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「唱歌・童謡100の真実」に掲載した滝廉太郎「花」の歌詞に訂正があります。

2010年10月28日 12時34分43秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
 ほんとうは、あってはならないことですが、どうしても「誤植」「誤記」から逃れられません。歌詞にかかわる訂正は、早い方がいいと思って、著者の責任で、急ぎ、ご報告します。(もちろん重版時には直します。)

 25ページの武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲の『花』です。歌詞の2番冒頭。

   見ず家あけぼの 露浴びて

となっています。そもそも、なぜ「家」という漢字がここにあるのかも理由が思い当たりませんが、これは、「見ずやあけぼの 露浴びて」の誤植と考えがちですが、それほど単純ではありません。「見よやあけぼの 露浴びて」の可能性が捨てきれないのです。

   見よやあけぼの 露浴びて
   われにもの言う 桜木を

となるわけです。これは、この後の2行

   見ずや夕暮れ 手をのべて
   われさしまねく 青柳を

と混同して、過去に「見ずやあけぼの」と誤記され、その誤記が受け継がれて、どちらも「見ずや」となったのではないかと思うからです。レコード、CDも「見ずやあけぼの」と歌っています。しかし、昭和初期の古い絵本などで、「見よやあけぼの 露浴びて」となっているものを見ました。明治期の初刊本はまだ見ていませんが、作詞の武島羽衣は長寿でしたし、教育現場で長く活躍していましたから、明治期の初刊本が誤植していれば、当然、のちの時代の刊行本で正すことがあり得ます。初刊本が必ずしも正しいとは限らないわけですから、初刊本を見ることは、それほど重要なことではありません。むしろ、後代の流布本の版元と武島との関わりを配慮しながら判断しなければなりません。そのため、さまざまな時代の本での詞を見てみようと思ったままなのです。
 この2番の歌詞、「見よや」だったと仮定して現代語に訳すと、以下のような感じでしょうか?

   ご覧よ、明け方の露を浴びて、私に何かを語りかけてくる桜の木を。
   そして、まだ見ていない夕暮れの、私を誘う柳の枝のそよぎを、ぜひ見たいものだ。

 両方とも「見ず」=「見ていない」では、情景描写の詩にならないと思います。
 もっとも、「見ずや」は「見ていないか? いや、見なければなるまい」という文語表現だから、どちらも「推奨風景」として表現されているという意見もあります。
 でも、それならば、「われにものいう」はおかしいと思います。「あなた、まだ見てないの? 見なくちゃダメですよ」ならわかりますが、そうではなく「私に語りかけてくる桜を、まだ見ていない」というのは、無理があると思います。今は朝なので、夕暮れは、まだこれから。だから、まだ見ていない。でも、ぜひとも見たいものだ。という流れではないでしょうか?
 これも、誤植・誤記の伝言ゲームになって、誤り伝えられた歌詞なのかも知れません。いずれ、時間を作って調べなくてはなりません。
 ちなみに、今、隅田川の畔に建つ「歌碑」も「見ずやあけぼの」です。ますます私の「見よや」説は形勢不利ですが、この歌碑は、93歳まで長生きした作者の死後、かなり経ってからのもの。長年の編集者としての私の経験から、「遺族」や「関係者」は、あてにならないことが多いので、決め手にはなりません。


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ヴォーン=ウイリアムズ『海の交響曲』の美しさを満喫するサージェントの名演

2010年10月26日 13時02分27秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の20枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6060
【曲目】ヴォーン=ウイリアムズ:交響曲第1番「海の交響曲」
【演奏】マルコム・サージェント指揮BBC交響楽団
    E.ブリッグトン(ソプラノ)、J.キャメロン(バリトン)
    ニュージーランド・キリスト教会合唱団、BBC合唱協会合唱団
【録音日】1965年9月22日


