カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

イエスの復活の証言 ー 復活物語(3)

2019-03-29 10:11:57 | 神学


 イエスの復活は物語として伝承されていく。復活物語は二つの部分を持っている。①空の墓の物語 ②出現物語。 子ども向けのマンガ聖書ではもっともよく好まれる場面だという。

1)「空の墓」の物語

 これは、マルコ16:1-8,ヨハネ20:1-10 だ。特に、福音書記者マルコが「三人の女」を登場させてくるのが印象的だ。

 「また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた」(マルコ15:40)

 女性たちはいつも十字架のイエスのまわりにいた。女性蔑視観のつよいこの時代に福音書がいつも女性の存在を強調していることに驚く。イエスが最初に現れたのも女性だった。

2)「出現」物語

 イエスの出現物語は、ヨハネ20:11-18とか、ルカ24:13-35 が中心だ。ここで、「見た」という言葉が繰り返し出てくる。「見た(見る)」と言う言葉には、事実認識(史的認識)と霊的認識の二つの側面があるのだという。

「そして、墓から石が取りのけてあるのを見た」(ヨハネ20:11)。これは事実の認識だろう。
「わたしは主を見ました」(ヨハネ20:18)。「見た」からと言って「分かった」わけではない。
「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」(ルカ25:15)。これは霊的認識の話だ。

 イエスを直接見たからと言ってそれですぐ信じられたわけではないだろう。本人も、まわりの人も半信半疑だったのではないか。やがて、多くの人が、時間をかけて、イエスを見るなかで、復活の確信が深まっていったのではないか。復活の認識は、突然起こったことではなく、漸進的に起こった出来事のように思える。

 川中師は最後にイエスの復活信仰の「射程」を次の二つにまとめられた。

①復活信仰は、イエスの死と復活を通して、人間に時間的制約を超えた永遠性をもたらす
②復活信仰は、人間に水平的超越と垂直的超越をもたらす。垂直的超越とは個人的次元で人間を解放することであり、水平的超越とは歴史的次元で社会を変革することである。

 なにか抽象的で奥歯にものが挟まったような言い方だが、師はルカ24:26を引用している。

「メシアは、これらの苦しみを受けて、栄光に入るはずではなかったか」(協会共同訳)

 栄光とは一般に人間や物事のすぐれたことを意味するのだろうが、聖書では主に、神の顕現と神への讃美を意味している。栄光に入るとはそういう意味なのだろう。「射程」が神学用語なのかどうかわたしにはわからないが、詳しくは師の別の著作を期待したい。

 川中師の今回の講座は、史的イエス研究に関する深い造詣と聖書学の知見に裏付けられた貴重な講義であった。ヘブライ語やギリシャ語の素養のないわたしには専門的すぎてついて行けないところが多々あったが、史的イエス論に一方的にひきづられない師のスタンスの取り方には学ぶところが多かった。

 

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イエスの復活の証言 ー 信仰告白(2)

2019-03-28 15:10:42 | 神学


 イエスの復活の証言には二つの類型があるという。 ①信仰告白の伝承と、②復活物語の伝承 だ。


1)信仰告白伝承の類型

 信仰告白には、「復活」論と「高挙」論の二種類がある。

①イエスの復活に関しては、「神はイエスを復活させた」というロマ書が中心で、主語は神だ。神がイエスを復活させた。

 「口でイエスを主であると告白し、心で神がイエスを支社の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」(ローマの信徒への手紙10:9)

 ここでは主語は神で、能動態だ。

他方、「イエスは復活した」とイエスを主語とする文言もある。

「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りについた人たちを、イエスとともに導き出してくださるのです」(第一テサロニケの信徒への手紙 4:14 聖書協会共同訳)。

 これはイエスが主語になっている。

 他方、パウロは「キリストの復活」と呼ぶ。著名な第一コリント15:3-5だ。

「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、それから12人に現れたことです」

 主語はキリストであり、書簡のせいか力強い。

②「キリストの高挙」説も信仰告白伝承の他の類型のようだ。高挙というとわたしにはいくつかの絵を思い浮かべるくらいしかできないが、伝承の中では重要視されてきたのであろう。高挙とは、復活後のイエスが父なる神の右の栄光の座に挙げられることをさすが、伝承の中では、イエスが普通の人間から神の子となること、万物の支配者になることを意味してきたようだ(1)。
「キリストが挙げられる」という言い方はおもに次の二カ所に根拠を持つらしい。

ア) フィリピ2:6-11
 「このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名を お与えになりました」(2)

イ) テモテへの手紙Ⅰ 3:16
 「まぎれもなく偉大なのは、敬虔の秘義です。すなわち、キリストは肉において現れ、霊において義とされ、天使たちに見られ、諸民族の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた」(3)

