カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

映画「神の小屋」を観る

2017-09-27 10:41:41 | 神学

 本年度制作されたアメリカ映画。原作はベストセラーとなった小説 "The Shack"。 わたしも友人から勧められて日本語訳を読んだ。長い長い小説だが、とてもおもしろかった。小説の構成はスリラー小説風だ。わたしは小説はJ.グリシャムくらいしか読まないのだが、ストーリーテリングはうまい。どうも実際の事件に触発されて書かれた小説らしい。このほど映画化されたことを知り、観てきました。
 映画の日本語の題名は 「アメイジング・ジャーニー 神の小屋」となっている。副題の「神の小屋」のほうがタイトルにふさわしかったのではないか。「アメイジング・ジャーニー」という日本語の言葉に宗教的意味を読み取るのはすこし無理だと思う。
 これは推理小説的なスリラー性を加味した宗教小説と言えようか。映画は原作にほぼ忠実と思えた。FBIの描き方とか、友人の描き方は簡略化されているが。最愛の娘を失った主人公がおそらくはノース・ダコタかモンタナ周辺の山中の山小屋で、「三位一体の神」と対話しながら、殺人鬼への怒りと悲しみの感情を「昇華させていく」話だ。「神」がもろにそのまま登場してくるのだ。神をそのまま描く現代小説なんてあまり聞かないので、「神」って誰だろう、何だろう、どういう顔をしているのだろう、と誰でも思いたくなる。著者の手腕は見事だ。監督も、アッと驚くかたちで三位一体の神を描いていく。
 「主」はまず、「女性」として登場する。しかも黒人だ。「男性」として登場するときはおそらく「ネイティブ・アメリカン」だ。「イエス」はアラブ系の若者だ。そして「聖霊」はアジア人の女性だ(「すみれ」という名前の日本人の女優さんだという。きれいな英語を話していた)。現在のアメリカにおけるエスニシティへの配慮を強く感じた。「主」は白髪のユダヤ人の老人ではない。女性として登場するときは黒人のナニーみたいな感じで描かれている。
 一番印象に残ったのは、いいずらいことだが画像の美しさだ。ストーリーの内容が悲劇と苦しみ、そしてその治癒の話なので、画像の美しさが余計つよいコントラストを作っていた。
 第二の印象は、やはりこの小説はアメリカのプロテスタントが抱く三位一体のとらえ方に見えたことだ。福音主義的といってよいかわからないが、この映画は、「神」は、つまり「三人」は、「いつもあなたと一緒にいてくれている」、という強いメッセージを送りたかったようだ。その試みはそれなりに成功している。しかし私には、神は常に主人公と苦しみを共有している、というメッセージよりは、苦しみや悲劇は神のより大きな計画のなかにある、というメッセージの方が強い印象だった。強調点が少し異なるように思えた。
 第三の印象は、主人公と三人の「神」との対話だ。極めて神学的なテーマが、話題が、次から次へと提供される。例えば、主人公が父親を殺害する、主人公の娘が殺害される。その意味が説き明かされる。主とイエスと聖霊がそれぞれ入れ替わり立ち替わり登場してその意味を話していく。しかもまるで単なるおしゃべりをしているかのように神学的な話をしていく。主人公は娘を救おうとしなかった万能の神をただ責め続ける。だが、三位一体の神はおのおのの視点からその意味を説明する。けれども、わたしにはその神学的意味が正直よくわからない会話が多かった。映画を見終わったあと、なにか心にストンと落ちる感じがなかったのだ。
 とはいえ、主人公が自暴自棄から立ち直っていく姿は、この映画を観る者をほっとさせてはくれた。この立ち直りには、Wisdom (英知と訳されていた)という白人の女性が登場する。彼女は誰なのか、わたしにはわからなかった。三位一体の神ではない。創世記第二章に出てくる「知恵の木」なのだろうか。カト研の皆さんのご教授をいただきたい。
 おそらくキリスト教の三位一体説を知らずにこの映画をみてもあまり強い印象は残さないのではないか。聖書の知識がなければ、主人公がイエスととも湖上の水面を歩くシーンは、なにかの荒唐無稽なファンタジーとしか映らないのではないか。観る者の宗教的感性次第で、いろいろな評価があることだろう。
 宗教映画だが、あまり身構えずに楽しめる映画といってよいと思う。暴力とセックスとカーチェイスしか描けない最近のアメリカ映画を敬遠しておられるカト研の皆様も一度ごらんになられたらいかがでしょうか。