◎「海の交響曲」
 周囲を海に囲まれた島国、イギリスはヨーロッパ大陸の諸国とはかなり異なった接し方で、大海原と付き合ってきた。海洋王国が生んだ今世紀初頭の大作曲家ヴォーン=ウィリアムズの最初の交響曲が「海の交響曲」と名付けられたのは、その意味で象徴的だが、この声楽を伴った大曲を指揮しているのが、イギリスで国民的人気を誇ったマルコム・サージェントなのだから、この1965年にロンドンで行なわれたコンサートは、ロンドンっ子たちを相当に沸かせたことだろう。
 サージェントは、1895年に生まれ1967年に世を去ったイギリスの指揮者。1921年に、ロンドンの夏の風物詩として有名な〈プロムナード・コンサート〉(プロムス)で指揮者デビューをした経歴を持ち、第2次大戦後も〈プロムス〉の指揮で毎年のようにロンドンっ子を沸かせた。合唱指揮者としても今世紀最高と謳われ、ヘンデルの「メサイア」、エルガーの「ゲロンテウスの夢」が特に得意曲だったと言われている。このCDで共演しているBBC交響楽団とは、1950年から57年まで首席指揮者を務めた関係にあり、その後もこのオーケストラとは良好な関係を保っていた。この録音は、そうした時期のものだ。1967年に世を去ったサージェントの、死の2年前の録音に当たる。
 サージェントの合唱指揮は、前述のように定評のあるものだが、この「海の交響曲」でも、大規模な合唱団全体をよくまとめ、雄大、壮麗な海の光景を描き出している。響きが柔和で穏やかに広がるのは、録音のせいばかりではないだろう。呼吸がゆったりとして深く、温かい。サージェントの技術と趣味の上質な部分を十分に満喫できる演奏だ。この曲の均衡のとれた、ある意味ではシンメトリックな傾向とでも言えるような気品を踏み外すことなく、壮大な海のドラマを歌いあげている。合唱に関する限り、この作品の録音でも1、2を争う名演だ。これみよがしなところのない、美しい歌唱にしばし酔いしれて、遥か遠くの海に思いを馳せるには恰好のCDと言えるだろう。
 ソプラノのブリッグトンはオーストラリア出身で、サージェントの指揮するプロムスにも登場しており、またゲオルク・ショルティ指揮でロイヤル・オペラにも出演している。バリトンのキャメロンもオーストラリアの出身だが、1949年のコヴェントガーデンでの「トロヴァトーレ」によるデビュー以来、ロンドンでの活躍が中心となっている。1953年にはボールト指揮ロンドン・フィルによる「海の交響曲」でも歌っており、作曲者自身にも認められていたと伝えられている。(1996.2.3 執筆)


【ブログへの再掲載に際しての付記】
 ここまでで、第2期の20点が終わりました。次回から第3期のリリース分となりますが、その前に、第1期~第2期までの50枚のリリースが終わって、当シリーズを通して感じたイギリスの演奏全般についての私なりの考察が、当時の第3期用に配布されたパンフレットに掲載されていますので、それを明日以降の最初のブログアップ時に掲載します。このところ、年末に発行予定の著書の執筆の仕上げに追われていますので、しばらく、簡単にUPできるBBCのシリーズ以外のものはブログにUPできません。申し訳ありません。



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作曲者立ち会いの演奏会総練習を、副指揮者として経験したホーレンシュタインによるニールセン「第5」

2010年10月22日 11時07分15秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の19枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6059
【曲目】ニールセン:交響曲第2番「四つの気質」作品16
         :「シンフォニック・ラプソディ」へ調
         :交響曲第5番 作品50
【演奏】ブライデン・トムソン指揮BBCウェールズ交響楽団
    ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
【録音日】1981年2月16日、1971年2月26日


