カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

望ましいマリア信心とは ー 聖母マリア(12)(学びあいの会)

2022-04-09 09:38:33 | 神学


 それでは、新しいマリア論はどのような形をとるのだろうか。新しいマリア崇敬はどのような方向に進もうとするのか。それは、プロテスタントからの批判に耐えるものであり、解放の神学やフェミニズム神学の成果を取り入れ、エコロジー神学の展望を見据えるものとなるだろう。光延師は、聖霊とマリアのつながりを強化し、神の女性的側面と三位一体の交わりがつながることにマリア論の新しい展開を展望しているようだ。それは次回紹介する『神学ダイジェスト』(師が編集長である上智大学神学会の機関誌)特集号からも読み取ることができる。

1 解放の神学とフェミニズム神学

 解放の神学とフェミニズム神学は、その成立の背景も主張も異なるとは言え、実は「マグニフィカト 聖母の讃歌」(ルカ1:46~56)に描かれる「解放の霊感」に共に注目している(1)という。マグニフィカト(マリアの讃歌)こそ新しいマリア崇敬の基本となる。

 ラテンアメリカの司教会議は、1968年のメデリン会議(コロンビア)、1979年のプエブラ会議(メキシコ)で、「解放の神学」を支持する(2)。解放の神学は、このマグニフィカトに、小さき者・貧しい者・抑圧された者の擁護者・解放者としてマリアが歌われていると指摘した。「身分の低い者を高く上げる」ことこそ福音のメッセージではないかと主張した。

 フェミニズム神学もマグニフィカトに注目する。教会の神学と霊性にはもともと男性的刻印が深く刻まれ、女性を軽視してきた歴史がある。そもそも聖書は男性によって書かれている。神の母マリアの教義はキリスト中心主義に貫かれている。キリストは神の「息子」だ。神の男性性という考え方には、キリスト教の家父長制的思考が色濃く反映されているのではないか。

 カトリックのマリア信心には、男性中心の聖職者位階制が投影されている。女性は隷属的なパートナーとして描かれている。「マリアは第二のエバ」説、つまり、「エバ→マリア」教会説からは女性解放の力は生まれない。カトリックは相変わらず「男の目線」でキリスト教を見ている、というのがフェミニズム神学の主張であった。

 代表的なフェミニズム神学者のR・リューサーは、神の女性性・神母性が救いに果たす役割を強調し、マリアの中に「神性の女性性」を探すべきだと主張しているという(3)。

2 マリアと聖霊のつながり

 このような解放の神学、フェミニズム神学からの批判にカトリック神学はどのように答えるのか。光延師は次のように述べる。

「それは、マリアを神の三位一体性の具体性が表れる場、神の霊の場、交わりの場として捉える視点ではないか」(4)
 具体的にはどういうことかわたしにはよくはわからないが、どうも東方教会のマリア信心などを念頭に置いておられるようだ。

「マリア論に触れない神学は、人間中心的・個人主義的ないびつな神学だ・・・聖霊の創造的・積極的な受容性が信仰の核心に浸透することが、キリストのからだである教会の実現ですが、その共同体の真ん中にいるのがマリアでしょう」(296頁)。
 マリア信心を捨て去ることではなく、聖霊との結びつきの中で新しい形でのマリア信心の展開を考えておられるようだ。

 

聖霊降臨とマリア(イエスのカリタス修道女会)

 

 


1 きれいな讃歌なので文語訳で読んでみよう(48ー50節のみ)
「わが心、主を崇め、わが霊は、わが救い主なる神を喜び奉る。
その婢女の卑しきをも顧み給えばなり。
視よ、今よりのち万世の人、われを幸福とせん。
 全能者、われに大いなる事を為し給へばなり。
その御名は聖なり、その憐憫は代々、畏み恐るる者に臨むなり」
(岩波文庫版『文語訳新約聖書詩編付』2014)平仮名を省いているので読みずらいが、「協会共同訳」(2018)では次のように訳されている。
「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
この卑しい仕え女に目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も 私を幸いな者と言うでしょう
力ある方が、私に大いなることをしてくださったからです。
その御名は聖であり その慈しみは代々限りなく 主を恐れる者に及びます」
2 1970年代の日本の教会内では解放の神学に関わる話題はは口にするのもはばかられる雰囲気であった。マルクス主義の一つですと一蹴されていた。、フランシスコ教皇の着座を見たとき隔世の感の思いを禁じ得なかったが、今の日本での議論を見る現在も、その思いは変わらない。フランシスコ教皇を批判し、トリエント典礼に戻れと声だかにに主張するグループがいるとはいえ、時代の流れの方向を変えることはできなように思われる。
3 R・リューサー 『マリアー教会における女性像』(新教出版 1983)
4 光延一郎編著『主の母マリア』(2021) 295頁

 

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マリア崇敬をめぐる現代のマリア論 ー 聖母マリア(11)(学びあいの会)

