カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

ジュリー(沢田研二75歳)は健在か ー 映画『土を喰らう十二ヵ月』を観る

2023-10-30 09:44:37 | 映画


 機会があって沢田研二の映画を観てきた。わたしは別にジュリーのファンだったわけでもないし、ヴィーガンでもないが、絵がきれいな映画だということで覗いてきた。ジュリーは老いたが、沢田研二は健在だった(1)。

 この映画は水上勉のエッセイが原案で、1年前の映画らしい。わたしは小説はほとんど読まないので水上勉は名前しか知らない。主演は沢田研二。75歳。かってのアイドル歌手。アイドルがどのようにして壮年期を乗り越え、そして老年期を迎えるのか、キャリアーの過ごし方に興味があった。

 映画のストーリ(2)はどうということない。主演の沢田研二もなにか変わったことをするわけでもない。信州の山奥での自給自足生活を24節季を通してきれいに、丁寧に描く、というものだ。水上勉もこういう生活を試みたことがあるらしい。


 この映画の第一の特徴は映像の美しさだろう。1年の季節の変化を丁寧に追っている。奥信濃の山の景色がすばらしい。撮影には一年半かけたという。


 第二の特徴はこの映画はいわばヴィーガンのグルメ映画みたいなことだ。精進料理に代表される禅宗の食生活(粗食・菜食)を描いているようで、「点座教訓」(道元和尚)が繰り返し紹介される。料理が好きな人が見れば学ぶことが多いのかもしれない。

 全体として現代の視点から見れば一種のノスタルジー映画でなにか懐かしい気分にさせてくれるが、なにかを特に声高に主張したり、菜食主義を訴えたりしているわけではなさそうだ(3)。
 
 むしろ、かってのアイドル歌手がきれいに年齢を重ね、俳優として静かに演じていることに強い印象が残った。

 

【澤田研二】

 

 


1 ジュリーといっても、いま話題のジャニーズのジュリーではない。
2 初老の作家ツトムはひとりで愛犬と信州の山荘で暮らしている。9歳の頃に禅寺へ奉公に出され精進料理を学んだ経験から、自ら野菜を育て山菜を採り料理をする。その日々の生活を原稿に記していく。時折、ツトムの担当編集者で若い恋人の真知子がツトムのもとを訪れ、ツトムの振る舞う料理を美味しそうに食べる。ツトムは13年前に亡くなった妻の八重子の遺骨を納骨できずにいる。
 八重子の母のチエのもとを訪ねたツトムは、八重子の墓をまだ作っていないことを咎められた。のちにチエは亡くなった。チエの葬儀はツトムの山荘で営まれた。真知子も東京から駆けつけ葬儀の準備に追われた。
 葬儀が終わり、ツトムは真知子に山荘に住むことを提案する。真知子は考えさせてと応じたが、この後、ツトムは心筋梗塞を患い倒れる。案じて同居を申し出る真知子。だが、死について深く考察するようになったツトムはそれを断った。
 夜、死を覚悟して眠りについても、朝は変わらず訪れる。チエと八重子の遺骨を湖に撒くツトム。後日、真知子が別の若い小説家との婚約を報告に来た。祝福して帰したツトム。雪が積もった山荘で丁寧にこしらえた膳を前に、「いただきます」と手を合わせるのだった。(引用は映画配給元)
3 ただ、ご飯を頂くときに「いただきます」と言いながら「手を合わす」動作が禅宗の作法だという点は強調されている。映画のラストシーンもこれだ。言われてみれば、食事のとき手を合わす動作は近年急速に広まって、最近は小学校の給食の時にも学校によっては行われているらしい。さすがお箸を持ちながら手を合わすことはないようだが。わたしは、禅宗の信徒でもないのになぜそんな動作をするのかといぶかしい気分があるが、あたらしい食事マナーだといわれればああそうですかとしか言いようがない。そのうち外国からの観光客にも広がっていくのだろうか。

 

