カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

啓示憲章 ー現代の啓示論(2)

2019-07-24 10:48:42 | 神学


Ⅲ 第二バチカン公会議の開催経緯

1 公会議再開の試み

  第1ヴァティカン公会議(第20回公会議)は、教皇ピオ9世により召集され、 1869年12月8日-1870年10月20日に開催された。 これはイタリア統一戦争(1815-1871)で1870年にローマの教皇領の残りが併合されたため中断された。つまり、この公会議は完了していなかったので、 その後、歴代の教皇はこれを補完・完成させる必要があると思っていたようだ。 ピオ(ピウス)11世(1922-1939)は1922年に、、ピオ12世(1939-1958)も1948年にその再開の準備をしようとしたが、結局は実現に漕ぎ着けなかった。

2 ヨハネ23世と公会議の準備

 1958年10月ににピオ12世が死去すると、ヴェニスの大司教ロンカリ枢機卿が教皇に選出される。ヨハネ23世(1958-1963)である。高齢であったため暫定的な教皇と目されていたらしいが、なんと選出直後の1959年1月25日に枢機卿会議で公会議開催の意向を表明したのだ。これは世界中に大きな驚きを与えた。それ以降3年半にわたる準備期間が始まる。ヴァチカンは全世界の司教区、修道会、カトリック大学にアンケートを送付し、討論すべきテーマについて提案を求めた。結局、第二バチカン公会議(第21回公会議)は1962年に始まり、65年まで4回の会期が開催された。

・1960年5月10日   準備委員会発足
・1961年12月25日  公会議招集の勅書
・1962年6月20日   70の議題起草(コンガール、リュバックなど)

3 公会議の開催

1962年10月11日 開会式 2500名の司教、神学アドバイザー、オブザーバーが参加
 教皇は、①教会のアジョルナメント(現代化)②エキュメニズム(教会一致) を訴えて、大きな感銘を与えた。
 第一回会合では、事務局が用意した委員の候補者リストが配布されたが、あまりにも保守派の顔ぶれだけで、リエナール、フリングス枢機卿が反対し、再検討ということで会合はわずか20分で終了したという。もし事務局案でそのまま進んでいたら、第二バチカン公会議は第一バチカン公会議と変わらない凡庸な結末に終わっていただろうといわれる。この辺の経緯は他書に詳しいが、ここではネットでも読める和田幹男師の解説を紹介しておきたい。

http://mikio.wada.catholic.ne.jp/

 これまでの公会議は異端説に対応するための教義の確認・確定が目的だった。だが、この第二バチカン公会議は違う。何か新たな教義をつくるのではなく、教会組織を現代世界に対応させるための「宣教・司牧」的な性格を持った公会議であった。アッジョルナメント (aggiornamento)(現代化)という言葉がこの公会議の性格をよく表している。
 とはいっても、教義面でも大きな再確認がなされた。特に公会議が交付した文書は教会論と聖書論を飛躍的に発展させたという。

 会期は4つある。第一会期と第二会期との間に、ヨハネ23世が逝去(1963年6月3日)、パウロ6世の選出(21日)という出来事がある。でも、第二バチカン公会議はやはり農民出身のおじいちゃん教皇ヨハネ23世と結びついている(1)。

第一会期 1962年10月11ー12月8日

典礼憲章の検討
教会一致にかんする議案
啓示憲章の検討:事務局が提出した議案はスコラ的、伝統的な啓示論であったため、改革派の複数の枢機卿が反対動議を提出する。事務局の抵抗は強硬だったが、ヨハネ23世の判断で新たな草案が作られることになる。改革が動き出す。

ヨハネ23世逝去(1963年6月3日)
パウロ6世選出(21日)

第二会期 1963年9月29日-12月4日

 3つの議案が審議される:教会に関する教義憲章の議案、 司教と司教区統括に関する教令の議案、 エキュメニズムに関する教令の議案
12月4日に、典礼憲章、広報機関に関する教令が発布される