 

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プロテスタンティズムとは何か(その1)(学びあいの会)

2017-09-25 17:32:48 | 神学

 9月の学びあいの会は秋晴れのもと12名の者方が集まり、勉強会のあとは一緒に食事をして感想を述べあった。
 7月の学びあいの会では「宗教改革500年にあたって」ということで神学者棟居洋氏の「ルターの信仰義認論」が紹介された。今月は「宗教改革500年にあたって」シリーズの第二弾として、小笠原優師の講義「プロテスタンティズムとは何か」が紹介された。この講義は師が藤が丘教会で3回連続でなされた講義のようで、カテキスタのS氏は毎回出席されたようだ。今日はS氏が小笠原師の講義を整理して紹介された。
 今日紹介された第一回目の講義は「ルターが訴えた教会の刷新」と題されている。全体は7章にわかれ、Ⅰ日本の教科書的記述 Ⅱ基本的理解 Ⅲ時代的背景 Ⅳルターの時代 Ⅴルターの問題意識と最初の行動 Ⅵ教皇庁の反応とルターの硬化 Ⅶ神聖ローマ帝国における混乱の始まり、となっている。全体として時間軸に沿った歴史的経過の叙述であり、神学的議論には深く立ち入っていない。小笠原師のルターの理解と説明は公平で、どちらかを一方的に支持したり断罪したりしておらず、バランスのとれたものになっているようだ。タイトルは「プロテスタンティズムとは何か」と少し大上段に構えた感じだが、実際はルター論のようだ。

Ⅰ 日本の教科書的記述
 宗教改革に関する日本の教科書の記述はワンパターンだ。ルターは良い者で教会は悪者だ。例えば、山川の『世界史研究』にはこう書かれている。「1517年、ヴィッテンベルク城内教会の扉に張り出された95ヶ条の論題(意見書)で、贖宥状(免罪符)indulgence 販売に対する批判としてまず表現された」(291頁)。つねに免罪符が言及される。ここから宗教改革におけるルターの位置や役割を見通していくことは至難の業ではないだろうか。

Ⅱ 基本的理解
 宗教改革は英語では Reformation という。宗教と言う文字は入っていない。つまり、ルターはカトリック教会の「改革」(Reformation)を望んでいたのであり、新しい何か別の教会を「創る」ことを考えていたわけではない。そもそもドイツにはプロテスタントという表現はない。Evangelicalism は福音(主義)派とでも呼べる。事実上ルター派のことをさす。95箇条の論題も実際は壁に張り出されたわけではなく、各司教達に書簡として送られたもののようだ。この書簡が、ルターの破門、ドイツ農民戦争、トレント公会議へとつながっていくのは歴史の流れであり、ルターの意図したところではなかった、というのが小笠原師の説明のようだ。

Ⅲ 時代的背景
 今日の講義は大半がこの説明に費やされた。詳しい資料および年表が配られ、ルターの生きた時代を知るためとして、14・15・16世紀の細かい歴史的出来事が紹介・説明された。まず背景として、教皇のアビニヨンの捕囚(1309-1377)→大シスマ(大分裂 1378-1417)→コンスタンツ公会議(1417)、という歴史的背景が詳しく説明された。神学的にはオッカム(1285-1347)の「唯名論」が「実在論」に取って代わろうとして力を増し、伝統的な秘跡論・恩恵論は「合理性」をもたないとして説得力を弱めていく。ルターはG・ビールから唯名論を学ぶが、やがて義認論を巡って二人は対立していく。このあと、ルターの生涯が細かくフォローされ、さまざまな歴史的出来事が論じられるが、特に小笠原師固有の視点から論じられているわけではないので、ここでは省略する。