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3年ぶりの教会バザーは盛会だった

2023-10-29 21:45:26 | 教会


 教会でバザーが3年ぶりに開かれた。出店数や出し物はだいぶ数が減ったようだが、それでも3年ぶりの開催ということで大賑わいだった。喫茶室は満室で人が入りきれなかったし、焼きそばはいつも通り一番人気だったようだ。サンパウロも出店していて、来年のカトリック手帳やカレンダーはすぐに売り切れになったようだ。わたしのなかなか手に入りずらい本やクリスマスカードをいくつか購入することができた。神父様や一時滞在中のベトナムからの神学生も信者に囲まれ楽しそうであった。
 こうしてバザーが開かれてみると、教会がコロナ禍をなんとか乗り越えることができたことが実感できた。


【バザー2023の風景】

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クリミア半島は誰のものか ー ロシアのメンタリティ(2)

2023-10-26 10:23:34 | 教会


 ウクライナに侵攻するロシアの主張の背景として4点指摘されていた。少し見ておこう(1)。

①ロシアの被害者意識

 ロシアの歴史は9世紀のキエフ公国建設に始まり、モスクワ公国に繋がるが、高い山脈や大河のような天然の要害のない大平原に生まれた弱小国で、常に外敵(モンゴル・ポーランド・リトアニア・スウェーデンなど)の侵略と支配を受け、弱小国の被害者意識がロシアのDNAとなった・・・要するに、ロシアは世界最大の領土を有しても常に外敵に襲われるという被害者意識を捨てられないのである(2)。

②ウクライナの独立性の問題

 要はウクライナは独立国だったのかロシアの一部だったのか、と言う話しだ。
ウクライナはロシアと同じスラブ民族で、言語も同一ではないが近い関係にある。歴史的にはキエフ公国が先行したとはいえ、ウクライナは長い期間ロシアの支配を受けてきた。17世紀のロシア帝国時代以降300年にわたってウクライナはロシアの一部であった。これをもってプーチンはウクライナはロシアと一体でロシアの一部であると主張する。

 ウクライナから見れば、ウクライナはロシアの支配に満足していたわけではなく、ロシアからの独立がウクライナ人の念願であった。1917年のロシア革命で帝政ロシアが崩壊した機会を捉えてウクライナは独立を宣言するが、わずか2年間でボルシェビキ軍によって潰された。ウクライナが独立国となったのは1991年のソ連邦崩壊によってである(3)。
 つまり、ロシアから見ればウクライナはロシアの一部であり、ウクライナから見れば別の国である、ということになる。

③NATOの東進の問題

 1990年代から2000年代にかけて東欧諸国は続々とNATOに加盟した(4)。プーチンがウクライナに侵攻したのは、NATOは1ミリも東に進ませないと約束したのに、その約束が反故にされて激怒したからだと言われる。

 1989・11・9 ベルリンの壁 崩壊
 1990・1・3 ドイツのゲイシャー外相がNATOの不拡大を表明
 1990・2・9 アメリカのベーカー国務長官がNATOの不拡大を表明
 1990・2・16  ドイツのコール首相はモスクワ訪問中にゴルバチョフにNATO不拡大を約束し、ドイツ統一の承認を得る
 1990・2・24 米独首脳会談でブッシュ大統領とコール首相はNATO不拡大方針を撤回

 このあと東欧諸国は続々と自発的にNATOに加盟していく。1990年の独首相の約束は口頭の約束で文書化されていなかった。プーチンはこれもアメリカの陰謀であると主張しているようだ。こうしてソ連邦は解体し、米ソ冷戦は米国の勝利に終わったとされる。

④マイダン革命によるロシアのウクライナ政策の大転換

 ウクライナが独立したのは1991年のソ連邦崩壊の時であるから、今日まですでに32年を経ている。だが当初ウクライナは親ロ政権が23年間続き、事実上ロシアの勢力圏のなかにあった。ロシアは黒海艦隊の母港であるクリミア半島のセバストポリ軍港(ウクライナ領)を安心して利用することが出来た(5)。
 そもそもクリミア半島はオスマントルコ領であり、それをロシアが奪い取ってずっとロシア領であった(6)。1954年にフルシチョフはこれをウクライナに与えたが、当時はウクライナもソ連邦の一部であったからなんら問題はなかった。

