カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

教会職階制の始まり ー 教会論(8)

2020-01-29 10:02:47 | 教会

 第9章に入る。タイトルは「新約聖書に見られる教会制度の確立」である。教会は、父と子と聖霊によるものではあるが、人間の集まりでもあるので、組織化がおこる。教会の職階制がどのようにして成立していったのか。新約聖書の描写から整理する。

Ⅰ 使徒の権威と教会の制度化

1 教会は使徒の権威によって成立した。最初の教会は使徒の教えと指導によって統一を保った。教会にとり「使徒性」は本質的である。

2 使徒の教会から使徒的教会へ

 使徒がいなくなった後、後継者が使徒性を継承した。使徒の教会(eclesia apostolorum)から 使徒的教会(aclesia apostolica)へと転換が起こる。使徒の権威を土台として規制が始まり、組織化がすすむ。教会が制度として確立し始める。

3 教会は「神の家」とされる

 コリントⅠ・Ⅱは神の家が神の民であると説く。エフェゾ2:20~22 は、教会は使徒の上に建てられた家だという。
 あまり読まれることのない Ⅰテモテ3:15 ほつぎのようにいう。「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」(協会共同訳)。

4 使徒性の委託の連鎖がある

  神からパウロへ パウロからテモテへ(Ⅰテモテ1:11) テモテから他の教会指導者へ(Ⅱテモテ2:2) へと使徒性が伝えられる

5 指導体制と按手 

 教会の指導体制が、統治形態が作られてくる。

 監督 Ⅰテモテ3:1~7
 執事 Ⅰテモテ3:8~12 (奉仕者)
 長老 Ⅰテモテ5:19~

 普通、監督は「司教」、執事は「助祭」、長老は「司祭」と読み替えられるようだ。これは教会の組織の在り方として「監督制」と「長老制」の区分につながる。職制ともいわれる。「監督」と「執事」が、つまり司教と助祭が「監督制」を構成し、「長老」が「長老制」を構成していく(1)。

 この指導体制の構成要素に「按手の制度」がある。監督(司教)によるこの按手の制度によって使徒性が切れ目無く受けつがれてゆく。「使徒継承」と呼ばれる。具体的には祝福・聖霊の授与・病気治療などをさす。


(祭服)

 


Ⅱ 奉仕職の制度化

 当初は教会の役務はカリスマの奉仕職であった。使徒・預言者・教師(使信を伝え・解釈し・説明する者)たちだ(Ⅰコリント12:28)。やがてこのカリスマによる奉仕職は制度化された奉仕職へと変化していく。

Ⅲ 制度的職制の発端

 監督(エピスコポス)と執事(ディアコリス)はもともとはヘレニズムの制度であり、長老(プレシビュテロス)はユダヤ的制度であった。
 使徒行録6:1~6によれば、7人の執事はみなヘレニスタで、主の兄弟ヤコブは長老の長だった。やがてこのヘレニズムの制度とユダヤ的制度が混合して、「司教ー司祭ー助祭」という「職階制」が生まれてくる。

Ⅳ 教会の制度化の3要素

 したがって教会の制度化には三つの要素があるという。

①ケリュグマ(福音の教え)
②信仰の秘義(秘跡と典礼)
③奉仕職

 教会の制度化はこの三つの側面で進んでいったという。岩島師は、制度化を福音の精神からの逸脱とする議論は誤りで、制度化は教会が存続するためには必然だと強調する。これは次章のカトリック教会の職階制批判に向けられた言葉のようである。

 第10章は「イエス・キリストによる教会の設立」と題された短い章である。内容はK・ラーナを使ったR・ブルトマン批判(2)である。

①R・ブルトマンの説:教会の制度化は霊的秩序からの堕落であり、職制は本質的なものではない
②K・ラーナーの反論:キリスト教の歴史性からして、救いの制度的仲介の必要性がある

 岩島師は、新約聖書期の教会の職制化は、教会の一種の「自己決断」だったという。生前のイエスが「聖職者位階制」を定めたわけではない。だがそれは啓示によって惹起され、歴史的に形成されてきた。だから教会は本質的に職制を持つ。そして教会はイエスの復活の土台の上に建てられたのであり、「その意向からも実質からもイエスをその創立者と見るのが適切である」という。

1 これも論じだしたらキリが無い。長老制は一般的には「段階的な合議制」をとる。監督制は「監督」が「執事」の上にあるという制度。カトリック教会のみならず、東方教会、聖公会、ルター派にもみられる。組織は位階制となる。
 エピスコポスは英語では bishop であり、日本語では、司教・主教・監督などと訳される。カトリック教会は司教と訳す。これは職位だが、長老制では長老は職務であって職位ではないとされる(長老制では長老が牧師の任免権を持つ 監督制では信徒は司教・司祭の任免権を持たない)。
 現在ではこの職制なり教会統治は、①監督制 episocopacy  ②会衆制 congregational  ③長老制 presbyterian の3種類にに大別するのが一般的だ。監督制はカトリック教会のように司教のみが運営にあたる、会衆制は聖職者による統治を排し信徒による直接的な統治を目指し、長老制は牧師と信徒代表である長老が共同でおこなう。聖書に基づく教会の在り方に最も近いのは長老制だとしたのはカルヴァンである。プロテスタントでは長老派は改革派の一部という理解もあるが、別だという説もある。「ウエストミンスター信仰告白」をとれば、イギリスやスコットランドでは長老派教会は改革派とは別になるようだ。