2022-04-07 09:03:40 | 神学


 現代のマリア論の中心的論点はマリア崇敬だ。特に、エキュミニズム運動の進展の中で、カトリック教会とプロテスタント諸教会とのあいだで理解の違いが明確になってきた。また、解放の神学、フェミニズム、エコロジー神学など、新しい運動の登場の中で、マリア崇敬は新しい形を求められるようになっている。新しいマリア崇敬とはどのような形をとるのだろうか。

1 エキュメニズムとマリア

 マリア論はエキュメニズムの対話において重要なテーマの一つとなっている。
マリア崇敬について東方教会(1)は本来はカトリックと同じ神学的伝統を持っている。プロテスタント諸教会はマリア崇敬に関しては消極的な傾向がある。マリア崇敬はカトリック教会では19・20世紀に強まったが、これは東方教会にもプロテスタント諸教会にとっても当惑の的となった。たとえば、プロテスタント側の反応としてハルナックの疑問がよく挙げられる(2)。無原罪や被昇天の教義は「いつ、誰に啓示されたのか?」という問いだ。また、これらの教義には聖書的根拠がないではないかと、繰り返し疑問がだされた。だが1950年代から70年代にかけてはプロテスタントでもマリア研究が進み、マリアが受肉において神の力の働きを受け入れた人間であるという考えは受け入れられたという。

 最近のエキュメニズムの対話の成果としては、聖公会とカトリック教会の合意声明「マリアーキリストにおける恵みと希望」(2004年2月)がある。この声明はエポックメイキングな出来事であった。聖公会はカトリック教会の二つの教義宣言は受け入れてはいないが、宣言に至る展開には理解を示したと言われる。

 だが、カトリックとプロテスタントとのマリア論における対立の原点はやはり無原罪と被昇天の二つの教義だろう。マリアの捉え方においてカトリックとプロテスタントの人間観の違いがはっきりしたからだ。義認論の人間観と恩恵論の人間観の違いと言ってもよいのかもしれない。

 現代のマリア崇敬の特徴を光延師は以下のように整理している(3)。

2 マリア崇敬がもたらした分裂

 マリア崇敬はカトリックとプロテスタントの神学上の対立をもたらした。プロテスタントによれば、カトリックのマリア崇敬は、聖書の基づかないにもかかわらず、歴史の中で膨張を続け、キリスト教信仰と教会のあり方が、キリスト中心からマリア中心に変わってしまったという。行き過ぎたマリア崇敬は近代精神を阻害するカトリック教会の保守反動性の象徴と見なされた。また、教会の男性中心の位階制は組織論からもジェンダー論からも批判されるとする。

3 プロテスタントとマリア崇敬

 M・ルター(1546年没)には『マグニフィカト(マリア讃歌)解釈』(1521)という著作がある。ルターは、マリアの処女懐胎と神の母思想を受け入れ、マリア崇敬を否定する意向はなかったと言われる。だが「義認論」以降のルターはマリアがとりなし手であるという考えを認めなくなった。キリストがマリアの陰に追いやられることは認めなかったようだ。

 その他の宗教改革者にとっても、マリア崇敬の否定はカトリックへの反発の象徴となり、17~18世紀にはプロテスタントではマリアの居場所はなくなった。
 1854年の無原罪の教義宣言、1950年の被昇天の教義宣言が出るに及んで、プロテスタントのみならず東方教会までも反対の姿勢を示した。第二バチカン公会議でカトリック教会のマリア論が控えめなものにならざるを得なかったのは歴史の流れから見て当然であった。

 では現在のプロテスタントはどのようなマリア論を持っているのか。簡単には言えないだろうが、大きく言えば、カトリックのマリア論とフェミニズムのマリア論の中間くらいの立ち位置にいるようだ。つまり、キリスト中心的で、聖書中心的であること(つまり男性中心的でも、女性中心的でもない)、主の母として清楚でかつ厳しい姿がマリアに求められているようだ。極めて抑制的なマリア論が支配的だと言ってよいであろう。たとえば、プロテスタント系の『キリスト教組織神学事典』(2002)にはマリアは索引にすら載っていない。

4 カトリックでマリア信心が盛んな理由

 カトリック教会でなぜこれほどまでにマリア崇敬が盛んなのか。なぜこれほど人々の心を動かすのか。光延師は、グレースハーケというドイツの神学者の議論を紹介している(4)。おおきくみて二つの理由が挙げられているようだ。

①歪められた神像の補い

 エフェゾ公会議(431)で決定されたマリアの呼称「テオトコス 神の母」では、イエス・キリストの神性が強調され、その人格的側面は強調されなかった。そのため当初の1000年間は神の母という観念はあまり信心の対象にならなかった。中世(11世紀~)に入ると、西方教会では裁きの神、男性的な神、息子的な神という神像が強まったために、逆に和解と慰めと助けを与える母的なマリア崇敬が求められ、広まっていったという。やがてマリアは、父・子・聖霊の三位一体の外にいる「第4の位格」のようにさえ見なされるようになったという。こうした心情的宗教性を優先したマリア崇敬は、その後のマリア出現や奇跡の報告などと結ばれながら、広く深く定着していった。こういうマリア観は現在でも続いていると言えよう。

