カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

マリア崇敬をめぐる現代のマリア論 ー 聖母マリア(11)(学びあいの会)

2022-04-07 09:03:40 | 神学


 現代のマリア論の中心的論点はマリア崇敬だ。特に、エキュミニズム運動の進展の中で、カトリック教会とプロテスタント諸教会とのあいだで理解の違いが明確になってきた。また、解放の神学、フェミニズム、エコロジー神学など、新しい運動の登場の中で、マリア崇敬は新しい形を求められるようになっている。新しいマリア崇敬とはどのような形をとるのだろうか。

1 エキュメニズムとマリア

 マリア論はエキュメニズムの対話において重要なテーマの一つとなっている。
マリア崇敬について東方教会(1)は本来はカトリックと同じ神学的伝統を持っている。プロテスタント諸教会はマリア崇敬に関しては消極的な傾向がある。マリア崇敬はカトリック教会では19・20世紀に強まったが、これは東方教会にもプロテスタント諸教会にとっても当惑の的となった。たとえば、プロテスタント側の反応としてハルナックの疑問がよく挙げられる(2)。無原罪や被昇天の教義は「いつ、誰に啓示されたのか?」という問いだ。また、これらの教義には聖書的根拠がないではないかと、繰り返し疑問がだされた。だが1950年代から70年代にかけてはプロテスタントでもマリア研究が進み、マリアが受肉において神の力の働きを受け入れた人間であるという考えは受け入れられたという。

 最近のエキュメニズムの対話の成果としては、聖公会とカトリック教会の合意声明「マリアーキリストにおける恵みと希望」(2004年2月)がある。この声明はエポックメイキングな出来事であった。聖公会はカトリック教会の二つの教義宣言は受け入れてはいないが、宣言に至る展開には理解を示したと言われる。

 だが、カトリックとプロテスタントとのマリア論における対立の原点はやはり無原罪と被昇天の二つの教義だろう。マリアの捉え方においてカトリックとプロテスタントの人間観の違いがはっきりしたからだ。義認論の人間観と恩恵論の人間観の違いと言ってもよいのかもしれない。

 現代のマリア崇敬の特徴を光延師は以下のように整理している(3)。

2 マリア崇敬がもたらした分裂

 マリア崇敬はカトリックとプロテスタントの神学上の対立をもたらした。プロテスタントによれば、カトリックのマリア崇敬は、聖書の基づかないにもかかわらず、歴史の中で膨張を続け、キリスト教信仰と教会のあり方が、キリスト中心からマリア中心に変わってしまったという。行き過ぎたマリア崇敬は近代精神を阻害するカトリック教会の保守反動性の象徴と見なされた。また、教会の男性中心の位階制は組織論からもジェンダー論からも批判されるとする。

3 プロテスタントとマリア崇敬

 M・ルター(1546年没)には『マグニフィカト(マリア讃歌)解釈』(1521)という著作がある。ルターは、マリアの処女懐胎と神の母思想を受け入れ、マリア崇敬を否定する意向はなかったと言われる。だが「義認論」以降のルターはマリアがとりなし手であるという考えを認めなくなった。キリストがマリアの陰に追いやられることは認めなかったようだ。

 その他の宗教改革者にとっても、マリア崇敬の否定はカトリックへの反発の象徴となり、17~18世紀にはプロテスタントではマリアの居場所はなくなった。
 1854年の無原罪の教義宣言、1950年の被昇天の教義宣言が出るに及んで、プロテスタントのみならず東方教会までも反対の姿勢を示した。第二バチカン公会議でカトリック教会のマリア論が控えめなものにならざるを得なかったのは歴史の流れから見て当然であった。

 では現在のプロテスタントはどのようなマリア論を持っているのか。簡単には言えないだろうが、大きく言えば、カトリックのマリア論とフェミニズムのマリア論の中間くらいの立ち位置にいるようだ。つまり、キリスト中心的で、聖書中心的であること(つまり男性中心的でも、女性中心的でもない)、主の母として清楚でかつ厳しい姿がマリアに求められているようだ。極めて抑制的なマリア論が支配的だと言ってよいであろう。たとえば、プロテスタント系の『キリスト教組織神学事典』(2002)にはマリアは索引にすら載っていない。

