近鉄山田線で松阪駅に到着しました。JR線に乗り換えて名松線に乗車します。
↑近鉄「松阪駅」
↑JR「松阪駅」
↑近鉄にもまだあったか!このパタパタ!
↑JRは電光掲示です。名松線に乗ります。
↑名松線は4年ぶりに乗車します。
↑キハ11の300番台です。平成27(2015)年8月1日からキハ11形0・100番台からキハ11形300番台車両に変更されました。
↑運転室には、懐かしいタブレットが名松線では現役です。
↑名松線は風光明媚な区間も走ります。松阪駅発車時点では乗客は10人でしたが、次第に減って行きました。
↑家城駅に到着しました。この駅で列車交換します。
↑家城駅員が運転士とタブレット交換を行います。以前は、地方でもよく見られた光景ですが、これも貴重になってきました。
↑ケンミンが4年前に名松線に乗った際は、この家城駅にてこの代行バスに乗り換えました。
JR名松線は平成21(2009)年10月8日、台風18号による豪雨で、家城駅~伊勢奥津駅間で約40箇所で土砂崩れや路盤流出が生じ運休し、代行バスによる運転を開始しました。
2年前の平成28(2016)年3月26日(土)ダイヤ改正の際に家城駅~伊勢奥津駅間にて運行を再開しました。運休から実に6年半ぶりの全線復旧となりました。この日は北海道新幹線が開通。
↑終点・伊勢奥津駅に16時35分に到着しました。1月3日のこの日は、乗客はケンミンと相棒の2人だけでした。駅前を散策したら人を見かけませんでした。
↑1月3日16時40分に撮影。
↑4年前の伊勢奥津駅です。列車が運休中だったので、枯草だらけでした。
↑伊勢奥津駅です。
↑全線運転再開の日にはヘッドマークが付いたそうです。
伊勢奥津から折り返しの列車に乗って松阪駅まで戻りましたが、乗客はケンミンと相棒の2人のみで、途中駅から乗車はありませんでした。貸切状態でした。
被災前は名松線の1日の利用客は約90人と典型的な赤字路線でした。
↑松阪駅に戻り、快速みえに乗って名古屋へ。
↑大垣から今冬運転最終日の快速ムーンライトながらに乗って東京へ、群馬へ帰りました。
おわり。
↑近鉄「松阪駅」
↑JR「松阪駅」
↑近鉄にもまだあったか!このパタパタ!
↑JRは電光掲示です。名松線に乗ります。
↑名松線は4年ぶりに乗車します。
↑キハ11の300番台です。平成27(2015)年8月1日からキハ11形0・100番台からキハ11形300番台車両に変更されました。
↑運転室には、懐かしいタブレットが名松線では現役です。
↑名松線は風光明媚な区間も走ります。松阪駅発車時点では乗客は10人でしたが、次第に減って行きました。
↑家城駅に到着しました。この駅で列車交換します。
↑家城駅員が運転士とタブレット交換を行います。以前は、地方でもよく見られた光景ですが、これも貴重になってきました。
↑ケンミンが4年前に名松線に乗った際は、この家城駅にてこの代行バスに乗り換えました。
JR名松線は平成21(2009)年10月8日、台風18号による豪雨で、家城駅~伊勢奥津駅間で約40箇所で土砂崩れや路盤流出が生じ運休し、代行バスによる運転を開始しました。
2年前の平成28(2016)年3月26日(土)ダイヤ改正の際に家城駅~伊勢奥津駅間にて運行を再開しました。運休から実に6年半ぶりの全線復旧となりました。この日は北海道新幹線が開通。
↑終点・伊勢奥津駅に16時35分に到着しました。1月3日のこの日は、乗客はケンミンと相棒の2人だけでした。駅前を散策したら人を見かけませんでした。
↑1月3日16時40分に撮影。
↑4年前の伊勢奥津駅です。列車が運休中だったので、枯草だらけでした。
↑伊勢奥津駅です。
↑全線運転再開の日にはヘッドマークが付いたそうです。
伊勢奥津から折り返しの列車に乗って松阪駅まで戻りましたが、乗客はケンミンと相棒の2人のみで、途中駅から乗車はありませんでした。貸切状態でした。
被災前は名松線の1日の利用客は約90人と典型的な赤字路線でした。
↑松阪駅に戻り、快速みえに乗って名古屋へ。
↑大垣から今冬運転最終日の快速ムーンライトながらに乗って東京へ、群馬へ帰りました。
おわり。
台風の被害を受け、家城~伊勢奥津間が不通になりました。この区間はもともと乗客が少なく赤字で、一時は復旧せずバス化も検討されました。このような路線も全国にあります。せっかく復旧したのに乗客は少ないのですか…それも、青春18きっぷシーズンなのに…。
青春18きっぷの期間にも関わらず乗客が少なかったのが意外です。快速みえ号は大混雑していましたが。