Ⅳ ルターの時代
 ルターの登場は突然のできごとではなく、この時代にはさまざまな「刷新運動」がおこなわれていた。聖霊復興運動や聖書の翻訳や神秘主義神学の普及などだという。フス戦争もその一つとして論じられた。

Ⅴ ルターの問題意識と最初の行動
 ここでは、①背景 ②ルターの意図 ③ルターの強迫観念 ④95箇条の提題、の順で説明された。どれもよく知られた話が紹介された。特にルターが神経症で、便秘に苦しみ、ミサを挙げることはあまり好まなかった、と言う話では驚かれる方もいた。95箇条の提題も内容はカトリック的で、教皇は罰は許せるが罪は許せないという視点が保たれていることが強調された。

Ⅵ 教皇庁の反応とルターの硬化
 ここでは、①提題の伝搬 ②さまざまな反応 ③教皇庁の動き ④異端とされたルターの活動、の順で説明された。特に目新しい説明はなかったが、ルターが異端とされたのは95箇条の提題の提出や内容そのものではなく、ルターが教皇の命令に従わなかった点が強調された。いわば、教皇庁は問題点をすり替えて、ルターを断罪し、異端に持って行ったわけで、ドミニコ会の審問官(カイエタヌス枢機卿)の責任は大きいという。ルターは95箇条の提題で破門されたのではなく、反教皇だから破門された、という小笠原師の説明はわかりやすい。ルターは結局1521年に破門されているのだが、「聖書のみ・信仰のみ・万人祭司」の考え方は残っていく。

Ⅶ 神聖ローマ帝国における混乱の始まり
 ここでは、①カトリック教徒としてのルター ②プロテスタントという語 ③ドイツ農民戦争(1524-25) ④ルターの結婚、という順番で説明された。ここも特に変わった話が紹介されたわけではない。むしろ、S氏は、小笠原師が、教皇庁の対応は不十分で、教会分裂の責任は両者にある、としてカトリック教会の責任を認めていたことを力説された。
 カトリックとプロテスタントの分裂は不幸な出来事であった。だが、両者がまた一つになることが良いことかどうかも、なんとも言えない。小笠原師がどのようなお考えを示されるか、次回が楽しみである。

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映画『夜明けの祈り』を観る

2017-09-22 20:13:17 | 神学

 カトリック新聞推薦ということで、映画『夜明けの祈り』を観てきました。2016年度のフランス=ポーランド映画です。原題は Les innocentes, 英語題名は The Innocents。無罪とか無実という意味なのでしょうか。日本語の題名は 夜明けの祈り。これはよく考えられた良い訳です。ただ単に朝のお祈りという意味ではなく、修道院での「聖務日課」の「賛歌」のことで、日の出の時の「朝の祈り」のことらしい。現在の聖務日課では「1時課」がなくなったので、午前6時のお祈りを指すようだ。そしてこの聖務日課の賛歌の時間帯に、フランス人女性医師がポーランドの修道院のシスター達を助ける話だ。
 時は1945年12月。第二次大戦が終わり、ドイツによるポーランド占領が終わり、代わりにソ連軍が入ってくる。兵士が修道院を襲い、シスター達に暴行を加え、何人かが妊娠してしまう。この修道女達をフランス十字軍の女性医師マルチドが希望と光となって助けていくという話だ。実話だという。一般的に言えば、ソ連軍による集団レイプ事件だが、ポーランドがソ連の傘下に入っていた長い間、表沙汰にはされなかったという。
 ストーリーは別として、これは宗教映画といってよいだろう。身ごもったシスター達の信仰と現実の妊娠との葛藤が描かれる。主人公は医師マルチドだが、彼女が英雄視されて描かれているわけではない。現在でも世界のどこかで起こっている出来事が描かれている。
 わずか半世紀前のポーランドのカトリック修道院の生活を垣間見ることができた。お祈りだけではなく、炊事、洗濯などの日常生活も描かれ、興味深かった。観て楽しい映画ではない。聖務日課の意味がわからなければ、この映画は半分しか理解できないだろう。念のため、新旧の聖務日課の比較表を参考に載せておきました。現在は簡略化されて5課になっているようです。カト研の皆様にはぜひご覧いただき、感想を交換しあいたいものです。