(教会統治の類型)

出典は八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』2012 41頁


2 R・ブルトマン(1884-1976)はバルトとならぶ20世紀を代表するプロテスタント神学者。福音書の「様式史的研究」は、聖書研究の「非神話化」の方法と呼ばれているようだ。
 K・ラーナー(1904-1984)はカトリック神学者。「無名の(匿名の)キリスト者」論であまりにも有名。第二バチカン公会議を主導した。特に日本の司祭や神学者に与えた影響力は圧倒的だと言われる。粕谷甲一師はその代表だろう。

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霊の被造物 ー 教会論(7)

2020-01-28 10:37:57 | 教会

 1月の学びあいの会は岩島師の教会論の第3回目である。「新約聖書における教会の自己理解(3)」となる。岩島師は、新約聖書における教会の自己理解は、①神の民 ②キリストの体 ③霊の被造物(聖霊の神殿) の3点からなるという。今回はその③で、本(1)で言えば第8章にあたる。

 第8章の主張は、教会は霊によって成り立っている、というものだ(2)。ヨハネ、ルカ、パウロの三人の説明の仕方が紹介される。  聖書の引用部分はいつものように参加者全員で読み合わせた。あまり読んだことのない引用箇所もあり、これはこれで勉強会の楽しみである。

 

Ⅰ ヨハネ

 ヨハネはキリストにおいて与えられた新しい生命、信仰体験を伝える。「イエスの時」と「教会の時」が明確に区別される。

「聖霊を送る」(14:26~27 15:20~27)

「聖霊を受けよ」(20:21~23)

 教会を動かしているのは霊であるという主張がくりかえされる(19:34~35)。

Ⅱ ルカ

 ルカもヨハネと同じように、キリストの時代と聖霊の時代を区別する。教会の時代は、イエスの時代と週末との間ので、聖霊が支配する時代とされる。洗礼、聖餐、使徒職などはすべて聖霊によって与えられる。

使徒行録 9:31,ルカ 11/13,12:12

Ⅲ パウロ

  1 霊の教会

 パウロは、霊の教会を二つの意味で使っているという。 ①霊によるキリスト者の新しい実存 パウロによる霊(プネウマ)と肉(サルクス)の区別は、霊魂と肉体の区別ではなく、神からのものと人間全体との区別を意味している ②霊の建物としての教会 霊による教会の実存(Ⅰコリント3:16~) 霊は教会の土台(Ⅰペテロ 2:4~7)

2 カリスマの教会

 カリスマの教会論は今日再び注目されている。固定的な制度的教会論から信徒のカリスマの教会論への変化が起こっているという。

 カリスマとはパウロのことばで、神からの賜物を意味する Ⅰコリント12・14章、ロマ12章とくにコリント12章は重要だ。カリスマとは、「知恵の言葉、知識の言葉、信仰、癒やしの賜物、奇跡をおこなう力、預言する力、霊を見分ける力、異言を語る力、異言を解き明かす力」と説明されている(3)。岩島師は次のように整理している。

①カリスマの種類 (Ⅰコリント12:28~)

1 福音宣教に関するもの:使徒・教育者・教師

2 奉仕に関するもの:補助者・管理者・寄付・慈善

3 共同体指導に関するもの:牧者・監督・執事

 

②カリスマの序列 (Ⅰコリント 12:28~)

1 使徒 2 預言者 3 教師 4 力あるわざを行う者 5 癒やしの賜物を持つ者 6 補助者・管理者・異言を語るもの

③カリスマと役務

 カリスマと役務を対立するものと考えるのは誤りである。カリスマの根源は神の霊であり、その目的は教会への奉仕、キリストの体の建設である。カリスマは聖職者だけではなく、信徒にも与えられる。

 岩島師のこの説明は聖霊の神殿論なのだがあまり詳細な説明ではない。興味深いのはカリスマの説明だ。カリスマ論はもう少し詳しい展開が欲しいところだ。

1 『キリストの教会を問う ー 現代カトリック教会論』 サンパウロ 1987

2 岩島師は「霊」という言葉を使っている。「聖霊」と区別した用語なのかどうかはわからない。霊は pneuma(ギリシャ語)プネウマ のことであろう。聖霊は、「神の霊」「復活したキリストの霊」の意で(pneuma hagion、 Holy Spirit)、三位一体の神を指す場合が多いと思われる。新約聖書には明確な三位一体論はなく、プネウマとは「風」、「息吹」のことを指している、というのなら、あえて聖霊ではなく霊と呼ぶのも解らなくもない。なお岩島師は最近の講義では聖霊という言葉を使っておられるようだ。また、『広辞苑第7版』は霊と聖霊を区別し、霊を「精神的実体」「たましい」「たま」と説明している。

