天竜川対岸から見た二俣城址遠景。天竜川沿いにそびえ立つ断崖絶壁の上に築かれた城と言うのが良く判ります。また武田信玄が攻撃した井戸も、ここに存在していたと思われます。
武田信玄が筏を用いて、井戸櫓を破壊して落城させた事で有名な二俣城址に行ってきました。武田信玄の西上作戦で、信濃から遠江から出てきた武田勢が攻め落としたと言う事で、イメージ的には信濃・遠江国境付近に位置する城かと思っていたら、実際には遠江中部に位置する城でした。それこそ掛川城や高天神城よりも浜松城に近く、確かに信玄にここを奪われた家康にとっては、目障りな城だろうな実感出来た次第です。
本丸跡から天竜川を見て。二俣城は天竜川が「U」字を描いている部分の突端部の丘陵地帯に築かれており、更にその背後は二俣川も流れているなど、本当に天然の要害と呼ばれるのに相応しい場所に築かれています。本当は天竜川対岸から見た二俣城址の画像を撮りたかったのですが、この日は訪れなかったので、後日再訪問したいです。
城内解説版の二俣城址の地図。
搦手付近の駐車場横に残る土塁跡らしき遺構。
搦手付近に建てられた二俣城址の碑。
搦手から北曲輪跡を見上げて。
虎口跡。
本丸と北曲輪間の堀切跡。
北曲輪跡。日清・日露の両戦争での戦没者を祭った旭ヶ丘神社が建てられています。神社の裏にも土塁跡らしき物が在りましたが、今回は藪が多かったので断念。
本丸跡に築かれた天守台跡。
本丸跡に残る土塁。
同じく本丸跡の土塁。
本丸跡大手口の段違い虎口跡。
桝形虎口跡。
二の丸の虎口跡。
二の丸虎口跡登り口の道路。カギ型をしているので、道筋は当時のままの気がするのですが…。
二の丸跡に建つ城山稲荷神社。
二の丸の土塁跡。
二の丸と蔵屋敷間の堀切跡。真夏真っ盛りの八月に訪れたので、堀切も蔵屋敷も藪に覆われて殆ど視認出来ず(涙)
*13年02月に再訪問した際は、藪も枯れて堀切を視認する事が出来ました。
東側から蔵屋敷跡を見て。夏に訪れた際は、藪に覆われて近づく事すら出来なかったものんぽ、冬の再訪問で蔵屋敷跡内に足を踏み入れる事が出来ました。
蔵屋敷跡内に残された石垣。
蔵屋敷跡の先には堀切を挟んで南出丸が在るのですが、こちらは竹藪に覆われて冬場でも歩くのが困難でした(汗)。
南東部から見た二俣城址。住宅地になっている手前の低地は、当時は川だったらしく、川に挟まれた要害だったと言うのが偲ばれます。
二俣城址南方の間近に在る鳥羽山城跡。元々は家康が二俣城攻略の為に築いた付城らしいですが、こんなに至近距離に築かれた付城も珍しいですね。
武田信玄が正攻法では攻め落とせず、イカダを用いてようやく攻略した城と言う事で、要害の城と言うイメージばかり先行していた二俣城址ですが、いざ訪れてみると意外と規模はさほど大きくないと言うのが正直な感想です。でも天竜川沿いの切り立った崖上に築かれた要害というのは実感出来ました。
ただ惜しむらくは時間があまりなかったので、天竜川対岸からの二俣城址が見られなかったのと、すぐそばの鳥羽山城跡を訪れる事が出来なかった事が心残りです。何より夏場に行ったので、蔵屋敷や西曲輪(井戸曲輪)などが藪に阻まれて近づけなかったので、秋から冬にかけて再訪問したいと思っています。
*追記:2013年の2月に再訪問して、夏に訪れる事が出来なかった蔵屋敷跡や南出丸に訪れる事が出来ました。
訪問日:2012年8月7日、2013年2月14日