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「宣教」か「福音化」か―カトリック教会のジレンマ

2017-09-11 21:21:36 | 神学

 9月の教会壮年会講演会がごミサのあと開かれた。演題は「私たちの宣教ー共同宣教司牧は難しくないー」で、演者は地区共同宣教司牧委員会委員のH氏。経験に基づいた良い報告であった。単なる活動報告だけではなく、歴史的経過まで踏まえた報告であった。ここではその講演の内容の要約というよりは、話を聞いていて私が考えさせられた点をいくつかメモっておきたい。私自身日頃考えてはいるが、考えがまとまらない論点が含まれていたので、考えを整理する良い機会であった。

 H氏の報告は、I歴史的背景 Ⅱ日本の司教団 Ⅲ教区の動き Ⅳ今後の課題 の4部構成だった。私が一番強い印象を受けたのは、H氏が、「宣教」と「福音化」を区別し、日本の今後のカトリック教会の方向をこの両者の進む道に見ていたことだ。H氏はあまり個人的な評価や問題提起は慎重に避けておられたが、ここでは論点をあえて極端を承知の上で絞ってまとめてみたい。

 Ⅰの「歴史的背景」では、第二バチカン公会議で宣教観が大きく変わったことが強調された。図式化して言えば、伝統的な「植え付け」論(implantation)→19世紀の「布教」(Mission)論→第二公会議での「(福音)宣教」論(kerigma)→パウロ6世の「福音化」論(evangelization)→ヨハネ・パウロ二世の「再福音化」論(宣教論への揺り戻し)、という流れで整理されていた。確かに第二バチカン公会議以前には「福音宣教」などと言う言葉はなかった。私も「布教」という言葉しか知らなかった。福音宣教は新しい言葉、新しい考え方なのだ。だが、この福音宣教は「福音」と「宣教」に分裂してくる。カトリック教会が第二バチカン公会議で「現代化」(アジョルメント)を打ち出し、その後、教会の中心が(少なくとも信者数からみれば)ヨーロッパ中心からラテン・アメリカ、アフリカ、アジアに移行してくくると共に、宣教重視か、福音重視か、が問題となってくる。時代の変化は、「両方とも大事」などとごまかしていることを許さなくなってくる。

 Ⅱの「日本の司教団」では、1966年の司教協議会の発足が強調された。つまり、日本のカトリック教会のなかで各種委員会の組織化が始まり、カリタスジャパンとか正平協とかが動き出すのだ。1984年に出された『日本の教会の基本方針と優先課題』では、従来型の宣教論と新しい福音化路線が並列列挙される。実際には福音化路線に従って、NICEが1987年、1993年と二回開かれる。NICEとは「福音宣教推進全国会議」のことで、National Incentive Convention for Evangelizationの略だ。当時はナイスと発音していた。生涯養成制度の確立など日本社会に適応するための14の提案をだした。だが、NICE は失敗した。岡田大司教様は2008年2月開催のの臨時司教総会で失敗を認める。「NICEⅠ、NICEⅡの提案はそれぞれ意味のあるたいせつな課題であったが、それを実行に移すには、日本の教会が十分準備されておらず・・・無理があったことは否めません」と述べている。
 だが、失敗を認めず、福音化路線を強引に進める司祭・信者もいた。教区司教を勝手に辞めて、教区の全信者を宙ブランコにしたまま沖縄に移住し、「平和運動」に没頭する司教まで現れたのだ。福音化路線の歴史的評価はまだ定まっていない。こういう司教の活動が後世どう評価されるか現在ではなんともいえないが、福音化路線とはなんなのか、注意深く見ていく必要があると思う。

