カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「宣教」か「福音化」か―カトリック教会のジレンマ

2017-09-11 21:21:36 | 神学

 9月の教会壮年会講演会がごミサのあと開かれた。演題は「私たちの宣教ー共同宣教司牧は難しくないー」で、演者は地区共同宣教司牧委員会委員のH氏。経験に基づいた良い報告であった。単なる活動報告だけではなく、歴史的経過まで踏まえた報告であった。ここではその講演の内容の要約というよりは、話を聞いていて私が考えさせられた点をいくつかメモっておきたい。私自身日頃考えてはいるが、考えがまとまらない論点が含まれていたので、考えを整理する良い機会であった。

 H氏の報告は、I歴史的背景 Ⅱ日本の司教団 Ⅲ教区の動き Ⅳ今後の課題 の4部構成だった。私が一番強い印象を受けたのは、H氏が、「宣教」と「福音化」を区別し、日本の今後のカトリック教会の方向をこの両者の進む道に見ていたことだ。H氏はあまり個人的な評価や問題提起は慎重に避けておられたが、ここでは論点をあえて極端を承知の上で絞ってまとめてみたい。

 Ⅰの「歴史的背景」では、第二バチカン公会議で宣教観が大きく変わったことが強調された。図式化して言えば、伝統的な「植え付け」論(implantation)→19世紀の「布教」(Mission)論→第二公会議での「(福音)宣教」論(kerigma)→パウロ6世の「福音化」論(evangelization)→ヨハネ・パウロ二世の「再福音化」論(宣教論への揺り戻し)、という流れで整理されていた。確かに第二バチカン公会議以前には「福音宣教」などと言う言葉はなかった。私も「布教」という言葉しか知らなかった。福音宣教は新しい言葉、新しい考え方なのだ。だが、この福音宣教は「福音」と「宣教」に分裂してくる。カトリック教会が第二バチカン公会議で「現代化」(アジョルメント)を打ち出し、その後、教会の中心が(少なくとも信者数からみれば)ヨーロッパ中心からラテン・アメリカ、アフリカ、アジアに移行してくくると共に、宣教重視か、福音重視か、が問題となってくる。時代の変化は、「両方とも大事」などとごまかしていることを許さなくなってくる。

 Ⅱの「日本の司教団」では、1966年の司教協議会の発足が強調された。つまり、日本のカトリック教会のなかで各種委員会の組織化が始まり、カリタスジャパンとか正平協とかが動き出すのだ。1984年に出された『日本の教会の基本方針と優先課題』では、従来型の宣教論と新しい福音化路線が並列列挙される。実際には福音化路線に従って、NICEが1987年、1993年と二回開かれる。NICEとは「福音宣教推進全国会議」のことで、National Incentive Convention for Evangelizationの略だ。当時はナイスと発音していた。生涯養成制度の確立など日本社会に適応するための14の提案をだした。だが、NICE は失敗した。岡田大司教様は2008年2月開催のの臨時司教総会で失敗を認める。「NICEⅠ、NICEⅡの提案はそれぞれ意味のあるたいせつな課題であったが、それを実行に移すには、日本の教会が十分準備されておらず・・・無理があったことは否めません」と述べている。
 だが、失敗を認めず、福音化路線を強引に進める司祭・信者もいた。教区司教を勝手に辞めて、教区の全信者を宙ブランコにしたまま沖縄に移住し、「平和運動」に没頭する司教まで現れたのだ。福音化路線の歴史的評価はまだ定まっていない。こういう司教の活動が後世どう評価されるか現在ではなんともいえないが、福音化路線とはなんなのか、注意深く見ていく必要があると思う。

 Ⅲの「教区の動き」は横浜教区の動きで、極めて個別的な話なのでここでは触れない。
 Ⅳの「今後の課題」ではH氏はいろいろ述べておられたが、結論的に、「来たるべきチャレンジ」として以下の8点を上げておられた。

①教勢の停滞  ②司祭・修道者不足
③信仰の私物化(一人で信仰を守りがちで、共に信仰を生きようとはしない)
④外国人宣教師の高齢化・宣教会の撤収
⑤信仰の社会・生活からの乖離(例えば会社で自分が信者であることをあえて明らかにはしない)
⑥エキュメニズム諸宗教の神学(独自性の行き詰まり感)
⑧インカルチュレーション(取り囲む仏教・神道の慣習への妥協・よく言えば信仰の土着化)

 どれももっともな指摘だが、やはり最も重要なのは第一点の教勢の停滞だ。公称44万人余の信者数。H氏はごミサにきちんと出る信者はおそらく三分の一以下と言っておられたが、その見通しは甘すぎるのではないか。司教団の年次報告から判断すれば月定献金をおさめている信者は1割以下ではないか。実働のカトリック信者は数万人のオーダーではないだろうか。

 ではどうするのか。
とにかく信者を増やそうというのが「宣教」路線だ。現在、洗礼を新たに受ける人は幼児洗礼と成人洗礼が同じくらいの比率か。『教会現勢2016』によれば幼児洗礼2601名、成人洗礼2907名。トータルの受洗者数は2004年の7425名から毎年減少し、2016年はついに5508名。カトリック教会は受洗者数だけをみれば確実に衰退の途をたどっているのだ。
 他方、信者の数だけ増やしてもだめだ、日本人の生き方、考え方に影響を与えていくことが大事だ、信者の増大はその後にくる、というのが「福音化」路線だ。これはあまりにも極端な整理の仕方で、私が勝手に行っている区別だ。一般的なものではない。だが、一つの整理の仕方ということでご理解いただきたい。