②マリア崇敬と教会の体制との結びつき

 マリア崇敬の膨張と拡散は、教皇首位主義と結びつき、反近代的な教皇の偶像化を推し進めた。近代カトリックのメンタリティーの特徴は、マリア志向と教皇志向の一体化にあるという。
 プロテスタント信仰では、信仰のみ・恩恵のみ・聖書のみが強調され、全体として「全能の神」の神像が強い。他方、カトリック教会は男性中心の教皇・司祭とそれを和らげる「神の母」の観念の両方からなる「家族的共同体」を基礎としてきた。マリア無原罪の教義宣言や第一バチカン公会議(1871)での「教皇不可謬宣言」はこういう教皇至上主義の帰結だったとも言える。

 グレースハースはこう述べて、カトリック信者はこのような組織体制のもとでいまだ自立した自己決定ができる「成人」になることが妨げられたのではないか、と言っているという。

 光延師がこのようなグレースハースの主張をどのように評価しているのかはなかなか見極めづらい。だが、師は、教会のあるべき姿をマリアの中に見ようとしているので(5)、肯定的に評価しているように思える。

 

浦上天主堂の被爆マリア像

 

 



1 東方教会と正教会とは必ずしも同じではない。西方教会(カトリックとプロテスタント)と対比する意味で東方教会と呼ぶときは、いわゆる「東方正教会」(カルケドン信条を堅持する教会)とその他の「東方諸教会」の両方を含む。エジプトや中東の諸教会はビザンチン教会の主導を好まず、またネストリオス派が追放されると、キリスト神性単性説をとる人々は、コプト教会・エチオピア教会・シリア教会・アルメニア教会などを創設した。自分たちを Oriental Orthodox オリエンタル・オーソドックスと呼んでいる。東方諸教会とはこういう教会を指すようだ。東方正教会 Eastern Orthodox イースタン・オーソドックスとは呼び方が似ているので、呼称が紛らわしい。なお、現在のウクライナではウクライナ正教会はロシア正教会から独立していていると言われる(ロシアから見ればキエフ/キーウ総主教系)。カトリックは東方典礼カトリック教会とかビザンチン教会とか呼ばれて、ローマ・カトリックそのものではないようだ。
2 アドルフ・ハルナック Karl Gustav Adolf Harnack 1851 – 1930 ドイツのプロテスタント神学者 自由主義神学の立場をとる
3 光延一郎編著『主の母マリア』2021 解説⑨「聖母マリアをめぐる現代の議論」
4 同上書、285~288頁
5 「教会の母」といっても、教会と母のどちらを先に置くかで異なったマリア像が生まれる。「教会をマリアの内に見る」とは、教会のあるべき姿をマリアに見る、つまり「母なる教会」を求めると言うこと。「教会の内にマリアを見る」とは、マリアを「教会の母」とみること、マリアを教会の上に置くことを意味するようだ。第二バチカン公会議の教会憲章は「教会の母」論が強く出過ぎていると言われる。

 

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教義宣言されなかった「恩恵の仲介者マリア」説 ー 聖母マリア(10)(学びあいの会)

2022-04-05 09:11:59 | 神学


3-5 恵みの媒介者なるマリア

 マリアに関する教義は神学的には多方面にわたる。神の母説はキリスト論に、無原罪の御宿り説は原罪論に、被昇天説は終末論に密接に関わっていた。そしてこの「恵みの媒介者」説は「教会論」に深く関わっている。

 マリアの「霊的母性」の教えは、マリアが願いの取りなし手、恩恵の仲介者であるとの信仰を強めた。そして、マリアは信仰者の共同体である教会の母であると敬われてきた。だが、マリアがキリストの「協贖者」(Coredmptrix)であるとの考えはまだ教義として認められていない。現代マリア論の最大の焦点のようだ(1)。

①私たちにとってのマリアとは

 伝統的にマリアは信仰者のためにとりなす媒介者、取り次ぎ手、代願者  medeatrix とされてきた。こういう表現は使徒信条の「聖徒の交わり」という言葉に通じる。「聖人の通交」が祈りにとって自明なら、マリアを媒介者と呼ぶのは当然のことだとされる(2)。
 マリアとわたしたちの関係は、教義ではないが、教会の伝統として、「マリアはわたしたちにとって恵みの媒介者である」とされる。

②イエス・キリストこそが「唯一の媒介者」ではないのか

 マリアは恵みの媒介者だという考えに対して、常に異論が出されてきた。イエス・キリストのみが神と人間の間の唯一の媒介者ではないのか、というものだ。これは当然の反論で、教会は、イエス・キリストのみが唯一、真正のの媒介者で、他の媒介者などは考えられず、マリアですらその地位にはない、とずっと教えてきた。では、マリアが恵みの媒介者だというのはどういう意味なのか。

