カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

マリアの出現を信じますか ー 聖母マリア(16)(学びあいの会)

2022-04-29 10:11:33 | 神学


Ⅶ マリアの出現

1 マリアの出現(1)は中世以来数多く伝えられている。だが世界的に大きな影響を及ぼした出現は19世紀から20世紀にかけて起きた。主な出現を挙げてみる。

①カトリーヌ・ラブレーへの出現:1830年 パリ 「不思議なメダイ」の起源(2)
②ラ・サレット(南仏の地名)での出現:1846年 2人の子どもにマリアが出現した
③ルルドのベルナデッタへの出現:1858年 ルルドの水により病者の奇跡的回復がみられ(ルルドの泉)、毎年数百万人の巡礼者が訪れるという 最も有名な奇跡といわれる(3)
④ファティマ(ポルトガル)での出現:1917年
⑤その他教区司教により真実と認められたもの
 ボンマン(フランス 1871年) ボーラン(ベルギー 1932年)
 バヌー(ベルギー 1933年)  秋田(日本 1973年)(4)
 フインカ・ベタニア(ベネズエラ 1976年)
 なお、メジュゴリエ(クロアチア 1981年)は承認されていない

2 教会の態度

①教会はマリアの出現の可能性を否定しない(5)
②しかし真実であるか否かの判断には極めて慎重で、承認を否定したケースが多い
③判断の基準は、出現を見た人の人柄とマリアのメッセージの内容だという。内容的にキリスト教信仰に反するもの、ふさわしくないものは拒否される
④公的啓示は使徒たちの時代で完了しており、マリアの出現はあくまで私的啓示である よって信者に信仰の義務はない



1 出現 apparition とは、信仰の対象である霊的存在(聖母や聖人など)が目に見える形で現れることをいう。顕現とも言う。「幻視」は実在しないものをみることだが、出現はみたものが目の前に実在するという。マリアの被昇天の教義ではマリアは今も生きていることになるのでいつどこに出現してもおかしくないと説明される。マリアの出現の相手(見た人)はクリスチャンに限らないようだ。
2 聖母マリアがラブレーに示したお告げをイメージしたもの。無原罪の御宿りのメダイとか奇跡のメダイと呼ばれる。メダイを身につける人への聖母の保護が約束された。そのためペンダント代わりに持っている人が多いようだ。

 

 不思議のメダイ

 

 

3 ルルドの泉の水により不治の病が治った例が数多く報告されている。教会が公認したものだけでも68例にのぼるという。

 

 ベルナデッタ・スビルー(1879年35歳で没 写真に撮られた最初の聖人とされる)

 


4 秋田の聖母マリア 秋田市の修道会「聖体奉仕会」の修道院で1973年に出現した 以後101回の「涙の奇跡」(第1回目は1975年1月14日)がみられたという。この涙は人間の体液だと鑑定されているようだ。 当時の伊藤庄治郎司教は1984年に「奇跡としての超自然性を否定できない」と発表し、1988年にバチカンのラッチンガー教理省長官(現名誉教皇ベネディクト16世)はこの声明を受理している。

 

 秋田の聖母像

 

5 マリアの出現は奇跡とされるが、奇跡の認定は列聖・列福調査の時に問題になるようだ。奇跡の認定は、精神的変化だけではなくなんらかの物質的・身体的変化があり、それが自然科学的には説明不可能であることが証明されねばならないという。
 マリア信心に熱心な信者さんでもマリアの出現だけは「まぁーね」と言う人が多い。奇跡の真偽そのものよりも、それが教会内にもたらす対立・分裂が問題だという意見もあるようだ。光延一郎師の『主の母マリア』にはマリア出現に関しては一言の言及もない。神秘主義神学者のジョンストン師ですら、出現はおろかマリアへの言及は著作のなかですらごくわずかだ。神学者としての矜持だったのであろう。

 

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祈りのなかのマリア ー 聖母マリア(15)(学びあいの会)

2022-04-27 10:48:38 | 神学


Ⅵ マリアの祈り

 マリア信心の表れとして教会はマリアに関する様々な祈りを生み出した。ここでは主なものを取り上げてみる(1)。

1 アヴェ・マリアの祈り

 これはマリアと共にキリストを観想する(2)基本的な祈りである。


 アヴェ・マリアの祈り

 

 

 


 前半は、大天使ガブリエルの受胎告知の言葉(ルカ1:28)と、エリザベトの喜びの声(ルカ1:42)を組み合わせたものである。後半はマリアへの祈願である。
 このように、この祈りは祈りとしては独特の形式をとっているが、現在の章句の形式は6世紀から16世紀までの発展を経て成立したと言われる。

