カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

映画「大いなる不在」 ー これで認知症か

2024-07-24 10:35:43 | 映画


 映画 Great Absence を観てきた。タイトルに惹かれ、いろいろな賞をもたった映画ということで選んだにすぎない。特に監督や出演者に興味があったわけではない。

 観た後の印象では、この映画はなんとも要領の得ない映画だった。宗教映画、哲学映画ではない。少しスリラー性が入った娯楽映画とでも言えるか。認知症者が増えた高齢社会への警鐘の意味が込められているのかも知れない。

 ストーリーは、例えば以下のように紹介されている。

あらすじ・ストーリー ある日、卓は幼い頃に家族を捨てた父親の陽二が、警察に逮捕されたという報せを受ける。しかし、久しぶりに再会した父は認知症を患い、別人のように変わり果てていた。再婚した女性の行方も分からなくなっており、卓は父親と再婚相手のに生活を調べ始めることに。
解説・第67回サンフランシスコ国際映画祭で最高賞に輝いた他、各国の映画祭で高く評価された近浦啓監督によるヒューマンサスペンス。近浦監督の実体験に着想を得て、父の逮捕の報せを受けた男性が、認知症を患う父と再会する。主演は森山未來。共演は第71回サン・セバスティアン国際映画祭で最優秀俳優賞に輝いた藤竜也、真木よう子、原日出子ら。

 要は、認知症になった親と子の親子間夫婦間の「」の話なのだが、認知症と言ってもせいぜい中核症状が出始めた程度の頃の話だ。施設の描写も出てくるがわずかだ。認知症ってこんなもの、という印象を残すとしたら残念だ。一部は監督の自伝でもあるというが、主人公(父親)が物理学者だったとか、アマチュア無線に凝っているとか描かれているが、本当だったかはわからない。

 役者の演技力についてはよくわからない。みなさん、演技と言うよりはおそらく地のままでは、という印象を受けた。それはそれでよかった。

 でも 不在、Absence とは何のことだったのだろう。親子の関係が25年間切れていたということなのか。認知症が25年間の夫婦間の愛情を切り裂いた、という意味なのだろうか。この映画は、認知症を描いているというよりは、家族内の愛情の形、あり方(豊かさと残酷さ)を描いているように思えた。それにしてもなんとも要領を得ない映画だった。
【大いなる不在】

 

 

 

 

 

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ジュリー(沢田研二75歳)は健在か ー 映画『土を喰らう十二ヵ月』を観る

2023-10-30 09:44:37 | 映画


 機会があって沢田研二の映画を観てきた。わたしは別にジュリーのファンだったわけでもないし、ヴィーガンでもないが、絵がきれいな映画だということで覗いてきた。ジュリーは老いたが、沢田研二は健在だった(1)。

 この映画は水上勉のエッセイが原案で、1年前の映画らしい。わたしは小説はほとんど読まないので水上勉は名前しか知らない。主演は沢田研二。75歳。かってのアイドル歌手。アイドルがどのようにして壮年期を乗り越え、そして老年期を迎えるのか、キャリアーの過ごし方に興味があった。

 映画のストーリ(2)はどうということない。主演の沢田研二もなにか変わったことをするわけでもない。信州の山奥での自給自足生活を24節季を通してきれいに、丁寧に描く、というものだ。水上勉もこういう生活を試みたことがあるらしい。


 この映画の第一の特徴は映像の美しさだろう。1年の季節の変化を丁寧に追っている。奥信濃の山の景色がすばらしい。撮影には一年半かけたという。


 第二の特徴はこの映画はいわばヴィーガンのグルメ映画みたいなことだ。精進料理に代表される禅宗の食生活(粗食・菜食)を描いているようで、「点座教訓」(道元和尚)が繰り返し紹介される。料理が好きな人が見れば学ぶことが多いのかもしれない。

 全体として現代の視点から見れば一種のノスタルジー映画でなにか懐かしい気分にさせてくれるが、なにかを特に声高に主張したり、菜食主義を訴えたりしているわけではなさそうだ(3)。
 
 むしろ、かってのアイドル歌手がきれいに年齢を重ね、俳優として静かに演じていることに強い印象が残った。

 

【澤田研二】

 

 