③受難予告
 信仰告白伝承には受難予告も入っているようだ。
「それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。」(マルコ9:31)
「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」(ルカ24:7)

2) キリストの死と復活

 信仰告白伝承の中でのキリストの死と復活の話は神学的議論が盛んらしい。当然と言えば当然だが、おもに、コリントⅠ 15:3b-5 のパウロの言葉が中心らしい。
「キリストが 死んだこと わたしたちの罪のために 聖書に書いてあるとおり 葬られたこと、復活したこと、三日目に 聖書に書いてあるとおり、現れたこと ケファに、その後12人に」。

 ここでは、「わたしたちの罪のために」、「三日目に」、「復活した」、「現れた」、などの表現をめぐる細かな議論が紹介されるが、川中師の神学的解釈の妥当性は私には分からないので、ここではふれないことにする。
 ポイントは、「復活の解釈」が時間的に変化していったらしい点だ。


①まず、目撃体験があった。「現れた(見た)」というのは体験そのものだ。
②この体験をやがて弟子たちが反省的に解釈する作業が始まる。この自分たちの体験を証明するために、旧約聖書の黙示思想が導入されてくる。イザヤ書26:19とか、ダニエル書12:2などだ。旧約が新しい視点から再解釈されてくる。
③そして、復活の言語化が始まる。パウロたちはイエスが「甦る」「復活した」と語り始めた。

 でも、こういう文字化された復活の証言よりもやはり復活の目撃という体験の方がより重要だというのが川中師の説明のポイントのようだ。復活物語の伝承の話は次回にまわしたい。

注1 なぜ、「神の右の座」であり、「左の座」ではないのか。「左の文化」が支配的な日本ではなかなかすんなりとは受け止められない人も多いようだ。
注2 ここでは、「高く上げ」と訳されている。
注3 聖書協会共同訳では「敬虔の秘義」と訳されている。秘義とは神秘のこと。新共同訳では「信心の秘められた真理」とある。教会での信心は大事ですという文脈だ。

 

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イエスの復活 ー 使信に見る(1)

2019-03-26 12:55:38 | 神学


 いよいよ復活論である。イースターももうすぐだし、時宜にかなったテーマだった。季節の変わり目で体調を崩された方が多く、3月の学びあいの会の出席者は少なかった。昨年6月から続けてきた川中師のイエス論もこれで最終回となる。

 復活はキリスト教信仰の中核中の中核で、イエスの復活への信仰なしにキリスト教信仰は成り立たない。ところが、「復活」といわれてもなかなかイメージが定まらない。「からだの復活」とはなんのことか(1)。
 さすが現在では、「復活」を「蘇生」(生き返り)と同一視する人はいないだろうが、呪術信仰が強い人の中にはまだ残っているかもしれない。むしろ、現在では「復活」とは「死者の思い出」、「死者の記憶」だという理解が、誤解が、広がっているように思える(2)。だが、復活は記憶ではない。
 現在のキリスト教神学のなかで旧態依然の原罪論が急速に説得力を失い、復活論に信徒の関心が集まっていている今、すこし中川師の議論を下敷きに自分の考えを整理しておきたい

 イエスの復活を目撃した人はいない。目にした人はいないし、現場に立ち会った人の記録もない。イエス自身もなにか書き残しているわけではない。したがって、イエスの復活論は、①復活の「使信」そのものか、②復活の「証言」 を見ていくしかない。

Ⅰ 復活の使信

 実は、復活とは単純な事柄を指しているようだ。イエスが死刑にされると弟子たちは散りじりバラバラになる。ところが、この「弱き」弟子たちが、あるとき、町中で堂々と宣教活動を始める「強き」者たちに「変貌」していく。新約聖書はこの突然の「変貌」を「復活」と呼んだのだ。何かが起こったのだ。何かが起こらなければ、こんな突然の変化が起こるはずがない。
 マルコのイエスの否認(14:66-72)の話はよく知られている。ところが、このペテロが突然宣教活動を始めたのだ。

「すると、ペテロは11人とともに立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。私の言葉に耳を傾けてください」(使徒言行録2・14)。

 この突然の変化が復活の出来事なのだ。ここにキリスト教は誕生する。復活は体のよみがえりの前にこう言う形で現れるという。
 「教会」の誕生は「聖霊降臨」のあとだが、中川師はここに史的イエス論の限界を見ているようだ。イエスの復活は霊的次元の出来事としてしか把握できない。史的事実としての認識は難しい。史的エイス論は、イエスの誕生から死までしか論じない。だが、復活を霊的出来事と捉えれば、イエスの復活はイエス誕生以前にまで遡って、旧約の世界から、復活・再臨のイエスまでが射的距離に入ってくる。

