カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

巨大な浦賀ドックに驚く

2023-05-28 08:46:05 | 観光


 従兄弟が「咸臨丸子孫の会」の関係者ということで「咸臨丸フェスティバル」に初めて顔を出してきた。フェスティバルは要は地元のお祭りで、咸臨丸は浦賀を出港したということだけのことで、お祭りとはあまり関係ないようだった。吹奏楽団が入ってなにか式典がおこなわれていた。

 従兄弟は幕府遣米使節随伴艦の咸臨丸測量方(士官)の小野友五郎広胖(1817-1898)の末裔だ。咸臨丸は最初に太平洋を渡った日本の船と言うことで広く知られている。出港は1860年1月のことだったという。
 勝海舟、ジョン万次郎、福沢諭吉など歴史上の人物の名前は知られているが、小野友五郎も重要な人物だったらしい。測量士というよりは幕末の数学者として知られているようだ。船上での勝や福沢は小野からは頼りなく見えたようだ。

 わたしは咸臨丸よりは「浦賀ドック」に興味があった。レンガ造りのドライドックまたは乾ドック(1899年建造)で残っているのはここだけで、1世紀にわたって1000隻を超える艦船をつくってきたという。その巨大さに驚くとともに、用いられたレンガがフランス式からイギリス式に変わるなど興味深い説明もあった。特に「盤木」(ばんぎ)の説明は面白かった。盤木の下のコンクリートには穴が開いていて、これで巨大な船の位置の微調整をしたという。ドックゲートは前傾式で開閉したらしく、海面との位置関係が不思議な印象を与える。予備知識があればもっと楽しめたことだろう。

【浦賀ドック】

 

 

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知覧・無言館・靖国遊就館・広島平和資料館

2023-05-25 20:56:08 | 観光

 全国旅行支援がもらえるというので鹿児島にツアー旅行にでかけた。旅行代金に1万円の補助と、クーポンが3000円もらえるという誘惑に負けた。天候にも恵まれ、種々の温泉を堪能した。いくつかハプニングもあり、印象深いツアーだった。

 ツアーの同行者は70歳代の方が中心だったが、戦前生まれの方(ほぼ80歳代)も6組近くおられ、ツアーには珍しく最初から打ち解けた雰囲気が心地よかった。色々なところを廻ったが、結局は知覧の特攻平和会館の印象が強かった。ホテルでの夕食時の話題は多岐にわたったが最後は知覧の印象に戻った。特攻はなかなかセンシティブな話題なので皆さんの話しぶりは慎重だったが、結局は、知覧特攻平和会館と、上田の無言館、靖国の遊就館、広島の平和記念資料館の与える印象との比較の話が多かった。私自身は、どこも訪ねたのは随分昔のことだが、どれも印象は鮮烈に残っている。展示の仕方はどこでも変化しているのだろうが、与える印象はそれほど変わってはいないのではないか。
 とはいえ、受ける印象は館によって全く異なる。展示の良し悪しよりは(1)、展示の趣旨が、意図が異なるからだろう。今は死語だがあえて保守・革新というカテゴリーを用いるなら(2)、どちらの陣営の人に語りかけようとしているのかが与える印象の違いを生み出しているのかもしれない。どの館でも使われている平和という言葉の意味が異なっているようだ。

 テーマは重いものだが、皆さんの話は暗いものではなかった。なぜか。80歳代の人々は、東京大空襲も原爆も体験していないけれど、思いは共通だった。つまり、いま自分たちが住んでいる、この現代日本は、かって子供時代に自分たちが知っていた日本とは、別の国になっている、という思いだ。これが同じ日本国なのか、という思いは共通なのだろう。現代の日本は、色々問題はあるが、豊かな国になった。明日の食べ物を心配する必要がない。だが先の戦争でなくなった方々にどのような言葉で語りかけたら良いのか、われわれはまだ共通の言葉を見いだせないでいるようだ。

【展示】

 

 


1 展示品が、遺書中心か、絵画中心か、収蔵品か一式戦闘機か、など展示品の違いも与える印象の違いを生み出しているのかもしれない。
2 宇野重規『日本の保守とリベラル』(2023)は、右・左ではなく、保守・革新ではなく、伝統・近代ではなく、保守・リベラルという軸で戦後思想を整理しようとしている。現代日本のイデオロギー論としての有効性はあまりはっきりしなかった。

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2023年の初ホタルを5月15日に確認した

2023-05-15 21:32:23 | 


 2023年度のホタルを先ほど1匹確認した。5月15日月曜日午後7時半頃、前の川を一匹飛んでいた。
 今日は雨模様で天気は悪く、気温も低いので全く期待していなかったが、念のため外を見たら飛んでいた。例年より少し早まっているようだ。上流ではすでに発生しているかもしれない。明日から暖かくなるという天気予報なので、今月一杯はホタルを見られることであろう。

【ホタルを初めて観測した日】

2023年 5月15日
2022年 5月18日
2021年 5月14日
2020年 5月13日
2019年 5月16日
2018年 5月15日
2017年 5月12日
2016年 5月12日
2015年 5月17日

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愛の抗体 ー エゴはコロナより悪質なウイールスだ (司教ミサと堅信式)