 Ⅲの「教区の動き」は横浜教区の動きで、極めて個別的な話なのでここでは触れない。
 Ⅳの「今後の課題」ではH氏はいろいろ述べておられたが、結論的に、「来たるべきチャレンジ」として以下の8点を上げておられた。

①教勢の停滞  ②司祭・修道者不足
③信仰の私物化(一人で信仰を守りがちで、共に信仰を生きようとはしない)
④外国人宣教師の高齢化・宣教会の撤収
⑤信仰の社会・生活からの乖離(例えば会社で自分が信者であることをあえて明らかにはしない)
⑥エキュメニズム諸宗教の神学(独自性の行き詰まり感)
⑧インカルチュレーション(取り囲む仏教・神道の慣習への妥協・よく言えば信仰の土着化)

 どれももっともな指摘だが、やはり最も重要なのは第一点の教勢の停滞だ。公称44万人余の信者数。H氏はごミサにきちんと出る信者はおそらく三分の一以下と言っておられたが、その見通しは甘すぎるのではないか。司教団の年次報告から判断すれば月定献金をおさめている信者は1割以下ではないか。実働のカトリック信者は数万人のオーダーではないだろうか。

 ではどうするのか。
とにかく信者を増やそうというのが「宣教」路線だ。現在、洗礼を新たに受ける人は幼児洗礼と成人洗礼が同じくらいの比率か。『教会現勢2016』によれば幼児洗礼2601名、成人洗礼2907名。トータルの受洗者数は2004年の7425名から毎年減少し、2016年はついに5508名。カトリック教会は受洗者数だけをみれば確実に衰退の途をたどっているのだ。
 他方、信者の数だけ増やしてもだめだ、日本人の生き方、考え方に影響を与えていくことが大事だ、信者の増大はその後にくる、というのが「福音化」路線だ。これはあまりにも極端な整理の仕方で、私が勝手に行っている区別だ。一般的なものではない。だが、一つの整理の仕方ということでご理解いただきたい。

 福音化路線で、日本で中心になっているのは私が「平和路線」と呼ぶ活動だ。正平協路線だ。正平協は、憲法問題、靖国問題、慰安婦問題などに積極的に特定の立場から対応している。司教団としてもいろいろ声明を発表し、日本政府に申し入れをしたりしている。個別的な政策論になるのでここでの論評は控えるが、私個人はいまのところ距離をとって眺めている。とはいえ、若い司祭のなかにも正平協路線を自明の考えとしている方が増えていると聞く。岡田大司教様と高見大司教様の中央協議会での舵取りを見守っていきたい。

 「宣教路線」も将来の姿が明確にはなっていない。H氏のような宣教司牧委員会の方がいろいろとご苦労されていることはよくわかるが、これという妙案があるわけではない。韓国やフィリッピンの事例を紹介されても、そのまま現代の日本で生かせるわけでもないだろう。現在の宣教路線を私は「福祉路線」と呼んでいる。ボランティア活動を中心に福音を伝えていく人々だ。原発事故に苦しむ福島への応援活動など我々にも身近だ。教会での福島野菜の販売協力だってその一つだろう。カリタスジャパンの人たちも頑張っている。かれらの国内外への福祉支援活動はあまり注目されないが重要な活動だ。

 この宣教路線、福祉路線をさらに発展させるものとして、私は個人的には次のようなことを考えている。司教評議会レベルでは議論が行われているのだろうが、あまり外には出てこないのでちょっと触れておきたい。あれこれ言わずに自分でやれ、といわれたら返す言葉もないが、ちょっと思いつきを3点述べておきたい。

