これから、入門講座で用いられるテキスト、『キリスト教のエッセンスを学ぶーより善く生きるための希望の道しるべ』(小笠原優)を
読んでいきたい。神父様には僭越のそしりを免れないことを承知の上で、私の個人的感想も付け加えてみたい。
本書は、主に6章からなり、260頁の大著である。目次をみてみよう。
はじめに
導入 キリスト教のエッセンスを学ぶーより善くいきるための希望と道しるべー
第1章 なぜ「キリスト教」というのか
第2章 イエスをめぐる歴史的な背景
第3章 イエスの教えと行動
第4章 イエスの死と復活
第5章 キリスト教の誕生
第6章 死を超えた希望を生きる
結び キリストを信じて生きる
タイトルで見るとイエス論が中心のようだが、各章で聖書が引用され、詳しい説明がなされている。つまり、福音の解説が中心だ。また、
キリスト教の発展の歴史も触れられており、さらに秘跡や典礼についても言及がある。広い範囲をコンパクトにカバーしているという
印象を受ける。
このテキストは入門講座のテキストとしてはいくつかの特徴を持っているようにみえる。この本の完成に協力された信徒のO氏によると、
本書の最大の特徴は「求道者の目線」から作られていることだと言う。キリスト教を司祭や講師の視点から教え諭すというよりは、
入門講座の参加者が知りたい・聞きたい・疑問に思うことに答えることを基本にして作られているのだと言う。それはこの本の出版の経緯の
説明からもわかる。
「はじめに」には本書の出版の経緯が触れられている。本書は横浜教区の「カテキスタ養成講座」での小笠原師の講義がベースで、それに
参加者があれこれ注文をつけて修正されて完成したのだという。注文といっても実際は、講義の後に毎回原稿用紙2枚以上の「レポート」の
提出が義務付けられ、受講者はその場でのレポートの作成は大変だったという。受講者の数はのべ200名を越えているという。この講座は
現在も続いているようだ。
この「レポート」には入門講座担当者が実際の経験から得た疑問や問題点、提言が数多く書かれていたようだ。小笠原師はそれらを以下の
7点に整理・要約している。
①「宗教感覚」が後退し、「人間至上主義」(ヒューマニズム)が強い現代社会のなかで「キリスト教信仰」を生きていかねばならない
②現代社会では、人間の尊厳が軽んじられ、人間として生きる意味が問われている
③今日の日本社会で人々は「習俗化した宗教感覚」を保ち、「多神教」的宗教環境のなかで生きている
④既成宗教には批判の目が向けられている。キリスト教もそうした宗教のひとつとでしかないと誤解されている
⑤こうした状況で、キリスト教信仰の真髄・価値が問われ、その伝達方法が問われている
⑥教会内では信仰養成はなおざりにされ、主観的な聖書中心主義が横行し、使徒継承の信仰に立たない聖書理解がなされている
⑦教会の公的な「カテキズム」は生活の現実から離れており、その言葉遣いや表現からは「キリストの救いの喜び」が伝わってこない
どれももっともな指摘だ。とはいっても、人間主義(ヒューマニズム)が最初から批判の俎上に載せられている。ヒューマニズムこそ
至上の価値観と教え込まれてきた戦後日本人にとり、ヒューマニズムだけでは良くないと言われると「えッ、なんのこと?」とのっけから
途方に暮れるだろう。
小笠原師はこれらを受けて、本書の「基本姿勢」を以下の7つにまとめている。本書の主張と見て良さそうだ。
①キリスト教信仰の「エッセンス」とは「贖いの奥義・過ぎ越しの奥義」のことで、求道者が求めるものである
②このエッセンスは、「使徒継承のカトリック教会の信仰」への導きである
③イエス・キリストとの出会いを引き起こすために「聖書」そのものに立ち返る
④聖書の理解に人間学や宗教学の視点を大切にする
⑤聖書を主観的に読むのではなく、「使徒継承の信仰」という土台に立って読む
⑥「使徒継承の信仰」とは、イエス・キリストによって示された「奥義」を受け入れ、生きていくことである
⑦講義は「ラセン的に」展開していく(順番に読んでいかないと理解できない 講義に途中参加はできない)
贖い(あがない)だの、過ぎ越し(すぎこし)だの、聞いたこともない言葉が頭から登場してくる。求道者は身構えてしまうことだろう。
ここで、「奥義」とは「ミュステリオン」のことで、普通、「神秘」とか「秘義」と訳されているものだ。普段は馴染みのない言葉だが、
「神のご計画」とでも呼べばわかりやすいのかもしれない。
ここでの基本姿勢の説明で興味深いのは、小笠原師がくりかえし「使徒継承の信仰」と言っていることだ。使徒継承とは教会の教えの
正当性の根拠であり、これはカトリックの教えですということを示す。師のカトリックとしての立場性をはっきり示しており、
キリスト教信仰といっても、カトリック信仰のことですよと言っているようだ(1)。
(魚:ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ イエス・キリスト・神の・子・救い主という5つのギリシャ語の単語のイニシアルの組み合わせが魚 イクトゥス という文字になる 魚がキリスト教のエンブレムになっている根拠)
(キー・ロー:ギリシャ語で ΧΡΙΣΤΟΣ の最初の二文字で、キリストをあらわす パックスと発音する)
本書の特徴の第二は、すべての章・節に「まとめ」と「考えるヒント」という2つの欄が設けられていることだ。特に、「考えるヒント」
欄は「レポート」の「課題」のようだし、また、分かち合いの話し合いのテーマにもなりそうだ。難問が多い。
本書のもう一つの特徴は、「コラム」が21件、「理解を深めるために」が15件、含まれていることだ。コラムはたとえば「その1」
は「神社・お寺・教会」と題され、その違いが説明されている。入門講座でよく出る質問への答えや説明がなされている。
他方、「理解を深めるために」は、神学上の重要なテーマを取り上げ、小笠原師が自分の主張を展開する場のようだ。たとえば、
「その第1」は、「天の国について」と題されている。「天の国とは神の国の言い換えです」、と師の主張が述べられている。これはこれで
いろいろ議論のあるテーマだろうが、このような、議論をしだしたら切りのない神学上のテーマを取り上げて、師が自説を展開される場に
なっているようだ。
さらにいえば、本書は「注」や「参考文献」も充実しており、「索引」もきちんとある。「主の祈り」や「信仰宣言」も説明されており、
いたりつくせりだ。
各章の下に「節」がおかれ、節だけでいえば本書は合計21節からなる。入門講座が1年間で終了するとすると、週2回位の開催が
想定されているのかもしれない。
このように、本書は、これが入門講座のテキストか、と思わせるほどの水準とボリュウームという印象を与える。カテキスタ養成講座の
テキストが下敷きだからなのだろうが、易しい入門書ではなさそうだ。これから、私もわかる限りで、フォローしてみたい。
注
1 使徒継承とはキリストの教会が使徒たちから継承されてきたという意味だ。大問題で論争の的だが、小笠原師は、「司教ー司祭ー助祭」
という「位階制度」として説明している(第5章第4節)。教会の使徒性をあまり強調しすぎると、教会が司教の集まりになってしまい、
司祭や信徒が視野から抜け落ちてしまう恐れがあるので、説明は難しいようだ。
(使徒継承・流れ) (使徒継承・叙階)