歴声庵

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ウィキペディアと戊辰戦争

2009年06月28日 18時36分11秒 | 戊辰戦争・幕末維新史

 調べ物をする時に便利と言われるウィキペディアですけれども、複数の偏執的な人間が居れば、記事を事実とは異なる方向に改ざん出来るシステムなので、私はそのシステムに疑問を抱いています。中でも特に酷いと思っているのが、戊辰戦争の記述です。

 以前は本当に史実とフィクションの区別がつかずに、薩長を偏執的に憎む人物がでたらめな記述をしていました。司馬遼太郎や星亮一と言った「小説家」の書いたフィクションを読んだその人物は、その義憤をかき立てられて薩長を誹謗中傷する記述をしていました(彼にすれば、明治維新はテロだそうで、その無知ぶりには呆れる他ありませんでした)。
 そのような昔に比べれば、大分マシになったとは言え、相変わらず偏執的な記述が残っているのが実情です。判り易い例として交戦勢力の欄で、通常勝者側が記述される左側に敗者の旧幕府軍が記述されていて、通常敗者側が記述される右側に勝者の新政府軍が記述されている所に、記述した者の偏執性が感じられます。ただここで注意しなくてはいけないは、あくまで「左側=勝者、右側=敗者」の通例であって、ルールではないのですよね、ですので旧幕府軍を左側に書いてもルール違反には当たらないものの、知らない人が見たら旧幕府軍が勝利者と見えるような書き方をしている所に、記述者の偏執性が感じられます。
 ところでウイキの記述を読んで一番思うのは、会津贔屓・新選組贔屓は佐幕ファンを自称しながらも、会津・新選組以外の佐幕勢力に対して驚く程無関心なんですよね。例えば「鳥羽伏見の戦い」の記述を読むと、新選組に関する記述は確かに充実しています。しかし新選組の兵数はたかだか150名強に過ぎず、総数一万五千と言われる旧幕府軍の中では1/100程度の存在なのが実情です。そのような旧幕府軍の数数の中で1%に過ぎない新選組に関しては詳しい記述がされているのと比べると、旧幕府軍の実に半分近くを占める幕府歩兵の記述が殆どされていない事に、彼等自称佐幕ファンの関心が会津と新選組にしか及んでいないのが察する事が出来ます。
 もっとも多少は仕方ないと思われる面もあります。幾ら数が多いとはいえ、幕府歩兵には「正義」とか「誇り」と言った、会津・新選組信者の大好きな要素が小説家によって未だ書かれていないので、リアリティな存在の幕府歩兵はロマンチストな彼らの琴線には触れないのでしょう。
 しかし学問的には、旧幕府軍を調べるのなら主力である幕府歩兵を調べるのは当然なのですから、旧幕府軍主力である幕府歩兵には注目せず、少数派の会津藩兵と新選組にばかり拘る所に、彼ら自称佐幕ファンが学問ではなく、あくまでフィクションの視点でしか幕末維新史を見ていないと言うのが伝わってきます。そして、そもそも佐幕ファンを自称しながらも、会津と新選組以外の佐幕勢力に関して無関心と言うのを表していると思います。
 この自称佐幕ファンが「会津・新選組以外の佐幕勢力に関してあまりにも無関心」と言うのを示す別の例として、彼ら自称佐幕ファンから半ば神格化されている奥羽越列藩同盟について、これまた会津藩と仙台藩(小説家星亮一が推している)以外については無関心なんですよね。越後戦線については米沢藩兵が主力だったのにも関わらず、「薩長側で書かれた史料は全て捏造!」と叫ぶ彼らが、「真の戊辰戦争の基礎資料」と呼ぶ新選組研究家の菊地明が中心になって書かれた『戊辰戦争全史』に書かれた米沢藩兵の姿が、史実とはあまりにもかけ離れた記述をされているのが彼ら佐幕はファンの実情です。戊辰戦争史を調べる者にとって、基礎文献と呼ばれる『戊辰役戦史』に対抗して書かれたと言われる、言わば彼ら自称佐幕ファンにとっての基礎文献と言って良い『戊辰戦争全史』がこのような体たらくなのですから(まあ菊地明が中心になっている時点で仕方ないかもしれませんが)、自称佐幕ファンを自称する者達の知識の偏りが発生するのも仕方ありません。
 そもそも食わず嫌いをせずに、あらゆる史料を読めば良いのですけれども、自称佐幕ファンは自分達にとって都合の良い書籍(会津・新選組を賛美する)しか読まない傾向があるのですよね。佐幕ファンを自称するなら、会津藩と新選組以外の佐幕勢力にも興味を持って頂きたいと思うのですが・・・。

 結局ウィキの戊辰戦争の記述の偏りは、自称佐幕ファンの史実を軽視してフィクションを重視する偏執性と、そもそも佐幕ファンを自称するくせに、会津と新選組以外の佐幕勢力に対して無関心な者が多いと言うのが原因だと思われます。現在は会津信者が書き込めない処置がされているものの、完全に改善される事は無いでしょう。どうしてもイデオロギーが(それが負け組みに対してのシンパシーと、勝ち組に対しての嫉妬とは言え)関わる戊辰戦争の記述では、不特定多数が参加出来るというウィキのシステムでは史実を書くのは難しいと言わざるを得ません。このように書くと、「ならばお前がウィキに書け」と思われる方が居るかもしれません。しかし私としては、ウィキに参加するより自分のサイトの記事を充実させたいと思っていますので、今後もウィキに参加するつもりはありません。
 
 以上、長々と書いて申し訳ありませんでした。実はこのウィキの記述に続いて、現在起きている会津絶賛に対する揺り返しに対する懸念を書くつもりだったのですけれども、ウィキの記述だけで長くなってしまったので、学問的な手法ではなく、感情論で会津を非難する人達の増加に対する懸念」については、後日書かせて頂きたいと思います。