第三会期 1964年9月14日-11月21日

 数多くの議案が提出された。
11月21日に、教会憲章、東方カトリック諸教会教令、エキュメニズム教令が発布される

第四会期 1965年9月14日-12月8日

 多くの憲章、教令が発布される
啓示憲章(神の啓示に関する教義憲章)は11月18日に発布された

 全体で、第二バチカン公会議が公表した文書は16。憲章は4、教令は9、宣言が3だ(2)。

憲章
1 啓示憲章
2 典礼憲章
3 現代世界憲章
4 教会憲章

教令
1 司教役務教令
2 司祭役務教令
3 司祭養成教令
4 修道生活教令
5 信徒使徒職教令
6 宣教活動教令
7 東方教会教令
8 エキュメニズム教令
9 広報機関教令

宣言
1 キリスト教教育宣言
2 諸宗教宣言
3 信教の自由宣言



1 サン・ピエトロ大聖堂のクリプタでは今でもヨハネ23世のお墓にお参りする人が一番多いと聞く。
2 これらの憲章、教令、宣言の名称は略称であり、正式には例えば啓示憲章であれば、「神の啓示に関する教義憲章(Constitutio Dogmatica de Divina Revelatione Dei Verbum):DV、『デイ・ヴェルブム』」と表記されるらしい。
 憲章、教令、宣言の詳細な違いは専門書に譲るとして(『第二バチカン公会議公文書改訂公式訳』 カトリック中央協議会 2013 など)、一般には、憲章(Constitutio)は公会議が信仰・道徳に関して決めた文書、教令(Decree)は教皇の決定で副書がないもの、宣言(Declaratiio)は教会の姿勢を表明する文書、とされる。憲章が最も重要な文書であることはいうまでもない。

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啓示とは何か ー現代の啓示論(1)

2019-07-23 11:48:52 | 神学


 7月も終わるというのに長梅雨があけない。7月の学びあいの会のテーマは啓示論であった。S氏の持論の展開というよりは、既存の議論を整理したいということのようであった。整理の仕方はいろいろあるだろうからここではできるだけ主要な論点だけを取り上げておきたい。

 啓示論はカトリック信仰において最も重要な「教義」であるにもかかわらず、最近は入門講座以外ではあまり聞かないテーマだ。啓示という耳慣れない言葉を聞くとすぐに「ヨハネの黙示録」(1)が思い出されて、なにかおどろおどろしい、まがまがしい、理解不可能な出来事と思われるからだろうか。
 他方、臨死体験や体外離脱など「啓明」と呼ばれることもあるテーマはテレビや雑誌などマスメディアのお好みのテーマのようだ。心霊現象やパワースポット観光案内も人気がある話題らしい。
 したがって、啓示という言葉についての誤解を招かないためにも、言葉の整理をきちんとしておくことが大切だ。その上で、現代のカトリック教会の啓示論(第二バチカン公会以降の啓示論)が、以前のスコラ神学的な啓示論(第一バチカン公会議での啓示論など)から大きく変化発展していることをみておきたい。

 啓示論は基礎神学の一部門だ。つまり啓示論は神学という学問の基礎の基礎と言うことになる。S氏もこの点を強調しておられたが、ここでは念のため阿部仲麻呂師の「神学の相関図」を載せておこう。これは神学校でのカリキュラムの体系とのことだが、啓示論が神学教育の中でどう位置づけられているかがよくわかる。

 

 

Ⅰ 「啓示」という概念

 カトリック信仰では、啓示は信仰宣言(信条)の中核部分をなす。洗礼を受けるための入門講座で最初にぶつかる難問である。
 『カトリック教会のカテキズム』(2002)(2)によると、カテケージス(3)は4つの「支柱」を持っているという。それは ①信仰宣言 ②秘跡 ③掟 ④祈り だという(10頁)。啓示は①信仰宣言(信条)の中核である。
 ロジックはこうだ。①人間は神を求める→②神が先に人間を呼んでおられる(啓示)→③人間と神が契約を結ぶ→④神への人間の応答(祈り)。つまり、神が人間を訪れるとき、神はご自分の「慈しみ深い計画」を人間に示される、これが啓示の本来の意味のようだ(4)。

1 「啓示」という用語

 だが、啓示という言葉にはいろいろな使われ方がある。S氏によると、啓示という言葉の用法には三種類あるという。

①日常用語
「隠れているもの、以前には知られていなかったものが現れ、認知の対象になること」。これはもっとも普通の定義、用法だろう。秘跡の神秘に関わる概念だから、宗教的概念だ(5)。