 福音化路線で、日本で中心になっているのは私が「平和路線」と呼ぶ活動だ。正平協路線だ。正平協は、憲法問題、靖国問題、慰安婦問題などに積極的に特定の立場から対応している。司教団としてもいろいろ声明を発表し、日本政府に申し入れをしたりしている。個別的な政策論になるのでここでの論評は控えるが、私個人はいまのところ距離をとって眺めている。とはいえ、若い司祭のなかにも正平協路線を自明の考えとしている方が増えていると聞く。岡田大司教様と高見大司教様の中央協議会での舵取りを見守っていきたい。

 「宣教路線」も将来の姿が明確にはなっていない。H氏のような宣教司牧委員会の方がいろいろとご苦労されていることはよくわかるが、これという妙案があるわけではない。韓国やフィリッピンの事例を紹介されても、そのまま現代の日本で生かせるわけでもないだろう。現在の宣教路線を私は「福祉路線」と呼んでいる。ボランティア活動を中心に福音を伝えていく人々だ。原発事故に苦しむ福島への応援活動など我々にも身近だ。教会での福島野菜の販売協力だってその一つだろう。カリタスジャパンの人たちも頑張っている。かれらの国内外への福祉支援活動はあまり注目されないが重要な活動だ。

 この宣教路線、福祉路線をさらに発展させるものとして、私は個人的には次のようなことを考えている。司教評議会レベルでは議論が行われているのだろうが、あまり外には出てこないのでちょっと触れておきたい。あれこれ言わずに自分でやれ、といわれたら返す言葉もないが、ちょっと思いつきを3点述べておきたい。

 ①教育対策。日本の信者でカトリック系の学校ではじめてカトリックの教えに触れたという人は多い。いわゆるミッション・スクールは信者を生産する重要な制度だ(こういう表現を好まない方はお許しいただきたい。洗礼のお恵みをいただける場、とでも読み替えてほしい)。だが、今やミッションスクールは受験校化しているところが多く、宗教教育どころではないとも聞く。宗教の時間、聖書の時間すらカリキュラムに組めない学校もあると聞く。受験校化か宗教教育か。二者択一ではないにせよ、カトリック学校の全国集会があると、司教団は困った、困ったというばかり。そろそろ具体的な指針をだしてもよいのではないか。例えば、主日には学校での部活は禁止するとかできないのだろうか。カトリック学校では日曜日は部活がない、と新聞などで報道されれば大ニュースになるのではないか。カトリック学校とはいえ、生徒どころか先生にも信者が少ないからそんなことはできないとよくいわれる。でも、私立の学校は建学の精神を忘れたら公立校とどこが異なるというのだろう。

 ②メディア対策。司教団に「広報」部門があってメディアへの対応をされていることはよく知られている。だが、もう少し積極的に新聞、テレビ、雑誌に働きかけても良いのではないか。岡田大司教様がtwitterをされていることは承知している。トランプ大統領のまねをする必要はないが、もう少し頑張って発信してもらえればと思う。それが難しければ、司教団として事務局がSNS発信をしてほしいと思う。「カトリックは反日」というデマはなんとしても払拭しなければならない。また、信者に向けても努力してほしい。例えばカトリック新聞を無料で全教会に送ってお聖堂の入り口に置いておくとか、望む信者には無料で配布するとかできないのだろうか。信者の信仰教育はミサだけでは不十分だと思う。聖教新聞や赤旗を見るとき、カトリック新聞のことをどうしても考えてしまう。

 ③知識人・政治家対策。現代日本にはカトリックの作家や知識人、政治家が多いと聞く。第二の遠藤周作はどこかにいるはずだ。遠藤周作はだめだと言っているばかりでは宣教はおぼつかないのではないか。麻生副総理のおかげでカトリック信者が増えているのだろうか。そもそも司教団は麻生副総理に直接会っているのだろうか。麻生副総理は岡田大司教様の前で跪いたことがあるのだろうか。ベネディクト16世来日のために政府に協力を求めているのだろうか。日本の歴代の総理にカトリック信者が何人もいた。でも教勢の拡大に誰かが寄与したという話は聞いたことがない。画家、映画監督、研究者、何人かのカトリック信者の名前を思い出す。司教団はこういう影響力のある人たちの名簿リストを作って持っているのだろうか。Wikipediaにあるのがせいぜいなのではないか。知識人や政治家をまとめ、組織化していく努力がほしいと思う。創価学会、立正佼成会、共産党、など多くの教団・政党がおこなっている地道な組織化活動、そして知的影響力の拡大努力を、中央協議会や司教団には是非見習ってほしい。

 というわけで、H氏の報告は刺激に溢れるものだった。講演のあとの質疑応答も熱意が感じられた。みな、常日頃感じ、悩んでいることだからだろう。ほとんど老人クラブに化している教会もこういう話になると元気を取り戻す。良き講演会であった。

 

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3 コメント

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お教えください (磐上)
2022-08-05 17:43:08
詳細な記事をありがたく拝見しました。

文中、
「2008年2月開催のの臨時司教総会」とありましたが、これは中央協議会のHPで見つけることができませんでした。

資料を見ることができるサイト等、ご存じでしたら、教えて下さい。

どうぞよろしくお願いいたします。
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2008年定例司教総会 (Kempis)
2022-08-05 21:12:52
磐上様
「2008年2月開催のの司教総会」は2月ですから臨時ではなく定例総会のようですね。間違いでした。
文書は2008年6月3日に発表されているようです。「諸文書」に、「NICE-1から20周年」というタイトルで載っていました。
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感謝とともに (磐上)
2022-08-06 11:05:00
早急にご回答いただきましてありがとうございました。
お手数をおかけいたしました。
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