2023-05-14 17:35:26 | 教会


 今日の復活節第6主日は当教会では司教ミサだった(1)。つまり堅信式だった(2)。5人もの方が堅信を受けられた(3)。実に五年ぶりだったような気がする。
 ごミサに出た人も200人近かったのではないか。久しぶりに元のミサに戻ってきた印象を受けた。現在の信徒数1454名から見れば喜べる数ではないが、U司教さまのご来訪を喜ぶ人たちがよくこれだけ集まったと思う。
 ミサ後の茶話会も盛大だった。天候が良くなかったので室内での茶話会だったが、司教様や神父様にご挨拶する人の行列が絶えなかった。

 司教様のお説教は興味深いものだった(4)。今日の聖書朗読の箇所を丁寧に説明なさっていたが、主な話しはコロナ禍後の教会の在り方についてだった。2020年7月に緊急出版されたフランシスコ教皇の『パンデミック後の選択』(5)を下敷きにお話しされているように聞こえた。要は、現代社会に巣くうエゴイズムや無関心はコロナよりも悪質なウイールスであり、この悪質なウイールには「愛の抗体」を持って立ち向かわねばならないというお話しだった。教皇様は「ワクチン接種は倫理的行為」とつとに仰っていた(6)。そのコロナよりも悪質なウイールスと戦うことを忘れてはならないというお話しであった。時宜を得たお説教だった。

【堅信式】


1 司教ミサが司祭のミサと異なるわけではなさそうだが、それでも現在は復活節でもあり、少し違いを感じた。歌ミサで、振り香が焚かれた。堅信式は共同祈願の前に挟まれ、信仰宣言はなかった。閉祭での派遣の祝福も少し異なっていたような気がする。
2 堅信は「第二の聖霊降臨」と言われるそうだ。堅信は、聖霊が与えられる秘跡だ。英語では Confirmation と言うらしいが、信仰を確認する儀式という意味だろう。幼児洗礼の場合にはどうしても早めに必要になる。
 今日の第1朗読は使徒言行録8:5~8,14~17。ここは堅信を表現しているのだという。近頃は堅信式でも堅信名をいただかないようだ。なにか意味があるのかもしれない。成人洗礼の場合には堅信も一緒にしてしまうこともあるようだ。
 聖霊降臨はペンテコステと呼ばれるようにキリストの復活から50日後の出来事で、教会が始まった日だという。つまり、教会の誕生日ということになるようだ。今年は再来週の日曜日、5月28日にあたるようだ。堅信式は司教様しか出来ないと言われていたが、現在は教区の合同堅信式もよくおこなわれるようだ。
3 コロナ禍で堅信式の機会が無く、堅信を受けた人のなかには女子高校生もいた。大分待たされたと言うことであろう。
 聖霊の派遣(または降臨)の出来事は、ヨハネ14章にでてくる。今日は15~21節が読まれた。16節に「父は別の弁護者を使わして・・・」とある。この弁護者が聖霊だとされる。弁護者というのも解りづらい訳語だが、原語はパラクレート(そばに呼ばれた者)。ドイツ語はder Anwalt と言うらしいから、弁護士とか代弁者のことか。英語では lawyer とか attorney というらしい。これもあまりピンと来ない訳語だがどうだろうか。聖霊論はカトリックと正教をわける大きな分水嶺なのでなにか良い訳語が欲しいところだ(坂口ふみ『〈個〉の誕生ーキリスト教教理をつくった人々』1996)。
 司教さまは冗談交じりに、堅信式を教会にさよならする日にしないで欲しい、と語っていた。堅信を受けると安心して、また部活や塾で忙しくなって、教会から離れる若者が多いという現状をさしたものだ。そうならないことを願うが、万一そうなったとしても、教会はいつでも戻ってこれる場だと言うことを忘れないで欲しいと思う。
4 U司教は若くして司教に任命され、司教職は長いがまだ年齢はお若いようだ(恐らく70歳前後)。日本の司教団ではおそらくNo.2か3という重要なポジションにおられるようだが、それほど過激な主張はなさらない方のようだ。お説教も人柄そのままで穏やかで心温まるものであった。当教会の新任のM神父様を気遣っておられる様子がよくわかった。
5 原題は、Life after the Pandemic。直訳だと「パンデミック後の生活、生き方」となる。邦題は『パンデミック後の選択』とされている。良い訳語だと思う。ちなみにこの本には8つの文書が収められている。①「なぜ怖がるのか」、②「コロナ後への備えの重要性」、③「新たな炎のように」、④「目立たぬ兵士たち」、⑤「再起計画」、⑥「エゴイズム―より悪質なウイルス」、⑦「ストリートペーパー関係者へ」、⑧「地球規模の問題を乗り越える」。印象に残った言葉をあげてみる。
「今はエゴイズムの時ではありません」
「今は分裂している時ではありません」
「無関心、利己主義、分裂、忘却、どれも今は聞きたくありません」
6 ワクチン接種に反対する論者がクリスチャンにも多かったことは承知している。確かに一部の専門家の意見を盲目的に取り入れ、莫大な予算をつぎ込んできた政府やメディアの言動は今後厳しく検証されるべきだろう。だからといってワクチン接種を否定することはできない。すでに6回目の接種が始まっている。

 

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