カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

「神秘主義神学の平和思想ーW・ジョンストン師から学ぶー」

2016-06-12 22:12:18 | 神学
 わたしは今日6月12日(日)に所属の教会の壮年会主催の講演会で話をしてきました。タイトルは「神秘主義神学の平和思想ーW・ジョンストン師から学ぶー」としました。梅雨空のなか30名前後の方がお集まりいただき、話もいろいろあって有意義な会でした。
 といっても、スライドを使った私の話は予定の半分で時間切れとなってしまい、肝心の平和論には入れませんでした。申し訳ないことをしたと反省しきりでした。ということで、今日の話はジョンストン師の紹介というか、人生を語ることで終わってしまいました。おもに使った資料はジョンストン師の2冊の本です。 Mystical Journey:An Autobiography (2006) と Mystical Theology-The Science of Love (1995) です。どちらの本もまだ邦訳がないので、主なところをまとめて紹介するにとどまりました。
 ジョンストン師は、われわれはよく知っているが、また、世界的には著名ではあっても、日本のカトリック教会のなかではそれほど知られていないし、ましてや日本の知識人の世界では名前すら知らない人が多いので、師の神秘主義思想を紹介することはそれなりの意義があると思っています。
 師は、いわばナショナリストとしてIRAの支持者だったわけですが、日本社会とのふれあいを通して平和主義者に変貌していく過程を少し追ってみたわけです。また、禅の研究と実践をとおしてカトリック神秘主義の発展に貢献されたプロセスを少し整理してみたわけです。
 神秘主義と言っても、その名称を聞いたことすらない人が多いです。また、聞いたことがあっても、いまはやりのパワースポットみたいなものを連想しがちな人々が多いわけですから、神秘主義神学が正統派の自然神学(教義神学)とどう違うかを知っていただくのは簡単なことではありません。また、禅キリスト教が目指すアジア的霊性の意味を皆で共有し合うことも、短時間でできることではありません。が、皆さん熱心に話を聞いてくださり、また質疑の中でいろいろ教えていただき、有意義な時間を過ごせました。これからも、機会があれば、ジョンストン師という希有な神秘主義神学者が戦後日本にいたこと、そして師から学ぶことがまだ多々残っているということを、語り続けていきたいと思っています。
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神学講座(その15)ヨゼフ・ラッツインガー Joseph Ratzinger (1927- )(その2)

2016-06-06 21:33:59 | 神学
 神学講座は、2016年6月6日に、F・カー著『二十世紀のカトリック神学』の第11章「ヨゼフ・ラッツインガー」の第二回目に入りました。参加者は20名弱でしたでしょうか。参加者は殆ど婦人会の方で、H神父様の口は滑らかでした。
 前回はラッチンガー論の入り口で終わってしまいましたが、なにぶん間だが3ヶ月も空いてしまい、神父様も話のつながりが難しかったようです。私個人としては、本書の著者カーがラッティンガーはトマス主義ではないとかなり厳しい評価を下していることを神父様がどう評価されるのかとても興味がありました。この点に関しては神父様は慎重に言葉を選んでおられ、特に個人的立場を表明するということはありませんでした。
 神父様は突然「マタイ福音書」の第1章「イエス・キリストの系図」から話を始められました。アブラハムからダビデまで14代、ダビデからバビロン捕囚まで14代、バビロン移住からイエス誕生まで14代。なぜ「14」なのか、という問いから始められました。これは「14」という数字が持つ意味もさることながら、ラッティンガーが「神」という概念に関してトマス的な「存在論的」説明をさけ、「人間論的・聖書論的」説明をとっていることの重要性を指摘するためだったようです。
 神父様はラッティンガー神学の中枢は「神の似姿」論と「婚姻神秘主義」論だという。婚姻神秘主義とは、第二バチカン公会議における教会論の基礎となった神秘主義思想で、神と教会との関係を旧約聖書の雅歌における乙女と若者の愛の関係に重ね合わせる思想である。この思想の解釈は、具体的にはフェミニズム論、司祭独身論、女性司祭論、同性愛論、避妊・堕胎論などの具体的な社会問題に教会がどう対応するかを左右する。神父様はかなり具体的な例をあげて問題の所在にふれられ、とても興味深かったが、紹介は別の機会に譲りたい。
「神の似姿」論も、元来はトマス的であるとはいえ、トマス的な神の似姿論はラッティンガーにおいてはそれほど大きな位置を占めていないという。これは著者カーにとっては不満だろうが、神父様のいうとおりであろう。神は自分に似せて人間を作った、というとき、「人間」をつくったのか、「男と女」をつくったのか、という問いである。こういう問いが現在それほど意味を持たなくなってきているのは、プロテスタント神学者K.バルトの神学的人間論がカトリック神学の中にも入り込み、定着してきているからなのかもしれない。
 神父様はこの文脈で「原罪論」を語り始めた。第二バチカン公会議以降、「アダムとイヴによる原罪」思想は本気で語られることはなくなった。人間は生まれながらにして原罪を持つという原罪説はアウグスチヌスが練り上げた神学の中心に位置するが、ベネディクト16世もフランシスコ教皇様も、原罪説はいまや「強迫観念」で、贖罪神学は影響力を失ったと言っているという。他方、過去の遺物である原罪説は今もメリットがあるという考えも根強く残っており、例えば「悪」の根源は「自分」ではないということで人は罪悪感から解放され、また他者に謙虚・寛容になるという。こういう思想的対立のなかで新たな「神の似姿」論、「婚姻神秘主義」論を打ち出したラッティンガーの神学は、オリゲネスやT.シャルダン、バルタザールという評価の分かれるー立場によっては危険とすら言われた-人々に大きく負っているというのが、神父様の評価であった。神父様は「現象学の影響」という言葉さえ使っておられたのが印象的であった。ラッチンガー神学は、著者カーの評価以上に、これからも深く長い影響力を及ぼしていくように思えた。本書の副題が「新スコラ主義から婚姻神秘主義へ」と題されているのが納得できた気がした。

