Ⅵ 教義史
1 古代
①使徒教父たち
使徒教父たちはは聖書の創造に関する信仰を継続し、更に展開していった(1)。
「ヘルメスの牧者」 ー 「無からの創造」(creatio ex nihilo)(2)
②ギリシャ哲学
プラトン哲学は神の存在は認めるものの、この世界も永遠の存在であり、神による創造という思想はない。神も世界も永遠とされる。世界は、神の意志や、業の結果ではなく、すべては必然ないしは運命だと考える(3)。
②グノーシス主義
グノーシス主義は善悪二元論で、霊が善、物は悪とするから、物を造った創造の業は悪であり、創造主は悪い神だという悲観的世界観からなる(4)。
③エイレナイオス
エイレナイオスは2世紀後半のフランス・リヨンの司教。グノーシス主義の正体を暴露し、正統信仰を守ることを生涯の課題としたという。主著『対異端駁論』では、神による無からの創造は神の恵みであり、やがてキリストにおいて神と人とが一つになると主張し、創造を救いのわざとする楽観論を唱えた。ギリシャ哲学とグノーシス主義に反論した。
創造に関する信仰は、やがて325年のニケア公会議において、「我は信ず 唯一の神 全能の父、天と地 見えるもの見えざるもの すべての造り主を」と表現され、公式の教義となる。
④アウグスティヌス
アウグスティヌス(354-430)は最大のラテン教父。ローマ帝国末期、396年には北アフリカのヒッポの司教となる。アウグスティヌスは、啓示の真理と哲学的創造論を総合した。新プラントン主義を拠り所としながら、プラトンの多神教的傾向とは異なり、神の唯一性・超越性を強調した。マニ教の二元論に対して世界はすべて良いものとして造られたとした(5)。
アウグスティヌスの時間論と創造論は特徴的だ。創造以前に時間はなく、時間は神によって創られた。神自身は時間を超越している。神には過去も未来もなく、常に現在である。従って、神は時間に関係なく創造する。すなわち、今も世界を造り続けているという。「継続的創造説」とも呼ばれる。(6)。
2 中世
中世のスコラ神学はアリストテレスの影響が大きい。アリストテレスの神は人格神ではなく、リアリティがない。しかしトマスは神を存在論的に理解する(7)。神は存在そのもの、絶対的現実性、神はすべての存在の根拠そのものとされる。無からの創造という信仰が表明される。フィレンツ公会議(第17回公会議 1439-42)(8)では存在論的な神理解が公式に宣言された。
3 近世
①理性中心の啓蒙主義の時代には、様々な創造理解がなされた。特に自然科学の発達により、様々な問題が提起された。
無からの創造は根拠のない神話とされた。アイザック・ニュートンは信仰者ではあったが、様々な自然法則を発見し、自然法則は神の定めた秩序であり、彼はそれを発見することによって神を讃美すると考えた。機械的宇宙論と呼ばれる。
だが、多くの自然科学者は無神論的傾向へ向かい、あるいは自然界の秩序から汎神論的な方向へと向かった。
②カトリック教会は、聖書の記述を歴史的事実として捉え、聖書の記述に反する思想を弾圧した。例えば、コペルニクスの地動説を唱えたガリレオ・ガリレイは裁判にかけられた。ただし、コペルニクスはカトリック司祭であり、ガリレオは信仰深い人であった。この事件の背景にはバチカンとハプスブルグ家の対立があったと言われる。
③チャールズ・ダーウインの進化論(『種の起源』1859年)が問題となる。創造のとき、神が創られたあらゆる種は普遍で、進化の余地はないという思考から、19世紀末から20世紀初頭にかけて教会内には進化論に反対する動きがあった。特にサルから人間が進化したというテーマが問題とされた。当時の教皇やバチカンは、人類一元説、反進化論の立場をとっていたからだ。だが、聖書学の発達は、創世記が過去に起こった歴史的事実を記したものでないことを明らかにした。ピオ10世やピオ12世は聖書学を奨励していたのだから皮肉である。