 ①教育対策。日本の信者でカトリック系の学校ではじめてカトリックの教えに触れたという人は多い。いわゆるミッション・スクールは信者を生産する重要な制度だ(こういう表現を好まない方はお許しいただきたい。洗礼のお恵みをいただける場、とでも読み替えてほしい)。だが、今やミッションスクールは受験校化しているところが多く、宗教教育どころではないとも聞く。宗教の時間、聖書の時間すらカリキュラムに組めない学校もあると聞く。受験校化か宗教教育か。二者択一ではないにせよ、カトリック学校の全国集会があると、司教団は困った、困ったというばかり。そろそろ具体的な指針をだしてもよいのではないか。例えば、主日には学校での部活は禁止するとかできないのだろうか。カトリック学校では日曜日は部活がない、と新聞などで報道されれば大ニュースになるのではないか。カトリック学校とはいえ、生徒どころか先生にも信者が少ないからそんなことはできないとよくいわれる。でも、私立の学校は建学の精神を忘れたら公立校とどこが異なるというのだろう。

 ②メディア対策。司教団に「広報」部門があってメディアへの対応をされていることはよく知られている。だが、もう少し積極的に新聞、テレビ、雑誌に働きかけても良いのではないか。岡田大司教様がtwitterをされていることは承知している。トランプ大統領のまねをする必要はないが、もう少し頑張って発信してもらえればと思う。それが難しければ、司教団として事務局がSNS発信をしてほしいと思う。「カトリックは反日」というデマはなんとしても払拭しなければならない。また、信者に向けても努力してほしい。例えばカトリック新聞を無料で全教会に送ってお聖堂の入り口に置いておくとか、望む信者には無料で配布するとかできないのだろうか。信者の信仰教育はミサだけでは不十分だと思う。聖教新聞や赤旗を見るとき、カトリック新聞のことをどうしても考えてしまう。

 ③知識人・政治家対策。現代日本にはカトリックの作家や知識人、政治家が多いと聞く。第二の遠藤周作はどこかにいるはずだ。遠藤周作はだめだと言っているばかりでは宣教はおぼつかないのではないか。麻生副総理のおかげでカトリック信者が増えているのだろうか。そもそも司教団は麻生副総理に直接会っているのだろうか。麻生副総理は岡田大司教様の前で跪いたことがあるのだろうか。ベネディクト16世来日のために政府に協力を求めているのだろうか。日本の歴代の総理にカトリック信者が何人もいた。でも教勢の拡大に誰かが寄与したという話は聞いたことがない。画家、映画監督、研究者、何人かのカトリック信者の名前を思い出す。司教団はこういう影響力のある人たちの名簿リストを作って持っているのだろうか。Wikipediaにあるのがせいぜいなのではないか。知識人や政治家をまとめ、組織化していく努力がほしいと思う。創価学会、立正佼成会、共産党、など多くの教団・政党がおこなっている地道な組織化活動、そして知的影響力の拡大努力を、中央協議会や司教団には是非見習ってほしい。

 というわけで、H氏の報告は刺激に溢れるものだった。講演のあとの質疑応答も熱意が感じられた。みな、常日頃感じ、悩んでいることだからだろう。ほとんど老人クラブに化している教会もこういう話になると元気を取り戻す。良き講演会であった。

 