ここまでは使信に見る復活の史的認識・霊的認識の話だ。ともに、復活をキリスト教信仰の核心とみなす。つぎは伝承に見る証言の話だ。


注1 「使徒信条」の最後の文言、「罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます」は唱えるたびに「あぁそうなんだ」と思う。罪のゆるしは贖罪論(原罪論)で旧約聖書の思想、、からだの復活はヘブライ思想が作り出した肉体の復活論だ、そして「永遠のいのち」は霊魂不滅論からなるギリシャ思想そのものだ。
注2 「記憶」「思い出」はかならずしも「個人」のものだけとは限らない。社会や集団が集合的記憶を保存することもある。博物館などもそうかもしれない。富士山にあるオーム真理教のサティアンの碑、東日本大震災の「震災遺構」。こういうものが個人の記憶から集団の記憶に転化していく契機を忘れないでいたい。

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お彼岸に「お墓教」に思う

2019-03-20 13:53:16 | 教会


 平成最後の春のお彼岸。私どもも習慣で墓参りに行ってきた。暖かい春の小春日和というところか。桜もちらほらと咲いていた。
 今年はなぜか「お墓教」を強く思った。師匠の一人を最近亡くしたせいかもしれない。人出が多かったせいかもしれない。この人たちはほとんどが「お墓教徒」で、「仏教徒」ではない。仏様を信じているのではない。お墓を信じているのだ。信仰の対象はお釈迦様ではなく、お墓そのもなのだ。この人たちの今日の行動を想像してみる。

 朝、車に乗って(歩いて、バスで)お寺さんに向かう。途中お供えの花を購入する。お寺さんに着くと、そのまま自分の墓所に向かう。本堂には向かわない。お寺の和尚さんには挨拶しない。従って手土産も渡さないし、世間話もしない。もちろんお布施を包むこともない。つまり、かかわりと持とうとしない。線香やマッチは水屋に置いてあるお寺さんもあるだろうから、そのままお墓へ向かう。
 お墓をぞうきんで丁寧に拭いて、花を生け、線香をたいて祈り、片付けをして足早に去る。帰り際に本堂で手を合わせてご本尊さまに祈るかと言えばそういう人は皆無に近い。

 この人たちは、何に、誰に、何を祈ったのだろう。仏様か。仏様ではない。お墓に仏様はいない。仏様は本堂にいる。お墓にはお骨がある。お骨に祈っているのだ。お骨とは先祖のことだ。つまりこれは「祖先崇拝」の行為なのだ。
 祖先に祈ることで、現在の自分を守ってもらう。一種の厄除けだ。社寺には「幸福の三要素」と呼ばれるものがあるという。「家内安全・商売繁盛・無病息災」だ。誰もが持つ願いだろう。だが、ここに「仏様」の姿はない。

 こういう光景は見慣れてしまったために人はあまり違和感を抱かない。でもこれはせいぜい平成の時代に定着した新しい墓参りの姿ではないか。半世紀前、日本人はこんなことはしていなかったように思う。 むかし流行った方言がある。「ドコサイク(何処さ行く)」「テラサイク(寺さ行く)」。恐らく東北方言か。日常の挨拶用語で一番短い言葉なのだそうだ。この二言で用が足りる。
このとき、「寺さ行く」で、「墓さ行く」とは言わない。お寺さんに行って和尚さんとおしゃべりしてくることが言外に含まれているからだろう。現在の「お墓教」では、菩提寺と檀家の人間関係が「祈り」という基本のところで壊れているのだ(1)。

 私は自宅がお寺さんに近く、また、和尚さんともお付き合いが長いので、この辺の事情は、時代と共に変わり、また宗派の違いもあり、あまり一般化はできないのを十分承知している。とはいえ、この平成の時代は、平和の時代であったし、自然災害(人為災害)の時代であったが、同時に、「宗教の超世俗化」が急速に進んだ時代のようにも思える。世俗化の善し悪しが問題なのではない。世俗化の進む方向がなにか特定の方向に向かってしまった時代のように思える。これはこれで、日本社会が宗教と対峙していく一つの道なのであろう。フランスのライシテなんて、なんと遠い世界の話に聞こえることか。

 私どもはカトリックだ。お墓には十字架が刻んである。お墓に納めてある両親のお骨に何か特別の意味があるとは思っていない。でも先祖をずっと大事に思ってきたし、お墓参りを欠かしたことはない。親戚の付き合いもかかしたことはない。祈りは教会でする。