?ποκ?λυψι?(ギリシャ語):アポカリュプシス
revelatio (ラテン語)
revelation (英・仏):隠されているものから覆いをとる
Offenbarung (独) :開示すること
啓示 (中国古典)  :祭儀に用いる器を納めた厨子の扉を開き示すこと

②諸宗教の用法
 啓示という概念はキリスト教に固有のものではない。自然宗教や他の啓示宗教にも、人間に対する神の告知と人間によるその認識が存在する。だが、仏教における「悟り」が「啓示」に関わるかは疑問が残るという(6)。

③キリスト教的用法
 キリスト教の歴史の中でも啓示について様々な説明がなされてきたが、S氏は、「近代キリスト教神学において啓示は、ナザレのイエスの受肉によって、神が世に対して自らを徹底的かつ全面的に与えた自己譲与」とされてきた、と説明された。つまり、「受肉の啓示」説で、啓示はいわば神の主体的行為で、人間の側が請い頼んで与えてもらうというものではない、という側面が強調されている(7)。

2 啓示の方法

 啓示の伝達手段のことである。
①何らかの情報を神が人間に与えることによる
②神の自己啓示による人間との出会いによる
 どちらも神が主体で、人間は伝えられる存在になっている。①は文字または霊感という手段のことで、文字による伝達が聖書ということになるのであろう。

Ⅱ キリスト教における啓示観の変遷

1 旧約聖書
 旧約では啓示は神のことば、語りかけ、ロゴスである。神の「お告げ」のことだ。

①自然を通して 詩篇19・1,18・13,29・3
②幻視を通して 出エジプト記33・22,民数24・4
③夢を通して  創世記28・11,サム上28・6
④直接に    イザヤ5・9,エレミア23・18

 皆で聖書を読み合わせたが、旧約の啓示は神が預言者を通してイスラエルに向けたメッセージで、ヤーヴェとイスラエルの民との「契約」と同じことをさしているようだ。

2 新約聖書
 新約聖書での啓示は契約思想を背景として持っており、イエスによる一回限りの新しい契約、すなわち、イエスが神を啓示するというかたちをとっている。

①奇跡的に超自然的知識を受け取ること: マタイ11-27,16-17
②神ご自身を最終的に開示する出来事 : 「都に上ったのは、啓示によるものでした」(ガラティア2・2 聖書協会共同訳)

 従って信仰はイエスへの人格的な帰依となる。

3 古代教父たち
 2世紀から6世紀にかけての教父たちの啓示論はキリスト論と一体化している。まだ未分化だ。続出する異端説(養子説、変容説、アレイオス説(ホモウーシオス、神と子の同一本質説の否定)などへの反論を展開する中で啓示論が展開されていく。啓示とは神が人間の魂を照らすわざだという。「神の照らし」説とでもよべようか。

4 中世スコラ神学
 スコラ神学においては、啓示とは神・人間・宇宙についての教義体系のこと。聖書を源泉とし、預言者や使徒によって人類に告知された教えの体系への人間の側からの知的同意を意味するという。

①アンセルムス:スコラ学の父と呼ばれる 理性による論証を重視する 「理解せんがために信ず」という言葉は有名だ。
②トマス・アクィナス:自然神学と啓示神学を初めて区別した
 自然神学では、人間の理性の力のみで神の存在を証明するが、啓示神学では神の啓示によらなければ、神の存在・真理・三位一体の神は捉えられないと考える。自然神学だけでは不十分だという。トマスにおいては啓示は「命題」としての形式を持ち、信仰とはその命題への合意のことだという。アリストテレスの影響が繰り返し指摘されている。

5 宗教改革時代
 義認論、聖書のみ、の思想にみられるように、啓示とは、イエス・キリストの贖罪のわざによる神の救いの福音のことだという。聖書のみが完全な権威を持ち、教会の伝承や教父たちの著作は啓示ではないという。
 カトリック側からの反宗教改革運動(対抗宗教改革)では、啓示の源泉は「聖書」と「聖伝」であり、啓示は教会の教えの客観的な内容を指すとされた。