◎ニールセン「交響曲第2番/第5番」
 デンマークの代表的作曲家、カール・ニールセンの作品を収めたCDだが、「第2番」が1981年、「第5番」が71年と、2種の録音には10年の隔たりがある。だが、そうした歳月をあまり感じさせないのは、1971年に「第5番」を指揮するホーレンシュタインの演奏に、その後の音楽状況にも通じる新しさが、この録音された時期に既にあったからだろう。今更ながら、1974年に世を去ったホーレンシュタインの前衛性に感心する1枚であり、この残された録音の少ない指揮者の演奏の記録が、またひとつ、こうした形で生まれたことを喜びたい。
 ただ、残念ながらこの「第5番」は、ホーレンシュタインの録音の残されたレパートリーを広げるものではない。ホーレンシュタインには、このBBC放送のための録音に先立って、同じニールセンの「交響曲第5番」の録音が、1969年3月に英ユニコーン・レコードのために行なわれ、発売されているからだ。オーケストラも同じニュー・フィルハーモニア管弦楽団だ。
 2年間の隔たりを経ても、それほど基本的な解釈に変更が加えられた形跡はさほどないが、旧録音の方が音楽の前進性が重視され、ひた押しに進行する勢いにまかせた部分が多く、それに比べると、このCDの演奏は、細部の緻密な動きへの関心が高まり、辛抱強くイン・テンポを守り切るため、より底知れぬ巨大な沈黙を背後に抱えたスケールの大きさが表現されている。また、オーケストラの側も、旧録音より当CDの方が、この音楽の、各パートの出入りの激しい独特の運びが、よく掴めており、確信あふれる指揮者の棒にぴったりと随いている。
 この作品の解釈については、ホーレンシュタインには並々ならぬ自信を持つだけの理由がある。彼は、この交響曲がミュンヘンの現代音楽祭で演奏された時、本番直前までの練習演奏の指揮を副指揮者として、作曲者ニールセン自身の立ち合いの元に行なっているのだ。1927年のことだ。ちなみに本番の指揮は、かのウィルヘルム・フルトヴェングラーだった。
 CDの収録順と前後してしまったが、「交響曲第2番」と「シンフォニック・ラプソディ」を指揮しているブライデン・トムソンは、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル交響楽団とのコンビで、英シャンドスに「ニールセン・交響曲全集」を録音している。トムソンも、既に1991年に世を去っているが、ホーレンシュタインよりもあとの世代のなかで、ニールセンの交響曲に取り組んだ指揮者の残した仕事として、これもまた重要なものだ。このCDは、ホーレンシュタインと、トムソンという新旧ふたりの指揮者がニールセンの交響曲に取り組んだ演奏が収められているというわけだ。(1996.2.2 執筆)



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イギリス音楽界の「合唱」の実力を聴く一枚。フォーレ『パヴァーヌ』も、コーラス付きの原曲で真価を知る。

2010年10月19日 09時49分58秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の18枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6058
【曲目】マルタン:「二重合唱のためのミサ曲」
    デュパルク:モテット
    ブリテン:「みどり児は、お生まれになった」
    フォーレ:「管弦楽と合唱のためのパヴァーヌ」作品50
【演奏】ジョン・プール指揮BBCシンガーズ
    マーガレット・フィリップ(オルガン)
    ウエストミンスター大聖堂聖歌隊
    サイモン・ジョリー指揮BBCコンサート管弦楽団、
BBCシンガーズ ほか
【録音日】1980年9月8日、1983年1月12日、1983年4月19日


◎ブリテン「みどり児は、お生まれになった」ほか
 オーケストラ曲として広く知られるフォーレの「パヴァーヌ」のめずらしい合唱付き版がサイモン・ジョリー指揮で収録されている他は、かつてイギリスを代表する合唱指揮者のひとりだったジョン・プール指揮による近代の宗教的合唱作品が収められている。合唱はいずれもBBC放送局が世界に誇る合唱団BBCシンガーズで、ブリテンの作品では、それにウェストミンスター大聖堂聖歌隊が加わっている。
 指揮のジョン・プールはBBCシンガーズの指揮者を20年近くも続け、さらにBBC交響合唱団の指揮もしてコンサートに放送録音と、一時期イギリスで最も多忙な合唱指揮者として知られていた。現在は後進の指導と合唱曲の研究に、かなりを費やしているようだ。
 海外での演奏実績も豊富なプールは、レパートリーも幅広く、このCDでも、マルタン、デュパルク、ブリテン、それぞれの音楽の違いを的確に振り分けて表現している。マルタンでは動きを抑制しているが、デュパルクではオルガンの響きに乗せてゆるやかな流麗さを確保している。一転してブリテンでは、おおきな落差を付けて変化に富んだ音楽の彫りの深い表情を引出している。特に第5変奏、第6変奏では、その表現力の幅の広さが楽しめる。
 フォーレの佳曲「パヴァーヌ」は、もともと合唱とオーケストラのために書かれた作品だが、オーケストラ曲に合唱を付けたといった演奏が多いなかで、このCDに収録されている演奏は、思わぬ拾い物。フォーレのよく知られたこの古代的な旋律が、〈声〉のために書かれたのだということが、よく伝わってくる。声と木管とのからみあう美しさは、一度耳にしたら忘れられない。この曲の指揮をしているサイモン・ジョリーは、1988年からBBCシンガーズの首席指揮者となって現在に至っている。
 BBCシンガーズは1924年にBBC放送局によって創設された。総勢20数名で、一昨年の1994年に結成70周年を迎えた。放送局の専属だけに、古典から現代曲までの幅広いレパートリーをこなす実力を持っている。 (1996.2.3 執筆)




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レーヌ・ジャノーリのメンデルスゾーン・ピアノ独奏曲集の演奏曲目