 K・ラーナーは二つの大きな理由を指摘している。

A)人間は互いに関わり合う「協働者」である
 私たちは救いについても互いに関わり合っている。私たちはパウロが言ったように「協働者」である。お互いの救いのための媒介者同士である。
B)教会共同体と「聖徒の交わり」
 聖徒(天に属し、救われて、真に贖われた人々)が媒介者なら、一人一人が他の人のためにどれほど深く、徹底的に、意味深くあり得るのか、われわれが兄弟姉妹のためにどれほと救いの媒介者になりるるのか、が問われてくる。

③マリアは媒介者(取り次ぎ手)である

 だから、マリアがいかなる意味で媒介者たりうるのかといえば、マリアの媒介者としての役割が「救済史的意義」を持っているからだ。彼女は、私たちのために、私たちの救いのために、神の恵みから救いを受託した。救済史的意義とはこういうことである。
 言い換えれば、マリアの役割はイエス・キリストに最も近い者として、私たちの代願者であるということにある。だからマリアの「フィアット(なれかし)」は「永遠のアーメン」と言える。

④教会の母マリア

 人間は互いに関わり合う存在で、教会共同体も互いに交わる場である。教会はマリアの霊的母性を認め、信者の母、教会の母とする(3)。これは第二バチカン公会議の教会憲章第61項ではっきりと宣言されている(4)。マリアは、全人類の母、真の命の母、キリストの兄弟姉妹である者の母とされる。

 マリアの霊的母性は、マリアが「母」であることの3つの過程(懐胎・出産・養育)に対応して、、3つの役割からなっているという。

①懐胎:神の母
②出産:教会の母
③養育:恩恵の媒介者

 マリアの霊的母性は中世以来様々な表現で明らかにされてきた。
①新しいエバとしてのマリア
②十字架のおけるマリアの協力
③キリストの体の首
 こういう言葉で、マリアの霊的母性は語られてきたようだ。
そして、「マリアの時代」とも呼ばれる19世紀から20世紀初頭にかけて、近現代の教皇たちも、マリアについて様々な表現で発言している。

ピウス9世(1842~78) 無原罪の御宿りの教義宣言
レオ13世(1878~1903) 受肉と十字架に関わることにより、信者の霊的再生に協力
ベネディクト15世(1914~22) マリアは救いの協力者という使命を持つ
ピウス11世(1922~39) 共贖者(きょうしょくしゃ Coredemptirix)という称号
ピウス12世(1939=58) 被昇天の教義宣言

⑤恩恵の仲介者マリア

 マリアの「母」としての役割のなかで第3番目が祈りの取り次ぎ手、恩恵の媒介者という役割だ。
マリアに助けを願う祈願の祈りの最初のものはすでに3世紀にギリシャ語で書かれた祈り Sub tuum praesidium のなかに見られるという。教父時代後期と中世にはマリアを取り成し手とする信心と祈りは定着していったという。近現代の教皇たちもマリアの取りなしの力を強調していた。
 第二バチカン公会議では、マリアについては独立した一つの文書にすることが求められた。しかしエキュミニズムへの悪影響が危惧され、議論は紛糾したようだ。結局、マリアについては教会についての文書(教会憲章)に組み込まれることで決着した。同じく、マリアをイエス・キリストの「協贖者」(Coredmptrix)として公認せよという要望もエキュニムズへの悪影響ありとして認められなかった(5)。

 このようにマリア論は伝統的にはキリスト論だったが、第二バチカン公会議以後は教会論として位置づけられることになった。マリアを恩恵の仲介者とする伝統が、共贖者と呼ぶ主張が、教義として成立するかどうか、注意深く見守っていきたい。

 なお、日本の司教団は聖母崇敬の望ましいあり方を教書の中で説明している(6)。これはヨハネ・パウロ2世が1987年に交付した回勅『救い主の母』をまとめたものだ。日本の信徒向けの教書だけあって、マリア信心の行き過ぎに対する警戒心が表明されている。たとえば、「一人よがりの信心、自己満足を求める信心、教会の主流から離れる信心は避け、また特に、聖母信心をいわゆる”ふしぎな出来事”と結びつけようとする傾きには警戒しなければならない」と述べている。マリア崇敬は日本でも根強いが、行き過ぎると聖母出現説に傾きやすい(7)。日本の司教団の立ち位置がよくわかる。

 

リパの聖母 恵みの仲介者 の出現(フィリピン)

 


涙を流す聖母像 (秋田市)

 


