@drei_Ritter 申し訳ありません、ペルの個人的な経歴は不勉強で知りませんが、1852年にオランダで「(和訳)築城技術に関する知識の手引き書」と言う築城教本を書いています。いわゆる星形稜堡式要塞の全盛期に書かれた教本です。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 11:32
ふと思い出した、司馬遼太郎の嘘の巧妙さについて。『燃えよ剣』に土方歳三が軍事教本の『歩兵心得』に熱中するシーンがあります。土方は”喧嘩の方法”と言っていますが、この『歩兵心得』と言う教本は存在します。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 13:45
ただし『歩兵心得』は、あくまで射撃練習の教本なので、”喧嘩の方法”とは違うような…。尚、『築城典型』には、”堡塁(陣地)の攻め方、正攻法&奇襲”との項目があり、こちらの方がむしろ”喧嘩の方法”の気がしますね。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 13:48
司馬遼太郎が『築城典型』の存在を知らなかったのか、若しくは『築城典型』を訳したのは大鳥圭介なので、「土方歳三は天才、大鳥圭介は無能」と言う司馬史観に都合が悪く黙殺したのかは判りませんが…。まあ後者は司馬の過大評価で、単に前者の司馬が知らなかっただけと思いますが…。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 13:51
何はともあれ、この様に『歩兵心得』と言う史実を混ぜつつ、物語を作るのが司馬遼太郎の巧妙な所だと思います。これにより勉強不足のジャーナリスト(笑)等が信じ込んでしまう訳です。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 13:54
@minzokunokai1 以前、林の墓所を訪問しました。この人も、維新後に何故陸軍に行かなかったのか不思議な人の一人です。少将は無理でも、中佐辺りを経て西南戦争後に少将にはなれた気もするのですが…。 pic.twitter.com/477foORRBd
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 20:39
@irisiomaru 身も蓋もない事を言えば、司馬は歴史を研究したいのでは無く、それで商売したいのですからね( ̄▽ ̄;) ただ歴史と歴史小説は違うとの考えが浸透しなければ(昔に比べればかなり浸透していますが)、司馬史観を鵜呑みに… twitter.com/i/web/status/1…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 23:23
@tukaohtsu 正に。司馬遼太郎は例えば二股で今井信朗が記した大川正次郎の活躍を土方の名前に挿げ替えたり、史料は存在しても記述されてない内容をさもあるようにでっちあげたり、史料を読み意図的にその内容を改変して小説にすることが… twitter.com/i/web/status/1…
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年9月30日 - 21:24
司馬遼太郎は、知名度の高くない人物を英雄化したり、逆に非常に尊敬されている人物を貶めたりする事を目的化した、意外性による受け狙いが多い。その手法で、さも根拠が史料にあると思わせる虚偽を小説の名の下に書くから、そうだったのか!と読者は騙される。元史料を確認するほど尊敬できなくなる
— 入潮 (@irisiomaru) 2018年9月30日 - 21:33
鴉組が夜襲のゲリラ戦をしたと言うのを史料で確認出来るのは7月15日のみで、他は普通の部隊としての活動しか見られませんので、夜襲が得意というのは眉唾です。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 23:37
<奥羽の義 戊辰150年>(21)神出鬼没アウトロー集団(河北新報) -… twitter.com/i/web/status/1…
その7月15日の戦いも、鴉組のゲリラ活動はさほどの成果を挙げず、むしろ同盟軍の攻撃は新政府軍に各個撃破されてしまいます。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 23:40
ハッキリ言って棚倉藩の十六ささげ同様に、惨敗続きの同盟軍の中でも、「こんな活躍をした勇者が居た」と言う判官贔屓が生み出した幻想に過ぎないと思うのですが…。
余談ですが、6月12日の戦いでは、鴉組は奥州街道沿いの和田山から、向山に陣地を設ける大垣藩兵と砲撃戦をしています。まあ、鴉組をゲリラ部隊としてアピールしたい方々にとっては、鴉組が砲撃戦をしていたと言うのは、不都合な史実かもしれませんが…( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 23:53
更に余談ですが、この6月12日の戦いで仙台藩兵の和田山守備部隊は壊滅します。つまり7月15日の戦いで鴉組の残存部隊がゲリラ戦をしたのは、単に小隊としての規模を維持できなかったので、小人数でも可能なゲリラ活動をしただけなのでは?( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2018年9月30日 - 23:59