3 このような原意から転じて、M・ヴェーバーによりカリスマ概念は大衆を魅了する超自然的な能力を意味するようになり、一般的に使われるようになった。「カリスマ的支配」という支配類型論、「カリスマの日常化」という組織論を社会科学を学んだもので知らぬものはいないだろう。ちなみに社会学辞典では、「非日常的・超自然的な資質・能力」などと定義するものが多い。広辞苑では「超人間的・非日常的な資質」と定義されている。

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パウロがキリスト教を作ったのか ー 神学講座2020(2)

2020-01-19 21:59:14 | 神学

 第1章はパウロである。「パウロ ー キリスト教の世界宗教への夜明けー」と題されている。本章の論点は多岐にわたるが、ポイントは、パウロがキリスト教の本来的な創始者だという例のニーチェ的言説を批判し、キリスト教をユダヤ教から切り離したのはパウロではない、それはエルサレムの第二神殿の破壊(紀元70年)後の他の人々であった、と主張している点だ。パウロは、ファリサイ主義は放棄したが、キリスト教徒としてユダヤ教を放棄したのではない、という。キュンクは、ユダヤ教徒としてのパウロ神学を強調するがゆえに、カトリック教会の職階制、教皇首位性、教皇無謬性を批判的にみているようだ(51頁)。

 

 

Ⅰ キリスト教徒とユダヤ教徒の間で最も争点となる人物

 キュンクはまずパウロを「使徒」と呼んでいる。ユダヤ教にとり「背教者」、キリスト教にとり「使徒」、という位置づけだ。パウロが争点の中心になるのは、パウロの「回心」事件だ。パウロはイエスを知らない。直接の弟子でもない。むしろキリスト教徒(そういう呼び方あったかどうかわからない。パウロは「聖なる者」と呼んでいる コリント1:2)の迫害者だった。だがやがて回心後ペテロたちと話し合うことを通して、生きたイエスの姿と教えを知ったのであろう。

Ⅱ 生の方向転換ー時代の方向転換

 だがパウロは回心した。この回心がなぜ起こったのか。いろいろな説明があるのだろうが、結局は「啓示」だったのだろう。パウロ自身にとっては、「回心」というよりは、むしろ「使徒への召命」、しかも「異邦人伝道への召命」だった(21頁)という。
 パウロの回心は世界史的意味を持っている。「時代の方向転換」を引き起こした。キリスト教の最初の「パラダイム変換」を引き起こした。「ユダヤ人キリスト教からヘレニズム的な異邦人キリスト教への転換」を開始したのだという。もはや、ユダヤ教的な割礼とか、食物規制とか、安息日規制を守らなくとも「神」に近づくことが出来るようになった。「律法から福音へ」というとなにかスローガン的になるが、パウロの回心によってキリスト教は変わり、西欧世界に巨大な変革をもたらした。
Ⅲ イエスに関心は無い?

 ではパウロのこのイエス理解は正しかったのか。それともパウロが理解したイエスは、イエス自身が望んでいたものではなかったのか。
 パウロはイエスの「死」よりも「十字架」を重視する。また、「肉によるキリスト」よりも「霊によるキリスト」を重視する。パウロは性格的にも激しい人だったようだ。かれは、律法か福音か、とか、信仰か行為か、とかを論ずる「神学者」ではなかった。かれは「伝道者」だった。

Ⅳ パウロをイエスに結びつけるもの

 パウロの伝道活動は初期キリスト教に革命的な変化を引き起こした。パウロは自分を「使徒」だと自認していた(1)。自分はイエスに「結びついている」と言っている。キュンクはパウロの宣教活動のキーワードとして以下の七つあげている。神の国・罪・回心・啓示・普遍主義・義認・愛 の七つである。これらはパウロの13の書簡(2)をつらぬくキーワードだという。おのおのについて簡単な説明がなされている。

神の国:パウロは神の国は「すぐに」来るとユダヤ人と同じように考えていた イエスはもっと将来に眼を向けていた
罪:パウロは人間の罪深さから出発する それはアウグスティヌスのような原罪観ではない アダムとイブを対置して考えていた
回心:パウロはイエスの「死」よりも「「キリストの十字架」を重視する 
啓示:「イエスの暗黙的・事実的なキリスト論」から「教会のキリスト論」を成立させた
普遍主義:イエスのイスラエル普遍主義(そして潜在的な異邦人世界普遍主義)からイスラエルと異邦人の両方に関する普遍主義を発展させた
義認:義認は律法のわざに根拠があるのではなく、神への無条件の信頼(信仰)に基づく
愛:神を愛することと隣人を愛することは律法の事実的な実現であり、十字架の愛である

 パウロが自分を使徒だと自認するがゆえに出てきた主張なのであろう。

Ⅴ 同じ事柄
 
 パウロは、手紙から見れば、激しやすい性格で、皮肉好きだし、ひとを嘲笑する。敵も多かったであろう。だがかれは、新しいセクトを作ったわけではないし、なにか新しい宗教を創ったわけでもない。かれは一つの事柄しか主張しなかった。それは「イエス・キリストの事柄」だという。つまり、「イエス・キリストの光の下で徹底化された神理解」(33頁)だという。これが、パウロがユダヤ教の内部でなにか別のパラダイムを求めるというよりは、ユダヤ教とは別の宗教を求めさせた理由だという。

Ⅵ パウロはユダヤ教の律法に対立していたか?