1 光延師は『主の母マリア』の中で、媒介者、仲介者という訳語を相互互換的に使っている。ここでも特に区別しないで使うことにする。また、師はマリアを恩恵の媒介者として教義として宣言することに肯定的な意見をお持ちのように読めるが、イエズス会司祭としてあからさまに主張することはできないようだ。
2 この辺の表現は少し抽象的なので、教会や神学の知識が無いとわかりづらいように想える。特に位階制をもつキリスト教の教会は、他の宗教、たとえばイスラム教や仏教には見られない独特の制度なので日本人にはなじみがない。教会とは一般的に言えばキリスト教徒がつくる共同体だが、組織形態としては、①監督制 ②長老制 ③会衆制 と区別することが多い(八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』など)。カトリック教会の組織を監督制の一つと見なすとしても、そしてイエス自身が教会を創設したとは言えないにせよ、使徒継承の伝統を持つので、教会論一般では理解が難しい点が多々あるようだ。
3 この議論も複雑だ。簡単に言えば、教会の中にマリアを見るのか、それとも、マリアの中に教会を見るのか。マリアを教会のかたどりとするのは古代からの伝統だが、それはマリアの受諾はマリア自身の「自由と信仰と従順」の故だとされてきたからだ。
4 「神のみことばの受肉とともに永遠の神の母となるべく予定されていた聖なる乙女は、神の摂理の定めにより、この地上においては、神である贖い主の優しい母、独自のしかたでだれよりも献身的な伴侶、主の謙虚なはしためであった。マリアは、キリストを懐胎し、生み、育て、神殿で父に奉献し、十字架上で死んでいく子どもとともに苦しみ、ひとびとの超自然的いのちを回復するため、従順、信仰、希望、燃える愛をもって救い主のわざに全く独自なしかたをもって協力した。こうしてマリアは、恵みの面において、われわれにとって母となった」(『第二バチカン公会議 教会憲章』2014 これは中央協議会による新しい公式改訂訳文である)
5 エキュメニズム Ecumenism 教会一致とか教会一致運動とか訳される。プロテスタントではWCC(世界教会協議会)の成立などを契機に「世界伝道運動」の一環として理解する傾向があるようだが、カトリックでは、第二バチカン公会議で「エキュメニズムに関する教令」が出されて以来熱心に取り組んできた。諸宗教の神学の発展もその成果の一つだろう。だが21世紀に入り、新しい神学の登場、福音派の台頭、聖公会や正教会の変化などを背景に、衰退期に入ったようだ。教会の中で教会一致という言葉はまず聞かれなくなった。マリア論に限っても、マリアの特権、無原罪と被昇天の教義などの点で、カトリックとプロテスタントの違いがますます強調されるようになってきているようだ。
6 『聖母マリアに対する崇敬ー1987年「マリアの年」にあたって』 (1987年8月15日 日本カトリック司教団教書)
7 聖母出現は現在まで918件が報告されており、ほとんどが19・20世紀のものだという。1858年のフランスのルルドでのベルナデッタへの聖母出現と無原罪の御宿りの告知や、1917年のポルトガルのファティマの聖母出現は第1次・第2次世界大戦を予言したことでよく知られている。日本でも1867年の津和野・乙女峠の聖母出現、1973年の秋田市の涙を流す聖母像は多くの巡礼者を集めている。だが、教皇庁が公認した例は20数件にすぎないという。聖母出現は「私的啓示」とされ、新約聖書に記された「公的啓示」とは区別されている。

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終末に煉獄や中間期はない ー 聖母マリア(9)(学びあいの会)

2022-04-03 09:29:36 | 神学


3-4 マリアの被昇天

 被昇天の教義はマリア論ではあるが中心は「終末論」だ。終末論とは人間の(個人の、そして人類全体の)終末についての議論・洞察のことだ。つまり、人は死んだらどうなるのか、人類の歴史の終わりはどうなるのかと問うことである(1)。

 人は死んだら無に帰る。それでよいではないか。何であれこれ考えるのか。
日本人の多くは、宗教心はあっても、神を信じないから、死んだら無に帰ると言われても、特に不安にもならない。せいぜい今の自分の人生を楽しんでおけばよい。あとは野となれ山となれだ。自分たちのために戦争などで亡くなられた方には申し訳ないと思う。でも、とりあえずは神社でお札でももらって健康とお金を願っておけばよい、と考えている。大げさに無神論などと騒ぎ立てない。ご先祖様のお墓参りはするが、自分は散骨でも樹木葬でもよいのではないか、などとふっと考える。このへんが現代日本人の平均的な死生観なのではないだろうか。

 終末論はこれとは別の死生観があることを教えてくれる。マリアの被昇天の教義はキリスト教における終末に関する議論の一つの到達点だったし、終末論をさらに前に進める契機にもなったようだ。

3-4ー1 聖母被昇天教義の歴史

 マリアの死については聖書には何も記されていない。マリアの死は当初は「永眠」(dormitio )として記憶されていたが、やがて7世紀以降「天への受け入れ」(analepsis)として受け止められるようになったという。キリストは昇天する(ascension )。つまり自ら天に昇る。だがマリアは自ら天に昇ることはない。天に受け入れられる、引き上げられるという。被昇天はassumption の訳語で、これは「受け取られた」という受動の意味になる。

 イエス昇天後のマリアについての古代教会の伝承にはいくつかあるようだ。


①エルサレムから東のペレア(北部トランス・ヨルダン)に逃れた弟子たちに同行した
②エルサレムに留まった(ゲッセマニアには現在もマリアの墓の聖堂がある)
③ヨハネと共にエフェゾで暮らした

