@gundam103 ありがとうございます。参加方法は主催の日野新選組同会の峯岸弘行のFBか、私宛(Twitterで一時的にフォローして頂いてのDMでも、メアドのどちらでも)に、お名前と携帯番号(緊急時の連絡に必要なので)を連絡頂ければ登録させて頂きますので、ご検討下さい。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 01:52
西南戦役50周年を記念して開催された西南戦役遺物展覧会の記念絵葉書より。大正8年に開館した鹿児島市立教育参考館の展示品目録には背嚢、指揮刀は含まれていない。なお教育参考館の史料は散逸したが、県下の資料館、図書館等に保管されている。 pic.twitter.com/rPqNidzW8V
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2017年6月30日 - 21:15
竹本知行先生が、『軍事史から読み解く幕末維新』との公園をするとの事で、これは行くべきとと思ったものの、開催日が7/22との事で泣く泣く断念。この日は、翌日の白河古戦場巡りに備えて、白河に前日入りする予定なのですよ~。・゜・(ノД`)・゜・。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 01:56
個人的に戊辰戦争の謎の一つと思っている「伝習隊はシャスポー銃を装備していたか否か」ですが、ふと思ったのが宇都宮城を復元した際に、発掘調査をしたでしょうから、その発掘記録調査書を読んだらどうでしょうとの事。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 11:11
もし、シャスポー弾が出土していたら、伝習隊がシャスポーを装備していたのは確定だと思います。シャスポーが出土されずに、ゲベールやミニエーの方は多数出土していたら、シャスポーを装備していない可能性が高いのではないでしょうか?
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 11:13
ちなみに個人的には、伝習はシャスポーを装備していなかったものの、スナイドルなどの一般的な後装銃を装備していたと思っています。後装銃を装備していないと、野州戦争前半における、大鳥圭介軍の圧倒的な強さが説明出来ないと思うのですよね。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 11:15
町田へ向けて出発〜、本日は小島資料館で、三十一人会会報の校正作業です〜(・ω・)ノ
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 13:16
先ほど、伝習隊のシャスポー銃について、宇都宮の発掘報告書を読みたいと書きましたが、宇都宮は先の大戦で激しい空襲を受けたので、戊辰戦争の遺物は難しいかもしれませんね(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 13:32
そういう意味では、宇都宮よりも小山や安塚(姿川)の方が確率が高いかもしれませんね。日光後退後は大鳥自身が弾薬不足を嘆いてるので、大鳥軍が『後装銃』で大暴れしたのは小山〜安塚〜宇都宮の間だと思いますので。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年7月1日 - 13:36