2 ロザリオの祈り

 ロザリオの祈りとは、基本的には珠(たま)を繰りながら、「アヴェ・マリアの祈り」を数えながら唱え、キリストの出来事を黙想していくお祈りのことを言う。
 数珠(じゅず たま 玉・珠)を祈りに使う伝統は様々な宗教にみられる(3)。キリスト教会では、古くから主の祈りや短い言葉を繰り返し唱え観想する習慣が広まり、そのため数珠を用いることもあった(4)。
 13世紀半ばから、アヴェ・マリアの祈りを1日50回唱える習慣が生じ、この50回一組の祈りがロザリウム rosarium と呼ばれるようになった(5)。「アヴェ・マリアの祈り」10回、「主の祈り」1回という形式を始めたのはカルトジオ修道会(6)のカルカルのハインリッヒ(1408没)だという。

 15世紀にロザリオの祈りは受肉・受難・栄光に三分され(7)、全部で15の秘儀の黙想が定着する。16世紀を通じてロザリオ信心会が多数生まれ、さらにシクトウス4世(1484年没)以来歴代教皇がロザリオ信心を推奨した。
 レオ13世(190年没)はロザリオに関する16回の回勅や勧告を発布し、「ロザリオの教皇」と呼ばれた。かれは10月を「ロザリオの月」と定めた。ピウス11世(1939年没)とピウス12世(1958年没)はそれぞれ一つ、ヨハネ23世(1963年没)は二つのロザリオに関する回勅を発布した。
 パウロ6世(1978年没)は使徒的勧告「聖マリアへの崇敬について」(1974)においてロザリオの祈りは福音宣教の祈りだと述べた。また、ヨハネ・パウロ2世は使徒的勧告「乙女マリアのロザリオ」(2002)において、イエスの公生活の出来事の出来事(イエスの洗礼・カナの婚姻・神の国の宣教・ご変容・聖体の制定の5つの黙想)を「光の秘儀」(啓示の神秘)として新たに導入した(木曜日の祈り)。

 ロザリオの祈りの唱え方は面倒だ。曜日に合わせて15玄義を唱えるのだが、15玄義とは、喜びの玄義(受肉)、苦しみの玄義(受難)、栄えの玄義(復活)の3環(上述の2002年に新たに加えられた玄義で木曜日に光の玄義(啓示)を唱えることもある)で、1環は5連からなっている。1連ごとに、まず曜日ごとに玄義を唱え、次に「主の祈り」を1回、「アヴェ・マリアの祈り」を10回、栄唱(8)を1回唱える。

3 マグニフィカト(マリアの讃歌)

 マリアの讃歌(ルカ1:46~55)は、サムエル記上1:1~10(9)のハンナの歌と、出エジプト記15:1~18のモーセの海の歌(勝利の賛歌)(10)、ソロモンの詩編(11)との思想的接点が見られるという。
 マリアの讃歌は神の偉大な業への賛歌である。受胎告知との関連でマリア自身の喜びと神への感謝と賛美が歌われる。聖務日課(12)では福音の歌として「晩の祈り」(晩課)に歌われる。


4 お告げの祈り(アンジェラス Angelus)

 お告げの祈りとはマリアへの受胎告知を記念する祈りのことを言う。朝・昼・晩の教会のお告げの鐘と共に、アンジェラス・ドミニ(主の御使い)の句ではじまる祈りを唱える。3つの章句(ルカ1:28~35(イエス誕生の予告),1~38,ヨハネ1:14(言が肉となった)と、アヴェ・マリアの祈り3回からなる。さらに短い祈りが続くこともあるという。
 この祈りは、イエスの受肉の秘儀を記念し、あわせて聖母をたたえるものである。この祈りの起源ははっきりしないようだが、すでに10世紀にはその習慣が現れ、中世を通してヨーロッパに広まり、17世紀には現在の形に定着したという。

 ミレーの晩鐘(13)

 

5 その他の祈り

 ①聖母の連祷(連願)(14)
 ②サルヴェ・レジーナ(15)
 ③聖母の小聖務日課(16)

 


1 『祈りの手帖』(2018年改訂版 ドン・ボスコ なお、2022年4月にミサ式次第の変更に伴い三訂版がでている)には、ロザリオの祈り、十字架の道行きは別として、「聖母の祈り」が6連載っている(元冠あわれみの母Salve Regina・神のみ母よSub tuum praesidium・聖母マリアの歌Magnificat・聖母のご保護を求める祈り・扶助者聖マリアにご保護を願う祈り・結び目を解く聖母マリアへの祈り)。『日々の祈り』(2006年改訂版 司教協議会)には「聖母マリアへの祈り」と「聖マリアの連願」が載っているのみである。ちなみに、「聖母マリアへの祈り」は以前の「天使祝詞」(いわゆるめでたし)が改訂されたもので、2011年にはさらに改訂され現在の「アヴェ・マリアの祈り」となっている。変更がこう続くと覚えきれず、わたしはめでたししか唱えられない。記録のために、今は使われない「聖母マリアへの祈り」と「天使祝詞」を載せておきたい。

 聖母マリアへの祈り

 