6 啓蒙時代
 17・18世紀の理性至上主義の時代にはヨーロッパでは啓示のみならず宗教そのものが否定された。教会が啓示の権威を持ち出して自己を正当化する教条主義が否定された。反トミズムの時代といえる。
 他方、カトリック教会は自分自身を「聖書を根拠とする啓示宗教」と自己規定した。自分たちは啓示宗教だとなのったわけだ。ここに信仰とは啓示の承認と同義となる。

7 19世紀
 ヘーゲルに代表される観念論は、啓示を歴史の中におこる絶対精神の出現と見なして、キリスト教的な表象を受容していた。
①第一バチカン公会議(1869・12・8~1870・10・28)
 教義憲章 Dei Filius (神の子)を発布して啓示論の問題解決をはかる。啓示の超自然性が強調される(8)。
②プロテスタント神学
 啓蒙主義と世俗主義による宗教の破壊を防ぐ努力が試みられる。例えば、シュライエウマッハーは啓示の源はイエス・キリストのみで、宗教は理性的・抽象的議論のみでは把握不可能だと説いた。

③啓示論争
 19世紀から20世紀初頭にかけて展開された論争。理性中心、科学万能主義への反動として個人主義的、主観主義的啓示観が登場する。例えば、カトリックのロアジー(Alfred F. Loisy, 1857~1940)は、啓示は人間が持つ意識で、内的・自然的なものであり、教義や要理として外から伝えられるものではないとした。広い意味での近代主義(モダニズム)の一種で、宗教のみならず芸術や文学の世界でも影響力が大きかったようだ。

8 20世紀以降
 20世紀には第二バチカン公会議で「啓示憲章」が発布されるが、それ以前も啓示論に大きな変化が起こっていた。

①実存主義の影響(両大戦間の時代)
 啓示神学は実存主義に大きな影響を受ける。戦争や不況など不条理のもとで人々は啓示に拠り所を求めた。啓示とは人間にとって究極的な事柄の表示のことで、キリストに人生をかけることが啓示の意味になっていく。
②プロテスタント神学の啓示理解
 啓示は歴史的事件(受肉・生活・死・復活)の中に具体化される。神は歴史の中に自己を顕現するとした。例えば、K・バルトは自然の啓示を否定し、神の直接的啓示以外あり得ないと主張した。人間は神を考えることはできない。人間が神について考えることができるのは、神が自らを知らせるときだけだ、という。

③カトリック神学の啓示理解

 K・ラーナーは逆だ。啓示は自然的理解を深め、拡大すると主張した。福音を知らない「無名のキリスト者」(der anonyme Christ)がすくわれるのは、かれが常に啓示のもとにあるからだ。「自己自身を理解する者にのみ、そしてそのように自己自身を自律的に処理できる者のみに、人格的な啓示における神の自己開示は、自由な愛の行為として現れるからである」(『み言葉を聞く者』)(9)。
 こういう啓示論が第二バチカン公会議のなかに流れ込んでいく。