④ヨハネ・パウロ2世は1992年10月31日にガリレオの主張の正しさを認めた。実に359年ぶりにガリレオの破門をとき、名誉を回復した。1996年にはヨハネ・パウロ2世は進化論を認めた(9)。
このように、カトリック教会に関しては、ガリレオ事件も進化論問題も解決済みである。だが、アメリカのプロテスタントの一部にはファンダメンタリストと呼ばれる宗派が存在する(10)。
1925年アメリカ南部テネシー州議会は、聖書の天地創造論に反する理論を公立学校で教えることを禁じた。だが、デートンの高校教師スコープスは進化論を教えたかどで逮捕され、裁判にかけられ、罰金刑を受けた(スコープス裁判とかモンキー裁判とか呼ばれる)。同様の法が南部のいくつかの州でも制定された。テネシー州の州法は1967年に廃止され、翌68年には連邦最高裁判決ですべての反進化論州法は無効とされた。
だが、1981年には進化論と創造論を同じ時間数だけ教えるべきだという授業時間均等法がアーカンソン州で施行されたが、1987年にこれは連邦憲法違反だとして判決がでている(11)。
4 現代における科学と信仰の問題
この問題に関しては、大きく見て三つの考え方があるという。
①自然科学から教義を理解する考え方
自然科学の成果を聖書に当てはめて説明しようとする。すべての教えはプロセスであるというプロセス神学の影響がある(12)。方向性を持って進んでいくという考え方をとる。自然科学から創造信仰を再解釈しようと試みる。
ティアール・シャルダン(1955年没 フランスのイエズス会司祭)は「キリスト教的進化論」を唱えた。進化の過程は神の創造の業であり、すべてはキリストと通して神に向かって進化するとした。主著『現象としての人間』(1955)は創世記の伝統的な創造論を破棄したため、バチカンからは禁書処分されたという(死後に処分は取り消される)。実証科学からは批判されたが、かれの主張はカトリック思想界に大きな影響を与えたという(13)。
②聖書原理主義の考え方
聖書の記述を絶対視し、そこから自然科学を論じる立場。
③自然科学と信仰を区別する考え方
両者は目的が異なるので相互に矛盾することはないという考え方。K・バルトなどもこの考え方をとっているという(14)。
Ⅶ 結び
創造論と聞くと、創世記を思い出し、非科学的な神話伝説の類いであると考えがちである。しかし創造論神学は、自然科学における宇宙や地球の始まりの研究とは目的を異にする、まったく別物である。
キリスト教における創造とは、世界を造り、その中のものを生じさせる神の業である。世界とは全く異なり、世界を超越した神の存在が前提である。その神は、世界に対して無関心ではなく、愛によって世界を造り、世界に関与し続ける。その意味で創造論とは、唯一全能の神への信仰と内容的にほとんど同一のものと言って良い。
創造は神の愛の業であり、それはまた救いである。神がその業によって人間を神の似姿として造られたという信仰から、人間の価値・人間の尊厳・人権・命の尊さへの確信が生まれる。さらに、地球の尊さ、そして人間が神によってあらゆる被造物の管理を委ねられたことによる人間への環境保護の義務も確認される。
キリスト教の信仰は、創造が神のロゴスによってなされ、キリストを中心とし、キリストを目指していることを宣言する。
「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1:3 協会共同訳)
進化か創造か
注
