Ⅵ マリアの祈り
マリア信心の表れとして教会はマリアに関する様々な祈りを生み出した。ここでは主なものを取り上げてみる(1)。
1 アヴェ・マリアの祈り
これはマリアと共にキリストを観想する(2)基本的な祈りである。
アヴェ・マリアの祈り
前半は、大天使ガブリエルの受胎告知の言葉(ルカ1:28)と、エリザベトの喜びの声(ルカ1:42)を組み合わせたものである。後半はマリアへの祈願である。
このように、この祈りは祈りとしては独特の形式をとっているが、現在の章句の形式は6世紀から16世紀までの発展を経て成立したと言われる。
2 ロザリオの祈り
ロザリオの祈りとは、基本的には珠(たま)を繰りながら、「アヴェ・マリアの祈り」を数えながら唱え、キリストの出来事を黙想していくお祈りのことを言う。
数珠(じゅず たま 玉・珠)を祈りに使う伝統は様々な宗教にみられる(3)。キリスト教会では、古くから主の祈りや短い言葉を繰り返し唱え観想する習慣が広まり、そのため数珠を用いることもあった(4)。
13世紀半ばから、アヴェ・マリアの祈りを1日50回唱える習慣が生じ、この50回一組の祈りがロザリウム rosarium と呼ばれるようになった(5)。「アヴェ・マリアの祈り」10回、「主の祈り」1回という形式を始めたのはカルトジオ修道会(6)のカルカルのハインリッヒ(1408没)だという。
15世紀にロザリオの祈りは受肉・受難・栄光に三分され(7)、全部で15の秘儀の黙想が定着する。16世紀を通じてロザリオ信心会が多数生まれ、さらにシクトウス4世(1484年没)以来歴代教皇がロザリオ信心を推奨した。
レオ13世(190年没)はロザリオに関する16回の回勅や勧告を発布し、「ロザリオの教皇」と呼ばれた。かれは10月を「ロザリオの月」と定めた。ピウス11世(1939年没)とピウス12世(1958年没)はそれぞれ一つ、ヨハネ23世(1963年没)は二つのロザリオに関する回勅を発布した。
パウロ6世(1978年没)は使徒的勧告「聖マリアへの崇敬について」(1974)においてロザリオの祈りは福音宣教の祈りだと述べた。また、ヨハネ・パウロ2世は使徒的勧告「乙女マリアのロザリオ」(2002)において、イエスの公生活の出来事の出来事(イエスの洗礼・カナの婚姻・神の国の宣教・ご変容・聖体の制定の5つの黙想)を「光の秘儀」(啓示の神秘)として新たに導入した(木曜日の祈り)。
ロザリオの祈りの唱え方は面倒だ。曜日に合わせて15玄義を唱えるのだが、15玄義とは、喜びの玄義(受肉)、苦しみの玄義(受難)、栄えの玄義(復活)の3環(上述の2002年に新たに加えられた玄義で木曜日に光の玄義(啓示)を唱えることもある)で、1環は5連からなっている。1連ごとに、まず曜日ごとに玄義を唱え、次に「主の祈り」を1回、「アヴェ・マリアの祈り」を10回、栄唱(8)を1回唱える。
3 マグニフィカト(マリアの讃歌)
マリアの讃歌(ルカ1:46~55)は、サムエル記上1:1~10(9)のハンナの歌と、出エジプト記15:1~18のモーセの海の歌(勝利の賛歌)(10)、ソロモンの詩編(11)との思想的接点が見られるという。
マリアの讃歌は神の偉大な業への賛歌である。受胎告知との関連でマリア自身の喜びと神への感謝と賛美が歌われる。聖務日課(12)では福音の歌として「晩の祈り」(晩課)に歌われる。
4 お告げの祈り(アンジェラス Angelus)
お告げの祈りとはマリアへの受胎告知を記念する祈りのことを言う。朝・昼・晩の教会のお告げの鐘と共に、アンジェラス・ドミニ(主の御使い)の句ではじまる祈りを唱える。3つの章句(ルカ1:28~35(イエス誕生の予告),1~38,ヨハネ1:14(言が肉となった)と、アヴェ・マリアの祈り3回からなる。さらに短い祈りが続くこともあるという。
この祈りは、イエスの受肉の秘儀を記念し、あわせて聖母をたたえるものである。この祈りの起源ははっきりしないようだが、すでに10世紀にはその習慣が現れ、中世を通してヨーロッパに広まり、17世紀には現在の形に定着したという。
ミレーの晩鐘(13)
5 その他の祈り
①聖母の連祷(連願)(14)
②サルヴェ・レジーナ(15)
③聖母の小聖務日課(16)
注