 長くなったので、第二バチカン公会議での啓示憲章成立の話は次稿にまわそう。

1 新約聖書の最後に来る「ヨハネの黙示録」は、「啓示録」ではなく「黙示録」とされている。この章は、英語訳聖書では Revelation、 ドイツ語訳では Die Offenbarung des hl. Johannes と訳されていることが多いようだ。つまり、「啓示」と「黙示」は同じ意味なのに、日本語ではなぜか訳し分けている。原語(ギリシャ語)は 「アポカリュプシス」?ποκ?λυψι? だから、日本語では「天啓」、「明示」、「公開」、「開示」などと訳してもおかしくはないらしい。実際、岩下壮一師は天啓という言葉を好まれたようだ(『カトリックの信仰』)。なぜ聖書においてのみ黙示という訳語が使われ続けているのか、不思議といえば不思議である。
2 『カトリック教会のカテキズムの要約』(2010)でも同じ。これは『カトリック教会のカテキズム』を問答式に要約したものである。問答式だからわかりやすい。
3 カテケージスとはカテキズムを学ぶことを指す。第二バチカン公会議以降は「要理教育」と訳されることが多いらしいが、私の世代だとどうしても「公教要理」と言いたくなる。
4 私は啓示なるものを受けた経験はないないのでピンとこないが、啓示には「段階」があり、啓示の伝達手段も「わざとことば」を通してであるという(19頁)。夢やインスピレーションも啓示の一つという説もあるようだが、ここでのテーマではない。
5 近代ヨーロッパでは「啓示」は「啓蒙」(Enlightenment)の対立概念とされてきた。啓蒙とは無知をただして合理的な知識を得ること、理性の光を当てることを意味するが、日本語では差別的ニュアンス、上から目線のニュアンスがどうしても伴う。啓示という訳語に神秘的なニュアンスが伴うのと同じで、言葉に歴史の垢がついているのだ。
6 S氏はここで興味深い注釈をおこなっていた。原始仏教には啓示という概念はないが、鎌倉仏教、とくに浄土宗には啓示に近い教えがあるのではないか、と言われた。これは他力本願のことだろうか。他力本願とは、修行で悟りを得るのではなく、阿弥陀如来の本願によって成仏するという意味なので、これを啓示に近い教えと呼ぶためにはもっと詳細な説明が欲しいところである。
7 これは、トマス主義的な、第一バチカン公会議的な、説明であり、定義のように思える。あえて言えば、歴史的視点、終末論的視点が入っていない定義と言うことになる。
 例えば、ジョンストン師は、啓示を「自然の啓示」と「受肉の啓示」に分類して説明している(『愛と英知の道』第11章)。自然の啓示は「宇宙の啓示」とも呼ばれ、自然の中に神が自己を啓示する(ローマ人への手紙1・20)。ひとは「科学を通して神に行き着ける」という考え方だ。他方、受肉の啓示は、第一バチカン公会議での教義憲章 Dei Filius (神の子)で展開された「救いの啓示」論で、受肉・死・復活・栄光を示す啓示である。
 ジョンストン師はこのように啓示には二つの表現方法があるが、二つの分けるのは第二バチカン公会議の精神に反すると言っている。師は宇宙論的啓示の側面を強調するからだ。今にして思えば、こういうジョンストン師の神秘主義神学的な主張ー禅やヨガの肯定的評価、科学への信頼などーは、当時のニューエイジ的思潮の中に位置づけられるのかもしれない。教会はもちろんニューエイジ的思想を否定していたが、当時のカト研の中でも聖霊復興運動への関心など当時のニューエイジの波の影響を受けた方も多かったことを思えば、時代の変化を感じざるを得ない。ジョンストン師も、われわれカト研も、時代の子だったのだろうか。
8 第一バチカン公会議は普仏戦争の勃発で中断してしまうので、憲章は二つ出されただけである。一つはこの 「デイ・フィリウス」 Dei Filius (神の子)で、啓示論。もう一つが「パストル・エテルヌス」Pastor Aeternus (永遠の牧者)で、教皇首位説・教皇不可謬説だ。この公会議は近代主義の誤謬を正すと言いながら、実際は ウルトラモンタニスム(教皇至上主義)の確認に終わってしまう。教会の現代化は約100年後の第二バチカン公会議まで持ち越されることになる。
9 『み言葉を聞く者』(Horer des Wortes, 1941)  岩島忠彦師 http://t-iwasi.my.coocan.jp/

 

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『9条入門』を読むー加藤典洋氏を悼む

2019-07-12 15:27:25 | 


 加藤典洋氏が亡くなった。この5月16日だという。突然の訃報なので驚いている。71歳とはあまりにも若すぎる。
 わたしは加藤氏の熱心な読者ではなかった。面識もない。かれの著作には宗教性は感じない。フランス文学出身とはいえ宗教には関心をもっていなかったようだ。だがわたしは、『敗戦後論』以前からかれを少しずつフォローしていた。それは、かれのポストモダニズム批判の姿勢が興味深かったからだ。戦後思想の評価に関してもかれは、左翼からも、また右翼からも批判を受けていたようで、その立ち位置と主張は興味深いものであった。今回ちょうど『9条入門』を読み終わったところなので、この思いはさらに強まった。

 本書(2019年4月、創元社)は、憲法9条を巡る初期の歴史をあつかったもので1950年頃までをカバーしている。加藤氏は当然この後の安保での変容、安保改定から現在までの混迷をフォローする予定だったのだろうから、この早世は残念としか言いようがない。

