが、これもいいです。モーツァルトと自然に演奏できる人たちです。
 もうひとつ。この曲の基本もまた、小さな音に耳を澄ませる繊細さが重要な鍵だと思っています。だから、フィルクス二ーなのです。そしてカーゾンも。









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モーツァルト・コレクション/「フルート&ハープ」「クラリネット」両協奏曲をステレオ初期の名録音で聴く

2009年06月02日 13時54分48秒 | ライナーノート(EMI編)



 以下は、1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を、交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズの1枚です。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手、書き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。

【TOCE-6805】ライナー・ノート

 このCDにはエレーヌ・シェーファーのフルートとマリリン・コステロのハープを得てヴァイオリニストのメニューインがめずらしくフィルハーモニア管を指揮して録音した協奏曲と、その5年前の録音だが、フィルハーモニア管の主席クラリネット奏者のジャック・ブライマーをソリストに、ビーチャム~ロイヤル・フィルとで録音された協奏曲が、収められている。
 もちろんオリジナルのカップリングはまったく異なり、前者はテレマンの「フルート組曲」と、後者はモーツァルトの「ファゴット協奏曲」との組み合わせ。それぞれから、A面をピックアップして再編成した盤だ。
 演奏は特に「クラリネット協奏曲」が素晴らしい。
 冒頭からかなり遅いテンポだが、このテンポ以外には考えられないといった極めて自然で説得力のあるテンポだ。穏やかな音色のクラリネットのソロが加わると、その優雅なたゆたいに耳をうばわれる。ゆらゆらと揺れ動きながら、第2主題が現れるとテンポはさらにゆったりとしていく。第1楽章の11分50秒あたり、主題が帰ってくる直前の大きなリタルダンドとそのあとのゆっくりとした主題の立上がりの美しさは、正に絶品だ。
 第2楽章の深い呼吸は、思わずため息が洩れるようで、遠い彼方をみつめる憧れのまなざしを思わせる音楽の至福の瞬間だ。
 第3楽章も声高にならず、優美なビーチャムのオーケストラを背景に、安定したペースで織なす音楽に身を任せていると、かつて、音楽はこれほどまでに幸福だったのだという思いが湧いてくる。まだ、30数年前の演奏だが、もう二度と戻れない世界がここにある。私たちはこの30数年の演奏スタイルの急激な変化によって、手に入れたものも大きいが、このような演奏に触れた時には、失ったもののあまりの大きさに、思わず我を忘れてしまう。
 こうしたことは、「フルートとハープのための協奏曲」にも多かれ少なかれある。60年代半ばの録音だが、ここに集った人々は多分に50年代的気風を持っている。同じ頃に録音されたランパル/ラスキーヌの名盤と比べてみればそのことは、よく納得できる。フルートの近代奏法を磨きぬいたランパルの輝かしい音に、ラスキーヌのハープもパイヤールの室内管もぴたりと呼吸を合わせ、水際立った演奏を繰り広げている。
 一方、このシェーファー/メニューイン盤は各人が思い思いの音楽を奏でて、和やかに進められていく。お互いに相手を説得させよう屈服させようといった自己主張ではなく、それぞれが屈託のない主張をしている。
 第2楽章のゆっくりしたテンポに乗ってのフルートとハープの対話がオーケストラの大きく波打つ旋律を導き出すところなど、計算では表現し切れない、自然に醸し出された音楽の魅力がある。



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