1 『祈りの手帖』(2018年改訂版 ドン・ボスコ なお、2022年4月にミサ式次第の変更に伴い三訂版がでている)には、ロザリオの祈り、十字架の道行きは別として、「聖母の祈り」が6連載っている(元冠あわれみの母Salve Regina・神のみ母よSub tuum praesidium・聖母マリアの歌Magnificat・聖母のご保護を求める祈り・扶助者聖マリアにご保護を願う祈り・結び目を解く聖母マリアへの祈り)。『日々の祈り』(2006年改訂版 司教協議会)には「聖母マリアへの祈り」と「聖マリアの連願」が載っているのみである。ちなみに、「聖母マリアへの祈り」は以前の「天使祝詞」(いわゆるめでたし)が改訂されたもので、2011年にはさらに改訂され現在の「アヴェ・マリアの祈り」となっている。変更がこう続くと覚えきれず、わたしはめでたししか唱えられない。記録のために、今は使われない「聖母マリアへの祈り」と「天使祝詞」を載せておきたい。
聖母マリアへの祈り
2 観想 contemplation とは、肉眼と心眼で観る精神状態を指し、「活動」の対概念のようだ。認知機能を伴っている点で黙想と共通しており、目標は「至福直観」とされる。禅や仏教で言われる悟りを目指す無我の「瞑想」とは知性・理性・悟性の働きを伴う点で異なると言われる。とはいえ、キリスト教では念祷や黙想を含む広い意味で瞑想という用語も用いられるようだ。カトリックではoratio mentis(mental prayer)の訳語は「念祷」(言葉なしの祈り)だが、プロテスタントでは瞑想と訳す教派が多いという。黙想はmeditationの訳語とされるらしく認知機能が強調されるが、観想はむしろ祈りを味わう点が強調される概念のようだ。「黙想会」とか「観想修道会」という言葉はあるが、観想会とか瞑想修道会などといういう言葉は聞いたことがない。『カトリック教会のカテキズム』では、黙想は「黙想するときには、思考・想像・感情および望みを働かせます」(#2708)と定義され、念祷は「神と語り合う、友愛の親密な交わり」(#2709)と説明されている。ちなみにはやりの「マインドフルネス」などでは瞑想ということばが使われるようだが、どうも座禅系の動作・呼吸を指すようだ。
3 仏教で用いられる数珠(念珠)はなじみ深い。イスラム教にも数珠があるようだ。日本の仏教の珠の数は108個で煩悩の数を表すという。実際には主玉(おもだま)の数が多いと不便なので、男用は22珠が標準のようだ。女性用は珠の数が異なるので混用できないという。カトリックの数珠は珠の数が50数個のものが多い(10回1連・5連1環)。プロテスタントや正教会ではロザリオはほとんど用いられないようだ。マリア信心に否定的なので当然であろう。
4 カトリックの数珠は古代にインド仏教から導入されたという説が強い。珠の大きさや数など異なる点はあるが、外見の類似性の高さに驚く。ロザリオこそ宣教の要になるのではないだろうか。
5 日本語のロザリオはポルトガル語。ドイツ語ではRosenkranz バラの冠。数珠を繰る動作がバラの花輪を編む動作に似ているからだという。なぜバラかは、ロザリオの発生をめぐって議論があるため、諸説あるようだ。
6 カルトジオ修道会は11世紀にフランスで生まれた修道会。現在でも活動中という。
7 現在は、受肉・啓示・受難・復活の4つの神秘(秘儀)に分けられている。
この神秘、秘儀、秘跡などの用語も使い分けが複雑だ。カトリックでは昔は洗礼などをミステリオンとよんでいた(ギリシャ語)。「神秘」と訳すことが多かったようだ。現在はサクラメントと呼ぶこともある(ラテン語・英語)。典礼では「秘跡」の意味だ(秘跡は以前は秘蹟と綴っていた プロテスタントは聖礼典、聖公会は聖奠というらしい)。カトリックでは7秘跡として、洗礼・堅信・ゆるし・聖体・叙階・結婚・病者の塗油がある(表現は変化してきている)。ミステリオンは「神秘」とか「秘儀」とか「奥義」とも訳されることがある。お祈りでは「信仰の神秘」と唱えるし、「過越の奥義」という言葉遣いは定着している。「受肉の秘儀」とも言うので「秘儀」を使うこともあり、さらには「秘義」の文字を使う人もいるようだ。このように訳語は安定していない印象があるし、司教団も統一見解は出していないようだ。あえていえばミステリオンは神学的で「神秘」、サクラメントは典礼的で「秘跡」と訳したいところだ。どちらにせよ、ミステリオンもサクラメントも「聖性」を表す言葉で、「聖・俗」の区別を背後に持っていると思われる。