 パウロの律法問題は現在でもキリスト教徒とユダヤ教の対立の源のようだ。キュンクは、パウロはルター的な対立図式「律法か福音か」をとっていないという。パウロは「トーラー」という言葉(ヘブライ語)を使っておらず、かわりに「ノモス」という言葉(ギリシャ語)を使って「法」(ハラハー)を意味していたという。パウロは律法を否定しているのではないという。

Ⅶ トーラーはなおも有効

 キュンクのルター派神学批判は厳しい。パウロを、キリスト教の図式(律法と福音)で読むのも、ユダヤ教の図式(律法の廃棄)で読むのも間違いだという。パウロにとって律法はトーラーのこと、モーゼ5書のことを意味していたという。パウロが批判したのは律法そのものではなく、律法の「わざ」、つまり、律法による「義」だったという。では、パウロの言葉としてあまりにも有名な「律法からの自由」とはどういうことなのか。

Ⅷ 原始教会で最も有名な争い

 それはいうまでもなく、異邦人伝道のパウロと、ユダヤ人伝道のペテロの争いだ。具体的には異邦人と食事を共にすることの是非をめぐる争いだ。パウロはイエスの考え方を踏襲しているとして頑として譲らない。「隣人を自分のように愛しなさい」はイエスの言葉ではなかったかという。パウロはペテロに劣らず激しい性格の人だったようだ。

Ⅸ 時代的制約

 だが、パウロの思想すべてがそのまま現代に通用するわけではない。具体的には、パウロの「女性観」(女性は男性の光を反映するものにすぎない)と、「国家観」(国家の暴力は神に由来する)である。これらは時代に制約された思想であり、現在は説得力をもたない。

Ⅹ 個人・民族・共同体への衝撃

 だが、現在でも引き続き生きているパウロの思想があるという。キュンクのパウロ理解の特徴だ。
① キリスト者は、日常生活で、世に耽溺してはならないが、世を捨てる必要はない
② ユダヤ人は神の選ばれた民族であり続ける
③ 教会は「愛の奉仕」の共同体で、ヒエラルヒー構造(教皇首位制や位階制)を持たない

 でも、それではまるで原始共産制みたいで、教会は組織として「統合と秩序」を守れるのだろうか。そういう素朴な問いに対して、キュンクは、教会は自由になるために召命を受けた人々の共同体だというパウロの言葉を繰り返す。キュンクな何を言いたいのか。

 キュンクは結論として「パウロは超人ではなかった」と述べる。パウロは、自分が人間であり、弱く、壊れやすいことをよく知っていた、という。キュンクが引用するパウロの最後の言葉はフィリピ3:12-14である。よく知られたことばである。
 「私は、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです・・・」(新共同訳)(3)。

1 コリント前書は、「神の御心によってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロ」という書き出しで始まる(Ⅰコリント1:1 新共同訳)
2 パウロの書簡は13通あるとされている。うち真正なものは7通らしい(ロマ書・ⅠⅡコリント・ガラテア・フィリピ・テサロニケ・フィレモン)。他の6通は弟子たちが書いたものらしく、「第二書簡」(エフェソ・コロサイ・Ⅱテサロニケ)と「第三書簡」(「牧会書簡」とも Ⅰ・Ⅱテモテ・テトス)があるという。第三書簡が書かれたのはずっと降って100年頃らしい。
 ところで、パウロの書簡はなにか各地の教会から送られてきた苦情や質問への返事・回答という形式をとっている。ではもともとの手紙はどこにあるのか。そんなものは存在しない(見つかっていない)。そこで元々の手紙はこうであったであろうとパロディー風に書いたのが、『拝啓パウロ様』(コリン・モリス著、石川重俊訳、ヨルダン社、1988 原題は Epistles to the Apostle - Tarsus Please Forward by Colin Morris 1974 )である。フィクションとノンフィクションが入り交じっているが真面目な読み物で、昔面白く読んだことを覚えている。著者はイギリスのメソジスト派の神学者。
3 パウロのからだには「とげ」があったという。今風に言えばパウロは身体障害者だったのかもしれない。だからこそかれの言葉は重く響く。「私の体に一つの棘が与えられました・・・力は弱さのなかで完全に現れるのだ・・・むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(Ⅱコリント7-9 聖書協会共同訳)。ちなみに文語訳では、「我は・・・肉体に一つの棘を与へらる・・・わが能力は弱きうちに全うせらるればなり・・・寧ろ大に喜びてわが微弱を誇らん」(岩波版文語訳聖書)。

 

 

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神学講座2020 ー H・キュンクを読む

2020-01-16 15:30:48 | 神学

 神父様が他教会に移られて、神学講座の講義がなくなってしまった。そこで友人と語らって勉強を続けようということになった。専門家のいない勉強会は不安が無いわけでもないが、おしゃべり会の代わりくらいになるだろうということで、勉強会を始めることになった。
 何を読むかだが、とりあえずキュンクから読み始めようと言うことになった。キュンクを取り上げる特別な理由はないが、第二バチカン公会議が終わって半世紀しか経たないのに、第二バチカン公会議の精神を否定するような議論が強まっている今日、この公会議に大きな影響を与えた神学者の一人であるキュンクが何を言っていたのか、もういちど思い返してみたい、というくらいの理由しかない。

