歴声庵

ツイッター纏め投稿では歴史関連(幕末維新史)、ブログの通常投稿では声優さんのラジオ感想がメインのブログです。

野州日帰り紀行

2007年11月10日 21時50分02秒 | 登城記・史跡訪問
 宇都宮・安塚・壬生に行ってきました。ブログでは書くのを忘れていましたけれども、先々週に小山・結城を訪れましたので、今年の正月に今市を訪れたのも含めて、ようやく小山戦から今市戦までの古戦場及び関連史跡を訪れる事が出来ました。これで正月に書いた、「今年は野州戦争の記事を書き直したい」の目標を達成する事が出来そうです。もっとも今年中に全部書くのは無理そうですが(汗)

 宇都宮~安塚~壬生間の距離感を感じてみたかったので、今回は宇都宮でレンタル自転車を借りて回ってみました。あくまで感覚的な話になるものの、壬生~安塚間よりも、宇都宮~安塚間の方が近かった気がします。どうも安塚村の戦いでは、壬生城の近くの安塚村に布陣した新政府軍の陣地を、宇都宮城から遠征した大鳥軍が攻撃したというイメージを抱いていました。しかし実際に訪れてみると、新政府軍と大鳥軍は、それぞれの拠点(壬生城と宇都宮城)の中間地点で、戦ったのだなと認識を改める事となりました。
 ところで今回の目的の一つに、安塚村の戦いの際に大鳥軍が布陣したと伝えられる、樋口城跡(戊辰戦争時既に廃城)を探すというのがあったものの、結局見つける事が出来ませんでした。幕末の時点で廃城になっていたと書かれていたので、見つけるのは難しいと思っていましたけれども、よもや一時間探し回ったのに見つからないとは思わなかったです。流石にネットで検索しても画像が見つからない遺構を、土地鑑が無い者が探すというのは無謀だったようですね(汗)
 この樋口城の遺構が見つからなかったのと、安塚村の戦いで戦死した大鳥軍兵士の墓がある光音寺を訪れる事が出来なかったので、安塚にはもう一度訪れたいと思っています。

 何はともあれ、関連史跡を回る事が出来たので、野州戦争についての記事は、今月から順次更新していきたいと思います。ところで私としては、野州戦争は小山宿周辺の戦いで始まり、第二次今市宿攻防戦で終ったと認識となっており、藤原・三斗小屋・大田原等の戦いは、奥羽戦争の付属の戦いとなっていますので、当サイトの野州戦争の記事も第二次今市宿攻防戦で終わります事を御了承ください。一応今のところ前編(小山宿周辺の戦い)・中編(宇都宮城争奪戦及び、安塚村の戦い)・後編(日光・今市周辺の戦い)の三部構成を考えているものの、後編の更新は来年になると思います。
 尚、当サイトの野州戦争の記事は相変わらず軍事偏重で、政治や民衆の動向には殆ど触れていませんので、そちらについての詳細は幕末ヤ撃団様の冬コミの新刊をご参照下さい。