2 観想 contemplation とは、肉眼と心眼で観る精神状態を指し、「活動」の対概念のようだ。認知機能を伴っている点で黙想と共通しており、目標は「至福直観」とされる。禅や仏教で言われる悟りを目指す無我の「瞑想」とは知性・理性・悟性の働きを伴う点で異なると言われる。とはいえ、キリスト教では念祷や黙想を含む広い意味で瞑想という用語も用いられるようだ。カトリックではoratio mentis(mental prayer)の訳語は「念祷」(言葉なしの祈り)だが、プロテスタントでは瞑想と訳す教派が多いという。黙想はmeditationの訳語とされるらしく認知機能が強調されるが、観想はむしろ祈りを味わう点が強調される概念のようだ。「黙想会」とか「観想修道会」という言葉はあるが、観想会とか瞑想修道会などといういう言葉は聞いたことがない。『カトリック教会のカテキズム』では、黙想は「黙想するときには、思考・想像・感情および望みを働かせます」(#2708)と定義され、念祷は「神と語り合う、友愛の親密な交わり」(#2709)と説明されている。ちなみにはやりの「マインドフルネス」などでは瞑想ということばが使われるようだが、どうも座禅系の動作・呼吸を指すようだ。
3 仏教で用いられる数珠(念珠)はなじみ深い。イスラム教にも数珠があるようだ。日本の仏教の珠の数は108個で煩悩の数を表すという。実際には主玉(おもだま)の数が多いと不便なので、男用は22珠が標準のようだ。女性用は珠の数が異なるので混用できないという。カトリックの数珠は珠の数が50数個のものが多い(10回1連・5連1環)。プロテスタントや正教会ではロザリオはほとんど用いられないようだ。マリア信心に否定的なので当然であろう。
4 カトリックの数珠は古代にインド仏教から導入されたという説が強い。珠の大きさや数など異なる点はあるが、外見の類似性の高さに驚く。ロザリオこそ宣教の要になるのではないだろうか。
5 日本語のロザリオはポルトガル語。ドイツ語ではRosenkranz バラの冠。数珠を繰る動作がバラの花輪を編む動作に似ているからだという。なぜバラかは、ロザリオの発生をめぐって議論があるため、諸説あるようだ。
6 カルトジオ修道会は11世紀にフランスで生まれた修道会。現在でも活動中という。
7 現在は、受肉・啓示・受難・復活の4つの神秘(秘儀)に分けられている。
 この神秘、秘儀、秘跡などの用語も使い分けが複雑だ。カトリックでは昔は洗礼などをミステリオンとよんでいた(ギリシャ語)。「神秘」と訳すことが多かったようだ。現在はサクラメントと呼ぶこともある(ラテン語・英語)。典礼では「秘跡」の意味だ(秘跡は以前は秘蹟と綴っていた プロテスタントは聖礼典、聖公会は聖奠というらしい)。カトリックでは7秘跡として、洗礼・堅信・ゆるし・聖体・叙階・結婚・病者の塗油がある(表現は変化してきている)。ミステリオンは「神秘」とか「秘儀」とか「奥義」とも訳されることがある。お祈りでは「信仰の神秘」と唱えるし、「過越の奥義」という言葉遣いは定着している。「受肉の秘儀」とも言うので「秘儀」を使うこともあり、さらには「秘義」の文字を使う人もいるようだ。このように訳語は安定していない印象があるし、司教団も統一見解は出していないようだ。あえていえばミステリオンは神学的で「神秘」、サクラメントは典礼的で「秘跡」と訳したいところだ。どちらにせよ、ミステリオンもサクラメントも「聖性」を表す言葉で、「聖・俗」の区別を背後に持っていると思われる。
8 ロザリオの実際の唱え方にはヴァリエーションがあるようだ。すぐに玄義に入らず使徒信条などを唱えることもあるようだ。例えば、喜びの玄義(受肉の神秘・月曜日土曜日)では、第1の黙想は受胎告知、第2の黙想はマリアのエリザベト訪問、第3の黙想はイエスの誕生、第4の黙想はイエスの奉献、第5の黙想はイエスを神殿で発見、という具合になる。栄唱は今は「栄光は父と子と聖霊に 初めのように今もいつも世々に アーメン」だが、昔使っていた「願わくは、父と子と聖霊とに栄えあらんことを 初めにありしごとく 今もいつも世々に至るまで アーメン」が唱えられることが多いようだ。ロザリオの祈りは単独で(お聖堂または自宅で)することが多いので一日1環できればよいが、コロナ禍の中で回数が増えている人がいるかもしれない。
9 サムエル記は、サムエルというモーセ以後最初に顕れた偉大な予言者およびサウルとダビデの3人を描いている。次の列王記に続くためよく読まれるようだ。フランシスコ会訳はサムエル記は「救済史の流れに決定的な方向を与え」たと評している。
10 「主に向かってわたしは歌おう なんと偉大で、高くあられる方 主は馬と乗り手を海に投げ込まれた・・・」(協会共同訳)
11 詩編の作者は伝承で普通はダビデとされるが、法的著作(章句)はモーセ、知恵的著作はソロモン、歌はダビデによって書かれたとする解釈もあるようだ。
12 聖務日課とは第二バチカン公会議以前は聖職者・修道者が用いる祈祷スケジュールで、1日の祈りが「時課」に分けられ、祈りはラテン語で唱えられていた。公会議後は信徒のための祈りと位置づけが変わった。時課にかわって朝の祈りとか昼の祈りとかに名称が変わり、祈りも各国語が用いられるようになったという。