 

 

 取り上げる本は、『キリスト教思想の形成者たち ー パウロからカール・バルトまで』(ハンス・キュンク著 片山寛一訳 新教出版社 2014)である。原著は Grosse christliche Denker by Hans Kueng 1994 である。勉強会にはドイツ語に堪能な方もおられるが、著者は西欧中世哲学の著名な専門家なので、日本語訳のみを読むことにした。

 キュンクの評価は現在でも定まっていないようだ。かれは第二バチカン公会議においてエキュメニズムの思想を主導し、カトリック教会が「世界に開かれた教会」であることを宣言したことは高く評価されている。もちろんエキュメニズムそのものに疑念を持つ人も教会の中にもいるので、そういう人たちはキュンクの評価は低いだろう。
 もう一つキュンクの評価が分かれるのは、キュンクが教皇無謬説を退け、公会議首位説の立場に立つがゆえにヨハネ・パウロ二世(在位1978-2005)によって教会から遠ざけられたからであろう。異端ではないが「逸脱」とみなされたようだ。その後のベネディクト16世(在位2005-2013)による「叱責」と「賞賛」は興味深い話だが、それは勉強会のなかで触れられるかもしれない。その意味では本書が1994年に出版されているということを覚えておこう。キュンクは1928年生まれだがまだ健在なようだ。

 本書は、「神学への小さな入門書」と題されている。「比較的やさしいキリスト教神学への入門書」だという。つまり、カトリックだとかプロテスタントだとかいうのではなく、「キリスト教思想家」の紹介である。

 取り上げられる思想家は7人だ。パウロ、オリゲネス、アウグスティヌス、トマス・アクィナス、マルチン・ルター、フリードリヒ・シュライエルマッハー、カール・バルト だ。なぜこの7人かとか言い出したらキリが無いが、名前は知っているがちゃんと読んだことはないわれわれにとっては格好の解説書だろう。
 ところがキュンクは「序文」で、本書を神学の「解説本」として読んではならないと言っている。さてさてどうするか。まず、「序文」を覗いてみよう。

序 ー 神学への小さな入門書

 本書は「キリスト教神学への入門書」とされている。本書のタイトルは『キリスト教思想の形成者たち』と訳されているが、原題は直訳すれば『偉大なキリスト教思想家』である。つまり本書は「思想家」を通して浮かび上がる神学を取り扱っている。神学者の紹介というよりは、思想家の紹介という意図があるようだ。

 では、「偉大な」とはなにか。偉大というのは、、神学を作ったとか、後世への影響力が大きいとかいう意味ではないという。それは「それぞれの時代を代表する」からだという。さらに、「偉大な」とは、自分の理念ではなく、神の言葉を語っているからだという。教会史や世界史のなかの評価ではない。「キリスト教的使信」を語っているか、「み言葉の奉仕者」になっているかどうかが、「偉大さ」の判断基準だという。いかにもキュンクらしい言い回しである。

 本書が使う方法論は「叙述と批判」だという。7人の思想家は、たんに世界の新しい解釈の仕方を示してくれただけではない。かれらは世界を変えた。だから彼らの生涯や思想を描写し、要約することは簡単ではない。叙述は、かれらにとって「中心的であった事柄」を析出し、批判的に「結び合わす」ことだという。だから、本書は「彼らの著作を読むことの代用にはならない」(11頁)という。彼らの著作そのものに飛び込めと言う。

 そうはいわれてもわれわれにはなかなかすべて読むことは出来ない。ここはキュンクがこれら7人の思想家のどのような主張を「中心的な事柄」と捉えたのかに注目しながら読んでいきたい。7人の思想家の思想の内容を、神学を、理解することも重要だが、この勉強会の最後の目標は、結局キュンクの視点の特徴はどこにあるのか、を理解することにあるからだ。
 ちなみに、F・カーはその著『二十世紀のカトリック神学』(2007)のなかで、キュンク神学の特徴を、バルト論・エキュメニズム論・公会議首位主義説・教皇不可謬説批判・グローバリズム論として整理している。

 

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石の神殿と聖霊の神殿 ー 教会論(6)

2020-01-06 12:35:04 | 教会

 岩島師による教会論「新約聖書における教会の自己理解」の続きである。師によると、教会論とは教会の自己理解の展開の歴史のことである。新約聖書における教会の自己理解は主に4福音書、使徒言行録、パウロの書簡のなかに見いだされる。この自己理解には、①神の民 ②キリストの体 ③聖霊の神殿 という3つの理解の仕方があるという。新約聖書の教会観には3種類あるといってよい。今回はこの第三の教会論、聖霊の神殿 という理解の仕方の特徴をみてみよう。

 

 

 岩島師の説明に入る前に、お弟子さんの増田祐志師の説明と、フランシスコ教皇の説明を見ておきたい。そうすることで、岩島師の説明の特徴がはっきりしてくると思われるからだ。

