
【東京・町田市】旧永井家住宅は江戸時代中期(17世紀末)頃、多摩丘陵(町田市小野路町)に建てられた典型的な農村家屋。 多摩ニュータウン建設に伴って町田市に寄贈され、昭和五十年(1975)に薬師池公園の現在地に移築・復元された。 建物は東京都下では最古に属する農家建築で、昭和五十三年(1978)に国指定重要文化財に。
平面は古式の広間型三間取で四方下屋造の構造、デイ(客間)は板敷だがヒロマとヘヤは竹の簀子敷で、天井は三間とも竹の簀子天井。 また、土壁と羽目板の側周りは出入口と2カ所に窓があるだけで開口部が少ない閉鎖的な造り。
★旧萩野家住宅から北側に少し離れたところに旧永井家住宅が東面で建つ。 出入口の左と南側一面の壁だけが板張りで、他は土壁だ。 正面の犬走りに6本の柱が建ち軒先を支えているが、みると、身舎から梁が延び、柱の上で繋いで丸太の丸桁を支えている。 梁はまるで寺社の海老虹梁のようで面白い造りだ。 老朽化した支柱や身舎の柱は「木組み」の工法で見事に補修されている。 正面の庭先に取り外された大棟押さえの芝棟が置かれているが、芝棟を近くで見るのは初めだ、

△東京都下で最古に属する農家の建物で、多摩丘陵に建っていたものを昭和五十年(1975)にここに移築復元された

△寄棟造茅葺の旧永井家主屋(国指定重要文化財)....建築年代は江戸初期~中期(1601~1700年)頃(推)で、桁行15m、梁間8.8m

△平面は広間型三間取りで下手を土間とし、床上にはヒロマ、ヘヤ、デイを配す....側廻りは土壁と板張りで、窓などの開放部が少ない造り

△正面には外壁面を保護するため、犬走りに柱を立てて軒先を支えている


△ダイドコロの左側面(西側)の板張りの突出部は物置部分/正面の軒先は身舎と軒支え柱を繋ぐ海老虹梁を設けて丸桁の丸太を支えている(仏堂の向拝のようだ)

△取り外されて地面に置かれた大棟押さえの芝棟

△正面に2つの窓が設けられ、左の窓は袖壁付きの格子窓


△老朽化した柱が「木組み」の工法にて修復されている

△右側面(東側)は土壁で窓がない


△土壁の下部に石を埋め込んでいる/背面(北側)の土壁にはヒロマの窓が一つだけある
★ダイドコロに入ると広い土間の壁際に唐箕、竈、大八車、座り流し、臼などが展示されている。 土間の梁組の上は、竹の簀子を張った天井になっている。 ダイドコロに面したヒロマの床は竹簀子で、ダイドコロ側の中央部分に腰板を設けて仕切っている。 また、ヒロマも竹の簀子天井だ。 ヒロマ奥の二間の黒ずんだ壁側には、養蚕に使われていた道具類が展示されている。 二間は板床のデイと窓がない竹簀子床のヘヤで、いずれも天井の一部に竹簀子を張っている。 古式の広間型三間取り、 竹簀子床と竹簀子天井、身舎外壁と軒を支える支柱と梁など実に趣があり、興味深い古民家だ。

△正面に土間のダイドコロへの入口がある....土間(ダイドコロ)側面の突出部(物置)まで屋根を葺き下ろしている

△入口から見たダイドコロ(土間)

△ダイドコロに展示されている唐箕、かまど、大八車、座り流し、臼など

△二台の大八車

△ダイドコロの梁組....天井は竹簀子張り

△ダイドコロとヒロマとの境に腰板を設けている....平面は広間型三間取りで、床上にヒロマ、デイ、ヘヤが配されている


△竹簀子が敷かれたヒロマ(広間)....床に組み込んで設けられた囲炉裏/自在鉤に掛かる鍋

△竹簀子敷のヒロマに展示されている養蚕に使われている道具類

△ヒロマの梁組....天井は竹簀子張り

△デイ(出居)の窓から眺めたヒロマ

△窓から眺めた板敷のデイ....戸棚や長持ち(と思う)が展示されている

△デイの梁組....天井は竹簀子張り

△背面(北面)の窓から眺めたヒロマ....内側からみるヒロマ東側の格子窓(しし窓)

△背面(北面)の窓から眺めたヒロマとダイドコロ....仕切りの黒塗りの腰板がある

△窓が無い竹簀子敷きのヘヤ(部屋)

△公園外の福王寺(野津田)薬師堂への参道から眺めた旧永井家住宅
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