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学びあいの会 「史的イエスとホモウーシオス」

2016-06-01 18:41:26 | 神学
 2016年5月30日の「学び合いの会」は朝方雨にみまわれ、出席者は8名にとどまりました。前回から2009年に上智大学キリスト教文化研究所の聖書講座でおこなわれた連続講義が再度紹介されています。この講義はベネディクト16世教皇様の着座に際して、ラッチンガー著『ナザレのイエス』をとりあげて上智大学キリスト教文化研究所の先生方や神父様方などカトリック神学の専門家が連続講義をおこなったものとのことです。
第一回は岩島忠彦師「教義神学からみた史的イエスの研究史」
第二回は増田祐志師「キリスト論から見た現代的意味」
第三回は星野泰昭氏「史的イエスとホモウーシオス」

 第二回目の増田師の講義はきちんと報告することができませんでしたが、論点は多岐にわたっていました。中心命題はキリスト論とイエス論をきちんと峻別しないと史的イエス論は迷路に迷い込むというもののようです。具体的には古代の「キリスト論論争」が検討される。キリスト論は仮現論や従属説を乗り越えてホモウーシオス概念を中心とした「ニケア・コンスタンチノープル信条」として結実する。我々が今もいつもごミサで唱えているお祈りである。このお祈りの中身は結局は三位一体と教会を信じることがトリック信仰の中核ですといっているわけだが、古いと言えば古い。この信条が成立した第1回コンスタンチノープル公会議が開かれたのは381年である。その後ヨハネ的キリスト論がずっと支配してきたわけだが、これは新約聖書の成立年代をめぐる長い論争の評価にかかわるので、増田師は詳細な説明をされたようだ。ポイントは新約聖書のなかで最も古いパウロ書簡と口伝との関係、ヨハネ福音書の成立時期や場所、、使徒行伝とヨハネ黙示録の関係と位置づけ、などかなり専門的な内容だったようである。だが、やがて宗教改革のあとの聖書研究のなかから史的イエス研究が生まれ、イエスがキリストから分離されていった、というのが増田師の説明のようだ。現代のキリスト論論争の紹介はもっぱらラーナーとスキレベックスが中心で、キリスト論は聖書と伝統だけではなく、現代社会の体験・経験を組み込まねばならない、具体的にはインカルチュレーションの評価が論争の中身となるという。この点では最近竹下節子氏が書かれた『キリスト教の謎ーキリスト教を数字から読みとく』(中央公論新社 2016)が、タイトルには似合わずキリスト論論争を解説していとても興味深かった。
 
