桐野利秋は私学校と距離があった…というのは、意外と知られていないですよね。桐野作人氏によれば、本校はもとより、吉野開墾社との関わりも実際にはほとんどないとか。せっかくなのでこういう実像を描写してほしかったんだけど、結局は西郷の忠犬というステレオタイプなキャラづけだったのが残念。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年11月25日 - 21:14
警視隊の戦線投入の背景には「平民出身の鎮台兵が弱かったから士族出身の警察官があてにされた」という要素がないわけではありませんが、少なくとも主たる理由ではないというべきですね。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年11月29日 - 12:49
そもそも当時の警視局(「警視庁」ではない!)は、全国の不穏情勢に対応するための内務省直轄の国家機関で、1コ鎮台に匹敵する規模の人員(もちろん軍事教練実施済み)と装備(スナイドル銃も配備)を有する、まさに「治安の尖兵」たる存在。これ… twitter.com/i/web/status/1…
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年11月29日 - 12:49
ご紹介ありがとうございます。この講座では実際にゲベール銃の本物(生きている銃)を受講者各位に構えていただく予定です。なお、古式銃は現代銃と違い、他人に持たせても銃刀法違反にはなりません。makoto.shinsenhino.com/archives/news/… #ゲベール銃 #幕末 #日野新選組同好会
— 歴史企画研究 (@funnyara5) 2018年12月3日 - 06:27
この週末は、福島県の郡山と三春の二ヶ所で開催されている戊辰戦争の企画展示を見てきました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:10
三春の方は「三春藩の選択」とのタイトルだったので三春藩が恭順する際の文書を期待しましたが、実際には河野広中関連が殆どでしたね( ̄▽ ̄;) pic.twitter.com/XTRK289ruh
他の展示も古文書が殆どで、銃砲弾や軍服と言った展示は無かったので、他の充実した展示と比べると、物足りなさを感じました( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:15
何より、せっかくの機会なので、「三春藩の裏切りのせいで負けた」という、会津観光史学の嘘を、史料に基づ… twitter.com/i/web/status/1…
続いて、郡山市の展示。郡山は二本松藩領ですが、二本松市が二本松少年隊を前面に出した展示だったのに対して、郡山は戊辰戦争に巻き込まれた民衆を重視した展示だったのが印象的でした。余談ですが、郡山の展示は無料ですが、同じく無料のリーフレ… twitter.com/i/web/status/1…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:25
篠原国幹といえば、高瀬の激戦中に無断撤退して薩軍の敗因を作ったという悪名で知られているけど、以前もつぶやいたとおり、どうもこの逸話には疑念があるのよね。こころみに戦記稿、西南戦史、記伝、血涙史といった主要な戦記を見てみても、どこにもそんな記述はないんですよ。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月3日 - 22:14
いずれの記録においても、両軍は夕刻まで一進一退の激戦を繰り広げていたことになってるし、記伝なんかはご丁寧に、篠原隊が村田隊や桐野隊と足並みを揃えて撤退したことをはっきり明記してるわけで、「篠原隊が弾薬不足で無断撤退」という話には首をかしげざるを得ない。まじでソースが知りたいです。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月3日 - 22:15
高瀬の敗戦の責任をどうしても薩軍の誰かに押しつけるなら、それはやはり稲荷山を奪りそこねた桐野になるんじゃないの? 稲荷山の重要性は、いずれの戦記も口を揃えて強調してるわけだし。ま、そもそもああいう安直な「戦犯探し」自体がじつにエンタメ史観的思考で、好きになれないけども。
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2018年12月3日 - 22:20
@funnyara5 二本松藩領と守山藩領ですね。安積疎水のおかげで、旧二本松藩領の僻地が、城下よりも発達してしまいましたが( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年12月3日 - 22:56