 2014年に親ロシア政権に不満を募らせたウクライナ国民は大規模な反政府デモによって政権を倒し、大統領はロシアに亡命し、親西欧政権が誕生した。いわゆるマイダン革命である(7)。これはロシアにとっては大きな衝撃であり、セバストポリ軍港が西側の手に落ちると考えたプーチンは国家存亡の危機と捉え、直ちにクリミアに侵攻、ウクライナは全く抵抗せずにロシアは数日で侵攻に成功した。以来両国でこの半島をめぐる争いが続いている。

 2022年2月24日にプーチンはウクライナ全領土の掌握を目指して改めてウクライナに侵攻した。前回の経験から侵攻はたやすく成功するだろうという目論見はウクライナ側の意外な抵抗によって裏切られた。この8年間でウクライナはかなり軍備を増強充実していたのである。つまり、2014年を境にロシアの対クリミア政策は大転換したと言える。

結び

 西側がロシアを攻撃しようという意図を持っているとは言えない。同じようにウクライナがロシアの一部であるという主張には無理がある。歴史上はともかく、現在ウクライナは国際的に認められた独立国である。
 よってロシアの立場を斟酌したとしても、ロシアのウクライナ侵略は到底正当化されるものではない。プーチンはロシア皇帝あるいはスターリンの後継者を自負し、大いなるソ連の再現を夢見ているようであるが、今年4月のフィンランドや昨日のスウェーデンのNATO加盟(8)に見られるとおり、現実は逆方向に向かっているのではないだろうか。

懇談
 以上がS氏の報告の概略である。このあと参加者からの質問があり、活発な意見交換がおこなわれた。特にクリミア半島についての意見が多かった。結論的には、ロシアは意外にも弱い国なのではないか、核で脅すプーチンはなにかに怯えているのではないか、というのが皆さんに共通の認識のように聞こえた。


【ヤルタ クリミア半島】



1 表題は「ロシアのメンタリティ」となっており、このメンタリティとは何を意味しているのか。当初から聞き慣れない言葉だったのでずっと考えていた。S氏の話の後からの印象ではどうもロシアの「被害者意識」などのことを指しているようだ。わたしはロシア(人)の国民性のことかと想像していたがそうでもないらしい。メンタリティという言葉はどうも社会科学の用語ではないらしく、岩波の哲学思想事典にもキリスト教辞典にも載っていない。広辞苑には「精神構造・心的傾向」とあるだけで説明になっていない。新明解にはやっと「言動や態度に反映される・・・気持ちの持ち方やものの考え方」とある。ハビトゥスのような社会意識ではなく、個人の行動様式や意識形態を指す言葉のようだ。
なお、前稿の注4で「①の立場をとる論者」は「②の立場をとる論者」のタイポである。
2 被害者意識説はロシアの国民性論でよく言及されるが、同時に「大国意識」説も根強い。この両意識の併存はどうしてもロシア正教の特徴を論じないとうまく説明できないようだが、今回は十分には触れられなかった。
3 1991年までのソビエト連邦の構成国はウクライナ以下10カ国と中央アジア5カ国をあわせて15カ国だった。
4 NATOはNorth Atlantic Treaty Organizationの略で、北大西洋条約機構と訳されている。1949年に設立され、加盟国はトルコを含め現在31カ国。本部はベルギーのブリュッセルにある。旧ソ連を敵国と想定して設立された軍事同盟である。EUは経済連携で別組織と言われるが、重複国が多い。
5 ロシア海軍の主要な艦隊は黒海艦隊、バルチック艦隊、太平洋艦隊、北方艦隊と言われるようだ。
6 第一次ロシア・トルコ戦争は1768年。クリミア戦争は1853~56年。
7 マイダン革命 Maidan Revolution (ユーロ・マイダン革命、尊厳の革命とも)は2004年のオレンジ革命(ウクライナの民主化運動)に続く革命と言われる。革命が広場や公園から始まったのでマイダン(ウクライナ語で広場を意味するようだ)革命といわれるという。
8 「トルコ大統領府は(10月)23日、エルドアン大統領がスウェーデンのNATO加盟を認める議定書に署名し、トルコ議会に提出したと明らかにしました」(テレビ朝日)。

 

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カトリックは「ウクライナ戦争」をどう見るか ー ロシアのメンタリティ