 師匠の葬儀はごく普通の仏式だった。真言宗。学者としては功を遂げ、学士院会員で文化功労者にもなったが、静かな葬儀であった。ご出身は長野だが、墓所は都内である。

注1 焼き場や納骨式に個人のお骨を「かじる」人が増えていると聞く。葬儀屋さんによれば愛情の表現の一つで、「骨噛み」というのだという。散骨や、お骨のペンダントは商業主義の話で最近のことだが、これは昔からある地域ではずっと行われてきた。ただ、地域限定的であまり知られていなかった。これがメディアで知られると広まっていったという。カニバリズム(cannnibalismu)の復活かと思わなくもないが、日本人の故人への愛情表現の多様性を思う。日本文化が持つ祖先崇拝信仰の一つの断面だろう。私の好みではないが、そういう形でしか愛情表現ができないことに悲しみを覚える。
 日本人が「遺骨」に対して持つ感覚はかなり特殊なようだ。まるでそこに霊魂が宿っているように考えているようだ。これは善し悪しと言うより、こういう遺骨観がごく新しいものであり、作られたものであることを忘れがちだ。仏教や神道は「遺体」を重視しない。遺体を拝むのは「儒教」の伝習だ。だが、現在そんな区別をしたろころで何の意味も無い。墓参りをする人は増えている。だがお寺さんの経済的困窮は進む。檀家との人間関係は切れる。一緒に祈る機会がない。
 ちなみに、ローマのキリスト教はヨーロッパ原住民が持っていた祖先崇拝信仰を徹底的に破壊していったとも言われる。日本のキリスト教は日本文化が持つ祖先崇拝信仰を時間をかけてでも組み込んでいかねばならない。しかも慎重に組み込まねばならない。いまさら教会が「家内安全・商売繁盛・無病息災」を看板に掲げるわけにはいかないだろう。といって、「現世ご利益お断り」一本槍では人は近づかない。ひとは弱いものだ。日本の司教団の課題は大きく果てしない。頑張ってほしい。

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平成最後の灰の水曜日に思う

2019-03-06 15:08:42 | 教会


 今日の灰の水曜日からから四旬節が始まった。ヨーロッパでも南米でもカーニバルの大騒ぎが終わって静かさが戻ったことだろう。日本では平成最後の四旬節となる。典礼暦にとって平成は特に意味は無いが、この11月にはフランシスコ教皇さまが来日されるとのことだし、この四旬節は平成時代をふり返るひとつの機会なのかもしれない(1)。
 四旬節は回心と節制の季節だ。回心は悔い改めを含むから、悔悛(改悛)と言った方がわかりがよいか。今日の灰の水曜日は大斎・小斎の日なので断食の日といわれることもあるようだが、四旬節は40日間の節制の季節と言った方がわかりが良さそうだ。断食は絶食ではないし、空腹感を常に感じて感覚を研ぎ澄ますのだから、やはり節制の方が言葉としてはわかりやすい気がする。
 四旬節は当初は洗礼志願者の準備期間だったらしいが、幼児洗礼が普及してしまうとやがて節制の時期に強調点が変わったようだ。カーニバルはその名残りだろう。ところが、現在では(つまり第二バチカン公会議以降では)、洗礼志願者の準備期間という側面が改めて強調されるようになり、われわれ信徒は、洗礼志願者たちのために祈ると共に、自分の洗礼の時を思い起こす時期に変化してきているようだ。
 今日の灰の水曜日に行われる「灰の式」は、四旬節のように3世紀頃からある古い典礼ではないらしい。それでも11世紀以降と言うから古いと言えば古い。「灰」は古代から人間の悔悛の徴として用いられていたようだが、キリスト教のなかに取り入れられて回心のしるしとして頭や額に塗るようになったらしい。これがミサの中に取り入れられて制度化されたのは11世紀以降のことだという。
 私の教会では前任司祭は四旬節の第一主日(日曜日)にも灰の式を行っていたが、今度の司祭はこの水曜日のみに行うようだ。また、額に灰で十字を切る(ぬる)のではなく、頭にかける方式だった。こういう違いが司祭の好みなのか司教さまの意向なのかはわからないが、教会によって違うのかもしれない。教会の違いと言えば、昨年の枝の主日の枝(オリーブとか棕櫚とかの常緑樹)を誰がどうやって燃やして灰を作るかは、日曜学校の子どもたちや教会役員のひとたちの腕の見せ所なのであろう。
 灰の祝福では司祭は「回心して福音を信じなさい」と唱えて灰をかける。または、「あなたはちりであり、ちりに帰って行くのです」と唱える。塵(または土)から生まれ、塵(土)に帰る、といわれるとなにか人生のはかなさを言っているように聞こえるが、実は神の働きを意味しているのだという。私ども教会の司祭は「回心して福音を信じなさい」と唱えておられた。
 今日から復活祭までの40日間(46日間)の長い四旬節が始まる。金曜には十字架の道行きもある。今日は大斎小斎を守る日だが、わたしは高齢なので免除されているようだ。とはいえアルコールくらいはひかえようかな。

注1 教皇さまの来日に関して中央協議会からはなにも聞こえてこない。ちゃんと準備が進んでいるのだろうか。ヨハネ・パウロ二世が来日されたのが38年前の1981年(昭和56年)。平成時代は教皇さまの来日が一度も無かった時代ということになる。

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