 聖務日課(新旧比較)

 

 なお、『典礼憲章』の第4章は「聖務日課」と題されており、第83項から第101項まで詳しく規定されている。聖職者はラテン語を用いなければならないが、裁治権者(司教のこと)の判断で国語を用いてもよいと書かれている(#101)。また聖務日課への信徒の参加が勧められている(#100)。
13 ジャン=フランソワ・ミレー(1875年没) 19世紀フランスの画家 写実主義とされる。オルセー美術館(パリ)所蔵。あまりにも有名な絵だ。時を知らせる鐘だが、なぜ鐘なのかいろいろ議論があるようだ。またこの絵についてもいろいろ解釈があるらしい。ミレーはカトリックだったらしいが、絵の中に十字架やマリア像が描かれていないにもかかわらず宗教的雰囲気が色濃く漂っている。
14 連祷はカトリックでは「連願」と言い直されることになった。Litany Litaniae のこと。先唄者に続いて会衆が「我らのために祈り給え」と繰り返す。諸聖人の連祷が普通で、洗礼式ではよく使われる(諸聖人への祈願なので聖ミカエル以下聖人の名前が次々と呼ばれる)。聖母マリアの連祷もある。『日々の祈り』(2008改訂版)の最後に「聖マリアの連願」が記載されている。なお、この聖マリアの連願には2020年10月に新たに3ヶの連願が挿入されることになった。あわれみの母聖マリア・希望の母聖マリア・移住者のよりどころ の3条だ。フランシスコ教皇の意向だという。
15 「元后あわれみの母」のこと。聖務日課の就寝前(昔の終課)に歌う。『祈りの手帖』所収。

「元后あわれみの母 われらのいのち、喜び、希望。
旅路からあなたに叫ぶエバの子。
嘆きながら泣きながらも、涙の谷にあなたを慕う。
われらのために執り成す方。
あわれみの目をわれらに注ぎ、
とうといあなたの子イエスを旅路の果てに示してください。
おお、いつくしみ、恵みあふれる、喜びのおとめマリア。」
16 起源は古いらしく8世紀にさかのぼるという。大聖務日課のあとに唱えられたようだ。聖母マリアへの最大の信心行とされ、昔なら、時課で唱える場合、朝課(夜中3時頃)と賛歌(日の出頃)で唱える場合、などがあったようだ。祈りは詩篇が中心だったらしい。現在の日本で続いているかどうかはわからない。

 

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典礼暦のなかのマリア ー 聖母マリア(14)(学びあいの会)

2022-04-25 18:53:03 | 神学


 聖母マリア論は第2部「マリア信心(崇敬)」に入った。5月連休直前の今日の例会は晴天に恵まれたが出席者は少なかった。

Ⅴ 典礼

 典礼(1)とは教会がおこなう祭儀である。典礼暦(2)は4世紀頃(3)東西両教会で定着する。マリア信心もこの頃から盛んになる。エフェゾ公会議(431年)におけるマリアの「神の母(テオトコス)」宣言はマリア信心をさらに促進し、マリアの祝祭日(4)が祝われるようになった。
祭日と祝日と記念日が区別されている。

1 マリアの祭日

 現行の教会暦のマリアの祭日は以下の三つである

①神の母聖マリア(1月1日)
②聖母被昇天(8月15日)
③無原罪の御宿り(12月8日)

2 マリアの祝日

①聖母の訪問(5月31日)
マリアのエリザベト訪問(ルカ1:39~50)を記念する祝日。ローマでは8世紀に降誕節中に祝われたという。東方教会では7月2日に祝っていたが、第二バチカン公会議以後は、天使のお告げ(3月25日)と洗礼者ヨハネの誕生(6月24日)の間に定められた。
②マリアの誕生(9月8日)
7世紀頃にこの日に記念されるようになったという

3 マリアの記念日

①聖母の聖心
聖霊降誕後の第2主日のあとの土曜日。1944年にピウス12世により制定された
②天の元后マリア(8月22日)
聖母が天に挙げられて、すべての者の女王として高められたことを記念。1954年にピウス12世により制定。
③悲しみの聖母(9月15日)
1814年にローマ暦(5)に採用。十字架の下のマリアの記念。ミサの続唱でスターバト・マーテル  Stabat Mater (フランシスコ会の聖歌)が歌われる(6)。
④ロザリオのマリア(10月7日)
1517年レバントの海戦(7)でオスマントルコに勝利したことを記念してピウスⅤ世により制定⑤マリアの奉献(11月21日)
543年のこの日、エルサレムの聖マリア聖堂の献堂式に由来する
⑥その他の「任意」の記念日
ルルドの聖母(2月11日) カルメル山の聖母(7月16日) ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の献堂(8月5日 2016年に制定)

4 マリアの土曜日

 初土曜日にマリアを記念する習慣は、8世紀のカロリング朝時代にさかのぼる(8)。「年間」の土曜日が義務の記念日で無い限りマリアの記念日として任意に祝うことができる。

