伊勢神宮への初詣の旅。
江戸時代、「一生に一度はお伊勢参り」と言われていました。年間約800万人が訪れる伊勢神宮。
↑内宮に着きました。この高さ7mの大鳥居は、式年遷宮で外宮と内宮の大きな柱を再利用しているんです。
↑内宮の正式名称は「皇大神宮」で、天照大御神を祀っています。
↑内宮では右側通行です。まずは五十鈴川に架かる全長102mの宇治橋を渡ります。総檜作りで橋の両端には高さ7mの大鳥居が建っています。俗と聖を結ぶ架け橋なんです。
↑この宇治橋の右側に注目!川の中に柱みたいなものが数本建っています。これは「木除杭」(きよけぐい)と言って、五十鈴川が増水した時に上流からの流木等をこの木除杭で受け止めて、宇治橋を守るものなんです。
この宇治橋も式年遷宮と同じで、20年ごとに橋を架け替えます。
↑大鳥居をくぐって右へ曲り、右手に芝生が広がる「神苑」です。ここにはかつて民家が建っていました。明治時代に全て立ち退いて神苑が誕生しました。聖なる地に俗っぽいものを排除したんだそうです。
↑火除橋を渡り、右に手水舎が見えてきます。ここでは手と口は清めず通過して鳥居をくぐります。
↑見えてきたのは、「御手洗場」(みたらし)です。
↑清らかな五十鈴川で、身と心を清めます。
↑参拝者の多くは、正宮へ向かいますが、御手洗場の近くにあるのが「瀧祭神」(たきまつりのかみ)です。五十鈴川を守護する水の神です。社殿はなく、五十鈴川のほとりにある石の祭壇を板垣が囲んでいます。石が御神体なんです。隠れた必見ポイントです。
↑風日祈橋を渡ります。
↑ここは内宮で一番落ちつく場所である「風日祈宮」(かざひのみや)です。鎌倉時代、二度の蒙古襲来の際に神風を起こして日本を勝利に導いたとされる風の神を祀っています。
↑さあ、いよいよ皇大神宮正宮の正殿です。一般の撮影はここ階段の下までです。外宮と同じく日頃の感謝を祈るのが良いそうです。
この正宮の奥まで入れる人がいます。「天皇」です。天皇は天照大御神の子孫とされているため、伊勢神宮と深い関わりがあります。平成31年4月末で「平成」が終わります。平成2年11月に、今の天皇陛下が即位の時に伊勢神宮に礼拝しました。
↑内宮が混雑する期間は、「古殿地へ迂回路」が開放されます。この迂回路は昨年末から今年5月までの休日に開放されており、今月1月は平日も開放されていますよ!金色に輝く神明造りの正宮を見ることができます。
↑正宮の屋根にある棒状のものは「鰹木」(かつおぎ)と言って1つ約400kgもあります。内宮では10本、外宮では9本になっています。一般的に男の神様の鰹木は奇数で女の神様の鰹木は偶数なんだそうです。また屋根から斜めに突き出していのは「千木」(ちぎ)と言って、千木の先端は内宮では横切り(水平切り)、外宮では縦切り(垂直切り)になっています。この違いは内宮より約500年後に創建された外宮は、内宮に遠慮したというの説があるそうです。
↑「荒祭宮」(あらまつりのみや)です。天照大御神の荒御魂を祀り、内宮の別宮の中でも最も格式が高い神様です。御正殿と同じく式年遷宮が行われます。
宇治橋に戻り、俗の世界に戻ります。
↑おはらい町です。大混雑しています。おはらい町で、おみやげ店で売っている犬のグッズをたくさん見かけます。これは通称「おかげ犬」と言って、江戸時代、病気で外に出かけられない主人が飼い犬の首にお金をぶら下げて、犬にお伊勢参りをさせた話からなんです。今年は戌年なので、よくこの「おかげ犬」のグッズが売れているそうです。
↑赤福本店です。
↑赤福です。たくさん歩いたので、おいしい!