8 ロザリオの実際の唱え方にはヴァリエーションがあるようだ。すぐに玄義に入らず使徒信条などを唱えることもあるようだ。例えば、喜びの玄義(受肉の神秘・月曜日土曜日)では、第1の黙想は受胎告知、第2の黙想はマリアのエリザベト訪問、第3の黙想はイエスの誕生、第4の黙想はイエスの奉献、第5の黙想はイエスを神殿で発見、という具合になる。栄唱は今は「栄光は父と子と聖霊に 初めのように今もいつも世々に アーメン」だが、昔使っていた「願わくは、父と子と聖霊とに栄えあらんことを 初めにありしごとく 今もいつも世々に至るまで アーメン」が唱えられることが多いようだ。ロザリオの祈りは単独で(お聖堂または自宅で)することが多いので一日1環できればよいが、コロナ禍の中で回数が増えている人がいるかもしれない。
9 サムエル記は、サムエルというモーセ以後最初に顕れた偉大な予言者およびサウルとダビデの3人を描いている。次の列王記に続くためよく読まれるようだ。フランシスコ会訳はサムエル記は「救済史の流れに決定的な方向を与え」たと評している。
10 「主に向かってわたしは歌おう なんと偉大で、高くあられる方 主は馬と乗り手を海に投げ込まれた・・・」(協会共同訳)
11 詩編の作者は伝承で普通はダビデとされるが、法的著作(章句)はモーセ、知恵的著作はソロモン、歌はダビデによって書かれたとする解釈もあるようだ。
12 聖務日課とは第二バチカン公会議以前は聖職者・修道者が用いる祈祷スケジュールで、1日の祈りが「時課」に分けられ、祈りはラテン語で唱えられていた。公会議後は信徒のための祈りと位置づけが変わった。時課にかわって朝の祈りとか昼の祈りとかに名称が変わり、祈りも各国語が用いられるようになったという。
聖務日課(新旧比較)
なお、『典礼憲章』の第4章は「聖務日課」と題されており、第83項から第101項まで詳しく規定されている。聖職者はラテン語を用いなければならないが、裁治権者(司教のこと)の判断で国語を用いてもよいと書かれている(#101)。また聖務日課への信徒の参加が勧められている(#100)。
13 ジャン=フランソワ・ミレー(1875年没) 19世紀フランスの画家 写実主義とされる。オルセー美術館(パリ)所蔵。あまりにも有名な絵だ。時を知らせる鐘だが、なぜ鐘なのかいろいろ議論があるようだ。またこの絵についてもいろいろ解釈があるらしい。ミレーはカトリックだったらしいが、絵の中に十字架やマリア像が描かれていないにもかかわらず宗教的雰囲気が色濃く漂っている。
14 連祷はカトリックでは「連願」と言い直されることになった。Litany Litaniae のこと。先唄者に続いて会衆が「我らのために祈り給え」と繰り返す。諸聖人の連祷が普通で、洗礼式ではよく使われる(諸聖人への祈願なので聖ミカエル以下聖人の名前が次々と呼ばれる)。聖母マリアの連祷もある。『日々の祈り』(2008改訂版)の最後に「聖マリアの連願」が記載されている。なお、この聖マリアの連願には2020年10月に新たに3ヶの連願が挿入されることになった。あわれみの母聖マリア・希望の母聖マリア・移住者のよりどころ の3条だ。フランシスコ教皇の意向だという。
15 「元后あわれみの母」のこと。聖務日課の就寝前(昔の終課)に歌う。『祈りの手帖』所収。
「元后あわれみの母 われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子。
嘆きながら泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。
われらのために執り成す方。
あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエスを旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。」
16 起源は古いらしく8世紀にさかのぼるという。大聖務日課のあとに唱えられたようだ。聖母マリアへの最大の信心行とされ、昔なら、時課で唱える場合、朝課(夜中3時頃)と賛歌(日の出頃)で唱える場合、などがあったようだ。祈りは詩篇が中心だったらしい。現在の日本で続いているかどうかはわからない。