5 聖母月

 5月をマリアを敬う月とする信心の伝統。ローマ人やゲルマン人が春の訪れを祝う5月祭がその背景とされるが、5月をマリアの月とする習慣は近世に入ってからのものだという。18世紀にイタリアで盛んになり、1815年にピウスⅦ世により認証された。19世紀半ばまでには西欧全域に広まったという。1965年5月1日にパウルスⅥ世の回勅「メンセ・マイオ」はこの信心を尊い伝統をしている。なお、10月もロザリオの月として聖母マリアに捧げられている。
 日本でも5月がマリアの月だという理解はかなり広まっていて、クリスマスについでキリスト教を身近に感じる機会になっているようだ。

 


雪のサンタマリア(日本26聖人記念館)

 

 このようにマリアの祝祭日はたくさんあるが、わたしはせいぜいマリアの祭日くらいしか頭に入っていない。といっても、日本では8月15日は終戦記念日だし、12月8日は開戦記念日だし、お祝いと言ってもなかなか定着しないようだ。元旦だけは、神の母聖マリアの祭日だけは、お正月気分もあってどこでも教会は賑やかなようだ。



1 典礼 liturgy とは、教会がおこなう神への公的な共同の礼拝行為のこと。集団の行為であって、個人の行為(祈りや信心)は典礼に含まれない。事実上カトリック教会の用語とされ、正教会では奉神礼、プロテスタントでは礼拝と呼ばれる(訳される)ことが多いようだ。日本語の典礼という言葉は「典法礼儀」に由来すると言われる(「岩波キリスト教辞典」)。典礼には、神からの人間の「聖化」と人間からの神への「奉仕・感謝」の2側面が含まれる(ドイツ語訳は Gottesdienst 直訳すれば Service of God/ Divine Service 神の奉仕 ミサ)。現代の典礼の特徴は第二バチカン公会議の「典礼憲章」に明記されているが、最も大きな特徴は、典礼が特定の国・時代・場所によって表現される教会の信仰だと確認されていることだろう。第1章第3節Dは「諸民族の特性と伝統への適応に関する基準」と題されている。つまり、典礼は根本は共通でもその表現形式は国や文化によって異なってもよいとされているようだ。典礼は教会活動の頂点であるが、神学生にとっては実践神学の中では教会法と並んであまり人気が無いようだ。
2 典礼暦 または 教会暦。Liturgical calendar。典礼暦とはキリスト教独自の暦のことで、一般社会の普通の暦とは異なる(とはいえいろいろな「こよみ」があるが)。いわば信仰上の暦だ。とはいっても、キリスト者は一般の暦にしたがって生活しているから、教会暦は一年を周期とする一般の暦のなかに組み込まれている。定義的に言えば、教会暦とはキリストの生涯の出来事を、一年を通して記念していく教会の暦のこと。一年間でキリストの一生を記念する。カトリックでは教会暦には「季節」と「年間」がある。季節には、四旬節・復活節・待降節・降誕節がある。季節以外の期間は「年間」と呼ばれる。それ以外に、祭日・祝日・記念日・祈願日などがある。
3 大シスマ(東西両教会の分裂)は1054年のローマ教皇とコンスタンチノポリス総主教の相互破門とされることが多いが、実際には4・5世紀頃から両教会の対立はあったという。395年のローマ帝国の東西分裂、476年の西ローマ帝国の滅亡のなかで、両教会では教義の解釈、典礼方式の違い、教会組織の違いなどが徐々に生まれてきていたようだ。
4 一般に祝祭日というが、教会では祭日のほうが祝日より重要だ。重要度でいえば、祭日>祝日>記念日>祈願日といえようか。たとえば、1月1日は「神の母聖マリア」の「祭日」、1月3日は「主の公現」の「祭日」、1月10日は「主の洗礼」の「祝日」、などとなる。教会暦はA・B・C年に」分けられ(今年2022年はC年)かなり複雑なので、移動主日や祝祭日の表は毎年発表される(『教会暦と聖書朗読』)。なお、守るべき祝日(必ずミサに出なければならない日)は「現在の日本では」ご降誕祭(12月25日)と神の母聖マリアの祭日(1月1日)の2回のみである。復活祭(イースター)は守るべき祝日には入っていない。このように典礼暦・教会暦は複雑なので公教要理(入門講座)できちんと学ばないと教会生活は成り立たない。ポツンポツンと時々ミサに出るだけでは暦がわからなくなってしまう。コロナ禍のもたらす災いの一つであろう。
5 ローマ暦とは古代ローマで使われていた暦。ローマ紀元とは異なるという。ユリウス暦やグレゴリオ暦を含む使い方もあるようだ。
6 よく知られたクラシック音楽らしい 出だしは、
  Stabat mater dolorosa 悲しみの母は立っていた
 iuxta Crucem lacrimosa、 十字架の傍らに、涙にくれ
 dum pendebat Filius. 御子が架けられているその間
7 レバントの海戦とは、1571年に、スペイン・ローマ教皇ピウス五世・ヴェネツィア連合艦隊がオスマン帝国艦隊を破った海戦。オスマン帝国の勢力はこれを機に縮小期に入る。スペインはやがて無敵艦隊となっていく。
8 カロリング朝(751-911,987)はフランク王国の2番目の王朝。カール大帝(747-814)の時代に最盛期を迎える。