1 ジュリーといっても、いま話題のジャニーズのジュリーではない。
2 初老の作家ツトムはひとりで愛犬と信州の山荘で暮らしている。9歳の頃に禅寺へ奉公に出され精進料理を学んだ経験から、自ら野菜を育て山菜を採り料理をする。その日々の生活を原稿に記していく。時折、ツトムの担当編集者で若い恋人の真知子がツトムのもとを訪れ、ツトムの振る舞う料理を美味しそうに食べる。ツトムは13年前に亡くなった妻の八重子の遺骨を納骨できずにいる。
 八重子の母のチエのもとを訪ねたツトムは、八重子の墓をまだ作っていないことを咎められた。のちにチエは亡くなった。チエの葬儀はツトムの山荘で営まれた。真知子も東京から駆けつけ葬儀の準備に追われた。
 葬儀が終わり、ツトムは真知子に山荘に住むことを提案する。真知子は考えさせてと応じたが、この後、ツトムは心筋梗塞を患い倒れる。案じて同居を申し出る真知子。だが、死について深く考察するようになったツトムはそれを断った。
 夜、死を覚悟して眠りについても、朝は変わらず訪れる。チエと八重子の遺骨を湖に撒くツトム。後日、真知子が別の若い小説家との婚約を報告に来た。祝福して帰したツトム。雪が積もった山荘で丁寧にこしらえた膳を前に、「いただきます」と手を合わせるのだった。(引用は映画配給元)
3 ただ、ご飯を頂くときに「いただきます」と言いながら「手を合わす」動作が禅宗の作法だという点は強調されている。映画のラストシーンもこれだ。言われてみれば、食事のとき手を合わす動作は近年急速に広まって、最近は小学校の給食の時にも学校によっては行われているらしい。さすがお箸を持ちながら手を合わすことはないようだが。わたしは、禅宗の信徒でもないのになぜそんな動作をするのかといぶかしい気分があるが、あたらしい食事マナーだといわれればああそうですかとしか言いようがない。そのうち外国からの観光客にも広がっていくのだろうか。

 

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やられたらやり返せ ー 「僕たちの哲学教室」を観る

2023-08-26 20:40:16 | 映画


 暑い中を映画を見に出かけた。コロナ禍で映画館は避けていたので久しぶりだった。
この映画の原題は Young Plato だという。「少年プラトン」とか「子どもプラトン」とかいう意味だろう。プラトンとはギリシャの哲学者プラトン(前428-前347)のことである。プラトンのように哲学する小学生という意味のようだ。

 では何を哲学するのか。結局は、子ども同士のけんかを例にとりながら、「暴力は暴力を生む」(Violence breeds violence)という問題を子ども自身に考えさせながら、北アイルランド問題やベルファストの将来を展望させるということらしい。

 北アイルランドのベルファストにあるホーリークロス男子小学校(Holy Cross Boy's Primary School)が舞台だ。つまり女の子はこの映画には登場しない。主役は哲学の授業をするマカリービー校長先生(ボス Boss)か子どもたち(10歳前後)かよくわからないが、内容はドキュメンタリー風の北アイルランド紛争(1)だ。主題は子ども同士のいじめ問題だが、これがカトリック対プロテスタントの対立の比喩であることはすぐにわかる。「やられたらやりかえせーーでいいのですか。なにかほかに手立てはないのですか」と問うマカリービー校長とカウンセラー役の女性教師の活躍が描かれる。

 宗教映画ではない。だが日本のカトリック中央協議会も後援しているから、カトリックサイドからの描写だ。1998年の聖金曜日合意(ベルファスト合意、Good Friday Agreement ,英・アイルランド・北アイルランド間で結ばれた和平合意)から20年あまり経ち、ベルファストではまたあちこちで衝突が生まれているようだ。巨大な「平和の壁」が実は分断の壁、分裂の壁であることが描かれる。

 この映画は監督の自伝風でもあるので監督が何を訴えたいのかを知りたいところだが、明白なメッセージは読み取りにくい。むしろこの映画に何を読みとるかは観客次第だろう。哲学論(人生論)か、宗教論か、政治論か(2)。いろいろな読み取り方が可能なので一緒に映画を観た友人との感想話には事欠かないだろう。

 とはいえ、この映画は北アイルランド問題に少し予備知識が無いと理解が難しそうだ。カトリックもプロテスタントも内部は分裂している。Unionist vs. Royalist(統一派対王党派), Republican vs. Nationalist(共和派対民族派)、聖公会派対長老派(3)などなど。また、この映画ではコロナ禍も触れられており、ことによったらEU離脱問題も影響を与えているのかもしれない。ということでなかなか手強い映画だという印象だった。

 ということでこの映画には終わりはない。映画も壁に絵が描かれて突然終わる。いろいろな映画賞をもらった名映画ということだが、映画のタイトルがあまりピンとこないので大ヒットにはなっていないのは残念なことだ。

【学校の壁の絵】

 