 本書の主張は複雑だが、専門書ではないので読みやすい。ポイントは、わたしのことばを使えば、「新憲法」では第一章と第二章がセットになっている、象徴天皇制と9条の平和主義がいわばバーター取引のように裏表になっている、第9条はマッカーサーと昭和天皇との激しいせめぎ合いの産物、ということのようだ。9条の平和主義(戦争放棄・軍備及び交戦権の否認)は昭和天皇の戦争責任を東京裁判(極東国際軍事裁判)で問わないための代償だった。第9条は、戦後日本が「平和の使徒として、世界の歴史の最先端にたつのだ」と命じたのは、昭和天皇でも、時の内閣総理大臣でもなく、マッカーサーだった。なぜか。マッカーサーにとり次の大統領選挙に勝利することが最大の目標であり、新憲法はそのための手段の一つであった。新しく発見された歴史的事実も紹介され、興味深かったが、9条に象徴される日本の平和主義の特性が歴史的に形成されたものであることを見事に描いている。

 加藤氏は最後にこう述べる。「憲法9条の平和主義とは、このような天皇のニヒリズムをネガとする、それを反転した、からっぽな理想の姿なのではないか」。大胆な主張であり、これが左派からも、右派からも、批判を受けるものであることは容易に想像がつく。わたしにはこの主張の是非を論じる力はないが、ニヒリズムというよりは昭和天皇のリアリズムと呼んだ方がよいかもしれない。加藤氏は、評論家としては昭和天皇断罪のスタンスを長い間とってきていたようだが、ここでは昭和天皇の苦悩への深い共感が感じられる。ひさしぶりに読んで面白い本であった。

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『SNSと宗教』を読むーSNSは宣教に役立つのか

2019-07-09 15:57:05 | 


 日本カトリック司教協議会諸宗教部門が昨年9月22日に主催したシンポジウム「SNSと宗教――LINE・Facebook・Twitterがわたしたちに問いかけるもの」が「2018シンポジウム記録」として先日冊子として配布された。無料なので送ってもらって読んでみた。
 特に目新しい話はなかったが、ここで展開された議論を自分の教会に引きつけて考えたとき、いろいろ刺激を受けたので、少し触れてみたい。

 この昨年のシンポジウムは麹町教会(四谷のイグナチオ教会)で開かれたもので、出席者も100人を超えていたようだ。主催は諸宗教部門。諸宗教部門は司教協議会(1)の直轄の委員会で、「教団関連・諸部門 Sections」のひとつだという(2)。
 パネリストは、中山義紹(曹洞宗熊本県第一宗務所副所長)、阿部仲麻呂(サレジオ会司祭)、志立正嗣(ヤフー株式会社執行役員会長室長)の3人。
 冊子は第一部が「発題」、第二部が「対談・質疑応答」となっていて、50頁ほどのものだった。
 中山師は、仏教の立場から、「禅」における「智慧」が「体感」を通してでなければ伝えられないものだと主張。曹洞宗では「不立文字」、臨済宗では「公案」を強調するが、「体感」、「皮膚感覚」の強調では共通だという。布教のためのツールとしてSNSの役割には肯定的だが、使い方を誤ってはならないという。

 阿部師はインターネットに詳しい司祭として著名な方だが、ご自分の活動、体験談、SNSの問題点の指摘の三点を中心に話されたようだ。師は、イエズス会の「霊性センター せせらぎ」などSNSが宣教の上で有用なことを認めた上で、最近はご自分はSNSに少し距離をとるようになってきたと話しておられたのが印象的であった。ポイントは、SNSは個人の趣味にとどまっていると様々な危険性をはらむので、「チームとして働く」ことを強調しておられた。SNSはグループとして発信し、活用すべきと言う趣旨のようだ。

 志立氏は、「キリスト教のアメリカ土着化」・「ナチスのメディア利用」・「大統領選とフェイクニュース」(トランプ大統領の話)・「ISIL(イスラム原理主義)」という4つの「例」をあげながら、メディアと宗教の関わりの歴史に言及した。宣教にはメディアと同じで「5W1H」が必要で、SNSは Where(場所)の話なのだという。5Wを考えることが大事ですということのようだ。「エコーチェンバー効果」とか、子どもに「SNS誓約書」を書かせる話とか、「Yahooあんしんネット」の話とか、興味深い指摘はやはり専門家らしいものであった。
 また、ISなど悪い方向へ引き寄せられた人々がいるが、既存の宗教は逆にSNSは彼らを救える可能性を持っている証しとして肯定的に受け取るべきだという。