 増田師は神学的な教会論よりも歴史のなかの教会を重視する。フランシスコ教皇は旧約の教会論(石の神殿)と新約の教会論(聖霊の神殿)を対比的に説明している。

 まず、増田師は、岩島師と異なって、「神の民」「キリストの体」「聖霊の神殿」という教会論は、「超越的次元を含む神学的考察の対象」であり、教会の自己理解の展開としての歴史の考察とは異なると主張している(1)。師はそれを「教会のシンボル機能」と呼んでいる。教会を現代でも理解可能にするためにイメージやシンボルを用いて教会を表現するのだという。教会観の議論はシンボル論だというわけだ。これはこれで興味深い議論だが、「秘跡」も「シンボル」だというのは言い過ぎの気もするがどうだろうか。増田師はシンボル分析よりは歴史分析を強調する。つまり、神学的な聖霊の神殿論はほとんど展開されていない。

 増田師の教会論の特徴は、教会は「人間集団という社会的現実であると同時に神という超越的存在と結びついている神学的現実が共存する統合された一つの共同体」(2)だという点にある。つまり教会は「二重構造」を持った存在として捉えている点にある。教会を共同体と定義しながら、同時にそれが二重構造を持つという指摘は、増田師の教会論の特徴と思われる。

 従ってかれが分析する際に使う方法論は、「社会学的・歴史的アプローチと神学的アプローチの両方」の二つだ。教会をプラトン的な「イデア的実在」とみなすのではなく、「具体的な歴史のなかに存在するもの」として把握しようとすると、この二つが必要となるという。 そして分析する際の「観点」として、「自己理解の展開としての歴史」と「秘跡性というシンボル機能」の2点が指摘される。

 つまり、教会論を教会の自己理解の展開の歴史として捉えるところに増田師の特徴がある。これは増田師が岩島師から受けついだ「観点」であろうが、同時に発展も見られる。。師はこの観点を「アイデンティティー論」をベースに展開するのである(3)。「自己理解やアイデンティティは常に他者との関係性のなかで確認され、必要な修正が施される」とし、この「アイデンティティを深化させるために採用・吸収し(典礼や位階制)、別のあるものはアイデンティティを危機にさらすものとして拒否した(異端思想)」という。教会はこうして「自己同一性を保持してきた」という。こういうアイデンティティー論に基づいた教会論は珍しい。

 では、その自己理解の展開としての歴史とはなにか。師の著作『カトリック教会論への招き』の大半(1章から6章まで)は、この歴史論である。

 増田師によると、新約聖書の編集がほぼ終わって教会が成長する教父時代までは、つまり、二世紀から五世紀までの教会観は多様化した。様々な教会論が登場した。結局はアウグスティヌスの教会論として完成し、ニカイア公会議(325)を経て「ニカイア・コンスタンチノポリス信仰宣言」で教会は「一・聖・普遍・使徒継承」であると宣言された。この教えは現在まで変わらず続いている。だがこういう教会観はやがて「教皇制の増大」という結果をもたらす。教皇権が強化されてくる。7世紀初頭、レオ1世・グレゴリウス1世は「大教皇」と呼ばれるようになる。教皇が教会のシンボルとなり、これは現代でも変わらない。

 中世から近代にかけては、つまり、6世紀から宗教改革の16世紀までは、キリスト教世界の形成・確立・変貌の時代であり、教会観は分裂する。まず、叙任権闘争を巡って教皇と皇帝が対立し、「カノッサの屈辱」に勝利したグレゴリウス7世は改革を断行していく。教皇首位権が確立する。このグレゴリウス改革はやがて異端運動を誘発し、同時に托鉢修道会が盛んになる。やがてスコラ学派(トマス・アクィナス)の教会論が確立する。他方、東西の教会が分裂し(1054)、カトリック教会も「アビィニヨンの捕囚」を含む「教会大分裂」(1378~1417)を経験し、宗教改革の前史が始まる。

 教会論から見れば、近代は宗教改革から始まり、対抗宗教改革としてのトリエント公会議で「制度としての教会論」が定着する。啓蒙思想の時代、革命の時代(フランス革命・産業革命)を経て第一バチカン公会議まで教会は近代主義(4)と対抗するのに精一杯で教会論は発展しなかった(5)。20世紀前半に入って第一バチカン公会議が開かれるとやっと「キリストの神秘体」(キリストの体)という新たな教会論が登場してくる。そして、保守からの脱皮を目指した第二バチカン公会議は「新しい神の民」教会論を提示してくる(6)。

 このように増田師は聖霊の神殿としての教会というテーマには直接的には触れてこない。では師は、教会と聖霊との関係をどう捉えているのか。
 師によると、教会はたんなる人の集まりや共同体ではない。それでは社会集団の一つに過ぎない。また、階等制をもつ組織だけでもない。それでは企業と変わらない。いわば信徒と司祭だけでは教会は成立しない。教会は聖霊の存在を必要とする。

 教会の誕生は「聖霊降臨」(ペンエコステ)(使徒言行録第二章)の時からとされてきた。イエスの弟子たちはイエスの死をみてバラバラに分解してしまったが、イエスの復活を体験して、根本的に変わる。この復活体験が弟子たちを使徒に変えていく。聖霊は教会の「超越的性格」をあらわす。この聖霊はなにか魔術的なものではなく、人間一人一人に内在する「働き」である。こういう聖霊の超越性と内在性によって弟子たちはふたたび集められ、派遣されたと思った。教会は「イエスの霊において形成された共同体」であり、「イエスの霊のイニシアティブによる神の被造物」だという(7)。増田師の歴史的教会論はここまでで、「聖霊の神殿」論にはふみこまない。それはシンボル論だという位置づけのようだ。