 どの伝承にも歴史的確証はない。初期のキリスト者たちは、マリアが亡くなったことや、それがいつどこでだったかについては触れたくない雰囲気があったらしい。だからマリアの死が問題として意識されるようになったのは大分後のことらしい。

 マリアの最後についての最初の記述は4世紀末のサラミスのエピファネス(403年没)だという。5世紀までの主にシリアの外典偽福音書にはさまざまな「Transitus伝説」(他界・召天・遷化)が語られていたようだが、まだ被昇天という考えは明確には現れていないという。被昇天の教義の原型が初めて示されたのは4世紀の偽メリトンだという。ここでは、キリストがマリアを復活させ、天使によって天に挙げられたと語っているという。こうして5世紀半ばにはエルサレムで8月15日にマリアを記念する祝いが始まり、皇帝マウリティウス(602年没)は6世紀に8月15日を「永眠の日」(dormitio)として祝うよう定めた。これは7世紀には東方典礼にもローマ典礼にも導入されたという。この頃から司牧者の説教は「永眠」(dormitio)から「天への受け入れ」(analepsis)へと変わってきたという。

 西方教会で被昇天に初めて触れたのはトゥルーズのグレゴリオ(593年没)とされている。彼も外典偽福音書のTransitus伝説に依拠しており、7世紀にはローマでのマリアの永眠が祝われていたという。やがて9世紀にいたって8月15日が「聖マリアの被昇天」を祝うことが定着し、やがてイギリス・フランスに広まっていったという。西方では、マリアを祈りのとりなし手とする信心が広まっており、被昇天という考えは東方教会ほど強くはなかったようだ。Transitus伝説はむしろ被昇天のへの信心を抑制する機能を持っていたらしい。10世紀にはバルブス(919年没)が、マリアの体は最後の審判の前に天に受け入れられたと初めて語り、12世紀以降マリアの被昇天は西方教会で祝われるようになった。

 マリアの被昇天の教義宣言を求める声はすでに第一バチカン公会議のころからあったが、ピウス12世教皇は1950年に全世界の司教に意見聴取を求めた。これに対し98%の司教が肯定的な回答を寄せたため、ピウス12世は次のような教義宣言をした。
「被昇天の特権が神によって啓示された真理であり、しかも神がその教会にまかせられた信仰の遺産のうちに含まれた真理であることを確実かつ謝り得ない方法で表明するものである」(2)。

3-4-2 被昇天教義の意味

 この教義宣言の特徴は、被昇天と無原罪の御宿りはマリアの「特権」であり、マリアは死後ただちに(煉獄などの中間期を待たずに)天に受け取られると考えていたことだ。ピウス12世は述べている。「マリアの被昇天は無原罪の御宿りの特権に基づく。これら二つの特権は、相互に緊密に結ばれている・・・世の終わりまで肉体の贖いを待つ必要もなかった」。

 つまり、マリアの特権とは、人間なら誰でも死後、最後の審判を待つ間に入る「中間期」がない、煉獄などで待機する必要は無い、ということになる。マリアは本当に特権を持っているのか。

 「死と完成」の間を「中間期」と呼ぶなら、中間期があるのかどうかは14世紀以来、「私審判」と「公審判」の関係として長らく議論されてきた。この議論は「体の復活」とか「霊魂の不死」とかいう神学上の難問に関わるので決着は容易ではなかった。

 だがこういう議論は、現代の神学ではあまりに二元論的すぎるとしてすでに乗り越えられている。現代の神学は哲学的二元論が言うような、身体を離れた不死の霊魂が存在するとか考えない。死んだ人の魂が、他の場所(地獄・煉獄・天国)に行き、最後の審判の時に体が起き上がり、魂と体が一つになって復活する、などという通俗的イメージはとらない。こういうイメージはキリスト教的ではなく、古代ヘレニズム哲学の残滓でしかない。
 聖書的思考によれば、つまりキリスト教的に言えば、魂の不死性は死の止揚であり、時間も止揚される。だから、人は死において、直接、最後の審判に向き合う、復活に向き合う。不死性とは魂だけではなく体も復活することを意味する。つまり、被昇天の教義そのものではないにせよ、この教義が想定する中間期という考え方は様々な角度から疑問視されているようだ。

3-4-3 被昇天教義と終末論

 無原罪の教義がマリアを代表とする人間一般の「起源論」を語っていると言えるなら、被昇天の教義は人間の「終末論」を語っていると言える。被昇天教義は無原罪教義の帰結となる。
  ラーナーによれば、今日の解釈では、被昇天とは、マリアの全人間、全人格が神の愛の内に至ることを意味する。キリストは死者の中から復活した人々の初穂である(3)。マリアは救われた人間の典型として示されている。マリアは教会の初穂として神の国の永遠の生命を受けるということである。これは旅する民の最終の希望である。マリアの被昇天はわたしたちに希望を与える。
 被昇天の教義は、マリアが典型であった信仰者を神は永遠の交わりに迎え入れてくださるという、人間の最終的なあり方を示している。マリアはキリスト者の「信仰の場」である。