 

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ご復活祭おめでとうございますー3回目のコロナ禍のもとで

2022-04-17 14:55:48 | 教会


 ご復活祭おめでとうございます。コロナ禍の中でのイースターは3回目となります。
私どもの教会では分散ミサが続いており、、ご復活祭といっても特定の班のみ出席可能なごミサです。私どもはたまたま今日のミサに当たっていたので出ることが出来ました。
 長い四旬節、聖週間、過越の3日間と、私どももカト研の皆さんと同じように、それなりに過ごしてきました。例年なら、教会のみなさんと一緒に盛大にごミサを挙げ、みなでお祝いするところですが、今年も寂しい復活祭となりました。復活徹夜祭で洗礼を受けた方もおられなかったようです。世界中どこでも同じなのかは解りませんが、残念なことです。ごミサ後のお祝いのパーティーもなく、子どもたちからのイースターエッグもなく、顔見知りの人と挨拶することもかないませんでした。コロナだからと言われれば返す言葉もありませんが、なにかお祝い気分にはなれませんでした。「復活のろうそく」だけは2022と年号の入った大きく立派なもので華やかな気分を醸し出していました。
 そうはいっても、特定の班だけとはいえ、ごミサに出られた方の人数は通常のミサより多かったです。聖体拝領も手でご聖体を受けるだけでアーメンと唱えてはならないので(すでに一緒に唱え終わっているので)、聖体拝領後祭壇に向かってお辞儀をする人も多く、それなりに時間がかかって賑やかでした。
 福音書朗読は復活の主日なのでヨハネの20:1-9です。神父様のお説教はいつものトーンで、「地上の幸せを求めるな」というお話しでした。直接コロナやウクライナのことに言及されたわけではないが、この世に何故苦しみが、悪があるのかという神義論の話でした。復活を信じなければ神義論への答えは見つからないというお話しのように聞こえました。

ミサの開始前(向かって祭壇の左側に復活のろうそく)


2022年復活の主日ミサ閉祭(前後左右とも離れて座る)

 

 

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「神学ダイジェスト」にみる今日のマリア論 ー 聖母マリア(13)(学びあいの会)

2022-04-11 09:32:14 | 神学


 現代のマリア論の理解のために、上智大学神学会発行の機関誌「神学ダイジェスト」131号(2021年冬季号)の特集「今日のマリア論」が紹介された。5論文中4本の論文の要旨が紹介された。わたし自身はこれらの論文を読んでいないので不正確な紹介になるかもしれないが、現代のカトリックの神学者たちが、マリア論の中でなにを主要な問題として捉えているかを知る手がかりとして、簡単に目を通しておきたい。現代カトリック神学におけるフェミニズム神学、解放の神学のインパクトの大きさを垣間見ることができる。なお、この機関誌の編集長は光延一郎師のようだ(1)。

 

神学ダイジェスト

 

 

 *目次は次の通り*

〈巻頭言〉今日のマリア論について………………………………………岡立子
神学の内に示されるマリア論の新たな方向性 ……………………………M・マッケンナ
貧しい人々と現代の「霊」が示すマリアの教義の意味…………………I・ゲバラ/M・C・ビンゲメア
マリア研究の母体としてのガリラヤ………………………………………E・A・ジョンソン
正教会とカトリック教会の神学におけるマリア論………………………B・E・デイリー
ニコラオス・カバシラスの『受胎告知についての説教』を読む………P・プロスペリ
――――――――――――――
聖ヨセフ年 ―父の心で― ………………………………………………J・アローショ=エステベス
――――――――――――――
私は思ったより大丈夫〈連載 霊性心理〉 ………………………………ホン・ソンナム


 *論文の概要*

 【1】 「神学の内に示されるマリア論の新たな方向性」 M・マッケンナ(アイルランド 聖母マリア・エキュメニカル教会ダブリン支部長 神学博士)

マリア論の旅路

①教会におけるマリア論の位置づけの歴史的展開

・第一段階(聖書):マリアと教会を一つと見なす福音書の見方
・第二段階(古代):マリア論は教父たちのキリスト論と教会論の中に位置づけられた マリアはテオトコス(神の母)である
・第三段階(中世):マリアを教会から離れた存在として崇敬した。無原罪の御宿りと被昇天の教義。アベマリアの祈り、サルベ・レジナ(天の元寇)の原点。宗教改革後はマリア論は分裂する
・第四段階(啓蒙主義時代):歴史批判的な見方が優勢。歴史のマリアを信仰から切り離す。実証主義・合理主義の立場から超自然的な考えを否定した
第五段階(現在):3つの側面がある
 a:第二バチカン公会議の教会憲章第8章のマリア論
 b:マリアに関するエキュメニカルな対話の促進
 c:フェミニスト神学:教会における歴史的な女性軽視の見方からマリア論を考察