2010年10月16日 10時41分33秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)
昨日のブログの続きです。レーヌ・ジャノーリが弾くメンデルスゾーンのピアノ独奏曲の初CDのために執筆したライナーノートの後半部分(曲目解説)となります。昨日分と併せてお読みください。



《演奏曲目についてのメモ》

[01] 前奏曲とフーガ ホ短調 作品35-1(メンデルスゾーン)
 この作品35‐1は『6つの前奏曲とフーガ 作品35』として6曲をまとめて1837年に刊行されている内の第1曲。アルペジオの伴奏音型から歌うような旋律が登場して繰り返される前奏に続いてフーガ主題が静かに現れて応答し、劇的に展開された後、ホ長調に転調して平和な終結部を迎える。この4声のフーガの展開は明らかにバッハの作品を意識したものだが、その劇性にはメンデルスゾーンの個性が色濃く表れている。

[02] ロンド・カプリチオーソ ホ長調 作品14(メンデルスゾーン)
 1833年に出版され、作品14となっているが、実際に作曲されたのはそれよりもかなり以前、メンデルスゾーン15歳の作品ではないかとされている。メンデルスゾーンの神童ぶりを感じさせる爽やかで清新な作品である。穏やかに開始される序奏部が次第に高揚してゆき、やがて静まると、ロンドに突入する。素早い動きの部分と和やかな部分とが交替するなかに経過的部分を挟んだABACBAとなっている。A部分の素早い動きは、17歳の時に書きあげている『真夏の夜の夢』序曲の旋律を思い起こさせる。短い結尾部を設けている。

[03] 厳格な変奏曲 ニ短調 作品54(メンデルスゾーン)
 主題と、それに続く17の変奏とコーダで構成されている1841年の作品。穏やかな主題が静かに提示されるが、やがて16分音符の細かな動きを伴った第1変奏が始まる。以下、リズムも音色も多彩な変奏が次々に繰り広げられる。だが決して気まぐれに分散していくような印象がなく、各変奏を通じて、繰り返し主題の曲想に収れんしていくような一貫したニュアンスを保っている。「厳格な」という名称がよくあてはまる作品である。

[04] スケルツォ・ア・カプリッチョ 嬰へ短調(メンデルスゾーン)
 1836年頃の作曲と推定されているが、よくわからない作品。メンデルスゾーンらしい素早い動きのスケルツォが、軽やかに飛び交う妖精のような旋律でもあり、無言歌中の作品『紡ぎ車』のようでもある。メンデルスゾーンの世界を一気に聴かせる佳曲だ。

[05] エチュード 変ロ長調 作品104b-1(メンデルスゾーン)
[06] エチュード ヘ長調 作品104b-2(メンデルスゾーン)
[07] エチュード イ短調 作品104b-3(メンデルスゾーン)
 メンデルスゾーンは1847年にわずか38歳で急死してしまったため、生前に出版されて作品番号が与えられたのは72曲しかない。作品番号73以降は、すべて作曲者の死後に出版されたものである。『3つのエチュード 作品104‐b』として出版されたこの3曲も、そうしたもののひとつ。作曲年はそれぞれ別々で、「変ロ長調」が1836年、「ヘ長調」が1834年、「イ短調」が1838年とされている。3曲をこの順で並べたのは出版社の意向でメンデルスゾーンの意図ではないはずだが、この並び方が音楽的にもまとまっているので、しばしばこの順でまとめて演奏される。

[08] アンダンテ・カンタービレ 変ロ長調(メンデルスゾーン)
[09] プレスト・アジタート ト短調(メンデルスゾーン)
 これも生前には出版されなかった作品。しばしば『アンダンテ・カンタービレとプレスト・アジタート』として、一つながりの作品として演奏される。1838年の作品。かなり自由な歌謡旋律の「アンダンテ・カンタービレ」を前奏として、「プレスト・アジタート」の主部に続いていると見ることもできる。

[10] 無窮動 ハ長調 作品119(メンデルスゾーン)
 メンデルスゾーンの死後、かなり経った1873年に出版されているが、おそらく1830年代の作品と思われる。「無窮動」というタイトルは「常動曲」とも呼ばれている楽曲形式の名称。常に一定した音符の特徴的な動きを繰り返すもので、旋律の動きを止めることなく曲の終わりでまた初めに戻るように書かれていることが多い。急速なテンポの曲が多いが、メンデルスゾーンのこの曲は、かなり抒情味の溢れるものになっている