コレッジョ 聖母被昇天 1526-30 パルマ大聖堂

 


1 終末論 eschatology とは、普通は「終わり」に関する教理、つまり、死・審判・再臨・復活・永遠の命などを扱う教義学のことをさす。現代神学では神学的人間論の中心部門として位置づけられ、神学教育においても独立した科目として講じられているという。終末論では「徹底的終末論」と呼ばれる説が中心だった。つまり福音書を終末論の視点から(神の国論から)読むべきだというシュバイツアーらの説だ。だが今日では、終末(Eschaton)は歴史の終わりにではなく、むしろ現在において実現していると考える「現在的終末論」が支配的なようだ。実存的終末論と言ってもよいのかもしれない。「現在」は「終末」であり、「永遠の今」だと考える思想だ。バルトやブルンナー、ブルトマンに限らず、カトリックでも解放の神学は現実の政治や社会の相対化を目指しているとされる。これとは別に、「救済史的終末論」(未来的終末論)と呼ばれる議論もあるらしく、終末は救済史の最終局面だと主張するようだ。いずれにせよ終末論は現代神学の中核の一つをなしているという。
2 この教義の中心部分は以下の通りである。
「無原罪の神の母、終生乙女なるマリアが、地上の生活を終えたのち、肉身も霊魂もともに天の栄光にあずかるようにされたことは、神によって啓示された真理である、と宣言し、布告し、定義する」。この教えは、マリアは、肉体も霊魂も天に挙げられ、神の栄光のうちに生きていると語っている。 なお、東方教会では現在でも被昇天よりは永眠が祝われるという(永眠ではなく永寝とよぶ教会が多いという)。
3 Ⅰコリント15:20~22 「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(新共同訳)

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原罪は遺伝する ー 聖母マリア(8)(学びあいの会)

2022-04-01 09:22:02 | 神学


3-3 マリアの無原罪の御宿り

 無原罪の御宿りの教義はマリア論ではあるが中心は「原罪論」だ。つまり罪と恵みの関係の問題だ。では、原罪とは何のことなのか(1)。

 原罪という言葉を聞くとすぐにいろいろな疑問が脳裏に浮かぶだろう。わたしは何も悪いことをしていないのにどうして罪人などと呼ばれるのか。自分がいつか死ぬのは罪を犯したからなのか。
 マリアはいつ原罪を免れたのか。イエスを宿した時か。それとも自分が生まれたとき(母アンナの胎内に宿ったとき)か。
 アダムが罪を犯したから全人類が原罪を免れなくなったのか。だから人間は必ず死ぬのか。ではマリアは死を免れているのか。
 生まれたばかりの赤ん坊(幼児)は無垢ではないのか。どうして汚れのない子どもが幼児洗礼を受ける必要があるのか。
 マリアの無原罪の御宿りの教義はこういう古くからある問いをめぐる論争のなかから生まれてきているようだ。

 キリスト教の伝統では、マリアは神の母として神によってあらかじめ準備された方である。「おめでとう、恵まれた方」(ルカ1:28)とは、原罪とは逆の状態、すなわち、神と共にいる「恵み」がマリアには特別に与えられていることを意味する(マリアの特権)。マリアははじめから神と一致していることが暗黙に示されている。初期の教父たちも、直接は語っていないが、マリアの聖性は感じていたようです。そして教会にはマリアの無原罪についての信仰の長い歴史がある。

 1854年12月8日教皇ピウス9世は、「乙女マリアは全能の神による恩恵と特典によりその懐胎の最初から原罪の汚れから免れていた」と宣言した。ピウス9世は全世界の603人の司教に質問状を送り、546人から賛成を得てこの宣言に至った(2)。
 この教義は、1950年のマリアの被昇天の教義宣言とともに、聖書に根拠がないことと、イエス・キリストを差し置いてマリアを神格化して女神のように崇めているなどの理由で、プロテスタントからは批判された。

 この教義の核心は、マリアは母の胎内に宿ったときから聖化されて神の友愛のうちに創られたということ、そして、マリアは生涯のあらゆる時において恵みに包まれていたということ(3)を、意味する。原罪は、アダムとエワによって始まるが、第二のアダムたるイエス・キリストと、第二のエワたるマリアによって克服された。エイレナオスは「エワの不従順による絆がマリアの従順によって解き放たれた」と述べたという(4)。

 マリアは無原罪であったばかりではなく、その生涯を通じて常に罪から守られていた方であったという古くからの信仰は、現代人には信じがたいことである。人間である以上罪を犯すのは常識であるからだ。しかしトリエント公会議は、「マリアは原罪だけではなく個人的罪からも守られていた」と宣言する(1547年 DH1573)(5)。
 マリアのうちにイエス・キリストにおける神の救いが最も完全な現実となったがゆえに、教会は「マリアこそ恵みにあふれた方」と宣言するのである。マリアは徹底徹尾 神に向かい続けられた。その召し出しに自らを捧げ尽くした。その帰結が「罪無き方マリア」である。これはわたしたちにも慰めと希望を抱かせる。なぜならわたしたちもマリア同様恵みを受けている者だからである。


