日本が貧困拡大社会となる中で、パーソナル・サポート・サービス=既存制度では支えられない人たちの生活・就労一体型支援がモデル事業としてたちあがった。この本は各地のその現場、釧路・大阪・沖縄と回りながら湯浅と茂木が話したこと、考えたことの記録です。
それぞれの現場で担当している人、相談者などと対話をしているのですが、現場でないと分からない考え、悩みなどは、この本がもともとNHKの番組を基にしているのでしょうが、よくわかります。
貧困というのは「貧乏」プラス「孤立」ということで、人間関係など、いろいろなところの「溜め」(これは湯浅の造語だと思うのですが、お金、人間関係、自信、尊厳など、人間が困難な状況に陥ったときの緩衝材になるとともに、人がエネルギーを汲み出す諸力の源泉となるもの)を増やしていかないと問題が解決しない。人間が健康で文化的な最低限の生活を営むための衣食住を支えるお金は必要だけど、自立するためにはやっぱりつながりが必要で、湯浅によれば、極論すればお金を支給するよりも友達を100人支給することのほうがいいかもしれないと。
ところでそれを政策として政府の予算なり、パブリックマネーで行おうとすると、意見の異なる様々な人がいるから、その人たちの同意が必要になる。民間の活動というのは「この指とまれ」方式で「何かしたい」と思っている人たちだけで集まって、寄付などのお金で行うから、自分たちの主張を100%貫ける。どうしても国のやることは、スピード感がなくて手間がかかる。
湯浅は内閣府の参与の経験から「調整権限と決定権限はセット」といい、自分たちで決めたいのなら調整責任を背負わなくてはいけないという。ある政策を実行するときには、その政策に反対の人もお金を使う。賛成の人の税金だけを使って政策は実行できないのです。これはある意味、体制に取り込まれたといわれかねないのですが、パーソナルサポートの仕事も相談者との意見交換のプロセスと考えれば共通している、結局異なる立場の間の合意形成や調整が必要ということになるのでしょう。
それにしても日本には、ここの事情を見て判断することを嫌うような文化的傾向があって、一律が好き。これは結局自分で判断できないので、個人に自信がないからか・・・「ひとつの流れが出来た」と多くの人が感じると、個々人がそれを所与のものとして動き出して、結果的にそれが強化されるということになってしまいます。
自己責任論について言うと、これが貧困問題の解決や日本社会の発展の妨げになっていると。自己責任論は「関係性」を見ないということですが、シリコンバレーに代表されるように、イノベーションのほとんどは、関係性やネットワークを駆使することで生まれているのです。
二人の多様なやり取りの最後に5つの提言があるのですが、ちょっとそれだけでは提言の「こころ」が分かりにくいので、やっぱり全部読んでください。一応その提言を書いておきます。
1「パーソナルサポート」には貧困対策とどまらない日本再生の鍵がある
2「溜め」や「安全基地」がなければ、人間は生きていけないし、何かに挑戦することも出来ない。
3 困った人は地域の宝物である。一人の課題を解決することは、地域と社会の問題を解決すること。その積み重ねが日本社会全体の解決能力も上げていく。
4 自己責任論はフィクションである。それは人を自立させないものであり、イノベーションを妨げるものでもある。
5 自分自身の「壁」を意識化して、それを壊していく。多様な価値観を受け入れることが出来る人間が増えれば、社会はもっと豊かで強くなる。
茂木が言っていますが、人格というのはその人一人だけで出来ているのではなくて川の流れのようにたくさんの影響が集まって出来ている。「あなたという人は今まであなたが人生で出会ったすべての人の反映なんだ」ということですし、「人間を理解する」鍵は関係性にある。人間が一人で生きていけない以上、多様な関係性を持つことによって、社会生活を営んでいけるのでしょう。
テーマがテーマだけに湯浅の論に鋭さと深みがあると思いますが、うまくそれを茂木がフォローしている感じで、硬いテーマの割りに読みやすい本でした。
それぞれの現場で担当している人、相談者などと対話をしているのですが、現場でないと分からない考え、悩みなどは、この本がもともとNHKの番組を基にしているのでしょうが、よくわかります。
貧困というのは「貧乏」プラス「孤立」ということで、人間関係など、いろいろなところの「溜め」(これは湯浅の造語だと思うのですが、お金、人間関係、自信、尊厳など、人間が困難な状況に陥ったときの緩衝材になるとともに、人がエネルギーを汲み出す諸力の源泉となるもの)を増やしていかないと問題が解決しない。人間が健康で文化的な最低限の生活を営むための衣食住を支えるお金は必要だけど、自立するためにはやっぱりつながりが必要で、湯浅によれば、極論すればお金を支給するよりも友達を100人支給することのほうがいいかもしれないと。
ところでそれを政策として政府の予算なり、パブリックマネーで行おうとすると、意見の異なる様々な人がいるから、その人たちの同意が必要になる。民間の活動というのは「この指とまれ」方式で「何かしたい」と思っている人たちだけで集まって、寄付などのお金で行うから、自分たちの主張を100%貫ける。どうしても国のやることは、スピード感がなくて手間がかかる。
湯浅は内閣府の参与の経験から「調整権限と決定権限はセット」といい、自分たちで決めたいのなら調整責任を背負わなくてはいけないという。ある政策を実行するときには、その政策に反対の人もお金を使う。賛成の人の税金だけを使って政策は実行できないのです。これはある意味、体制に取り込まれたといわれかねないのですが、パーソナルサポートの仕事も相談者との意見交換のプロセスと考えれば共通している、結局異なる立場の間の合意形成や調整が必要ということになるのでしょう。
それにしても日本には、ここの事情を見て判断することを嫌うような文化的傾向があって、一律が好き。これは結局自分で判断できないので、個人に自信がないからか・・・「ひとつの流れが出来た」と多くの人が感じると、個々人がそれを所与のものとして動き出して、結果的にそれが強化されるということになってしまいます。
自己責任論について言うと、これが貧困問題の解決や日本社会の発展の妨げになっていると。自己責任論は「関係性」を見ないということですが、シリコンバレーに代表されるように、イノベーションのほとんどは、関係性やネットワークを駆使することで生まれているのです。
二人の多様なやり取りの最後に5つの提言があるのですが、ちょっとそれだけでは提言の「こころ」が分かりにくいので、やっぱり全部読んでください。一応その提言を書いておきます。
1「パーソナルサポート」には貧困対策とどまらない日本再生の鍵がある
2「溜め」や「安全基地」がなければ、人間は生きていけないし、何かに挑戦することも出来ない。
3 困った人は地域の宝物である。一人の課題を解決することは、地域と社会の問題を解決すること。その積み重ねが日本社会全体の解決能力も上げていく。
4 自己責任論はフィクションである。それは人を自立させないものであり、イノベーションを妨げるものでもある。
5 自分自身の「壁」を意識化して、それを壊していく。多様な価値観を受け入れることが出来る人間が増えれば、社会はもっと豊かで強くなる。
茂木が言っていますが、人格というのはその人一人だけで出来ているのではなくて川の流れのようにたくさんの影響が集まって出来ている。「あなたという人は今まであなたが人生で出会ったすべての人の反映なんだ」ということですし、「人間を理解する」鍵は関係性にある。人間が一人で生きていけない以上、多様な関係性を持つことによって、社会生活を営んでいけるのでしょう。
テーマがテーマだけに湯浅の論に鋭さと深みがあると思いますが、うまくそれを茂木がフォローしている感じで、硬いテーマの割りに読みやすい本でした。