                *

 以下の3曲は、冒頭でも触れたように、先に発売されたドビュッシー『前奏曲集』と対を成すもの。ドビュッシー演奏でのジャノーリの魅力については、そちらのCDのライナーノートをご覧いただきたい。

[11] パゴタ(「版画」第1曲)(ドビュッシー)
 ドビュッシーがピアノ音楽の語法を確立した作品として、全3曲から成る『版画』は、『映像』と並んで重要な作品。それぞれがドビュッシーの想像の中で、ある地域のイメージに触発されて作曲されている。第1曲「パゴタ」は、インドネシア・バリ島民が演奏するガムラン音楽を聴き、その影響が反映していると言われている。パゴタは元来は「卒塔婆[そとうば]」のことだが、ヨーロッパでは「東洋の仏塔」のことを広範囲に指すことが多い。5音音階を用いて独特の東洋的なニュアンスを創り上げている。

[12] グラナダの夕べ(「版画」第2曲)(ドビュッシー)
 これはスペイン・アンダルシアが舞台となっている。冒頭にハバネラのリズムが現れるが、ムーア人の歌の調子や掻き鳴らすギターの響きなど、次々に、アンダルシアの古都グラナダの空の下を彷彿とさせる響きの断片が絡まりあう。

[13] 雨の庭(「版画」第3曲)(ドビュッシー)
 これはフランスの子どものための歌に材を採っている。「もう森になんか行かないよ」「ねんね、坊や」といった曲で、それらはフランスではかなり知られているものだと言う。これらの旋律を引用しながら不規則な雨の動きを挿入して、雨の降る庭の光景を描写している。『版画』三曲中、最も知られている作品で、様々なメディアでの引用や編曲も多い。

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レーヌ・ジャノーリのメンデルスゾーン・ピアノ独奏曲、初CD化!

2010年10月15日 10時30分30秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)



 いよいよ、レーヌ・ジャノーリのドビュッシー「前奏曲全曲」が、今月20日に発売されます。(当ブログ、9月8日既報)以下は、それに続いて、来月発売されるCDのために執筆した文章です。発売元の日本ウエストミンスターにご了承いただきましたので、全文、掲載します。同ライナーノートの後半、収録曲の詳細については、明日のこのブログに掲載します。


