都立中央図書館へ移動中。今日の目標は信達二郡の市町村史(国見町、桑折町、伊達市)の見直しです。
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 09:28
先日、桑折西山城跡に仙台藩が砲台を構築したと書きましたが、奥州街道から遠く離れた桑折西山城跡を改修するくらいなら、同じ信達二郡で、もっと奥州街道に近い山崎城跡と藤田城跡も、戊辰戦争時に改修したのではと考えていたりします。
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 09:40
ただ、山崎城跡も藤田城跡も宅地開発で遺構が殆ど残っていないので、確認が極めて難しいのですよね(つД`)ノ
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 09:42
@maEmpire 意味を調べたら、∑(゚Д゚)状態です。
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 09:45
読んでます。原田伊織とその太鼓持ち達はこの言葉を百万回噛みしめるべき pic.twitter.com/n35WzJigwl
— まとめ管理人 (@1059kanri) 2018年4月8日 - 12:16
先ほど帰宅。今日は都立中央図書館で進達二郡の市町村史を漁ったり、お世話になっている方にアドバイスを頂いたり、充実した一日でした。
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 20:01
個人的には、桑折西山城跡に仙台藩が、砲台を築いたと言う文献を見つけられたのはありがたいです(・ω・)ノ
また、国見町史の資料編では、信達二郡の領民が、仙台藩の野戦築城に徴発された書状が多数掲載されていました。その中で石母田村の領民が「築城」に徴発された書状もあったので、石母田城跡も仙台藩により改修された可能性もありますね。
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 20:05
ただし、仙台藩により築かれた硯石山砲台と、石母田城跡の距離は凡そ300m。石母田村の領民が「築城」に駆り出されたとの記述だけでは、それが石母田城跡なのか、硯石山砲台及び歩兵台場のどちらに駆り出されたのかを特定するのは不可能ですが( ̄。 ̄;)
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 20:08
@YamakanSS 個人的にはニッチな分野の方が、一人でのびのび研究出来るので良いと思いますよ。勿論お互いリスペクトしながら競い合える相手が居たら、理想的ですが(* ̄∇ ̄)ノ
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 21:20
@chiharuDEARS まだ調査中ですが、どうやら仙台藩兵は戊辰の際に、その奥州合戦の防塁を用いようとした形跡があります( ̄。 ̄;)
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 21:23
blog更新しました✨
— 汐海 珠里 (@tosi0531) 2018年4月7日 - 21:12
今夜は、色々とお知らせ 🎶
「講演・講座・史跡巡りのお知らせ」
⇒ ameblo.jp/tosi0531/entry…
blog更新しました✨
— 汐海 珠里 (@tosi0531) 2018年4月8日 - 21:19
150年前の本日、色々記録 🎶
「隊士文宿 & 編成表 & 旧幕陸軍軍事方来訪」
⇒ ameblo.jp/tosi0531/entry…
@chiharuDEARS 阿武隈川近くは改修していますね。ひょっとしたら全体的に防御ラインに組み込んでいたのかもしれませんが、まだちゃんと調べていませんm(_)m
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 21:36
@saemonhiguchi 大筒って、そうやって仰角を得るのですね。知りませんでした。
— 大塚進也@5/26軍事史学会年次大会 (@tukaohtsu) 2018年4月8日 - 22:51
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