Ⅴ 中世以降
1 アンセルムスの充足説
中世の贖罪論的救済論は、カンタベリーのアンセルムス(1033-1109)の充足説によって明確な形をとることになった(1)。アンセルムスは、『神はなにゆえに人と成り給うたか』(Cur Deus homo ?)という著作において次のように述べる。前稿でも紹介したが、繰り返せば、絶対者に対する罪の償いは人間は有限で小さい存在であるゆえに人間には不可能である。神は愛であるから、人間の罪を赦したいと思うが、同時に神は正義であるから、人間の償いを受け入れられない。この矛盾を解決する唯一の方法は、神ご自身が人となって神に償うことである。そのため、キリストが人と成り、十字架上の死を通して人類の罪を贖ったのである。
こういう罪中心の救済論はアウグスチヌスの原罪論のライン上にあり、キリストの受難と十字架上の死のみが救いをもたらしたと主張するものである。換言すれば、イエスの公生活や教えは意味を持たないことになる。
こういう贖罪論的な救済論は今日に至るまでカトリック教会に強い影響を与えている。ただし、現代の神学ではこのような贖罪論的救済論には批判的な見解も強まっているという。
2 トマス・アクィナスの仲介者説
トマス・アクィナス(1225-74)は、聖書をベースに、イエス・キリストを神と人間との間の唯一の仲介者と捉えた。こういう把握の仕方は救済者像としては総合的救済者像ともいえるものである(2)。そして、救済の業の基本は神への愛と人間への愛だと主張した(3)。
3 前回はこのあと、M・ルターの十字架の神学による救済論、19世紀の自由主義神学の救済論が検討されたが、今回は議論の対象になっていない。
Ⅵ 現代神学
前回はここでも、K・ラーナー(1904-1984)の無名のキリスト者論、、モルトマン(1926- )の希望の神学論、ラテン・アメリカの解放の神学などが論じられたが、今回は言及はなかった。
1 第二バチカン公会議
現代のカトリック教会の救済論として、『カトリック教会のカテキズム』(2002)にある議論が紹介された。これは、第二バチカン公会議の思想を要約するものとして閉会30周年を記念して編纂されたものである。
同書の第1編第2部第2章第4項第2節「イエスは十字架につけられて死ぬ」の第2項「神の救いの計画におけるキリストのあがないの死」の部分が紹介された(180~182頁)。太字の部分だけを引用する。
①イエスは神のお定めになった計画によって引き渡された
②聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死なれた
③神は罪と関わりの無いかたを、わたしたちのために罪となさいました
④神はご自分のほうから、普遍的なあがないの愛を示された
続く第3項は「キリストはわたしたちの罪のためにご自分を御父にささげられた」と題され、五頁にわたって詳しい説明がある。長文なので紹介は省くが、基本は「神の子羊」論・「いけにえ」論である。
以上の部分が現代のカトリック教会の救済論の中心であり、教会の伝統にそった救済論だという。
2 現代の様々な救済論
第二バチカン公会議以降、様々な救済論が現れた。伝統的な救済論の一面性、狭隘性を克服し、より包括的な救済論を探究する試みがなされた。これら現代の救済論に共通する特色は以下にようにまとめることが出来る。
①東方教会の救済論を取り入れて、受肉による神の人間性の取得が人間を神との密接な関わりの中におくという、受肉による人間の「神化」という考え方。(神化論)
②十字架上の死だけではなく、イエスの全生涯に救済的な意味があることを強調する。イエスの全生涯を踏まえ、「過越の神秘」がイエスによる救済の出来事の頂点であるとする考え方。(過越論)
③救いは個人的・霊的次元だけではなく、共同体的・身体的次元をも包括するものである。来世における完成を目指しつつも、すでに現世において始まる神の生命への参与を目指す。神の国の実現を目指すキリスト者はこのような全体的・包括的救いの実現を志向する。(包括的救済論)
④救済は究極的には神の働きによるものではあるが、同時に人間の努力がはたす準備的・協同的役割も不可欠である。信仰者の側の個人的・社会的次元での積極的努力も必要である。現世における人類の努力による諸悪からの解放が救いの意味である。(人間の関与)
⑤アンセルムスの充足説は厳格な神の像を前提としているが、これは愛の神の像と一致しない。このため現代人の感覚に合わないので支持を失いつつある。かれの説は当時のゲルマンの封建社会の法概念に強く影響されており、現代性を失っているという考え方。(贖罪説批判)
⑥罪や救済の概念の再検討を通して、より広い総合的・包括的な救済論の把握が目指される。救済論は最終的には人間を束縛するあらゆる罪からの解放であり、神が本来的に意図している真の自由を人間にもたらすことである。(自由の実現)(4)
【過越の聖なる三日間】
注
1 古代教会におけるキリスト論はすでに触れたように第1回ニケア公会議から続く6回の公会議でほぼ確立した。これら公会議は、初期教会のキリスト論(パウロの霊肉キリスト論:ロマ書1~3や、ヨハネのロゴス・キリスト論:ヨハネ1~18)や異端説(キリスト養子説・仮現説・容態説など)への反駁、さらには多くの教父たちの教えを整理したものである。中心的なテーマはキリストにおける神性と人性の結合の問題であり、贖罪論ではなかったといえよう。
2 Ⅰテモテ2:5 「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただお一人なのです」。このテモテへの2通の書簡とテトスへの書簡は伝統的に「司牧書簡」と呼ばれてきた。手紙は、仲介者論というよりは、まだ確立されていない教会組織の在り方についてのパウロの考えが中心のようだ。著者がパウロかどうかは議論があるようだが古くから正典として認められていたようだ。
3 「キリストの十字架は、功徳・償い・犠牲・贖いである。キリストは自由と愛をもって十字架を引き受けられ、神はこれを嘉せられた。キリストは人類の愛のために死んで、神はよみがえらせた」(『神学大全』第3部第48問)。
なお、山田晶『神学大全Ⅰ・Ⅱ』(2014)によると、神学大全は、第1部「神」、第2部「人間の神への運動」、第3部「神に向かうための道なるキリスト」にわかれる。第3部は、①御言葉の受肉②キリストの誕生・生涯・受難・復活・昇天③秘跡④補遺:終末、という構成だという。第3部第48問は②に含まれているようだ。
4 この6項目の整理は、わたしには、贖罪論的救済論から過越論的救済論へと変化が起きていると言っているように聞こえた。