1 「北アイルランド紛争」とは Northern Ireland Conflicts のこと。北アイルランド問題と呼んだり、呼称は定まっていない。呼び方次第で論者の立場性が明らかになるので、表現の仕方が難しい。 The Troubles ともよく言われるがこれはカトリックサイドからの呼称ではないか。
2 カト研として言えば、今年はジョンストン師の(仏教風に言えば)13回忌なので、師の故郷の現在を知ることが出来てよかった。師があれほど愛したベルファストは、師が1930年代、1970年代に観たベルファストと変わったのだろうか。
3 以前はアイルランドでは長老派のプロテスタントはイギリス国教徒ではないので差別されていたという。いわゆる「スコッチ・アイリッシュ」「アルスター・スコッツ」問題だ。

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映画「大河への道」を観た

2023-03-07 09:12:59 | 映画

 知人に誘われて近くの映画館で映画「大河への道」を観てきた。2022年度の作品らしい。2時間ほどの映画だった。原作は立川志の輔の創作落語だという。200年程前の1821年に完成された日本初の全国地図「日本沿海輿地全」の制作秘話というところか。伊能忠敬は地図完成前に実は死亡していたが、周囲が頑張って完成させたという話だった。
 佐原の伊能忠敬の話なのでわたしは懐かしさもあって興味を持ってみた。ストーリーは江戸と令和の二つの時代を舞台に展開されていく。歴史ものではない。伊藤忠敬をNHKの大河ドラマに取り上げてもらいたい地元香取市の努力の話しということで、特にどうということはなかった。一緒に行った知人はコミカルで面白かったと気に入っていたようだ。監督がどういう方かは知らないが、出演者たちはどこかで見たことのある顔だった。わざわざ時間を潰して見るほどの映画ではないような印象だった。

【日本沿海輿地全】

 


 大河ドラマを地域開発に利用するようになったのはいつごろからだろうか。大河ドラマといっても奈良時代以前は描きにくいようだし、大正昭和もまだ歴史になりきれていない。どうしても戦国時代か幕末の話しになってしまう。中国や韓国のテレビドラマにもこういう時代的限定があるのだろうか。そんなことを考えながら観ていたら眠気が襲ってきた。時間つぶしにちょうどよい気楽に見れる映画ということで、これはこれで近年珍しい映画なのかもしれない。

 

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映画「PLAN75」を観てきた

2022-12-13 16:40:15 | 映画

 機会があって映画「PLAN75」を観てきた。この6月に公開されたばかりの映画だという。カンヌ国際映画祭 カメラドール 特別表彰の作品とのこと。監督は早川千絵さん、主演は倍賞千恵子さん。2時間近い長編映画だった。

 鑑賞後の第一印象は後味の悪さだった。映画だから、フィクションだからと言えばそれまでだが、なんとも気持ちの晴れない映画だった。まるでノンフィクションのようだ。
 冒頭の銃殺事件。まるで安倍元首相暗殺事件や相模原障害者施設殺傷事件を想起させるようなシーン。しかも背景の音楽はピアノだ。かといって後のストーリーにつながっているわけではなさそうだった。映画全体としても何を言いたいのかよくわからなかった。各自お考えください、なのだろうが、後味の悪さだけが残った。

 安楽死(尊厳死ではない)をテーマにした高齢化社会批判と言えば言えるが、特に社会批判・政治批判映画を打ち出した映画ではない。安楽死は現在の日本では犯罪行為だからだ。そもそもナレーションがほとんどない。マスクをした人が誰も出てこない。防犯カメラなど高齢者施設にあるはずの安全設備が何も出てこない。社会批判を正面から打ち出しているわけではなさそうだ。では何を言いたかったのか。

 救いはやはり主演の倍賞千恵子さんの演技だろう。恐らく実年齢に近い役柄なのか、印象的だった。観客はみな高齢者ばかりだった。みな、倍賞千恵子さんのご姉妹での子役時代を知る人たちだ。少女歌手から女優へとよくぞここまで成長されたと喜んでおられたことだろう。今や大女優になられたのであろう。

 興味深かったのはフィリッピンからの外国人労働者の描き方だ。技能実習制度の問題点を指摘しているのかもしれないが、日本の高齢化社会が外国人労働者なしではたちいかないことを描いているように見えた。教会でのお祈りや集まりのシーンはどうみてもプロテスタント的で、カトリックが主流のフィリッピンらしからぬ印象を受けたが、出身地によってはプロテスタント系の技能実習生もいるのかもしれない。

 「林檎の木の下で」という歌が全編を貫いている。倍賞さんがきれいな声で歌う。昔を思い起こさせるこの歌が、本当は何を歌った歌なのか、私は知らない。また、なぜこの歌がラストシーンで歌われるのか、私にはわからなかった。なにか監督の思いがこめられているのかもしれない。

【林檎の木の下で】

倍賞千恵子さんの歌声

https://www.youtube.com/watch?v=uoiBVps8V2U

 

 

 

 

 

 

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