1 教父 Fathers of the Church とは、1世紀後半から8世紀ごろまでの古代・中世のキリスト教世界でキリスト教の正統信仰を伝え、かつ聖なる生活を生きた人々を指す。教父の資格・条件として4箇条挙げられる:古代性・正統的教え・聖なる生涯・教会の承認 だ。多くの使徒は殉教するが、使徒教父のあとは護教家が続く。ローマのクレメンス、アンティオケののイグナティウスなどは使徒教父と呼ばれる。ラテン語で著述した教父はラテン教父と呼ばれる。テルトゥリアヌスやアウグスチヌスである。4大ラテン教父にはヒエロニムスも含まれる。ギリシャ語で仕事をした教父をギリシャ教父と呼ぶ。カイザリアのバシレイオスやアレクサンドリアのアタナシオスなどである。教父はほとんど司教だが、司祭や信徒の場合もあり、またすべての教父が聖人というわけではないという。
2 「ヘルメスの牧者」とは新約外典の一つ。使徒教父文書である。紀元120~140年頃ローマで書かれた文書だという。著者ヘルメスは使徒教父の一人である。幻影が描かれ、黙示文学的だが、信仰者の悔い改めを強調しているという。3部よりなり、5編の幻、12編の戒め、10編の比喩からなるという。この書名は、ヘルメスが牧者として出現した天使から啓示を受けたことに由来するという。キリスト教の創造論は、「言葉による創造」と「無からの創造」(creatio ex nihilo)の強調が中心だが、前者は旧約、後者は教父時代に概念化されたという。
3 プラトン哲学をこのように表現するのはだれでも躊躇するだろう。西洋哲学はプラトン哲学への脚注にすぎないとすら言われるくらい偉大だからだろう。
4 グノーシスとは知識という意味で、古代のキリスト教会が対決した異端思想だ。だが善悪二元論だからダメだというこういう簡単な説明では誤解を生みかねない。もう少し丁寧な説明が欲しいところだ。
5 マニ教はササン朝ペルシャ時代にマニ(276年没)によって始められた世界宗教。古グノーシス主義を集大成した体系と言われる。アウグスティヌスは青年期にマニ教を信仰し、32歳でキリスト教に回心した話を知らない人はいないだろう。
6 創造論には大きく見て①全体的創造論と②継続的創造論があるという。前者は、何もない無から新しい全体を一気に創る創成論で、後者は創造主が無限の力によって永遠的存在の充溢をずっと目指すとする創成論である。アウグスティヌスの、つまり、キリスト教の創造論は②のヘブライ的創造論に近い。 時間についても、時間は世界が創造されたときに創られたのであり、神は時間の外側に立っており、過去や未来は客観的な存在ではないという(「告白論」第11巻 加藤信朗『アウグスチヌス告白論講義』2006 知泉書館)。創造以前の宇宙とはどういうものかと問うことは無意味だということだ。時間は空間と共に延びたり縮んだりする。こういう時間観は現在のビッグバン論でも共有されているというのは興味深い。
7 突然に「存在論的に理解する」と言われてもなんのことかよくわからない。存在とはザイン Sein のことだと理解するなら、キリスト教神学はギリシャ哲学に基づいて聖書を理解してきたといえる。ギリシャ哲学と言っても、神を「善」や「一」として理解するプラトン的理解とともに、アリストテレスにならって神を「存在」として理解するような思考も登場した(アリストテレスは12世紀にやっと中世のキリスト教会によって発見または再発見される)。トマス神学はこの流れの中に位置づけられよう。この場合の存在は「実体」という意味であり、神は現実的な働きをする(たとえば御子イエスを地上に派遣する)至高の存在者であるとされた。「神は存在そのもの」とはこういう意味だと理解したい。存在論をデカルト以降の普通の認識論とあえて区別するのなら、近代における存在論から認識論へのコペルニクス的転換、そいてその後のハイデッガーらの存在論への回帰(実存論)という西洋哲学史の流れのなかでの話のようだ。
8 フィレンツ公会議は日本の世界史ではバーゼル公会議の一部として説明されることがある。場所が移動したのでバーゼル・フェラーラ・フィレンツェ公会議と呼ばれることもあるようだ。前回のコンスタンツ公会議(1414ー1418)での公会議優位説のかわりに教皇優位説がとられる。