↑おかげ横丁にも寄りました。
↑猿田彦神社も参拝しました。
↑約2km歩いて、近鉄「五十鈴川駅」から電車に乗って次の目的地へ向かいます。
つづく。
江戸時代、「一生に一度はお伊勢参り」と言われていました。年間約800万人が訪れる伊勢神宮。
↑内宮に着きました。この高さ7mの大鳥居は、式年遷宮で外宮と内宮の大きな柱を再利用しているんです。
↑内宮の正式名称は「皇大神宮」で、天照大御神を祀っています。
↑内宮では右側通行です。まずは五十鈴川に架かる全長102mの宇治橋を渡ります。総檜作りで橋の両端には高さ7mの大鳥居が建っています。俗と聖を結ぶ架け橋なんです。
↑この宇治橋の右側に注目!川の中に柱みたいなものが数本建っています。これは「木除杭」(きよけぐい)と言って、五十鈴川が増水した時に上流からの流木等をこの木除杭で受け止めて、宇治橋を守るものなんです。
この宇治橋も式年遷宮と同じで、20年ごとに橋を架け替えます。
↑大鳥居をくぐって右へ曲り、右手に芝生が広がる「神苑」です。ここにはかつて民家が建っていました。明治時代に全て立ち退いて神苑が誕生しました。聖なる地に俗っぽいものを排除したんだそうです。
↑火除橋を渡り、右に手水舎が見えてきます。ここでは手と口は清めず通過して鳥居をくぐります。
↑見えてきたのは、「御手洗場」(みたらし)です。
↑清らかな五十鈴川で、身と心を清めます。
↑参拝者の多くは、正宮へ向かいますが、御手洗場の近くにあるのが「瀧祭神」(たきまつりのかみ)です。五十鈴川を守護する水の神です。社殿はなく、五十鈴川のほとりにある石の祭壇を板垣が囲んでいます。石が御神体なんです。隠れた必見ポイントです。
↑風日祈橋を渡ります。
↑ここは内宮で一番落ちつく場所である「風日祈宮」(かざひのみや)です。鎌倉時代、二度の蒙古襲来の際に神風を起こして日本を勝利に導いたとされる風の神を祀っています。
↑さあ、いよいよ皇大神宮正宮の正殿です。一般の撮影はここ階段の下までです。外宮と同じく日頃の感謝を祈るのが良いそうです。
この正宮の奥まで入れる人がいます。「天皇」です。天皇は天照大御神の子孫とされているため、伊勢神宮と深い関わりがあります。平成31年4月末で「平成」が終わります。平成2年11月に、今の天皇陛下が即位の時に伊勢神宮に礼拝しました。
↑内宮が混雑する期間は、「古殿地へ迂回路」が開放されます。この迂回路は昨年末から今年5月までの休日に開放されており、今月1月は平日も開放されていますよ!金色に輝く神明造りの正宮を見ることができます。
↑正宮の屋根にある棒状のものは「鰹木」(かつおぎ)と言って1つ約400kgもあります。内宮では10本、外宮では9本になっています。一般的に男の神様の鰹木は奇数で女の神様の鰹木は偶数なんだそうです。また屋根から斜めに突き出していのは「千木」(ちぎ)と言って、千木の先端は内宮では横切り(水平切り)、外宮では縦切り(垂直切り)になっています。この違いは内宮より約500年後に創建された外宮は、内宮に遠慮したというの説があるそうです。
↑「荒祭宮」(あらまつりのみや)です。天照大御神の荒御魂を祀り、内宮の別宮の中でも最も格式が高い神様です。御正殿と同じく式年遷宮が行われます。
宇治橋に戻り、俗の世界に戻ります。
↑おはらい町です。大混雑しています。おはらい町で、おみやげ店で売っている犬のグッズをたくさん見かけます。これは通称「おかげ犬」と言って、江戸時代、病気で外に出かけられない主人が飼い犬の首にお金をぶら下げて、犬にお伊勢参りをさせた話からなんです。今年は戌年なので、よくこの「おかげ犬」のグッズが売れているそうです。
↑赤福本店です。
↑赤福です。たくさん歩いたので、おいしい!
↑おかげ横丁にも寄りました。
↑猿田彦神社も参拝しました。
↑約2km歩いて、近鉄「五十鈴川駅」から電車に乗って次の目的地へ向かいます。
つづく。
太平洋戦争中、伊勢神宮に限って修学旅行が認められていました。
また、伊勢神宮の式年遷宮と鉄道は大いに関係があります。快速みえ用のキハ75系がデビューしたのは前々回の式年遷宮の時でしたし、近鉄しまかぜのデビューは前回の式年遷宮の時でした。
近鉄しまかぜはいまだに切符の入手が難しいとか。青春18きっぷのシーズンには快速みえはありがたい存在です。
伊勢神宮は1300年の歴史がありますからね!