 さらに、カトリック教会はネット利用について消極的であると言われることが多いが、「経営の観点でいうと、大きい組織は動きが鈍いのは当たり前なんですけど、大きいと何がいいかというと、大きなインパクトがつくれるということに尽きるんですよね」(41頁)と述べていた。教会のリーダーたちがSNSの重要性を理解すれば変わっていくのではないかとも述べている。最近は菊池大司教さま、岡田大司教さまをはじめFacebookやtwitterで発信される方々も増えてきており、状況は変わりつつあるようだ。今秋のフランシスコ教皇さまの訪日についての報道も教会のネット利用が望まれる。

 詳しい内容としてはカトリック新聞をはじめとして、いくつかのキリスト教系メディアで紹介されているようだが、わたしは佼成新聞デジタル( 2018/10/29)がいちばん詳しい紹介をしているように見えた。

https://shimbun.kosei-shuppan.co.jp/tokusyu/24473/

 第二部の対談・質疑応答では、「セキュリティ」・「カルト問題」・「チームワークと分業」・「召命などターゲットを絞ったSNSの利用」など興味深いテーマが取り上げられていた。

 私が一番興味深かったのは、「ホームページ」と「SNS」の関係についての理解の違いだった。ホームページは「ストック型」で、SNSは「フロー型」なので、SNSからホームページに誘導するのが望ましいというのが志立氏の主張のようだ。

 カルト問題については教会はどういう対策をしているのかという問いに関しては、阿部師と志立氏が発言していた。お二人とも、一般的な説明に終始していたのは残念だった。シンポジウムの質疑応答だから致し方ないとはいえ、「カルト」の意味や内包が歴史的に変遷してきていることを共通の理解に置かないと、「慈善活動とカルトの裏の活動が連続している場合が多いので見分けにくい状態です」(32頁)といわれても、誤解されかねないのではと思った(3)。

 ということで、興味深いシンポジウムであったようだ。この「諸宗教部門」は昨年は「自死」をテーマとして取り上げてきたということで、いままでのような「平和論」一辺倒ではなくなってきているのかもしれない。今後の活動が楽しみだ。

 それにしても、自分の所属教会をこういうSNS論の文脈に置いてみると、なにか別の世界の話のような気もする。SNSは教会が「外部」とコミュニケーションをとるツールだが、同時に「内部」でコミュニケーションをとるツールでもある。このシンポジウムのテーマはもっぱら外部とのコミュニケーションをとる方法、宣教の方法を扱っていたが、内部コミュニケーションの方はどうなっているのだろう。

 私の所属する教会では、壮年会でも婦人会でも連絡は固定電話かファックスが中心。スマホを持っている人の割合も高齢者では高いとは思えない。キーボードが打てない(ブラインドタッチができない)と言うことでパソコンを持っている人も少ないようだ。教会委員会が躍起となってメーリングリストやスマホの利用を勧めているようだがあまり効果はないようだ。信者会館にはWiFiサービスもあるがあまり使われているようでもない。教会活動に熱心な方々から「携帯で十分」といわれると返す言葉がない。教会委員会では敬老会の対象者を85歳以上にするという話が話題に出ているというのだから、教会のメンバーの高齢化はとどまるところを知らない。そのうえごミサの最中に携帯の呼び出し音がピーピー鳴ったりする。こういう状況の中で、SNSを宣教のツールにするという課題はかなり長期的な課題なのではないかというのが、今回の読後感だった。


1 日本カトリック司教協議会は「カトリック教会法」にもとづく宗教組織の名称のようだ。中央協議会は法人としての名称。いわば世俗法上の名称。宗教法人としては包括宗教法人(単位宗教法人ではない)。メンバーはオーバーラップしていて、両組織は事実上同じと考えて良さそうだ。
2 社会司教委員会ののように独立した委員会にはなっていないようだ。責任司教は宮原良治(福岡教区司教)、担当司教は酒井俊弘(大阪教区補佐司教)だという。
3 現代の日本のメディアが用いるカルトという言葉は、極めて現代日本に限定的な特殊な用法であるようだ。ウエーバーやベッカーを持ち出して「キルヒェとゼクト(カルト)」論を展開してもあまり説得力はない。

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