神奈川県の愛川町と言えば、やはりこの水道坂。かつては、この急坂により加速した水を一気に横須賀まで流して、当時の軍艦に飲料水として積載していたそうです。神奈川県の北西部の愛川町から、南東の横須賀までわざわざ運んでいたと言うのは驚きです。 pic.twitter.com/cOsoM3aTr6
『GATE』第六話の予告を観る。劣勢を挽回するために、攻撃ヘリ部隊の投入ですか。確かに中世レベルの装備の軍勢ならば、コブラ一機あれば、例え数百レベルが相手でも圧倒出来そう。ところで、予告編にフェネストロンタイプの機体が居ましたね。最近の陸自の装備を知らないので判りませんが(続く)
(承前)陸自にもフェネストロンタイプの機体が配備されているのでしょうかね。
何はともあれ、十代の少年少女が魔法やら超能力やら、訳の判らない力で近代軍隊に無双する最近の作品にストレスを感じていた身としては、逆に近代軍隊がファンタジーを圧倒する『GATE』は爽快感を感じます(^^;)
@jyagamai 今日は受け取り出来なかったので、明日入手の予定です(汗)。とりあえず、中盤以降手札不足になる悪いパターンを改善した編成にしたいと思っています。
@maEmpire この分野の知識不足を痛感している身としては、気になる本ですね。やはり当時の教本を読み込むのが、理解を深める第一歩でしょうか…。
@maEmpire なるほど調査地の歴史ですか、先日頂いた資料を読んでいますが、今まで知らなかった分野なので興味深いです。
また西南戦争では、注水の城跡や館跡が流用されたとの、お話しは興味深いです。戊辰戦争では近くに山城があるのに、何故ここを布陣しないのだろうと思う場面が多いです
@maEmpire 近くに城跡があるのに、街道上や宿場町に布陣する事が多かったので、西南戦争で中世城郭を流用するようになったとのお話しを聞いて、野戦築城の知識と言いましょうか、教育が向上したのかなと感じました。何はともあれ、調査地の歴史は、私も今後学びたいと思います。
@nakachandaisuki @maEmpire マンチカンさんも書いてくれましたが、戊辰時はまだ部隊運用の過渡期なので、まずは教本の熟読からしたいと思います。
@maEmpire 栃尾城は、米沢藩兵が「謙信公旗揚げの地に!」と、ノリノリで入城しているのが面白いですよね(^^;)。白河は火砲の発達により、関ヶ原時の防塁よりも立石・金勝寺・雷神・立石・六反・稲荷等の高地の争奪戦になったのが興味深いです。
@maEmpire 栃尾城の遺構では、以前お話ししたように中世の遺構と、戊辰時の改築跡が混在していますが、双方の比較なども興味深そうですね。
@maEmpire 連投で申し訳ありません。箱根戊辰戦争では、目の前にある石垣山一夜城跡に半個小隊でも派遣すれば、新政府軍の左翼部隊の侵攻を阻止できただろうと、伊庭八郎についつい突っ込みたくなってしまいます(汗)。
@maEmpire 20名前後です。数は少ないですが、石垣山城は石垣山の北端に位置するので、視界は開けています。また関東大震災前は、石垣も崩れに健在だったようなので、そこにミニエー銃装備の20名を配置すれば(続きます)
@maEmpire 斜面を登ってくる新政府軍(特に前衛の小田原藩兵)を迎撃するには有効だと思っています。特に後方に配置した大砲(砲手不明、ただし遊撃隊所有なので四斤山砲かも)をここに配置すれば、隘路の入り口にも砲撃出来るので、何故石垣山城に哨戒兵しか置かなかったのか不思議です。
@maEmpire 結局は箱根布陣は、小田原藩の背信に対する受動的な行為に過ぎず、能動的に迎撃作戦を計画した訳ではなかったからでしょうが(受動的だったのは記録からも判ります)、それにしても石垣山城を捨てたのは、伊庭には申し訳ないですが判断を誤ったと思ってしまいます。