 次に、フランシスコ教皇の聖霊の神殿論をみてみたい。これは教皇さまの一般謁見演説らしく、わかりやすい教会論だ。フランシスコ教皇は、教会は「神の家」だとし、その特徴を旧約の「生きた石の神殿」と新約の「聖霊の神殿」を対比させて説明している(8)。長くなるので要約は控えるが、「注」に転載しておいたので、興味のある方は、原文を直接お読みいただきたい。

 そこで、元に戻って、岩島師の聖霊の神殿論を次回みてみよう。岩島師の特徴がくっきりと浮かび上がってくる。


1 増田祐志『カトリック教会論への招き』2015 63頁
2 同上 24頁
3 私はかって若い頃エリクソンを翻訳してアイデンティティー論を日本に紹介したことがある。増田師がエリクソンを読んでいたかどうかはわからないが、かれのアイデンティティー概念の理解は妥当だと思う。E・H・エリクソン 『アイデンティティーー青年と危機ー』 金沢文庫 1973年
4 実際には教会には公会議を開く力がなかったのかもしれない。トリエント公会議(1545~63)から第一バチカン公会議(1869~70)まで約300年間かかっている。
5 「近代主義」とは曖昧な表現だが、ここでは、1910年にピウス10世によって出された自発教令「サクロールム・アンティスティトゥム Sacrorumu Antistitum」(「反近代主義者の誓約」)を思い出してみよう。これは第二バチカン公会議後の1967年に廃止されるが、20世紀前半の教会論の基盤になっていたようだ。この「誓約」は、現在はなかなか手に入りにくいが、探せばどこかで見つかるだろう。ここでは近代主義思想が6項目にわたって批判されている。基礎になっているのは「相対主義」批判のようだ。
 カントなどを考えれば近代主義哲学の中核を相対主義に置くことには躊躇するが、教会論では相対主義批判は強かった。今でも強いと言って良いだろう。相対主義とは、ものの見方は相互に相対的で相互依存的であり、思想の歴史的・文化的被拘束性を強調する。認識論で言えば主観主義を導きやすい。他方、真理は歴史的・文化的文脈には依存しないで存在するという考え方は絶対主義と呼ばれる。宗教的排他主義は絶対主義の傾向が強いが、現在のキリスト教思想は他宗教との対話の必要性や宗教的寛容が重視されており、絶対主義と親和的だとは言えない。とはいえ救済の普遍性への信仰はキリスト教の根幹であり、神学における相対主義との闘いはこれからも途切れることはないだろう。
 社会科学から見ればこういう絶対主義か相対主義かという哲学的な問いは実証性の土俵に乗ってこないのであまり説得力のある議論には聞こえてこない。この角度からの近代主義批判の限界のように思える。
6 増田師は第二バチカン公会議を肯定的に評価していたようだ。「教会はこの公会議で新たな一歩をすでに踏み出したのである。その歩みを止めることは誰にも出来ない」(208頁)。第二バチカン公会議の精神を認めない議論が頻出する現在、故増田師のこの言葉は重い。
7 増田師はさらに、この「教会は神の被造物」という教会観は、教会共同体の「不可謬性 infallibilitt 」の教えの根本だという。不可謬性の教えは三位一体の神への信仰から派生する教えだという(64頁)。ここは増田師には珍しく丁寧さを欠く説明だ。教会は聖霊の保証を受けているから福音の真理から逸脱することはないという不可謬説は、教会は誤ることはないという意味ではなく、教会は神の啓示を委ねられているという意味だと理解したい。
8 フランシスコ 教皇文書 諸文書 一般謁見演説(2013/06/26)