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映画「静かなる情熱ーエミリ・ディキンスン」を観る

2017-09-10 21:03:52 | 神学

映画「静かなる情熱ーエミリ・ディキンスン」を観てきました。妻が良い映画らしいという話をどこからか聞きつけてきて私を誘ったので、岩波ホールまでついて行きました。

 まだ映画の内容が良く咀嚼できておらず、そもそも映画通でもないのでうまくまとめられないが、忘れないうちに若干の印象を記してみたい。
映画の原題は A Quiet Passion で、イギリス=ベルギー映画という。内容は、外見は穏やかだが、中身は激情一杯の癇癪持ちの女流詩人の伝記だ。解説によると、Emily Dickenson (1830-1886) という19世紀後半のアメリカ、ニューイングランドを生きた女性詩人の「オマージュ」だそうだ。その存在は長く忘れられていたが、死後1800編の詩が発見され、20世紀後半にその価値が再発見されたアメリカ文学史では貴重な女性の詩人という。予告編では「アメリカ文学史上の奇跡」とまで言っていた。私も名前は聞いたことがあったが、岩波文庫版の詩集もちらっと覗いたことがある程度で、予備知識は皆無だった。
 映画としての印象もまとまらない。どういう角度から観るかで印象も変わるからだ。女性の伝記もの?、宗教映画?、詩人の私生活? 19世紀ニューイングランドの上流階級の優雅な生活? 恋物語? 今風にいえば、文学や詩にのめり込む「閉じこもり」女の生涯? 背景にあるのは南北戦争とピューリタニズムのようだ。特に19世紀半ばアメリカ東部で盛んになった福音主義運動が伝統的な清教徒(ピューリタン)に影響を与え、それに反発する女性達を描いているとも言える。私は19世紀のマサチューセッツ州のピューリタンの生き方がきちんと描かれていることに感激した。
 エミリ・ディキンスンの生涯については、Wikipedia に詳しい。日本語版もよいが、特に英語版は詳しい。しかも評価も納得できるもののように思えた。
 彼女の祖父はアマースト大学の創設者の一人で、父親は弁護士。ウィキペディアによれば、「金持ち」(wealthy)ではないが、マサチューセッツ州の上流階級で、広大な Homestead (家屋敷)に住んでいた。彼女はここでほぼ55年の生涯を独身で過ごす。詩の才能は豊かだったようだ。詩人としての感性は特別だったらしい。が、神経症(広地恐怖症)に病み(生涯屋敷のなかで、否、自分の部屋のなかだけで過ごしていたようだ)、怒りっぽく、言葉で他人を傷つける。ブライト病とかいう腎臓病を患い、最後はこれで命を落とす。若いときは recluse と呼ばれていたようだ。隠遁者、世捨て人、変わり者、とでもいえようか。彼女の性格を”eccentric "と表現する記事が多いが、単に変わっている、というよりは、心を病んでいる、という側面を強調するための言葉のようだ。
 私もカト研の端くれとしてここでは宗教映画としてこの映画をみてみたい。映画の中の会話はきれいな東部のアメリカ英語で、日本の中学で習う英語のようなきれいな英語だ。現代風のスラングみたいなものはない。字幕の日本語訳も見事だったが、英語も私でも聞き取れるほどだった。といっても、全編を流れる彼女の詩の朗読はフォローが難しかった。略語があるし、韻を踏んでいるし、しかも詩のテーマが、「death」(死)と「immortality」(魂の不滅・不死)で、よくわからなかった。信仰が「ことば」であることをこの映画はよく示している。エミリは伝統的な意味での信仰は持っていなかっただろうが、「ことば」が大事なものとしてはき出されていた。そして、「ことば」が「文字」として「詩」になった。
 宗教映画としては、当時のピューリタンのメンタリティーがよく描かれているように思えた。エミリが、家族全員での祈り、朝食時とか共同告白の時とかで、一緒に祈ることを拒否する場面は印象的だった。エミリの反抗心の強さ、自分に忠実であろうとする強さが、よくでていた。ピュウリタニズムといっても、時代や地域によって異なるのだろうが、当時の福音主義の影響がこの場面にどのように反映されているのか、私にはわからない。また、突然の「白いドレス」は何を意味しているのだろう。わからない場面がいくつかあった。しかし彼女の芯の強さを偏執狂とみたり、彼女の恋心を「妄想的な恋愛感情」と決めつけるのはちょっといただけないとも思う。この映画の監督は彼女をもう少し好意的に、詩人としての人間性に引きつけて描いているように見えた。
 見終わった後の印象は明るいものではなかった。といってグルーミーというわけでもない。南北戦争期のアメリカにこういう詩人がいたことを知って、現代のアメリカ人はほっとするのではないだろうか。著名な映画賞をもらっているというが、むべなるかなである。

 

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