■メンデルスゾーンを弾くレーヌ・ジャノーリの魅力

 このCDアルバムは、フランスの生んだ名ピアニスト、レーヌ・ジャノーリ(1915~1979)によるメンデルスゾーンのピアノ曲という珍しいレパートリーを、初出時のLPレコードの曲順のまま収録して初CD化したもの。それに続けて余白に収録されているドビュッシー『版画』は、先ごろ初CD化に際して1枚に収められたドビュッシー『前奏曲(全曲)』で、オリジナルの2枚のLPレコードの余白に収録されていたものだ。少々違和感のある組み合わせのCDとなったが、これで、ジャノーリがウエストミンスターに録音したドビュッシーは全てCD化されたことになる。メンデルスゾーンのピアノ曲の録音は、独奏曲は今回CD化されたもののみで、その他には「ピアノ協奏曲第1番」「同第2番」の録音があるだけだ。これは次回に発売が予定されている。
                 *
 メンデルスゾーンは、決して長かったとは言えない生涯で、ピアノのための作品をかなり残している。その数は100曲を遥かに超えるが、その生涯を通して折に触れて作曲していた『無言歌集』以外は、あまり演奏される機会がない。ロマン派の作曲家としては、ショパンやシューマン、リストといった同世代、あるいは、その少し前の世代のシューベルトなどの陰に隠れてしまっている観がある。
 その理由に、メンデルスゾーンが生涯をかけていた「バッハ研究」の成果が、ピアノ独奏曲という分野に凝縮されていることが挙げられるかも知れない。自在な歌心をピアノに託した『無言歌』は、むしろ例外なのかも知れない。だが、メンデルスゾーンのピアノ曲の面白さは、バッハ的な厳格で調和のとれた世界の追求が、ロマン派特有の幻想的でメルヘン的な世界と共存しているところにこそある。その絶妙のバランスは一種の危うさをも内包していて、それを表現できる人は少ない。ジャノーリは、その数少ないひとりだった。
 そのことは、このアルバムの冒頭、『前奏曲とフーガ ホ短調』を耳にしただけでも十分に伝わる。あたりの空気をふわりと動かすような気配と、軽やかに流れる風のようなテンポの揺れ動き。こうした音楽の開始こそが、ジャノーリの世界の最大の特質だ。こうして開始された前奏が、深い呼吸の高揚を繰り返しながら終わりフーガ部分に入るが、そこでも、そのくっきりとした音型をしっかりと保ちながらも音楽がしばしば前のめりにせきこんで進み、終結部間際で再び大勢を立て直して終えるのを聴くと、「これは、やっぱりロマン派の音楽だ」と、思わず納得する。
 2曲目の『ロンド・カプリチオーソ ホ長調』は、夢見るような開始がいかにもジャノーリで、その後はメンデルスゾーンらしさを満喫する妖精の踊りのような軽やかな展開になる。3曲目『厳格な変奏曲』のような文字通り「厳格な」作品の演奏の変幻自在さにも、ジャノーリの美質がよく現れている。この特徴的なそれぞれの変奏曲を、音楽の外形と内実とに等しく心を通わせて、豊かな変化を描き分けられるピアニストは、めったに居ない。
 各曲の概要は、この稿の後に譲るが、このCDアルバムは、そうしたメンデルスゾーンの、あまり演奏されることのないピアノ独奏曲をまとめて聴くことで、ロマン派のピアノ曲の特質にも思いを馳せるものとなっている。
 忘れがちなことだが、ピアノが楽器として完成の域に達したのはベートーヴェンの時代と言ってよく、その奏法の上で柔軟さが聴かれるようになるのはシューベルトあたりからと言っても過言ではない。バッハの時代の鍵盤楽器の音楽は、コトコトと弾くものだった。
 メンデルスゾーンは幼いころにバッハを知り、その忘れられかけていたバッハの復権に尽力した最初の作曲家だ。メンデルスゾーンが果たした役割の大きさは、西洋音楽史の中でも大書されることのひとつであることがよく知られている。そのメンデルスゾーンの大事業として名高いのが、バッハの超大作『マタイ受難曲』の演奏会の実現だった。だが、その時のメンデルスゾーンによる大胆な改変は、バロック期の音楽をロマン派の時代に蘇生させようとするメンデルスゾーンの努力の跡が垣間見えはするものの、最近のピリオド奏法の側からすれば許しがたい表情付けや、特定の音型の強調、テンポの揺れなどが譜面に書きこまれているという。
 ジャノーリは、ウエストミンスターでのレコードデビューがバッハの『幻想曲 イ短調』『トッカータ ニ短調』と『シャコンヌ(パルティータ第2番より)』を収めたものだったのだが、それを聴くと、ジャノーリのバッハがどれほど自在な音楽を目指していたかがわかる。ジャノーリも、メンデルスゾーンも、しっかりとしたフォルムを守りながらも、そこに自在なものを求めていくということで、おそらく共通の土壌を持っていた。
 ジャノーリのメンデルスゾーン演奏の魅力は、メンデルスゾーンがバッハという「厳格な」フォルムと向き合うことで、むしろロマン派のピアノの雄弁さを描いてみせていたのだということを感じさせるところにある。調和や秩序と、幻想性や自在さが絶妙のバランスを保っているジャノーリのメンデルスゾーンは、ピアノの音の輪郭から滲[にじ]み出してきた滴[しずく]のように、きらきらと輝いて聞こえる。ロマン派の音楽が見ていた夢の続きを、21世紀になった今日、ゆっくりと考え直すには好適のアルバムのひとつだと思う。(2010.9.15)
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ロジェストヴェンスキーがBBC交響楽団の首席指揮者に就任した頃に残したラフマニノフ『晩祷』の録音

2010年10月12日 12時58分17秒 | BBC-RADIOクラシックス





 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の17枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6057
【曲目】ラフマニノフ:「晩祷~ロシア正教の典礼の為の」
          :「聖ヨハネ・クリソストモスの典礼」
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団
    BBCシンガーズ
    (合唱指揮)ジョン・プール
【録音日】1978年10月8日、1983年5月20日