 親愛なる兄弟姉妹の皆様。お早うございます。

 今日は、教会の神秘を説明する助けとなる、もう一つのイメージについて簡単にお話ししたいと思います。すなわち、聖霊の神殿です(第二バチカン公会議『教会に関する教義憲章』6参照)。
 わたしたちは神殿ということばを聞いて何を思い浮かべるでしょうか。わたしたちは一つの建物、建築を思い浮かべます。とくに多くの人は、旧約で語られるイスラエルの民の物語のことを考えます。エルサレムにおいて、偉大なソロモンの神殿は祈りのうちに神と出会う場所でした。神殿の内部には、民のただ中に神が現存することを表すしるしである、契約の箱が置かれていました。箱の中には、律法の板とマナとアロンの杖が安置されていました。それは、神がご自分の民の歴史の中につねにおられ、民とともに歩み、その歩みを導いたことを思い起こさせるものでした。神殿はこの歴史を思い起こさせます。わたしたちも神殿に赴く際に、この歴史を思い起こさなければなりません。わたしたちには皆、それぞれ自分の歴史があります。イエスがどのようにわたしと出会ってくださったか。イエスがどのようにわたしとともに歩んでくださったか。イエスがどのようにわたしを愛し、祝福してくださったかという歴史です。
 さて、旧約の神殿であらかじめ表されたものは、教会において聖霊の力によって実現されました。教会は「神の家」です。神の現存の場です。わたしたちはそこで主を見いだし、主と出会うことができます。教会は聖霊が住まわれる神殿です。聖霊はこの神殿を動かし、導き、支えます。わたしたちはどこで神と出会うことができるのか。どこでキリストを通して神と交わりをもつことができるのか。どこでわたしたちの人生を照らす聖霊の光を見いだすことができるのか。この問いに対する答えはこれです。それは、神の民であるわたしたちのうちにおいてです。わたしたちは教会だからです。わたしたちはこの教会において、イエスと聖霊と御父と出会います。
 旧約の神殿は人の手で建てられました。人々は神のために「家を建てる」ことを望みました。それは、民のただ中に神が現存することを表す、目に見えるしるしを手にするためです。神の子の受肉により、ダビデ王に対するナタンの預言が成就します(サムエル記下7・1-29参照)。「神のために家を建てる」のは、王でもわたしたちでもありません。神ご自身が「ご自分の家を建てる」のです。それは、聖ヨハネが福音の中で述べたとおり、来て、わたしたちのただ中に宿るためです(ヨハネ1・14参照)。キリストは御父の生ける神殿です。そしてキリストご自身がご自分の「霊的な家」である教会を建てられます。この教会は、物質的な石ではなく、「生きた石」、すなわちわたしたちからできています。使徒パウロはエフェソのキリスト者に向けてこう述べます。あなたがたは「使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエスご自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたもともに建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです」(エフェソ2・20-22)。なんとすばらしいことでしょうか。わたしたちは、キリストと深く結び合わされた、神の建物の生きた石です。キリストは土台の石であり、それもわたしたちのただ中にある土台です。それはこういうことです。神殿とはわたしたちです。わたしたちが生きた教会です。生きた神殿です。そして、わたしたちがともにいるとき、聖霊もともにいてくださいます。そして、わたしたちが教会として成長するのを助けてくださいます。わたしたちは独りきりではありません。むしろわたしたちは神の民です。これこそが教会です。
 さらに聖霊は、ご自身のさまざまなたまものをもって、教会が多様であることを望みます。このことは重要です。聖霊はわたしたちの中で何をなさるのでしょうか。聖霊は、わたしたちが多様であることを望みます。多様性は教会の豊かさだからです。また聖霊は、すべてのもの、すべての人を一つに結びつけて、霊的な神殿を築かせます。この神殿の中で、わたしたちは物質的ないけにえではなく、わたしたち自身を、すなわちわたしたちの生活をささげます(一ペトロ2・4-5参照)。教会は、物や利害の組み合わせではなく、聖霊の神殿です。神がその中で働く神殿です。この神殿の中で、わたしたち一人ひとりは、洗礼のたまものによって、生きた石となります。そこから次のことがいえます。教会の中で無用の人などだれもいません。だれかが他の人に「帰りなさい。あなたは無用です」というようなことがあれば、それは真実ではありません。すべての人がこの神殿を建てるために必要です。どうでもよい人などだれもいません。教会の中でもっとも重要な人もいません。わたしたちは皆、神の目から見て平等です。あなたがたのうちでこういう人がいるかもしれません。「教皇様、あなたはわたしたちと同等ではありません」。いいえ、わたしも皆様と同等です。わたしたちは皆、平等です。わたしたちは兄弟です。無名の人など、だれもいません。わたしたち皆が、教会を構成し、築くのです。これは次のことも考えさせてくれます。わたしたちのキリスト教的生活の煉瓦(れんが)が欠けていれば、教会の美にも何かが欠けていることになります。だれかが「わたしは教会と関係がない」というなら、この美しい神殿から一つの生活の煉瓦が抜け落ちたことになります。だれも教会から出て行ってはなりません。わたしたちは皆、自分の生活と、心と、愛と、思考と、労働を、教会にもたらさなければなりません。わたしはともにそうしなければなりません。
 そこでわたしたちは自らに問いかけたいと思います。わたしたちは自分が教会であることをどのように生きているでしょうか。わたしたちは生きた石となっているでしょうか。それとも、いわば疲れた石、退屈した石、無関心な石となっているでしょうか。疲れた、退屈した、無関心なキリスト信者は、見苦しくはないでしょうか。このようなキリスト信者となっていけません。キリスト信者は生き生きとしていなければなりません。キリスト信者であることを喜んでいなければなりません。教会という、神の民の一部であることのすばらしさを生きなければなりません。わたしたちは、聖霊のわざに心を開き、自分の共同体の活発な部分となっているでしょうか。それとも、「わたしにはやることがたくさんあります。それがわたしの仕事でしょうか」と言って、自分のうちに閉じこもっているでしょうか。
 主がわたしたち皆にご自身の恵みと力を与えてくださいますように。こうしてわたしたちが、わたしたちの生活と、教会生活全体のかなめ石、支柱、土台の石であるキリストと深く結ばれることができますように。祈りたいと思います。わたしたちが主の霊に促されて、つねに主の教会の生きた石となることができますように。

 

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