9 進化論 evolution theory とは、地球上に存在する生物の種が、別々に創造された永久不変のものではなく、少数の共通の祖先から長い年月をかけて次第に変化分岐して現在の姿になったという科学上の理論といえよう。人間はサルから進化したという説はその頂点だろう。日本では学校教育を通して進化論が徹底的に教え込まれているので、創造論はほとんど理解できないようだ。「弱い創造説」というのもあり、人間以外の生物の進化は認めるが人間だけは神から創造されたという考え方だ。だが、これもほとんど注目されることはない。
創造説は真理か否かと言うより、近代社会の合理主義や世俗主義がキリスト教信仰を揺るがしているという危機感がファンダメンタリズムに創造説を現在でも残存させているのであろう。世俗主義が徹底した日本社会に創造説が理解され、受け入れられる余地は全くないだろう。進化論と創造論の対立を強調するのは生産的ではない。進化の全過程が創造なのであり、神の恵みなのだと理解したい。なお、生物学的な進化論にはダーウイン的な自然選択的進化論とメンデル的な遺伝的進化論があり、いまだ発展段階にあるようだが、「社会進化論」も多様な展開を見ているようだ。たとえば、社会システム論の展開などであるが、これは別のテーマとなる。
10 ファンダメンタリズム fundamentalism とは、定義も範囲の確定も難しい。原理主義とか根本主義とか訳される。正典などの教義や規範をそのまま守り、世俗主義や自由主義に対抗する思想・宗教勢力を指すと考えておこう。イスラム教など他宗教内の復古派・超正統主義派をさすこともあるが、ほぼアメリカのプロテスタントの特定の派(例えば福音派 evangelical)などをさすようだ。福音派全体をファンダメンタリストと呼ぶことは出来ないだろうが、福音派は聖書の無謬性を主張し、世俗主義を批判する。政治的には保守派で、リベラル派を批判する。思想的には千年王国思想を共有しているという説もある。21世紀に入ってその思想的影響力はますます拡大しているとも言われる。
11 進化論への態度は、人工中絶問題(プロ・チョイスvs.プロ・ライフ)や銃規制問題(人が悪いvs.銃が悪い)とならんで、アメリカ社会を深く分断する。人種問題や階級問題よりも分断の溝は深いようだ。党派対立の源でもあるという。日本社会の現状からは想像すらできない分断の溝だ。現代の日本で、進化論が疑問視されたり、人工中絶が社会問題化したり、銃の所有が自由の名のもとに許されるとは考えられない。善し悪しは別として、われわれは比較社会論的に言えば、こういうきわめて世俗化した社会に住んでいるようだ。M・ヴエーバーのいう「脱呪術化」の着地点は「神々の永遠の闘争」なのだろう。
12 プロセス神学という名称はホワイトヘッド(A.N.Whitehead 1861-1947)のギフォード講演(『過程と実在』1929)に由来するという。人間と世界の過程的・進化的性格を強調し、神自身も世界と交流することによて発展する過程の中にあると説いたという。つまり人間と世界の関係を論ずる「神論」である。
13 我々カト研のメンバーが学生だった頃はシャルダンとマルティン・ブーバー(『孤独と愛ー我と汝』1958)を読むことがなにかかっこよいことのように思われていた。その思想史的意義はわからなかったが、第二バチカン公会議の時代の雰囲気がそうさせていたのであろう。やがてシャルダンのキリスト教的進化論は実証科学からは批判されていくが、現在でも思想的影響力は残っているようだ。上智大学理工学部には「テイヤール・ド・シャルダン奨学金」があるという。また、ブーバーの「対話の思想」は我々をエキュメニズムへと導いていった。のんびりしていたわけではない。大学紛争が目前に迫っていた。
14 例えば、三田一郎 『科学者はなぜ神を信じるのか』(講談社 2018)など。三田師・氏は物理学者でカトリックの助祭という。本書は、信者には学ぶところは多いが、あまりに護教的と評する人もいるようだ。