goo blog サービス終了のお知らせ 

何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

日向薬師-(3) (伊勢原)

2024年10月26日 | 寺社巡り-神奈川

【神奈川・伊勢原市】明治政府の神道国教化政策により起こった廃仏希釈(神仏分離)の波が霊山寺にも押し寄せた。 別当であった宝城坊以外の坊は廃絶し、いくつかの貴重な文化財が消滅したものの、歴史を物語る多くの貴重な仏像・宝物が残されている。 現在は霊山寺の別当坊であった宝城坊が寺籍を継いでいて、正式名称は日向山宝城坊というが、中世以来薬師如来の霊場として信仰を集めていることから日向薬師の名で親しまれている。

★堂宇境内の東側に修行大師立像、虚空蔵菩薩を祀る御堂、茅葺の鐘堂、そして数基の歌碑がある。 虚空蔵菩薩は参拝しやすいよう日向山の奥ノ院から遷座されたそうで、小さな御堂が霊樹の空洞の中にひっそりと鎮座している。
苔生した茅葺屋根の鐘堂は、「幡かけつ杉」とも呼ばれる推定樹齢850年の二本杉の傍に建つ。 鐘堂の屋根は薬師如来を守護する十二神将を表すとされる12本の柱で支えられ、梵鐘が下がるが、なぜか柱傍の床上にも梵鐘が置かれている。 「銅製の梵鐘は南北朝時代の改鋳で、国の重要文化財に指定されている」とあるが、どちらがその梵鐘なのか....混乱した。

△宝城坊境内の東側の「南無大師遍照金剛」の幟が立ち並ぶ奥に、弘法大師立像が鎮座

△行脚姿の修行大師像....右手に錫杖、左手に鉄鉢を持つ

△修行大師像の右手に建つ平安時代の女流歌人・相模の歌碑....眼病平癒を祈って参詣し、薬師堂の柱に書きつけた歌

△「南無虚空蔵菩薩」の黄色い幟が立ち並ぶ参道奥に鎮座する虚空蔵菩薩

△霊樹(シラカシの木)の空洞の中にある虚空蔵菩薩を祀る御堂/虚空蔵菩薩は日向山の奥の院に鎮座していたが参詣しやすいようこの処に移された/鬼板を乗せた切妻造鋼板葺で妻入りの御堂

△虚空蔵菩薩の右手に建つ二基の歌碑

△堂宇境内の東側に建つ鐘堂(楼)と聳え立つ二本杉

△宝城坊の二本杉....推定樹齢850年で、関東公方・足利基氏寄進の「宝城坊の錦幡」を掲げられた「幡かけ杉」とも呼ばれる/鐘堂は12本(一隅3本)の柱で屋根を支えている....薬師如来を守護し、12の刻を守る十二神将を表すようだ

△露盤宝珠を乗せた宝形造茅葺の鐘堂....江戸時代宝暦十三年(1763)頃の再建

△鐘堂に下がる梵鐘(銅鐘・国重文)....現在の鐘は南北朝時代の暦応三年(1340)の改鋳

△軒廻りは二軒繁垂木、四方の柱上の組物間の台輪上に2つの平三ツ斗と蓑束とを配す

△鐘堂の柱脇の床に置かれている梵鐘は?

△銅鐘の銘文から最初の鐘堂は銅鐘とともに平安時代の建立とされる

★堂宇境内の周囲には先の歌碑の他に、「鳥獣供養碑」など幾つかの石碑が建つ。 本堂に向かって左隣にある宝城坊宝物館(宝殿)へのスロープの参道があり、その脇に宝篋印塔などの石造物が並んでいる。 宝殿には平安時代中期から鎌倉時代にかけて造立された鉈彫の薬師三尊像(秘仏・厨子)、十二神将など数体の仏像が安置されている。 厨子と仏像はいずれも国指定重要文化財だ。

△堂宇境内に建つ「鳥獣供養碑」       「日向薬師」と彫られた石碑

△本堂に向かって左側に隣接する寄棟造桟瓦葺の宝城坊宝物館(宝殿)

△宝城坊宝物館へのスロープ脇に鎮座する石造物群....子育て地蔵と地蔵菩薩の他、二基の宝篋印塔など

△一基は古そうな宝篋印塔....塔身は異なる石質で後補か?....塔身四方には蓮華座上の月輪に梵字が彫られている/舟光背型十一面観音像....右手は与願印で左手は水瓶か蓮花を持っているようだ

△宝城坊宝物館(宝殿)には平安時代から鎌倉時代に造立された仏像を安置....鉈彫り薬師三尊をはじめ丈六薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、四天王立像、十二神将立像など

△秘仏の薬師三尊を安置する旧本堂内厨子(国重文)と左右に居並ぶ守護神の十二神将像(NETから拝借)....厨子は入母屋造檜皮葺(と思う)で、組物は二手目と三手目が尾垂木の三手先、柱間に2つの詰組







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日向薬師-(2) (伊勢原) | トップ | 大山寺-(1) (伊勢原) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

寺社巡り-神奈川」カテゴリの最新記事