 さて、第三回目の星野氏の講義は「史的イエスとホモウーシオス」であった。星野先生はラッチンガー(ベネディクト16世教皇様)の直弟子として著名な方であり、ご存知の方も多いと思う。私もかれが先に訳されたヨゼフ・ラツィンガー著『イエス・キリストの神ー三位一体の神についての省察』を愛読していたので、今回の講義の話はなじみ深いものであった。星野氏によれば、ラッチンガーは顔つきがいかめしくてなにか近寄りがたい印象を与えるが、性格的にはとても柔らかくて優しい人だという。若き頃先生のラッチンガーにくっついてドイツの大学を彼方此方と渡り歩いた星野氏でなければできない人物評価であろう。
 星野氏はまず、「歴史のイエス」と「信仰のイエス」という問題設定のしかたを検討する。こういう問題設定のなかで、中でもA.シュバイツアーの『イエス伝研究』(選集17-19巻)が果たした役割が大きいと高く評価する。しかし、あまりにも終末論的視点から論じる傾向が強すぎたともいう。もう一人かれが重視するのはルドルフ・ブルトマンで、かれの提示した様式史的方法はあまりにも素晴らしかったとはいえ、現在はむしろその実存論的解釈(非神話化)がイエスを逆に神話化してしまっていると批判されてきているという(いわゆる編集史的研究方法)。こういう整理の仕方は史的イエス論では一般的なもので、特に星野氏の個性が出ているわけではない。星野氏の特徴はラッチンガー論にある
 さてカトリックサイドではどうか。史的イエス論は最近はプロテスタント神学の独壇場というわけでもなくなってきているようで、星野氏はラツィンガーの『ナザレのイエス』を史的イエス論として検討する。
 キリスト教信仰にとって批判的・歴史的方法は不可欠であると言うところからラッティンガーは始める。第二バチカン公会議を経験しなければこういう言葉はでてこないであろう(ちなみにフランススコ教皇様は第二バチカン公会議に出席した経験を持たないで選出された初めての教皇様だという。なお、フランシスコ教皇様の伝記 A.アイヴァリー著 宮崎修二訳『教皇フランシスコ ー キリストとともに燃えて』(明石書店 2016)は大部だが、この教皇様が今までの教皇様といかに違う経験を持ち、違う世代の人かを教えてくれる良書だ)。
 ところが、ラッティンガーは、歴史的方法は重要だが、「同時に信仰による補完」が必要だと述べる。では、信仰による補完、とはなんのことか。それは聖書を全体的統一としてみることという意味なのだが、その中身は第一に旧約聖書をキリスト論的に解釈することの正当性を認めること、そして第二に史的イエスを「ホモウーシオス」として見ること、の二点だという。
 さて、ホモウーシオス(homoousios)である。カトリック信者や哲学研究者・思想史研究者にとってはなじみのある言葉ではあるが、一般的にはあまり知られていない言葉だろう。ホモとは同じという意味で、ウーシオスとは本質とか実体とか存在とか実存とかいう意味なのだが、日本語訳としては確立したものはないようだ。辞典によって訳語が異なる。星野氏は「子と父は同一本質」という意味で、同一本質と訳されている。つまり「三位一体」の実体ないしは中核のことと理解してよいだろう。
 一神教として発展してきたユダヤ教やキリスト教にとって、名や姿を持たない超越や唯一、救世主(キリスト)を持ちながら、キリスト教はイエスの死と復活を起点として成立した。このキリスト教が三位一体の教義を確立して行くには多くの困難が伴ったことを我々は知っている。われわれは「三位一体の盾形紋章」をとおして三位一体を視覚的に理解することになれているが、ホモウーシオスの正確な理解なしに三位一体は理解できない、というラッティンガーの主張は何を意味するのか。三位一体はもちろん教義ではあるが、ラッティンガーやK.ラーナーは、現代社会の神概念で最も広まっていてしかも危険なのが「キリスト単性説」だという。単性説とは受肉後は神性のみが存在するという考えで、人間イエスを無視しても神キリストの信仰に近づけるという思想だ。人間イエスにおける神性の神秘がわからなければ、「子は父とホモウーシオス」と定義したニカイア公会議(325年)が忘れ去られると考えているようだ。
 昔の公教要理では三位一体を説明するとき、「3が1であり、1が3である」といったアウグスチヌスの教説がよく用いられた。そんなこと言われたってわかりません、三位一体なんてわからない、そんな絵空事は自分の信仰には関係ない、という誤解や不満は昔も今も多いと思う。クリスチャンはよく、信仰を持てば三位一体がわかる、という。三位一体がわかったから信仰を持つ、ではなく、信仰をもつから三位一体がわかる、というわけだ。それはその通りだが、それだけでは言葉の遊びだ。それは人間イエスに眼を向ければ、わかります、ということなのだ。ラッティンガーの神学は、イエスは神であるという信仰に辿り着くためには、イエスという一人の男の人間性にまで深く入っていく必要がある、ということをわれわれに繰り返し教えてくれている。
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