カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

終末に煉獄や中間期はない ー 聖母マリア(9)(学びあいの会)

2022-04-03 09:29:36 | 神学


3-4 マリアの被昇天

 被昇天の教義はマリア論ではあるが中心は「終末論」だ。終末論とは人間の(個人の、そして人類全体の)終末についての議論・洞察のことだ。つまり、人は死んだらどうなるのか、人類の歴史の終わりはどうなるのかと問うことである(1)。

 人は死んだら無に帰る。それでよいではないか。何であれこれ考えるのか。
日本人の多くは、宗教心はあっても、神を信じないから、死んだら無に帰ると言われても、特に不安にもならない。せいぜい今の自分の人生を楽しんでおけばよい。あとは野となれ山となれだ。自分たちのために戦争などで亡くなられた方には申し訳ないと思う。でも、とりあえずは神社でお札でももらって健康とお金を願っておけばよい、と考えている。大げさに無神論などと騒ぎ立てない。ご先祖様のお墓参りはするが、自分は散骨でも樹木葬でもよいのではないか、などとふっと考える。このへんが現代日本人の平均的な死生観なのではないだろうか。

 終末論はこれとは別の死生観があることを教えてくれる。マリアの被昇天の教義はキリスト教における終末に関する議論の一つの到達点だったし、終末論をさらに前に進める契機にもなったようだ。

3-4ー1 聖母被昇天教義の歴史

 マリアの死については聖書には何も記されていない。マリアの死は当初は「永眠」(dormitio )として記憶されていたが、やがて7世紀以降「天への受け入れ」(analepsis)として受け止められるようになったという。キリストは昇天する(ascension )。つまり自ら天に昇る。だがマリアは自ら天に昇ることはない。天に受け入れられる、引き上げられるという。被昇天はassumption の訳語で、これは「受け取られた」という受動の意味になる。

 イエス昇天後のマリアについての古代教会の伝承にはいくつかあるようだ。


①エルサレムから東のペレア(北部トランス・ヨルダン)に逃れた弟子たちに同行した
②エルサレムに留まった(ゲッセマニアには現在もマリアの墓の聖堂がある)
③ヨハネと共にエフェゾで暮らした

 どの伝承にも歴史的確証はない。初期のキリスト者たちは、マリアが亡くなったことや、それがいつどこでだったかについては触れたくない雰囲気があったらしい。だからマリアの死が問題として意識されるようになったのは大分後のことらしい。

 マリアの最後についての最初の記述は4世紀末のサラミスのエピファネス(403年没)だという。5世紀までの主にシリアの外典偽福音書にはさまざまな「Transitus伝説」(他界・召天・遷化)が語られていたようだが、まだ被昇天という考えは明確には現れていないという。被昇天の教義の原型が初めて示されたのは4世紀の偽メリトンだという。ここでは、キリストがマリアを復活させ、天使によって天に挙げられたと語っているという。こうして5世紀半ばにはエルサレムで8月15日にマリアを記念する祝いが始まり、皇帝マウリティウス(602年没)は6世紀に8月15日を「永眠の日」(dormitio)として祝うよう定めた。これは7世紀には東方典礼にもローマ典礼にも導入されたという。この頃から司牧者の説教は「永眠」(dormitio)から「天への受け入れ」(analepsis)へと変わってきたという。

 西方教会で被昇天に初めて触れたのはトゥルーズのグレゴリオ(593年没)とされている。彼も外典偽福音書のTransitus伝説に依拠しており、7世紀にはローマでのマリアの永眠が祝われていたという。やがて9世紀にいたって8月15日が「聖マリアの被昇天」を祝うことが定着し、やがてイギリス・フランスに広まっていったという。西方では、マリアを祈りのとりなし手とする信心が広まっており、被昇天という考えは東方教会ほど強くはなかったようだ。Transitus伝説はむしろ被昇天のへの信心を抑制する機能を持っていたらしい。10世紀にはバルブス(919年没)が、マリアの体は最後の審判の前に天に受け入れられたと初めて語り、12世紀以降マリアの被昇天は西方教会で祝われるようになった。

 マリアの被昇天の教義宣言を求める声はすでに第一バチカン公会議のころからあったが、ピウス12世教皇は1950年に全世界の司教に意見聴取を求めた。これに対し98%の司教が肯定的な回答を寄せたため、ピウス12世は次のような教義宣言をした。
「被昇天の特権が神によって啓示された真理であり、しかも神がその教会にまかせられた信仰の遺産のうちに含まれた真理であることを確実かつ謝り得ない方法で表明するものである」(2)。