②マリア論の新たな方向性

第六段階:マリア論には、三位一体論的・キリスト論的・教会論的・救済論的・終末論的側面があるため、マリア論の首尾一貫した全体性と総合的神学的省察がもとめられる。さらに、神学内におけるマリア論に相応しい位置づけが必要である。それによりキリスト教の神秘におけるマリアの真の姿が理解される。

【2】 「貧しい人々と現代の「霊」が示すマリアの教義の意味」 I・ゲバラ/M・C・ビンゲメア(ブラジル人神学者 元寇のアウグスティヌス修道女会会員 教皇立リオデジャネイロ・カトリック大学神学部教授)

貧困に苦しむラテン・アメリカを背景にマリアの教義を見直し、その意味を探る試み

①4つの教義
 テオトコス、処女懐胎、無原罪の御宿り、被昇天、の背景と伝統を歴史的にたどる
②貧しい人々の教義学
 教会において神学、特にキリスト論は従来、男性中心の伝統を持つ。ラテン・アメリカの民衆はイエスの教えを理解しているが、イエスよりもマリアへ一層の重きを置いている。マリアは人々を慰め、守ってくれる母。空腹と泣く子・失業・病・不作・住む家の喪失など日常の苦しみにあえぐ民衆は母なるマリアにより頼む。扶け手としてのマリアにイエス以上の信頼を置く。マリア信心は生活に密着した素朴で実存的なものである。
 教会が貧しい人々の教会であるためには、今日のラテン・アメリカの民衆の持つマリアとの実存的関係性に目を向けることが必要である。

【3】 「マリア研究の母体としてのガリラヤ」 E・A・ジョンソン(米国フォーダム大学名誉教授 カトリックのフェミニスト神学者)

①福音書の歴史批判的研究

 歴史批判的研究は、様式・文学的成り立ち・社会的背景の研究にくわえて、聖書以外の文献も研究する。さらに、ローマ支配下の1世紀のパレスチナ地方の政治的・経済的・社会的・宗教的状況についての歴史学の研究によって、福音書の記述は具体性を持つようになった。これらの研究成果をマリア論に利用する。

イ)考古学的文化研究
ガリラヤはユダヤとは異なり、緑豊かな農業地帯。住民は農民または職人。ナザレは貧しい寒村。マリアはおそらくセム系の特徴を持ち、厳しい労働によって頑丈な体格を持った女であったであろう。(西洋の名画に描かれるマリア像とは全く異なる)。マリアの夫は村のテクトン(職人 大工とは限らない)だった。
ロ)経済的研究
人口の1割は上層階層、8割は貧しい庶民。中流階級は存在しない。1割はその下のアウトサイダー。社会的不公平は著しく、しかも3重の課税に苦しむ。
ハ)政治的研究
ローマの間接統治のもと、ヘロデ大王の贅沢と建築熱による重税に対して、ガリラヤの反乱が起こる。ローマ軍により壊滅的被害を受ける。
ニ)宗教的研究
マリアとヨゼフは熱心なユダヤ教徒として、律法にしたがい日々の祈りと安息日の務めを果たし、たまにエルサレムへ巡礼した。。マリアは二つの宗教世界の分かれ目の先端に立っていた。
②マリア神学の意味
信心的アプローチから歴史的アプローチへの転換。神の啓示、救済、伝達の行いは歴史の中で起こった。状況神学は神が歴史において抑圧と死に打ちひしがれた人々の希望である事を示す。
イ)正義の神の顕れ
解放の神学者グティエレスはマグニフィカトを、抑圧された人々に向けられた神の愛について語っているものとする。米国のヒスパニック共同体の神学者たちも、貧困と抑圧の歴史にマリア論のルーツをみる。人権と平等を求めて闘う女性にとって伝統的マリア論は、家父長制的・男性優位的で、女性性の役割を軽視していると思われる。ガリラヤのマリアを通して別のマリア論が提唱される。
ロ)教会にとってのマリアの意義
マリアへの対処について二つの可能性がある
A:マリアは教会共同体の仲間であるとする考え方
B:マリアを信者の擁護者、パトロンとする考え方(上下関係)
当初は両者が両立していたが、中世以降はパトロン型が優勢となった
ハ)結び
歴史的想像力を働かせることによって、福音書に描かれているマリアの実像を示し、今日における抑圧・貧困・女性差別を改める正義の探求をマリアと結びつける。

【4】 「正教会とカトリック教会の神学におけるマリア論」 B・E・デイリー(米国ノートルダム大学名誉教授 イエズス会司祭)