2023-10-25 09:21:31 | 教会

 今日は久しぶりに教会の「アカシアの会」(1)に出てきた。この会の毎月一回の例会自体もコロナ禍で永らくお休みだったようで、今日の出席者は10名ほどだった。皆さん高齢者ばかりだがどなたも論客で、楽しくも有益な懇話会だった。

 今日の話題提供者はSさんで、テーマは「ロシアのメンタリティ」 というものだった。わたしはテーマに惹かれて(2)、ロシア正教の正統派と古儀式派の比較の話し(3)かと期待して出かけたが、実際には「ー ウクライナ戦争に関連して」というサブタイトルが付加されていて、極めて時事的な話題であった。わたしはこのブログではあまり時事的な話題は取り上げないことにしているのだが、今日はテーマがテーマなので少しカレントなテーマに触れてみたい。Sさんの結論は、「たとえロシアの立場を斟酌したとしても、ロシアのウクライナ侵略は到底正当化できるものではない」というものであった。妥当な結論だが、問題はロシアの立場をどのように「斟酌する」かだ。

 Sさんはまず、ウクライナ戦争についての東西両陣営の考え方の相違を次のように整理した。

①西側陣営の考え方
ウクライナは独立国であり、これを侵略することは明らかに国際法と国連憲章の違反であり、許されない。


②ロシアの考え方
歴史的・人種的・文化的・地政学的にウクライナはロシアの一部であり、ウクライナ国民は親ロシアである。アメリカの陰謀により、国民の意思に反したファシスト政権がウクライナを奪取した。従って、ロシアのウクライナ侵攻は、奪われた土地を回復する個別的自衛権の行使であり、国際法や国連憲章で認められた行為である。

 言うまでも無く両者の考え方は対立しており、西側に属する日本の多くの人は①の立場をとる。だが、②の立場をとる人もいないわけではない、と説明された(4)。

 ついで、「ロシアの主張の背景」が4点指摘され、おのおのについてSさんの持論が展開された。

①ロシアの被害者意識
②ウクライナの独立性の問題
③NATOの東進の問題
④マイダン革命によるロシアの対ウクライナ政策の大転換

 どれも細かい話しだったので、おのおのについての説明の紹介は次回にまわしたい。

 

【ウクライナ戦況地図】(朝日新聞デジタル)

 


1 「アカシアの会」とは当教会の司牧部に所属する高齢者向けの懇話会だという。もともと女性の集まりだったが、近年は男性も参加するという。毎月誰かがなにかのテーマで話をし、おしゃべりを楽しむ会のようだ。会の終わりにはかならず「童謡」を皆で一緒に歌うのが習わしらしい。今日は、「埴生の宿」と「旅愁」をSさんのオルガン演奏で歌った。
 アカシアの会という名称の集まりはいろいろなカトリック教会にあるという。アカシアの木は「契約の櫃(ひつ)」 the Ark (ヤハウエの箱、神の箱とも呼ばれる)の材料で、クリスチャンにとってはいわば神聖な木だから、この名称はいろいろなところで使われるのであろう。わたしは残念ながらどういう木かは見たことがない。
2 「ウクライナ戦争」という表現が定着しているとは思えないが(まだ宣戦布告が出ていない)、Sさんはあえて侵攻とか紛争という言葉ではなく戦争という言葉を選んでいたようだ。懇談の中ではイスラエルによるガザ「侵攻」「攻撃」の話も出たが、「イスラエル・ガザ戦争」という表現は定着していないようだ。ともにカトリックとしてどう捉えるかという宗教問題としてというより、テロにどう対峙するかという問題として理解されていたのは印象的であった。
3 ロシア正教とウクライナ正教の比較、ロシア正教の正統派と古儀式派の比較は別の集まりでしたことがある。特に「古儀式派」(旧教派、異端派)の重要性は日本のメディアはあまり言及しないので、そこでの紹介は興味深かった。
4 こういう整理の仕方自体に異論を唱える人もいるだろうが、イラン寄り、トルコ好き、イスラエル嫌いの日本のメディアの論調よりは正鵠を得ているように聞こえた。Sさんは①の立場をとる論者の例として国会議員の鈴木宗男氏を挙げていた。プロテスタント神学者の佐藤優氏もロシア寄りと評されることがあるようだ。

 

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