【講座】8月23日、大分市の県立埋蔵文化財センターで、考古学講座「大分の西南戦争の一コマ」開講
— 歴史ナビ (@rekinavi) 2017年7月30日 - 08:45
kyouiku.oita-ed.jp/maizoubunka-c/…
【展覧】9月18日まで、大分市の県立埋蔵文化財センターで、企画展「戦争の考古学」開催中。弥生時代の武器、古墳時代の副葬品から見える武器変遷、島津氏による豊後への侵攻での被災遺物、そして西南戦争の資料の展示
— 歴史ナビ (@rekinavi) 2017年7月30日 - 08:40
kyouiku.oita-ed.jp/maizoubunka-c/…
白河戦線にて、女石の北に位置して、奥州街道と白河街道の分岐点になっている、交通の要所のこの山には何故か名前がありません。仕方ないので、国土地理院のサイトで標高を調べて、今後は402高地と呼ぶ事にします。… twitter.com/i/web/status/8…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月30日 - 18:01
そして、この402高地から高梁川を隔てた、北側の山が北雷神山。何故かこちらはちゃんと名前があります。もっとも戊辰戦争の記録では、単に「雷神山」としか書かれていませんが…(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月30日 - 18:04
奥州街道からは主に仙台藩兵と二本松藩兵、白河街道からは会津藩兵が攻め寄せる女石は、白河戊辰戦争の激戦地になったので、この402高知と女石西側の山(こちらも名前が判らず)には遺構や、銃弾・砲弾が在ると思うのですけれどもね~。女石西側の山の方は、構築したとの記録あり。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月30日 - 18:23
さっきの402高地の話ですが、先日、金子先生にお会いした時に、山の名前を聞いたらご存じないとの事で(元々名前はあっただろうが、使われなくなってしまった)、金子先生が知らないのなら、名前を知る者は居ないだろうと判断して、402高地とさせて頂きました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月30日 - 20:53
ただ、疑問なのが、402高地の正式な標高は402.9m、この場合は402高地と403高地、どちらで呼ぶのが妥当なのでしょう?(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月30日 - 20:54