ムリーリョ 無原罪の御宿り (1660~1665頃)

 



1 原罪の意味は、人間は生まれたときは「神の恵みを欠如している」ということであったが、実際にはアダムの犯した罪が人類全体に伝達されということを意味するようになった。
 原罪の英訳はOriginal Sinだが、ドイツ語訳はEbrsuendeだという。erbとは遺伝するとか、相続するとか、世襲するという意味だ。直訳なら遺伝された罪みたいな語感だ。変な訳語、変な説明に聞こえるが、正式には教皇ピウス9世の教義宣言(1854)に明確に定義されている。少し引用してみよう。
 「聖にして不可分の三位一体の栄誉のため、乙女であり神の母である方の賞賛と盛名のため、またカトリック信仰の称揚とキリスト教の成長のため、我々は、主イエス・キリスト、使徒ペトロとパウロ、および我々自身の権威によって、次の教えを説き示し、告知し、そして定義する。人類の救い主キリスト・イエスの功績に鑑み、至聖なる乙女マリアは、全能なる神による唯一無二の恩恵と特典により、その懐胎の最初の場面において、原罪のすべての汚れから前もって保護されていた。」(DH2803)。マリアは母アンナの胎内に宿った瞬間から無原罪だったという説明のようだ。
 なお、カトリック教会文書資料集は長らくDSと呼ばれてきたが(H.デンツィンガー & A.シェーンメッツァー)、監修者がかわったので1991年からDHと略記されるようになった(P・ヒューナーマン)。現在でもDSとDHが混在使用されているようだ。
 実は原罪の定義は明確だ。「このアダムの罪は起源が一つであり、模倣によってではなく、遺伝によって伝えられて、すべての人に一人一人固有のものとして内在するのである」(トリエント公会議「原罪についての教令」DH1513)。「模倣」説ではなく、「遺伝』説(相続説)がとられている。アウグスブルク信仰告白などプロテスタントの原罪論はもっと厳しく、原罪は遺伝的原罪・生まれながらの疾病・真の罪などと定義されているようだ。これらの原罪観は、ユダヤ教にはみられず、キリスト教のなかで作られたもののようだ。光延師は「ペラギウス論争」を紹介する中でこれらを「教会的原罪論」と少し批判的なトーンで呼んでいる(ペラギウス論争とは原罪は遺伝か模倣かをめぐる主にペラギウスとアウグスティヌスのあいだの論争のこと。アウグスティヌスの遺伝説が勝利し、教会の原罪論はアウグスティヌス的な原罪論になっていく。)
 原罪の観念はキリスト教の根本思想だが、アウグスティヌスやルターにならってこの思想を過度に強調することはわたし個人はあまり好まない。現代人に、あなたは原罪を負っていますとか、原罪のゆえに死ぬ運命にあるのです、とかいってもあまり説得力は無い気がする。無原罪の御宿りの教義宣言も時代の影響が大きかったのだからマリア論でのその位置づけもいずれ変わってくるであろう。
2 換言すれば、この教義宣言は教皇によるものであり、公会議の決定ではない。この時代教皇にはそれだけの力があったとも言えるし、教会は近代主義の思想に追い詰められていたとも言えるし、公会議の決定ではない教義宣言にどれだけの拘束力があるのかとも言える。
3 「成聖の恩恵」といわれる。昔のスコラ神学の用語で現在はあまり使われないようだ。マリアの浄さはイエス・キリストの贖いによるのならマリアが懐胎の瞬間から無原罪だったというのは矛盾するのではないかという批判に対して、教会は「予防的贖い」説で応じた。キリストの贖いは完全だからマリアは罪に陥ることのないよう予防されたという(少し苦しい)説明だ。この対立はトリエント公会議にまで持ち越される。
4 こういう「アダム→キリスト エワ→マリア」という図式がいつ頃登場したのかはわからない。

5 原罪は個人が犯した罪(「自罪」と呼ばれる)とは区別される。だがこの区別が曖昧だと、原罪をアダムからの遺伝と捉えたり、原罪を人間の欲情と同一視する考え方に陥りやすい。これはやはりおかしい。光延師は「現代のカトリック神学においては原罪について、新しい表現方法を見いだす必要が強調されています」(200頁)と述べている。
 なぜこのようなアウグスティヌス的な原罪論や原罪の遺伝説が定着したのか。光延師は、聖書の誤訳説を紹介している(198頁)。「ローマの信徒への手紙」5章12節が、ギリシャ語からラテン語へ翻訳されるとき誤訳されたという。「すべての人間が罪を犯したので」が「すべての人間が彼(アダム)において罪を犯した」と訳され、原罪の起点がアダムとされてしまったという。なお、新共同訳ではここは「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです」となっている。一人の人とはアダムのことであろう。

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