 カトリック教会のマリアに関する諸教義についてプロテスタントは一般に否定的である。例えば、K・バルトは、カトリックがマリアに与える「特権」は異端であるとすら言っている。その理由は、人間の救いはキリストの贖いのわざのみによるのであり、人間の受容性と自由が決定的役割を果たすとする考えは異端と考えられるからである。したがって、被造物であるマリアの救いにおける決定的役割は認められない。
 一方、正教会においては、そもそもマリア崇敬は東方教会からカトリック教会へ伝えられたものであり、両者のマリア論に本質的差異はない。では、近年のカトリック教会が定めた二つの教義(無原罪の御宿りと被昇天)を正教会が批判するのはなぜか。東方教会は聖書による基礎的・根本的諸真理を優先して教義となし、それ以外を教義とすることを慎むからである。すなわち、両教会のマリアの教義に対する態度の違いはその表現のしかたにある(2)。


1 光延一郎師はYouTubeでも「カトリック神学・霊性フォーラム Come and See !」というタイトルで神学講座を開いておられる。
https://www.youtube.com/channel/UCvtEZXwiSAcqTeaRK1nUy0g
なお、本特集号の第4論文「正教会とカトリック教会の神学におけるマリア論」については2022年3月29日のチャンネル「マリアについて、プロテスタントの方に何を言うか?」で詳しく解説しておられる。https://www.youtube.com/watch?v=ORMgCBDgFf0&t=459s
2 実はこの機関誌の紹介のあと、「ウクライナとロシア」というテーマでロシア正教の紹介があった。時事的なテーマで、直接マリア論に関わる話ではないが、現在の「ウクライナ紛争」についてのS氏の解説も示された。現在進行中の事案なのでコメントは控えたい。なお、氏は現在の軍事侵攻を「紛争」と呼んでいる。宣戦布告がないので戦争とは呼べないのであろう。

【1】ウクライナの歴史
 9世紀にキエフ大公国成立。ウクライナ人を中心とする東スラブ民族の連合国家。988年にビザンツ帝国からギリシャ正教を受け入れる。13世紀にモンゴルにより滅亡。その後北東にはモスクワ大公国が建国される。ロシア人が中心で、ウクライナも包括した。ウクライナとは古代ロシア語で「辺境」の意。
 その後帝政時代とソ連時代を通じてウクライナはロシアの一部となる。18世紀にはロシアはオスマントルコからクリミア半島を奪取。クリミア半島はロシア海軍の重要拠点で核心的重要性を持つ。ソ連時代にフルシチョフがクリミア半島をウクライナに編入した。
 1991年ソ連崩壊によりウクライナは独立した。ソ連時代のワルシャワ軍事機構のメンバーである東欧のソ連衛星国(ポーランド・チェコスロバキア・ルーマニア・ハンガリー・ブルガリア・東ドイツなど)は次から次へとNATOに加盟した。プーチンは、ベーカー国務長官がゴルバチョフにNATOの東方拡大はしないと約束したにもかかわらず守らなかったので騙されたと怒る。プーチンはNATOをロシアにとっての脅威と見なしている。
 2008年に旧ソ連の一部であったジョージアがNATO加盟を希望したことに激怒したプーチンはジョージアに侵攻。2014年にはウクライナの親ロシア政権が崩壊。親西欧政権誕生に危機感を募らせたプーチンはクリミア半島を占領。このときはウクライナの抵抗はほとんど無く、作戦は数日で完了。西側は経済制裁を実施し、関係が悪化。

【2】ロシア正教
 キエフ大公国は988年にギリシャ正教を採用。ロシアは現在自分をギリシャ正教(ロシア正教)の本山と考えている。
 東方教会はコンスタンチヌス大帝以来の伝統で、世俗の君主が「神の代理人」となる傾向がある。西方教会の教皇の地位を皇帝が担った。ロマノフ朝でもしかり。ソ連時代は共産党政権がキリスト教を迫害。教会は迫害を恐れて共産党政権に追随することを選んだ。ソ連崩壊後、ロシア正教を共産主義の代わりに国家のイデオロギーとする。プーチンはロシア正教会を支配。教会は全く政権批判をしない。

【3】ロシアの実力
 ロシアは国土面積では政界最大。人口は約1.4億人。GDPは韓国並みで日本の約3分の1、アメリカの10分の1以下。かっての超大国の姿はない。

【4】今回の紛争の経緯
 ウォロディミル・オレクサンドロヴィチ・ゼレンスキー(1978年生まれの44歳)は2019年に大統領選出馬。2021年に政権誕生。政治姿勢はポピュリストとされる。ユダヤ系でロシア語は堪能で英語も話すという。東部のドンパス紛争で主権が侵害される中、ゼレンスキーがNATO加盟と2014年に奪われたクリミア半島奪還を宣言したため、プーチンは2022年2月24日にクリミア侵攻を開始した。プーチンの目的はウクライナのNATO加盟阻止と親露傀儡政権の樹立にあると言われる。ロシアに屈しないゼレンスキー大統領の姿勢は国民に支持され、軍事侵攻以前の2月23日時点での支持率41%は侵攻後91%に上昇したという。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると4月8日時点で、ロシアの侵攻を受けて国外に避難した人の数は444万人あまりという(総人口4300万人余、面積は広く、日本の1.6倍でフランスよりも大きい東欧の大国)。

ウクライナの位置(2022年2月23日時点)

 

 

 

 

 

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