◎ラフマニノフ「晩祷」ほか
 ロシアの指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーは、戦後世代では最もイギリスとの関係が深い指揮者だろう。1978年から82年までは、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者として活躍していたが、この有能な指揮者の国外流出を快く思わなかったソ連政府(当時)によって、82年に半ば強引に帰国させられた。もし、それがなければ、ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆とのきずなは、更に堅固なものになっていただろう。
 ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆との最初の出会いは古く、このBBC交響楽団の首席指揮者への就任の22年前にさかのぼる。1956年、ボリショイ・オペラの指揮者に就任した年のロンドン公演で「ボリス・ゴドゥノフ」を振ったのが最初と言われている。この時にはコヴェントガーデンでバレエ「眠りの森の美女」も指揮しているようだ。この時、ロジェストヴェンスキーはまだ25歳の青年だった。政治的に、いわゆる東側のヴェールの向うから突然登場した、若き天才指揮者を西側でいち早く評価し、以後盛んに招待演奏会のアプローチを続けたのはイギリスの音楽関係者だった。
 このCDは1978年の録音だから、ロジェストヴェンスキーがBBC交響楽団の首席指揮者となって、ロンドンとのきずなを強くしていた時期に行なわれている。彼の祖国、ロシア正教の典礼音楽を、イギリスの音楽家たちが学び取り演奏しているこのCDは、彼らのお互いの友情の証とも言えよう。
 BBCシンガーズは、ロジェストヴェンスキーを迎えたBBC交響楽団と同じくBBC放送局によって創設された。総勢20数名で、1924年に結成されたので、一昨年の1994年に結成70周年を迎えている。放送局の専属だけに、古典から現代曲までの幅広いレパートリーをこなす実力を持っている。
 余白に収められた「聖ヨハネ・クリソストモスの典礼」を指揮しているジョン・プールは、BBCシンガーズの指揮者を20年近くも続け、さらにBBC交響合唱団の指揮もしてコンサートに放送録音と、一時期イギリスで最も多忙な合唱指揮者として知られていた。ロジェストヴェンスキーを客演に迎えた1978年当時も、このコーラスの指導者だった。 (1996.2.3 執筆)


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ロジェストヴェンスキーのプロコフィエフ演奏の変遷を辿る――「ロシア的」なものと「モダーン」なもの

2010年10月07日 17時04分03秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の16枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6056
【曲目】プロコフィエフ:交響曲第5番 作品100
           :《スキタイ》組曲 作品20
           :交響的タブロー《夢》作品6
           :女声合唱のための「白鳥」作品7
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー
       ロンドン交響楽団、BBC交響楽団、BBC交響合唱団
       アラン・シヴィル(ホルン)
【録音日】1971年9月10日、1976年1月25日、1980年10月15日


◎プロコフィエフ/交響曲第5番/スキタイ組曲ほか
 プロコフィエフの作品を作品を集めたこのCDは、いずれもロシアの俊英ロジェストヴェンスキーの指揮によるものだが、オーケストラが自国ロシア(当時、ソ連)と、イギリスとの双方の録音が混在している。そのことが少なからず、プロコフィエフの作品を描くスタンスの違いとなっているように感じられる。
 ロジェストヴェンスキーは、戦後世代では最もイギリスとの関係が深い指揮者で、1978年から82年までは、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者として活躍していた。このCDでは彼のロシア時代、1971年のロンドンへの自国のレニーグラード・フィルとの来演。その後、BBC響の首席就任決定直前の単身でのロンドンでの指揮活動。そして、BBC響就任後の同交響楽団との録音の順に収録されている。
 このCDは、結果として、ロジェストヴェンスキーの中でのロシア的なものとの距離の取り方が、彼の置かれていた状況の変遷のなかで、たどれるものとなった。有能な指揮者の国外流出を快く思わなかった当時のソ連政府によって、82年に半ば強引に帰国させられたロジェストヴェンスキーだが、もし、それがなければ、彼とロンドンの聴衆とのきずなは、更に堅固なものになっていただろう。
 「交響曲第5番」はプロコフィエフにとっても重要な作品で、その作品の内実は一言では言い尽くせないものがあるが、ソ連のオーケストラを振ったこのCDの演奏では、作品の表層をさらっとなでてゆくような奇妙な楽天性がある。この曲が、暗い時代の淵を、出口を求めてさまようものであるよりも、まず第1に、何よりも勝利の歌であることを念頭に置いて、そこへ向かって突き進んでゆく演奏だ。ロシアの人々にとっては、それが全てであった時代があったことを、強く感じさせる。だから、第1楽章では、どうしても曲想の入り組んだ感じが伝わらず、平板になりがちで、10数分を支え切る粘りが足りないが、この作品の素材に対するロシアの人々の〈常識〉は、こうしたものなのだろう。第2楽章での、プロコフィエフがパリでの亡命時代に吸収したお洒落な色彩感あふれた遊びも、無機的な運動体のような動きを前面に押し出している。一方、ロンドンのオーケストラを振っての「スキタイ組曲」では、大産業都市ロンドンのオーケストラならではの機能美を十全に生かした演奏となっている。機械文明に冒され始めた今世紀初頭のヨーロッパの空気を吸ってきたモダニスト、プロコフィエフの面目躍如たる近代精神を表現するには、このオーケストラはよく似合っている。すっきりとしたリズムの切れ味が、土の香りのする旋律としっかり対峙している第2曲や、第4曲。あるいは第3曲の静寂など、当CDでの秀逸だ。 (1996.2.2 執筆)