3-4-2 被昇天教義の意味

 この教義宣言の特徴は、被昇天と無原罪の御宿りはマリアの「特権」であり、マリアは死後ただちに(煉獄などの中間期を待たずに)天に受け取られると考えていたことだ。ピウス12世は述べている。「マリアの被昇天は無原罪の御宿りの特権に基づく。これら二つの特権は、相互に緊密に結ばれている・・・世の終わりまで肉体の贖いを待つ必要もなかった」。

 つまり、マリアの特権とは、人間なら誰でも死後、最後の審判を待つ間に入る「中間期」がない、煉獄などで待機する必要は無い、ということになる。マリアは本当に特権を持っているのか。

 「死と完成」の間を「中間期」と呼ぶなら、中間期があるのかどうかは14世紀以来、「私審判」と「公審判」の関係として長らく議論されてきた。この議論は「体の復活」とか「霊魂の不死」とかいう神学上の難問に関わるので決着は容易ではなかった。

 だがこういう議論は、現代の神学ではあまりに二元論的すぎるとしてすでに乗り越えられている。現代の神学は哲学的二元論が言うような、身体を離れた不死の霊魂が存在するとか考えない。死んだ人の魂が、他の場所(地獄・煉獄・天国)に行き、最後の審判の時に体が起き上がり、魂と体が一つになって復活する、などという通俗的イメージはとらない。こういうイメージはキリスト教的ではなく、古代ヘレニズム哲学の残滓でしかない。
 聖書的思考によれば、つまりキリスト教的に言えば、魂の不死性は死の止揚であり、時間も止揚される。だから、人は死において、直接、最後の審判に向き合う、復活に向き合う。不死性とは魂だけではなく体も復活することを意味する。つまり、被昇天の教義そのものではないにせよ、この教義が想定する中間期という考え方は様々な角度から疑問視されているようだ。

3-4-3 被昇天教義と終末論

 無原罪の教義がマリアを代表とする人間一般の「起源論」を語っていると言えるなら、被昇天の教義は人間の「終末論」を語っていると言える。被昇天教義は無原罪教義の帰結となる。
  ラーナーによれば、今日の解釈では、被昇天とは、マリアの全人間、全人格が神の愛の内に至ることを意味する。キリストは死者の中から復活した人々の初穂である(3)。マリアは救われた人間の典型として示されている。マリアは教会の初穂として神の国の永遠の生命を受けるということである。これは旅する民の最終の希望である。マリアの被昇天はわたしたちに希望を与える。
 被昇天の教義は、マリアが典型であった信仰者を神は永遠の交わりに迎え入れてくださるという、人間の最終的なあり方を示している。マリアはキリスト者の「信仰の場」である。


コレッジョ 聖母被昇天 1526-30 パルマ大聖堂

 


1 終末論 eschatology とは、普通は「終わり」に関する教理、つまり、死・審判・再臨・復活・永遠の命などを扱う教義学のことをさす。現代神学では神学的人間論の中心部門として位置づけられ、神学教育においても独立した科目として講じられているという。終末論では「徹底的終末論」と呼ばれる説が中心だった。つまり福音書を終末論の視点から(神の国論から)読むべきだというシュバイツアーらの説だ。だが今日では、終末(Eschaton)は歴史の終わりにではなく、むしろ現在において実現していると考える「現在的終末論」が支配的なようだ。実存的終末論と言ってもよいのかもしれない。「現在」は「終末」であり、「永遠の今」だと考える思想だ。バルトやブルンナー、ブルトマンに限らず、カトリックでも解放の神学は現実の政治や社会の相対化を目指しているとされる。これとは別に、「救済史的終末論」(未来的終末論)と呼ばれる議論もあるらしく、終末は救済史の最終局面だと主張するようだ。いずれにせよ終末論は現代神学の中核の一つをなしているという。
2 この教義の中心部分は以下の通りである。
「無原罪の神の母、終生乙女なるマリアが、地上の生活を終えたのち、肉身も霊魂もともに天の栄光にあずかるようにされたことは、神によって啓示された真理である、と宣言し、布告し、定義する」。この教えは、マリアは、肉体も霊魂も天に挙げられ、神の栄光のうちに生きていると語っている。 なお、東方教会では現在でも被昇天よりは永眠が祝われるという(永眠ではなく永寝とよぶ教会が多いという)。
3 Ⅰコリント15:20~22 「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」(新共同訳)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする