
【神奈川・伊勢原市】江戸時代の天正十九年(1591)、霊山寺は家康から小田原北条氏の頃と同様の寺領60 石の朱印状を受けた。 薬師堂と呼ばれている本堂は、万治三 年(1660)に旧本堂の部材を利用して再建されたが、最古の部材は鎌倉時代初期(12世紀)に伐採された木材で、源頼朝と北条政子が参詣した時期に当たる。 このことから、薬師堂は鎌倉時代初期の建立で、江戸時代中期まで改修と再建が繰り返された。 薬師堂は宝城坊本堂の名称で国の重要文化財に指定されている。
★急な石段を上りつめると、樹林に囲まれたさほど広くない堂宇境内が広がり、正面に荘厳な本堂が南面で鎮座している。 薬師堂と呼ばれる茅葺の本堂は優雅で、軒下の組物等と向拝は鮮やかな弁柄の朱色、外壁の羽目板や桟唐戸は墨の黒に彩色されていて趣がある。 ただ、正面縁の高欄に多くの「南無薬師如来」の幟が括りつけられていて、壮麗さと風格とを損ねているようで残念だ。
三間の向拝の屋根は独立した鋼板葺で、3つの水引虹梁それぞれの上に彩色された龍の彫刻が配されている....が、あまり精緻さを感じさせない。桁行七間の内の中央間五間が桟唐戸で、両脇間の一間には横羽目板が張られていて窓がない。 また、頭貫の上の全ての小壁には縦羽目板がはられていて、全体的にシンプルな造りだ。

△石段を上り詰めた所から眺めた緑の樹林に囲まれた日向薬師境内

△寄棟造茅葺の本堂(薬師堂・国重文)....江戸時代万治三年(1660)、旧本堂の部材を利用して再建された

△三間の向拝の庇のような屋根は鋼板葺(と思)....堂内部の前二間は土間床の外陣、後三間は内陣で、両陣は引き違い格子戸で仕切られている....外壁は墨の黒と弁柄の朱で彩色されている

△本堂は七間堂といわれ、桁行七間で向拝は三間、梁間五間で棟の高さ は約17.7メートル

△桁行七間の中央間五間に桟唐戸、両脇間一間は横羽目板で窓なし

△四本の向拝柱全てには、彩色された獅子の木鼻

△四つの水引虹梁の上に3本爪の龍の彫刻....中央の龍は正面を、側の龍は斜め下を睨んでいる

△頭貫の上の小壁は全て縦羽目板....桟唐戸の入口すべてに五色幕が下がる

△中央の桟唐戸の上の小壁に小さな「霊山寺」の扁額が掛かる

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は木鼻付き出組で中備は撥束....正面のみに蛇腹支輪
★本堂に向かって右側に芝生の庭があり、白と赤の彼岸花が咲き誇っている。 石段を上がったすぐの所に手水舎が建ち、対面する坪庭の中に巨大な雪見燈籠が佇んでいる。 本堂近くに一基の石燈籠が建ち、堂前の切石敷参道に回向柱が立つ。

△本堂の内陣をコの字に囲むように擬宝珠高欄付き切目縁が設けられている....右側の芝生の庭に咲く白と赤の彼岸花群

△彼岸花は弁柄塗りの本堂に添えるようにひっそりと咲き誇っている

△石段を上り詰めた直ぐ右手に建つ手水舎

△切妻造桟瓦葺の手水舎


△側面に「洗心」と彫られた社寺型手水鉢 3本爪の龍の水口

△境内に建つ巨大な雪見燈籠越しに眺めた壮麗な本堂(薬師堂)

△本堂前に一基の石燈籠と堂前の切石敷参道に回向柱が立つ
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