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東京・渋谷の松濤美術館で「大正イマジュリィの世界――デザインとイラストレーションのモダーンズ」展

2010年10月04日 11時19分47秒 | 「大正・昭和初期研究」関連
9月22日付の当ブログの「付記」で以下のような、私の近況をお伝えしました。

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11月末から来年1月23日まで渋谷の松濤美術館で開催される展覧会『大正イマジュリィの世界――デザインとイラストレーションのモダーンズ』で、大正・昭和初期の楽譜書(セノオ楽譜、ビクター、新興、ハーモニーなど)や楽譜絵葉書の世界を概観します。展覧会と同名の書籍も、ピエブックスから刊行されますが、その編集作業、コラム執筆、出展作家(無名の人がたくさん)の経歴調査にも参加しているので、かなり追われています。
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この展覧会は、表記のように、大正~昭和初期の版画、印刷物など、いわゆる複製絵画の世界を、様々な作家、様々な切り口で見て行くものです。その一部として、楽譜書籍、楽譜絵葉書、音楽イベントのポスターなどを概観します。あまりに膨大な蒐集コレクションなので、まず、全体をセレクトして10分の1くらいに圧縮して展覧会の全体構成を考え、さらに、その一部をピエブックス発行の書籍に収録して「展覧会図録」を兼ねるというわけで、本に掲載されるのは、ごく一部ですので、この時代の人々の「西洋音楽受容」に対する飽くなき関心のパワーを感じ取るには、会場に直接来ていただくしかないかもしれません。
 会場では、セノオ楽譜や、浅草オペラの音楽をBGMで流そうか、といった計画も進んでいます。(私が、今年の春頃、当ブログに「訳あって、今、私の手元にセノオ楽譜がかなり集まっている」と書いたのは、このための準備でした。)
 というわけで、本日は、展覧会のPRも兼ねさせていただいて、以下に、その「図録」用に執筆したコラムを掲載します。
 展覧会の詳細は、「松濤美術館」の公式サイトにあります。



■拡散する「楽譜イマジュリィ」のエネルギー

 大正期の音楽イマジュリィの傾向を代表する「セノオ楽譜」がスタートした明治四三年(一九一〇)の日本は、まだまだ「立身出世」を良とする「男社会」が主流だった。「軍艦行進曲」などを出していたセノオ楽譜が真に「大正文化」のシンボルとなったのは、大正四年(一九一五)のセノオ音楽出版社設立を機に、翌年四月から数ヵ月で第九番から第一五番までの七点が一気に刊行された時からと見ていい。それは明治期の「男=少年」の文化に対する「女=乙女」の文化への転換でもあった。猛々しく勇壮なものから、たおやかな恋や夢の世界へのシフトは、演劇の世界にも広がり、音楽と演劇の融合が浅草オペラや宝塚少女歌劇となって実を結び、それが楽譜書の世界をさらに広げた。愛の歌は人気の的だった。ピアノやヴァイオリンは高価な高根の花でも、民衆は弾きやすく安価なハーモニカやマンドリンで楽器を奏でる楽しみを知り、それが楽譜書の作り方にも影響し始める。ピアノ譜に並行してハーモニカ譜やマンドリン譜も増加していった。こうした西洋音楽の民衆への浸透は、明治期に始まった私製の絵葉書の世界にも広がっていった。セノオ楽譜のような正規の商品の人気アイテムにあやかるように割って入った安価な楽譜絵葉書からは、大正期の民衆パワーの凄まじさが伝わってくる。楽譜絵葉書の普及は、無名の絵師や詩人、貧しい楽士たちの生活の糧にもなっていた。邦人の歌唱によるレコードの普及もこの時代。ラジオ放送の開始がさらに音楽の普及に拍車をかけ、そこに映画も加わり大正期の大衆イマジュリィは飛躍的な展開を見せる。このページだけにとどまらず、様々なページに「楽譜イマジュリィ」が登場するのは、大正期がそうした時代だったからである。



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