4 カトリックでマリア信心が盛んな理由

 カトリック教会でなぜこれほどまでにマリア崇敬が盛んなのか。なぜこれほど人々の心を動かすのか。光延師は、グレースハーケというドイツの神学者の議論を紹介している(4)。おおきくみて二つの理由が挙げられているようだ。

①歪められた神像の補い

 エフェゾ公会議(431)で決定されたマリアの呼称「テオトコス 神の母」では、イエス・キリストの神性が強調され、その人格的側面は強調されなかった。そのため当初の1000年間は神の母という観念はあまり信心の対象にならなかった。中世(11世紀~)に入ると、西方教会では裁きの神、男性的な神、息子的な神という神像が強まったために、逆に和解と慰めと助けを与える母的なマリア崇敬が求められ、広まっていったという。やがてマリアは、父・子・聖霊の三位一体の外にいる「第4の位格」のようにさえ見なされるようになったという。こうした心情的宗教性を優先したマリア崇敬は、その後のマリア出現や奇跡の報告などと結ばれながら、広く深く定着していった。こういうマリア観は現在でも続いていると言えよう。

②マリア崇敬と教会の体制との結びつき

 マリア崇敬の膨張と拡散は、教皇首位主義と結びつき、反近代的な教皇の偶像化を推し進めた。近代カトリックのメンタリティーの特徴は、マリア志向と教皇志向の一体化にあるという。
 プロテスタント信仰では、信仰のみ・恩恵のみ・聖書のみが強調され、全体として「全能の神」の神像が強い。他方、カトリック教会は男性中心の教皇・司祭とそれを和らげる「神の母」の観念の両方からなる「家族的共同体」を基礎としてきた。マリア無原罪の教義宣言や第一バチカン公会議(1871)での「教皇不可謬宣言」はこういう教皇至上主義の帰結だったとも言える。

 グレースハースはこう述べて、カトリック信者はこのような組織体制のもとでいまだ自立した自己決定ができる「成人」になることが妨げられたのではないか、と言っているという。

 光延師がこのようなグレースハースの主張をどのように評価しているのかはなかなか見極めづらい。だが、師は、教会のあるべき姿をマリアの中に見ようとしているので(5)、肯定的に評価しているように思える。

 

浦上天主堂の被爆マリア像

 

 



1 東方教会と正教会とは必ずしも同じではない。西方教会(カトリックとプロテスタント)と対比する意味で東方教会と呼ぶときは、いわゆる「東方正教会」(カルケドン信条を堅持する教会)とその他の「東方諸教会」の両方を含む。エジプトや中東の諸教会はビザンチン教会の主導を好まず、またネストリオス派が追放されると、キリスト神性単性説をとる人々は、コプト教会・エチオピア教会・シリア教会・アルメニア教会などを創設した。自分たちを Oriental Orthodox オリエンタル・オーソドックスと呼んでいる。東方諸教会とはこういう教会を指すようだ。東方正教会 Eastern Orthodox イースタン・オーソドックスとは呼び方が似ているので、呼称が紛らわしい。なお、現在のウクライナではウクライナ正教会はロシア正教会から独立していていると言われる(ロシアから見ればキエフ/キーウ総主教系)。カトリックは東方典礼カトリック教会とかビザンチン教会とか呼ばれて、ローマ・カトリックそのものではないようだ。
2 アドルフ・ハルナック Karl Gustav Adolf Harnack 1851 – 1930 ドイツのプロテスタント神学者 自由主義神学の立場をとる
3 光延一郎編著『主の母マリア』2021 解説⑨「聖母マリアをめぐる現代の議論」
4 同上書、285~288頁
5 「教会の母」といっても、教会と母のどちらを先に置くかで異なったマリア像が生まれる。「教会をマリアの内に見る」とは、教会のあるべき姿をマリアに見る、つまり「母なる教会」を求めると言うこと。「教会の内にマリアを見る」とは、マリアを「教会の母」とみること、マリアを教会の上に置くことを意味するようだ。第二バチカン公会議の教会憲章は「教会の母」論が強く出過ぎていると言われる。

 

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